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外科&整形外科研修が終わった…。最初はしんどくて仕方なかったが、終わってしまえばなんだかさみしさが残ってしまう。なんといっても外科と整形外科で3ヶ月はちと短い。なんとなくわかり始めて出来る事が少し増え始めた頃に「はい、さようなら」ではなぁ…。まぁ、それでもこの3ヶ月で内科研修では出来なかった事が色々あって、特に手技の部分では何歩か前進できたように思える。短かったけどまた内科に戻って研修するとき、3ヶ月前の内科研修とは少し違って出来るように思うし、そうでありたい。せっかく研修したんだからこれからに役立てなくちゃ、それこそさみしい。そしてあと数日で今年が終わる。今年は頑張ったのか、笑って終われるのか、そんなことを考えながらも書いてない年賀状と家の大掃除に残りの数日追われます…。
皆様良いお年を!
もうあと少しで、内科研修がおわりです。
最近は、色々、事情もあり、受持ち患者をふやさないようにしている。その代わり、手技はじっくりできて、CV2回、マルク、ルンバール各1回この約2週間で経験し、自分なりにできるようになった。
あと、3ヶ月、もっと勉強しながら、内科をやりたかったのに・・・。また、外科、整形外科を経験することで、幅広く、患者さんの病態が理解できるようになるだろう。
とにかく、もうすぐ、クリスマス、そして、お正月!!楽しく過ごしましょう。
休日は静かで時の流れが穏やかなので好きだ。今日は久しぶりに本屋さんに行こうかな。
街中もクリスマスの装飾が多くなってきて、肌寒くともこころなし温かい雰囲気がいい。気分転換 気気分転換 ♪
最近、同僚から「キミは指示出しが多いらしいね」と指摘された。自分では決して指示をたくさん出しているつもりはなかったのだが、そう言われてみると、最近、病棟にて自分の指示に関して色々と指摘される機会は多くなったような気がする。これには色々と要因があるようだ。
最近、指導医との距離が少し開いてきたような気がする。いつまでもベッタリでは永久に研修医を続けることになるからこれは必要なことなのだろうが、まだまだ初めての事態に直面する事は多い。そういう時に、自分に落ち着きがないと、指示がどうしても朝令暮改になってしまう。この朝令暮改の指示は否応なく批判の対象になり、そうするとますます落ち着きを失って訳のわからない指示を出す事になる。こういう時に限って指導医は外来診療や院外での仕事をしているから、どうにもならない。
そうでなくても、当院に入院してくる患者様は、プロブレム・リストが10番を越える方が珍しくない。そういう患者様を10人受け持てば、指示が少ないほうがおかしいのではないか。しかし、こういうプロブレムに対し色々と対応し始めると、「この患者様は何の目的で入院しているのか、訳がわからない」と病棟から言われてしまうのである。もっとも、そのプロブレムの多くは前医にて対応されている事が多く、それがクローズアップされる事は少ないのだが・・
夏も終わる頃、中学からの友人にラリー・レバンの『パラダイス・ガレージVol1』のシィヂィを頂いていた。70年代後半からキラキラと輝いた80年代前半のディスコ・ファンクな拳銃で108回殺されました。キラーチューンっていうのはこういうのをいうんだなあとしみじみ、めろめろになりました。
チャージ完了(108回死んで、転生完了)して、今週から外科の研修でごわす。Lovesensation!!!!!!
患者さんの状態が不安定なときがある。良くなったかと思えば悪くなり、悪くなったかと思えば良くなる。前者の場合は家族は焦る。なぜこんな事になっているのか? 自分達はどうしたらいいのか? その不安と焦りは赤の他人には想像もできないほど大きい。
そんな不安に答えていくのも僕たちの仕事の一つだが、困った事にその原因が分からない時がある。もちろん知識が足りないからというのもあるだろう。そんな時に、正直に自分にもこの先どうなるか分からない事を伝えできることをしていくと伝えるのが良いのか。それともハッタリを効かせてとにかく安心するように伝えるのが良いのか。
まあ、まずはいろいろ言う前に勉強して知識を身に付けなくちゃいけないけど…
外科系研修中であり、最近よく手術室に出入りする。手術室は病院の中枢であり、患者様はもちろんのこと、医師や手術室勤務の看護師が何人も出入りする。手術室にいるスタッフは、すべて患者様のためだけに存在する。手術に臨む患者様にとっては、粛々とした中で、ミスなく予定通りに手術が行われることこそが、一番の願いだろう。人間的な部分よりも、むしろ機械のような正確さが求められる。病院内でも特殊な場所だと言える。
しかし、しかし。手術室勤務のスタッフも、人間だ。おしゃべりもするし、ごはんも食べるし、もちろん喜怒哀楽もある。何種類もある手術用具の名を覚え、数千にも及ぶ手術手順を記憶し、執刀する医師と一緒に朝早くから夜遅くまで手術に臨む。手術中は無駄話も許されない。…『手術室は、大変だよ』 ほんとに、そう思う。
ついこの前、初めて医療懇談会というものをやらせてもらってきた。お話しをいただいたのは結構前だったにも関わらず、準備をはじめたのが1週間をきってから、というあたりイケてないなぁ…と思いつつなんとか資料を完成させ準備は間に合った。最初は、研修医1番手ということもあり、気合が入っていたのだが、蓋をあければこんなものであった…。
いざ当日!緊張しながら伺ったお宅では予想以上にたくさんの方々が集まって下さっていた。さらに、部屋には「医療懇談会 △△について 〇×先生」と筆で書かれた大きな紙が壁に貼ってあった。「うわぁ~、もっとしっかり準備しとけばよかった…」と若干後悔の念がわいてきた。が、まぁそこはどうとでもなれ!と根性据えてなんとか1時間ちょっとをやりきった。うまくいったのか?満足していただけたのか?…終わってしまえば考える事は多いが、今の私にはあれが精一杯だったと思う。なんとなく古臭い言葉だけど、「自分で自分を誉めてあげたい!」そんな気分。これからもこうした機会があると思う。次はまた違ったテーマで話しをすることになるが、楽しんで勉強できればいいなぁ、と思っている。
あと40日でクリスマスと、病院からの帰りの車のラジオからこんな言葉が流れる季節になったんだと思うとちょっと、ビックリです。毎日、毎日、何かに追われて、知らないうちに、こんな季節になっていたとは…
来年は、ゆっくりとクリスマスが過ごせたら、なんて思いながら、毎年、結構まにあわせで過ごしています。1度、ベニスで、クリスマスを過ごしたことがありますが、とっても、寒かったけど、ロマンチックで、思い出深いです。サンマルコ広場の大きなクリスマスツリー、赤や緑で飾りつけられたウインドウ、なにもかもが、懐かしい。早く、ゆっくり、クリスマスが過ごせるようになりたい…今度、ベニスにいけるのはいつかな…
最近は人数が増えて来て、大分忙しくなってきました。当直や院内外来番が重なると、ほとんど何も手につかなくなる状態。如何に上級医に上手く相談するかが今一番必要な能力かもしれません。
早く自分で短時間に患者さんの病態を理解し適切な治療をテキパキと進められるようになりたいものです。
そうなれば楽しくなってくるに違いない。
外科研修のことがこの日記(?)にも散見され始めた。私は引き続き内科で研修を行っているが、内科の研修医の数が減ったためか、受持ち患者様の数が増えて来ている。受け持ちが10人を超えるようになると、指導医も含めた色んな部署から電話がかかってきて気の休まる暇がなくなる。そんな前のめりの状態での研修がしばらく続いていたが、最近、思わぬ形で院外に出られる機会を得た。
