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第五十回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2010年9月13日(木) 18:30~21:30
場所 京都民医連中央病院西館1階第一・二会議室
出席者

外部委員 小原克博委員長、原昌平副委員長、位田隆一委員、勝村久司委員、関谷直人委員、一家綱邦委員、広瀬東栄子委員

内部委員 富永愛委員、東正一郎委員、平田恵美委員

事務局 丸山俊太郎

オブザーバー 川原初恵、坂田薫、寺前八重、根石明彦、中務博信

欠席

富田豊副委員長、岩橋多恵委員、井上賀元委員、内田寛委員、神田陽子委員、中村光佐子(特別委員)

議事

小原 第50回倫理委員会をただ今より開始したいと思います。50回という記念すべき回になって、よくこれだけやってきたなと感心します。これまで積み上げてきたものを再検討するようなことも今日は一部にあるかと思いますが、この節目にまた色々と考えながら、今後のことも検討していきたいと思います。今日はご欠席の方も何人か聞いていますが、外部委員の多くは遅れて来られる予定です。ただ、先に話を進めて7時までに終える必要がある案件もありますので、早速、進めさせていただきます。

 

議事(1) 「外部委員の補充について」

小原 お手元にある議事に従って進めたいのですけども、まず(1)の[外部委員の補充について]ということで、倫理委員会の内規では、病院長が推薦して委員の追加をすることができるようになっていますが、一応、委員会でご理解いただいた上で承認していただいた方が良いだろうということで、議題として挙げさせていただきました。一家先生には前回もオブザーバーとしてご参加いただいたのですけども、改めて、簡単に自己紹介をしていだきまして、皆さんのご理解をいただいた上で、承認できればと思っていますので、一家先生、お願いできますか。

一家 京都府立医科大学法医学教室に所属しております一家と申します。よろしくお願いいたします。今は医科大学の中で教員を務めているのですが、元々は法学部へ入学して、大学院も法学部に進学しまして、2年半前に今の職場に移ったのですけども、その前までは早稲田大学法学部で助手をしていました。なので、ずっと法律畑を歩んできたのですが、その中で特に私は医療の分野での法律を勉強してきたということになりますので、専門は医事法ということになります。また、私の個人的な研究の関心はまさに病院倫理委員会でありまして、そういった観点でも、ぜひこちらの委員会でも勉強させていただきたいと思っているところです。よろしくお願いします。

小原 はい、ありがとうございました。病院倫理委員会がご専門ということで、非常に心強いですね。我々の在り方を客観的に評価していただいて、もし問題があれば、システムそのものに対するご提言もいただけるかなと思っています。今度、立命館大学での生命倫理学会でもそのテーマで話されると聞いています。今、一家先生から自己紹介がありましたが、一家先生を外部委員の1人として補充するということでご承認いただけるでしょうか。ありがとうございました。
では(2)番目、[ターミナルセデーションの同意書についての意見]ということで、事前資料Cにあったと思いますが、これはかなり以前にガイドラインを作りまして、それに対する問題点の指摘を今日にしていただいて、具体的な検討を加えたいと思います。ご説明をお願いいたします。

 

議事(2) 「ターミナルセデーション同意書について」

※ターミナルセデーション同意書について検討しました。

小原 そうですね、患者さん家族の反応が分かると、かなり良いものができる可能性がありますね。そのへんも含めて次回にご準備をよろしくお願いします。
では、これは次回に引き継ぐことにいたしまして、次の議題に移りたいと思います。[(3)宗教的理由による輸血拒否に関するガイドライン]ですが、これは富永先生が最終のものをまとめていただいて、それを原さんが文言の最終チェックをされて、今、お手元にあると聞いております。まず、富永先生の方からご説明をいただいて、もし原さんから付け加えられることがあれば、それもよろしくお願いします。

 

議事(3) 「宗教的理由による輸血拒否に関するガイドライン」

富永 前回に出席いただいている先生方には、もう一回同じ話になりますけれど、まず、タイトルを「エホバの証人…」にするかということに関しては、[宗教的理由による…]にさせていただいた上で、[はじめに]のところは[エホバの証人信者を含む]という感じで、エホバの証人に統一しました。基本的には、ここで出た議論のままに直しただけで、私の日本語が稚拙だった部分を原さんにチェックをしていただいて、体裁を整えていただいたという感じになっています。基本的な考え方は全くいじっていないのと、フローチャートの方は「返って混乱する」というご意見もあったので、全体的に割愛して文字だけにし、必要な情報は後の[基礎的情報]というところに色々と載せているという感じにしました。で、原さんの方から、エホバの証人の医療機関連絡委員会の新しい連絡先を付けていただいたりして、現場で対応が少しでもできるような形に整えてもらったかなと思うのですけども、内容は特に何も個人的にはいじっていないつもりです。

 クリアにしたという意味で言うと、P4の②の[「18歳以上で意思決定能力がある」という前提]というのは、これを前提にしたのが(1)の原則なんですけど、「なぜ18歳以上なら医療に関する意思決定を行う能力を持つと考えるのか」という説明をここで加えています。次に、P7の[15歳未満の場合]の四角囲みの中ですが、[患者本人による輸血拒否の意思表示は、法的には有効と考えられない]という説明を入れました。また、P6とP7ですけど、当初は「親権者の2人」という案だったので、片親の場合もありますし、家裁で選んだ場合などは3人の場合もあるから、ちょっとややこしいので、何人であっても対応できるような表現にしました。それから、[基礎的情報]のP13の上の方で、児童福祉法の改正関係で「厚労省が検討中」と書いていたのですが、ガイドラインはもうできているので、その内容に書き換えています。後は法律的な説明を分かり易くはしました。最後のページはファックスで貰った連絡委員会の連絡先の原文そのものを付けてもらっていますけど、実用としてはファックスナンバーまでは要らんのとちゃうかなという気がするのですけどね。

富永 オフィスの住所とかだけをこっちに入れたら良いですね。

 このまま載せるのは、いちばん上は送信記録で変ですし、ダブって載せる必要はないですね。

富永 左のページにファックス番号とかも全部、整理して入れたら良いですね。

 間違わなければどっちでも良いです。

小原 最終的にはwebに公開されると思うのですが、電話番号とかは公開されても問題ないのですか。

 そこの確認はしていないなぁ。

位田 [基礎的情報]のところを載せるかどうかだと思うのです。気になるのは、[2 「エホバの証人」に関する基礎的情報]という情報がどこから出てきたものか分からないのですね。例えば[「エホバの証人」の中心的な教理は、次のようなものである]というのが、エホバの証人の人がこう言っているのだったら良いのですけど、レファレンスも何もないので、ひょっとしてエホバの証人が「これだけじゃない」なんて言われると…。

富永 ホームページに載せるにしても、コアな内容だけでも良いんじゃないですかね。

位田 だから、P8までで良いのではないですかね。

 どうなんだろう。連絡先はあまり載せない方が良いような気がするのですが…。

位田 だから、外に出す分はP8までで、中で扱う文書としてはこれ全体というふうにするという術もある。

小原 最終に近づいているので、そのあたりは議論した方が良いですね。これまでは全体で1セットとして扱ってきたのですが、内容によっては分割して前者だけ掲載というふうに判断しても良いと思います。

 問題はエホバの教理なり、その説明のところですよね。後の法律関係とかは問題がないですから…。あった方が分かり易いとは思いますけどね。例えば「輸血をどこまで拒否するのか、しないのか」は、割と大事な部分であったりしますが…。

位田 だから、病院内で使う分には、これはあった方が便利ですよ。ネットに載せて「ウチはこういうふうにやっています」というのは、P8まででも良いね。気になるのはP10~11の[2 「エホバの証人」に関する基礎的情報]で、エホバの証人が「ここは違う」と言われた時に困るわけですね。

小原 特に2の2)の方ですね。インデントされている[中心的な教理は次のようなものである]という箇所のレファレンスが確かにないですから。これが例えばエホバの証人の文書から引っ張っているのであれば良いとは思うのですけど。ただ、ここでレファレンスを付けたところで、きちんと解釈するのが難しい言葉がたくさん入っているのですよ。ですから、むしろ2の前半あたりを一括して抜いた方が良いかも知れませんね。もし、後半の基礎資料の部分を載せないというのであれば、現状でも良いと思うのですが、全体を載せるべきだとなれば、2の2)のあたりを少し慎重に扱った方が良いとは思いますね。

 どっちみちエホバの方に渡すという方針ですから、「これで良いか」「何かおかしいか」と聞いたらどうですか。で、「おかしくない」と言うのだったら、全部を載せるというように、それを確認した上で良いのではないかと…。

位田 そうするのだったら良いでしょう。

小原 本部に確認するということですね。

 別に連絡委員会の人でも良いと思いますけど。

位田 逆に「ここはダメ」と言われると、もう一回作り直さなければいけないけど、そこまでやるかという問題がありますね。「これで良い」と言ってくれると問題はないのですけど、それで済まないような気もするから。

関谷 これは何が出典となっているの?宗教年鑑か何かから取っているの?

小原 これは北村先生が書かれたのですか。

 北村先生ですね。元々、北村先生の文章にありました。

関谷 キリスト教辞典とか宗教辞典とかにあったかな?

