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第三回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2004年1月15日(木) 18時~21時
出席者

(外部委員)
小原克博委員長、原昌平副委員長、勝村久司委員、立岩真也委員、広瀬東栄子委員、村井豊明委員
(病院委員)
北村隆人副委員長(精神科医)、吉中丈志委員(院長、内科医)、東正一郎委員(副院長、整形外科医)、田中久子委員(看護師)、岸本啓介委員(事務長)
(職員オブザーバー)
産婦人科:西田医師、中村医師、楠本医師、藁谷医師、川原師長
内科:高橋医師
(事務局)
村上、丸山

欠席 高木幸夫委員(臨床研修部長、内科医)

議事

<議題1:議事録におけるプライバシー配慮のありかたについて>

小原:だいたいおそろいになったようです。お一人今向かっている方がおられますが、お手元にある議案にしたがって今日も進めていきます。まず1番目から事務局の方から報告をお願いします。

岸本:第2回の議事録ですが、後日送らせていただきます。一回目については12月にホームページの方に掲載させていただきましたので、ご確認下さい。

小原:一点確認したいのですけれども。前回の議事録は確かにプライバシーの保護をどうするかが非常に難しいところだったのですが、まだ整理できていないということですから、そのへんの問題はないですか。結局、プライバシーということについて今後もずっと続く問題点ですので、今はどういう形でまとめようとされているのか、あるいは何かむしろここで諮っておいた方がいいことがあるのであれば、調整中に言っていただいた方が作業も進むのではないかなと思うんですけれども。

岸本:病名が特定されてしまうので、プライバシー保護のためにはどう表現したらいいか、そのあたりについてまだ整理しきれていないということがあります。

小原:一回目の議事録は、各人の発言がかなりそのまま掲載されていますね。それをたとえばプライバシーの保護を行う場合に、たとえばある部分を単純に削除するというやり方で間に合うのか、なんか一定のルールがないと結局議事としては議論したのに、結局ある部分を削除してある部分を残しているとなると記録としてはある種の改ざんということになりかねないわけですよね。ですからルールさえ決めておけば、そこは問題ないと思うんですよ。プライバシー保護のためにこういうルールを設定して、多少調整はしていますというね。それがどこかで明記されていれば議事録としては正当性と言うか、問題ないと思うのですね。プライバシー保護と言った場合に、何を内容として保護したらいいかというとですよね。まず人物は特定されないという部分と、それから病名はやっぱり特定されるとまずいんですか。

岸本:個人と結びつかない病名であればいいとも思うんです。

小原:いかがでしょう。結構大事な点なので。個人が特定されなければいいというレベルで落ち着けるのか、あるいは病名まで特定されないように処理した方がいいのか。

立岩:個人名がまったく特定できないんであれば病名はあってもいいのではないかと思います。病気の中にはすごく稀なものもありますから、そうなるとその時点でわかってしまうものもあるわけで、そうすると病気によって対応というのは当然違ってくるものですけれども。どういう病気かわからないと一体何を話しているのかわからない場合もありますから、可能であれば病名はあった方がよいと思います。

小原:どうでしょう。今のご意見に対して何か付け足すこととか、意見があれば出していただいた方がいいのですけれども。

勝村:僕も、すぐにその人だとわかってしまうような情報の出し方はもちろんダメだと思うのですけれども、一見わかりにくい情報でもそれをきっかけにして個人の特定につながるかも知れないから、という理由で削除しはじめると、まったく何もかもわからなくなって情報公開の意味がなくなってしまう。どんな情報であれ、誰かが週刊誌的に探偵のように探っていこうと思ってすれば出来てしまうわけで、そういう悪意を持った行為自体がプライバシーの侵害にあたるわけなので、それはそっちの方の問題であると思います。あまりにもすぐにわかってしまうような書き方だったら出し方の問題だろうけれども、調べるということでもしない限り患者を特定出来ないような範囲であれば、出していくべきだと思います。

小原:どうでしょう。そういう線でまとめていいでしょうか。つまり個人が特定されない範囲で若干修正を加えると。実際にはものが出てきてから皆さんに目を通していただいて、それでどこか問題があれば指摘していただいたらいいと思いますので。病名については、病名は基本的には触れていい、しかし個人は特定されないように配慮する。この原則でまとめていただけますか。そして修正の後にまた皆さんに届けられるということですので、それをまたご覧いただいて意見があればお申し出いただきたいと思います。

 

<議題2:インフォームドコンセント指針の作成について>

それでは2番目の議題です。

北村:インフォームドコンセントの指針というものを第1回目の倫理委員会のときに皆さんにご議論いただきましたけれども、あれがそのままになっております。現在の我々の指針は東札幌病院のインフォームドコンセントの指針を、参考にした内容になっておりまして、あのまま使い続けるということは一個の病院として具合の悪いことだと思っておりまして、何らかの改訂作業を進めていく必要があると考えております。ただ、わりとまとまった形のガイドラインにしなくてはいけませんので、こういう倫理委員会でいきなり議論といっても、なかなか適切な議論も難しいと思いますので、病院内部の者から1、2名、それから外部の先生に1名ご協力いただく形で編成したチームをつくって、そのチームで作業を進めていく。そして、できあがった内容を倫理委員会でご検討、ご承認いただくという形の作業ができればなと思っております。そういう進め方でよいかご確認頂き、それでよければ外部委員の先生、どなたか1名、そのチームに加わっていただけないかなということでご議論いただきたいと思います。