先日、ある患者様が転院した際に救急車に同乗することとなった。重症のため厳しい全身管理を必要とする状態であったが、ひとまずの急性期を乗り越え、家族の近くの病院で今後の治療を受けたいとの患者様方のたっての願いであった。患者様と家族にとっては当院搬送時に続いての救急車であったが、一体どんな心持であろうかなどと、多少医者らしい事を考えていた一方で、信号に拘束されなければこれだけ早く京都市内を走ることが出来るのかと、つまらぬ感慨も沸いてきたものである。指導医は無言で私の隣に坐っていたが、一体何を考えておられたのか。
同じ日に、別の患者様の自宅を訪問する事になった。こちらは入院中のADLの変化により、家屋の環境整備が必要かどうか検討するためである。以前から在宅酸素を利用している患者様であり、家屋に関してはすでに段差の解消など、必要と思われることはほとんど実施されていた。患者様が久しぶりの自宅だと興奮されていたのが印象的であった。この日は多少改まった衣装にて患者様宅を訪問したのだが、結婚式じゃないんだからと冷やかされる始末であった。
外科をローテートしている。最初は何をするにもおっかなびっくりで、回診でガーゼひとつ交換するにも緊張していた。スタッフの方々に温かく見守って&指導いただいたおかげで、ここ最近ようやく要領が分かってきて、少し余裕を持って臨めるようになった。
外科では小さな手術から大きな手術まで幅広く行うが、内科の時と比べ元気な患者さんが多い印象がある。それはあくまで手術前のことであり、裏を返せば、手術後は別人のような状態に『急変』する。
担当させていただいている患者様で、術後の経過が思わしくない方がいる。手術でベストを尽くしたけれども、標準的な経過に比べて、うまく回復軌道に乗らない。上の先生方と何度も相談し、看護師さんやリハビリ室の方々とも相談し、本人や家族様の理解もいただいて。毎日懸命に治療を進めている。やっぱり、何としてでも、元気に帰ってもらいたい!!…あらためてそう強く思う&願う、そんな今日は、文化の日。
ローテーションでいくつかの科を回るが、それぞれの科に色がある。勿論、医師個人個人の色もあるが、科の色が明らかにある。僕の場合、学生時代のポリクリではあまり分からなかった(分かろうとしてなかった)が、特に患者さんとのやり取りに色がある。
どんな病気でかかるかということにもよるのであろうが、共感する姿勢をとても重んじる雰囲気であったり、むしろ「大丈夫、大丈夫。それぐらいみんな同じだ」と笑って言える雰囲気であったり(勿論、大丈夫だから言っている)と色々なんだなあ。
フレーズは最後まで吹ききる必要はない(M・D)
多く患者さんを持つようになると、自然と重症の方を持つ。上の先生から「この人は重症だよ。」と言われて心の準備をしてから患者さんに会いにいくことがほとんどで、そういう時は指導医の先生も身構えているので最初からいっしょにやっていただける。しかしまれに、軽いと思って会いに行って検査したら超重症ということがある。そういったときに、冷静に順序だてて、「次はこの検査をしてこのデータをそろえて専門医にコンサルト。そしてある程度自分の考えた治療方針を言ってみる。」というのが研修の基本だと思うのだが、実際その状況に出くわすとパニックになってしまい、「とりあえず指導医に…」ということになってしまう。いつまでも頼っていてはいけないのはわかっているのだけど…
2年後には1人で責任もってやらなければならない(というか今でも責任はあるけど)。それがしっかりできるようになっているかどうかはわからないけど、自信のあるなしに関係なく、そこに向かって努力しなければならないんだろう。
ついに外科研修が始まった。内科で6ヶ月研修してきたが、やはり外科はまた一味も二味も違っていた。目まぐるしく毎日が過ぎ去っていく。実際にお腹を切る、胸を切る、といった不安や恐怖に悩む患者さんに対して、適切にかつ適度に寄り添いながらできるのか、これまでとはすこし違った感覚で毎日を過ごしている。しかし、色々な手技や手術などに関わっていることが今までより格段と多くなり私にはなんとなくあっているように感じる。外科研修は1ヵ月半と非常に短いが、その中で自分なりの目標を定めてしっかりやっていくしかない。テンション高く毎日を過ごしていこうと、考える今日この頃。
今週は外人講師の先生に来ていただき、循環器について、わかりわすく教えていただいている。
これで、外人講師が来られるのは、3人目だが、今回は、フィジカル中心でとても興味深い。
今まで、聞いたこともなかったこと、どこかで聞いたこと、よく聞く内容などさまざまだが、いろいろ思い出しながら聞いている。循環器は、特に、フィジカルのとりかたがよくわからなかったが、これを勉強のよい機会にしていきたい。
苦しさや不安がまとわりつく死出の旅が迫ってきた時、いったい自分は何を支えに立ち向かうのだろうか。
家族に会えたからもういいんだと言った患者さん。どんな事を誇り胸に秘め旅立って行かれたのだろう。
旅路を前にして、生きた証であるご家族と安らかな時間を過ごせただろうか。果たして死は恐怖と絶望であるのか、または安らぎであるのか。もみじから透ける木洩れ日が暖かに降り注ぐ軒下にゆっくりと錦鯉が泳いでいる。なにも答えずに佇む観音様。
何かをつかまねば。死神が支配する底なしの暗黒を、新緑に満ち、生き物達がつどう静かに澄んだ泉へと昇華させる小さな灯(火)を、何としても探して守ってゆかねば…。
この病院で研修をはじめてはや半年が過ぎた。読者諸賢はしつこいと思われるかもしれないが、もう少し半年ネタに付き合っていただくとしよう。
これまでは内科研修を続けてきたが、半年といえば新研修制度で定められた期間に相当する。ここまでの期間で一通りの事が出来ていなければならないはずだが、今に至ってなお、外来にきた患者様を入院させるか帰宅していただくかなど、肝腎なところで指導医の顔色をうかがっている自分が確実に存在している。こういう劣等生のために選択研修というものが用意されているのはこれ幸いと利用させていただくが、外科や小児科などでも同じように選択研修での補修を行うとすれば、もはや2年間での研修終了など到底覚束ない。だが、このあたりでやめておこう。これからどのような研修になるのかについては全く語りえない。語りえない事については沈黙していなければなるまい。
先日、他職種実習として院内薬局、放射線科、検査をさせて頂きました。それから3日間ほど看護体験実習をさせてもらいました。日勤、深夜勤、準夜勤の順番。医師達が出した指示がどうのように行われるのかということやどんな流れで行われているか、どんな苦労や問題があるかなどを知るためというのが目的です。
それぞれの職種ともかなり大変そうでした。あらためて思ったのは、看護師さんが一番患者さんに近いなあということです。病院の顔は看護師さんであり、病院の評判は看護師さんで決まるんだなあと思いました。
患者さんも自分もぼちぼち無事に、内科6ヶ月を終えようとしている。これから外科・整形外科にローテーションする予定だが、区切りとして「他職種体験」というものをさせていただいた。薬局+放射線科+検査部で1日、看護師を3日という具合だ。
これまで患者様(と自分!)を守るため、がむしゃらに働いてきた。けれど、それも研修医としての話。…病院では、医師以外にも本当に様々なヒトが働いている。当院は電子カルテを採用しているが、これまで『電子カルテの画面の向こう側』を、見たことはほとんどなかった。…ただオーダーを出すだけであって、実際にオーダーを誰かが指示受けして患者様に実施される過程は、想像するぐらいしかなかったのだ!
