倫理委員会

Home > 倫理委員会・臨床研究 > 倫理委員会 > 議事録・議事要旨 > 第五十四回 倫理委員会 議事録

第五十四回 倫理委員会 議事録

倫理委員会

京都民医連中央病院

日時 2013年7月4日(木) 18:30~21:00
場所 京都民医連中央病院西館1階第一・二会議室
出席者

外部委員 小原克博委員長、原昌平副委員長、位田隆一委員、一家綱邦委員、勝村久司委員、関谷直人委員、富田豊委員、広瀬東栄子委員

内部委員 川島市郎副委員長、内田寛委員、東正一郎委員、平田恵美委員

事務局 根石明彦、丸山俊太郎

オブザーバー 坂田薫、寺前八重

傍聴者:村上純一

欠席 岩橋多恵委員、井上賀元委員、上林孝豊委員、富永愛委員、中村光佐子(特別委員)

議事

小原 これから来られる方もおられると思うのですが、定刻になりましたので、第54回倫理委員会を開かせていただきます。事前資料では本日の議事に事例検討が入っていましたが、事例検討は回ってきませんでしたので、これは無しということで、当日配付資料の議事に従って進めていきます。それでは早速、議事(1)の[外部委員・内部委員の変更]について、ご説明をお願いいたします。

 

議事(1) 「外部委員・内部委員の変更について」

内田 前回の倫理委員会で「次回に内部委員から副委員長の選出を提案させていただきます」と申しましたが、院内で検討しまして、外科科長の川島市郎にお願いすることになりました。本人も後で来られると思いますが、承認をよろしくお願いします。

小原 内部委員の副委員長の変更ということで、ご了承をお願いいたします。

 

議事(2) 「宗教的理由による輸血拒否に関するガイドライン」について

小原 では、議事(2)の[「宗教的理由による輸血拒否に関するガイドライン」について]ですが、既にメールで回覧し、原委員・位田委員からいただいたコメントを反映したものがお手元にあります。これはほぼ最終案に近いものと思いますが、これを改めてご覧いただき、過不足がないか、これで良いかどうかという、最終確認をこの場でできればと思います。暫く時間を取りますので、変更点を中心に目を通し、後ほどにご意見を伺いたいと思います。位田先生、これについて何かコメントはございますか。

位田 特にはありません。ただ、法律家の見方でちょっと手を加えただけで、趣旨としては全く一緒です。

小原 それから、原さんがご指摘された幾つかの点がありましたが、いずれもここで議論して最終的に「その方針で行こう」という内容に添ったものです。位田先生のご指摘があったように、病院側には一定の覚悟が要りますが、この点についてもよろしいでしょうか。特に内部委員の先生方、ご確認いただければと思います。「本人の意思を最大限に尊重する」という大原則に従って、今回のガイドラインは作成されています。何かご意見がありましたら、自由にご発言下さい。これは足かけどれくらいかかりましたかね。思い出せないぐらいに時間がかかっていますけども、いよいよ本日で最終版にしたいと思います。
もし、特別にご意見がなければ、これを最終版にしたいのですけども、よろしいでしょうか。では、これを最終版とさせていただきます。これまで色々とご協力をありがとうございました。ということで、これを倫理委員会のページにアップするということで、よろしいですか。はい。これは、この病院にとっても一つの財産になりますし、また、社会に対する病院の意思表示にもなりますので、なるべく速やかに公開していただけるように、よろしくお願いいたします。現時点ではこれで良いと思うのですが、今後、このガイドラインで上手くいいかないような事例があれば、その都度、また検討していくということで、柔軟に対応していきたいと思います。

 

議事(3) 「終末期医療について」

小原 それでは次は(3)の議事の[終末期医療について]ですが、当日資料になります。最初に、原さんが以前に書いて下さったものがありまして、その次のP4に事例が載っていますが、これは事例検討ではないのですけども、今回のテーマに関わっていますので、少しお話をいただきまして、こうした現状を踏まえ、病院として「どういう終末期医療に関する対応を、今後にしていったら良いのか」ということを、後ほどまた原さんにポイントを指摘していただきながら、議論したいと思います。ただ、以前に1回、少し話したぐらいで、どういうふうなことを目指すかということも、まだ合意形成もされていませんので、「果たしてガイドラインを作るのか」とか、そういったところから今日は議論を始めて、一定の方向だけを確認した上で、次回につないでいきたいというふうに思っています。それでは、P4の事例についてのご説明をいただけますか。

坂田 前回の倫理委員会の最後の方で、「倫理的問題が病棟で起こった時に、コンサルテーション機能があったら良いな」ということで、「そういった事例があれば紹介を」ということでしたが、そういった事例を経験したということです。

(事例紹介)

小原 はい、ありがとうございました。今、具体的な事例をご紹介いただきましたが、これは事例検討というわけではなく、次に続く終末期医療を議論する上でのポイントを掴むための材料として考えていきたいと思います。そこで10分ぐらいに区切って、このことについて検討して、本題に進みたいと思いますので、まず、今のご報告に対しての質問等がありましたら、自由にご発言をいただきたいと思います。

一家 事実確認ですが、ご本人の希望というのは…?

坂田 今はちょっと難しいですね。例えば、私がごあいさつに行っても多分、私が師長だとか看護師だとかという認識は持たれていなくて、会話としても、「娘を呼んでくれ」とか「足を下ろさせてくれ」といった要求はされるのですけど、こちらからの問いかけに応えるということは難しいかなと思います。

位田 「発語はあるが会話は成立しない」といっても、例えば「足を下ろさせてくれ」ということは、ちゃんとおっしゃっているわけですか。

坂田 そういうことはハッキリと言いますね。ただ、一言二言の会話で終わり、それ以上の長いやり取りやキャッチボールは難しく、一方通行の感じですね。

位田 こちらからの意思疎通というのはできないということですね。

一家 胃瘻を着けた時の判断は、どなたの判断ですか。

坂田 これは、実はご長女の判断で着けたのですが、その時は、いったん胃瘻からしっかり栄養を入れたら、経口摂取も安定するということを見込んで、胃瘻が必要だということを判断していただいたようです。ただ、やっぱり経口摂取のみということは難しいということで、今のような流れになっています。

 身体的には「左麻痺」と書いていますけど、どういう状態ですか。

坂田 全介助です。介助としては、ご自分で動くのは難しいので、全てお世話が必要です。おむつの交換から、食事も自力摂取は難しいので介助が必要です。

 車イスに乗ったりというのはあり得るのですか。

坂田 車イスは全介助で乗ります。ご自分で動くというのは難しいです。

小原 帰ってからの心配があったのですけども、ホームドクターがちゃんと、例えば栄養補給や投薬のチェックはできないのですか。

坂田 できると思います。お家に帰ってから、例えば、お薬を飲ませていないとか、注入をやめているということを隠してしまったらということも、あるかと思うのですけど、まず体重が減ってくれば、注入をしていないのではないかとか、今は落ち着いている精神状況も、活発化してきて夜は寝ないとかいうことに現れてくれば、薬を入れていないのではないかというように、科学的に見て分かると思います。

関谷 それで、ネグレクトの疑いがあった場合、次にどういうステップがあるのですか。

坂田 今は、ネグレクトがあった場合には、社会保険事務所だったか、地域包括とかに一緒に入ってもらって、問題を解決していくということになるかと思います。

関谷 その言い方だと、介入はあまり多くある例ではないのですか。

坂田 一応、問題にはなるのですよね。ご家族はそうだと思っていなくても、周りから見たらネグレクトではないかという疑いがあった時には…、行政区がどこかは忘れてしまったのですけども、京都市の何かの部署に申し出て、地域包括から調査に入って、場合によっては、ご家族と話すということもあります。

 論理的な意思疎通が難しいということだと思うのですけども、快・不快というのは分かりますか。

坂田 分かられると思います。

 不快は分かるでしょうが、快というのはどういう場面で分かりますか。

坂田 快はちょっと分かりにくいかも知れません。ただ、叫んだりとか、大声を出したりということは、認知症進行抑制薬を使ってからは少し落ち着かれましたので、見た目には穏やかに過ごされているかなと思います。

位田 感情の表現、例えば表情が嬉しかったらニコッとするとか、嫌だったらしかめっ面をするとか、そういうことで決められませんか。

坂田 嫌なことは、ハッキリと「嫌だ」と言うこともあります。

関谷 日々の暮らしを見て、QOLを測るような何らかのスケールはないのですか。漠としたものなんですか。学会なんかで時々、対応がどの程度できるとか、なんかで数値化しているところがあるのですよ。その人とが幸せかどうかを測ることは、なかなか難しいことですが…。

 ハッピースコア…、ピーススコアというのがあるでしょ。その人がある表情を見せるとかで、ポイント化して、ハッピーかどうか…。

坂田 多角的に測るものですね。

小原 認知症進行抑制薬は、「ご本人の抑鬱や不安を取り除く目的で使用し」ということなんですけど、これは、取り除く作用と認知症の進行を止めるという、両方の作用があるということなんですか。

坂田 どの程度止められるのかは、私は文献を見ていないので分からないのですけども、薬の中身としては、認知症進行抑制する薬のカテゴリーで、こちらの見た目では、認知症の進行が遅れるというよりは、情緒的に安定しているような状況が見られます。

位田 この薬はどこに効くのですか。脳の組織に効くのですか。

坂田 全く素人なので何ともお答えはできないです。すみません。

 アリゼット?

坂田 アリゼットではないです。

 最近のやつ?