 皆さん方が北村先生に資料を出したわけではないのですか。

小原 ないですね。単純にウィキペディアからだとか…。

位田 いや、ウィキペディアを見ましたけど、この文章はなかったです。エホバの証人のホームページとか「ものみの搭」も見ましたけど、こういう文章はなかったです。もちろん、探していけばどこかに出てくるとは思いますけど、いちばん最初に「エホバの証人とはこうですよ」というのはないですね。

富永 今日でこのガイドラインは終わるかなと思っていたので、これ以降に時間さえあれば、エホバの証人の例えば京都の代表の方とかに一回、個人的に意見を聞きたいとは思っているのですけども、それをここでやるとなると、すごいことになると思うので、位田先生がおっしゃったように、一旦はP8まででも良いのではないかと…。今は現場でそれを回してみることの方が必要なのではないかなと…。[基礎的情報]以降のこととかは、ここ1~2年に情勢も随分変わっているみたいで、医療関係の雑誌だけでも「ウチではエホバをこんなふうに扱いました」とかいろんな論文が出ていて、今でも「ウチでは18歳未満は輸血します」としている病院も結構あります。それで、いつになるか分からないですが、今回のいろんな活動をまとめてみようかなと思っていまして、色々と資料も集めていて、その中で「ウチではこんなのを作りましたけど」とエホバの意見として聞いてみようと思っているのです。そして、それを現場レベルでフィードバックしても良いのかなと思っていますが、ガイドラインをまとめる前にそこまで組み込むのはいいではないかなと思います。

 そうしましたら、これはこれでいっぺん完成させ、ネット上に出すのは本来の本文だけにしておいて、公表方針には「教団に渡します」ということも入っていますから、教団に渡して、「ウチの教理とは違う」と言ってきたら、ちょっと手直しを検討する。

富永 出た後に論ずるべきものがあれば、ここにまた出しても良いですし、向こうの立場と実際はどれぐらい考え方が違うのかが明らかになるかも知れないので、別の段階としてやっても良いのではないかなとは思います。

勝村 P13のいちばん下の[教団に対しては、直接お渡しする]というのは決まったこと?

富永 どうなんでしょうか。引き継いだ時にはこれが入っていたので…。

勝村 教団に渡すだけではなく、僕もそれに対する意見を聞く場面はあった方が良いと思う。そして色々と言われても、納得できる指摘があれば変えても良いけど、納得できなければそのまま維持したら良いのです。

富永 「こんなふうな反応でした」という事後報告だけでも…、

勝村 いや、内容によっては議論の余地があっても思うけど、前半のP8までは今日の決定でホームページに載せてしまって、エホバとのやり取りで上手く行けば、後日に後半の資料部分も含めてアップした方が良いと思う。また、ここの病院でのやり取りや決めた方針を他の病院に見てもらうことも意味があるので…。

富永 そういう意味でやりたいと思うのですよ。

小原 はい、それでいいと思います。

 教団といっても「本部に」とか言わなくても、この人等の誰かに電話すれば良いですよ。やっぱり、ここに来て説明してもらったといういきさつもありますから、決めて伝えないというのは義理を欠きますから。

富永 あぁそうなんですか。

 議論を始める前に、教団の人が1回、来たのです。

位田 どっちにしても教団の立場はハッキリしていて、「信者であれば無輸血治療をお願いします」というのが原則で、このガイドラインとは合わない部分があっちこっちにあると思いますけど、「じゃぁ教団の言うことを聞いてガイドラインを変えますか」ではないのだと思います。「教団の言うことは一旦お聞きしているし、我々の理解している範囲で基礎情報は分かっています。で、それをベースにして、だけどこの病院ではこうやりますよ」と決めれば良いわけですから、教団の意見を聞いて変えるのはおかしいと思います。

勝村 意見に従うとか、言いなりになるという意味でなくて、もしかしたら変えても良いと思うかも知れないし、何と言われてようと変えない部分ももちろんあるという議論を、もう一度しても良いと思うという趣旨です。

小原 では取りあえず、本編のみを確定して公開するということで進めたいと思いますので、公開の際にはⅠというところを外していただいて、これ自体を一つのまとまりのあるものとして出していただくように、手配をお願いします。

位田 まだ表現で色々注文があるのですけど、P3の第2段落で[合同委員会ガイドラインを踏襲している]というのは良いのですけど、その下の[18歳は…]というのは、必ずしもどこかで決まっているわけではないのですよ。法律家としてはこういうふうにおっしゃるのは分かるのですけど…。

一家 合同委員会ガイドラインでこう言っていましたか?

位田 これを参考にしただろうという推測は皆がしているので、恐らくその通りだと思うけど、児童福祉法第4条の児童の定義から18歳を規定しているとは、直接にはいかないと思う。だから、ここの部分はなくても良いのではないか。

 合同委員会ガイドラインには書いていないのですか。

一家 僕もハッキリ記憶していないですけど、もし書いてあるのだったら、改めて書く必要もないですし、書いていないのだったら、内容が違うとまずいのではないでしょうか。

小原 今、合同委員会ガイドラインを誰もお持ちではないですね。

位田 そこはちょっとチェックをすれば分かる話ですが、あってもなくても要らないと思います。

小原 ということは、[18歳は…]の文章を削除するということですね。

位田 「だいたいこうだ」というのは我々の共通の理解だけど、ここまで具体的に書くかという問題で、こう書いてしまうと、「これが18歳の根拠ですよ」となってしまいますが、そこまで言い切れるかどうかです。
それから、P4の(1)の[①信仰の有無、信仰内容の確認]の3行目に[後述する基礎的情報に基づいて…]とありますが、さっき基礎的情報は抜いたわけだから…。それと、ちょっと気になるのは、それに続く[信仰内容を~確認]なんてできるのだろうか。エホバの証人かどうかを確認するのはできると思うのですけど。

 前段の「基礎的情報…」というのは、P2でも[「ガイドライン(本編)」と「基礎的情報」から構成され]とあるように、いっぱい出てくるのですよ。

小原 簡単にはいかないですね。

位田 そのへんをちょっとアレンジしないといけませんね。では、[はじめに]を抜いて、[ガイドライン(本編)]の部分だけを出すというのはできるのですか。そうでなければ、文章を少しアレンジする。

 いや、ネットに出す時に「基礎的情報は載せていません」と言えば良いではないですか。[参照]とか[付録]とかいっぱい出てくるので、これを触るのはややこしいですから。

小原 位田先生がおっしゃったもう1点は、[信仰内容を~医療チームの立ち会いの下で確認し]ということができるかということですね。

富永 [無輸血治療に関する信仰内容]だけに限ってもダメですか。

位田 だったら、「無輸血治療について、その意思を確認する」という話ではないですか。[無輸血治療の信仰を持つ患者]というのは、[原則]には出てくるのですけど。

 P4の①の文言ですね。前段の[無輸血治療に関する信仰内容]は良いのですね。その次の行の[信仰内容を、3人以上からなる…]で改めて[信仰内容を]と出てくるということですが、この[信仰内容を]というのを省いても、しまえば終いで、「…差があるため、3人以上~で確認し、カルテ記載を行う」でも、文言としては確立しますね。

位田 そうですね、おかしくはないですね。

小原 では、そうしましょうか。

位田 すみません、もう1点…。P5の(2)の①の最後、[代理人・保護者にその旨を説明し]と言うだけで良いのだろうか。承認してもらうことが必要ではないかと…。これは「こう判断しました」と説明するだけですから…。

富永 これは、代理人の意思に反する可能性があるので、納得してもらうよりも、「医療機関側の意思を尊重しますよ」という事実の報告でしかない場面ですね。

位田 説明した時に反対されたら、困るのではないですか。

 だから、①の前段の同意が要らないですね。どちらにしても[事前指示書がなく、代理人・保護者が…]という場合ですから。

位田 でも、それは「輸血か、無輸血か」ですから…。だから「代理人・保護者が無輸血だ」と言っているのだけども、後半の但し書きの部分は「医療チームが輸血が必要だと思えば、説明をして輸血します」というわけですから、「代理人・保護者が輸血を拒否している時に、医療チームが判断したら輸血ができる」という話なので、説明だけではなく、同意をいただかないと…、

 ここに書いてあるのは「同意が要らない」という話です。

位田 そういう意味ですよね。それができるのですか。緊急の場合とは書いていないですよね。

小原 かなり根本的な問題ですね。

位田 だから、患者の自己決定権を重視すると言いつつ、医療者の救命義務がここでは優先されてしまう。それで良いのでしょうかということですよね。

 いや、ここの前提となるのは事前指示書がない場合ですよ。

位田 それで、代理人・保護者が例えば輸血同意書または免責証書を作るという話になっているわけですね。そうすると、代理人・保護者の書いた輸血同意書や免責証書が有効だという判断をしているわけですね。そうでなかったら、「事前指示書がない場合は…」だけで良いわけです。

 要するに緊急性とか、そういう条件限定が但し書きに必要だということですか。

位田 いや、「緊急時には事前指示書のあるなしに関わらずにやれます」というのは何ヵ所かに書いてありますが、それは良いのですね。これは必ずしも緊急ではなくて、でも患者さんは18歳以上で意思決定能力がなく、もちろん事前指示書もないと…。その場合には、代理人・保護者に同意書か免責証書を作ってもらうわけですよね。そうすると、代理人・保護者が「輸血していただいていいですよ」という場合は問題がないですけど、「無輸血にしてください。輸血を拒否します」とおっしゃった場合に、それなりの根拠を持って医療チームが「助けるために輸血をします」と言っても、代理人・保護者が輸血同意書を作ってくれないわけですから…。

勝村 18歳以上の場合は、医療機関の判断よりも本人の意思が尊重されるけど、家族の判断よりは医療機関の判断を尊重するという、微妙な選択ということですね。

富永 そうそう、それが最終決定だったのかなと思ったのですけど、それでこんな中途半端なことになっているのですね。

位田 前半は「輸血を行う」という話だと思うのですよ。

富永 無輸血の対応を行うではなくて、輸血だけにしておいて…、

位田 それで、「代理人・保護者が輸血に反対する場合は」とか「…同意を得られない場合は」という前提で、[ただし]以下の状況が生じるのはしょうがないとすると…、

富永 その方が、読んでいる人は分かり易いですね。「無輸血にしてもらえるかのような、上の3行だ」ということですね。

小原 上も「輸血同意書を作成の上、輸血を行う」にして、スッキリさせれば良いということですね。

位田 来る前に読んで、熟考する間がなかったので、それで良いかどうかはもう一回ちゃんと考えないといけないとは思いますが、[ただし]以下は、輸血同意書も免責証書もない場合で、「代理人・保護者が何と言おうとも輸血しますよ」という但し書きですから、「それで良いのでしょうか」ということになりますけど。