小原:ご提案いただきました。で、内部の2名というのはだいたい決まっているんです。今、打診をしている段階ということです。外部から1名ということですが、どなたか名乗りをあげていただきたいと思っておりますと決まっていいんですけれども。要するにワーキンググループですね。

北村:基本的に内部のチームで素案を作成し、それを外部の委員にいろいろチェックをしていただいて修正していくという形の作業をとりたいと思いますし、外部の先生には我々がお伺いして御意見をいただくようにしたいと思っております。外部の先生にはできるだけご足労いただかないですむような形にしたいと思います。

小原:だいたい作業の予定としてはいつ頃までに仕上げるご予定でしょうか。

北村:それはまだくわしくは決めておりません。こちらとしては、内部委員でしっかりすすめた上で御意見を伺うようにするつもりですので、そんなに過度のご負担にはならないと思います、

小原:どうでしょう。外部委員の人を一人、まず今日ここで決めることができればと思うんですけど。いかがでしょうかね。

勝村:内部でつくられたものをチェック的な意味合いであれば法律にくわしい方とかいろいろあると思うんですが、ご存知かもしれないですけれども、私は枚方市民病院でいろいろと取り組んできて、やはりどうせならば、いずれは日本中で当り前になるだろうけれども、けれども現状では全然初に近いようなことを率先してやってもらうぐらいの意気込みがあれば、参加させていただきたいと思います。つまり、枚方市民病院では、3年前は遺族へのカルテ開示はまったく行っていなかったのですが、全国初で遺族にカルテ開示をする指針を決めて、それが報道されて今では日本医師会の指針でもそうなっております。ただ当時の委員長は震えながら「やります」と言っていました。一体どうなるんだろうという思いだったと思うんですが。今では例外のないカルテ開示ということで、カルテ開示の請求があれば100%開示しています。カルテ開示してもいいか、問題ないかの議論が省けるので請求があればすぐにその場で渡せる、ということを全国初でやってもらってきました。今年の4月ですね。それが毎日ある。それぐらいの画期的なことを、やってもらいたいと思います。原案の段階はまず病院側で検討してもらって、そこに私の意見を返していくという、僕はそういう立場でやらせてもらえれば、やりたいと思います。

小原:ありがたいご意見ですね。いいんですか。そういうことで。

北村:ありがとうございます。病院内部でつくってしまうと、どうしても守りに入ってしまいますし、勝村さんからハッパをかけてもらえばきっといいものができると思いますので、ぜひご協力いただければと思います。よろしくお願いします

小原:では、勝村さんということでいいでしょうか。よろしくお願いします。では2番目の議題は終わりにしたいと思います。

 

<議題3:事例検討:親族もなく判断能力もない患者の治療方針決定の倫理的問題>

小原:次は3番目にうつります。ここから後は事例にはいっていくわけですね。ここから事例の内容についての説明をふまえた上で議論をしていきたいと思いますので、まず御説明をお願いします。

高橋:主治医の高橋です。本日の資料の4ページのところに事例の概要がはいっております。

事例:Aさん

50代、男性。心不全の治療と精査を目的として当院に入院となった。入院までの診察の結果、虚血性心不全が疑われていたため、冠動脈造影を予定し、検査説明を行っていた。しかし検査までの間に突然、心肺停止が発生した。すぐに蘇生術を行った結果、意識は回復しない物の心迫は再会し、人工呼吸下で循環動態は保たれた。重度の急性冠動脈症候群の発生が推定された。この時までに連絡できる親族はわからず、救命のために、金融冠動脈造影を施行した。その結果、重症三枝疾患(3本ある冠動脈のすべてに高度狭窄のある虚血性心疾患)であり、一般的には冠動脈バイパス術を選択されるべき状況であった。

 この事例について、ご議論いただきたい点を3点まとめてみると、
1)急変での治療行為を選択する上での同意のあり方。連絡がとれない、ないしは連絡がとれても上記のような対応をされた。それから後半部分は親族、配偶者が治療方針の決定に参加をしないときで、患者さん本人にも自己決定の論理として十分とは思われがたい場合に、治療方針決定を誰がおこなうのか。ただ後半にありますけれども、治療継続を受け入れることが困難だとこちらが判断されるときに処遇決定を誰が判断してどのよう行うのかという点。私の方からは以上です。

田中:集中治療病棟の方から一般病棟の方に移られたときから「これは大変だな」と感じる方でした。車椅子に坐っていただいて病棟で過ごしていただくことが多かったんですが、目の前にあるすべてのものをつかんで引っ張ってしまう行動が見られて、無意識のうちなのか意識の上でなのかわかりませんが、何でも引っ張ってしまわれる。たまたま廊下におられた時に、前に歩いておられた他の患者さんの杖を引っ張られて、あやうく転倒させてしまいそうになることがありました。また何でも口に入れてしまう傾向があり、書類とかその辺にある紙類もすべて口に入れて食べてしまわれたりとか、ゴム手袋などの看護婦が使っているものをポケットからとって食べられた時があったりもしました。また非常に危険な行為も多く、転倒を繰り返されることが多く、かなり力のある方でしたのでベットの柵をはずして自分でおりて転倒されることがよくありました。また非常に力がありましたので、暴れたときは看護師では対応できないこともありました。日が経つにつれて、車椅子もだんだん自分で上手にこげるようになってきたので、次第に座って動ける範囲を広げていったのですが、同じ病室の他の患者さんの物をとってしまったりの状況がうまれてきたりしたので、色々と苦労しました。