坂田 はい。

 さっきの「どこに効く?」というのは、脳に効くのやな。

那須 結局はコリンの一種だと思うので、原則は一緒で、ほぼ同じようなところに効ききます。

 神経伝達物質を介したものなんですね。

関谷 長男・長女がキーパーソンということですが、コンフリクトはないのですか。一貫してご家族が「こういうことを望んでいない」とおっしゃっているのですか。

坂田 ご長男とご長女の間ではないですね。今はご長女に任せているというふうなことで、ご長女が来られるので、判断はご長女がしているというようです。

 法律科の先生もおられるので、質問ですけど、ご家族は母親のためと思ってやっているというように、「ご家族の意図はネグレクトでなくても、ネグレクトだ」という判断は、どういう形で誰がするのですか。薬や食事を与えないという同じ行為でも、悪意を持ってやっているのか、「この人は余計なことをしないで逝かせてあげよう」という意図を持ってやっているのでは、差があるわけですね。でも、その結果の行為が同じだったら、同じようにネグレクトと言って良いのでしょうか。ネグレクトかどうかは、どういうことで判断されるのですか。

一家 公的ルールでその点がどう定義されていたかは、正確には思い出せませんが、「殺してやろう」という意味でなく「死なせてあげよう」という場合でも、ネグレクトと見なされます。

 というのは、行為そのもので「ネグレクトである」という判断をされるのですね。

小原 ただ、それは時代や状況で変わると思うのですよ。つまり、以前のように胃瘻による延命が絶対的であった時代は、ネグレクトになると思うのですけど、今は、胃瘻の中止を選択肢に入れて良いという学会指示も出ていて、胃瘻をやめるというのは、経口かそれもだんだん減っているということですが、そういったオプションもあるということを示されている現状としては、これまでネグレクトとされていたことが、これからはそうではなくて、むしろ、尊厳ある死の一部として社会的に認知されていく可能性があるわけですね。ですから、ネグレクトというのを一面的に定義付けるというのは難しくて、今はその変化の途上にあるのではないかと思います。

位田 委員長がおっしゃったのは、比重をどこに置くかで、今までの基準はここにあったけれども、それが少し動いて、こちら側になるかも知れない。しかし、いずれにしてもその基準に合致しなければ、ネグレクトになるということなんですね。それはしかし、介助されるご家族の側の意図云々とは関わらず、結果的に医療がされていない状態になるとネグレクトになるのではないでしょうか。ご家族の方は「お母さんのため」と思ってやってられることが、結果的にはマイナスに働けば、それを止めざるを得ないので、意図とは関係なしに、それが起こってしまうとネグレクトになると考えざるを得ないと思います。ただ、そんなにネグレクトになる判例がたくさんあるわけではないから…。

富田 小児の分野でネグレクトの問題が出てきた何十年か前は、ちょうど虐待の問題が盛んに取り上げられていまして、当時から、虐待の問題はわりと分かりやすいけど、ネグレクトは非常に難しいと、関係者の中でなんとなく掴まれていました。つまり、悪いことをしているということだけでなくて、子供の成長に対して必要なことを十分にやっていないというのが、ネグレクトなんですね。周りの家族の認識と関わってくるので、特にその家族が社会的な関わりが少なくなってくると、家族の中だけの判断で動きますから、ネグレクトをしているという認識自体がなくなってくるのですね。だから、孤立するほどリスクは高くなるという問題を当時、聞きました。

位田 お母さんの年齢が80歳代ということですから、ご長女は50歳代半ばから後半ぐらいですよね。で、元看護師ということで、ご長女が話をされる時に「私は看護師だから」というような感じはあるのですか。

坂田 いえ、そんな感じはないですね。看護師をやっておられた時代は、まだ胃瘻は一般的ではなく、非常に特殊な扱いだった頃だそうで、「私達の時にはそんなものが当たり前という受け止めではなかった」「もうちょっと自然な形が当たり前と思っている」ということはおっしゃられたようです。ただ、話をする中で「自分は看護師だから…」ということを前面に押し出されることはないですね。

位田 胃瘻そのものに若干の違和感を持っておられるという話ですよね。

小原 ただ、胃瘻を着けることの最終判断をされたのはご長女ですよね。それは、担当医師から言われて承諾したのか、積極的にご長女が求められたのか、どちらですか。

坂田 それはちょっと…。ただ、面談で主治医の示した選択肢から選択されたことは間違いないです。で、「将来的にもずっと胃瘻を」というよりは、「胃瘻をすることによって全身状態が安定して、栄養状態が安定すると、食べられる量がもっと増えてくる可能性があるので」というふうなことで始められたのです。確かに、増えたのは増えたのですね。ただ、完全に経口だけにはなり得なかったというふうな状況です。

 そもそも、脳の出血でこの病院に入院されたということですか。

坂田 脳の出血で他の病院に入院されて、回復期リハビリ病棟に転院してこられたのです。

 認知症そのものは、どういう認知症ですか。

坂田 元々は認知症がおありだったわけではなくて、この病気をきっかけに、脳のダメージによって今、見えているのが認知症のような症状ということだと思います。

小原 アルツハイマーとかではないのですね。

関谷 では、不可逆な状態で、もう治らないのですね。進行を抑えるぐらいがせいぜいと…。

坂田 そうです。

関谷 ご長女がそのことすらやめて欲しいというのは、「覚えていると辛いだろうから」ということですか。

坂田 そうです。「認知症の進行を抑えることが、お母さんの辛い時期を長引かせてしまう」と考えられているようです。ただ、この薬が延命につながるわけではありませんので、この薬で意欲がものすごく伸びるかどうかは分からないですけど、ご長女の考えとしては「もっと認知症が進んだ方が、本人はもっと分からなくなるから、その方が幸せなんではないか」ということも言われるのです。

関谷 進めば快・不快の感情もなくなるというのは事実なんですか。

坂田 感じないかとうかは、実は認知症の方に聞けないので正直なところは分からなくて、もしかしたら何か感じているものをずっとお持ちで、外から見えないだけかも知れないので、何とも言えません。

関谷 見ている方は、その方が楽だということですね。

位田 ご本人は「お家へ帰りたい」とか、そういうふうなことはおっしゃらないのですか。

坂田 それはちょっと分からないですね。

一家 ご長女の見解で「ご本人はこれまでボケて人の世話になることを嫌っており、ご本人にとって苦痛な時を過ごしていると考えている」というのは、ご長女個人の判断なのか、ご本人が以前、それに近いことを言っていて、そこから推定したということですか。

坂田 ご本人が「ボケて世話になることを最も嫌っている」ということを、元気な時におっしゃっていたので、「お母さんは今、苦痛な時を過ごしている」とご長女は考えているということです。

 「世話になりたくない」とお母さんが言っていたということだけを根拠にして言っておられるのか、ご長女自身にも「そういう母親を見るのが嫌だ」というような気持ちはないのか、ここの区別はできていますか。お母さんの話は元気な時のことだから、今、どう考えているかということは別問題だと思いますけど。

坂田 そこは聞いていないと思いますが、非常に聞きづらい中身であると思います。

 ネグレクトという言葉で心配されるのは、栄養摂取をどうあるべきかとか、どちらが望ましいかという話ではなくて、例えば「退院して在宅になったら、お母さんを大事にしないのではないか」というふうな気配を、少しは感じるのでしょうか。

坂田 大事にはされると思うのですけども、「栄養注入はやめるのではないか」とか思うので…、

小原 仕方が違うという問題やね。

坂田 たいへん大事にはされている。例えば尿意が時々あって「トイレに行きたい」と言われるのですね。実際は、しっかり出るわけではありませんし、失禁状態なんですが、ご長女は「お母さんにそういう要求があるのだったら、ポータブルトイレに座らせてあげたい」とおっしゃるのですね。それは尤もだと思うのですけど、これから先の在宅での介護量を考えたら、毎回、ご長女が抱えて移動させるということはなかなか難しいだろうなと、ご長女とやり取りして、「じゃぁやめようか」ということになったのですけど、お母さんの望みはできるだけ叶えてあげたいという気持ちをずっと持っておられるということは、そこからでも読み取れると思います。

 病院ではできているということですか。

坂田 2人がかりで移動させないといけないので、車イスにはもちろん移動させますけど、尿意を例えば30分ごとに訴えるたびにポータブルトイレに移動させられるかと言ったら、やってみてもあまり幸せなことではないかなと思うので、それはやめた方が良いだろうということになりました。

 いや、やってみたのですか。

坂田 ご長女と一緒に、一度やってみたのですね。ただ、尿はそんなに出ないですし、30分ごとにするのは辛どいかなということで、やめようかということになりました。

 介護する側が辛どいのか、本人が辛どいのかというのは…。

坂田 ご本人も辛どいと思いますけど、その要求に合わせて動くことは、ご長女にとって介護量が増えるだけなので、介護する側が最も辛どいと思います。

 在宅ではもちろん、要介護度5ぐらいになるのでしょ。で、介護サービス自体は使えるとは思いますけど。

坂田 そうですね、使えますね。

小原 今回、これに結論を出す必要はなく、どういう問題があるかということを具体的に見ていただければ十分かと思います。最後にまとめますと、ご長女に悪意がないということは明らかですね。悪意を持ってネグレクトをされるということはないのでしょうけど、善意を持ってネグレクトするという可能性も当然ありますので、「じゃぁ、そもそもネグレクトとは何なのか」ということは、終末期医療のガイドラインが必要なことの一つの理由にはなるかと思います。
では、今の事例などを頭の片隅に留めながら、この病院としてどういうことを今後、検討していったら良いのかということを、少し議論したいと思います。で、今日は時間をある程度、区切りまして、どういう方向で今後は議論を進めていくかというところまで、審議いただきたいと思います。つまり、終末期医療で今回のような事例が今後も出てくることを考えれば、こういったことに対応できるような一定のガイドラインを作るべきなのかとか、そういうことも含めて議論してみたいと思います。そのたたき台となるものを前回、原さんの方から出していただき、ざっと説明していただきましたが、今日もP2~3に付けていますので、もう一度、記憶をリフレッシュできる程度に、ポイントだけを簡単に説明して下さい。そして、原さん自身のご提案として「病院としてはどういうことを目指すべきか」というのがあればお願いします。