関谷 ①と②はほとんど差がないということですか。代理人・保護者がいても見つからなくても、医師が必要であればやるということですかね。そうしたら、分けても意味がないということになる。

位田 ②は代理人・保護者がいない場合ですが、①で「いても無輸血はしない」とすると、従来通りの…。

富永 反対に「信仰を主張したいのであれば持っていて欲しいな」というニュアンスで、ウチの病院は行こうという感じではなかったですか。そのために、このガイドラインを出しておいて、「ウチは、事前指示書を持っていてくれはったら18歳以上の意思は尊重しますよ。ただ、持っていなくて必要と判断した場合には、ウチはやりますので」というスタンス。

位田 それが大原則なら、大原則をまず第一に書くべきですよ。「エホバの証人で、もし無輸血でやりたいのであれば、必ず持っていてください」というメッセージを届けるという意味で、「大原則ですよ」と…。

富永 エホバの証人側に対しては、その方が分かり易いですね。これだと、なんか尊重してもらえるかのように思われてしまう。

 話がややこしいのなら、[ただし]以降を「生命の危険を伴う緊急事態の場合は」という条件付きで、別に説明の件は不要で「代理人・保護者の同意がなくても輸血を含む治療を行う」にすれば良いのではないでしょうか。

位田 緊急事態はそれで良いと思うのですけど、緊急事態というのは同意書とか免責証書を取っている暇がないという意味でしょ。だから、「緊急事態だと医師の判断でやります」という話ですよね。

 いや緊急というのは、必ずしもそこまでの緊急という意味ではないと思いますよ。

位田 そうしたら、それこそ突然にショックで死に近づくような状態が仮に起きたとして、だけど「事前に色々話はしてありますが、本人は事前指示書を持っていません、意識はありません」という場合、①にくるわけですよ。緊急事態であっても同意がないという状態は既にあるわけですよね。

勝村 この①は、「本人に意思決定能力がなくて事前指示書がない場合で、代理人・保護者がいたら、輸血であれ無輸血であれ、第一義的には代理人・保護者の希望に添った対応をしますよ」と書いているのですね。「それでもケースによっては…」というのは、確かに分かりにくいですね。但し書きにもう一個条件が要りますね。希望を尊重できない場合に、いきなり「3人以上」というのではなく、何か患者側の要因があって「3人以上」出なければいけないですね。「緊急」というような一言があった方が良い。

 「緊急」というのがややこしければ、「生命の危険が伴う状態であって、3人以上で必要と判断した場合は、代理人・保護者の同意を得なくても、輸血を含む治療を行うことできる」とか、まぁこのくらいで…、

位田 その場合の「緊急」というのは、事前に代理人・保護者がいるかどうか分からないか、いた場合であっても、そんなことを相談する時間がなかったという「緊急」ですよね。時間があるのであれば、同意書を貰うか免責証書を貰うわけですよね。その状態で「緊急だから輸血しますよ」というのはおかしいでしょ。

勝村 これは[ただし]と書いているから、この時の論理は、「保護者が無輸血を希望していて、時間があってもやってしまうこともある」という趣旨が入っているのかどうかという…。

位田 これだとそう読めるから、本当にそれで良いのでしょうか。その旨を説明して、「輸血はして欲しくないけど、それだったら良いですよ」と言ってくれれば良いですよ。ただ単に[説明して]としか書いていないから、「嫌だ」と言われてもやっぱりやるのかという感じ。

小原 そうですね、それは具合悪いですね。

勝村 「説明をする時間がない場合に3人以上で判断しますよ」という趣旨なのか、「原則、保護者の意見を尊重したいけど、生命の危険があったらやっちゃうよ」という条件になっているのかが分からない文章なんですけど、どっちであるべきなんですか。

坂田 (1)の⑤では[生命の危険を伴う緊急事態で、事前指示書がなく、本人の意思も確認できない場合、輸血を含む~]、[ただし、何らかの事情で代理人・保護者によって事前に信仰内容が明らかになった場合は、次頁(2)に従う]と書いてあるので、それを受けたのが(2)の中身ということですね。ですから、緊急性で担保されているわけではなくて、緊急性があっても「輸血をして欲しくない」ということが出てきた時にどうするかというのが、この(2)の①の説明ですね。で、「その時には、生命の危機があった場合はやっちゃいますよ」というふうに読み取れるということですね。

小原 そうですね、文言を修整するならば、(1)との関係もある程度視野に入れて修整する必要がありますね。

位田 実際に3人のチームが「輸血が必要だ」と言って代理人・保護者に説明して、「そんなことをしてもらったら困る」と言われた時に、それでも本当に現場で輸血ができるのでしょうか。…されますか。

富永 どうなんでしょう。でも、亡くなる危険があるとしたら、信仰に背くことよりも、輸血しないことで亡くなってしまうことの方が、医師の感覚としては怖いと思うので、医師の救命義務を優先するでしょうね。

位田 それを優先した文章ですね。[はじめに]のところで「方針を転換するのだ」と言っているにも拘わらず…、

富永 多分、それがウチの病院の限界なんかなというところなんですね。

勝村 富永先生は①をどっちの理解と考えているのですか。

富永 私個人のものではないのですが、今までの議論の中では、どちらかと言うとウチの病院の(2)のスタンスとしては、「事前の信仰が明らかになり、本人の事前指示書がある場合に限って」というニュアンスで、「本人の意思を尊重して無輸血治療を行います」ぐらいの感じだと思うのですね。今日はメインの先生方がいらっしゃらないので、私は何とも言い切れないのですけど。

勝村 富永先生の理解ではP5の(2)の①は、代理人・保護者が「無輸血にしてくれ」と言われても、3人以上で「輸血する必要があると思ったらやるのだ」ということを、まとめたつもりだったのですか。

富永 このガイドラインはそういうスタンスで行くのかなと思っていたのですけど。

関谷 (1)の⑤の[何らかの事情で~明らかに]ということは、どういう想定なんですか。例えば、事前指示書はないけれども、教会での明かしの中で「自分は絶対に輸血は要らないと思っています」と口頭で語っていたり、手記に書いていたりして、親御さんが「そうだったな」と明らかになった場合とか、そんな想定なんでしょうね。他にはちょっと想定しにくいのだけど。

富永 ここは、私の主張というよりは、そもそものウチの病院のスタンスとしてどうするかというところだと思うので、今までの議論の中では「それを主張して欲しいのなら、事前指示書を持っていてください」というスタンスで行くつもりなのかなと思って、それに沿って分かりづらい書き方をしてしまったのが現実だと思います。

広瀬 ①では[輸血または無輸血の対応を行って]と書いてありますよね。それなのに、お医者さんが必要ならするということは、私はおかしいと思うのですけど。

 ①の[輸血または無輸血]というのは、「無輸血でもやれるけど、輸血した方がベターでしょ。で、どっちにしますか」というくらいの前提で、[ただし]以降は、簡単に言うたら「救命のために必要と判断しした場合は」ということだと思います。そういう意味では、必ずしも緊急事態とは限らない。「同意を取れる、取れない」という時間的な問題ではなくて、輸血しないとヤバイという状況だと思います。

小原 ここは、代理人・保護者が輸血同意書または免責証書のどちらも選ぶ可能性があるわけですね。輸血と無輸血の両方の可能医があるわけですから、それをハッキリと定義していれば、[ただし]以下のところはむしろ不要になるのではないですか。

位田 「こういうふうに病院はします」という説明をして、「どっちかにしてください」と選んでもらっているわけですね。それで「無輸血で行きますよ」とした後で、それでも「救命の必要がある」と救命チームが判断すれば輸血するということですから、代理人・保護者に免責証書を書いてもらうことの意味がなくなります。

勝村 (1)の⑤で[代理人・保護者によって信仰内容が明らかになった場合は、次頁(2)に従う]ということは、代理人・保護者の希望というのではなく、代理人・保護者が「この患者はこういう信仰内容です」と言った場合は(2)に行くということなのに、それに対する受けが(2)にはないですよね。

小原 それは信頼するということです。ただ、[ただし]以下の文章を入れると、P4との整合性が取れなくなってしまうのですよ。本人意思はないけど、代理人・保護者の表明に信をおくということでやっているわけです。

関谷 場合によっては致死性があっても信をおくということでしょ。「どっちでもできるのやったらやるけど」みたいなのではなくて、死ぬと医師側が判断していても、その判断があればここでは輸血しないということですよね。

勝村 (2)の①の2行目も「希望を尊重し」ではなく[判断に基づき]となってしまっていますから、(1)の⑤の…、

 ちょっと混乱するのは、四角囲みが元々変な括り方をしているのですよ。四角囲みで条件だけでなく原則まで書いていて、例外を①とかで下に書いているのですよ。だから、P4の[次頁(2)に従う]というのは、次のページの四角の中だけのことを言っているのですよ。だから、体裁を全く変えるのだったら、四角の中の原則を含めて、「この場合」「この場合」だけで分けてしまった方が分かり易いですね。

位田 今のお話だと、⑤は緊急事態という条件なので、P5の(2)も「緊急事態で」というのが付くということになります。

 …ではないですね。緊急事態の場合もこれですけど、緊急事態でなくても知的障害とかそういう場合も②に入ります。で、(1)の⑤の緊急事態で本人の意識がないという場合も(2)の②へ流れ込みますという論理です。

