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第四十九回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2012年7月12日(木) 18:30~21:20
場所 京都民医連中央病院西館1階会議室
出席者

外部委員 小原克博委員長、原昌平副委員長、位田隆一委員、勝村久司委員、関谷直人委員、広瀬東栄子委員
内部委員 富田豊副委員長、内田寛委員、神田陽子委員、富永愛委員、東正一郎委員、平田恵美委員

事務局 丸山俊太郎
オブザーバー 根石明彦、吉中丈志、一家綱邦(京都府立医科大学法医学教室:外部傍聴人)、寺前八重、川原初恵

欠席 岩橋多恵委員、井上賀元委員、中村光佐子(特別委員)

 

議事

小原 ただ今から第49回倫理委員会を開催させていただきます。ではお願いします。

内田 事務局の方から…。本日は富永委員の方から、外部の方ですが京都府立医科大学法医学教室の一家綱邦先生を傍聴させていただきたいという依頼がありまして、事前に委員長には報告していますが、冒頭でご承認いただけるようでしたら、外部傍聴ということでご参加いただきたいということで、ご出席をいただいております。

小原 今、ご説明いただいた通りなんですけども、一家先生は現在、京都府立医科大学で法医学を担当されておりますので、まさにこの分野の専門家です。これまでは病院内部の方の陪席はあったと思いますが、外部からの陪席は初めてですので、皆様にご承認をいだければと思います。よろしいですか。ありがとうございます。陪席なので直接議論に関わっていただくことはできないですが、我々の議論のプロセスの中での確認すべき点などを、私の方から専門家としてのコメントを求めるという形で関わっていただくということもあり得ると思いますので、その点もご了解いただければと思います。
では早速ですが、1番目の[暮らし・仕事と糖尿病についての研究]についての説明をお願いします。

議事(1) 「臨床研究関連(暮らし・仕事と糖尿病についての研究)」

富田 これは前回に出しました院内での臨床研究の申請で、基本的には了解をいただきましたが、ちょっとコメントがありましたので、それを詰めて再度提出させていただいています。当日資料にその申請書があります。
まず小原先生に了解いただいた点ですが、一つは題名を、前回の「40歳以下の2型糖尿病患者の臨床像と生活背景に関する調査」から、[暮らし・仕事と糖尿病についての研究]へと中央の方で替えました。ただ、研究の中身は変わっていません。次に、[分担責任者]のところへ太子道診療所の責任者を追加しました。実際問題は太子道診療所の患者さんが多いものですから、そこでの調査をお願いしたいということです。この方は看護師さんですが、院内の研究責任者も兼ねていただき、調査票の取り扱いをしてもらいます。で、個人情報を診療所の外には出さないということと、調査終了の1年後には廃棄するということは、最初のフォーマット通りです。
それから、前回の資料で症例数の記述が300と1000の両方があり、「症例数が違う」と指摘されましたが、[(6)目標症例数]にあるように「全国で1000例」に統一しています。主にはそういうことです。

議事(2) 「宗教的理由による輸血拒否に関するガイドライン」

小原 ありがとうございました。前回に指摘された点が修整されて、改めて申請されたということです。いかがでしょうか。よろしいですか。ではこれでご承認ということで、ありがとうございました。
それでは2番目の[宗教的理由による輸血拒否に関するガイドライン]に移りたいと思います。今日はこれにたっぷりと時間を掛けて、今日に概ねの決着を目指したいと考えていますので、皆さんもそのつもりで議論していただきたいと思います。議論の蒸し返しをしないようにしたいと思い、改めて前回の議事録を読み直しましたが、なぜかと言いますと、やり出せば何回も議論できるぐらいに論争点はあるのですよ。ですから、2ヵ月前の議論を忘れてもう一度繰り返すと時間がもったいないですし、永遠とやっていると、ガイドラインを作るという本来の目標を達成できませんので、完全なものができるか分かりませんが、大きな問題がなければ、ある一定の段階でまとめて世に問うということをすべきだと思います。前回の議論を踏まえた新しいバージョンは、後ほど富永先生にお話ししていただきますが、重複がないように前回の論点を簡単に見ておきたいと思います。
いちばん大きく議論になったのは、年齢の区分けの問題ですね。患者が18歳以上という区分け以外に、15歳以上18歳未満の場合というカテゴリーがそもそも要るのかということで議論になりました。富田先生は「これは要らない。18歳以上に一本化して、18歳以上は大人として認めるべきだけど、それ以下の15歳から18歳に関して、本人意思を尊重しすぎるということは、返って命を軽んじることになるのではないか」という異論を出され、この解釈や位置付けを巡ってかなりのやり取りがなされました。なぜ、この15歳という区切りを付けたかというと、厚労省のガイドラインがこのような設定をしているので、それに倣っているという説明がされていたかと思います。ただ、最終的にはいろんな見方や表現の仕方はあるのですが、突き詰めて言うと、例えば15歳から18歳未満の人の命を徹底して守るのか、あるいは、信仰の自由に重きを置くのかというところに議論が収斂されるかと思いますので、実はそれほど簡単ではないですね。特にこの年齢を巡る議論には、医療ネグレクトの問題もありました。本人が実際には輸血を拒否するような表現をしても、親からそのようなプレッシャーを掛けられていたならば当然、医療ネグレクトにあたりますので、そういった危険性を回避するためにも、本人意思ということに関しては慎重になるべきだという議論があったかと思います。
その他、様々な議論があって、出てきた意見を再度まとめる形で今日の案が出されていますので、前回からの変更点を中心に、改めて富永先生にご説明いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

富永 前回の議論から随分時間が経っていたので、議事録に添って直しましたが、議論の時間をたっぷりと取るために、簡単に説明します。
まずタイトルですが、前回は「エホバの証人に対する…」というふうに限定されていましたが、一応エホバの証人の方々を対象としながら、それ以外の宗教についてもカバーしますということで、[宗教的理由による輸血拒否…]というタイトルにしました。で、P2の[はじめに]では[「エホバの証人」信者の輸血拒否に関する]と書いてあるのですけども、各項目で[その他の宗教についても準拠する]という書き方にさせてもらいました。
[はじめに]の第1~3段落は前回から変えていません。で、「生命より思想・信条を優先するというような社会的流れにある」ということを書いて、倫理委員会の目的の件も以前の先生方から引き継いだままにしています。P3の[Ⅰ宗教的理由による…]という部分も、標題と同様に書いたのですが、各論として[「エホバの証人」信者を含む]として、ここから先はエホバの証人を対象にしていますので、そういう書き方をしています。で、「合同委員会ガイドラインに準拠しています」として、年齢区切りの理由も合同委員会ガイドラインの記載そのままです。
次のP4は、無輸血の信仰を持つという方に対して、成人の場合は輸血の実施の判断を、拒否も含めて基本は「本人の信仰による意思を尊重して行います」ということを原則においていて、ここはあまり触っていないです。で、「意思表示が確実にできている方については、それを尊重しましょう」という立場を取っています。
P6の[成人で意思決定能力のない場合]も、あまりいじってはいません。で、[事後のケアを行う]という言葉は吉中先生の案にもありまして、曖昧な表現なので載せるべきかとも思ったのですが、「事後のケアも必要なんですよ」というニュアンスだけで、具体的には何も書いていないですけど、一応それも載せておきました。P6にはあまり書いてないのですけど、P7の図の[拒否:代理人]というところには、一応「ネグレクトの有無を判断しなさい」ということが、密かに書いてあります。前回に位田先生から「ネグレクトという言葉を出すこと自体が、エホバの証人に対して敵対する意思を示しているのではないか」という指摘がありましたが、「ネグレクトの有無を判断する」という言葉は削除した方が良いのではないかということであれば、議論していただければいいかなと思います。
次のP8は、問題となった[15歳以上18歳未満の場合]の内、「本人に意思決定能力あり」の部分です。ここに前回は、臓器移植を対象にした子供を巡る法制度や児童相談所に対する通報システムなどが変わったことを少し書いていたのですが、ここに書くのをやめ、色々なエホバの証人に関わる基礎資料としてP18に「エホバの証人とはこんな信仰で」とかいろんなことを追加で書いて、今日に来ていただいた一家先生に作っていただいた資料なども参照させていただいたのですが、ここに、「あなたたちの信仰が子供に対するネグレクトになる」という直接的な表現は敵対的な意思表明になってしまうので、[子どもを巡る法制度の動き]として、「こういう動きがあって、これは臓器移植に対する法制度に関わって出てきたもので、一応、輸血との直接の関係はないけれども、こういう考え方もあります」というふうな感じでの附記にしました。このへんも載せておくかどうか、このような表現で良いのかどうかは、皆さんに判断していただいたらいいかなと思います。この法律の解釈自体は、そういうふうな解釈をされている弁護士さんの本をそのまま参照したものなんですけど、解釈はいろんな解釈ができますので、親権乱用になるような解釈などではなく、もっと客観的に条文だけを載せておくという方法もあると思うのですね。実際に「これを使いたい」という弁護士サイドと、「これを輸血拒否のところに使うのはナンセンスで、倫理的にはかなり問題がある」と考える先生方と、解釈は大きく分かれるので、客観的な立場を取るのであれば条文だけを出して、「こんなんできました」ぐらいでも良いのかなとも思いますが、一応、弁護士さんの本からそのまま引っ張ってきたもので、前回に出したものと同じです。そういう形で、[18歳未満]のところに書いてあったその旨の記載は須経て削除して、後に回しています。ただ、そうしたことで、例えば緊急時で無輸血治療が困難という場合の対応について、ガイドライン本体のP8にどのように書こうということだったのですけども、基本的には「こちらとしては輸血をしなければいけないけども、どうしようもなくなってという時には、エホバの証人の医療機関連絡委員に対応していただく」という流れに持っていったのですけれども、実際に輸血をしなければいけなくなった現場としては、これでは記載が足りないかなというところでもあり、無理にでも輸血をしたいという医療者側のニーズに応えられているかなとも思うので、この前に出したように事後管理として「無理にやるのは、それはしゃぁないよ」という解釈を入れるかどうか、ここは問題があるかなと思います。
P10の方も同じような感じにしておいて、本人がその時に判断ができなければ、両親2名とも拒否している場合でも、輸血をしたいという緊急事態になった場合は輸血治療を行うこともあるとしています。ここでは患者本人の意思決定能力がないということで、本人意思が確認できないという場合は、P8よりも緊急性があるのかなということで、追加として、少なくとも1名の医師を含む3人以上の医療従事者によるデュープロセスを確保した上で、緊急性があると判断した場合には輸血を実施するというように、ここはちょっと医療従事者サイドの言い分を入れました。で、こういうものをP8にも入れるかどうかということは、皆さんに議論していだきたいと思います。
 次のP11の15歳未満の場合も、緊急性がある場合はP10と同じプロセスを使って輸血もできますよという感じですが、より年齢が下がって、意思決定能力がないことになるに従って、医療従事者側の判断を優先するような流れにしました。
 P14の[本ガイドラインの対象患者]では、一応エホバの証人の信者としますけど、ガイドラインに準拠して他の宗教の方も対応しますとしていますが、「エホバの証人ぐらいに確立した組織とかがない場合、その信条とか思想を確認する手段が乏しいので、より慎重な手続きを踏みましょう」というような一文を入れてあります。
 P14以降のその他の情報は、P18に先っきの法制度の件を持ってきたぐらいで、それほど変わっていません。私情を挟まずに前回の議論だけを基に書いたつもりですが、さて皆さん、いかが致しましょうかという感じです。

小原 はい、ありがとうございました。煩雑なものは後に回したりということで、前半部分はかなりスッキリしたと思います。まず形式的なところを確認したいと思いますが、例えばP6では大きな囲みの直ぐ下に①②③とありますが、項目によっては必ずしも連番になっていないのは、ワードの機能が勝手に悪さをしただけですね。

富永 はい、編集上のことだけで、多分、変換の…。

小原 では中身の議論に入っていきたいのですが、今、ご説明にありましたように、年齢が下がるにつれて、そして本人の意思確認ができない状況であればある程、医療従事者側の意思決定を重んじるようになり、輸血の判断をするということで、大きなグラデーションが見えると思います。年齢の区分けの妥当性については前回も議論しましたけど、今日はこのあたりをしっかりと決めていきたいと思いますので、ご意見やご異議がありましたら、率直に出していただきたいと思います。現案では15歳以上18歳未満というものを設定しています。そして意思決定能力がある場合には、その方の意思を尊重するということをうたっていますが、この点はどうでしょうか。過去数回にわたるこれまでの倫理委員会の議論の中では、この年齢も含めてご本人の意思を最大限尊重したいということで、こういった区分けと判断に落ち着いたと思っていますが、富田先生はいかがでしょうか。