 この文章では、ポイントとして「ケアと心理を重視する」ということを挙げています。従来の各種学会のガイドラインとかいろんなものが出ているのですけども、どちらかと言うと、医学的な医療の在り方、特に「延命処置と言われるものをどうするか」というところを中心にしたものが多くて、終末期の医療の在り方を考えた場合は、それだけじゃなく、看護・介護・その他、ケアと呼ばれるところを中心にした審議が重要ではないかと思うので、そういう方向の考え方をこの病院として打ち出せないかなというのが、基本的な考え方です。
列挙したのは「要点としてこういう考え方はどうだろう」というもので、まずは「人の尊厳が大事なんですよ。尊厳とは人として大切にされることですよ」という点。で、大切にされる中身というのは、「緩和ケア・看護・介護・支援、そういう手立てを尽くす」ということで、「生命維持を絶対視するわけでもなく、生命維持されているだけの状態は尊厳を傷付けると単純に考えることにもならないだろう」と思っています。その時に、「本人の意向や気持ちは大事なんですが、単純にオートノミーという本人の自立がいちばんという形で考えていくのは、特に日本の場合は難しいと思われるので、家族・医療側も含めて考えていかないといけない」ということですし、「ご本人の意向や考え方も、状況や時期によって変化してくるので、そこを踏まえないと、リビングウィルがあるからその通りやれば良いのだという単純な考え方はできないだろう」いうことで、「本人の気持ちとか、どういう医療方針を採るのかということも、ある種のプロセスとして考えていかないといけないだろう」ということですね。
そういう意味では、どちらにしても単純なマニュアルはできないだろうと、私は思っています。だから、悩み方の手がかりみたいなことはできるだろうし、それはある意味では、この病院のオリジナルな考え方の手がかりになり、学会や他ではわりと機械的なものを作ろうとしているところが多いですが、学会関係で言うと、老年医学会のガイドラインは考え方の手がかりみたいなもので、栄養補給のことを中心に出していますけど、あまりマニュアル的ではないですね。あれは割と参考になると思います。
しかし、現状の医療体制・福祉体制・社会体制の下で理想的なことができるとは限らないと思います、むしろ制約されているという状況がかなりあると思うのですが、その中で最善のことをすべきだろうし、そういう社会のありよう、病院のありようをも含めて変えていく方向を目指すことが重要じゃないかなということですが、ここに挙げているのはだいたいそういう話です。
だから、この病院でどういうガイドラインが作れるかと考えていった場合に、マニュアル的なものは難しいだろうと思います。例えば「胃瘻を着ける、着けない」とか「他の栄養補給をやる、やらない」とか「透析をする、しない」とかを、機械的にイエス・ノーを振り分けていくようなマニュアルは難しく、ケースバイケースの部分が大きいと思います。ただ、ここに挙げた提案だけでは役に立たなさ過ぎるかなと思うので、もう少し具体的な、特に生命維持の方で、人工呼吸器や栄養補給や薬剤なんかを念頭に置いた考え方をできる範囲で示すということは、やった方が良いような気がします。そのへんはちょっと議論していただきたいと思います。

小原 ありがとうございます。今、ご指摘がありましたように、マニュアルを作るのは確かに難しいとは思いますが、何かガイドラインのようなものが必要か、また、具体的にどういうものであれば役に立つかということで、議論できればと思います。ここでお聞きしたいのは、病院の側には特に終末期医療に関してどういうニーズがあるかということですね。倫理的に迷いがあるようなこととか、そういうようなニーズを出していただくことによって、対応することを考えることができますし、ニーズのないところで幾ら抽象的な議論をしても意味がありませんので、そのあたりの情報をシェアしながらやっていきたいと思います。
議論の進め方ですが、折角、原さんが1.から10.までを挙げて下さったので、この項目について「ここはどうか」みたいな質問などがあれば、まずそのやり取りをして、その中から論点が幾つか見えてくる可能性もあります。その上で大きな方針を定めていければと思います。資料としてP5以降に「苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン」を付けて下さっていますが、どなたか説明して下さる方はいらっしゃるのですか。これをどういう意味で参照すれば良いということになるのでしょうか。

根石 そもそも2007年度に苦痛緩和のガイドラインが出ていて、それを基にこの倫理委員会でも議論したということでしたが、その後、説明文書の不備などを指摘されたこともあり、新たに出された2010年度版に、たまたま説明文書が出ていますので、説明文書の扱いや、これと従来のガイドラインを比較してはどうかということも含めて、終末期ケアと関わりがあったので資料として出させてもらっただけで、直接、これをたたき台にしてはということではありません。

小原 分かりました。では、直接これを参照にする必要はないのですけど、これから議論する上での一つの柱になる可能性はありますね。ただ、この倫理委員会もターミナルセデーションについての議論をしてきた経緯もありますので、終末期医療の一部としてセデーションの問題もあると理解して良いと思います。
では、まず1.~10.の項目で自由に議論したいと思います。6.に「元気な時の事前指示は、十分な情報提供や納得に基づくものと言えないので、慎重に扱う」と書いていますけども、ここの部分を否定的に扱われると、「事前指示にはどんな意味があるのか」とも考えられてしまいますが、これはどうなんですか。リビングウィル自体の先導性が根本からひっくり返されるような感じもするのですが。

 全面否定する気持ちはないのですが、慎重に扱うということであって、中身にもよります。元気な時に例えば「延命的なものは一切要らない」ということを書いたり発言したりする人は結構いますが、具体的な状況想定が全然できていなかったり、どこまで深く考えたか分からない。自分のことではあるけど、ある種、人ごとみたいな、直面していない中で示されたものは…。

関谷 でも、例えば意識のない人に、「元気な時は延命治療はやめてくれと言っていたけど、今は延命治療したいと思っているはずだ」という判断は難しく、くつがえすことをできるのかなという感じもするのですね。

川島 これは救急を前提にしていないのですね。

 そのあたりの問題、特に救急の場合と、先の事例のような慢性の場合を分けるか、そこも含めて考えないといけないと思います。

川島 救急のガイドラインは、また別にありますね。終末期の救急のガイドラインと、老年期学会とか医師会が出している慢性期の終末期ガイドラインは全く別で、目的も違います。

 救急医学会とかも出していますね。ただ、学会のガイドラインは参考にはなるかも知れませんが、この病院がそれに従うかどうかは、また別のことでしょうし、そこを区分けしたような検討は必要だと思います。今までのガイドラインは、いわゆる癌を中心とした亜急性期を想定したものが多かったし、この病院のセデーションもそうですね。それ以外、救急の場合やもっと長い場合はどうなのかというのは、考える必要があると思います。
先っきのご質問は、全否定するわけではないのですけど、世間に流布されているようなリビングウィル論というのは、あまりに単純過ぎないかという意味合いです。

位田 2つ質問があるのですけど、1つは、病院の側がこの倫理委員会で「どういうのを作って欲しい」と求めているのか知りたいなと思っています。そのレベルに合わせてやっていかないと…。原さんが出して下さったのは「基本的な考え方」で、このままでは実際の現場で使うような内容ではないですから、具体的にケースバイケースでどう考えますかという点は、現場で悩んでいただくしかないということです。「そういう基本的な考え方をここで作ってくれ」とおっしゃるのか、そうではなくて、厚労省や救急医学会のガイドラインのように、「この場合にはこうしましょう」という、ある種のマニュアル的な…、マニュアルという言い方はあまり良くないと思うのですけど、何を基準にして現場で判断もしくは決定をするのかという、基準を決めることが必要なのか。そこがハッキリしないと、ある意味では非常に抽象的なところと、具体的に「こんなこととがあったらどうするんだ」というところの、橋渡しがなかなかできないと思います。
もう1つは、原さんの提案は「救急のケースとかはあまり入っていない」とおっしゃっていたように、終末期になった時に本人の意思がある程度分かるような状況の時の話が中心で、P4で出された具体的な事例では上手く行かなくて、9.に入ってしまいそうですね。先ほど「どのくらい意思疎通ができるのですか」とお聞きしましたが、本人の意思がハッキリしないので、その時には2.~5.のあたりはあまり関係なくなってしまいます。そうすると、原さんが考えておられる終末期というのは、大きな意味での終末期全体のかなりの部分だけれども、比較的に本人の意思がハッキリしている時に、特に「ケアをしている側と医療側と本人の側とで考えていきましょう」みたいな話が中心になっているのです。それ以外の時にどうするかというのが9.で、「具体的な考え方を検討していく必要がある」と書かれているので、「では、どうすればいいのかな」というところがあると思います。
それに関連して重要なのは、先ほどの輸血拒否の時には、本人の意思を尊重するという大原則を立てているわけですね。そうすると、終末期医療についてもその大原則でいくのであれば、事前指示書があれば「それを尊重する」と言わざるを得ない。ところが「元気な時に、尊厳死とかも含めて『私が死ぬ時にはこうして欲しい』と指示したことは、亡くなる間際での本当の意思ではないかも知れない」というところで、またひっくり返るわけですね。輸血拒否のガイドラインを作るかなり始めの時に、「本当にそう思っているかどうかは分からないから、そこをどうするか」というところから議論が始まったわけですよね。この病院の大原則が、輸血拒否の時は本人意思の重視で、終末期医療の時は必ずしもそうではない、というやり方で本当に良いのかという、そこのところの議論がいちばん必要かなと思います。