小原 やっぱりねぇ、[ただし]以下の文章が前段と矛盾しているのですよ。だからそこを整理しないとね…。

広瀬 [ただし]以下より、②の「代理人・保護者がいない時には医師の判断でやる」の方が意味は深いですから、①は前段があるので、[ただし]以下は意味がないのと違いますか。

小原 そうですよ、②は問題がないのですよ。少なくとも「代理人・保護者が患者本人の意思を明確に表明した場合は、それを尊重するのだ」ということでいくのであれば、[ただし]以下は要らないと思いますね。

富永 それでいきたいとこなんですけど、病院としてどうするかなので、私が決められるわけではないので…。

小原 ここは肝心なところなんですけども、これまでの流れからいっても、そうすべきですよ。

広瀬 説明して「要らん」と言われたらねぇ…。

位田 そうなんですよ。だから、[はじめに]のところで「医療者の救命義務を優先すると明言してきたのだけど、いろんな状況が変わってきたので、患者の自己決定権を優先する」と書いているわけですよね。だけど、ここは医療者の救命義務の名残が色濃く出ています。

 このスタイルで表現を手直しするのだったら手直ししますが、大きく変えるのだったら、原則まで四角に入れている書き方を変えてしまわないと、誤解を招くのですが…。

位田 そこまで大きなことは言っていなくて、「①の前段と但し書きは矛盾しますが、どうするのですか」と申しあげているわけです。但し書きがなければ話は簡単なんですよ。

勝村 やっぱり、これは書いておかなければいけない条件が1つ足りないのですよ。

 要するに、最初に無輸血の免責証書を取った場合、その免責証書を反故にすることを、現場の判断に任せてしまうという話ですよね。これでは多分、現場で実際にやっている人間は混乱すると思いますね。スッキリさせるために、「輸血は自分達の判断でやりますよ、18歳以上でもこちら側が指導権を持ってやりますよというふうにするのが良いのか」、「免責証書があったらやらない方が良いのか」というのを現場の立場で考えた時に、「本人じゃない人の免責証書に沿って無輸血にしよう」というのは多分、医療者としてはかなり抵抗があると思うのですね。ということは、「現場に受け入れられるのか」という感覚で言うと、あまりスッキリもできないなという感じなので、難しいですよね。逆に、本人さんの意思が分からない場合、家族がものすごく反対しているのに、それと違うことをできるのかというのも、現場感覚的にはありますよね。

小原 ただね、本人の意思はないけども、家族が本人の意思を明確に知っていて、泣きながら頼むような場合もあるわけですよね。その時に「絶対に救命します」と現場は言えるのかという…。

 そういう立場もある。だから、この文面は現場が混乱します。何回読んでも「結局どうするの」という内容で、「反故にして良いのかはケースバイケースだぞ」という話になってきますね。

小原 ガイドラインである以上、ここは曖昧に残せないと思うのですよ。どちらの立場に立つかをハッキリさせなければいけませんが、前提となっていることから考えると、[ただし]というところは抜いて、「本人の意思が第三者を通じてきちっと表明された場合は尊重すべき」という立場に立った方が一貫性もあるし、前提となっている理念に基づくことになりますね。

関谷 それをどうやって明らかにできるのかな。親御さんが「この子は確かに信仰を持っていた」と言うのは、事前指示書も以前の本人の文章もなかった場合には、口頭だけということ? それでは明らかと言えない。

位田 そこを疑い始めればきりがなくて、誰が言っていることを信じるかという話ですから、親だったら…、

小原 そこは難しいですよ。でも、親に免責証書を作ってもらうわけですから…、

位田 …そこを信じるかどうか。悪く言えば「親に責任を持ってもらう」…。

 そういう場合の保護者の免責証書というのは有効なんですか。

富永 そこなんですよね。本人ではない人の文書に医療者として乗っかって良いのか。それも「無輸血」という不作為をしないといけないので、現場ではすごくストレスあるのではないかなと…。

 家族に反することをやる場合も、家族に頼まれたことに従う場合も、両方にストレスがあるのですね。

坂田 そうしたら、「本人が意思のある時にそういうふうに言っていました」という中身の信憑性を、むしろ3人のグループで議論した方が…、

位田 ただそれは判断できない。

小原 そこは、免責証書を作ってもらうという時点で、「信じます」ということなんですね。

坂田 そうですよね。だから、その内容で免責になるのかどうかということが、家族が書いたら揺るぎないものとして受け取るのであれば、(2)の前提がある以上、どんなに命が危なくてもそれを尊重しますということになるので、[ただし]以降は要らないということなんですね。

小原 そういうことです。

広瀬 エホバの証人の信者はみんな免責証書を持ってはるのですよね。

小原 現実は「そうだ」と言われています。

一家 ただ、免責証書が有効になるかというのを、皆さんはどのくらいの意識でいらっしゃるのかなということが気になっていまして…。大阪地方裁判所の平成17年1月28日の判決で「免責証書は無効」という趣旨のことを言っています。

小原 それは、患者本人が持っている免責証書を否定したということですか。

一家 はい。さらには、弁護士さんのご意見を伺いたいのですが、「そもそも一般的に、契約書などの免責条項がある部分は無効だ」と言われますよね。消費者契約法とかで必ず言われますよね。医療でも、我々がお医者さんに、説明同意書について話をする時には、そういうことを言うのですね。となると、ここで出てくる免責証書の件は意味があるのかどうか。まして、医療者の皆さんが免責証書を重視して期待するとなると、ちょっと危険かなと思います。

富永 そっちの方が病院のスタンスとしては危険かな。だから、倫理的にはエホバの証人の信仰を慎重に尊重したいという立場に、私は個人的にはありますけれども、ただ、これは病院として作るものなので、その立場としたら、「事前指示書がなかったら、ウチは申し訳ないけども輸血が必要だと判断したらさせてもらいます」と、最初から言っておいた方が良いのではないかと…。それだけをシンプルに書いておけば良いのではないかって…。だから、ここをややこしく「免責証書を作って…」と向こうに期待さすよりも、「ウチは指示書がある場合に限って本人の意思を尊重して無輸血治療を行います」にしたら、ここは要らんのとちゃうかな。それに免責証書の効力なんて実際には100%ではなくて、後でトラブルになった時に「病院のガイドラインに従ったのに」みたいなことになるのがいちばん悲しいので、それをここで判断できないと思うのですね。

小原 そうですね、そこもかなり前提を大きく変えることになるので、議論すべきだと思うのですけど、「事前指示書を持っている限りにおいて、全体的に尊重するけど、持っていなければこっちの論理でやらせていただきます」という方針で良いのかどうかなんですよ。で、(2)の①のところは、「仮に持っていなくても、充分に背景を配慮して、可能な限り推定して、本人の意思を尊重しますよ」ということで、こういう若干複雑なものが付け加えられていたのですけども、もっとスカッとさせるために、あるなしで2つに分岐させて…、

富永 …の方が現場は良いと思います。

小原 あるかないかだけでハッキリするわけですら、確かに混乱はしないですよね。

富永 それを現場でやるにあたっては、ちゃんと「なぜそういうふうになっているのか」を説明しなければいけないですし、「ウチの病院としてはそうなんです」というのを理解していただいた上で、転院していただくとか、そういうことはもちろん必要だと思うのですけど、引き受けてしまうことは返って危険だと思うのですよ。トラブルが大きくなる。東大の判例もそうだと思うのですけど、「ウチはやりますよ」と言っておいて、やらないのはいけないと思うので、向こうに「転院できるなら転院したい」と言うチャンスを与えてあげるのも必要かな。だから、ここはもっとスカッとしても良いのと違うかなと、最初から思ってはいたのですけども、議論の通りに直していくと、こんな中途半端なものになってしまったというのが現実なので、今日になんとしてでもと思っていたのですけど、「指示書がある場合に限って」にするのであれば、①はなくても良いと思います。その方がスッキリしますが、「その旨の説明は充分にする」であるとか、「転院の機会をちゃんと与えてあげる」とか、最初にウチのスタンスを明確に示してあげることの方が大事なんちゃうかなと思います。

位田 それは「意思決定能力のあるなしに限らず」でしょう。で、「事前指示書があればこっちの道」「なければこっちの道」でハッキリする。

富永 基本はそうです。なので、「ウチは申し訳ないけども、なかった場合には受けられません」と言った方が現場の医者も看護師さん達も混乱しないと思います。で、事前指示書というのは一応、エホバの証人の中で定型化されたものがあって、世の中としても、最高裁でも争われていて問題は明確なので、ウチの病院が作った免責証書みたいなええ加減なものが、「本当に免責されるのか」ということになってくると、病院としてそれこそリスキーだと思うのですね。なので、もうちょっと「…の場合に限って」とかにするとしたら、①はなくても良いのではないかなと思ったりはします。

勝村 ②は[代理人・保護者がいない場合]だから、いる場合…、

 書かないわけにはいかないでしょ。

富永 いる場合、「事前指示書がない場合には、無輸血の治療を最大限尊重するが、必要と判断した場合には輸血を行うことも充分に説明する」と…。「最初の段階でウチの病院のスタンスはこうですよと、充分に説明しなさい。で、判断の機会をちゃんと早くに与えてあげる」というふうにした方が良いのではないですか。

位田 それで同意してもらえなければ転院してもらうということで、医療機関連絡委員会に連絡するのですね。

富永 最初にスタンスが分かった方が、患者さんも医療者も不幸にならないと思うのですね。

位田 そこは病院のスタンスとしてそれでやるのか。私達の病院に来て「看病したい」と思っているにも拘わらず、輸血は認められないけど事前指示書もないとすると、「どこかへ転院してください」というので、この病院としてOKしますかということですよね。切り方としては、「ある、なし」の2つでやった方が良いと思いますけど、「この病院はそれだけで良いのですか」というところが問題なんでしょ。