…しかし、現実は。そりゃもう想像を越えて、遥かにスゴイ世界だった!想像するにも限界がある。言葉では伝えられないものがある。百聞は一見に如かずであり、とくに病棟での看護体験は鮮烈だった。たった4日間だったが、研修医半年分に勝るとも劣らないくらいの体験をしたような気がする。また今回のプログラムを通じて他職種の方や患者さんからもたくさんの期待と愛情を頂いて、とても元気になった。また明日からも、がんばるで!!
(V^-°)
最近僕の大好きな某スポーツで某球団が優勝を決めました。あまりに強いので本当ににくったらしく、しかも某○人のことをいろいろ言うわりに自分達もトレードで選手を集めています。ファンはファンで「ほたるの光」が大好きなようで。これほど憎らしい球団にも関わらず、優勝を決めた瞬間はなんて感動的なんでしょう。いい大人が少年のように笑って抱き合うあの瞬間だけは、どの球団のファンもただの野球ファンになると思います。自らそのスポーツを経験した人ならなおさらです。
本当はリアルタイムでテレビで見たかったその光景ですが、病院ではEMコールという厳しい現実・・・。栄光を手にする人がいる一方、それと同時に人生の危機を迎える人がいる。医師ははるかに多く後者を診なければなりません厳しい職業だなあと変なところから実感してしまいました。
あっ!という間の6ヶ月が過ぎようとしている。6ヶ月内科で研修してきて何ができるようになってきたのだろうか?「焦らなくてもいい。6ヶ月くらいでできるようにならないから。」そう上の先生に言われるが、やっぱりなんとなく焦ってしまう。なんという早い6ヶ月だったんだろう。焦る気持ちと今はまだ焦らなくていいんだという気持ちが入り混じってなんとなく複雑な感じ。そうこうしてる間に10月途中から外科研修が始まる。わくわくする気持ちもあるし短い期間で何が出来るようになるんだろうという気持ちもある。自分なりに目標をたててやっていくしかないのだろうけど・・・。まぁ、ごちょごちゃ言っても頑張るしかないんだろうな。楽しむ気持ちも忘れないようにしよう!
今日は、休みだが、患者さんの様子を見にきた。今は、余り重症の患者さんをもっていないので、ゆっくり、色々ふりかえってみたり、心電図の本を読んで、復習したりしている。
毎日、自分のやっていることに対して、疑問をもったり、本を読んで、こうだったのかと、理解を深める事が出来るという点で、とても興味深く仕事ができる。
自分の至らなさにへこむ毎日です。
ある先生に一通りの事が一応出来るようになるには10年位かかるし、それまではしんどいよと言われましたが、体力的にも果たして続けて行けるのか不安になる日々です。しかし、めげずに続けて行けば、いつか何とかなるのかなぁ?同じ研修医の皆さんどう思います?
互いに励ましあって教えあって、一人前を目指そうね。
もう大分前からだが、直属の上級医以外の医師と連携しながら患者様を診る機会が増えて来ている。消化器疾患の患者様なら消化器科医に、循環器疾患の患者様なら循環器科医に指導を受けながら研修医として診療を行うということだ。独立した診療科ではないが、感染症や栄養サポートに関する指導も同様の形で受けられる。もちろん、直属の上級医との連携も欠かせない。
現行制度での研修が始まる前、京都民医連では研修医が主治医として診療を行っていた。常勤の医師の指導を受けながらの診療であった事は言うまでもないが。指導医とは別に、当時は副主治医というシステムがあり、上記のように患者様の持つ疾患に対応した医師がこれにあたっていた。
これまでの研修で、色々な先生にコンサルトしてきたが、こうした過去があったためか、コンサルテーションのハードルが低く、色々な事を聞きやすい環境だと感じている。先日も受け持ちの患者様の歩行時の姿勢についてコンサルトし、神経内科の先生に診てもらったばかりだ。
この頃、持ち患者様の数が増えて来て、様々なことを任されるようになった。以前は『スマイル』で許してもらえていたことが、許されなくなって来ている気がする。医師という職務上仕方ないことだが、患者様・ご家族様を含め、コメディカルの方々からも毎日、様々な質問を受ける。失礼のないよう適切に返事しなければならない。時に疲弊していることもある。いやどちらかというと、よくあるほうかも。しかし、医師である以上は『さわやかに』日々職務をこなしていかなければならない、と上の先生方の背中を見て強く思う。そして、やはり『スマイル』も大事だと思う!もう夏もおわり秋を迎えるが、こんな時期だからこそ、もっとイイ顔でスマイルできるようになりたい。
今日2人目れす。今日は当直れす。9月からはドキドキのファースト・コールなので、今回が最後のセカンド・コールれす。どんな些細なことでもすべて勉強と肝に銘じ、この24時間all night groovingします。
学会等で症例を発表する時は、その疾患に関してかなりの事を勉強していかなければならない。そこに来る人はかなりの専門家であったり、人一倍の興味を持ってくる人ばかりだからだ。自分よりはるかに多くの知識を持っている人たちの前で疾患に関して発表して、しかもきっと飛んでくるであろうマニアックな質問にも答えていく。かなりきつい作業だろうし、恥をかくこともあるだろうけど、まあ、誰でも一度は経験することだと思って頑張ってみたいダメだったら次からは手を出さないようにしよう…
現在、持っている患者数が少ないため、少し、余裕をもって、いろいろなことに対処でき、数が多ければそれでいいというものでもないなと、感じている。時間があるので、できていなかった仕事をしたり、読みたいと思っていた、医学書を読んだりしている。そうはいっても、明日ぐらいは、新しい患者様を受け持つ事になると思うので、さっさとやるべきことをすましておかなければ…と時計をみながら考えている。
この前、初めて泊りの当直を経験した。やる前は、少し不安もあったが、セカンドだったのと、ファーストの先生に気をつかっていただいたおかげで、6時間ぐらい熟睡できた。また、症例についても、エコーをしたり、CTの読み方などを学べて、とても有意義だった。