小原 同じことを私も感じましたので最初に聞いたのですが…。2番目と3番目の原さんへの質問から始めて、その後に病院側のニーズを確認したいのですが、原さん、今のご質問に対してはどうですか。

 例えば今日の事例に挙がっているケースは非常に典型的だと思いますよね。余命は色々あるかも知れませんけど、こういう人は世の中に多くいますよね。こういうのに対応できないとあまり役に立たないと思いますので、私のたたき台のところで言うと、1.~3.といった前の方では、そういうことをある程度イメージしているつもりなんですよ。言語的なコミュニケーションがそんなにできなくても、表情とかそういうものはどうなのか、本人が喜んでいるのか、嫌がっているのか。このケースで言えば、元気な時はそういうことをおっしゃって、今、人の世話になっているというのは多分、分かってはいると思いますが、この状態を本当に嫌がっているのか。僕にはどうも、いろんな介護を受けている状態に本人が惨め感を持っているとは、思えないのですけどね。

位田 だから、現場の人がどう判断するかということで、先ほどの例は、退院させて良いかどうかという話がいちばん大きいですよね。

坂田 今の姿で退院させて良いのかどうか。何かちょっと、例えばご長女の気持ちが変わるような改良をするべきなのか、取りあえず今のままでいったん帰ってもらって様子を見れば良いのか、薬や注入もやめるというリスクがあるのなら、お家に帰すことなく施設へという選択肢もあるし、どうなのかなということと、それをさせてしまうような場面を作ることが分かっていながら、作り出すのはどういうことかとか、色々迷いました。

小原 迷っているということは、何らかのガイドラインが必要だという状況だと思うのですよ。

 今のところはそうだし、この事例で言うと、ご長女の考えそのものが「本当にそうで良いのか」という話し合いもあって良いのじゃないかと思いますし、私のたたき台では方向性を示していませんけども、「人の世話になるのは惨めなことだ」という考え方は、あまり肯定できないですよね。ケアが必要な状態になったら、人の世話になったら良いとは思うのですけど。

小原 本人意思の尊重というのはどうですか。

 エホバの証人の人達の輸血拒否の場合は、ある程度は具体的に想定してる話ではないかと思いますね。病気になった時に輸血を受けるのか受けないのかというのは、エホバの証人の信者になった以上、考えておかないけないという…。

小原 エホバの証人が出す本人意思は熟慮した結果なので、それをそのまま受け止められる価値があるけども、一般の人が健康の時に出す意思表示というのは、熟慮していない可能性があるので、それを真に受けてはいけないということですね。

位田 例えば20代の人が「私が死ぬ時には…」と言う時は、ここで議論する必要はないと思うのですけど、歳を取ってきて…、私なんかは最近ちょっとそういうことを思っているのですけど、「ひょっとして自分が亡くなる時にどうやって死ぬのだろうか」と思った時に、「人の世話にはなりたくない」という方はおられると思いますし、我々は世話になって良いと思いますけど、昔風の人であれば、すごく屈辱的と感じられる部分があるのではないかなと思うので、一概に「熟慮していない」と言うのは難しいのではないかな。

 いや、全否定する気はなくて、熟慮しない場合が結構あるということを言いたいだけです。

富田 エホバの場合で問題になったのは多分、急性の終末期医療に近いと思うのですけど、その時には「何が熟慮されて、本来、本人が考えていたものが何なのか」ということが大前提でしたね。私は今、重い障害の子供や大人がいている診療所にいますので、慢性の終末期に移行される方がいますが、結構、中途障害の方もおられるのですよ。中途障害と言ってもいろんなレベルがあります。例えば脳出血が起こって片麻痺になり、なんとか歩けるとしたら、そこから再出発をしなくてはいけないのですね。元気な時には「人の世話にはなりたくない」と思うのがいちばん自然な気持ちですが、このような状態になると、自分の価値観をリセットせざるを得ないのですね。気持ちも行ったり来たりがあるでしょうから、先ほどのケースも行ったり来たりの途中かも知れませんけど、どこかに落ち着くところがあります。その落ち着くところを、一緒に相談しながら我々はできるだけサポートしてあげる。そして、新しい価値観にリセットします。それで解決かというと、今度はもう片方も脳出血を起こした人がいまして、寝たきりになったのですね。でも、またそこから落ち着くところを見定めるのですが、そこまで来たら世話になるのは当たり前になりますし、周りを見ても、そんなことが普通に行われていることに気が付いてくると、元気な頃の価値観というのは、一部の元気な人にしか通用しない価値観ということに気付いてくるし、2回目のリセットをする人も出てきます。
そういう人を見ていると、ガイドラインといっても結局、何が正しいかという中身まで…、例えばリビングウィルというのは、それはそれで意味があるとは思うのですよ。急性で亡くなる可能性もありますから、その時は十分に役に立つ。ただし、こういうふうに慢性で来た場合は役に立たなくなるかも知れないけど、過去にそれは真実であったし、1回目の覚悟も真実であったし、2回目の価値観も真実だと思うので、変わって良いと思うのです。その時にあまり苦痛なく生きていけるようにサポートするという意味での、ガイドラインが欲しいなという感じがしますけどね。結論として、どっちの方向に行くか、どういうことをして欲しいのかというのは、名々、人それぞれの思いがあると思いますので、我々はそれを縛れないという感じがするのですけど。

小原 確かに、事前の指示書があっても、病気のステージによって変わるという可能性もありますね。

富田 そういうのは元気な時のことだということですけど、その方の考え方、あるいは家族の考え方もその中に反映されますし、新しいリセットをする時にも、非常に手がかりになりますから、無駄ではないですね。

小原 確かにリセットという言い方はよく分かるのですけど、以前に書かれたものが無効になるわけではないと思います。それが残りながら書き換えられていくのだろうと思うので、書かれたものを尊重するというのは、恐らく必要だと思いますけどね。

勝村 原さんが書いたものの5.と6.は、わりと似たことを書いているような気がするのですけど、あえて2本に分けているのに、ニュアンスの違いはあるのですか。

 いや、「あえて2本に分けている」と深く考えていただかなくてよく、10個にした方がキリが良いというだけ…。

関谷 5.は、「今は健康で、自分で表現できる人がこういうふうにして欲しいと言った場合でも、表面的に捉えてその通りに判断して良いのか」と感じ取られて、6.は、急性期か何かで「事前指示書があったけれども…」というふうな感じの、使い分けかなと思ったのですけどね。原さんは恐らく、5.は「本人がやめてくれと言っても、やめない場面もある」ということを想定されているのだと思います。

 いろんなパターンがあって、急性だけでなく慢性でも、意思表示ができないような状態になったらどうしょうかということもあるでしょうし、人の世話になりたくないと言う場合でも、本人の尊厳に関わるという意識で言う場合と、それこそ介護負担とか経済的負担を気にして言う場合もありますし、どこまでが本心かということはありますよね。いろんな要因があります。区分けにはあまり深い意味はないです。

勝村 この後に病院のニーズという話もあるのですけど、7~8年前にセデーションのガイドラインができたけど、あれは今現在、どんな状況で、病院の中でどういうふうに評価されているのですか。

小原 現状について説明できる方はおられますか。

位田 僕がこの委員会に参加して直ぐぐらいの時に、セデーションについて「ガイドラインを作ったにも拘わらず、必ずしもそれに沿った実行がなされていない」という話がありましたね。折角、作ったけど、皆が知っていない。「この時はこうしましょ」と書かれているのに、現場ではそれがあるということも忘れられている、もしくは知っておられない。そして、「ちゃんと知らせるシステムがないので、幾らここでガイドラインを作ったところで役に立たないですよね」という議論をしたことがあると思いますよ。

勝村 作った時には6.みたいな話もあったし、今は2010年版に代わっているけど、その時の学会ガイドラインと違うものにしようということで、家族の同意や病院側とのバランスでは本人の気持ちを重視する方向にしたはずですが、これの総括というか…。

小原 そうですね、どう使われているかは大事ですね。ターミナルセデーションも終末期医療の一部に入ってきますので、これも再度きちんと位置付けた上で、整理していく必要があると思いますね。
位田先生の最初の質問に戻りたいのですが、ニーズのないところで理念だけを示しても、本当に意味がありませんので、終末期医療に関連して病院側が求めるものはどういうところにあるのかということを、ここでシェアしたいのですね。今、幾つか議論をしましたけども、「実際にこういうところは問題だな」とか、「こういうものがあれば便利だ」というような、断片的なアイデアでも良いので出していただきたいと思います。そもそも必要なくて上手く回っているのであれば、考える必要もないですし、そのへんは東先生、どうですか。

