ホーム > 当院について > 病院報 > 病院報 2013年特集号 > 記念講演「がんの体験から」
鳥越俊太郎(ジャーナリスト)
そういうことで、私のがんの話をします。私の、 自分の戦争の話です。
2005年の夏に、私の戦争が始まりました。最初 は、私はビールが好きでいつも飲んでいたのです が、急に、ビールが不味いなと思ったのです。そ れではまだピンと来ていません。なんかおかしい なという程度です。次におかしいなと思ったのは、 トイレで流すときに、たまたま見たら、水が赤黒 く濁っていたのが2度ほどありました。よく「コ ールタールのように真っ黒の便が出たときは、こ れはいよいよ危ない」と言われています。そうい うことが知識として頭の中にありましたので、私 は「これは何かあるのかな」と思ったのですけれ ども、たまたま京都に取材で来ていまして、朝に トイレへ行って見たら、便器の中が真っ赤に鮮血 で染まっていました。その瞬間、私は「しめた、 これは痔だ。がんではない」と思いましたよ。な ぜか?痔ですから、肛門のところにイボ痔という のはできていますよね。それが割れてパッと出血 しますから、酸素に触れあう時間が短い、まだ血 液が酸化していないので、便器は真っ赤なのです。 だから、「これは痔だ」と思ったのですね。
人間は、どうしても自分の良い方に取りたがる わけです。最悪のことを考えないで良い方へ考え る、人間にはそういう傾向がありますね。私もそ うです。私も決して強くはありません。弱い人間 ですので、「あぁ、痔で良かった」という気が一 瞬、したのです。しかし、やはり赤黒い水が出て いるというのが頭の中に残っていますから、これ は人間ドックに行って診てもらわなければいけな いなと、人間ドックへ行きました。
人間ドックでは、皆さんもご存じのように尿検 査、血液検査、レントゲン検査などなど、いろい ろ検査します。しかし、これではほとんどがんは 見つかりません。生活習慣病、動脈硬化がどうと か、血圧が高いとか、そういうのは分かりますけ れども、がんがあるかどうかというのは、人間ド ックでは分からないのです。ただ一つ、人間ドッ クでも分かるがんがあるそうです。レントゲンを 撮りますが、レントゲンで小さな肺がんなどは見 えません。一般的に、助かる段階で肺がんが見つ かるのは、CT スキャン、もっと精密な断層撮影 で分かります。したがって人間ドックで分かるが んというのは、私がやりました大腸がんです。
人間ドックには検便というのが付いています。 検便と言うと、昔の回虫・ギョウ虫・サナダ虫、 マッチ箱に入れて持って行ったことを思い出すか も知れませんが、あれではありません。清潔にな りましたので、今はもう、皆さんのお腹の中に回 虫・ギョウ虫はいません。今の検便の目的はただ 一つ、便の中に血が混じっているかどうか、便の 潜血反応を調べる、これが検便の目的です。私は 2日間検査してプラス・プラス、つまり「潜血反 応がありますよ」と言われ、「精密検査をしてく ださい」となったのです。精密検査はいろいろあ りますけれども、最終兵器は大腸の内視鏡、この 大腸の内視鏡は、肛門からカメラを入れ、大腸を 全部調べるのです。
大腸というのは下腹部を大きく右端から横断し て左へ行き、真ん中から肛門へ降りています。こ の全体を大腸と言うのですね。ただ、部分的に「こ こは上行結腸、横行結腸、下行結腸、S 状結腸、 直腸、肛門」と言っています。で、統計によると、 だいたい6~7割はS 状結腸から直腸あたりに がんができるそうです。
大腸の内視鏡はおやりになった方もいらっしゃ ると思いますが、別にそんなに検査そのものは苦 しくないのです。しかし準備がたいへんです。腸 の中に少しでも物があるとカメラで見るときに陰 になって見えないので、食べた物を全部、腸の中 から除去しないといけない。そのために、もちろ ん前の日から、下剤を飲んだりするのです。さら に当日、病院に行ってニフレックという下剤を2 リットル、ペットボトルを2本渡されて、「これ を2時間で飲んでください」、これがたいへんな のです。これで私は本当に嫌な、嫌なと言うか、 たいへんな思いをしましたね。と言うのは、私が 行きました病院は古い病院なので、見に行ったら トイレが2つしかない。ニフレックを飲んでいる 人は5人ぐらいいる。トイレの取り合いです。そ ういうことがありますから、皆さんも大腸の内視 鏡をやるときは、トイレの数をちゃんと確認した うえでやっていただきたいなと思いますね。数が 少ないところでやったら、えらい目に遭います。
検査のとき、私はカメラが体の中に入っていく のを見ていました。ベッドの上に寝たら、上にモ ニターがあって、モニターに全部、映っている。 それで先生と一緒に、見ていたのです。最初は盲 腸までたどり着いて、盲腸からずっと引き返して 来る。カメラを引きながら先生は診察をするので すが、S 状結腸を過ぎたあたりに、私の場合は3.3 センチぐらいの馬蹄形に肉が盛り上がって、言わ ば腫瘍があったのです。それを見た瞬間に「これ はもうあかんな」と思いましたけれども、先生に 一応、「先生、これは良性じゃないですよね」と 聞きましたら、先生が「そうですね、良性ではあ りませんねぇ」と、明るい声で言われました。「が んですか?」「がんですね」ということで、私は 診察室で告知を受けていません。目撃したのです。