富永 そうです。でも、この病院は今の段階ではそういうスタンスなのかなと思っていたのですけど。

位田 僕が作るのに関わった「急性期の重症脳卒中のガイドライン」がそのやり方で、病院の方針をまず決めておいて、「入ってこられた時に誰か付いて来られたら、そこで説明をする」と…。もちろん「無輸血でやります」という病院もあるだろうし、「緊急の場合には輸血します」という病院もあると…。そこは病院の判断次第で、「命を助けるためにはどんな場合でも輸血します」という病院であれば、そういう説明をして、本人の意識はないので、家族が「同意できない」と言うのであれば、連絡委員会に電話して無輸血でやってくれる所を探して、転院してもらう。それは病院の方針を先に決めて、それでどっちにするかという話でないと…。このガイドラインは病院の方針を決めるという話ですから、「こうやるのだ」ということで構わないと思うのですよ。ただし、いろんなオプションがあって簡単にはなっていなくて、ある具体的なケースがどのオプションに入るのかということを一つ一つチェックして決めていかざる得ないので、現場でさっと上手くできるのかなと思いますね。しかも、付いて来られた保護者もしくは代理人がいる中で…。

小原 代理人の有無に拘わらず、とにかく事前指示書のあるなしだけをまず最初の基準にするのであれば、問題はかなり整理されますね。ただ、そのように割り切って整理して良いのかどうかということですね。

位田 また、「代理人・保護者の同意でもいい」というオプションを付け加えたとしても、それはそれで道はハッキリするので、免責証書が有効か無効かは別として、「ウチの病院では有効として考えます」という話ですから、それはその病院の方針なんです。

小原 やっぱり2つを曖昧にすることはできませんので、(2)の①は残す形で、代理人の免責証書を最大限に尊重するという道を選ぶのか、事前指示書のあるなし以外は、代理人・保護者も関係ないという立場を取るのか、ほぼこの2択だと思います。どちらを選ぶのかというご判断をいただいて、その判断に従った文章の修正を行うという形で、もう後5分ぐらいで済ましたいと思います。

関谷 その場合は[ただし]以降はなくなるのですね。

小原 もちろん…。

富永 ①がすっかりなくなって、P5のいちばん下の15歳以上18歳未満のところにも同じような対応があるのですけど、「無輸血治療に伴う危険性などを改めて説明して、当院ではできない旨も説明して、連絡委員会へ連絡する」みたいな感じで入れておいた方が良いのだと…。

位田 免責証書の有効性の問題は大阪地裁の判決ではそうなったかも知れないけど、控訴審や最高裁でひっくり返るかも知れないし、「裁判所には認められなくて、裁判で負けるとしても、我々は保護者・代理人の意向を尊重するという病院なんです」という態度表明もあり得るので、それが有効かどうかという話ではないのですよ。

富永 最初に「『最高裁の判決が出ていてもやります』で良いのではないか」という議論もありましたね。でも「やっぱりそれは無理と違う」という雰囲気だったので、このへんなのかなという感じで来ているので…。

勝村 5分でできる判断ではないよね。

小原 2択であるということはご理解ください。それに、どちらも議論してきているのですよ。で、曖昧にはもうできない。

位田 ここは倫理委員会の問題というよりも、むしろ病院側がどう考えるかという問題で、2択のどっちを取っても、倫理委員会としては「それはダメだ」という話ではないですね。

勝村 だから18歳以上は、P4最後の[ただし]以降の2行を取るわけでしょう。

位田 事前指示書以外は関係ないということだから、これは要らないですね。

勝村 で、18歳以上はもう代理人・保護者の出る幕はないということですね。

小原 そうですよ。役割がないので…。

位田 もう少しシンプルになりますね。

広瀬 どうなのかなと思っていることがあるのですけど、例えば外科の先生が「こういう患者さんに関わりたくない」と思ったら、「私は嫌です」と言えるのですか。

富永 それはどこかに書いていますが、不本意に従えばドクターの信条を曲げることになるので、基本的に担当を外してもらうことはできるようにしてあります。

 P8の④に書いてあります。

富永 どうしましょうか。

小原 これは曖昧にはできないので、ご意見を言ってください。これまでの議論の大きな流れは、本人意思を最大限尊重するということで、代理人もしくは保護者のことも一応、配慮に入れてきたわけですよ。ただ、曖昧さやリスクは確かにあり得ますので、そういうややこしいことはやめて、事前指示書だけで判断するということも充分に考えられますから…。

勝村 P5の②の[事前指示書がなく…]は、「ない場合は、3人以上…」にしちゃうのですね。

位田 個人的な意見では、代理人もしくは保護者がいれば、その意思を尊重してあげる方が良いのではないかと思います。だからそういう場合に、事前指示書がなくても事前指示書に代わるものを出していただければ、大きなカテゴリーとしては指示書があるという状況が生まれるので、その方が良いのではないかなと思います。

小原 そういうことであれば当然、保護者に免責証書を出してもらって無輸血をするということですね。これはもう一つのオプションの通りですね。今まではだいたいそちらの議論が主だったと思うのですけども、「やっぱりそれでは現場は動きませんよ」というのであれば、ハッキリと言っていただいた方が良いと思いますね。

 本人に意識がない場合には、現場では家族の意見を基本的には尊重していますね。「何もしないでくれ」と言われたりするのも一緒で、家族の思いも色々ありますから一概に良いかどうかは分からないし、我々がそれに従うかどうかは別にしても、多分そちらの方が現場なんかは受け入れ易いのではないですかね。家族が「絶対にしてくれるな」ということを、無理やりやるということは難しいです。

小原 そうですね。例えば家族が「とにかく無輸血でやってくれ」と泣きついているのに、「事前指示書を出してくださいよ。なければやりますよ」と言うわけには、やっぱりいかないわけですね。だから、そういう無理を強いるようなガイドラインにしてしまってはいけないと思うのです。このことを考慮すると、位田先生が言われたオプションの方が、現実性と倫理的な妥当性があるのではないかと思いますね。

位田 ややこしくなるケースもあって、家族はエホバの証人の信者さんではないけど本人がどうもそうらしいというケースで、家族に「決めてくれ」と言っても、信仰も尊重したいけど命は助けて欲しいということで、「私達には決められません」と言われた時にどうするのかとか。いろんなケースが出てくるけども、その時は「救命義務で行く」というので良いのではないでしょうか。

勝村 今、出てきたようなやり方とは僕も意見が違い、元々の論理の方が良いと思います。

小原 今、ハッキリと問題点が分かりましたので、それではこういうふうに整理したいと思います。(2)の①の後半部分は削除して、ここは「代理人もしくは保護者の意思を、免責証書を担保にして最大限に尊重する」という形で、趣旨等の一貫性を図りたいと思います。よろしいでしょうか。

富永 そうしますと、「輸血同意書を作成した場合は輸血を行い、無輸血の希望があった場合には、代理人・保護者に無輸血の免責証書を作成していただいた上、無輸血の対応を行う」と書けばよいですか。

小原 いや、文章はこのままで良いと思いますよ。

勝村 その下の②は、[いない(見つからない)場合]とあるけど、「いてるけど緊急の場合で判断を仰げない場合」みたいなのは、想定しなくていいのですか。これに入っていそうな気もしますけど。つまりP4の⑤との整合性で、①の[ただし]以降の「緊急事態で確認が取れない場合」の項目が現実に要るのか要らないのか…。そういう場合はないのですか。P4の⑤は[生命の危険を伴う緊急事態で、事前指示書がなく]とあって「代理人・保護者が出てきた場合は(2)に従う」となっていて、実際に事前指示書がなくて代理人・保護者がいているのだけど、緊急事態で聞きにいくということができない…、

小原 それは②ではないですか。

 今おっしゃるのがややこしければ、「(見つからない・連絡がつかない)」と入れたら良いですわ。

勝村 だから、P4の⑤が示している[次頁(2)]というのは、「P5の②に行くのですよ」という趣旨が分かるようにした方が良いのではないか。

 話がややこしくて混乱するのなら、P4の⑤の[ただし]以下を削りましょう。

小原 そうですね⑤の[ただし]以降は削除するということですね。

 先っきの提案でP5の①に関しては、指示書がない場合、家族に委ねるという考え方は変なような気はしますね。

小原 それを言いだすとまた元に戻りますが、もちろん変であれば、それをやめておこうということもできるので、もう一回、議論しますか。

 「家族に委ねる」ということで同意がされているのですか。

小原 今「それで行こうか」って…。

富永 なんとなくそんな雰囲気になっておりす。

 私は「救命のために必要な場合は医療側の判断で、家族に委ねない」という選択肢を入れておいた方が良いという意見ですけど。

小原 「それをすると矛盾する」というとで議論が始まったのですけど。

 [本人のために]という言葉はちょっとややこしいのですけども、「救命のために必要な場合は医療側の判断でやりますよ」というのは、矛盾するとは思わないですけど。

小原 ない方がスッキリしますよ。

勝村 ない方がスッキリしますので、僕もちょっと迷ったところですけど、生命の危険を伴う緊急事態という部分だけを取りだして書けば、文章としてそんなにおかしいことではない。今の文章はおかしいですけど。

関谷 今の流れは、命の危険があることが医療チームに分かっていても、代理人に従うという意見ですね。

 私は、それには反対という意見です。それは、(1)の⑤で「緊急事態の時にはやりますよ」と書いているので、そことの整合性ということから言っても…。

小原 「緊急事態で代理人・保護者がいなければやる」というのは多分、合意が得られると思うのですよ。原さんが言うているのは「代理人・保護者がいたとしても、やるべき時にはやりますよ」ということでしょう。