病棟として非常に問題意識が強かったのは、なんとか他の患者さんを見ながらでもAさんを何とか看ていこうという気持ちはあったのですが、この方にとって抑制される状況が続くのは幸せとは思えなかったんです。なんとかもうちょっと介護に力が注げるような病棟への転院というのができないだろうかということで、何度か主治医とカンファレンスを行いました。ただその中で、やはり主治医としては何とか3ヶ月後、6ヶ月後にも心カテをしておくほうがいいし、何かが起こったときに救命処置ができる病院でないとAさんの場合はいけないんじゃないか。命を守る上ではそうすべきじゃないか、という立場だったので、結局こちらの病棟に来られてから3ヶ月から4ヶ月、何とかみんなで手を尽くして介護に努めました。看護師として倫理的にどうなのかなと思ったのは、その方の命に関わる問題もあるのですが、その方が今過ごされている環境というのがこの方にとって非常に苦痛でしかない状況にどうしてもなってしまうんですね。本当によかったのかどうかというところでの判断が非常に難しかったです。他の患者さまに迷惑が起こらないようにということでいろいろ試しはしたんですけれども、個室に入ってもらっても結局自分ではってでも出て来られますし、その中でやっぱりかえって目が届きにくくなるということもあって、主に詰め所の中で過ごしてもらうことにするしかありませんでした。ちょっと補足ですが、この後、療養病棟のある病院の方に転院をされてそちらの病棟の師長さんからいろいろお話を聞いたんですが、療養病棟の方は一定余裕があるので、興奮されたときには散歩に連れ出したりという形で介護をされたということです。その後、今では施設の方に入られたと聞いています。

小原:はい、ありがとうございました。議論していただきたいという点というのは比較的はっきりしていますけれども、その議論に入る前に、もし今の説明でさらにくわしく教えてほしいこと等があれば聞いていただきたいと思います。

村井:転院になったんですけれども、転院の理由と手続きはどうなっているんですか。

高橋:私が最初のオペで6ヶ月目の確認造影ということにこだわっていたんですが、次の主治医にかわって、そこで次の転院先の選択にはいって、最終的には療養病棟に転院になりました。

村井:それは本人ではなく、病院の判断で。

田中:ケアマネージャー、ケースワーカーの方から連絡をとって、ご家族の方の了解をいただいております。ご家族からは、どこでもいいから病院の都合のいいところに送ってほしいとケースワーカーに伝えられたので、主治医とケースワーカーと相談して決めました。

小原:知的レベルがだいたい3歳児程度というふうに書いているんですけれども、3歳児だとコミュニケーションはある程度できますよね。普通は。

田中:会話のレベルは受け答えはできるんですけれども、そこに本来の意味というのが必ずしもあてはまらないと言うんですかね。たとえば「お名前は」と聞いたらお名前は答えられますし、「お腹が減った」とか、本能的な欲求というのは言うことができました。でも意味のある会話というのはかなり難しかったですね。運動機能についてはかなり歩けるようになり始めておられましたけど、自分で自分のことができるというわけではなかったです。

小原:感情を言葉で表現するということも充分できないんですか。

田中:「いや」とか「やめてくれ」みたいなことはおっしゃっていました。

小原:じゃ、不快感の表現はできるわけですね。

田中:そうですね。機嫌がいい時はニコニコされたりとか、小児科の混合病棟などで小さな子どもさんがおられたりするとちょっとニコニコされていまいした。

小原:他、どうでしょう。ご質問していただいて、議論をしていきたいと思うんですけれども。

村井:一度、療養病棟に転院して、その後もう一度長期の療養病院に転院したんですね。

高橋:はい。もともとはそちらの長期療養病院に入る予定で申込んではいたんですけれども、非常に待ちが長く、いつ入れるかわからない状態だったので別の病院の方を紹介させていただいて、そちらの方で数ヶ月入院されていたと思います。その後、長期療養病棟に移られたと聞いています。

原:もともと長期療養病棟に行ければいいなと、この病院の人は考えておられたんでしょうか。

田中:看護スタッフはそういうふうに考えていました。

原:スタッフの方が療養病棟におられるほうがいいのでは、と思われた理由はなんでしょう。

田中:そうですね。療養病棟に行かれるとやはりレクリェーションとか生活に関わることというのが増えてくるんですけれども、当院では、急性期治療や重症の方の対応がメインになって、なかなか生活に関わるレクリェーションであるとか病院外へお散歩に連れていってあげるということがなかなかできないですね。小児科もあるので緊急入院とかも結構多く、重症の方も結構おられたりとかということで、なかなかそういう生活を考えた取り組みというのはできなかったのです。この方がもうちょっと自由に生活できる所と言えば、療養病棟の方が自由なんじゃないかなという発想から、そちらの方がいいんじゃないかなということを考えたんです。