 僕自身は終末期患者に関わることはあまりないので、どういうニーズがあるかと言われても、答えられる立場ではないです。先っきの位田先生が言われたことについては、確かにそうです。ターミナルセデーションのガイドラインを作った時には、川島先生を中心にやってもらったのですが、川島先生が病院を替わったりして、申し送りなどのプロセスを経験しないで緩和ケアの担当者が決まっているので、後任者が「最新版のもっと良いものがあるのに、なんで病院独自にややこしいことをやる必要があるのだ」みたいなことが、実際に出たのですね。当初は医局で説明をしたりして、そういう認識が少しはあったと思うのだけど、その内に風化してゆき、緩和ケアを実践する現場ができたのだけども、そこで有効に使われている形跡がないというのが現実ですね。今回、終末期医療について病院側が何を求めているかと問われると、僕個人は、利便的なマニュアルに行く前のプロセスみたいなことがすごく参考になりますから、非常に興味があるのですが、ターミナルの現場で何が求められているかということは、残念ながら答えることはできません。むしろ川島先生の方が適切でしょうね。

川島 ターミナルセデーションのガイドラインは、実は、学会が議論する前にウチが作ってしまったのですが、問題意識があったから僕が中心になって作って、学会に報告したりしていたのですね。後で見返してみたら、中身はそんなに大きな差はなかったのですが、2010年になって、概念的なものからかなり具体的な…、これを見てもらえば分かりますように、フローチャートがあったり、考え方の整理がされたりとか、使う薬が具体的に提示されたりとか、「困った時はこうしろ」ということまで色々、整備されたということです。前は、緩和ケアの専門的なチームが運用するために整備されていたのが、家族に対する説明同意書も例文が提示されるなど、かなり親切に、一般の臨床の場で広く使えるようにということで整備されたのが、2010年版のいちばんの大きな特徴かなと思います。
終末期医療についてどんなものを、倫理委員会で成立してもらえれば良いかというニーズは、具体的にはあまり思い付かないのですけども、恐らく現場でいちばん困っているのは、倫理的な議論が必要な場面が出たとしても、議論する時間がないということで、臨床倫理カンファレンスとか、いろんな手法が提示はされていますけど、結構な時間を取りまして、イベント的に議論をしたりすることはあるのですが、日常的ではないですね。日常的にそんな問題がたくさんあるにも拘わらず、議論する場がないので困っちゃっている。ですから私のニーズは、そういう議論が必要なケースを、医療現場だけでなくて、ここのような場の一定の指針の中で検討していただいて、病院に返してもらえたらということです。

小原 時間が十分になければ、どういうふうに効率的に正しく判断できるかということは、恐らくガイドラインに求められている一つの機能だと思うのですけどね。ただ、もうちょっと具体的なニーズが上がってきた方が、話はしやすいのですが…。病院の中でも場所によってニーズが非常に高いところと、普段はあまり関係のないところと、かなり濃淡があると思うのですが、特に終末期医療に関連して、より切実にこういった問題に日々直面している医師に課題を投げかけてもらうみたいな、そういうことがあった方が良いかなと思うのですが、あるいは、病院全体としてそもそもこういうことが問題にならないと判断した方が良いのか、そのへんはどうですか。

 多分、終末期に関わっている医師とか看護師と、整形外科みたいなところとはかなり違うので、問題意識もずいぶん違うと思いますが、ただ、病院の中でそういうことをキチッと議論ができていないのでお恥ずかしいのですが、看護現場ではどうですか。むしろ医者の方が問題意識を持っていないこともあるので、看護の側から「先生、もっとこうしてくれた方が良いのに」みたいな話が出ることもあるだろうし、看護師の中でもずいぶん違うと思いますが、どうですか。

坂田 NST(栄養サポートチーム)をやっているのですけど、多分、慢性期のターミナルかどうかというところでは、いちばん最初に栄養の面から問題になってくることが多く、食べられなくなるとか、誤嚥性肺炎を繰り返すとか、そういうところから表面化してくるのかなと思うのです。本当にケースバイケースで、先っきの事例のようなこともあれば、例えば胃瘻を造った方が良いのに拒否するだとか、例えば、腎機能が悪くなってBNが上がり、倦怠感が強くてご飯が食べられなくなり、多分、透析をしたら一時的に食べられるようになるだろうけど、透析はずっと必要になってくるいう、80代の後半の認知症のある方で、ご家族がいらっしゃらなくて甥ごさんがキーパーソンということになると、透析を始めた方がその方にとって幸せなのかどうなのかとか、条件は多種多様かなと思うのです。
NSTでは、「ご飯を食べられるようになるには、透析が必要だと思われるのだけど、ずっと透析が必要になってくるので、どういう判断か尋ねてみて下さい」と、そういう方のご家族と面談するなど、問題を投げかける立場がすごく多く、一応、思い付くことは良いも悪いも含めて全部、投げかけるようにはしています。ただ、倫理的課題が孕んでいた場合、現場のところでご家族に投げかけて話し合いをする力量があるのかと言ったら、必ずしも現状はそうじゃないのではないかなと思うのですね。ご家族が「要らない」と言ったらやめるというふうに、介護の力で判断されることの方が圧倒的に多くて、私は本人さんに訊いて欲しいなと思うのだけど、本人には認知症があるから訊いていないとか、可能性も十分に追求し切れていないということも結構多いですね。
そういう意味では、ガイドラインを作るにしても、マニュアル的なものが良いか、ケースバイケースの基本的な考え方を記した方が良いのかと言ったら、正直、両方欲しい気がします。現場のところでは、そんなに倫理的課題を語るほどの力量を持っていないのです。ただ、いろんな人の意見を聞いて、その中でコンセンサスを持つというふうなことに現場は慣れていないと思います。実は、私の希望は、まず基本的な考え方があって、そこに照らし合わせながら、いろんな人の意見を持ってこられる場を作れるような力量を持ちたいと思うので、コンサルテーション機能も一緒に持って欲しいということですね。その中で、いろんな事例にあたりながら、自分達もその力量を付けていきたいと思います。AからBに流れていくようなマニュアルは、確かに時間短縮にはなると思うのですけど、それだけでは足りないような気がします。

一家 先ほどのケースで検討した時に、何か学会のガイドラインを参考したといったことはありましたか。

坂田 多分、していないと思います。

一家 責めるつもりはないのですが、厳しいことをお伺いしますが、なぜ参考にされなかったのですか。

坂田 このことを話し合ったのは、医師間で問題意識がピックアップされた時に、カンファレンスで皆で話し合いましょうというふうなことはなく、医師間で相談があって、「こういう方向で話をしました」と下りてきたので、その時点で老年学会の…、

川島 でも、このケースは終末期ではないですね。

一家 終末期のガイドラインでなくても、参考になるガイドラインはきっとあると思うのですが、そういうものを探して検討しないのであれば、「この委員会で作るガイドラインも参考にされるのですか」という疑問が生じるのです。

坂田 ただ、「これは終末期かどうか」という医学的判断を先生がしていたので、「終末期ではないですね」というふうに確認はしたのですけど、その時に私の頭の中にあったのは、4分割のどれかに当てはめて、医学的適用がターミナルということではないのであれば、ご家族に「こういう方向で行きましょう」と、しっかりと自分達の医学的判断を提示したかどうかが気になったのですが、「それはしました」ということだったので、後は、色々な悩みはあるけどもその中身は網羅できたかなと、自分の中で整理したのですけど。

一家 私は日常的にそういう相談を受けるので、たまには「ガイドラインを作って欲しい」と言われるのですが、基本的には必要ないと思うことが多いです。各科のガイドラインを個別に作ることよりも、ケースバイケースで悩まれたり、様々なケースに対応することを積み重ねていって、「あの時にはああしたので、今回はこうしようかな」という判断ができるようになることが大事だと思います。先ほど、坂田さんが最後に「コンサルテーションが必要だ」とおっしゃったのは、そういう考えかと思うのですけど。

坂田 そうですね、時間がかかるのだけど、コンサルテーション機能があって、自分達が積み重ねていってというふうなこととか、現場のところでの議論なんかが実際には必要かなと思いますね。

小原 一家先生、現場で悩んで経験を積み重ねていくことが、病院の経験値として持続できるわけですか。

一家 いや、そこまでは分かりません。

小原 つまり、経験が一定時期、蓄積されて、非常に良いコンサルテーションができるということもあると思うのですけど、ある時はできても、人が替わればできなくなったとなると、問題だと思うのですね。

一家 ですから、私が携わっている府立医大の倫理委員会では、全てのケースの議論の記録を残し、蓄積しています。コンサルテーションを重視されるといっても、例えば先ほどのケースであれば、これだけのメンバーが集まって議論するというよりは、何名かによるサポートが必要なのかなと思います。