富田 15歳以上18歳未満のところがよく分からなくて、[事前指示書があれば、原則として患者の意思を尊重し輸血の実施の判断を行う]というのは、拒否も認めるという意味なんですか。

富永 全部、四角の囲みの中の[輸血の実施]という言葉自体は、輸血を行うかどうか、輸血も無輸血も含む実施自体の判断の話なんですね。例えばP8の囲みは、輸血希望であれば輸血を行えば良く、輸血拒否であった場合は囲みの下に移り、免責証明書があった場合には、やはり基本は無輸血で治療を行うと…。

富田 もちろん、その努力をするというのは良いですけど、最後のところでも「やってはいかん」という話になるのですか。

富永 そうですね、最後の行は[患者の意思に反して輸血治療になった場合には…]ということなので、結局やるのでしたら、P10と同じように[緊急に…]というのを、こっちも入れておいた方が分かりやすいですね。

富田 直して欲しいなぁと…。私の場合は子供の話になりますけども、子供を巡る色々なトラブルの中でも、最近、学校ではモンスターペアレンツという親絡みのトラブルがあるようですけど、そういう風潮の中で、教育関係と少しコネクションを持っている人が「親自身の幼児化」という言葉を使っているのですけど、要するに低年齢化というのがどうも背景にあって、それが子供に影響するということは、実感として否定できない言動があるかなと私自身は思っています。永遠に人間がそうだという意味ではなくて、日本の今の現状ということで、国が違えばまた実情も違うかも知れませんが…。15歳以上ということは高校生なので、まだ親の影響がかなり強く受けますし、親自身の判断が弱くなっているという意味では僕は危機感もありますけれども、そこに引き擦られていくということをなんとか踏み留めたいというのが、個人的な願望ではありますね。社会的に一人前と言われるラインが18歳で落ち着きつつありますので、そこから先は仕方がない気がしますが、18歳未満の子供自身に自分の重大なことに関して決めさせる負担は、一見、子供を生かすようですが、そうではないと思っています。だから、できるだけ慎重にという考え方は基本的には変わらないですね。ただ、皆さんと一致しなくても、考え方を保留していてもいいのですね。

小原 もちろんそうですね。年齢が下がれば下がるほど慎重にすべきだという点では、恐らく皆さんの意見は同じだと思うのですよ。そして、「18歳未満であったとしても本人に意思表示が非常に明確かつ強い場合に、それを果たして無視しても良いのだろうか」という声がやっぱりありますので、その場合には、このガイドラインでは「本人が無輸血を申し出ればそれを受け入れる」ということですね。

富永 ただ、ここでも医療機関側のサイドに立った内容になっていて、実は本人だけでは尊重していないのですね。本人と両親共に拒否している場合だけが拒否できるようになっているので、多分そこは全国版のガイドラインよりも、より医療機関側になっています。さらに限定された条件ですね。だから、本人か親権者の誰かが拒否でなければ、受け入れないというスタンスを採っているのですが、そこが揃ってしまうと無輸血ということになります。ただ、「それでも最終的にどうしようもないとなった時にはどうするか」という一文は、ここに要りますね。私は、そこまで考えていなかったです。

神田 違いを整理すると、意思確認ができる15~18歳の人が、患者の意思に反して輸血治療になるのは、医療側が必要と考える場合ではなく、親権者のどちらかが「OK」と言った場合という点が違うということですね。

富永 そうですね。だから「ウチではここまではできません」という意味で、エホバの証人の方に連絡して転院勧告をするなりという流れに、ここはなってしまうのかなと思います。それが次のP10との違いですね。
富田先生のおっしゃることも分かるのですけれども、ガイドラインとしてそこのラインを動かさずにそのままいくのであれば、P10みたいに「医師を含む3人で緊急性があると判断した場合には、本人と両親が拒否している場合でも輸血ができる」という文言をここに入れるかどうかという議論が残るのではないかなと思います。

小原 現案は合同委員会の案を少し緩和したような形で、一つの妥協点を探っていると思うのですよ。ところが、両方が拒否しているのに「緊急の場合は医療者側が判断できる」というのを入れてしまうと、実質上、同じになってしまいますので、それは妥協し過ぎということになると思いますね。私は、バランス的にはなかなか良い妥協点ではないかなとは思います。合同委員会の指針からすると患者の意思決定権を充分に尊重していないということになるとは思いますけど、医療者側の思いとのちょうど間を取っているという感じですね。

富永 「ウチの病院としては」ということですね。

神田 転院を勧告しても、転院されずに「輸血も嫌や」と言われたら、病院側はどう対応するのですか。

富永 それには付き合うということでしょう。それがまさにこのガイドラインの目的です。だから、「ウチはそれも引き受けます」というスタンスが、多分ここに出ているのですけれども。ガイドラインを実際の現場で使うものにした時に、それを本当に受け入れられるかということは、現場の意見をいちばん聞きたいところではありますけれども。「転院は嫌や。このままここで無輸血をして欲しい」と言わはった場合に、引き受けるのであれば、これは医療従事者が読むわけなので、「無輸血治療をやっても良いのだよ」という病院としてのスタンスを採っているということが、もうちょっとあった方が良いのかも知れないですけど、あえてそこには触れていません。でも実際は、何も書いていないということは、そういうことです。だから、「できるだけの手段は取って、転院も勧告したし、本人の意思も改めて緊急の段階で確認して、両親の意思も確認して、それでやっぱり転院も嫌で、皆が揃って無輸血を望むなら、無輸血を引き受けます」ということで良いのであれば、これで良いのかなと思いますよね。だから、各医師の信条とか、担当医の交代を検討するとか、そういうことは、いちばん最初の総説のへんに入れておいても良いかも知れない。例えば富田先生が実際にこのシチュエーションになった時、このガイドラインに従いなさいと言われることは、富田先生の思想・信条を侵害するわけなので、それ自体がすごいストレスになると思うので、せめて担当を変更するといったことを入れた方が良いかも知れませんね。

小原 それは、ここには何も入っていないのですか。

神田 P14に入っています。それは最初の頃から入っています。「無輸血でやりますよ」と言う現場の医者がどれぐらいかなというのは、15~18歳の人で亡くなられるリスクがあるなら、富田先生と同じように、私も主治医として無輸血治療は受け入れ難いと思うので、現場の印象としては主治医交代がある方が良いかなと思います。

小原 そういう意味では、P14の④は絶対に入れておくべきだと思いますね。で、これが入っているという前提の下で、現案に出ているようなガイドラインを病院として受け入れることが出るかどうかですね。

富田 こういう仕掛けがあったら、ちょっとユニークな考え方になりますけど…。このガイドラインはどういう形で提案を出すのですか。つまり、先ほども「現場がどう言うかが問題だ」という意見があって、私もその通りだと思いますけど、現場に一旦フィードバックして、「これにはこういう仕掛けがあるというのを前提にどう考えるか」という案になるのか、ガイドラインという言い方なので、やっぱり決めてしまうのですかね。

小原 いや、案ではないです。ガイドラインを成案として出すのはここの場なんですけども、ただ、どのガイドラインもそうですけども、実際に運用していく中で大きな問題が生じた場合には、当然、改定ということもあり得ると思うのですよ。

富田 「障害が起きた場合に」というのが、この場合は起こってしまうとリスクがものすごく大きい。当事者に関してはダメージがかなり大きい。

小原 医療従事者の側ですね。

富田 もちろん患者が大前提ですけど、医療従事者もダメージが大きいと思います。それが気になるのです。

小原 ただ、例えば15歳以上18歳未満の方でご本人もご家族の方も無輸血を望んでいたにも拘わらず、輸血治療された場合の心的ダメージの大きさということを、やはりここでは議論してきたわけですね。そこを尊重しようという議論もありますので…。

富永 それは根本的な問題です。東大が信者の信条を騙す形で輸血をしはったということに対して、最高裁で「それは信条の自由を害するのではないか」という判決が出たということが議論の発端なので…。医療従事者には「緊急で来て、輸血しないかん」という状態をイメージしてはる方もいるかも知れないですけど、救急車で来て、出血多量でヘモグロビン値が下がっていてという事情は、ここでは議論していないのですね。そういう場合は信仰を確認する暇もないですし、そこで輸血することは、現案では[緊急事務管理]として、その人の信条を確認する間もなく、医療従事者としてやるべきことをやったということで、責められるべきではないと思います。で、「私は無輸血治療を望んでいます」と言ってはることも確認できて、両親も「そうです」と…、そういう時間的なスパンがあるという前提です。例えば小児癌もそうでしょうし、慢性的に進むような小児の病気の場合に、確認できた上で、なおさらそれを知っていながら無視するのかという、そういう場面を想定しているのですが、救急車で運ばれているような時をイメージされると、確かに後で「そんなんやったらあかんかった」と言われるのは、医療従事者にとってはものすごいストレスですよね。確認できる時間的スパンがあるということを反対に言うと、担当医として「自分は無理です」と言うこともできる時間もありますし、無理だったら最初に「無理」と言うべきでしょうし、例えばそういう人が入院して来られた段階で倫理委員会にできるだけ早く上げるとか、その事案が出た瞬間に対応を始めることができると思うので、入院して3日の間にこれが適用されるような事態が急激に起こるとかいうことになったとしても、どこかに連絡がいくようなシステムにはしておかなあかんと思うのです。だから、救急の現場ではないです。

富田 いや、「…ない」ということをここには書いてないでしょ。

富永 確認できることが前提で、東大の判例も確認できなかった時までをカバーしているとは私も思わないですし、確認できて、当事者として知っていたにも拘わらず…、

富田 いや、やっぱり今、説明されたのは先生の考えなんです。

富永 いや、最高裁がそういう立場ですという、この会議のスタート地点を言っているだけです。

神田 最高裁判例の症例は、お幾つだったのですか。

富永 何歳でしたかね、正確には覚えていないですけど、成人ですね。

神田 それだったら、今までウチの病院にあったガイドラインより、成人に関しては本人の意思を尊重するという点では、現案の原則では前進していて、概ね社会情勢にも合っているので、今のウチの現場の臨床だと、そこに関してはそれほど抵抗感のある人は多くないと思うのですけど、やっぱり問題はこの15~18歳のところで、これに関しては、現場の意見が分かれるかなと思います。で、どっちが多いか、私は分からないですけど、主治医交代ができても「交代して尊重しよう」という人がいたら良いのですけど、いなくて、「15~18歳に関しては抵抗感がある」「躊躇する」と言った場合に、その現場の臨床意欲・心情・感情よりも、患者さんの意思を優先するというのを、病院側のガイドラインとして出すかどうかですね。これは病院側の姿勢だと思うのですけど、そこは確認しないと分からないと思いますね。

小原 確かに最高裁が出した決定を18歳以上で見る点に関しては、富田先生も異論はないわけですよ。問題は、さらに年齢を下げてその原則を認めるかどうかいうところで引っ掛かっておられますので…。

神田 現場の医師は主治医交代ができるので、「抵抗のある人は主治医交代したら良い」という文言をもう少し前の方に出したら見やすいかも知れないので、それであれば現場も受け入れるかも知れないですけど、拒否感が強いようであれば、病院側からこれを下りると、ちょっとどうかなという気がします。

小原 それは、P14の④を前に出して…、

神田 例えば婦人科とか消化器外科とか消化器内科とかが多いと思うのですけど、医者もウチのに病院では各科3人ぐらいしかいませんので、その内の1人が「信条的にできないので代わって欲しい」と言うた時に、他の医者も皆が「嫌や」となると、心情的な負担が大きいのではないかと思います。

富永 でも、転院勧告をしないとしょうがないのだと思います。

神田 それでも、「転院はしたくない」といわれた場合もありますね。この間の症例も一度転院されましたけど…。でも、半々ぐらいで、半分ぐらいの人が「尊重してあげたらいいのじゃないの」と言われるのなら、スムーズに主治医交代ができるので、ガイドラインとして成り立ちと思うのですけど、それは分からないですね。

吉中 主治医交代の話は、ウチのオリジナルというよりも、いろんなところで議論されていて、幾つかの病院で主治医の交代ということも入れて、クリアされているということなんですね。で、それを超えるような手立てはないので、管理医師が最終的には責任を持つとか、そんなような変なことになっていくのですけども。当院で言うと元々、産婦人科の科長は従前から基本的に受け入れしていたのですね。消化器の外科はそういうケースがないのですけども、内視鏡関係は私の記憶では前に1回あって、それは普通通りに治療されています。ただ、実際にこういうシチュエーションを突き詰めていくと、いろんな意見もあるのだろうと思いますけれども、18歳以上だったら受け入れを容認するというのなら、15~18歳でも今の流れを理解して、基本的には受け入れてということにせざるを得ないというか、そういうことでいくので良いのでないかと私は思っているのですけどね。で、15~18歳だけが極端にハードルが高いとは現実的には思ってないですけど、議論としては立てられるので、そういう議論もあり得るなと思うのですけども、ちょっと議論してみないとそれは分からないですね。