村井:家族関係で、最初は「見殺しにしてくれても構わない」という発言があったことからも、普段からそれほど密接な関係ではなかったわけですよね。

田中:数十年ぶりの連絡だったと聞いています。ずっと音信不通で迷惑ばかりかけてこられたような形で、ご家族の方もできたら関わりたくないというような方だったみたいです。

村井:親族の中で、積極的にこの方に関わろうとしている方はほとんどなかった。誰もおられなかったんですね。

田中:はい。キーパーソンがおられないと困るので探していたのですが、行政とケースワーカーと親族との間でいろんな調整を行う中で、「しかたがないから」ということで主に御兄弟様に関与していただくことになっていました。

村井:子どもとは結局連絡がとれていない。

高橋:とれていないです。

村井:とろうとしたの。

高橋:ある方を通じて連絡をとろうとたんですが、連絡をしてくれるなと子どもさんから通知されていたということで連絡はとれませんでした。

田中:いわゆる職場の中での人間関係はわりと良好であったようで、職場の同僚の方が、入院されてからしばらくの間ですけれどもよく来院されていました。

村井:インフォームドコンセントのマニュアルの改訂につながることだろうけどね、民法上の問題、患者に財産があったり借金があったりする場合の問題ですね。相続というのは、介護をどれほどがんばってもそれは民法で決まってますから、子どもがいる以上は兄弟が相続することはあり得ないんですね。子どもがいなかったら兄弟という順番ですね。原則的には子どもが相続権をもっているから、子どもに連絡をとるというプロセスは必要だと思うんですね。プロセスをとって、それでダメだと言われたらやむを得ず他の人に連絡をとる。相続権のない人に相談するというやり方は僕はそれはそれでいいと思うんですけれども、一旦は相続人が誰かということを、病院でもできるだけ確認して、その上でその相続人にまず連絡をするというのが必要だと思うんですね。

高橋:結婚されている状態でのお子さんであるとか離婚後のお子さんであるとか、それは全然関係ないんですね。

村井:妻は関係ないんです。離婚しているから。妻は他人です。

高橋:子どもは一生親子だと。

村井:そうです。それがダメな場合に兄弟とかですね。だから子どもには連絡をとっておいたほうがいいです。いろんなケースをやってるから。つまり親と兄弟がとりこんで子どもに連絡させないというケースもあるんですよ。気がついたら後で兄弟が財産を取りこんだという例があったりするんですけどね。そういう可能性は皆無ではないんです。ですから病院サイドとしてはまず相続人は誰かということを確認した上で連絡をとるというかね、とってみる。ダメだといわれたら、それはそれでしようがないですよね。

小原:ということは民法上、相続人が誰かというのは比較的明確であるから、病院側としてはそれをきちんと踏まえた上で誰に連絡をとるのかを決めておく必要があるということですね。兄弟に連絡をとるだけで、子どもに連絡しないのはまずい。

村井:事実上よくあるんです。兄弟仲良くてね。兄弟が一生懸命面倒を見ていた方が亡くなった場合、後で相続権がないとわかってね、全然ゆかりもない子どもが相続したという例もあるんですね。だから原則はやっぱり僕は法定相続人を探して、その人たちから連絡をとれない、あるいは拒否される、ということであれば、次に実際にみている兄弟とかに連絡を取るということが必要だと思う。そういった順序を踏まえた対応はやっておいた方がいいとは思うんですね。後々の問題があるんで。

小原:おたずねしたいのですが、病院は日常的に民法上の相続人が誰であるかということ、そしてその優先順位が誰にあるのかということに関しては、どの程度理解して連絡しておられるのでしょうか。

田中:民法上というよりは、日々介護にあたられている方を私たちは中心に考えてしまうので、そういった法律上の財産を誰が受けるのかということは私は考えたことがなかったです。

村井:医療現場でそういったことはよくわかっておいたほうがいいです。結局それがトラブルになったケースもあるんですね。

北村:ちょっとわからなかったので質問したいんですが、相続人ということですので、今の話しは財産管理に関する問題だと思うんですけれども、治療方針の決定についてもその考えでいいんでしょうか。

村井:だから親が年をとったら第一扶養義務者は子どもです。だからその人がどうするかという判断がまず法律上は優先します。その人が放棄してどうしようもないという時に他の人が援助することはあり得る。しかし原則は親子ですね。だからこの患者の場合、子どもさんは「連絡してくれるな」と言うけれども、だけどこういう緊急事態では、いちおう子どもに確認をとることも必要だと思うんですよ。

高橋:本人がとるなと言ったのではなくて、子どもの側が拒否しているのですが。

村井:それも確かめないとだめですね。本人が言ってるだけなので実際はわかりません。その子どもからそう言われたら「もう連絡とりたくない」と。「勝手にして」と言われたらそれはそれで仕方がないので、あとは病院の判断でいいと思うんですね。