位田 コンサルテーションというのは、現場のお医者さんと看護師さんのチーム内での相談ではなくて、そこで「こうしよう」と思っても、「本当にそれで良い」というもう一押しが必要なわけですよね。お医者さんはもちろん医学的な判断はできますけど、「本当にそれで良いか」というのもあるし、看護師さんは看護する立場から、ある程度「こうやったら良いな」と思っても、「本当にそれで良いか」というのがある。その時に、お墨付きのようなものがあると、具体的にマニュアルで「こうしろ」と言われるよりは、現場のニーズには合っているのかなという気がするのですね。ただし、倫理委員会の全員が集まってコンサルテーションなんてできないので、例えば委員会の2人とか3人とかが、コンサルテーション係みたいな形で開いて…。重要なのは、恐らく「この委員会の委員がこう言った」というのではなく、先生方や看護師さん達が「こうしよう」と思っていることについて相談を受けて、色々相談した結果、「やっぱりこれですよね」と納得されるという、そこのプロセスが必要ではないかなという気がするのです。特に終末期医療なんかの場合には…。
で、先ほどの例も難しいですけど、もう一つ、難しくなると思うのは小児の場合で、小児でも終末期というのはあり得るわけですから、その時にどうするかというのは、ご老人の場合とは判断が全然違うかも知れません。
マニュアルだったら多分「これでいきましょう」という話にはならないので、お医者さんと看護師さんと恐らく家族とで相談されて、「だいたいこういう方向でいきましょう」となったことを、サポートしてもらうという、そこのもう一歩がある方が良いのかな。「基本的な考え方」を作るべきと私も思いますけど、コンサルテーションは、病院の中でそういうシステムを作るか、倫理委員会でサポートするというシステムにした方が、現場のニーズに合うのではないかという気がするのですけどね。

小原 別にガイドラインを作るということに限定しているわけではなくて、どういう形が病院の機能をいちばん有効に支援することができるかということに絡む問題で、コンサルテーション機能の充実ということがより実効性があるのであれば、その方向で考えることもできると思うのですね。もちろん、並行してガイドライン作りを行うこともできますが、いずれにしても大事なのは、病院の側にニーズがあるかどうか、そういうことをすることによって、病院のお医者さんや看護師さんが楽になるかどうかという、その点だと思うのですね。コンサルテーション機能というのに、何か新しく考えていく余地があるかどうかということですけど、どう思われますか。

坂田 私は切実に欲しいと思います。で、そういう蓄積をしないといけないと…。良いのかどうかも分からないことの方が多く、それでも進んでいくのだけど、他にもっと可能性があるのかどうかということも含めて、病棟だけで話し合う、医師だけで話し合う、看護師だけで話し合うことでなく、外からの意見をもらう場というのが要るのではないかな。現場でどういう答えが出るかは分からないけど、最もものすごい答えが出そうな気もしながら投げるので、できたら、NSTから「これは倫理のコンサルテーションを受けてくれ」という提案をしたいと思うぐらいなんです。

平田 倫理的な問題というのは、臨床の場面でも本当にいっぱいあると思うのですよ。でも、そこに気付いているスタッフが少ないのではないかなと思うので、医療側の倫理的な感度を高めていくことが、一方では必要かなと思うのです。今年、全日本民医連の倫理委員の交流会があって、院内の倫理委員会でコンサルテーションの機能を持っておられるところがあったので、話を聞いてきたのですけど、タイムリーに直ぐに対応してもらうということが大事なのと、現場の不満としては、「こうしたら良いよ」というふうな答えを求めて倫理の場に相談したとしても、「これが答え」という言い方は絶対にされないので、役割を明確にして作らないと、折角、作ったけれども、現場との意識が違うと、「言っても仕方がないのかな」みたいになるかなと思います。
ただ、問題意識を持って、「本当にこれで良いのかな」ということを繰り返し、繰り返し、いろんな立場の人の意見を聞きながら、「なんとかこれでやってみようか」というようなところで決めていくというような、そのプロセスが本当に大事かなと思いますし、やはり私達は、医療の側でしか見れなかったりすることも多いので、違う角度から見ていただけるというのがすごく大きく、入っていただけると本当にありがたいと思います。

小原 今のお話を伺って、ニーズがあるというのはすごく分かったのですが、それが動き出した時にどれぐらいの頻度で、そういうコンサルテーションが行われることになりそうですか。「これは外部にも問うて、倫理的なオリエンテーションをした方が良い」と切実に思うような案件は、月に幾つくらいありますか。

位田 恐らく、レベルがものすごく違う可能性があって、終末期医療の先ほどのような話は、ものすごく重たい話だけど、例えば「子供が注射を嫌がっていて、お母さんはぜひやれと言っているけど、注射で副作用が出て困る可能性もあるのでどうしようか」という話もあり得ますし、その時に「ちょっとフォローしてくれる人を頼みたい」という話もあるかも知れないね。重たい話ばかりコンサルテーションを受けるということではないですが、先ほどおっしゃったように、「この問題はどうですか」と投げられて、「この問題はこう考えるのです」という話だと、あまりコンサルテーションにならない。僕が持っているイメージは、「こういう困った事例があるのだけどどうしましょうか」という時に、お医者さんと看護師さんだけで決めてしまうと「本当にそれで良いのかな」というのが残ってしまうと思うので、例えばお医者さんと看護師さんと倫理の人の3人が一緒に現場へ行って相談し、「じゃぁこれで決めましょう」というプロセスがあった方が良いのではないかなと思うのです。そこに他の人の目を入れることによって、三者が納得して物事が決められるのではないかと思うのですね。

平田 終末期医療に特化しないで、倫理問題に関する全般をコンサルトできるところが欲しいなと思います。私は、今は外科に移ったのですが、産科の時もここにだいぶ出させてもらいましたし、最近も終末期医療に関してもすごく悩んだケースがあったので、1~2ヵ月に1回ぐらいはそういう問題に遭遇すると思いますし、他の病棟の師長さんとかも出されたりしていますので、月1ぐらいは出てくる可能性があるかなと思います。

小原 月1ぐらいなら、その気になれば、今の委員で十分に回していける気もしますけど、ここで判断するだけでなくて、病院側として、そういう制度設計ができるかどうかを検討していただく必要があると思います。

坂田 段階があるかも知れません。例えば、まず院内の倫理委員と相談をしてみて、「これは結論が出ないので、外部の先生の話を聞いた方が良いね」というふうなことでも良いのかなと思います。

小原 そうですね。今日に結論を出す必要はないと思うのですが、次回以降の議論に引き継いでいきたいので、コンサルテーション機能を強化・充実させる方向で検討を始めてはどうかいうことなんですね。それで、全国民医連の倫理委員会の集会で、既にコンサルテーションをやっている事例を聞かれたそうですが、そこをもう少し詳しく、上手くいっている部分と、相談する側の期待と受けた側が出した内容とのすれ違いなど、現実的な問題も含めて、できれば次回に報告していただきたいのですが、先行されいるところの事例を聞いた上で、似たようなことがこの病院でできるかどうかを検討すると、もう少し現実へと踏み出せるのではないかなと思います。

坂田 全日本民医連の倫理委員会に入っていますが、私の知っている限り、内部の委員でコンサルテーション機能をしているところが中心で、外部の先生に来てもらうことは難しくて、実現していないのが現実です。

小原 先ほどの例は外部の人も入っているのですか。

平田 大阪の耳原が始められて、耳原の先生が九州に行かれて、そこでもされているというのですが、外部の先生が入っているかは、資料を確認してみないと分かりません。

坂田 外部の先生が入ってやっているという報告はないので、多分、院内だけだと思います。フットワークは軽いですけど、軽さを重視してということで…。

小原 外部の視点を入れて議論しているところは、民医連としても実現していないということですね。

位田 外部でも、全く病院外ということではなくて、先ほどおっしゃったように第一段階では、病院のお医者さんと看護師さんと、院内だけどそれ以外の第三者が入れば、少しは納得しやすいかなと思います。それで上手くいかない時は外の先生を入れても良いかも知れない。民医連とは全く関係ないですけど、元京大で熊本大学の浅井先生が中心になって、半分は研究で倫理コンサルテーションをやっておられるのです。それにはいろんな立場の人が含まれるチームがあって、どういうふうに分けられているのかは分からないのですけど、チームの3名にメールで「こんな事例があって」というのを流して、それぞれの答えが返ってきて、それを相談されてきた方にお渡しするという形です。だから、3通りの答えが返ってきて、最終的に決めるのは現場の方なので、コンサルテーションというのは、必ずしも「こうしなさい」とは言わないわけですね。だけど、「こんな考え方もある。あんな考え方もある」という話が出てきて、それを参考にしてもう一度現場で考えて、決めてもらうというやり方です。ただ、答えがバラバラになってしまって、現場が困るケースもあるのですね。かつ、会うわけではなく、全てメールで返ってくるので、短いのもあるし、長いのもあるし、理論的なものもあれば、医学的なものもある。担当の人によって少しずつ違うので、必ずしも求めている答えではないかも知れない。でも、3人のそれぞれの答えが返ってくることによって、現場とは違う考え方も出てくるので、それをテコにして新たに判断ができるかなと思います。

一家 病院の方に次回会議に向けての宿題が出されたと思いますが、ウチの大学の付属病院のホームページに、倫理委員会の仕組みが出ていまして、3つの分類とその検討に使うためのシートというのがありますので、皆さんのニーズを具体的にイメージする一つの参考にしていただいたらと思います。

小原 今、府立医科大学ではコンサルテーションはどういうふうに回っておられるのですか。

一家 ウチは、倫理委員会をまず2段階に大きく分けています。仮に親委員会・子委員会としますと、親委員会は内部の教授クラスの先生方を集めて、ここが大きな方針を決める。子委員会は実働部隊なので、子委員会の活動の最終責任は親委員会がとるという関係になります。その子委員会の方については、一応ボランティアという形で院内でお引き受けいただいて、メンバーは30人ぐらいいます。また、外部有識者委員が、私も一応、外部に数えるとすると9人います。京都・大阪の法学研究者や生命倫理研究者などですね。そして、全部で40人ぐらいの委員を3つのカテゴリーに入れていまして、ドクター・コメディカル・外部の有識者に分けています。この子委員会が相談対応を行うのですが、比較的に軽い問題、例えば「患者さんが治療方針に同意してくれないが、その治療方針で進めて良いか。患者が同意しないならば、その治療をやらなくても良いか」というぐらいの問題であれば、内部委員中心にプラス私が対応して、2~3名で問題を検討します。重大な問題、仮に人工呼吸器の取り外しだとか、それぐらいの問題の場合は、先ほどの3つの委員カテゴリーから各2名の合計6名と、相談に来た診療科から2~3名来ますので、全部で10名ぐらいになりますが、そこで合議体というのを作って、2~3時間は議論をします。そうやって議論をした結果があれば、手続的正義という法律的・倫理的な観点から正当化されるだろうというシステムになっています。