最近トラブル続きで参ります。ついてない日ってあるもんですね。ところで医者って、自分が入院していた時は、あまり見かけないし、どこで何してるんだろうって思ってたけど、検査があったり事務作業も多くてびっくりするくらい忙しいですね。書類関係が非常に多くて医者っていうより、医療事務職って感じです。でも上級医の先生はサクっと終わらせて仕事の速いこと速い事!診断・診察も短時間で適確に行なっているのを見ると、さすがだなぁと尊敬します。自分はまだまだ何でも遅くて手際悪くて落ち込みますが、すこしずつ実力をつけて行きたいと思う今日この頃です。
最近、当直(勿論一人で当直しているわけではないが)で診た患者様をそのまま受け持つ機会が出始めた。少しずつフツ~の仕事を行なえるようになってきたのだろうかと、愚かしくも考えてしまう。外来受診時から退院まで同じ医師が診ているからといって、患者様にとってはほとんど意味の無い事は明らかだ。一人の患者様を長く診ることによってトータルなケアを、というのは、研修医にとっては所詮幻想でしかない。当直で診た患者様を入院後も受け持つのは、果たしてよい事なのか。眠い目をこすりつつその患者様の入院後のプランを考えなければならない、それだけでもかなり考えさせられてしまう。だが、そんなところで不安がるのもまた詰らぬ事なのであろう。フツ~の仕事を行なえるようになるのは、まだしばらく先のようだ。
ようやくグループ変更が進んできて、持たせて頂く患者さんの疾患が変わってきました。何かまた1からのスタートのようで、アップアップしています。しかも、8月4日~6日まで広島で開催された原水爆禁止世界大会に参加させてもらっていたので、勘というか頭が切り替わってないというか、昨日(月曜)なんか、さらに鈍くなってました。修学旅行に行って帰った後の学校のようなかんぢ。今日、また新しい患者さんとご縁を頂き、再スタートなかんぢです。「『ピンチ』という言葉が好きだね。」・・・と言った人がいました。だってピンチってやヤバいけど興奮するやん↑?・・・ボスのCMで永瀬君が布袋君に追っかけられてる感ぢやん↑?「クライシス」ってやっぱり絶望やん↓ピンチはいいよね。
『夏休み』とはいつ聞いても魅力的で、甘美な響きのある言葉だ。ありがたいことに当院では研修医にも一定期間保障されている。しかし。研修医といえばもう医師であり社会人ある。夏休みは、上級医や指導医と調整してとる必要がある。そして何より、研修医といえども入院患者様にとっては大事な担当医である。休暇中にも患者様には快適に療養を進めてもらうべく、手配しなければならない。そのためには休暇前に患者様の状況をまとめ、休暇中の内服や点滴を処方し、起こり得る事態を予測し指示しておかないとならない。今年は『夏休みを取ること自体が、大事な研修だ』と言われた。しっかり研修しつつ、ばっちり夏休みを取るべく画策中の、今日この頃。
最近、また受持ち患者数が増えてきた。自分ではそんなつもりは全く無いのだが、どうも私は周囲からはまだ余裕があると思われているらしい。困った話である。日に日に出勤時刻が遅れていくタイムカードを見ながら我が身の不甲斐無さを憂い、日に日に薄くなっていくカルテを見ながら不安を感じているのを、指導医の先生はどう見ているというのだろうか。
先日、そんな事を考えながら電子カルテに向かっていると、突然EMコールが流れた。時折流れるものではあるが、聞くたびごとに違う事を考えさせられるものではある。
今回は救急搬送されてきた患者様の脈がないというので、過去のカルテを調べる役に回る事となった。だが、何を伝えればよいのかさっぱり解らぬ。四苦八苦しながらカルテを参照していると常勤の先生がやって来て、ポイントを一言で言ってしまう。一体自分は何をしていたのだろうか。結局、その患者様は蘇生することなくその生涯を終えられた。恥ずかしくも私めが最後の心マッサージを行なっていたのだが、その時はある一つの曲を思い出していた。
研修をはじめて間もない頃、BLSの講習会で1分間に100回をリズムを覚えるべく聴かされた曲だ。その瞬間は空など見ている余裕は無かったが、ほんの少しは自分を振り返る余裕があったのかもしれぬ。そんな余裕に意味があるとも思えないが・・・
物思いにふける暇も無く、また次の日から新患が割り当てられていく。またカルテが薄くなっていく。また周囲からは余裕がありそうと揶揄される。何をかいわんや、そんなどうでもいいたわ言が私の頭を駆け巡る。
不思議なもので、医籍に登録されてからはや数ヶ月。なんとかまだ"除籍"されることなく、勤務を続けられている。患者様と自分の身に降りかかる"(火)の粉"を、いろんなヒトたちの助けを借りながら、ただただ毎日々々振り払いつづけている。
患者様を含め看護師さんや事務の方までが、自分のことを"先生"と呼ぶ。しかーし、しかし。個人的には先生という称号は好きじゃない。"先生と、呼ばれるほどの…でなし"とはよく言うが、本来は字の通りに"先に生まれた人"を敬う言葉。
翻って我が身の周りは、今のところは"先に生まれた人たち"ばかり。"せーんせぇ、そんなんしたアカンよー!"と言われつつ。年配の患者様に、称号で呼ばれて恐縮しつつ。
自分としては"先生"と言われるたびに、逆にいろんなヒトを敬いながら、ただただ毎日々々精進を重ねて行きたいと思う。
人は人に災いをもたらす
人は人に幸せをもたらす
この恐るべき事実を前に、私は反省をする。節度を持つ。しかし、後悔はしない。それでも、密かに気付いたのは星の巡りの悲しみというもので、どこかへ消えた望みは遥かどこまでも続くのだろうか。たとえ今は不確かでも、それはどこかで何かにきっと摂受されるのだと信じるしかない。
数日前から、それとも数週間前からか、気が付くと丸太町通りは蝉時雨。在り来りにも、蝉の命の儚さを想う。一人の人の死を見せて頂くということは、本当に感謝すべきことなのだと、腹にすとんと落ちた。
牛乳は痛みを伴わず腹をくだす。私は今日も静かに腹をくだしている。