小原:扶養義務の放棄というのは、たとえばお子さんに直接問い合わせて「連絡をとってくれるな」と言われれば、それは放棄としてみなしていいということですね。

村井:それはこれ以上強制できないしね。民法上も強制できないのでね。誰がこの患者にかわって意志判断するかということは強制できませんから。扶養義務があってお金を払えということは強制できるけれどね。だけどどういう治療方法を選ぶとか、手術をするかしないかとか、そういう判断を放棄された場合には、子どもさんたちにそれを強要することはできないですね。そうするとその次の手段として、実際に患者を看ている人とか兄弟とかに判断を仰ぐことになる。

小原:ここで提起したい問題は、民法上の仕組みというのは何となくわかったんですけれども、今回ここで問われている問いというのは、自己決定能力がない患者さんにかわって誰がその判断ができるかということを問うたときに、それは民法上の優先順位ということを形式的にあてはめて、判断を下してもらうべきなのか、それでよいのかということがあります。その点はどうですか。

村井:これは急変時だからね。その時に、患者以外の人に相談するいとまもない。これは緊急時ですから、それは病院の最善の判断で、患者にとってもっとも利益と思われる方法をとればいいんです。しかし、それは緊急事態の場合に限ると思うんです。いったん回復してある程度連絡がとれる余裕ができたときに、誰に連絡するかという場合の優先順位はやっぱり原則は法定相続人からやるべきだと思いますね。

原:こういう方の場合で成年後見人を選ぶ場合、判断能力が低下してからでも選ぶ方法はありますよね。

村井:もちろんあるんです。後見人を選ぶ手続きを家庭裁判所でやるしかないんですよね。

岸本:それは比較的短期間で手続きをとれるのですか。

村井:どれくらいを短期間と言うか。やっぱり2、3ヶ月。診断書を求めて書類審査をして場合によっては本人を調べますからね。調査鑑定して確認して。意志能力を確かめるんです。その上でやりますから、やっぱり1ヶ月以上はかかる。

岸本:健康な間に決めておくとかできないんですか。

村井:それはできますよ。ちゃんと自分で選んでおく。それはそういう制度がありますからね。それは今おもに財産管理でやっています。だけれども、この人のようにそんなことを一切やっていない場合に選ぶというのはやっぱり家庭裁判所でないとだめですね。

原:これは別に財産の処分をどうこうするのでなく、医療行為をどうするか、その判断をどうするかですから、我々が家庭裁判所まで行き常にやらなきゃいけないかと言うとそうでもないと思うので、だからその場合には身近に世話している人というか、法定相続人が放棄した場合に、相談しながら病院がこっちにある最善の方法を選んでおく。そうしないと裁判所をいちいち使うというのは形式的過ぎますから結構時間がかかります。この人には財産がないんですから、別に問題はない。

北村:あるいは、その場合に後見人を裁判所で選ぶのはどうでしょうか。

村井:そういう場合、どうしてもだめなら弁護士を選んだりします。

北村:これで、どんな立場の人でも申し立てはできるのでしょうか。

村井:相続権のない親族でもできますね。

北村:親族がやらない場合、誰でもいいんでしょうか。

村井:法律で決まってます。申し立てできる人は。民法で決まっています。基本的には財産管理を中心に考えていますからね。民法は。だから治療方針の決定については、あまりこれにこだわらない方がいいと思うんですね。でも法定相続人には最初こだわっていた方がいいと思うんですね。いちおうトラブルにならないためにね。その人たちが一切の判断を放棄した場合に、そしたら実際に看護している人たちと相談しながら病院がここにあるように最善の方法を選ぶ。相談しながら決めていくというのは、それは許される方法だと思うんですね。必ず裁判所で後見人を選べということにならない。

原:直接的にはこういうケースについてはそうなんですけれども、財産がなくても損害賠償請求権が発生するであろう、そういう場合がありますよね。

村井:でもあまり使わないですね。

原:うまくいかないんですよ。それこそ医療過誤で身よりのない人なら。

小原:時間の制約もありますので、別の点についても議論をいただきたいので焦点を移そうと思うのですが。すでに触れていることですが、急変した患者さんに対して誰が治療方針の決定を行うのかといった問題。今回の場合、ご家族が基本的には治療方針の決定に参加しなかった。ご本人も3歳程度の知的能力しかないということで、結果としては病院側がいろんな関係者と協力しながら判断を行っていったということですね。このことに関してそれをどう評価するか。ご意見があればどうぞ。

立岩:これは異論があるところでありますけれども、本人がだめだったら家族へという順番はなぜかという理由は、「家族だから」ではなくて、家族が本人の最善の利益を代理するにもっとも適切であろうと思われるか、あるいは日頃から知っていて本人の意志というものを大事にする上で適切であろうという、そういう理由があるからだということです。ここをまちがえると、なんで本人の次は家族になっているのかという。それは「家族であるから」ではなくて、家族が患者の利益なり意志なりを代弁するという見込みみたいなものがあるからだということでしょう。問題は意志ということが第三者から見れば、最善の利益と一致しない場合ですね。そういうふうに考えると、常に家族が伺いをたてなくてはならない。家族に「これはもうほっていてくれ」と言われたらほっとかなきゃいけないということになるのか、ならないのか。ということは事実言えると思うのですね。しかしこの場合は、最初から家族の判断はなかったわけです。これはもう家族に聞いてもしかたがないということになる。

