ホーム > 当院について > 病院報 > 病院報 2013年特集号 > 医学部時代基礎的研究で留学
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ストライキが終わった後、教授の多くは全く無気力になってしまったのですね。授業をやる気力もないということで、私どもの先輩たちが自分たちで4年分のカリキュラムを作るという時代でした。その中で、1年間に3ヵ月間だけ、学生に全く自由な期間|それをフリークオーターというふうに呼びますが|が出来ました。この期間は、学生は基礎の研究室に入って研究をしても良いし、それからいろんな、海外へ行くのも良いだろうし…。で、私はある夏、佐久総合病院に行って、農村医療を経験したりしましたし、あるいは基礎の教室で動物実験というものを経験するというような、今思えば楽しい学生時代を送ってきました。
このようにして、医学部の学生時代というのは、非常にたくましくみんなが育ってきたのですけれども、そういう団塊の世代が全国の大学で教授になって、あるいは学長になったり副学長になったりしているわけですけれども、今の医学生は何を希望しているのかがよく分からない…。学生にけしかけるわけではないですけれども、「もうちょっと自分たちの主張というものをハッキリと言うべきだ」というようなことを、私は医学部長の頃から、あるいは副学長になっても言っております。
卒業後、東大病院で卒後研修をし、当時の第三内科の呼吸器グループに入りました。清瀬の結核療養所でたくさんの患者さんを診ることもしました。その後、やはり医学の基礎的な研究をしたいと思いました。それは、清瀬とか東大病院で診ている患者さんというのが、肺ガンであったり、肺線維症や、今で言うCOPDであったりするわけですけれども、まぁなかなか治らないわけです。で、治療法を確立するためには、もう少し基礎的な勉強をしたいと思って、京都大学へ内地留学をしたわけです。
当時、京都大学は早石先生、沼先生がおられ、日本ではもちろんトップですし、世界でもトップレベルの生化学の研究をしていました。私はここで助手になり、アミノ酸代謝とかプロスタグランディンの代謝をして、その後に留学するとことになりました。
留学先もずいぶん迷ったのですけれども、北欧という国に非常に興味があったので、スウェーデンに行きまして、ここでロイコトリエンという分子…、これについては後でお話ししますけれども、これがどういうふうに体の中で作られるかという研究をスタートしました。
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