最近遠くの実家から親が会いに来た。京都観光が目的という感じだったが、特に父親にとっては僕が就職してはじめて会う機会。普段は腰が重いのにわざわざ会いに来てくれたので、今までお世話になった分少しくらいは恩返しした(と思う)。「親にとっては子どもはいつまでたっても子ども」というが、あまり心配されると困ることが多い。まあ僕も親になったら同じようになるのかもしれないけど。
ここしばらく、とても忙しく、また、典型的な症例をもつことができとても勉強になっている。もうすぐ、夏休みをとりたいと予定しているが、重症の患者さんもおられ、どうなることか、未定である。とにかく、気分転換をうまくやりながら、幅広く勉強していきたい。
最近、同僚が随分とやる気を出しているのを感じている。その同僚に何があったのか詳しくは解らないが、こちらも負けるものかと妙な気負いを感じてしまう。まだ正面きって競い合うには至らないが、病棟でカルテに向かいながらもその同僚の目線が気になり始めている。この前は新患の患者様の担当を競い合ったばかりだ。ジャンケンという単純な遊びも、こうした形だとまた違った趣を感じる。だが、本当に驚かされるのは、自分自身にその様な若さがまだあったのかという事だ。大学を6年がかりで卒業し、結構な年を重ねてきたと思ていたが、周りを見渡すと医師集団の中で自分が一番若い事に気づかされる。学校を出たくらいでは自分の子どもっぽさは変わらぬ、そんな当たり前の事を、今更ながらに考えている。
最近、この日記もにわかに活気付いてきたようだ。何とも奇妙な気分である。われわれは何を好き好んでこの駄文を衆目にさらしているのだろうか。当院では最近古い雑誌の処分が行なわれている。しばらく陳列しておくので好きなように持っていってよいと、事務方から連絡があった。さて、どうしたものかと物色していたが、これがなかなか興味をそそるのである。国家試験の勉強を終えて久しいが、今更ながらにあの頃学んだ事が活きた言葉で語られている思いがした。あの勉強は何だったのか、何のために医師になったのか、妄想は果てしなく続く。同僚からのPHSが言う、勉強会が始まるから来い、と。ここで妄想は終わる。執拗な現実からの圧迫が私を締め付ける。釈迦の手の上で弄ばれ、三蔵に頭を締め付けられる孫悟空のような毎日だ。
持たせてもらう患者さんの中に、重症なんだけど症状がない方が時々といらっしゃる。例えば、全身黄疸、ビリルビン30mg/dl越えて、トランスアミナーゼも2000越えてるのにぴんぴんしてる方とか、クレアチニン7.0mg/dlこえてて尿蛋白4g/日以上も出てる方とか。
非常に難しいのは、症状が無いのに入院してもらって安静にしてもらったり、透析導入をすすめたりすることで、かなり丁寧に説明してもなかなか心底理解しては頂けないこともある。
診断から対処や対応まで、患者さんの症状が一番重要だが、やっぱり検査データ優先で判断していかないといけないことも多々有るんだなあ。と思うのでちた。今週から上級医・指導医交代のはずが、患者さんを退院させて上げれないので、全く交代できずに持ち越しています。ネットに公開するからいい事書くんじゃなくて、ほんまに恵まれた3ヶ月でした。☆の☆え先生、か☆☆先生ほんまにありがとう御座いました。
m(;_;)m
感謝・驚き!!!!!!!!
患者さんは早く病気を治し、早く退院して日常生活に戻ることを願っている。しかし退院後の生活に不安を持つあまり、退院したくないと言う患者さんもまれにいる。まず不安を取ってあげることは当然でこれに努めはするけれど、ずっと病院にいさせるわけにはいかないし、どこかで強く押さなければならないだろう。その時は患者さんをさらに不安にさせるかもしれないし、最悪の時は不信感を持たれるかもしれない。それでも病院というのは生活の場ではないし、動く範囲も限られるため身体は衰えていく。医療関係者は患者さん以上に病原体を持っていてそれを健康な患者さんに移すこともありうる。病気になって初めて来るところであって本来は人がいるべきところではない。いかにそれを理解してもらえるように伝えられるかも医師に求められる能力かもしれない。
指導医と上級医が交代(私たち研修医が交代か・・・)した。研修医としてはじめて現場に立ち右も左もわからない私たちに優しくも厳しく指導してくださり、ほんの少しは進歩したのかなぁ、と願いを込めて思ったりしている。週明けから本格的に交代。次も色んな事を吸収できるよう頑張っていこうと思う。
今週で、一区切りとなり、指導医と上級医がかわる。当初思っていたよりもいろいろな症例にあたれたし、実践的なことが経験でき,良かったと思う。初めは、右も左もわからず、また、新しい生活パターンにも慣れず困惑したが,今は、何をどのようにすすめていたらよいか、方向性がわかってきたように思う。とりあえず、大きな波にのみこまれてしまわずに、次のステージにいけそうな気がしている。
新しい年度になってそろそろ3ヶ月である。本日は今までの研修についての雑感を書かせていただくことにしよう。
われわれは、新しい研修制度の2期生に当たる。大学や有名な研修病院を蹴ったわれわれに、整ったカリキュラムが与えられるはずもなく、どちらかと言えばその日暮らしの研修をしている。その良し悪しを言っても始まるまい。ここで言いたいのは、あくまでも私の雑感である。
カリキュラムが草創期である当院での研修で顕著なのは、常勤の医師一人一人の考え方に多様性があることである。それだけに、われわれ研修医もコンサルトする先生ごとに異なった対応を取らざるを得ない。そうしたことを繰り返していると、多様な常勤の医師の考え方が、あたかも一つの同じ山を異なったルートで登っているかのような、何とも言い様のない統一性を前提にしていると錯覚する事がある。どうでもいい錯覚だ。どうでもいいが、指導医やコンサルタント医が、全て同じ見方をしていれば、味わえない錯覚ではある。
書いていて、もうどうでもよくなってきた。この辺で筆を置かせていただくことにしよう。
この駄文を綴り始めてもう2ヶ月ほどになるが、いい意味でも悪い意味でも慣れてきたような気がする。多少とも図々しくもなってきた自分を感じ初めてすでに久しい。最近、受持ち症例を選んでいる自分に気づくことがある。常勤の医師から「研修医症例」と言われても、すでに受け持った経験のある疾患の患者様であるとか、認知症のある患者様であったりすると、心のどこかで敬遠してしまう。先日、同僚とそんな話をしていたら、あるベテランの先生に、調子に乗るな、と一喝されてしまった。