勝村 なんとなくここ2年間の雰囲気では、本人の意思の意思はすごく尊重するけど、家族や代理人の意思というのはあまり尊重しないという路線があったじゃないですか。

小原 そうですね。ただ、今のできかけた結論というのは、家族の意思を尊重した方が現場も上手く回るだろうということで、そこに…、

勝村 いや、そこのバランス感覚の難しさを楽にしてしまうところが、返って危険なんじゃないかと…。「家族の意見をある程度は尊重しつつ、場合によっては医療者側が判断することもあり得る」という原さんの意見も、実質は迷うところです。

小原 ということは、「本人の意思を反映している」と言っている家族の意思より、医療者側の意思を優先すべきということですか。

勝村 いや、「優先すべき場面もある」ということが今のややこしい議論になっている。

小原 「…場面もある」というのは、緊急時においては…、

 ややこしいのは、(1)の⑤で「緊急事態の時は」というのが、この流れで行くと(2)に準用されるのかがハッキリしないからですよ。

小原 (2)で書いていないということは、緊急時であったとしても「代理人・保護者が『無輸血でやってくれ』と言った場合にはそちらを尊重するのかしないのか」って、そういうことでしょ。

 そうですね。だから、意見をまとめられるのならまとめても良いのですけど、意見は分かれていて、私は「それには反対だ」という意見です。

小原 なるほど、それではもう一度…、

位田 それでは両論併記しか…。

勝村 上手く両論併記できても、現場はちょっと悩ましくなる。

 現場でもう一つ言いますと、一般論としては家族の言うことを聞く方が我々は楽なんですけども、「私達は輸血で命を救うのだよ」という形で言う時には、家族が何と言おうと「輸血します」ということは案外、言えないこともないです。だからこれは非常に難しいですけど、どちらもありかなという感じがしますね。

勝村 実際にはエホバでなくても、患者・家族の言うことを「もっともだ」と思ったら言うことを聞くし、患者に対して「なんでこんなことを家族が言うのだ」と思ったら聞かないわけではないですか。そういう場面ではないかも知れないけど…。

 これは、他の年齢の低い場合との整合性の問題もあるのですけど、要は、意思決定能力がなく、事前指示書がない場合でしょ。「ない場合にどうしますか」という話で、今の「流れ」とおっしゃる「両方ない場合は家族の判断に委ねる」という話は、例えば子供の場合で、親が反対しても児相へ通告したりして「救うためにはやりますよ」という話と矛盾するのですよ。だから、命に関わる場合は指示書がなければ医療を優先するというオプションが、むしろ原則ではないかと思います。

位田 今まで「原則が何で、こういう場合は例外でやってよろしい、やっぱりダメです」というのを整理しないで、あっちの意見もこっちの意見も取り入れで、こういう形になってしまっているわけで、我々、医療者以外の人が「どっちが良い」という話だけではなく、病院全体として「どっちで行くのですか」ということを決めていただかないと…。その上で、それに沿った方向で倫理委員会がガイドラインを作るのだったらそれで良いと思いますけど、そこが決まらないと…。おっしゃったように「どっちでも良い」という選択肢もあり得ると思うのですよ。「そこはもう現場に任せます」ということで、保護者・代理人の意思を尊重するというケースがあっても良いし、仮に免責証書などを書いてもらったとしても「命が危ない時には助けます」という選択肢を現場が取っても良いという、ガイドラインの作り方もあり得ると思います。どうするかはやっぱり病院で決めていただかないと…。その上で、どういう文章にするかはここで議論したら良いと思いますけど。そこが分からないと…。

勝村 今、探っている形でまとめていただいた方が…。僕はすごく特異な考え方ですけど、無輸血は不作為とは言い切れない、治療法の選択の一つだと思っていて、血液製剤や輸血も薬のように副作用があるし、ATLウイルス感染するかも知れないし、肝炎になるかも知れないので、一定、患者本人や家族の意見は尊重されてしかるべきだと思っています。だから、「患者本人の意見は尊重しましょう」というのはもっともで、それに次いで、「患者の意思決定能力がなくても患者の意見を尊重したい」という現場感覚は分かるけど、家族や代理人の言うことに100%従うということは、これまでの倫理委員会の議論のコンセプトとちょっと合わない気がするので、このガイドラインにおけるこの項目というのは極めてレアケースだから、もう少し上手く、緊急時を含めて表現できた方が良いけど、気持ちとしてはそんなに…。

小原 これまでの議論というのは、これと違う場面で患者個人と家族のことを考えた時に、圧倒的に患者を重視しましょうということで、家族の論点に押されたりせず、とにかく患者の意思を守るということでガイドラインを作ってきたと思うのですよ。で、ここでなぜ家族、要するに代理人・保護者のことを少し重視しているかと言うと、家族の自己主張ではなくて、本人に意思決定能力はないけども、実際には明確な意思を持っていたということを誰かが知っている場合には、患者本人の意思を家族を通じて伝えられているわけだから、結果的には患者本人の意思を最大限尊重するということになっていると思うのですよ。そういう趣旨なんですよ。で、[はじめに]でも「生物学的な命より患者本人の思想・信条の方を重視しましょう」というのが原則ですから、原則から外れるような、つまり意思決定能力がないとか緊急事態という場合には、例外的なオプションを付けているだけで、大原則というのはあるのですよ。

勝村 しかし、P5の①には[その判断に基づき]としか書いていないわけですよ。P4の⑤には[何らかの事情で代理人・保護者によって事前の信仰内容が明らかになった場合]と書いているじゃないですか。その表現だったら、まだその論理ですよね。P5の①は、あまりにも代理人や保護者が判断するみたいに見えたから、ちょっと違和感を感じていたということですよね。今のお話だったら、①もP4の⑤のような書き方をするべきで、「事前指示書がなくても、何らかの事情で事前の本人の意思が確認できる場合は、それに従う」と…。

小原 ここで言っているのは、[その判断に基づき]という非常に短いフレーズですけど、意味としては⑤を受けていると考えていると考えて良いと思うのですね。

勝村 そういうふうに分かるようであれば、もう少し違和感がなくなりますよね。

位田 単に本人がどう考えているかということではなくて、思想信条というのはある意味では命に代わるものだと思うのですね。だから、そこをどう判断するかで、それをもし家族なり代理人が分かっていて、本人の代わりに「実は彼はこうだったのだ」ということを言っていただければ、やっぱり信仰を重視するという意味も…、という言い方はちょっとおかしいのですけど…。信仰というのは、僕はそんなもんだと思っているので。

富永 [ただし]以下はなくしたとしても、言葉で誤解を受けないように、「事前指示書がなく、代理人もしくは保護者(……)によって、事前に信仰内容が明らかになった場合は、代理人・保護者により輸血同意書または免責証書を作成していただき、輸血または無輸血の対応を行う」の方が分かり易いですね。

勝村 そうです。それだと患者本人の意思ということで違和感はないですね。「本人意思」がなく、「代理人・保護者が決めて良いのだ」みたいな感じに受け取れてしまうのはちょっと…。

富永 「本人の代わりに」ということですね。「本人の意思のために代理人・保護者が手足となって」というニュアンスになれば良いわけですね。

小原 ただ、その文章を明確に入れた場合、輸血同意書や輸血というオプションが消えてくると思うのですよ。

 それはケースバイケースでしょう。ここで言う代理人・保護者がエホバ信者とは限らないわけですよ。

富永 本人と代理人・保護者が一致しない時は、またややこしい問題になりますけどね。

位田 それは「本人はどうだったかという本人の最大の利益を考えて言っている」という想定で考えるわけですから…。それと、やっぱり輸血する場合には輸血同意書をいただいておいた方が…、

富永 それは、ほとんど確実に書いていますね。

 最前の利益ということを判断するのだったら、医療サイドで判断しないと…、家族に判断させるわけにはいかないではないですかね。

位田 だけど、医療サイドが「何が最善の利益か」という問題をどうやって判断するのでしょうか。

小原 前提にしているのは、救命優先の世俗的な命ではなくて、思想信条の方をまず大事にしましょうということを、ここでは最善の利益としているのですよ。

 それはいいですよ。で、(2)の事前指示書がない場合も、「本人が無輸血の信仰を持っているということが前提である」と言うのですね。ただ、指示書がないのだから、そこに完璧な信頼はおけないわけでしょう。

位田 そこは、もう推定ですね。

小原 それで最初に聞いたわけです。指示書がなければ切り捨てるのか、なくても家族がよく知っているという場合には、それに信頼をおいて本人意思を最大限に尊重するのかという…。

広瀬 前に「もうあかん」という人に「輸血をしますか」と聞いたら、「輸血をする」と言わはった人がいて、宗教団体の方に「それは赦されるのですか」と聞いたら、「信仰が深ければいつか赦されます」と言わはったのですよ。そうしたら結局、保護者が子供を助けようと思って輸血同意書を書いても赦されるのではないかなと…。

位田 それは、それを信用するわけだから良いのではないですか。

小原 それはOKですよ。この場合もその意味では両方の可能性があって、18歳以上でも意思決定能力がない場合には、保護者の輸血して欲しいという意見は尊重するのですよ。

広瀬 代理人というのが宗教の人ではダメですよね。

 宗教団体の人ではダメでしょう。

位田 代理人は法定代理人という意味ですよね。

広瀬 法定代理人が医療のことをできるのですか。

富永 「信仰を代理できるか」と言いだすと、また言葉の定義になるので、敢えてぼんやりにしたという経緯があるのですよね。ここで作らはって、現場の医師にアンケートを取るとかはアリだと思うのですけど、ここで一旦作ってしまうかどうかだと思うのですね。現場は現場で、これをすんなり受け止めるとは全然思っていないので、この究極議論になったこういう症例で、みんなにアンケートを取ったら面白いかなと思っているのですけど、先に現場の声を聞いた方が良いのか、倫理委員会として作ってしまうのか…。