小原 ということは、そういう案件が上がってきた時に招集されて対応するということですね。

一家 各2人の6人の場合は、即日というのはなかなか難しいのですけど、早ければ3日ぐらいで招集します。

小原 かなり迅速な対応ですね。かなり良くできた仕組みだと思ったのですが、これに対応するようなレベルのものを持っている病院は、国内では多いのですか。それとも、府立医大はかなり特殊な例ですか。

一家 私は病院の倫理委員会を研究してきましたので、先行例を調べたのですけども、参考になるものは北里大学と、最近は宮崎大学も板井先生が工夫されているというのは聞きます。法律学を専門とする人間がモデルを作ったので、システムとしては今お話ししたように、うちの委員会は見栄えが良くはなっていると思います。

小原 ということは、そのレベルで先行している病院というのが多いとは言えないのですね。

一家 …と思いますね。ただ、各施設が特殊な取り組み、例えば東大であれば倫理委員会ではなくて、専門の倫理コンサルテーションをするドクターが1人いらっしゃるとか、東京吉祥寺の野村病院では倫理委員会が月1回程度は必ず事例検討会を開くとか、いろんなやり方があると思うのです。たまたまウチは私に頼んで、私がそういうことを研究してモデルを考えていたので、こういうのはどうですかという提案をしました。

川島 それは医療安全上のことで進まれるのですか。

一家 いや、医療安全委員会はまた別にあるのですね。で、研究倫理審査委員会もまた別にあって、本当に今日のような事例を扱うための倫理委員会です。

川島 職員の医療倫理観を底上げするためにあって、それを現場に返しているのですか。

一家 はい。2年ぐらいの準備期間と内部グループの活動の後に、正式に病院組織として創設されたのが去年なので、なかなか教育まで手を広げられていないのですが、委員会内でまず勉強し、検討会を少しずつやっているところです。

 意見を3点ほど。1つは、ガイドライン的なものの検討では、基本的には高齢者の慢性期を想定した方が良いのではないかという気がします。救急とか、子供とか、考え出したらいっぱいありますが、あまり色々引っくるめて考えるのは辛どいので、取りあえず需要が多いという意味で、慢性の高齢者で本人の判断能力があまりないという場合、さらに家族もあやふやだという場合が難しいと思うので、そのへんに焦点を当てて、マニュアルとは言わないにしても、考え方のガイドラインみたいなものができないかと考えてみたいですね。

小原 それは、広い意味での終末期ということで良いのですね。

川島 非癌とか、エイズでないとか、要するに命が限られていない人を対象に考えるということですね。それは本当に整備されていないので…。

 そうですね。脳卒中の後とか、肝臓が悪くなっているとか、いろんなパターンがありますけども、その需要が多そうな気がするというのが1つです。これはまた検討しなくてはいけないでしょうね。
2つめはコンサルタントの話ですが、お話を聞いていると、コンサルタントというのも一つの方法だと思うのですけども、要は現場で倫理的な検討する体制とか、習慣づける訓練とか、そこがあまりできていないのかなと…。できている病院がどれだけあるかはかなり疑問なんですけど、それに外部の人間が行くというのは一つの手法なんですが、基本は、考えるなり悩むなりする、あるいは検討する力量を、現場で上げていかないといけないのだろうなと…。だから、外部コンサルタントが入って検討するというやり方をする場合も、スタッフの方の力量を上げるとか、やり方のトレーニングをするという位置付けをしないといけないと思います。今、そういう議論をする場合、コアになるのはナースですか。

坂田 …だと思います。もちろん医師からもあると思うのですけども…、

川島 いや、問題意識を持っていたり、矛盾を抱えていたりするのはナースだと思う。

 ナースでも、栄養士でも、どこから発案しても良いとは思うのですけど、例えば倫理検討会を招集しましょうというのは誰が言うのかというあたりについて、ある程度の位置付けをするとか、体制作り、やり方作りみたいなものが要ると思います。
3つめもコンサルタントの話ですけど、一家さんがおっしゃったような倫理委員会の小委員会みたいな形式で、手順を踏んでできれば理想的だと思うのですけど、多分、それを検討していると少し時間がかかるような気がするので、可能なら、コンサルタント的な動きを実際にやってみたら良いような気がします。メールや電話でも良いのですけど、参考意見として聞いてみるということを、やってはいかんということは今でもないですし…、

一家 「我々に参考意見をメールや電話で聞いてみる」ということですか。

 そうです。研究の審査はメールでもやっているではないですか。

位田 それは必ず「この人がやる」と各回で決めておかないと、「誰か他の人がやってくれるだろう」みたいなことで、皆が返事を返さない怖れがあります。

 やってみないと分からないと思うのですけど。メールでやれる場合もあるでしょうし、現場の検討とかに入るだけでなく、家族を含めた話し合いに入ってみるとか、そういう方が倫理委員の方も様子が分かるだろうし、力量を上げるという意味では、単に参考意見だけでなく、入った方が良いかも知れないですね。それは、キチッとした位置付けをしないでもできるような気がするのですが、メンバーの職種にもよるかも知れません。例えば私はわりと時間的に融通が利くので、今日に言われて今日というのは困りますけど、「来週のどこかで都合はつきませんか」みたいな話だったら、できるような気がします。だから、試行的にやったら良いような気がします。

小原 はい。色々ご意見をいただきありがとうございました。細部についての議論とか、当然、病院側がそういうことを仕組みとして実施できるかということは、検討も要りますので、今日は特に決めずに、そういうニーズがかなりあるということを確認できただけでも、大きな収穫であったと思います。次回は、まず周辺の状況をある程度調べることが1つの課題ですね。ですから、民医連関係の病院でも良いですし、北里病院とか宮崎大とか、先行しているようなものが具体的にあれば、そういうものでも結構ですので、何か参考にできるようなものを幾つか挙げていただければと思います。そして、もし病院の側でコンサルタント機能を充実させようとなった場合に、現状の運営の中で実現可能かどうかということのご検討をいただいて、ご提示いただきたいのですね。ここの中だけで「大事だからやろう」と言っても、病院側の受け皿がなければ進みませんので、そういう情報を共有しながら、一歩ずつ進めていければと思います。
ですから、まず1つは、コンサルタント機能の充実がどのような形で可能かどうかという検討を、次回から始めたいということ。もう1つは、ガイドライン作りです。先ほど原さんが言われましたように、網羅的ではなくある程度対象を限定したような形で、何かガイドラインがあった方が良いだろうということですが、今日に説明いただいた「終末期医療の基本的な考え方」においても、ある程度の方針は示されていましたけど、やはり具体的なニーズが示される中で初めて議論もできますし、ガイドラインもできていきますので、今日も幾つか出ていましたけど、もう少し「こういうものがあったら助かる」みたいなニーズを次回に出していただければと思います。で、今日の事例でも挙がっていました胃瘻の増設の問題というのは、全国的にも一つの課題ですよね。これまでは着けて当然みたいなことでしたけども、今は「そもそも着けること自体をよく考えて下さいよ」という時代になっていますし、「着けた人を中止するオプションもありますよ」言われるようになっていますので、そういう点で、この病院が悩みを抱えていないかどうかということで、また、透析の問題もやはり当然そこで悩みが生じるわけですから、倫理的な判断を求められる場合がありますので、そういった、より強いニーズがあるところから、スタートしたらどうかなというふうに思いますので、その声をできるだけ挙げていただいて、そのニーズにあったような議論とガイドライン作りをしていければというふうに思います。
では、最後の議題は[(3)その他]の[治験審査委員会の報告]をよろしくお願いいたします。事前資料に載っていますけど、今日は担当者がいないのですか。そうであれば、割愛して、次回にまとめてお願いします。
それでは、全議題が終わりましたので、次回の日程の調整をお願いします。

位田 ちょっとよろしいですか。前から何度か議題に上がっているのですが、この倫理委員会は、作られた時とはやっていることも少し変わっていると思うので、規定を整える必要があるかなと思います。今日みたいに若干時間が余った時には、そういう議論もできるかなと思います。今日にどうこうしようという話ではなく、少し念頭に置いていただければと思います。

小原 前に1回やりましたよね。ただ、「細かいことはまた先にしましょう」みたいな感じで、懸案事項も残っていますのから、あまり先送りしないでやっていきます。

勝村 僕も一ついい…? 以前、DNARをやったじゃないですか。あれは入院する時に患者へ渡す入院の栞に載せるという話になりましたが、あれは今も入院の栞に入っているのですか。

小原 心肺停止の時の蘇生をどうするかという問題で、患者にあらかじめ意思表明をしてもらおうということでしたね。あれは入院の栞に入っているはずです。

坂田 入っています。ただ、患者さん側に委ねられていて、必ず取るということではないので、書いてこられる方は実際には多くありません。

勝村 電子カルテに「DNARのあるなし」みたいなものは全員、書いてある? 