先日、急性疾患で入院された患者様が、いろいろイロイロあったがなんとか無事軽快退院された。…親ぐらいの年代の方だったが、特別な処置が必要なこともあって、本当によく足を運んだし、色んな話をした。仕事の話、病気の話、これまでの人生の話、家族の話など。…相手が何を思い、何を求めて、どうしたいのか。同じ空気を吸って、その空気を読んで。一緒に悩み、一緒に退院目指して頑張る。…なんだか恋愛みたいな感じもするけど(笑)、出来る事はすべてやった気がした。患者様の退院が、今回はまるで我が事のように嬉しかったです☆
先週、京都大学へ行ってきた。いくつかの病院の先生が集まっての、総合内科の症例
検討があったためだ。さすがに臓器別診療が行き渡っているわが国の総合内科だけ
あって、出て来る症例は血管炎だとか、かなり非典型的なリンパ腫だとか、難解なも
のが多い。研修医には難しすぎて勉強にならないとは、先週書いた外国人講師の弁だ
が、こうした難解な症例の正しい診断に一足飛びでたどり着くのもなかなか興味深い
仕事だと思う。
また、週末には京都府医師会主催の演題発表に行ってきた。こちらは医師のみならず
病院内のあらゆる職業の方が発表を行っていた。他職種の人がどんな考えを持ってい
て、どんなことを発表するのかという事は、なかなか知る機会がなく、こうした話を
聞くことで医師としての自分の役割が浮き彫りになるのではなかろうか、そんな期待
をもっていたのである。ところが、時間の都合で当院の職員の発表以外ほとんど聞く
ことができなかった。それでも得られたものは多かったと思うが、何とも奇妙な気分
にさせられた。
最近、外国人講師が主に研修医の教育のため来院(来襲!?)してくれている。今回 来てくださった講師はアメリカ人だが、日本語もかなり話せるし書ける。ほとんどの 会話を日本語でできるが、『今からニホンゴ分からないフリしまーす。』といって英 語で講義を行う。新入患者紹介などのプレゼンテーションを英語でするというのも、 とてもしんどいけれど、たまには刺激的でおもしろい。
先日、数日間にわたってこの病院の研修の一つのウリである外国人講師による指導 があった。これからまた何度かあるらしい。今回は日本語のわかる人だと聞いて安心 していたが、当日になって英語で症例プレゼンテーションをしろと言われ、面食らっ てしまった。ハッタリ半分で英語でしゃべってみると、それなりに通じたのは嬉し かったのだが、嬉しさの余りその日の新患患者さんのベッドサイドに行くのが随分と 遅くなってしまった。不幸中の幸い、患者さんが穏和な方でその日のオーダーは非常 に簡単であったため事なきを得たが、指導医や病棟の看護師の白い目は耐え難かっ た。
先日『研修もとっっても忙しいが、たまには新聞も読まないと(汗)』と思い、久し
ぶりに読んだ新聞に載っていた話。
中国には『鵬(ほう)』という名の鳥がいるそうだ。翼の先から先まで、何十キロに
も及ぶという想像上の怪鳥である。しかしこの怪鳥にも幼い雛の時期があって、鵬の
雛なので『鵬雛(ほうすう)』と呼ぶ。
・・・わたしたちも、今はまだ医療者としては小さな雛に過ぎない。しかしいずれは大
きく育って、患者様や地域をも覆い包めるような、できるだけ大きな翼を持った
『鵬』のような医師になりたいと思う。
最近、受持ち患者さんの数が増えてきて思うことがある。高齢の患者さんなら医学的
な問題を多数抱えていることが多いとは、既に書いたが、そうした患者さんの多く
が、一度は目にし耳にしたことのある医師より紹介されているのだ。この病院の周辺
には、京都民医連の診療所がいくつか散在しているが、その外来医もしくは往診医
が、この病院へ患者さんを紹介しているということだ。
そうした背景のある患者さんに対しては、われわれ病棟の研修医の役割は、入院の原
因となった急性の疾患を治癒し、もとの外来医もしくは往診医のところへ返すことに
なる。こうした場合、身内とのやり取りだからといって簡単に済ましてしまうわけに
も行かぬ。こうした患者さんに関する紹介状を書き忘れると、それこそ忘れた頃に指
導医から叱責されるから大変だ。
なんとか国家試験をくぐり抜け、病棟に出入りするようになって早1ヶ月と少し。ま
だまだ一般の人と変わらない。そんな私たちを導いて下さっていた素晴らしい先生
が、研修のためアメリカに行ってしまわれる。いつか別れは来るものだけど、こんな
に別れが早いとは。
少しでも先生に教えて頂いたことを無駄にしないように、ひいては少しでも患者様に
力添えできるようになるために。先生は去ってしまわれるけど、その背中を見失わな
いようにして頑張っていきたい。
病院では時に患者さんが嫌がる事もしなければなりません。それが他のサービス業と決定的に違うところだと思います。病気を治すために人を傷つける事を許されている数少ない職場でしょう。しかしそれを本当に実行に移すかどうかを決められるのは医師だけ。あるとき、僕の担当の患者さんについてコメディカルの人が何人かで相談していて、そろそろ決めなければという時、僕に向かって「先生、どうしますか?」という一言。「そういうことは医者に聞いてください。」などと言えるわけもなく、「まあ~しましょう。?なんとか乗り切りましたが、患者さんにとって良かったのかは全く分かりません。決断を迫られることはこれから数限りなくあるのでしょうが、正確な判断ができるのかどうか、本当に不安です。
研修をはじめて一ヵ月余りになるが、通算の受持ち患者数が両手で数えられなくなりつつある。今日も新しい患者さんを受け持たせていただいた。患者様の数だけ多くのことを学べていればそれに越したことはないし、またそうあるべきなのだろうが、とてもそんな事は言えない。そうこうしているうちに、当直の研修が始まるとか、始まらないとか、そういう噂を耳にするようになった。嗚呼!!! これからどうしたらいいのか!!