小原 先生の感触としては、例えば現案の形で現場に持って行った場合に、抵抗を感じる人は多そうですか。

吉中 いや、分からないですね。まぁ、半々というところではないですか。実際には救急とかで、意識がないとかあるとか微妙な段階で来て、皆、エホバのことを確認しているかと言えば、そういうことはないですね。まず、処置を先にやっていますね。ですから、そんなことは普通はなくて、救急で生きるか死ぬかの時にエホバを掲げてくるような人は、実際には考えにくいというのがあって、後は事後の問題として、関係者の人が現れるということはあるかも知れませんが、そういう事例を聞いたことはないです。
議論をちょっと前に戻して申し訳ないですけど、P6の成人の場合ですが、いちばんモデルになる原則のところで、②は①に含まれるので、ここを整理した方が思うのですが、①は「意思決定能力がない場合で本人の事前指示書がある場合には、事前指示書に従う」ということですが、②も一緒のことですね。で、③が「事前指示書がなくて、代理人もしくは保護者がいる場合は、事前指示書を作成してもらって、上記の対応を行う」ということは、①に準じるのですね。で、その次の[ただし、3人以上…]という部分の繋がりがちょっと分からなくて…。

小原 繋がりが確かに…、そうですね。

富永 ここは要らないですね。③の[ただし]以下の3行はなくても良いのではないかと…。

小原 ③の後半を削除するということは、「医療従事者の判断」というのをここには書かないということですね。

富永 そうですね、信条を優先という感じにするわけですね。

神田 で、⑤は事前指示書もなく代理人などもいない場合で、「3人以上の医師を含む医療者の判断があれば輸血を実施しても良い」という流れを踏襲していると考えて良いですか。

富永 そうですね、それで良いと思います。緊急の場合というのを、一般論としていちばん前に持ってくるか、各項目の中に入れるか…。現場としては一々書いてあるガイドラインの方が使いやすいのかなと思って、私が中途半端に入れたり、カットアンドペーストをした結果、こんなことになったと思うのですけど…。

吉中 これは緊急の場合を想定したものなんですね。

富永 そうだと思います。で、緊急の場合に「緊急事後管理として行う」という文言は、北村先生がされていた時にはどこにも全然なくて、現場の医師としてはどこかに入れておいて欲しいやろうなということで、ここに中途半端に入ってしまったので、例えば、基本方針のいちばん最初の原則のところで、⑤として「いずれの場合においても…」という感じで、「緊急を要する場合には、医師を含む3人の判断…」…。3人での対応は実際にはできないかも知れないので、事後的に評価せざるを得ないみたいな、やってしまってから分かるというような場合ですから、「そういう場合に輸血しても医者自体は責められませんよ」ということを、現場の医者としてはどこかに欲しいなと、ちらっと思ったのですね。それが無理やりここに入ってきただけなので、どこに持って行くかという問題なのではないかな。

吉中 「緊急で意思確認ができない場合」ということですね。

富永 「意思確認をする時間的猶予もないような場合」で、基本方針に入れた方が良いですか。

神田 基本方針に入れた方が良いですね。で、ここに「主治医交代」も入れた方が良いと思います。

富永 ただ、ホンマに緊急時対応を前に持ってきてしまうと、いつも「3人でちゃんと決定したのか」と、プロセスを常に問われることになるのですが、実際は他の患者さんと同じように対応するので、例えば夜中に1人の医師が対応した場合に、じゃぁその手続きが守られたのかと、逆に問題にならないかなと思ったりもして、どこに置くか守っているのですよね。

小原 ただ、これをどこに置くにしても、この表現は簡単には変えられないでしょ。最初に置くから緩くするというわけにはいかないので…。

富永 一応デュープロセスを守っているということは、ニュアンスとしては「2人ではなく3人にして、医者が1人であることもある夜も想定し、せめて1人は医者を入れよう」ということに今までの議論ではなってきたので、やっぱりこれはしょうがないのかなと思ったりしますけどね。

小原 もしこれを入れるのであれば、やはりP4だと思うのですよ。なぜかと言うと、P4がこれから後の全ての雛形になっていますから。

富永 そうですね。P6の[ただし…]以下の3行と、※印の[緊急事務管理として…輸血を行ったと考えることができる]という法律の解釈なのか中途半端なものですけど、こういうのをP4の⑤として入れておくと、いちばんスッキリするのかなと思うのですが、どうでしょう。

位田 現実に3名というのは可能なんですか。実際、大きな病院でも緊急で来た時に、2名しか無理だというケースがいっぱいあるので、「何人」とは書かないで「医療チームで」という書き方をするケースがあると思いますね。もちろん「少なくとも1人の医者を含むチームで」という言い方ですけど、その時に現場でチームを組んでいる人が2人であれ3人であれ、それは何人でも良いのですけど、1人ではないということです。かつ、お医者さんが「1人だけで判断しろ」と言われると、お医者さんにとっては酷な話なので、それはやっぱり無理でしょう。それと、恣意的な判断や裁量を大きくし過ぎて、判断を誤るというケースがあるので、お医者さんと恐らく看護師さんのカップルだと思いますけども、そういうチームで判断をし、その中に必ず1人はお医者さんがいるというのが、現実の現場の動きではないかと僕は思うのです。3人はものすごく難しいです。

富永 そうですね。ゆっくりとしたターミナルでも「3人」と言われると…。

小原 そうですね。そこの表現は「少なくとも1名の医師を含む医療チームで…」に変更したらどうですか。

富永 「…本人のために必要であると判断した場合には…」。そうしたら、次は「医療チームによる判断の根拠を…」という感じですよね。

 全体として「緊急」という規定は、やっぱり頭の方に置いた方が理解しやすいですね。それぞれのところに出てくると、「ここで言っている緊急性というのはどういう意味なのか」と分からなくなりますね。

富永 そうしましたら、今の「医療チーム」という表現に直した上で、P6の[ただし…]以下の文言と※印の文言をP4の⑤として「緊急の場合には…」というふうにして…、

 「緊急の場合」と言うだけでは分からないと思うのですわ。

富永 ただね「緊急か準緊急か」とかいう議論になりだすと…、

 いや、そういう意味ではなくて、「緊急」というのが、時間的に「本人の意思を確認する」とか「意向がどうなのかというようなことを確認するようないとまもない」というような意味での「緊急」だと、具体的にした方が良いのだと思うのですね。

富永 先ほどの「輸血をしなければならないギリギリの緊急」ではなくてということですね。

 そうです。エホバの人でも救急車で運ばれてくる場合は、救急医療としては緊急だけども、意思は確認できるという場合もあるわけでしょう。

小原 ということは「意思確認ができるかどうかが、そこの判断の基準だ」として良いですか。それをハッキリと入れておいた方が良いということですね。

勝村 そう理解しましたけど…。

 ハッキリと具体的にしないと、「何をもって緊急と言っているのか」がちょっと分かりにくいので…。

富永 例えば「患者本人の意思確認をできない…」、

 「…をする時間的余裕がない」…、「…をやっていると生命に危機が及ぶような場合」でしょ。

位田 だけど、やってはみるわけでしょ。例えば緊急で運ばれて来て、直ぐに輸血しますか。例えば「何々さん、大丈夫ですか。輸血して良いですか」って、一言ぐらいは言いませんか。

富永 一応、輸血の同意書はあります。なので…、

位田 もちろんそうですよ。だけど、本人はそれができないわけですよね。だから緊急なんですよね。

富永 「本人の意思確認ができない」…。

 「…できない」って、時間的にできないということですか。

小原 「時間的に」というか、そもそも時間があってもしばらく意識がない場合もありますよね。ですから時間のあるなしではなくて、「病院が受け入れた時に意思確認ができないような緊急状態においては」という…。

位田 「患者さんの状況で」ということでないですか。その中には恐らく「時間的にも暇がない、ゆっくりと意思確認をしている暇がない」と…。

富永 そういうこともありますし、意識がなくてできないこともありますし…。

位田 ここは、あまり詳しくし過ぎると…、

 意識がない場合は、意思決定能力がない場合には入らないですか。

富永 後に出てくる[意思決定能力がない]という場合も、ガイドラインの内容を見ると、その意思を持っていたということが何らかの形で明らかになって初めて、このガイドラインが意味を持ってくるので、実際はものすごく限定された場面なんですね。だから、実際に意識がずっとなくて、ご家族もずっといらっしゃらなくて、意思がないままに治療が行われていて、で、後に事前指示書が出てきた場合はどうするのかとか、そういう細かいものを言いだすと、色々整合性のないところはあって、時系列にレトロスペクティブに見ることは法律的には可能ですけども、現場の医師が使うものとして、実際に「緊急の時はどうしたら良いねん」とこのガイドラインを開いた時に、「緊急の場合はしても良いねんな」と、まずできるものに医療従事者としてはしたいのですね。で、後の方は、何らかの事情で「意識がないけど、この人はエホバの証人であって…」ということが分かってしまった時に、後のページを繰って、「それまでに輸血をしていたらどうするねん」という問題があったとしたら、前半の方の原則で「してしまったことは責めないでおこう」というのが一応の病院のスタンスであっても、してしまったことは説明しないとしょうがないですけど、そこから先ですよね。例えばずっと輸血をしていて、それで「既に信条を害している」と判断することもありますけれども、さらに輸血が必要で「今後の輸血はどうしますか」という時に、このガイドラインが出てくるのではないかなと…。だから、場面設定は本当に難しいです。

勝村 その整理で良いと思いますし、その整理で原さんが言っていた言い方ができると思うのです。だから、P4の⑤の最初に緊急の意味を、つまり、意思確認できないままに手術を始めなければいけない状況だと感じた時とか…、意思確認はできる限りやったら良いけど、それがなかなか上手くできるシチュエーションではないから、それのために時間を必要以上に割いて、手術が遅れるということまでしてまで、エホバかどうかハッキリと確認しなければいけないという程のことではないということが、②ですよね。そういう時の緊急性のことを最小限は書いておくということですよね。

富永 それを書いてしまうと、例えばP6の[意思決定能力がない場合]で、代理人・保護者によって事前の信仰が明らかになった場合には、ここのページを開いたら良いと思うのですよね。それでない限りは…、

勝村 救急車で運ばれて来ても、親族が乗っていて「エホバです」と言いながら入って来るかも知れないけど、それだったら最初から…。誰だか分からへん人が入って来て、「意識がない。でも処理しなあかん。でもエホバだったらどうしようと思って、確認できなかったので処理しませんでしたというようなことは違うのだよ」ということを確認する。

富永 そうですね、判断できないですしね。医療従事者としては原則に則って動くはずなので…。

勝村 でも、ちょっと意識があったりして、位田先生が言うように「輸血して良いですか」と聞けるいとまがあれば、どれだけ緊急患者であっても意思決定できるではないかということもあるのですね。

吉中 P6のように「意思決定能力がない場合」に当て嵌まる状況は2つあるのですね。そもそもいろんな障害があって従前から意思決定能力がないという場合と、その病気や怪我のために意識が障害されてしまったという時の意思決定能力がない場合とね。事の性質は恐らく違うのですけども、両方が含まれていると解釈して、それでもいけるかなと思っていたので、これはそれで良いですよ。

勝村 今は、その内の時間的な方を、緊急性の方は別にして、最初に書いてしまおうという話ですよね。だから、P6以降は緊急性の話ではないものだけに限定するように、そういう整理をしようという話ですね。

神田 そんなことはないですね。先ほど言わはったように、救急車に代理人が乗って来はる場合もあるので、だから緊急の場合というのは、本人及び代理人に意思確認ができるほどの時間的余裕がない場合ですね。

勝村 だから、「救急車に乗ってきた場合は緊急の理由に入れない」というふうに最初に書くのですよ。つまり、P4の⑤に抜き出すのはそれだけにしておかないと、整理しているようで整理できなくなっちゃう。

神田 緊急だけども代理人が付いてきた場合は、その代理人の意思を無視しても良いということですか。

勝村 いや、そういうことはないということですよ。だから、P4のところにそういうのは入れないのですよ。先っき言うた話だけに留めるのですよ。

富永 何らかの事情で知ってしまった時には、後からガイドラインに乗せましょうということですね。

勝村 P6以降に行けば良いわけで…。「分かる手段がないけど、直ぐに処理しなあかん時はしても良いよ」ということだけをP4に書いておけば良いわけでしょ。

富永 そうですね。そういうことになりますね。

小原 ただ、ちょっと注意しないといけないのは、P4に緊急時のことが書かれていて、病院に迎えた時に「緊急時はやっても良いのだ」というふうに、これだけを見てP6を見なかったら具合が悪いわけですよ。ですから、意思決定能力がない場合はやっぱり2つに分かれて、1)の⑤で対応できる場合と、本人に意思決定能力がなくても代理人・保護者によって明らかにされた場合には、きちんと本人意思を尊重しないといけないので、1)の⑤がP6よりも上位に来てしまうと具合が悪いです。