坂田 全員というか、意思表示のあった方のは書いています。

位田 それは「説明をされた上で」ということですか。それとも、入院の時のパンフレットに入っているというだけで、読まなければ…。

坂田 そうですね、読まなければ分かりませんね。

位田 積極的に説明していくことではない? それで良いかという話ですよね。

小原 そこも議論しまして、「もし声掛けする場合、どのタイミングで言ったら良いのか」ということは、それを決めるのは大変だということだったのです。ですから、まず入院の栞に一律で「こういうものを考えて欲しい」ということを病院として示そうということで、今は栞の中に入っている状況です。ただ、実際に出されてくる方は少ないということなので、運用の仕方についてはまた検討する必要があるかも知れないですね。

勝村 以前のセデーションとかDNARは、お医者さん自身が来られて「僕が判断しなければいけないのは辛どい」などと訴えられ、実際のニーズに応えてガイドラインを作ったのでしょう。今は、他に学会等のガイドラインが出てきているので、風化している部分があるかも知れないけど、DNARのガイドラインは、判断の辛どさの軽減とかに少しは役立っているのですか。

坂田 癌患者さんについてのことですね。7~8年前の当時よりは非常に考え方の流れがスムーズと言うか、大きく悩まずに考えが整理できていますので、確かに変わっています。

小原 だいぶ前ですからね。今回、広い意味での終末期医療ということで、今までやったことも、もう一度考え直すチャンスだと思うのですよ。ですから、ターミナルセデーションとDNARも議論して良いことなので、改めて取り上げたら良いかなと思います。

富田 私のところの養護施設でも、家族がDNARで良いと表明された方がおられるのです。それはそれなりに、イザという時に向かって医療従事者が矛盾なく、勝手にやってしまわないで…、もちろん、これがあるから相談しないという意味ではなくて、逆に、誰に相談したら良いかということも決まりますし、周りの態勢も決まるので、それは役に立ちますね。ここもそういうふうに動いているのですか。

 当座はある程度の関心を持つのだけど、今は風化している可能性が高いですね。僕らは入院の栞を見ることはないので、入っているかどうかも知らなかったです。僕自身はここにずっと参加していますから、どんどん自分の頭の中にどんどん入って、そのことについて自分の中では非常に高められているのですけど、そのことがウチの病院の全ての職員のものになって、ウチの病院の文化になっているかと言われると、非常に弱いですね。残念ながら、そういうシステムをキチッと僕らは作ってこられていないと思います。ここで色々とやって決めたことは、インターネット上でも報告されているし、科長会議とかでも報告されるのだけど、そのことがキチッと一般の職員全員に徹底されているとか、見直すということになっていないのですね。だから、ふいに「DNARはどうなったか」と言われると、「どうなったのだろう」と我々も分からないというのが正直な話です。そのへんのところをなんとかしないといけないという認識はあるし、事務局のような機能をもう少し作って、院内向けに「ちゃんとやりましょう」という意識はあるのですけど、そこがまだ動けていないのです。

富田 DNARのシステムが完璧に動いているかというよりは、実際にはあれがなくても宣言される人はいるわけでしょ。そういう人の場合はカルテにDNARの表示がされますよね。

 ただ、問題にしたのはそこのプロセスですよね。そういう話をする時に「もういいでしょ」みたいに簡単にやるのではなくて、きちんとした考えに則ってやりましょうということだけど、そこができているかと言うと、カルテにDNARが出てきたら、「もういいですね」という形でやっているかも知れないですね。ガイドラインが活かされてやっているかどうかは、僕らには検証できないです。

小原 ありがとうございます。そういう赤裸々な現状を語っていただいた方が、課題がハッキリ見えますので良いと思いますね。例えば風化しているにしても、どの程度風化しているのかも知りたいですね。

 風化の一例を挙げますと、産婦人科のエコーで頸部の異常が見つかると染色体異常の可能性が高いという話の時に、ガイドラインを作りましたね。それを知らない産科のドクターが、実はいるのです。そういうのがキチッと伝えられていないのですね。作った人は一生懸命に作ったけど、そのことを若くして入ってくる次の世代にちゃんと伝えているかというと、なかなか伝えられていないので、「そんなものがあるのですか」という話になるのです。そのへんが難しいというか…、

位田 例えば、ここでガイドラインを作った時に、全てのお医者さんや職員への説明会はやっているのですか。

 それはセデーションの時もやっていますし、必ず医局会議とかの場所でも説明するのですけども…、

位田 1回だけでなく、毎年やるとか、新しく入ってこられた方への研修みたいなものはないのですね。

 そういうことなんです。毎年、持続的にやるというようなことはされていないです。医局会議も、みんなが出ているわけではなく、その時にいた者が聞くみたいな形なので、そういう努力についてはキチッとできていないですね。折角、こういう貴重な時間を押さえてやったことが、残念ながら病院の文化になっていないというのは事実です。今までは、その場でバーッとやって、次はこれ、次はこれとやってきたので、今のようにフィードバックして聞かれると、非常に辛いことになっていますね。

位田 民医連中央病院の姿勢としては良いのだけど、本来なら中の人達に認識していただかないといけないのに、下手をすると「我々の病院はこれを持っていますよ」というのを外に出すだけになって、宣伝みたいになってしまうと、趣旨が違うと思います。

 倫理委員会へ外部の先生方に来てもらった意味は、我々の病院で起きた一つの事件をきっかけに、病院内の倫理意識を高めようということが始まりだったわけですが、そこのところの情報をキチッと伝えるというやり方に関しては、できていないですね。逆に外向きには良いですね。それこそ誰々先生に来てもらっているということで、外向きには絶対に良いですよ。だけど内向きは、ちょっと確かにねぇ…。

富田 「わざと」というよりも、医療機関そのものがだいたいタコ壺状態の性質が強いですね。

位田 そうだと思うのですよ。だけど折角、ここまでやって、ガイドラインも作っているにも拘らず、というところがあると思うのですよ。こんなことをやっていない病院の方が日本国内では多いはずなので、ここはある意味、先進的な病院ですから。

 今の今まで、毎年キチッとやるという発想が全くなかったですけど、これからは例えば新入職員が来た時に、「私達はこういうものを持っていますよ」的なことをやらないといけないですよね。普通、新人教育はやるのですけど、そういうものが欠けていましたね。

勝村 ガイドラインってバージョンアップで変えていかないといけないじゃないですか。今に思うと、NTのやつなんかもすごく早くて、当時は熊本だとかどこかから、委員の1人として僕も質問を受けたりしましたが、今は出生前診断なんかもすごく広まっているでしょ。だから、ガイドラインを風化させないためにも、バージョンアップする必要があるかとか、見直すと「これは古くて使えない」というのもあるかも知れない。

小原 7~8年前のものなどは、見直す必要がありますよね。

位田 「この病院のガイドライン集みたいなのを作ってありますか」といいう問題ですよね。それがあれば、例えば倫理委員会の時に必ず置いておいて、それを見たら分かるということになりますよね。

小原 少なくとも、我々がパッと見られるような形で存在しないと意味がないので、PDFでも何でも良いですから、これまでのガイドラインが中央病院のホームページにレックされているということはないですか。

一家 各回の議事録に「今回、こういうのができました」というのは載っていますね。

内田 ガイドラインというカテゴリーの中に格納されているというよりは…、

小原 各回でしょ。それではダメなんですよ。ですから、我々が見てもアクセスしやすく、外側から見てもしやすいようなアーカイブ的なものが要ると思うのですよ。それを見ると、「これは古いね」とか、「病院内でも誰も知らないね」とか、そういうふうにチェックできますので、一度、そういうふうなページを新規に作っていただくことも、検討していただいたら良いと思います。そこのページにさえアクセスすれば、これまで何をやってきたのかということが一目瞭然になるという、そういうものが必要ですね。

勝村 自分でも思い出せませんね。

小原 思い出せませんよ。NTの議論なんかも古いのですけども、あそこでやった倫理的な議論というのは、今もかなり有効性があると思うのですよ。新しい出生前診断が出てきたとしても、倫理的な方針自体は新しいものに対応できるくらいの深さがありますので、かなり応用ができるはずなんですね。それを放っておくというのは非常にもったいないですね。

平田 でも、NTに関しては、職員は知らない人もいますけど、産科の患者さんに対しては「ウチはこういう方針です」という用紙を全員に渡しています。

 職員が知らないのは問題だなぁ。

小原 患者さんが知っているというのは救いですね。
では、色々議論が出たのですが、これまでの振り返りをしながら、新しい議論を進めていきたいと思います。
では、次回の委員会の日程調整をよろしくお願いいたします。

内田 9月5日または19日の木曜日でいかがでしょう。ご都合の良い方で…。

小原 19日は具合の悪い人がいますので、次回は9月5日木曜日の同じく18時半から開催したいと思いますので、ご用意下さい。では、これで第54回倫理委員会を終わらせていただきます。ありがとうございました。

 

 

 

(入力者注)

この原稿は、個人情報の保護等のための修正はされていません。

文章は全体を通して、話し言葉を書き言葉に改めたり、意味の通じにくい言葉を言い換えたり、同じ発言の繰り返しを省くなどの推敲を行い、やや要約した形になっていますが、発言者の意図を正確に伝えることを最優先にしています。

 

 

ページの先頭へ

京都民医連中央病院

〒604-8453 京都市中京区西ノ京春日町 16-1
電話:075-822-2777 ファクス:075-822-2575