糖尿病の患者様を受け持たせて頂いた。一応国試に通ったのだし、内分泌分野で勉 強した(コトになっている)が、実際の治療に関わるとなると、もっともっと学ぶべ きことの多い疾患だと感じた。…慢性で全身性の疾患だし、コントロールの効くこと はあっても完治することはない。生活習慣病だから、たとえ病院でうまくコントロー ルできても、退院して自宅に戻るとなかなかうまく行かないこともある。食事指導が 基本だが、残念ながら医学部では『栄養学』は習っていない!運動療法も、関節症状 があったりすると難しい。内服治療はインスリン治療も、幾通りもの方法がある。… 医師と患者様だけでなく、家族の方の協力も必要だし、看護師や栄養士との連携も必 要だ。『なにわともあれ』しっかり勉強しやんと~☆
「自分の人生は自分で選ぶ」とよく言いますが、医師になって痛切に感じたのは「人
の人生を左右することがありうる」ということ。重大な病気の可能性がある患者さん
の精査をするかしないか、本当は患者さん自身やその家族が決めるべきことなので
しょうが、「最後の判断は先生にお任せします。」と言われればそれまで。自分の何
倍もの人生を歩んでいる人に対して「しんどい思いをすると思いますがやりましょ
う。」とか「年齢のこともありますので精査はやめましょう。」とか言わなければな
りません。患者さんにしてみれば孫くらいの年齢の若造に人生を預けるようなもので
す。
いかにその人のことを考えて答えを出せるか、結局はそこにかかってくるような気が
します。ああ、因果な商売だなあ。
最近、患者様が私を見る目が少しずつ変わってきたような気がする。一言で言えば、 医者としてやるべき事をやってくれ、ということだ。今まで、といってもたかだか 1ヶ月だが、病歴を丁寧に取ることを心掛けていたつもりだったが、私の医学知識の 水準では、それだけでは事が運ばぬらしい。これまで温かく見守ってくださっていた 指導医の先生からも医学的に厳しい指摘が目立ち始めた。 医師国家試験を終えてから、何ヶ月経っただろうか。あの頃身に付けた知識が役に 立っているのかどうか、今の段階では判然としないが、いつか分かる時が来るのだろ うか。
今日の夕方、上級医の☆先生にラーメンおごってもらいました。とてもおいしかった です。僕の上級医の☆先生は、この病院の王子でありまして、当直明け最も爽やかな 人です。ライバルは○○○先生です。 かつてオザケンが鶴田真由の目の下の膨らみを「ホルモンタンク(フェロモンタンク だったっけ?)」と名付けていましたが、そのホルモンタンクが僕の上級医の☆先生 にもあります。ホルモンでもフェロモンでも出しまくりです。しかし、矛盾するよう ですが、セックスアピールが強いというわけではなくて、どう言えばいいのか、つま り、「放屁しない(仮にしたとしてもペパーミントの香りがします)」「排便しない (年に1回だけ・・・それは3月頃、桃の香りでピンク色のつるんとした物体を産み 落と します)」ということに集約されるような偶像化・神秘化された状態なのです。 この病院の最後の秘境の一つということで多くのスタッフにとって興味の対象となっ ています。 僕の上級医の☆先生は『素晴らしい!!!!』というのが口癖ですが、最近はさすがに みんなに流されています。 僕は上級医の☆☆☆☆先生が大好きです☆
今日はサーフローにて静脈ラインの確保をさせていただいた。見るもの診るもの、 新しいものばかりの毎日だ。実際に患者様に手技を行うときはかなり緊張する。生身 の人間に対する『畏れ』と、未熟な身で手技を行うという『怖れ』が入り混じる。こ の緊張を乗り越えられるように、でもこの緊張を忘れないようにして、頑張って行き たいと思う。
最近、患者様を他院に紹介する機会が何度かあった。紹介状を書くという厄介な仕事 が、研修医の上にのしかかる時だ。紹介状の書き方は、どうも一人一人微妙に違うら しい。以前はじめて紹介状を書いた時は、指導医間で修正の仕方が異なっていて、非 常にやりきれない気分になったものだ。
先の週末は、病院の歓送迎会のため、久々に酒を飲んだ。そのためか今日は頭が回らぬ。酔った勢いであらぬ事を口走ってしまうかも知れぬ。 私の言葉は他人に伝わりにくい事が多いのだが、先日、こんなことがあった。受け持ちをしている患者さんが、自分の症状を何とか伝えようと寝床でいろいろ表現を考えていたというのだ。患者の声に耳を傾けよとは、最近よく耳にする言葉であるが、自分が患者さんにこんな苦労を強いているとは思ってもみなかった。医師の使う専門用語が難解であるとは、あまり異論の無い事であろうが、患者さんが自分の症状を納得がいくように表現する事もまた、非常に難解であるということだ。
んん~。んん~。昨日、患者さんが発熱して、今日の退院が延期です。かわいそう。(;_;) (;_;) (;_;) (;_;) (;_;) (;_;)
午後から京都民医連第二中央病院で伊藤春海しぇんしぇいの胸部X線の読影会にのこのこ厚顔を下げ行って参りました。深い、深い、深すぎる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そしてまた、病院のカンファ室が古くて、ボロくて、美しすぎるぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!!!!!
清潔でファシズムな空間なんか大っキライだっちゃ☆
こういうデカダン臭とノスタルジ臭が一緒になる様な空間で、昭和の時代を駆け抜けた厳しく優しい先生に、胸部X線を教えて頂いて、とろけそうでした。
見つかった!
何が?
永遠が、海に溶け合う太陽が。
... Merci ...
今日は業務が終わらず、必要なことしかしてないはずなのにもう22時。毎日病棟に行って患者さんに会って、上の先生とディスカッションして、カルテを書いて。大変だけど、合間を縫って勉強しないと。どこまで勉強しても切りが無いけど、勉強しない事には一歩も進まない。でも今日はこれで切り上げて帰ろう。明日もしっかり頑張るために☆
昨日は、BLSの講習を受けた。話を聞いているだけでなく、実際にやってみることはとても大切なことだと思う。このような機会をできるだけ多くもつことが、とっさの時の対応に反映されると思うので、何度も練習する機会をもちたい。
患者さんはわがままだ、とか、自分勝手だ、という医療関係者がたまにいる。確かにちょっと理不尽なことを言う人もいるけれど、それはごく一部で、それも病気に対する不安から思いがけず口にしてしまう言葉だと思う。僕はもちろん、誰だって感情 にまかせて人に当たってしまう時はあるだろうし、それに対して理解を示せるようになりたい。お人よしみたいに思われるかもしれないけど、まあ、医者はお人よしくらいがちょうどいいでしょう。
病棟で患者さんを受け持ち始めてそろそろ半月がたとうとしている。病棟は医師の指示なしには動かない、とは学生時代から時折耳にしていた言葉だが、私のような1年目の医師には辛い言葉である。何しろどんな指示が出せるのかが全く分らない身だ。病棟そのものにある程度慣れてきたと思われているのだろうか、最近、**さんは入浴してもらってもよいのか、OOさんの点滴の速さはこのくらいでよいのか、ということが、しきりに看護師から訊ねられるようになって来た。
先日、受け持っていた患者さんが退院された。入院の契機となった急性の疾患が治癒したためだ。高齢で認知症のある方で、医学的に突き詰めればいくらでも未解決の問題があるのだろうが、逐一それを取り上げて問題視するのはあまり意味のない事だ、指導医からはそういうメッセージを受け取ったような気がしている。
本日未明、担当患者さんが熱を出しました。実は今日は初の外泊予定でした。かわいそう (;_;) (;_;) (;_;) (;_;) (;_;) (;_;)
ガチガチ震えて意識朦朧としてるんだけど、この患者さん肝臓の状態があまりよくないから、解熱剤使えないの、かわいそう(;_;) (;_;) (;_;) (;_;) (;_;) (;_;) (;_;)
色々検査しても熱源がわからず、奥様と話すと『きっと、初外泊で興奮して熱出したんでしょう。遠足前の子供みたいに。』とおっしゃられた。
そういう解釈を僕もしたくてたまりませんが、医師としてはダメなようです。
!!!!!!THANKS!!!!!!