富永 繋がるように…。そうすると例えば⑤もの書き方として、「患者本人の意思確認ができないような緊急の場合には、少なくとも1名の医師を含む…」という文言にしておいて、「ただし、代理人・保護者によって事前の信仰が明らかになった場合にはP6以降のガイドラインに従う」というふうにしておいたら、フローチャートにちゃんと流れます。

小原 そういうことです。

勝村 そうした方がお医者さんからすると、そこのところへの誤解がなくなって、良いということですね。

 「患者本人の意思確認ができない場合」と言うと、一般化されるということですか。この場合は、エホバの証人であるということを前提にしないということですね。一般の救急で輸血をする時に、今は多分、担当医師の単独で判断することがあると思いますが、こうなると、「救急医療の中で輸血する時は、必ず医師を含むチームで判断するということが一般化される」ということが含まれるということになるわけですね。そこまで拡大される中身になるということです。それ自体は悪いことではないけど、現在のやり方を変えないといけない。

小原 そうですね。ここではエホバの証人のことを論じていますけども、実際は来る人がそうであるかどうか分からないですね。ですから、確かにこれは一般化しないと、ガイドライン自体が機能しないということになりますね。それはどうですか、現実との摺り合わせは…。

神田 「医療チームでの判断」というのをどういうふうに加えるのかなと思っていたのですけど、データを見て貧血がこれ以上ではいかんと思った時に、医者は輸血が必要と判断して…、でも医者はオーダーするだけで、それを看護師に伝えて、検査室に伝えて、用意されて運ばれて来ることになると思うのですけど、看護師さんは、必要のない時に「先生、この検査をするのですか」とか「これが要るのですか」とか言わはる方もいますが、言われない方もいますし、「看護師が言われずに、医者がオーダーして看護師が受けたことで、医療チームが納得した」と取るのであれば、現状でいけますけど、「そんなんではあかん」と言うのであったら、東先生が言われるように、一々それを意識化していくという医療改正が要ります。

富永 一応の形として整えるのであれば、例えば入院や外来の問診票がありますが、そこに「あなたの信条を書いてください」という欄を設けて、信条を表明したい人はできるようにしておけば、そこで言わないというのも信者さんの自由なわけで、そういうものを持ってはる人には必ずそういう問診票を入れておくとかですね。例えば輸血の同意書のフォーマットの最後に「輸血拒否の信条がある人はお伝えください」と入れておくことで、目に曝す機会を与えるぐらいしか、今の現場ではできないと思うのですよ。そうでないと、実際にそれを医者が確認して、看護師もその場に一緒にいてカルテに記載なんてことは、大抵の輸血の現場ではできないので、フォーマット化するぐらいしかできないのと違うかな。実際は、神田先生がおっしゃったようにオーダーするとか、現場の流れってそんなもんなんですよ。遠隔でオーダーしたら出てしまうのでね。

神田 でも、私が言ったのは緊急の場合だけの話であって、緊急でない場合は同意書を必ず取るので、あまりそこは問題にならないです。

勝村 議論を混乱させるかも知れないけど、僕が先っき言うたことだけをP4の⑤に書けば良いのではないかと思ったので、「ただし…チーム…」というのは、P6以降には書いたら良いけど、P4には書かない。

 でも、P6以降に緊急時の「医療チームの判断」とかいうことを、一々書く必要がないのではないですか。

勝村 P6以降に書くかどうかの議論は置いといて、P4のところでは、どうしても仕方がない場合もあるわけで、どうしても仕方がない場合だけの免罪符として書くということで、良いのではないかと思ったのですけど。

小原 では、もし「医療チーム」という言葉をそこに入れないとすれば…、

位田 P4だけで行ってしまいますよ。

勝村 あぁ、そうならないようにしなければいけない…。それだけの余裕があるのなら何か話が違う…。

神田 そうですよね、それやったらすごく現場は混乱しない。現案の「3人以上云々」というのは2)の③にしか掛からないと思います。

吉中 今の「3人以上のチーム」は、P6では⑤の「事前指示書がなくて、代理人が見つからない場合」ですよね。要するに、緊急ではない場合だけど「本人の意思に反するかも知れないけど輸血をします」という判断があり得る時は、「3人以上の…」ということが入ってくるのですね。それを許容するかどうかは議論としてあると思いますが。緊急の場合は「まぁ仕方がないなぁ」ということなんですけど、議論しているP4の⑤は「緊急」ということで入ってくるわけだけど、⑤は要るかな。

勝村 P6以降は、患者がエホバの証人とか何らかの理由で無輸血を希望しているというニュアンスが出ている話ですよね。あくまでも出ていない時に、確認もしたいけど確認しきれない時の免罪符をP4に書いておくということで…、

 そういうことは必要ないのではないですか。要するに、エホバの証人かどうか分からない人のことを言っているわけだから、その時にこのガイドラインは全然必要ないではないですか。

勝村 1行書いておくと気が楽になるという話は…?

 …ならないです。混乱をきたします。今言われたそれは、事後に分かった時の言い訳のためにやっているだけですから、そうしたら、事後に分かった場合にはこういうケースもあり得るということを書くしかないと思うのです。エホバの証人かどうか分からない人のことはこのガイドラインとは別の話。だから書くとしたら、「現実にこの人はエホバの証人であることがなんとなく分かっているけど、ご本人は意思表明ができない、代理人もいない、見つからないという時に、どういう判断をするか」という議論であって、「それで緊急性があった時には、我々で判断しますよ」という話は、それは大事な問題だけども、それも何にも分からない段階の時に「そういう場合はやりますよ」というようなことは一般的なことで、一般的に救急で本当に輸血が必要な時には、最初にエホバかどうかを聞いてやるわけじゃないですから。

勝村 ただ、確かにこの議論をしていると本論では絶対にないけど、「自分が当直していて急に救急車が来て、分からなかったらどうしたら良いのだ」ということを、こういう議論で言う人はいることはいる。

富永 そうですね。絶対にそういう反応は出るかなと思いました。

 いますかねぇ。それだったら、始めからね…、

勝村 あることはある。それのエクスキューズの話だからと思って1)に…。それは僕の感覚なので、微妙な気もしますけども…、

 そういう人が来た時に「我々の病院では、この人がエホバかどうかまず取りあえず聞きなさい」というような大前提のみたいな話になってしまいます。

神田 これが下りてきた時に、現場の医者が「今までなかったのに、こんなんができたから、何が何でも必死で確認して、代理人に電話して承諾を得るまで、輸血は怖いやん」と受け取るかも知れない。

富永 勘違いされると嫌やなぁとか…。

 時間的な余裕がある場合は本人か家族から同意書を取るわけでしょ。問題は、あくまでも時間的な余裕がない場合で、かつ緊急という意味合いも、生命に危険が及ぶぐらいの緊急でないと拡大解釈されてきますが、その場合は医療側がパターナリズム判断で同意書もなく輸血をするということは良いでしょという話は、一般的には言えるわけです。一般的には言えるのだから、エホバの場合でもそれと同じことを言うだけの話ですよね。

 それをここに書く意味があるのかということですよ。

富永 「医療チームとかを入れるから、一般の場合にも次がどう」というのであれば、P4の原則にもっと漠然と「生命の危険が及ぶ患者本人の意思確認ができないような緊急の場合には、このガイドラインは適用されない」と書いたらどうなんですか。だって、このガイドラインは使わないでしょ。

 「適用されない」ではなくて、別に「輸血してもかまわない」で良いじゃないですか。

勝村 一般には要らない。というのは別に輸血だけの話でなくて、全ての医療はできるだけインフォームドコンセントに基づいてやりなさいと…。ところが救急で来て、どうしてもインフォームドコンセントができない。つまり、治療の選択をしてもらうこともできないが、それができなくても手術をすることができるというのと同じことなので、書く必要もないことだけど、「今のご時世では、ガイドラインを作る時にはこの一行が要るだろうというのが現場感覚であるならば、載せる」という意味だけで、別に輸血に限った話ではない。

富永 「緊急手術の時に同意書の内容を全部確認するかどうか」みたいな議論になっていくので、もう、この一行を入れるかどうかだと思います。後は、「こんなガイドラインを作りました」と現場へ説明する時に、大きくちゃんと「緊急の場合というのは、皆さんが今までやってきた医療をそのまま行っていただいて結構です。ただ、何らかの形でエホバということが、これから医療を行うにあたって分かった場合は、このガイドラインを見てください」というふうに紹介すれば良いわけですよね。

位田 それは緊急の場合でも一緒ですね。例えば事前指示書を持ってたとしても、どこの誰だか分からない人が来た時には、誰かというのを探りますよね。で、分かったらこっちで行く。でも、緊急の場合ですよね。だから、例えば緊急の場合を外すとか、どういうカテゴリーで分けるかという話なので、平常の場合と緊急の場合とで別口のガイドラインを作る方が、現場ではやりやすいような気がしますけどね。現案は、入院されているといった通常の場合が基本ですよね。これと緊急の場合を同じ条件でやれといったって無理なので…、

神田 それだから、「緊急の場合は除く」と書いておくとか…、

位田 最初から緊急を別にして、今度は緊急の場合に「どういう場合だったら輸血して良いけど、どういう場合だったらダメだ」というのを出してもらって、緊急用と通常用のガイドラインを分けた方が使いやすいと思う。一つで全部やろうと思うと、現場で「いったい何ページを読んだらいいのかな」ということでも困るから。

富永 そうですよ。使えないものになる。

勝村 「緊急時は除く」と書いちゃうと、困った時にいきなり「緊急時はどうするねん」と聞かれてしまう。

位田 現場がいちばん混乱しないようにしようと思うと、「こっちに行くか、あっちか」という、そこの判断をしておかないと難しいと思うのです。

吉中 先っきの⑤を追加するという話は、中身が重複するようだけど、別のものを作るという今の話はまた別の作業になりますから、クリアできるようなことを書いておいて、議論をした上で、現場で「なんやそれやったら別に要らない」という話になれば、除いたら良いのですけど、⑤を入れる方が私は良いと思います。そうしたら絶対に異論が出ますが、拘って一歩も引かない人が出ると、間違いなく永遠と議論になります。ただ、「緊急は普通通りにしたら良いのだ」ということで落ちると、「要らない」ということになるかも知れません。

小原 それで良いと思うのです。ですから、P4には⑤を付け足して、「緊急時には輸血治療をする。ただし、何らかの形で代理人・保護者などによって本人の意思がハッキリした場合は、P6を見ろ」という形でまとめておけば、いけるのではないですか。ただ、東先生が言われたように「それを一般化するためには、今のやり方を変えるべきか」と言えばそうでなくて、現状で上手く行っているものを無闇に煩雑化する必要は一切ないと思うのですよ。ですから、現状は現状で…、

勝村 ただ、「チーム云々」というところまでP4に書くということですね。

富永 書かないのですね。

勝村 だったら、現状とそんなに変わらない。それを書けば現状と変わっちゃう。

 冒頭に書いておいて、本文中は「緊急の場合」という表現のない形にしてしまえたら、それで良いと思うのですけどね。なぜ混乱するかと言うと、本文中の幾つもの項目に[緊急の場合は]と出てくるのですけど、例えば「エホバの人を対象に治療を始めたけど、緊急の場合は…」というように、治療途中に緊急な事態になった場合とかが出てくると、話が混乱するので…。

富永 そうしたら、緊急のものを全部除いておいた上で…、

 緊急というのは、「本人や家族の意向とか信仰内容とか、そんなことを調べている余裕がなくて、生命への危険があると判断した場合は輸血することができる」でしょうね。法律論としては事務管理ですか。事務管理と言われても、法律家以外は分からないでしょうけど。

富永 「緊急の場合は輸血も含めて必要な医療措置を行う」とかそんな感じですか。

小原 今の原さんの意見は、P4の⑤にきちんと書いておけば、他はもう書かない方が良いですね。

 書いたら、「拒否しているのに緊急事態の場合は輸血するのか」みたいに取られる怖れがありますので。

小原 そうですね。確かに1)のところにハッキリと書いておけば、これが本当に雛形ですので、判断に困ることはないと思いますね。箇所によっては要るかも知れませんが、煩雑になるとところは全部、省くことは可能だと思います。