小原 ここまできた以上、一旦きちんと作って、こちらの運用上で本当に具合の悪い場合には再度、見直すということはあり得ると思いますが、今までの議論の仕方というのは決して現場をないがしろにしてきたわけでないし、充分に考慮の上での文言の策定ですから、今、もう一回オープンにして意見を聴取する段階ではないと思いますね。

富永 であれば、どちらかで閉めないとしょうがないのではないかと思うのですけども。多数決とかそんなレベルなのではないですか。だってこれはそのまま、委員一人一人の信条にも関わる問題だと思いますので…。

 いや、多数決をしたら良いのですよ。

小原 ガイドラインである以上、論理的な一貫性というのが大事でね、[はじめに]に掲げている理念に反するようなことが、各項目で出てくるというのはおかしいのですよ。ですから、世俗的な生命あるいは救命ということよりも思想信条の方を重んじて、この文脈において患者の利益を考えるということを謳っているのであれば、ここの理念を徹底して重視すべきで、その趣旨でもって文章を作らないといけないということです。

位田 [違和感を覚えるスタッフもいるだろうが、医療は、あくまでも本人のため]と書いているわけですよね。

富永 それを私が入れ込んだという感じではあるのですけど…。理念を重視して一旦作るというのであれば、①は本人の意思を尊重する形にして完成させた方が良いのではないでしょうか。

小原 今の提案でいかがですか。次回には延ばしたくないのです。

 [ただし]以下は削るということですか。

勝村 [ただし]以下を削って、①のところにP4の⑤のニュアンス、つまり「何らかの事情で~本人の信仰が明らかになった場合」を入れるということであれば良いでしょうね。なければ想定しにくいですから。

富永 それで作ってしまいませんか。

小原 原さん、それでいいですか。

 多数意見ならば、それはそれでいいです。ただ、ちょっと分からないのは、この書き方の順番でいうと、緊急事態というのが②のところに適用されるのかどうかがいまいちハッキリしないのですよ。(1)の四角というのは「18歳以上で意思決定能力あり」ということを前提に書いているので、(1)の⑤があらゆるところに当てはまるのかという区分けがハッキリしないのですよ。

富永 そうですね。⑤みたいなのを全ての(括弧)に付けておくかということですね。それか大前提として、これを原則よりも前に出すかということですね。

広瀬 別にしないと…、

富永 …であれば、(1)~(5)の各項目の最後に…。原則よりも前にこれを持ってくるのはなんかね…。

位田 これは原則ではなくて例外ですけどね。

富永 それこそ(6)として、全体に掛かるような例外中の例外として、「生命の危険を伴う緊急事態で、意思決定の確認もできない場合には」という感じで…、

勝村 そうですね、最後に「上記の(1)から(5)までを含めて」…。

 いや、そうではなくて、(3)~(5)は緊急事態の件を書いてあるのです。だから、(2)が抜けているだけなので、全体に掛けるのではなくて、(2)に緊急事態的なことを捕捉する方が自然なんです。

富永 全項目からそれを外して、全体に掛かる緊急事態として(6)に整理した方が良いということですね。

小原 そうですね、共通しているものはまとめた方が分かり易いでしょうね。

 マニュアルは、最後に書くと分かりにくいですよ。

富永 マニュアル的には分かりにくいのですけど、エホバの証人の人に対して出すものとして、それがトップにあるというのはどうなんかなと思うのですけどね。「緊急だったらウチはやってしまいますよ」が頭に来てて、その後で「原則」というのもなんだかちょっとね…。

小原 原さんが言うているは、それぞれの項目の中に入れちゃうということですね。

 (2)の②の中に「生命の危険が伴う時はできるのだ」というのを入れてしまえば、「それぞれに全部あるよ」ということになりますから。

富永 それでも良いと思いますが、別立てで全部の最後のところに入れた方が分かり易いかも知れない。

 それは分からないです。マニュアルとして間違えます。

小原 つまり、パッと見る時は年齢とかで見るので、その中で一貫している方が良いということですね。

 いっぺん場合分けをしたら、その範囲内で見て、選択肢が分かるようにしないと…。

小原 そのページだけを見れば判断できるという実用上の便を考えて、そっちで対応してください。確かに重複していますけど、間違いのないようにすることを優先した方が良いですから。
ではよろしいでしょうか。これまで文言の修整レベルでご提案いただいたものを全て反映するとして、いちばん大きかった(2)の①の[ただし]以下を抜いて、で、緊急の文言を入れて全体を整えていくという形でまとめたいと思います。これで一応いいですか。

一家 [基礎的情報]に関する指摘なんですけど、よろしいですか。まずお願いなんですけど、P16の[文献]の8)の私のところですが、これはあくまで身内で勉強会をやるために作った資料なので、これは外してください。

富永 すみません、こんなところに出してしまって…。分かりました。私があまりにも勉強不足だったので…。

一家 あと、文献の6)と7)がどこにあたっているのか、ちょっと見つかりません。

位田 これは引用文献ではないのでしょ。

一家 脚注が付いているのと付いていないのがあって、6)と7)がどこに付いているのか分からなかったんですね。
もう一点はP12で、8行目の[医師の職業倫理指針]に注5)が付いていて、そこから8行下がったところの[宗教的輸血拒否に関するガイドライン]に4)が付いているという、形式的なところを直していただきたいと思います。
最後に、先ほど指摘した免責証書のことで、[基礎的情報]に入れていただければ良いと思うのですが、医療者の方が免責証書の意味・効力というのを正確に理解された上で、このガイドラインに従うということでないとマズイと思います。年報医事法学という日本医事法学会の雑誌の22号に、先の大阪地裁の判決に対する紹介論文が掲載されています。この論文を書かれた方はかなり医事法に詳しい医師なんですが、その先生ですら「免責証書の有効性を否定されたこの判決はおかしいのではないか」とかなり否定的に見ておられます。多分、その否定的な感覚が非法律家の医療者の常識だと思うのですが、その常識でこのガイドラインに従うと危険な部分があるということを、[基礎的情報]に載せるべきではないかと思います。

勝村 大阪地裁の判決は、一般論的な免責証書の有効性の議論ではなく、説明義務違反的な内容ではないですか。色々な同意書でも説明がちゃんとされていたら有効でも、説明不足なら違反に問われますから、免責証書も説明を尽くしていたら有効なのではないですか。

一家 それは分からないです。可能性としてはあり得ますが、この判決は、まず実際にこのケースでは説明責任を尽くしていないという点が中心で、説明義務を果たしていないにも拘わらず免責証書を取ったからといって、「損害賠償を請求するのはおかしい」という医療機関側の主張は認められないということを述べています。だから事件の個別性は当然あるのですが、一般的に免責条項というのが有効か無効かというのははなはだ怪しいということも、医療者には知ってほしい。この判決が絶対に正しいのか、この後、仮に控訴審へ上がった場合にどうなるか分かりませんが、事実、こういう状況にあるということは知っていてもらった方が良いですね。

 要するに「エホバだから『はい、免責証書』という対応ではダメで、『輸血をしないと危ない』としっかり言った上でないといかんよ」というような話です。だから、最高裁判例の後には、その判例そのものを書かないと仕方がないですね。

位田 だから、この問題を医療者がどう考えるかと言いますと、エホバの証人は「こういう免責証書で私達はいいのです」と考えているわけですから、法的な問題と思想・信仰をどう考えるかというチョイスですよ。

勝村 免責証書を書かせる時の説明の仕方に充分な…、

位田 要するに説明をちゃんとするということが前提で、そこで書いてもらった免責証書にどれだけ有効性があるかという問題。本人が持っているエホバの証人のものは、「無輸血をやってください」という事前指示書と免責証書が1枚になったもので、別々に持っているわけではないでから、エホバの証人としては「それで私達は信仰上の問題は解決していますよ」と言っているわけです。それを裁判所がどう判断するかというのは、また話が別なので、病院としてはどちらを取るかという話です。ただ情報としては、「大阪地裁の判決にこんなのがありますよ。従って、法的には地裁の段階だけどこういう形になっています」という情報を与えるべきだとは思いますけど、だからといって疑わしいとは必ずしも言えないし、少なくともエホバの証人は「これで良い」と言っているわけですから、我々は裁判所をあてにするのか、エホバの証人をあてにするのかという選択です。

一家 医療側が十分な説明をして、患者側が納得して作成した免責証書は、同意書という意味ではかなり強いものとなっているとは思います。ただ、それを裁判所がどう評価するかは分からない。

小原 それを[基礎的情報]に、最近の動向ということで付け加えておいた方が良いという提案ですね。

位田 もしそうなれば、「裁判に負けても我々は免責証書を信じます」というわけです。

小原 富永先生、[司法における動向]かな、[3 社会の動向における基礎的情報]の中に、今のことを…、

富永 はい、最高裁の流れのところに…。で、さらに[基礎的情報]については、私の意思とかの評価はなしに、いろんな情報を追加しようと思うので、これは本体とは別にアップデートします。

小原 [基礎的情報]は外に出さないことになりましたので、こちらは少し時間が遅れてもいいと思うのですよ。脚注を整理したりしていただいた上で、可能であれば次回にもう一度出していただくとことで…。ただ、本編の方は今日に議論したところで決めて、最終的なものを皆さんにメールで確認していただいた上、大きな問題がなければ公開するという形で進めたいと思うのですが、それでよろしいですか。それでよろしくお願いいたします。はい、この件を一応、今日で決着が付いたということで、ありがとうございました。
では議事の(4)の[終末期医療に関する資料]ということで、最初にメールでお渡しした原さんの分も、今日は印刷物としてあるのですが、これは前回にお話ししましたように、議題というより、この問題を今後にきちんと考えていくための学習をしたいということで、原さんに準備をしていただきました。ただ、今日は思わぬ形で議論が展開しましたので、時間を充分に取れません。ここもしっかりと議論していきたいと思っていますので、今日は、この資料でどういうことを目指すかという、そこだけのご説明をお願いします。

