ホーム 当院について 病院報 病院報 2013年特集号 副作用などリスクと薬の安全性が問題に
大腸ガンについて申しますと、Apcという遺伝子に変異が起こるということで、ポリープができます。それで、これはやがてどんどん大きくなりまして、良性の腫瘍になっていくわけです。それで、このようなポリープにさらに、例えばSmad 4という分子の変異が起きたり、これだけに限らないのですけれども、様々な変異が起こると浸潤性のガンになっていくわけです。当然、ガンの発症には多段階の変化が必要です。ですから、このような良性腺腫の段階でCox‐2の阻害薬を使えば、それはアデノーマ成長を抑えることができるだろうというのが、マウスから言えた貴重なデータなわけです。
それで、実際に臨床試験が行なわれ、その結果がNew England Journal ofMedicine に発表されました。これは、セレコキシブというファイザーの作った薬ですけれども、ポリープを持った患者さんにプラシーボを与えますと、これは有意の差ではないと思いますが、このくらいの変化…、ほぼゼロ…、-4・5%となっています。100 のセレコキシブというのを1日2回与えると、12パーセント減り、400mgを1日2回与えると、28パーセント減るということで、容量依存性もありました。選択的なCox‐2阻害薬は胃潰瘍も少なく、非常に注目されたわけです(図36)。現在、例えば関節リウマチの患者さんとか変形性関節症、強直性脊椎炎などの病気に選択的なCox‐2阻害薬が適用として認められています(図37)。で、最大の利点は、先ほどお示ししたような消化管障害がないということで、出血傾向が少ない。おそらく将来は、大腸ガンの予防に使えるだろうと考えられますし、アルツハイマー疾患だとか、様々な炎症性疾患に使えるだろうというふうに考えられていたわけです。
ところが、先生方はよくご存じだと思うのですが、大ニュースが2005年にありまして、このCox‐2の選択的阻害薬を与えると…、これはロフェコキシブというメルク社の最も強くて最も選択性の高い阻害薬で、大腸ポリポーシスの患者さんに治験を行っていたところが、3年間のフォローをした段階で、プラシーボ群と比べて2パーセント程度、有意差をもって、血栓性のイベントが起きるということが分かりました。また、鬱血性心不全の率も上がります。これはもちろん、加齢によってあるリスクは増えていくのですが、1パーセント程度、より高くなるということが発表になったわけです。これはたいへんショッキングなニュースで、プロスタグランディンを研究している人間にとっても、それからこのCox‐2の阻害薬を開発した人間にとっても、製薬会社にとってもたいへん重大なことでした。
図36
図37
図38
それで、メルクはすぐに自主的に発売を中止にしました。ご存じのようにアメリカは訴訟社会ですから、アメリカの南部の州では、1人280億円の損害賠償の判決が出ました。全米でこういう訴訟が起きたのですね。で、アメリカはご存じのように陪審員制度を採っています。メルクの態度に問題があったかもしれませんが、個人の賠償額として百倍位の、加重した判決が出たわけです。で、これは非常におかしなところですが、別の州でも同じ裁判があったのですが、そこでは「無罪判決」です。この州には会社の本社や大きな研究所があり、そこでかなりの人々が雇用されているし、会社は州へ税金も沢山納めているわけです。確実な事は言えませんが、ちょうど今、日本で色々起きていることとよく似ていることの様に感じます。メルクは被害の拡大を恐れて発売中止にしましたし、ベーリンガーもやめたので、今はファイザーのものだけが残っています。で、ファイザーの薬物というのは、実は阻害効果というのが最も弱く、Cox‐2への選択性も弱かったのです。Cox‐1も抑えてくれれば、血栓の確立は減るわけです。つまり、効果も弱かったけれども、副作用も弱かったものが今残っている。大変皮肉な話しだと思います。
先ほどのご発表で抗ガン剤と一般薬の間の安全域ということが話題になっていましたが、似たような問題を感じました。シクロオキシゲナーゼ2を強力にかつ選択的に抑えるのに良い薬を作るというところにはメルクは成功したのですが、副作用という点でではいちばん大きな打撃を受けたのは率直に言って気の毒だという気がします。
しかし、例えば出血性の潰瘍で多分いろんなダメージを受ける方とか、亡くなる方とか、そういう方もたくさんいると思うので、実際はどちらが本当にプラスかという、そういうバランス判断やリスク管理というのはまだ我々は十分な経験を積んでいないと思います。これからは、人の全遺伝子が解明され、ある人にはCox‐2阻害剤は安全で、ある人には危険であるという、リスク予見が出来る様になると思っています。そうすれば、発売中止となったこれらの薬剤が復活する可能性もあります。
まとめますと、Cox‐1は血小板の凝集反応や胃酸分泌抑制に働いていて、Cox‐2は炎症や発ガンに関与しているわけです。血栓や出血は、血小板で出来るトロンボキセンという化合物と血管内皮で作られるプロスタサイクリンという化合物のバランスです。アスピリンはCox‐1もCox‐2もどちらも阻害しますので、抗炎症と抗血栓の両方の作用を持ちますが、胃潰瘍のリスクはあるわけです。他方、Cox‐2の阻害剤はトロンボキセンは阻害しないで(血小板にはCox‐2が存在しませんので)、むしろプロスタサイクリンを抑えてしまう。この結果、血栓を生じやすくなるという原理です。ご理解していただけたでしょうか。
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今日はどういう話をするかずいぶん考えたのですが、中心的には、私が今どういう研究をしているか、今後どのような研究をしていきたいか、さらに、基礎医学の研究をしているものは、臨床医学の発展に様々な形で役立ちたいという、そういう気持ちを話させていただきました。
今日は前に講演された先生方が、ガンの外科的な対応、それから化学療法、それから緩和ケアという話をしてくださいました。個人的話で恐縮ですが、私の母は非常に健康だったのに3年ほど前に突然、大腸ガンになって、あっという間に肺転移、続いて脳転移を起こし、最後に緩和病床を東京で探したのですが、どこの病院でもウエイティング患者が多くてとても入れないとのことでした。で、そういう病院を一つ一つ訪ねながら、緩和医療というのはどうしてもっと増えていかないのかなというふうに考えていました。今日の話をお聞きして、皆さまが、現場で非常に頑張っておられる様子を実感し、先生や医療スタッフの方々に心から敬意を表したいと思います。
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