富永 どんな文言にしましょうか。「緊急の場合には輸血も含む必要な医療ができる」とかですか。

小原 そういうことですね。P4に「ただし…」ということで…。

富永 「当たり前のことですけど、一応ここにそう書いてあります」ということですね。で、「何らかの事情で事前の信仰が明らかになった場合には、このガイドラインのここに従ってください」と書いておいたら良いですね。分かりました。

吉中 では、P6以降の[3人以上の…]というやつは、既に緊急に関わることに入っているのですね。

富永 P6のこれはどうしましょ。ただ、これは信仰があることが分かった上なんですよ。③の[ただし…]の部分はなくします。で、次の⑤の[事前指示書がなく、代理人・保護者がいない場合には]…? 実際にこういう場合には信仰が明らかにならないと思うのですが、本人の意思を確認できる書面が出てきてしまったと…。

 この場合は、単純に「救命に必要と判断すれば輸血を実施して良い」でいいじゃないですか。緊急とか緊急でないとかは、あまり要らないと思いますよ。

吉中 [事前指示書がなく、代理人がいない場合には]の次の[本人の意思が確認できる書面があれば]という文は、論理矛盾になりますから要らなくて、次は、現案では[3人以上の]というやつですね。

富永 先ほどと同じように「輸血を含む必要な医療を行うことができる」と、ここにも確認のために入れておいて、見つからない場合には[3人以上の…]というのは要りますでしょう。

吉中 これは計画的な対応ですから、「チームで」というのをここに生かせば良いのではないですか。

富永 ここも[緊急に必要であると]をなくしておいて、で、整理すると「事前指示書がなく、代理人・保護者がいない(見つからない)場合、少なくとも1名の医師を含む医療チームで判断した場合には、輸血を含む治療を実施する」となります。

小原 それで良いじゃないですか。スッキリします。

位田 「救急車で運ばれてきていない」という前提ですね。入っているけど、身寄りがない。ただ、基本的にエホバの人に言わせると「コピーであれ、原本であれ、必ず事前指示書を持っているはずだ」ということですから、「それだったら連絡するなり、本人の意思を尊重してください」というのがエホバの証人側の主張ですよね。

富永 で、それには「一定の配慮をしていますよ」ということですね。で、※印の[この際…]というのも取っておきますね。

吉中 「持っていなかったら信者とは見なさない」という対応はしないということですね。

富永 解釈によってはそうですね。で、P7の四角の中の[ネグレクト有無]はやっぱりなくしましょうね。言葉として入れるのは、抜け道みたいな感じがするので、ガイドラインなのにどうかなと思っていました。

小原 そうですね。で、ガイドラインに書いていないのにチャートだけに入れるというのもおかしいですね。

勝村 僕もなくした方が良いと思います。「輸血をしない範囲内で、できるだけの治療をして欲しい」という願いなので、言っている側はネグレクトではなく治療の選択と思っている。

 P10、P12にもまだ[緊急性云々]はありますけど…。

富永 これも同じですね。

小原 文言は統一した方が良いと思いますので…。

吉中 P10の②の[3人以上の…]も要らないということでしょ。⑨は…、

富永 ⑨は、本当は③で変換ミスです。

 P6を直したのと同じような書き方で良いですね。

小原 そうですね、表現は前に出てきたものを繰り返すということで…。

富永 「チームの判断で…」…、「…チームが必要と判断した場合には」で良いのではないですか、「緊急性」とか入れないのでしたら。

小原 文言さえ統一すれば、これでかなりスッキリしつつあるのではないかなと思います。

 P12も省くだけですかね、15歳未満の場合に…。

小原 [3人以上の…]以降ですね。

吉中 ここもまた同じ文言にすれば良いのでしょ。保護者が2名とも拒否する場合は、無輸血治療を頑張るけども、輸血をすることはあり得ますから。

小原 位田先生、何か変えた方が良いところがありますか。

富永 いや、P6の①で私が作為的に[代理人・保護者」とは]という感じで、法律的には言葉の定義を最初に決めておいた方が良いかなと思って、北村先生から受け継いだ時に[法定代理人及び本人の委任状を持つ代理人と保護者をいう]と書いたのですね。皆さんの議論にはあまりならなかったのですけど、実際は、同居の女性とかは法律的には代理人じゃないのですよ。そういうのを入れるのか省くのかという問題を、こそこそ話していたのですが、あまり医療従事者はそういうことを重視せずに、事実上の人をキーパーソンとして、慣習的に代理人と認めているのが現場だというのであれば、こういうふうにキッチリと法律的な文言にせずに、「本人の委任状を持つ代理人と保護者を言う」とかいう感じで、やんわりとしておいた方が良いのかなと…。

位田 でも、保護者にもならないではないですか。

富永 ならないですね。

位田 これは何が重要かと言うとね、この人がエホバの証人かも知れないということが分かるか分からないかですね。分かったら、エホバの証人の教会に聞くという術はあるので、その人が法定代理人であろうとお手伝いのおばさんであろうと構わないと思うのですよ。例えば一緒に住んでいる人なり、お手伝いのおばさんなりに、何らかの権限を与えるという話ではないので、ここでそんなにきつく縛りすぎると、法的には確かにそうかも分からへんけど、それでは現場は動かないですね。

富永 ただ、信仰が分かるものを持ってきた人は誰でも良いとしても、③以降の事前指示書がない場合に、それを書いてもらえる権限がある人の話は別ですね。

位田 そうそう、書いてもらうという時は先っきの話で、書く権限のある人に書いてもらわないと無理ですね。それは輸血同意書と同じレベルの話なので、またやり方は違うけれど、最初の判断の①では、エホバの証人かどうかということさえ分かれば良いので、ここにあまりきつい規定を入れると…。

小原 これにもう少し包括的な含みを持たせるために、適切な言葉って何ですか。

富永 四角の中自体を[代理人・保護者によって]ではなく、「何らかの形で事前の信仰が明らかになり」とか、そんな感じにしておいたら良いですね。ここにこんなのを入れるからダメということですね。

 何でも良いですよね。

小原 そうしたら、①はもう削除するということですね。

富永 そうですね。で、①の規定を入れるかのは③で、「事前指示書がなくて、輸血拒否ということを言える人はこんな縛りのある人でいいのではないか」というニュアンスで、ここにきつい縛りを入れたのです。

位田 ただ、いわゆるパートナーをどうするかというのがいちばん難しいと思うのです。結婚しないままに10年、20年も一緒に住んでいるというケースもいっぱいあり得るわけです。これだと、ここから外れているわけです。で、ずっと病院へ付き添っておられ、「本当に夫です」と言われたら、結婚しているかどうかの証明は取らないでしょう。

富永 かえって、ここの[保護者]を「実質的に保護の任にあたっている人」とかにしておいた方が良いのです。

位田 「保護」で良いですか。「保護」という言葉は二重に引っ掛かるかも知れない。

富永 上下の関係ではないですね。何と言いましょう。そうすると「保護者」というのもどうでしょう。

関谷 すごく親しい人ですよね。

富永 ざっくり言うと、本人の信条を語れるぐらい親しい人なんですよね。

小原 これに近い法律用語はないですか。

位田 ないですね。法律は結婚しているかどうか、法的な制度に乗っかっているかどうかだけなので、それ以外は法律で決める必要はないのです。

富永 反対に、病院のスタンスとして「持っている人しか保護しないよ」という裏読みも、このガイドラインはできるわけで、それと同じように「結婚している人しか認めないよ」というニュアンスを含ませるのであれば、こんな縛りを入れても良いのかも知れないですけど、現場は確認のしようがないですものね。戸籍謄本を挙げないと分からないわけで、それこそレトロに見たらどうなるのという話になるかも知れません。どうしましょ。

小原 では、囲みの中の[代理人・保護者によって]は外すということで良いですよね。で、①を除いて、今の③から始まるのですよね。

富永 えぇ。で、代理人だったら含まれますか。

位田 代理人というのは基本的に法律用語なので、法律上にちゃんと定義してあるものが代理人で、「それ以外の人が結構たくさんいるでしょ」という話ですね。

関谷 肉親だからといって、イコールではないのですか。あと、親御さんだからといって別に…。

位田 肉親だからといって代理人とイコールではないですね。親はだいたい保護者にあたるかも知れないですけど、これは成人で、一応は別個の人格だから、自動的にはならないですね。子供の場合は親権者ですが、親権を喪失している場合は難しい。だから、法律用語を使うと限定されてしまうので、現場が混乱するでしょう。要するに[事前の信仰が明らかであり]から始まると、この四角の中はそれで良いだろうと思うのですね。例えばいつも付いているおばちゃんが「この人はエホバの証人で教会にいってはります」という話になれば、それで分かるので、「でも本当にそうかな」となれば、教会にでも調べてもらうぐらいの時間はあるはずです。で、輸血をしなければならないとなると、今度は輸血同意書をもらえる人が必要になり、いろんなところに電話を掛けて探しまくらないといけないので、一応、そういう話は覚悟していただかないと…。

勝村 P6の③の[事前指示書を作成]という話は、事後に作成するわけですよね。

位田 [事前指示書]という言葉遣いも要らないではないですか。輸血同意書を代わりに書いてもらうのでしょ。

 ③のところは、内容そのものを検討した方が良いと思います。この内容だと拒否の指示書を書いてもらうと読めるのですけど…。

小原 このまま読むとそうでしょ。

勝村 だから「…ないけれど明らかなので、今から作ってもらう」という意味だったら、「…あると同じようにしても良いですよ」ということですよね。だけど、事前指示書を事後に書くというのはねつ造しているみたい。

位田 だけど、これはやる前でしょ。輸血の実施を判断する前に書いてもらうので…。

 しかし、それでは事前指示書ではないでしょ。免責証書を書いてもらうみたいな話ではないですか。

小原 ただ、エホバであるという意思表示をしてもらう証拠が必要だということですよ。だから、代理人であっても事前指示書を書いて欲しいということが、ここでは言われているのです。

位田 実際にエホバの証人のフォーマットだと、事前指示と免責しますというのを一緒に1つの紙に書いてありますよね。「こちらは書いて、こちらは書きません」というのはあまりないと思うから、そうすると重要なのは免責証明をしてもらうということでしょ。「事前指示をしてよろしいとか、してもらっては困ります」ではなくて、「輸血をされなかった時には免責をします」ということの方が重要ではないですか。

 ということであれば、「輸血同意書または輸血拒否免責証書を作成してもらう」というふうに書いた方が良いのではないでしょうか。家族とかに書いてもらうわけでしょ。

勝村 [上記の対応を行う]になっているから…。

 [上記]というのは四角の中の話ですか。

位田 事前指示書は本来、本人が書く話だから、ここに事前指示書という言葉はおかしいね。だから、輸血拒否書とか何かを書いたら良いのではないですかね。もしくは同意書でも良いわけですから。

吉中 ここはあくまでも、意思に基づいて輸血をしないという場合だから、P7のチャートで言うたら[輸血拒否免責証明書]と書いてありますね。

小原 これはそうですね。

勝村 では、上の囲みもその言葉に換えるのですか。上は事前指示書で良いのですか。

位田 えぇ、本人の事前指示書ですから。

勝村 ただ、事前指示書と呼んでいるものと輸血拒否免責証明書というのは、今のお話だと同じ紙なんですよね。でも、2種類に使い分けたら、違う紙のように思っちゃわないですか。

位田 決められたフォーマットに書いたやつを持ってはる人と、手書きで例えば「私はエホバの証人なので輸血をしないでください」と書いた紙を常にポケットに入れている人と、両方あり得るので、免責まで書いていない可能性ももちろんあります。ただ、そういう場合はエホバの証人だと分かるから、そこはもう一回確認したら、輸血を拒否していることが分かるでしょうし、当然、免責証明書を書いてもらうことになるでしょう。

 いずれにしても、事前指示書というのは本人が書くものですが、③はそれを代わりの人に書いてもらうということですね。

小原 ですから、「輸血拒否免責証明書」ですね。

 「輸血同意書または輸血拒否免責証明書」ですね。両方を書かないといけませんし、[上記の対応を行う]という言葉では分からなくなりますね。

小原 この場合の[上記]というのは、囲みの中のことではないのですか。

位田 「事前指示書に従う」ということでしょ。[上記]と書くより具体的に書いた方が良いですね。だから「輸血同意書がある場合は輸血を、輸血拒否免責証明書がある場合は輸血を行わない」と書いてしまう。

