ホーム > 当院について > 病院報 > 病院報 2013年特集号 > 災害医療とまちづくりを考える~地域医療からの発信~
尾崎信之(中京西部医師会会長(当時)
災害が起こった場合に地域医療をどう守ってい くかについて、中京西部医師会での取り組みをお 話させていただきます。
日本で非常に大きな災害が起こったときに医療 はどうなるかですが、これは18年前の阪神・淡路 大震災にさかのぼります。ここから初めて取り組 まれたと言っても過言ではありません。
まず、阪神・淡路大震災のときは、急性期の現 場における医療が欠落していました。これは医療 だけではないと思います。あのときは、当時の首 相が「なにぶんにも初めてのことですので」と答 弁し、国会が騒然となったことを私も覚えており ますけれども、医療だけでなく、危機管理、とに かく急性期をどうするかという視点が欠落してい ました。それから、災害医療を担う拠点となる病 院がありませんでした。神戸などにある大きな病 院ですらも、1階が潰れてしまったのです。また 重症の患者さんの搬送が行われなかった。災害地 域では治療できないから、すぐに安全なところに 運びたいと思っても、運べなかったのです。まず、 近寄れません。道路も何もないので、こういうこ とが出来なかった。さらに医療情報が全く伝達さ れませんでした。あのときは固定電話と携帯電話 がすぐにつながらなくなりました。私事ですが、 私の長男が神戸に近いところにおりまして、どう なっているかと非常に心配していたら、1回だけ つながったのです。「無事だから安心して」と言 って、ブツッと切れたのですが、それだけでも私 と女房は非常に安心しました。これほどやはり情 報は大切なのですが、これが全くズタズタになっ てしまった。
こういう反省から、日本はやり直したのです。 10年かかりました。まず、平成17年にDMAT(災 害派遣医療チーム、Disaster Medical Assistance Team)が出来ました。これは政府の肝いりで始 まっています。本当に大きな 災害が起こったときに全国か ら駆けつける大きな組織です。 これは医者だけでなく、看護 師も歯科医も薬剤師もコメデ ィカルも含む全部の医療関係 者、それから消防・警察・自 衛隊、これらが全て急性期の対応に集まってきて くる、こういうものができあがりました。
そして、災害拠点病院を構えるようになりまし た。これは、この間の東日本大震災程度では決し て壊れない病院をまず作っておいて、必ずそこを 中心として周りの医療を守ろうという発想です。 そこにはヘリポートその他を設置し、逆にそこか ら遠くの病院に運んで、すぐに手術や治療をしま しょうということで、警察・消防、それから自衛 隊が医者などと連携してやります。
それからEMIS(広域災害救急医療情報システ ム、Emergency Medical Information System)とい う強固な情報システムを確立しました。すなわち 固定電話、携帯電話、それからメール、そして最 終的には衛星通信と、情報伝達の手段を何重にも めぐらせて確保していくことになりました。
その次、急性期はDMAT が来てくれますが、 DMAT は48~72時間で帰るので、その後をどうす るかというので設立されたのが、JMAT(日本医 師会災害医療チーム、Japan Medical Assosiation Team)です。これは日医「救急災害医療対策委 員会」が平成22年に日本医師会に提言し、各地の 医師会に呼びかけ、DMAT 撤収後の数ヵ月間をフ ォローする医療態勢を作ろうとして始まりました。 2年前の東日本大震災では、平成23年3月17日に 発令され、7月15日までの4ヵ月間、がんばりま した。京都からもたくさんの先生方が交代で行き、 サポートさせていただきました。こういったこと が行われております。
急性期に、DMAT はどういうことをするか言う と、現場活動・域内搬送・医療機関支援のほか、 広域医療搬送などです。被災地の大きな病院を拠 点とし、すぐ近くからも、遠いところからも、 DMAT として非常に大きなER チームが来てくれ ている。こうした非常に大きな態勢が出来て、東 日本大震災ではかなり大きな成果を上げたと私も 確信しております。
しかし、そうなると中京西部医師会は、いった い何が出来るのだと、我々の居場所はないのでは ないかと最初は非常に悲観したのです。しかし、 図表3「DMAT の意義」を見てください。DMAT は発災からだいたい10~24時間で駆けつけてくれ ます。その後に「従来の医療救護班の到着」があ り、ここはJMAT などで対応できます。すると災 害が起きて10時間ぐらいまでの「避けられた死」、 DMAT が来てくれるまでをなんとかしなければ ならない。ここが我々、中京西部医師会の存在意 義があるのではないかとディスカッションいたし ました。まずDMAT が来るまでと、その後、JMAT が帰った後も数年かかると思いますので、ここで 我々はがんばっていこうと、そういうところに 我々の存在意義があるのだろうということで、充 分にディスカッションし考えているところです。
図表3 DMAT の意義
前へ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 次へ