やはり、診察室で先生から「どっちを言われる のだろう」と思いながら待っている、そのドキド キ感よりも、パッと自分で見た方が衝撃は少ない ものですね。「うわーっ、えらいものを見ちゃっ た」という感じはしました。「あぁ、これががん か。がんだよなぁ」と、呆然とした気持ちがなか ったわけではありません。けれども、目の前が真 っ暗になったとか、「どうしよう」と、うろたえ た気持ちとかですね、それはなかったのですね。 あれが診察室だったらどうだったのかなと、ちょ っとは思いますけれども。それで先生に「先生、 これはどうすればいいのですか」と聞きましたら、 検査をしていた内科の先生は「うーん、これは手 術で切ったらいいのではないですか」とおっしゃ いました。「切ればいいのか」というので、「複雑 なことはない。ようするに切ればいいんだ」とい うことで、すとんと気持ちが落ち着きました。
しかし、私は仕事柄、新聞記者とテレビとを、 ずっと48年ぐらいこのお仕事を続けてきますし、 取材をして報道するということをやっていますの で、がんになる前から「自分ががんになったら全 部を記録して、一応、取材をする」ということを 自分で決めていました。それで、予感がありまし たので、ディレクターに頼んで「カメラを持って 来てくれ。そして、自分がもしがんであれば、が んだと分かったときから、その瞬間から自分の手 術も、そして最後にくたばるまで、全部、記録に 残してくれ。がんというものは本とか口では言わ れても、なかなか映像的には残っていないので、 映像として残して欲しい」ということを頼んでお きましたので、ディレクターが待っていました。
その映像を見ますと、私が検査を終え、検査室 から出てきて「鳥越さん、どうでした」と聞かれ ています。半分笑ったような感じで、やっぱりこ こは私の人間性と言いますか、へそ曲がりという か、あまのじゃくな人間性がよく出ておりまして、 「がん」と言いたくなかったのですね。何と言っ たか。「ビンゴだよ、ビンゴ、ビンゴ」。ディレク ターは何のことかよく分からなくて、ちょっと説 明してくださいとなりました。それで、私はカメ ラの前に立って、大腸がんが見つかったことを報 告し、「入院して、ちゃんと手術する」というこ とを報告しています。後にその映像はテレビに放 映されました。しかし、そのときは、そういうこ とに使うつもりではなかったのです。ただ、記録 用に撮っておきたかったので録画したのです。
記録しながら、「あっそうだ、家族に言わなけ ればいけないな」と思いました。やはり思いつく 最大の絆は、家族なんですね。家族という絆で私 たちは基本的には成り立っていて、その家族と家 族がつながり合って一つの集団、いろんな集団を 作っている。私は「まずは第一の絆、家族に知ら せなければ」と思い、取りあえずウチの奥さんの 携帯に電話をかけました。ところが何度鳴らして も留守電なのです。上の娘、留守電。下の娘、留 守電。
私の頭の中では、娘と女房は、父親や夫ががん かどうかという人生の一大事に立っているときで すから、テーブルの上に携帯電話を置きながら、 じっと待っている。そういうことを勝手に空想し ていたのですが、全然違いました。後で私が「あ のときはどうしたの」とウチの奥さんに聞いたら、 「えっ、何時頃? あぁその頃ねぇ、銀行に行っ ていたのでマナーモードにしていたわ」とあっさ りと言われ、二の句が継げなくて、そんなものか と思いました。もちろん娘たちは仕事中なので、 携帯電話はマナーモードにしています。そういう 状況で、私の場合は「絆と言ってもこれぐらいの ものか」と拍子抜けしたのです。
私は最初の手術をしたときに、大腸を20センチ ほど切りました。腹腔鏡という手術をしたのです けれども、ベッドで麻酔から醒めてくるそのとき に、「あ、誰かが右手を握っている。左手も握っ ているな」と思ったら、右手は長女が、左手は次 女が握ってくれていました。女房は足下に立って おりました。つまり、ウチの家族に取り囲まれて、 しかも手を握ってもらっていたのです。
ちょうど私の長女は医療関係のスタッフをやっ ており、スピーチセラピスト、言語聴覚士ともい いますが、言葉を失った人のリハビリをやる仕事 をしています。その長女の手の握り方がちがった のです。普通、私たちが手を握るときには、その 人の手を上から握るではないですか。ところが、 長女は下から私の手を支えて、手と手で私の手を 挟んでくれる。それが非常に不思議で、「どうし てそんなことをするの」と聞いたら、「これは医 療者の間では、患者さんに対してやる普通の当た り前のことよ」と言われました。あぁそうなんだ と思いました。私たちはベッドにいる患者さんを 励ますとき、上から握るけれども、やっぱり下か ら支えて上から押さえると、安心感が100倍は違 うのです。皆さんもどなたかのお見舞いに行った ときに、下からと上からの両手で手を握ってあげ ると、握られた方は100倍も安心感が違うと私は 思います。私の場合は、取りあえず2005年の10月 に手術を終えたのです。
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