 

議事(4) 「終末期医療に関して」

 ごく簡単に言うと資料そのものは、今までに出ている主だった団体・学会等のガイドライン的なものを拾った、まさに資料集です。読み込むのはなかなかやっかいなんですけど、微妙に違ったりして、特に老年医学会とかのあたりは曖昧さを重視するような作り方をしているので、スッと飲み込みにくく、説明するのもややこしいのですが、主なガイドラインは「チームで判断する」とか「家族より本人の意思を重視ですよ」とか「緩和ケアが前提ですよ」とか、概ねの共有点があって、厚労省のガイドラインなんかは、プロセスとしてはあまり大きな反対論はなかろうという感じですね。
あと、私のレジメの2枚目のところで、学会のガイドラインの特徴で気付いたところを書いていますが、個別の学会が言っているのは少しずつ違いがあります。老年医学会は「みんなで決めましょう」というような思想ですし、集中治療学会や救急医学会は「本人が控えてくれと言っても、家族が続けてくれと言ったら、家族の意向に従う」というような優先順位にするというふうな違いがある。ちょっと変わっているのは小児科学会で、実は、私は小児科学会の倫理委員なんですけど、割と代行判断が必要になるケースが多いという事情もありまして、チェックリスト方式というかなり変わった実用的なものを取り入れていますが、誰の意思というよりも、まず前提条件として「いろんな話し合いをちゃんとできる環境が整っているかみたいなことを、しっかり考えましょう」みたいなチェックリストです。というようなことで、それぞれのガイドラインを見ながらでないと分からないですけどね。
民医連病院で考える場合は、哲学的なところをだいぶ議論する必要があるのではないかなと…。要するに終末期の何に価値をおくかというのは、いろんなガイドラインの中で必ずしも一致しているとは言えません。「QOLの方が大事だ」というのが強くはなっていますけども、QOLと本人意思とがイコールとも限りませんしね。そのへんが難しいところで、価値観の議論をする必要があるだろうなということと、恐らくあまり自己決定至上主義みたいなことは、ここでも今までの議論からするとそぐわない。そうすると何に重きをおくのか。私は患者の心理とか満足度とか気持ちというようなね…。そのためにはケアの態勢みたいなことがかなり重要になりますね。リビングウィルみたいなものの実用性は、形式的に従うのは簡単なんですけど、本質的に考えると、特に元気な時に書いても私はあまり役に立たないと思っています。そのあたりを議論していく必要があるということです。

小原 そうですね。世の中でよく言われていることと反対のことを言われていますので、議論に価値がありますね。ありがとうございます。それでは、皆さんのお手元にあるものを可能な範囲でお目通しいただいて、次回、原さんにもう少しまとまった時間でご発表し、ご提言いただいて、我々の課題を共有していきたいと思っています。今日は時間がありませんので、資料をお持ち帰りください。で、これを次回に忘れず持ってきてください。「ありませんか」と言われても、大きなものですので、事務局は直ぐに出せませんよね。ですから、保存用としてお手元で大事にお持ちいただければと思います。それでは一家先生の方もお願いします。

一家 当日資料の方は私が提出させていただいたものですが、これは今から5年前の医事法学会で「終末期医療のルール化」という全体シンポがあって、その予習の勉強をしようということで、大学院生だった自分が報告したものです。P2~P6は、原さんが集めてくださったガイドラインとか、それ以外の判例のポイントを押さえつつ、評価を付けています。P7~P8は、一覧を作った方が分かり易いかなと思い、「患者の状態」「治療中止の意思表示」「対象となる行為」「その他(免責規定、立法化など)」という視点でまとめてあり、原さんが集めてくださったものの全てを網羅しているわけではありませんが、ご参考まで…。

小原 ありがとうございました。一家先生のものはかなりまとまっていますので、お目通しいただいた上で、これも次回に合わせて持って来ていただいて、原さんと一家先生のお2人に短くご発表いただいて、議論をしていきたいと思いますので、一家先生の方もご準備の方、よろしくお願いいたします。
では、これは次回に回すということで、議事[(4)その他]の[①倫理委員会の議事録公開について]ですが、一家先生のお気付きの点がありますので、ご説明いただきたいと思います。

 

議事(5) 「その他」

一家 新参者があれこれ言うことではないかと思うのですが、こちらの倫理委員会のホームページを拝見しますと、会議の内容がほぼ一字一句漏らさず議事録公開されています。これを委員に決まった後に気付いて、ものすごく驚いたのですが、個人的意見としては、ここまで公開する必要はないのではないかと思います。
まず、一字一句書かれると、発言しにくいということがあります。先ほど「家族の立場になったことがあります」と言った時に、そこから後を話せないところがあったりとか、「他の医療機関では、こういうふうにやっています」といった紹介もちょっとしにくくなりますので、できればそこを隠していただきたいというのが、個人的にはあります。あとは、病院とか患者さんのことを含めて考えますと、ここまで公開することで誰に利益があるのだろうと思います。ちなみに、病院内倫理委員会を色々調べていて、色々な病院のホームページを見ていますが、ここまで公開しているところは他にございません。それで、ある意味では、この委員会の公開の姿勢はすごく評価されるべきであろうと思いますが、誰に利益があるのだろうということを考えると、やめた方が良いのではないかなと感じます。

小原 そこは充分に議論すべきことだと思いますので、今日はご意見を賜るだけで、次回の議題にして、しっかりと話し合いたいと思います。で、一家先生も多分お気付きだと思いますけども、患者個人とか特定の組織を特定できるような形の文言というのは、削除したりしていますので、少なくとも特定個人や団体に対する不利益というのはないですね。ただ、誰が得するのか、誰が利益を得ているのかというところは、もちろん考えなければなりません。ただ、第1回から記録を公開しているのですが、やっぱり透明性をきちんと確保したいということと、それから、もちろん公開すると広く社会に出ていくわけですが、この病院内部における議論の活性化ということも、一つの目的として掲げたのですよ。つまり、どうしても場所とか時間が限られていますので、倫理委員会をやっているといっても、当院の医療スタッフそれぞれが、実際に何をやっているのか分からない場合がありますね。しかし、関心ある方がその都度アクセスしていただければ、だいたいどういうことをやっているかという雰囲気をご覧いただけます。ただ、逐語録に近いですから、一家先生の目から見ますとちょっと過剰な部分があるかも知れません。しかし、これがゼロになってしまった時には、どういう問題があるのかということも考えないといけませんので、次回に議論を詰めたいと思います。ご提案、ありがとうございます。

一家 私もゼロにしろと言っているのではなくて、要点とだいたいの議論をまとめたものを公開してはどうかと。さらに、倫理的問題について勉強したいという方のために、病院内部に公開する分には全文公開でも結構とは思いますが、それを社会に出す必要があるのかというところです。

位田 そこは、公開性をどういうふうに考えるかという、それぞれの人の予断があるのだろうと思うし…、

 「こんなことを議論のテーマにした」と項目だけを書くのは簡単なんですけど、議論の要旨を作る作業というのはたいへんなことになってしまうので、どうするのかなという…。

一家 それなら「リクエストがあった時に公開します」と説明を付け、透明性を担保すれば良いと思います。

小原 そうですね、今日に議論すると、ここからまた色々と白熱しますので、次回の議題に上げて扱いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

位田 一つやっていただきたいのは、公開する前に一旦、戻していただいて、「ここはやっぱり具合悪い」というところを消させていただくという方が良いかなと思います。そういうコントロールなしでは…。

勝村 昔はありましたけど、あまりに多くて読めないでお返ししていたから、送っても一緒と思われたのかな。

位田 そこの問題がありますよね。もっとまめにチェックしないといけないですね。

小原 これのアップは、いつでもどのタイミングでされていますか。前回の分は、今はもうアップされているのですね。

丸山 はい。文章が届いてから、少し事務長と見てからアップしています。以前は全員に回していたのですけど、返信がない状態でしたので…。

勝村 昔は郵便だったけど、今はメールで、メールの方がだいぶ読み易い…、

小原 ではこうしてください、今回の分はそのままアップするのではなくて、取りあえず委員全員にメールで回していただきまして、「ここは削除して欲しい」という要望を反映した上で、アップする形にしていただいて、そのものの扱いについては、次回にきちんと議論したいと思います。

 期限を切ってください。期限を切らないと締まりがなくなる。

小原 期限は、発送して2週間以内ぐらいでいいですか。では、2週間を目途に「何月何日までに」ということでお願いいたします。
それでは次は[(4)その他]の②と③ですが、これはいつも富田先生が説明してくださっているのですけども、今日はご都合が悪くて出席できませんでしたので、②と③につきましては次回に回したいと思います。
これで予定した議題は全てですけども、事務局の方から何か付け加えるべきことはありますか。特にないですか。では、次回の日程の調整の方をよろしくお願いいたします。

丸山 最近の定例では2ヵ月後の第2木曜日になっていますので、11月8日ということなります。

小原 11月中は皆さんのご都合が悪いようなので、12月13日はいかがですか。富永先生以外にご都合が悪い方がおられなければ、12月13日木曜日で決定したいと思いますので、よろしくお願いいたします。それでは、今日の倫理委員会をこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。

 

 

 

(入力者注)

文章は全体を通して、話し言葉を書き言葉に改めたり、意味の通じにくい言葉を言い換えたり、同じ発言の繰り返しを省くなどの推敲を行い、かなり要約した形になっていますが、発言者の意図を正確に伝えることを最優先にしています。

 

 

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