小原 そうですね、これはやっぱり無輸血治療をするということですね。富永先生、いいですか。

富永 分かりました。「輸血をする場合は輸血を、無輸血であれば無輸血治療を行う」にしたら良いですか。

 ②と③の[上記の対応]を具体的に書くということですね。

勝村 上の四角の中は[実施の判断を行う]という表現で良いのですか。

小原 ここも曖昧さを除こうと思えば、「無輸血治療を行う」とした方が…。実質的にそうでしょ。

勝村 [上記]を取るのだったら、[判断を行う]というどっちでも良い書き方をせずに、明確に書いても良い。

小原 それを言うと、P4の方もそれに合わせる必要がありますね。

吉中 P4もP6も[輸血の実施の判断を行う]という意味には、「エホバの証人は100%が無輸血希望ということではない」という含みがあるように思ったのですけども。

小原 ただね、以下の文章からすると、[輸血の実施の判断を行う]というのは、「するという判断」「しないという判断」の二択がここで想定されているわけではなく、この場合は「しない」ということですよね。

吉中 でも、チャートだけで言うと、[同意]もありますからね。

 それには、どの範囲の血液製剤を認めるかという話もあるので…。

小原 それを含むのなら、確かにそのままでも良いのかも知れませんね。

富永 それを微妙に表したつもりやったのですね。一応、同意の時のチャートも作っておかないと、現場に合わないかなと思ったので…。「OKとなった時には輸血」という流れも書いておくことで、「説得して、輸血に同意されたら、これに流れるのやな」というニュアンスにしたかったのです。途中で変わらはることもありますよね。そういう意味で、「無輸血」「輸血」「無輸血治療をギリギリまでやる」というのを全部含めたニュアンスにしようとしたので、かえって分かりづらいですけども、一応、ベースとしては「本人の意思を尊重しましょう」という感じのニュアンスしかここには持たせていないのです。

小原 なるほど。そうであれば、元のままにしておきましょうか。

位田 このままにしておいた方が良いですね。他に気になる点は、P4の囲みの[…含む無輸血治療の信仰]というのは、エホバの証人以外にこういう宗教があるということですが、どういう宗教か確認できないのではないですか。そういうのがあるかも知れませんけど、今までそういう信仰にお会いになったことがありますか。可能性は全部出し尽くそうという話はよく分かるのですけど、多分、現実にそういう人はないでしょうし…、

 でも、この間から出たのがあるのですよ。

位田 でも、エホバの証人に限定した方がガイドラインとしては良いだろう。で、そういう極めて例外的なのが出てきた時には、現実の対応として、エホバの証人のガイドラインに概ね準じて取り扱う。それはもう書かない。本当にその信仰なのか、「たまたまエホバの証人がそうなので、俺もやっぱり輸血はして欲しくない」と思っている人なのかという、そこの判断ができない。本人は「信仰だ」と言っているかも知れないけど、その人1人だけがそう思っているかも知れない。エホバの証人はそれなりに信仰だと思いますけど。

小原 それは、原則のところの[含む]というのをやめて、エホバの証人に限定するということですね。

位田 …としたらどうかというのが、私の提案です。タイトルはこれでも良いですけど、対象はエホバの証人。

小原 実際、以下の流れも限定していますけどね。

位田 書き込むかどうかという判断ですが、書いてしまうと、本当はそうでない人というのがあり得るかなと思うので…。現場が「この人は普段そんなことを言っていなかったのに、突然、そんなことを言うからね」とか、100%の可能性を考え始めると、そういうことまで膨らんでしまうので、いちばん確実な部分で取りあえずガイドラインを抑えておいて、他の例が出てきた時にはガイドラインを参考にしながら判断するということでないと、現実は難しいし、これは緊急性のない話を言っているので、もしそういう人が出てきたら、例えば倫理委員会や病院の安全委員会に掛けていただくかして、もし、輸血が必要になった時には「この人には輸血をしましょうね」「この人はあんなことを言っているけど、本当はそんなことないから、輸血をどうしようかね」という話にした方が、現実のものとしてはやりやすいと思います。

 P14の[注記]で「準用できる」と書いてあるので、[含む]という表現でなくても良いとは思いますけど…、

富田 ちょっと僕には抵抗がありますけどね。あたかもここで言うエホバの証人の下請けをやるような専用のものを用意するという、そういう受け取り方になるので…。やっぱりエホバの証人も永遠であるわけではないので、「エホバの証人を代表するような無輸血の信仰」という、そういう立場でガイドラインを作りますよと言った方が、個人的にはなんとなくしっくりくるように思うのです。ここはエホバの証人の道場じゃないです。

位田 でも、他の病院も結局、本当に信仰かどうかという話で判断をしていて、ここでの問題は思想信仰の自由というものと、救命かどうかというものの対立であって、信仰でなかったらこっちの方が確実に優先するのです。そこの違いなんです。で、エホバの証人はハッキリしている。

富田 …でしょうか。私はそこのところに疑問があるのです。輸血の種類が色々挙げてありますよね。あれ自体がもうおかしいじゃないですか。だからハッキリと言わせてもらえば、なんで我々はそんなのに付き合わなければいかんのかと…。考えようによっては馬鹿馬鹿しいのですよ。

位田 だから、それはそれで一つの立場なので、そう決めるのだったら、話は簡単なのです。

富田 だから「それが代表するようなそういう考え方に対して、こういうガイドラインを作りますよ」というのが筋かなとは思うのですけどね。

勝村 信仰じゃなかったら本当に違うのですか。最高裁的には自己決定権では…?

位田 だから、結局は本人の意思が確認できればそれに従わなければいけないのは当然ですね。だけど、確認できず「じゃぁ何で行きますか」という時に「輸血しないで良いのか」「信仰だから輸血してはいけないのか」という話だと思う。

勝村 確認できない場合はですね。確認できる時は信仰じゃなかっても自己決定で良いのですね。

富永 それはこのガイドラインの範ちゅうでなく、一般的な医療としてということですね。このガイドラインはそこに限定しても良いのではないかということですね。「向こうもちゃんとした信仰だと言っているのだから、こっちもこういうガイドラインで対応しています」という対応で、かえってエホバの証人と分かった時だけに使うものにしておいた方が、他の…、

 おっしゃる意味は分かりますけど、位田先生がおっしゃっているのはP4とかの四角の中のことでしょ、ここを「エホバの証人の信仰を持つ患者に対しては」といきなり書くと、ちょっときつい感じがするし、「無輸血治療を問題にしているのだ」ということでは、妥協的にこんな書き方で良いような気がしますけどね。

位田 だから、どういう立場を取るかという話なので、もしこれで行くのだったら、エホバの証人以外のケースが出てきても、このガイドラインでやらないといけませんよ。それは信仰ではないかも知れないけど、これで行きますと言うのだったら、それで良いと思うのです。

勝村 僕はエホバの証人ではないけど、「もし意識がなくなって救急車で運ばれた時には、無輸血で」と書いておいたとしても、その場合は違うということですか。

位田 だから「本人の事前指示書があって、意識がなくて」というのだったら、一般的に本人の事前指示書を尊重せざるを得ないと思います。

小原 今の勝村さんが言われたのはここに入るのです。だから、信仰や組織に所属しているわけではないけど、ハッキリと意思表示をして…、

勝村 それが入ることはいけないから、入らないようにしようという…、

富永 かえって病院に負担になるのではないかということですよね。もっと限定しておいた方が、今までのウチの病院のスタンスに合うのではないかということですね。「できるだけストリクトなものにして、こういう条件が揃った時は保護しますけど、他の時は一般の医療をさせてください」というスタンスに合うのではないかということですね。で、広く「宗教的理由」にしておかないで、「エホバの証人が来て、これを持っていて、事前指示書があってという時にだけ、ガイドラインを使いましょう」としておいて、「エホバの証人ではない人は、今までのインフォームドコンセント範囲で、その時々で対応しますでも良いのと違うか」ということですね。そうした方が今の医療従事者にも受け入れられるのではないかということですね。

勝村 例えば最高裁の判断で、それはあるのですか。

富永 いや、それよりも今は、ウチの病院のスタンスとしてこれを作るかどうかなので、一般的なインフォームドコンセントの議論とは別に作るものとしては、もっと限定しておいたもので取りあえずは作って、本当にそういう条件が揃った時に困らないようにすることだけを、今回の目的にしようと…。で、インフォームドコンセントの一般的な話は、それこそもっと他のいろんな議論があって、ターミナル一般の問題であるとか、高齢者一般とか、認知病一般の問題にも全部関わってくるので、そういう時にまでこれが出てくるようなニュアンスをここに残してしまうという、なんか「無輸血にしてくれ」と言わはった時にもこれを使わなあかんというような、負担を現場に強いないために、より限定したものにした方が良いんじゃないかということですよね。

 負担を強いるという意味が分からないのですけど。

富永 医療従事者サイドとしては、輸血をしたいというドクターの立場に立っています。

 でも、現に他の宗教的理由での拒否が何件かあるわけでしょう。

吉中 あったけども、あれは患者さんの方が受け入れたのですかね。

小原 最終的には折れたので、問題にはならなかったのですけど、エホバ以外でもあり得たということですね。

富永 そういうものをここにで含むかどうかというのが大きいと思います。

小原 ただ、違うケースが出てきたとしても、これに従って判断するという意味では、必ずしも排除するわけではないですね。ただし、含むとなると「どこまで含むの」という議論になってしまうので、そうであれば、最初からエホバに限定した方が良いのではないかということですね。

 では、何て書くのですか。「エホバの証人の信仰を持つ患者に対しては」と書くのですか。

位田 そうです。

富永 元々の形に標題もして…、

位田 だって[はじめに]に[エホバの証人の輸血拒否に関するガイドラインを新たに設定した]とあるので、このままではないですか。

富永 そうですよ。ただ、合同委員会ガイドラインは「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」になっているので、どっちにするかということです。

 [はじめに]のところを修整しても良いわけですし、「特定宗教名を挙げるのはいかがなものかな」という感じは、サービスになるみたいな意味合いでの違和感を持たれる方もおられるでしょうし、「信仰そのものを理由にして」というより、基本は自己決定の話だと思うのですけどね。「信仰だから」とか「信仰でないから」とかいう問題ではないのだと思いますけどね。

関谷 でも、ここは「信仰だから」「…ではないから」という話でしょ。

 ではないでしょ。

位田 事前に本人の意思が確認できていれば、「信仰云々」は全く関係のないので、これは一般的なものとして見れますが、だけど、信者さんの場合には事前指示書とか免責証書とかが一般的にあるのだけど、仮にそれを持っていなくても、信者さんであれば輸血拒否という可能性があって、ご本人も本来はそうであると思っている。その時に、何も証拠がないからやってしまうというのはいかがなものかという話なんですよね。家族が「私たち一家はエホバの証人です」と、もしくは、それがパートナーやお手伝いのおばさんが「いつもエホバの証人だと言っています」と言われた時、「でも本人は書類を持っていないからダメですよ」というわけにはなかなかいかないでしょう。紙を持っていないからというだけでは、信仰の自由に上回るわけにはいかんでしょう。

富田 しかし、「証明書を持っていなくても外すわけにいかない」というのは、そうではない。つまり、エホバの証人の方々の中ではそれで良いのだと思うのですよ。しかし、エホバの証人でないところで自分達の主張を通すのには、やっぱりそれなりの覚悟、証明書というのがあればそれを持つぐらいの心の準備をしてもらいたい。それだけなんですよ。

位田 元々は私も全くその通りだと思うのです。そうでないと信仰とは言えない、宗教的理由とは言えないのではないですかと言っているわけで…。

富永 でもどうでしょう。限定するかしないかをここで議論をしたら、それだけでもものすごい時間は掛かるのですけど…。

位田 僕はそういう提案をしただけで、これで行きましょうとおっしゃるのなら別に…。当面はそんなに問題はないと思います。

小原 スタンスがハッキリしていますので、どちらにしても大きな問題にはならないと思うのですよ。

勝村 ガイドラインには意思がある場合と、意思が全く分からない場合、事前の意思が分かる場合が出てきますけど、今のお話で意思が分からない時がポイントとしたら、全体的なトーンとしてはこれぐらいの方が良いような気もするのですね。で、本人の意思が分からない時に絞っていく。

富永 タイトルとか全体は今の感じにして、いっぺん出してみても…、

位田 構わないですが、それほど大きな問題はないのではないかと…、

吉中 でも、エホバの証人というのが前提にあるから、免責証明書という言葉があるのであって、最も受け入れやすい条件を作っているのは、エホバの証人なんですよね。それ以外の人の「決定権」とかいう話はかなりあやふやでというのが、一般的にはまだそういうことですよね。エホバの信仰の人達は真摯に向き合って、それなりに社会的にこういう条件をクリアしてきているということが、やっぱり尊重するに値すると私は思いますから、エホバの証人に限定させて作って、それに準拠するという枠を残しておくというのが、いちばん合理的だと思いますね。