そうすると次はどうなるのか。2つあって、本人がダメだとしたら、結局病院が代理するか、あるいはさっきからお話が出たようにある種の法定代理人が代行する。その2つしかないでしょうね。法律がうまい具合に機能して、そういう財産がらみのことではなくても意思決定というような機能をこれからきちんと果たしていければそれはすごくいい点にはなると思いますが、もしそうでないとすれば結局はこの場合は病院サイドが本人の最善の利益を追求すると言うか、そういう形で動かざるを得ないですね。というふうに第1点については思います。

第2点は、ちょっと話題が変わりますけれども、たぶん問題はこういうことなのかなと。かなり重篤な疾患をもっておられて、つまり生命の危険に至るという可能性があって、そのために高度な医療がそなわっている病院に置いた方がいいのか、それとも日頃の生活ということを考えた時に、私たちの病院は居づらいところでもあるから、日頃の生活がしやすいところがいいのかという選択。しかし一番いいのはその2つがうまいぐあいに何とか学び合うと言うか、やり方がないものかと思います。たとえば日頃の生活がしやすいところにいるけれども、うまい具合に高度な病院で検査をやれるようなコラボレーションというか組み合わせみたいなものがあれば解決できるんだけれども、それがなかなかうまくいかない。一般論としてはどっちがいいか難しいですね。

小原:ポイントはしぼられてきたかなと思うのですけれども、特にインフォームドコンセントが自己決定権ということに関して絶えずつきまとう問題が家族とは何かということなんで。初回からずっと問題になってきましたけれども、やはりある種の見こみで家族というものを考えていますので、それが成り立たないという時には別のロジックを考えていく必要があるということですね。

村井:だから家族に意向を聞くのは、一つのプロセスとして必要ですね。必ずしも家族が患者にとっての最大利益を追求するとは限りませんしね。患者の最大の利益を念頭におきながら決めていくということが必要でしょうね。先ほどお話したようなプロセスはいちおう組んでおいた方がいいよというだけの話しであって、家族と相談しながら最大利益を追求するということが必要だと思います。これはだからインフォームドコンセントの中身にも影響しますよね。最大利益というのをどう説明をするのか。何が最大の利益かというと非常に難しい。価値基準がね。

原:私も緊急事態というところに関しては今おっしゃったようなことで、家族が反対しても選択としてはこれをやらないといけないということだったら、やるべきだと思うんですが。その後の方がどっちかと言うと気になった。後で行った冠動脈造影というのはどういう意味があるんでしょうか。ちょっと、途中から遅れて来たので、話しがあったかもわからないんですが。

高橋:その後の経過によっては、冠動脈がつまって再度心筋梗塞が起こる場合がありますので、それを回避する保障として一定の期間が経った後に、もう一度造影をして冠動脈の状態を確認したいということです。

原:状態をみるということですね。それでつまってたらどうするんですか。

高橋:PTCAかバイパス手術のどちらを選択するか、判断することになるわけです。

原:それを判断するには、造影しかないですか。

高橋:造影しか今のところないですね。正確な評価はまだ造影以外にはないのが現状です。ですから冠動脈造影という侵襲的な手段をとらざるをえない。

原:その場合の検査の危険性と検査できない危険性とを、この場合は判断しがたいんでしょうね。一般的にはやった方がいいですか。

高橋:一般的にはやった方がいいと理解されています。

原:この患者さんの場合に危険であるというのは、身体の状態の問題なんですか。

高橋:それは指示通り安定を、姿勢を保つとか、検査中に不意に手を動かすだとか危険を引き起こすような行為をしないで姿勢を保っていただくということができないだろうということです。もしやるとしたら全身麻酔に準じた方法を強制的にとってしまって検査を施行しないといけないので、そのこと自身は患者の意志を確かめるということなしにやらざるを得ませんから、それ自身の行為が許されるのかどうかということの話しですね。それは倫理上の判断が必要になってくる。

原:それは倫理上の判断なんですか。

高橋:一般的にはその検査を行う場合、患者さんの意志確認が必要なことですから、それを薬で押さえこんででも実行してしまうということが妥当なのかどうかということです。

原:同意書に署名とかしてもらったりしますよね。これはただ緊急時の場合にはしなくてもいいような例も日常的にはあるんですか。

高橋:一般的には、救命が優先する場合にはすべてを差し置いて行為に及んでいいと理解されています。この事例の場合でも、細かく言えば、普通でしたら家族と相談したり、意識がある場合は本人と相談して治療手段を選択するプロセスが入りこむ中身です。バイパス術を選択しますか、あるいはPTCAである程度危険がありますけどそれにしますかという。ただこのケースでは、その過程はとれず、PTCAを選んでしまっているんです。そのこと自身が妥当であったのかどうか。だからさっきの議論について思うんですけど、緊急の場合には病院の判断となりますけれども、そこでの議論が尽くせたかと言うとちょっとそれが尽くせないままに治療行為に及んでいるんですけれども。これでもし、検査の最中に患者さんが心停止をして亡くなった場合に、私たちは責任をどう問われるのかなというのが、ずっともやもやしています。