担当患者さんの数が増え始めてきた。そろそろパニックになりそうか・・・。まだまだ言われた事ややっている事が頭の中でグルグル回るばかりで、理解して自分の中に落ち着くまでに至らない。毎日必死だ。難しいなぁー。まぁ、急に全部ができるようになるなんて思ってもないから、毎日ちょっとずつ頑張っていこうかなぁ。継続は力なり!そう信じてないと今は・・・。
病棟に上がってまだ間もない。国家試験に通ったというだけで職業は変わったが、中身はまだまだ一般人。病棟で看護師さんに『先生、これって●○で△×$して#&*すればいいんですね?』と聞かれても、一般人の自分には何のこっちゃ分からない!!・・・『外国語を聞いてるみたいや』と思いつつ、口から出るコトバは『上の先生に確認します』と。後で上の先生に●○と△×$と#&*について聞いて、調べて。少し賢くなったと思って帰る、今日この頃。
電子カルテの記入など、最初はさっぱりわからなかった事も、少しづつわかるようになり、大分仕事に慣れてきたように思う。日常の業務だけでなく、もう少し自分の勉強時間をもてるように工夫をしていこうと思う。
患者さんとの関係も重要だが、家族との会話も大切にしていかなければならない。思わぬ情報を得られる事もあるし、退院した後どうするかは家族の協力無しには考えられないからだ。家族と会う時にはある意味患者さん本人と会う時より緊張するけど、貴重な勉強になるとおもっている。本人も家族も笑顔で退院できるように努力したい。
社会人になっても、週明けはけだるいものだ。病棟に患者さんを受け持ったにもか かわらず、朝布団にくるまっている間の至福は何ものにも換え難い。そんな気持ちで 病棟へ来たら、なにやら今日は外から来た先生による教育回診があるらしい。病棟業 務が始まってからはじめての先生だ。しどろもどろになりながら自分の担当の患者さ んの経過を説明する。当たり前のように色々と厳しい指摘が飛んでくる。密かな喜び を感じていた私はマゾヒストなのだろうか?
近頃、病棟研修が始まって、ついに患者さんを受けもつことになった。まだ、患者 さんは一人だというのに、色々考え、やる事があってすでにいっぱいいっぱい・・ ・。まだまだ独り立ちにはほど遠いが、しかし、教えてもらいながらも色々やってい くと毎日があっというまに過ぎ、とても楽しい。これから、もっと忙しく難しくなっ ていくのだろうけど、楽しむことも忘れずに、頑張っていこう!
最近、患者さんを受け持ち始めました。いつもどきどきしながら朝を迎えます。病院 スタッフとの関係も考えて、ひそかに自己紹介なども考えていたりします。 とにかく分らないことだらけです。あっというまに時間が過ぎていきます。患者さん と看護師さんに失礼をしないことをモットーに、頑張っています! そして『電子カルテ』との格闘が大変です。『こいつをシバかんと、業務ができん』 と強く思いました。
近畿一円の研修医が集まるオリエンテーションは楽しかった。昼ご飯をかけたゲー ムをしたり、テーマ別に語り合ったり、夜は交流会をしたり。どの研修医もこれから の研修や将来のことを真剣に考えていて、面白い話が聞けた。来年は僕たちがどんな ふうにやるかを考えなければならない。後輩達が「きてよかった」と思えるものを 作っていきたい。それにまた会って話したい人もたくさんできたし。
病棟でのオリエンテーションが始まって久しいが、最近、私たち一年目研修医は検 食をいただいている。患者様に出される病院食の試食をしてその感想を伝えるのが私 たちの仕事だ。いまだ学生気分の抜けきらぬ私たちの味覚が患者様にどれほど貢献で きるのか覚束ないが、精一杯感想を伝えさせていただいた。病院食にもいろいろある ことがわかったのだが、普通食ともなると私たちの普段の食事とさほど変わらない。手続き上の手違いによって普段の昼食弁当と合わせ二食分食べる機会があったが、これ は大変だった。
今日はお休みです☆ が、NST(栄養サポートチーム)の勉強会があったので行って参りました !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 今まで疎かになっていた栄養学の話を聞いてきました。今は栄養補助食品も疾患ごと に分類されていて凄いなあと思いまちた◎
医療面接2日目。昨日頭に詰め込んだ事をぶつぶつとつぶやきながらの出勤。いざ始まると、忘れてしまっていることもあったが、昨日より我ながらうまくなっているんじゃないか、と嬉しくなった。昨日、時間オーバーしたプレゼンテーションもなんとか時間内におさめられ、研修の成果がでたのかな、と思う。今回のことを今後も引き続き勉強し、上達していきたい!
今日は朝からSPさんの協力のもと、医療面接×3を行った。国家試験翌日からアイドリングしていた頭脳が、大きなショックを受けてようやく動き出したような気がした。特に身体所見の取り方については激しく忘れていて、フィードバックを受けた内容だけでもしっかり復習する必要を感じた。自分の医療面接を録画して、ゆっくりチェックしたいと思った。
初めて,病院の屋上に上がって、とても気持ちがよかった。この病院の歴史や周りの医療施設との連携などについての話を聞いた。地域の人達と密接に結びついて病院が発展してきたことがわかり、 有意義だった。
まだ話を聞くだけの日が続いていて、楽といえば楽だけど、この間に緊張感と自覚を高めていければいいと思う。ある人からは「むちゃくちゃ忙しくなると思うけど」と言われてちょっと不安になったが、研修医のうちにしんどい思いをすればきっと患者さんの役に立てるような医師になれると思うので精一杯やりたい。