 今のおっしゃり方だと、医療機関と患者の関係はちょっと違うような気がしますね。

吉中 いや、そういう努力が必要な社会現状があるから、こういうことになってきているわけでしょ。そら、医療機関も横着なやり方をすれば、命ということもあまり考えずに、「輸血同意書を書かなかったから無輸血で良いのですよ」ということで済ますこともできるという立場もあるわけですよ。我々はそうは思っていないわけで、富田先生が言うように、命が大切だと思って働きかけるということはそういうことですけども、「忙しいから何回も説得する必要はない。嫌やったらそれでいいですよ」という話は、幾らでもあり得る現状でしょ。でも、それで問題ないという話にはならないと思うのですね。それが逆に、過剰に介入すると人権を侵害するからダメだという意見もあって、それも尊重しましょうという話がこれですからね。自己決定権なんだけど…、

 「自己決定権お任せ主義ではよろしくない」というのは、それはそれで分かりますけども、「エホバの証人は自己決定権を追及するために努力しているから、自己決定権を優先しましょう」「努力しない患者は、自己決定権が尊重されません」みたいに…、

吉中 そういうことではないです。

勝村 エホバの証人という宗教団体の無輸血治療を信仰している人と、エホバの証人以外の宗教団体の無輸血治療を信仰している人とは差があるという、その差というのが実感として分かるような分からないような…。

吉中 社会的な認知度でしょ。

小原 ズバリそうです。社会的な認知度で、それが国内だけでなくて、世界的にそういう認知が…、

勝村 だから、メインはエホバで良いとして、エホバだけに限定して「準じる」とやるか、[エホバを含む無輸血の信仰を持つ患者に対して]とするかですね。どっちでもそんなに大差はないような気もするので、「準じる」ということでも良いのかな。でも、なんかちょっと…。別の団体もあることはあるのですね。

小原 近いものは実際にここでも出ましたし、安易に見つけられますけど。

富永 タイトルなどはどうしましょう。

小原 ここでは一貫して実際にはエホバの証人を想定して考えていますので、エホバの証人に限定しても、今後に不整合が起こるわけではないです。

勝村 で、エホバの証人に独特な固有名詞も既に使っている。

富永 タイトルを「エホバの証人信者の輸血拒否に関するガイドライン」に戻して、全体をそれようにしておいて、P14[注記]の[本ガイドラインの対象患者]のところで[対象とする患者はエホバの証人信者とする。エホバの証人信者以外の輸血拒否事例についても、このガイドラインに準拠して対応しても良いが、その場合には、より慎重な手続きを踏んで判断を下さなければならない]と、ここには細かくは書いていないですけども、「こういう場合か出た時にはこうしますよ」とちらっと書いておいて、基本のガイドライン名であるとか他のところは全部、「エホバの証人信者の輸血拒否に関する」みたいな、そういうのでしましょうか。

勝村 「準じる」というところでは、「より慎重に」という言葉が入るわけですか。

富永 そうですね。なので、「倫理委員会に出すなり、上級医に相談するなり、このガイドラインだけで判断せずに、より慎重に対応してくださいよ」ということで、[例えば、意思決定を行うカンファレンスを多職種で行う、あるいは倫理委員会での議論を経るなど]というように例示していますが、細かく手続きまで言いだすと、本当に細かい事案のために、また細かい手続きを書いておかなあかんということになるので、ここは柔軟さを残しながら、このガイドラインの基本は「エホバの証人信者の輸血拒否に関する…」に戻しておいて、全部を一貫してそれにしておいても良いんじゃないかなと思いますけども、どうでしょうか。

小原 [含む]を全部除いて、タイトル…、

富永 タイトルも「エホバの証人信者の輸血拒否に関する…」という感じに…。それとも、タイトルだけはこれを残しておいても良いですけど。

小原 一つお聞きしたいのは、合同委員会ガイドラインでは「宗教的…」と包括的なタイトルになっていますが、実際の中身はエホバの証人を前提にしているのか、本文も一貫して宗教的輸血拒否にして固有名詞を出してないのか、そこが気になるのですよ。

富永 でも、それに従う形にしますか。

位田 恐らく、一般的にこういうことでやりましょうという時に、エホバの証人を目がけて学会が「こうしましょう」というわけにはいかんでしょう。そうしますと、宗教的輸血拒否という標題にするという配慮にしないと、作る側の姿勢が問題になります。それに対して、一つの病院が具体的に何をするかという時なので、エホバの証人に限定しても問題はないと思う。で、それ以外のものが来た時には準用するなり、「より慎重な…」というものでカバーもできるというふうにしておいた方が、特定の病院としてはやりやすいのではないかと思います。

小原 確かに、合同委員会ガイドラインの場合は読者が違いますから、必ずしもここの病院がそれに合わせる必要はないでしょうね。

富田 ここは一般病院だけでなく教育病院ですよね。だから若い医者や学生ともコンタクトがありますけど、ここで教えることはこの病院だけの独特の医療、やり方を教えるのではないのですよ。京大や府立医大、他の大学もそうですけど、やはりそれに共通する性質を教育指定病院というのは持つ必要があるのですよね。ややもするとここはローカルに流れる危険性があると思っているので、やっぱり標題に「エホバ…」と訳したものを、若い医者を教える時に「ローカルな発想でやっていますね」と捉えられるのではないかなという気がするので…、

小原 教育的な配慮は大事だと思うのですよ。ただ、エホバの証人の輸血拒否の問題は極めてグローバルな問題なんですよ。それが直ぐには伝わりませんので…、

富田 宗教団体そのものはグローバルかも知れませんけど、医療の中ではこのテーマはマイナーですよ。

小原 ただ、医療倫理の分野ではこれは極めてグローバルな問題なんですよ。

富田 ただ、この標題でなぜ悪いのですか。

小原 教育的な配慮や、今のこの病院が置かれている現状からして、固有名詞を出すより一般的な名称の方が好ましいということは、言っていただいたら良いのですよ。そうすると、タイトルはこれを残して、しかし、中身は[エホバの証人を含む]を除いて一貫させても矛盾しないと思うのですよ。

富田 そして、エホバのことを書いてあるけど、中身を拡げることはできるという、まさにそういう姿勢になると思うのですけど。

位田 私は、表紙の標題はこれで大丈夫だと思いますけど、対象はエホバの証人にしておかないと、病院側は困りますね。

 合同委員会ガイドラインにエホバの証人という言葉は全然、出てきませんね。

小原 それはかなり公的なことを意識しているのでしょうね。時間がだいぶ迫ってきましたので、中身は1)の原則のところを含めて[を含む]というところを全て除いて、「エホバの証人の信仰を持つ患者に対しては」ということで一貫したいと思います。そしてタイトルは、一般的な表現ですけど[宗教的理由…]ということで、そのままにしたいと思います。そして、文言レベルで今までかなり調整がされてきました。そして、いちばん最初に問題として共有した「15歳以上18歳未満の場合で、本人及び親権者が明確な意思を持っていた場合には、無輸血治療を行う」という部分に関しても、これまでの議論を踏襲して、案としては入れたいと思います。そして当然、治療者側として受け入れられない場合もあると思いますので、ちゃんと留保条件を付けておくということですね。まだ、親権者の問題がありますか。

位田 [親権者2名]って、必ずしも2名いるわけではなく、シングルマザーだと明らかに1人しかいませんし…。

富永 親権者が例えば離婚していなくて両親がいて2人の意見が分かれる時もあるので、あえて病院のスタンスとして、2名とも同意した場合に限定して縮めようかなと思ったので、[2名署名の]と書いたのです。1名しか揃わなくて、もう1人の親が「やってください」と言ったら、病院としてはもう1人の親を優先しようかなというニュアンスで、ここはわざと書いたのです。

 なんやったら「親権者が2人いる場合は」としたら良いのです。

位田 どちらが本当に子供の最大の利益を求めているか分からないわけで…。

富永 そうです。それが法的な親権者と違う場合もあるわけですね。

位田 両方とも親権を持っているけど、月1回しか会えないお父さんといる時に交通事故に遭ったとしたら、そっちの意思を優先するのかとか、お母さんになかなか連絡がつかないというケースもあり得るわけで…。

富永 2名いたら、2名に限定することで、できるだけ輸血に流そうというニュアンスなんですよ。

位田 それは分かります。「2名いたら…」ということをどこかに書いて…、それはもう相談して決めてもらわないといけないでしょう。

小原 P8のそこは文言を改めてもらうことにしまして…。

富永 「2名いる場合には…」という感じですね。

小原 そのへんの文言は調整するにしても、ここの項目は生かしたいと思うのですけど、よろしいですか。であれば、今日に出ました細かい文言の修整を含めまして…、

勝村 P14の「準じる」の表現なんですけど、[対応しても良いが]だったら、「しなくても良い」ということだから、「対応すべきだが」というか、「エホバの証人信者以外の無輸血の希望」…。

位田 そうすると「このガイドラインを参照しつつ、より慎重な手順を踏んで判断を下さなければならない」。

小原 そちらの方がスッキリしますね。それでは、大きなところではだいぶ整理ができたと思いますので、今日の議論を取りあえず文言としてまとめていただければ、恐らく皆さんの同意を得られるものが完成するのではないかなと思います。それで今後の進め方なんですが、今日の議論を反映したものを富永先生に再作成していただいて、メールによる回覧で確認として良いか、あるいはもう一度きちんと場を設けて最終確認した方が良いか、どうしましょう。多分、大きく議論しないといけない点というのは今日に出尽くしたように思うのですけど。

 メールで良いと思うのですけど。細かい文章表現とかそういうのは他にもあるのですよ。例えば[意思]の[思]が色々あるとか、P11の5)はページ分けしないと見にくいとかあるのですけど。

小原 そういう文言レベルは、一旦できたものが来たら、原さんが責任を持って…(笑い)。

富永 誤字脱字の修整といった作業がいちばん苦手ですから、まず原さんに送りますので、お願いします。

小原 ですから、表現上のものが何かあれば、メールで微調整できる範囲まで、今日は議論できたと思いますので、メールの回覧で特に異論が出なくなった時点で、そのバージョンを最終案として確定したいと思います。ですから、確定した段階でそれをホームページに挙げるということでよろしいか。

位田 すみません、もう1点。右の各ページに付いている図ですが、これは分かりやすいでしょうか。

小原 むしろない方が良いということですか。

位田 いや、フローチャートはあった方が良いと思うのですけど、これは矢印があっちこっちに飛んでいたりして、分かりやすいかなぁという気がしたので…。一家さんのように「フローチャートよりチェックリストの方が良いのではないか」という意見もあるので、取りあえず文言を確定して、それからどういう図にするか…、

 チャートは本来、一つのチャートで済むものがいちばん良いのですけどね。

富永 きれいに形を作っていただきたいと思いつつ、それを私一人で悩む元気がなかったので、取りあえず何かやってみようと思って、出てきたものなんです。

位田 このチャートの問題は、全ての条件を書き込んでいるからややこしく、フローチャートはYES・NOで行くしかないので、その時に条件を書き始めるとややこしくなる。で、「YESとNOのどっちかな」という時は「ガイドラインを見ましょう」ということにすれば良いわけで、そうしないとフローチャートにならないと思います。

小原 そうですね、分かりました。どうしましょうかね。

位田 取りあえず本文は確定して、「それで具体的にどういう流れなのか」というのは、また…、

小原 フローチャートは、分かりやすさを増すための付随的なものですからね。まず、文言をきちんと確定して、その段階で倫理委員会の正式案としてホームページにアップするということでよろしいですか。で、世に問いながら、病院の現場でもそれを受け止めながら、また必要なら修整していくという方が望ましいですので、そろそろ出していきたいと思います。で、それに従ってフローチャートもまた考えていくということにしたいと思います。この件は覚えている方がいないぐらい長く掛かりましたが…、2010年からですか。では、2年ぐらい掛かりまして、今日の成案を得られたのではないかなと思います。では、今のようなプロセスでもう一度皆さんの方へ回覧しますので、お目通しいただきまして、特に表現レベルでのご意見があれば出してください。そして、皆さんのご了解が得られた段階でアップするということに致します。ありがとうございました。
それでは一旦区切りまして、次の議事はそれほど掛からないと思いますが、[重篤な有害事象発生時の本院対応手順]です。これは過去2回にわたって扱い、前回にかなり議論を詰めたのですけども、その後、位田先生からもご意見をいただきまして、メールでやり取りするのには少し複雑であったので、もう一度、時間を取って、ご確認いただきたいと思いました。事前資料Bは位田先生の案を反映したものですので、説明していただけますか。