原:その時に本来であれば、話し相手と言うか相談相手になるはずのご家族が、治療方針決定の議論には関わってこなかったわけですよね。まったく。

高橋:はい。まったくないですね。先ほどの議論につながりますが、家族として医学的なことを全部わかったとして、それでも「治療はやらなくていい」と家族が言った場合、治療を行わないということを選択してよいのかどうか、そこはどうなんでしょうか。

小原:ここは微妙ですね。エホバの証人の輸血拒否問題なんかに典型的に表れるように、要するに信念とか信仰上の理由で輸血は絶対にしてくれるなというふうに言って医師が輸血した場合には訴えられるというようなこともありますから難しいですねえ。

原:家族を隠れ蓑に、たとえば家族が納得したから、あるいは本人、この場合はできなかったが、たとえば結果としてまずい結果を生んだ場合に許されるのかというのは別にあるんですけれども、相談することで一定了解というような気持ちは一方に医療行為という現場ではあるんですね。だから結果がよければいいわけですけれども結果が悪くなった場合に、どういうプロセスをふんでどういう意志を確認していったらよかったのかというか、そういう意識が確認できない人に対しての行為をする場合にどう判断していったらいいのかという。ただその場合に選ぶ枝分かれの道筋は何本かあると。本人が意志が表明できない時は家族と相談してというのが日常でやっている医療行為のプロセスですか。

小原:確かに、そこの点が問題だと思うんですよ。それで結果がしっくりこないかというのはやっぱり人間がくだす価値判断は一人の目であるよりは、複数の目がそこに加わった方がより安定性を得るわけですよね。ですから、そこで話しあいが行われていれば、結果的にある治療行為を選択したとしても、そこはやはり複数の目がありプロセスが決定されたという事実が残りますよね。しかしそれがない場合に、結果が正しかったとしてもどこか不安が残り続けるわけです。家族の意志が不在の場合にどのように複数の目を導入するかと言うか、結果として安定した判断を下すためにはどういうプロセスを踏めばよいのか、というのが一番の問題なんでは、と私は思います。どうでしょう。まさになかなか難問だとは思うんですけれども、今の点について何かご意見など。

原:検査を行うことのリスクの評価はどのように考えておられましたか。

高橋:普通に指示、意志疎通ができる普通の方の場合で0.03%~0.05%ぐらいの死亡率。ほぼ今のところ、一般的な治療行為として内視鏡のリスクより低いですね。ただ身体を動かすとか、首を振るなどによって、カテーテルが冠動脈にかかったまま動かれるような事態が起きた時に、冠動脈を損傷する可能性がゼロではないんです。そういう意味で死亡を伴う重大な事故は発生しうるということです。ですので、もしこの方で造影をする必要があって、実施しようとしたら薬で眠ってもらった状況でやるしかないと判断をしてたんですけれども。だから6ヶ月時点で全身麻酔みたいにしてしまったうえで、実施するのがいいのかどうか、悩んでいたんです。

原:眠らせてしまえば、検査のリスクは下がると考えられるんでしょうか。

高橋:それはたぶん冠動脈造影以上に麻酔をかけるリスクがあると思うんです。全身麻酔を行うことでの死亡率の方が、冠動脈造影の死亡率より高いと思います。

原:特にこの人は全身麻酔にリスクが一般の人よりも高いということはあったのでしょうか。

高橋:全身麻酔一般のリスクでしょうか。全身麻酔は一般にリスクはある程度認められますけれども、特に全身麻酔が気になるというわけではないです。

原:冠動脈疾患をもっているということは気になっていましたか。

高橋:一般のない人に比べると、リスクはあがるでしょうね。

原:冠動脈造影のリスクが一定ある上に、麻酔をかけるリスクが加わる。しかし、麻酔をするという規則はある。その結果がどうなのかということは、0.05%が0.06と0.07に分かれたことが、決定的なのかどうかという問題も実はあるわけなんです。

高橋:再狭窄を起こしていたとしたら死亡の率はとても高いですね。7~8割くらいでしょうか。ただ、今でも特に何も起こっていなくてお元気な様子なので、結果から言えばそういう意味では2~3割の何も起こらないほうに入ったんでしょう。

原:だからそういうリスクは、どっちが高いかは決められない。そういう微妙なケースについて、それを患者なり、患者はもちろん意志能力があって判断できる場合。それができない場合に誰がやるのかという議論になってくるんですけれども、それが子どもからは拒絶されたと。最終的に、残っているご兄弟と若干相談して決定するということであれば、病院側としてはそういうリスクもしっかり説明して、ご兄弟、あるいは子どももいない中でそういう説明をして一緒に判断してもらうという、そういう説明をしてその人と相談した結果選んだ治療方針なら、僕はそれはそれでいいと思うんです。どちらのリスクを選ぶかというのは、それは患者と担当医の最終的な判断にまかせたらいいんです。問題はプロセスとして、とにかく本人がだめ、それから子どももだめ、そしてご兄弟と相談することになったと。それはその判断でいいと思います。問題は今回のご兄弟のような、そういう親族が一切いない場合、それは最後は病院独自の判断ですね。

