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京都民医連中央病院報

病院報 2014年新春号 Vol.42

ボローニャ紀行

朝のめぬき通り

朝のめぬき通り(ボローニャ市)

昔、馬車が行き交いした狭い通りを小型のバスが走っています。早朝から足早に急ぐ学生たちや、本を小脇に抱えて歩く老教授風の紳士も目にします。

パンを抱えて家へ向かうおばさん、スタンドで新聞片手にたばこをふかしながら店主と言葉を交わすおじさん、出勤するサラリーマンやOL、朝の雑踏から隔絶された教会の中で祈りをささげる老夫婦、など古い街に根差した生活があります。 夕方になるとレストランやカフェに人びとが集っています。老若男女さまざまです。パスタを食べワイングラスを傾けて談笑する店内は電燈色の光に包まれ、人の声と食器の音が交錯し、じかのふれ合いが感じられます。

コンビニはありません。夜中まで働きたい人なんていないでしょ、と言われました。国民投票では原発建設を否決しました。日本人でも無理なんだから私たちイタリア人には無理よ、とも言われました。樹木が色づくアペニン山脈を背にしたボローニャの生活感ある風景の中で、社会サービスを担う社会的協同組合は、この歴史と文化が生み出したのでしょう。

ひるがえって日本、私は「はたらくもののいのちと健康を守る京都センター」の理事長をしています。30歳前の息子さんと二人暮らしをされていた60歳代の女性の方から相談が持ち込まれました。

息子さんがコンビニ勤めで生計を支えておられましたが、メンタルの病気のため仕事を失います。お母さんが営業関係のパートを始められ、外勤に出たある日のことです。車いすで転倒された老夫婦に遭遇されます。助け起こしてあげて老夫婦は事なきを得たのですが、お母さんご自身が脊椎の圧迫骨折になってしまいました。月6万円程度しかなかった収入が途絶えてしまいます。お金がないので痛みが引くのを家でじっとして待つことしかできなかったそうです。思うように買い物にも行けません。ベランダで育てたホウレンソウの葉を摘んで野菜を摂るような生活を余儀なくされました。相談に来られたのは痛みが少し落ち着いてからのことです。センターでは、無料低額診療の制度を使って京都民医連の病院を受診してもらい、なんとか労災補償を得て先が見え始めました。これが日本社会の現実です。

中世の路地を走る路線バス

中世の路地を走る路線バス(ボローニャ市)

京都では労働組合や民医連、弁護士などでつくる京都職業病対策連絡会議(職対連)が活動してき来ました。40年以上の歴史です。労災職業病の運動だけでなく被災労働者とその家族の支援に取り組んでいます。最近ではメンタルヘルスの相談が急増しておりケアが切実に求められています。そこで、2010年にNPO法人メンタルヘルスサポート京都をつくり、職対連のメンバーが心理カウンセラーの資格を取り、仲間に呼び掛けてカウンセリングや復職支援、被災労働者の交流セミナーなどを行っています。

河上肇は協同組合に関心を寄せ、接点があった山本宣治亡きあとに「労働者、農民の病院をつくれ」として無産者診療所が生まれました。現代の労働組合運動も非営利・協同の翼に乗って新しい起業にも挑み、私たちはたらくものが力を合わせれば人間の復権をめざす社会を創る推進力になるのではないか、そんなことを考えて帰国の途についたので した。

イタリアの社会的協同組合にふれて〝自律と寛容?ということばが浮かびました。生活に忙しく忘れそうになる感覚です。今年はこれを大切にして一年を過ごそうと思います。 よろしくお願いいたします。

 

 

 

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