議事(3) 「重篤な有害事象発生時の本院対応手順(案)」

位田 「こういうふうにしたらどうか」というコメントが、それぞれの右横にプリントアウトされています。
まず[1.有害事象の定義]では、当初は「臨床研究の期間中に起きた有害事象を有害事象と言うのだ」としていましたけど、「場合によっては臨床研究期間を過ぎてから、有害事象が発症するということもあり得るのではないかな」というのが疑問です。そこは考えなくて良いというのであれば、このままでも良いです。ただ、JCOG版はこの案とは内容が若干相互し、「、あるいは」という言葉がなく、英語の原文を見ててみたらこうなっていましたが、厚労省の通知は原文ではなくこの案のようになっていたので、どちらを取るかということでコメントを付けました。それから[2.有害事象の評価]で、JCOG日本語版ではホームページを引用するように求めていますが、アドレスが書いていないのはどうでしょうかということです。
[3.重篤な有害事象とは]で「顕著な」というのは、明らかなということを意味していると思いますけど、必ずしも重篤なということを意味せず、GCPでは「重大な」という言葉が入っているので、こちらに替えてはどうでしょうかということですね。
[4.有害事象への対応]のa.で、[研究者たる医師または治療担当医師]としたのは、最初は「治療担当医師」という案でしたが、治療担当医師が研究に参加していないケースもあると思って、そう書きました。c.の元の案では「有害事象に対して」とありましたが、臨床研究指針では「不具合等」というのも入っているので、それを入れた方が良いのではないでしょうか。さらに臨床研究指針では病院長への通知を求めているので、「病院長に対して通知する」という文言を入れた方が良いのではないかということです。
[5.病院長の責務]については、病院長が通知を受けた場合にはどうするかということになると思うので、最初の下線部分の[研究責任医師から…通知された場合]ということを入れて、明確にしてみました。その下の[重篤な有害事象及び不具合について]というのは、先ほどの4.のc.の言葉をそのまま持ってきています。原案は「当該有害事象」と書かれていましたが、有害事象と重篤な有害事象には程度の差がありますので、より明らかにしました。その下の[共同研究の場合には、当該有害事象及び不具合等について、共同研究機関への周知を行わなければならない]としたのは、臨床研究指針でそれを求めているので、それを書いてはどうかという意見です。それから[侵襲性を有する介入研究に関連して]という書き方にした方が、より明確ではないかということと、「対応の状況と結果を公表しろ」というのが臨床研究指針の求めるところですので、それを書いたということです。
気になったことを全部コメントに書き込んでおきましたので、ご検討いただければと思います。

小原 ありがとうございました。富田先生、今の文言修整などに関して、基本的にはこれでよろしいですか。

富田 はい。ただ、一つだけですが、最初の[有害事象の定義]のところで[臨床研究(治験を含む)]と書いていただきましたが、基本的には治験は医師法でやるし、趣旨としては合っていますが、治験はこれまで整理して分けてきましたから、取りあえずここでは[治験…]を消していただいた方がスッキリして、治験をやる時にはこれを参考にしながらというふうにさせていただけたらと思います。

位田 それだったら、それでも構わないと思いますけど、厚労省のGCPは治験が中心なので、臨床研究と言う時に治験も入るのかなと思ったので、入れてみました。

小原 それでは、[治験…]を除くということですね。

位田 そうすると「(治験を除く)」と書いた方がハッキリするかなという気もするのですけど、どうですか。

富田 論理的にはそれが正しいのですが、治験を動かす時は治験でまとめてやろうかと思うので、クロスするところがないようにしていただいた方がやりやすいかなという気がして…。

位田 では、これについては[(治験を含む)]を除いた形で、[臨床研究]だけで良いと思います。

小原 その後の[期間中に起きた]というところで、期間後のことは考えなくて良いですか。

吉中 望ましいことだと思うのですけど、期間後ということになりますと、「いつまで?」ということと、「誰が自信を持ってそれをフォローするの?」という問題がありますよね。

位田 そういう意味で一応、「臨床研究の結果として期間後に起きた」という限定をしたのですけど、いつまでというのはなかなか書けないので…。

富田 病院内のスタッフは特にかけ出しなので、この文書が教育的に生きてくるのが良いかなと、個人的に思っているので、「やっている間だけでなく、その後も影響があり得るのかな」ということを頭においてもらうということは良いことだと思いますし、別に「何ヵ月か?」という問題でもないので、それで良いと思います。

位田 臨床研究の内容にもよるでしょうし、臨床研究に関係のない有害事象は問題ないのですけど、必ず臨床研究中に有害事象が起こって、「期間が1日でも過ぎていたら関係ありませんよ」とは言いにくいと思います。

小原 文言として修整するとすれば、「期間中及び期間後」みたいな感じで…?

位田 コメントに書いていますが、「期間中及び臨床研究の結果として期間後に起きた」と繋がるのですね。

小原 それをそこに入れたらどうかということですね。富田先生、よろしいですか。

富田 えぇ、それで…。

小原 では、この文言を入れるということで、他の点はよろしいですね。じゃぁ、[治験を含む]というところは省き、コメントにある括弧の中の文言を加えるという形で、これを最終案としてお認めいただけますか。よろしいですか。はい、ありがとうございました。
では、この議事はこれで済みましたので、[(4)その他]というところで、[臨床研究迅速審査結果報告]を富田先生、よろしくお願いします。

議事(4)「その他(臨床研究迅速審査結果報告、治験審査委員会報告)」

富田 当日資料のP5に、No.31、No.34の2課題が載っていますが、いずれも迅速で、原委員と東委員、勝村委員と神田委員にお願いして、いずれも「OK」というお返事をいただき、動き出しているということです。

小原 続いて[治験審査委員会報告]もお願いします。

富田 治験の方は事前資料Dですが、FTY720(ジレニア)は齋田先生が実質的な責任者をされている多発性硬化症の治験薬ですけども、これが正式に市販されて治験は終了したということをご報告しています。かなり効果の方が良いということで、患者さんにとっては福音になっているのかなと思います。ちょっと高価ということがありますけど、難病指定だから患者さんの負担はないですね。
もう1つ、BG00002の治験が進んでいますけど、これももうじき終わりを迎えます。ただ、2年以上使うと、JCウィルスによる致死的な副作用のリスクが高くなるということがハッキリしてきました。ですから、2年を超えた患者さんをどうするかというのが、これからの問題になるそうです。元々の多発性硬化症がかなりシビアでミゼラブルな病気ですので、それとどっちがどうという問題はありますけど、約1000人に1人の発症ということが明らかになっています。

小原 はい、今のご報告に対してご意見、ご質問はありますか。

吉中 今のFT720(ジレニア)は1カプセル八千幾らですけど、薬価の決め方が2種類あるのですね。

小原 はい、ありがとうございました。ではよろしいですか。他の議題は特にないですね。今日に予定された議題は全て終わりましたので、次回日程の調整をよろしくお願いします。

内田 定例は第2週の木曜日になっていますので、9月13日になりますが…。

小原 9月13日でご都合の悪い方はおられますか。それでは9月13日でお願いします。

吉中 老年学会等から、胃瘻(いろう)なんかの高齢者医療に関わる考え方が整備され、出されるようになってきていますので、私としては、そのあたりも今後に扱っていただきたいという希望があります。直ぐにはまだ具体的に出せませんけど。

小原 それはガイドライン作りみたいな作業ですか。

吉中 老年学会のガイドラインは出ていないのですけども、胃瘻の増設や治療の差し控えに関するものなどが出始めていて、それをどう考えようかというところです。

小原 議論の資料になるものもだいぶ出ていますよね。老年学会や厚労省のチームも出していますし、そういう意味では時期ですね。これは非常に社会的な要請のあるものですし、病院にとっても切実なものですから、胃瘻の増設を巡るガイドラインはどうですか、皆さん、これを考えて…、

吉中 それから、「もう透析はしないでおこう」とか「レスピレーターをやめておこう」というような、治療の差し控えとかということもあるのですね。

小原 ただ、胃瘻の問題だけどもなかなか大変ですから、全部を一緒くたにやると辛どいですよね。

吉中 どれだけを進めるかはまたあれですけど、先っき「患者さんの意に反したかも知れない治療だったので、ケアを行う」というふうに取り入れていただいたのは、実は老年学会のステートメントを見ていて「これは今までなかったな」と思ったからで、そういうのも真面目に議論されているのだと思うのです。

小原 かなり必要な議論だと思いますが、より包括的にした方が良いのか、別々に取りあげた方が良いのか…。

富永 まず、どういうものが話題になっていて、どういうものが出ているかを勉強させてもらうところからのスタートだと思います。

 やっぱり包括的にいっぺん見た方が良いとは思いますね。

富永 そして、それをウチに適用する時に、今回のエホバのように「どういうものを作るか」という議論から始めるのですね。

小原 包括的というのは、治療の差し控えみたいなことでの包括的な論議ですか。

吉中 老年学会の理事会決定で、ガイドラインの前の「基本的な意見表明」みたいなものが出ています。で、それを基にガイドラインを作るという話まではフォローしているのですけど、できてはいないと思うのですね。ただそれに触発されて、胃瘻だとかいう話がいっぱい出ているという感じなんです。

勝村 透析のし始め向けのガイドラインってあるのですか。

吉中 今は医学的な適用基準というのはありますけど、倫理的に検討したものはない。

勝村 差し控えというのは、一旦やったらずっとやらなければいけないことのスタート時点の話。

位田 私が関わっている比較法研究センターというのがあるのですけど、そこでこの間にシンポジウムをやりまして、原さんに出ていただいて質問までしていただいたのですけど、老年学会のステートメントと既に厚労省とあと3つぐらいのガイドラインが出ていますが、必ずしも細かなガイドラインではないので、なかなか終末期医療の意思決定を現場で上手くやるというのは難しく、老年学会のこの間のステートメントは「みんなで議論して考えていきましょう」という話なので、それを各病院が受けて対応をどうするかというのは、それぞれの病院で考える必要があると思うのですね。

小原 それでは一応、出ているものを土台にして、ここでも議論はできるということですね。

 ガイドラインを作ると言ったら、仮に胃瘻に絞ったところで大変だとは思うのですけど、いろんな差し控えの話は共通する問題が多いので、全体を見渡してから、どうするかを考えた方が良いと思うのですけど。

位田 胃瘻だけを取りあげると、逆に難しい面もありますので、終末期医療をどこでどういうふうに決定していくのかというのを全体として考えないと…。

吉中 誰がやるか…?

小原 取りあえず資料を用意していただけますか。最初は勉強会ぽくなるかも知れませんけど、位田先生もおられますのでレクチャーしてもらいながらスタートして…。終末期に関してはここでもDNRのガイドラインを作っていますので、だいぶ議論はしていますね。

富永 中務先生が「セデーションの同意書を現場で使っていて、それに対してコメントしたい」と言っていましたが、そういう議論もあるので、今回のエホバの前段階として、現場のフィードバックがあるみたいなので…、

勝村 セデーションのガイドラインもだいぶ経って、「どうですか」というのは知りたかったですね。

富永 ターミナルケアもちゃんとできて、ホスピス病棟もできた上でのコメントを多分、出してくださるので、まずはそれが先決なのかも知れない。

小原 それと今からやろうとしていることは合いますので、一緒に出していただいて良いと思います。

勝村 以前の終末期医療の議論を思い出せるような…。

 「事務局で用意」というよりは、例えば院内と院外で複数の人が準備するみたいな形を決めておいた方が良いような気がします。

小原 もちろんそれは良いと思います。ただ、摺り合わせをしながら、重複しないようにした方が良いと思います。原さんがやりますか。

 えっ? やってもいいけど、結構、持っていませんか。位田先生は持っていますね。別に3~4人ぐらいでも構わないですが、「事務局で」と言っても、判断の問題もあるでしょうし、「皆で」と言ったら大変ですし…。

小原 ではこうしましょう。原さんがある程度は主導して、「これが重要な資料である」ということを事務局側に指示していただいて、それを事務局の側で準備していただくということで…。

 誰かパートナーが欲しい。

勝村 原さんは医療問題の百科事典の本を出しているからね。

 いや、全然違う話で、小児科学会の倫理委員をやっていまして、小児科学会では子供のターミナル時の意思決定のガイドラインをまとめています。小児科学会のはチェックシート方式を取り入れていて、単純なガイドラインではないのです。本人の意思を変に左右するような影響がないかとか、虐待とかそういう問題も出てきたりするので…。

小原 原さん、では大きく議論ができるような基礎資料をご指示いただいて、次回に少し問題提起のお話をしていただければいいと思いますので、よろしくお願いいたします。特に他はございませんか。では、本日の倫理委員会はこれで終了いたします。どうもありがとうございました。

 

(入力者注)
※ 文章は全体を通して、話し言葉を書き言葉に改めたり、意味の通じにくい言葉を言い換えたり、同じ発言の繰り返しを省くなどの推敲を行い、かなり要約した形になっていますが、発言者の意図を正確に伝えることを最優先にしています。