村井:だから判断する時にまったく独自の自己判断ではなくて、同意をとりながらやってきたという記録をしっかり残しておくことです。きちんとリスクを評価して、説明もちゃんとした上で治療をやっている場合は訴えられることはほとんどありません。裁判でよく訴えられるのは、リスクを説明していない場合ですね。「簡単な手術だから、1週間もしたら帰れます。」と言いながら実際は亡くなったというケースなどが多いのです。このケースで、こういう危険があると。この手術ではこの危険がありますよ、治療方針に優劣がつけがたいような状態にある時に、どちらを選択されますかということを一緒に相談しながらすすめていれば、問題はないと思います。

勝村:インフォームドコンセントとの関係で言うと、インフォームドコンセントというのが同意をとることだとされるのは、僕は個人的には違うと思います。インフォームドコンセントについて漠然と思っているのは、一つはチーム医療の中に本人や家族も加わってもらうという主旨で、もう一つは情報公開が含まれる。だから何か同意をとるということがインフォームドコンセントになってしまっているのは、問題がある。私も、誰かに同意をとったら気持ちは楽になるというのはわかるような気がするんです。そういう意味でのインフォームドコンセントだから、誰に同意をしてもらうべきかという話になってしまう。救急医療などの緊急の時には本人はチーム医療に入ることができないから、本人をぬいてチーム医療が判断をしてやっていかざるを得ない。ただ場面において本人も充分に入ることができる時間がある時には本人が、また、本人が無理ならば家族に入ってもらって、家族が決めるというのではなくてチームの中に入っていくんだという主旨で考えればいいのではないでしょうか。だから情報を共有しなければいけなくなる、だから一緒に議論をするのであったら、情報を提供してほしいという、そういう主旨で考えていきたいと思っています。だからこの場合本人がわからない時でも、できるだけ家族には情報公開をしていくという意味でいろいろ訴えていく。先ほど話しが出ている子どもにもできるだけ伝えていく中で、本当にチーム医療に加わってほしいという主旨で。病院としてはこう思う、と言って。とことん違うことを言われたら、向こうに決定権があるわけではなくて、あくまでチーム医療として考えていく。情報公開しているんだからあまり病院も変なことをできないしという形が大切で、やっぱり情報を広げていくような形でやっていく必要があると思います。

小原:結果が救命ができているということでちょっと救いがあるんですけれども。たとえばこれで選んだ方向で死亡のような結果を招いた場合はやっぱり厳しいですけど、選ぶべき最善の答えはどっちだったのかと。そのチームとしてその場にいたら医師、看護師、病院で結論を出すことになります。

勝村:やっぱりそういう意味では結果で判断されることになってはいけないし、結果にこだわるよりもやっぱり問われているのは精一杯本当に考えてくれたのか、精一杯みんなが一緒に考えてくれた上での判断なのかということが問われるというべきだと思うのですね。精一杯がんばった末での結果であるということが大事で、私も教師ですから、生徒とどこの大学に進学すればいいのか一緒に相談することもありますが、結果的にどの学部がよかったのかとか、それはその時に一生懸命できるだけ考えた結論なのか、ということがもっとも大切だと思うんですね。人間相手の仕事では、やっぱりもっと楽になりたいとかね、もっと簡単に正解を得たいというような発想はしんどい結果になるんじゃないかと思うんですね。だけど、精一杯やっているということを説明するための情報公開であり、インフォームドコンセントでありチーム医療であるという位置付けこそがインフォームドコンセントにあるべきで、インフォームドコンセントというのは誰かによしと言ってもらう、それでこっちの気持ちが楽になるということではないと思います。

小原:その場にいたチームの中に情報網があってということですよね。だから何も語らずに始まった仕事ではなくて、この場合こうだということを言って、集められた医療スタッフに説明と同意を求めて、その上で結論を出す方がいいという、そういうご意見ですね。

立岩:最初の手術の時にどういうやり方をするべきということは、かなり技術的なことだし僕はコメントできないけれども、ずっと聞いていて思うのはその後の形として、どういうプランでこの人に関わるのかということを考えた時に、その知的なレベルとかそういうことも含めてこの病院にずっと長くいるということは本人にとってよくないだろうと。これはだいたい同意がとれたとして。そうするとそういうのと違う、どっちかと言うと介護を中心としたような施設に行った方がいいだろうなという、基本的にそういう方向でいったとすればそれを前提にした上で、この人が今かかえている病気、疾患はどの程度のものかという見方があって、それでその上でそういうプロセスを進めるべきだったのだろうと思います。検査というのはどのぐらいのリスクかというのはちょっとわからないところもありますけれども、それは普通の人でもこれぐらいの検査であるとすれば、それを何らかの形で、状態の安定した時期に、一定それも確かめた上で、じゃ、この人だったらこういう時期に必ずしも緊急性がないところでもいけそうだと。そういう時にこうやって切り出すと。今回たまたまそういうプロセスを経ずに、そちらの方に行ってお元気だということで結果オーライといえば結果オーライですけれども、だけでもそういう将来的には介護を中心としたところにいた方がいい。そのためには身体のところはどういう形になっているのかというのをこの病院でチェックしておくという、そういうプランというのを合意というか、ディスカッションの中でして、どうしても造影というのをやらなければいけないんじゃないかというような話をして、そういう手順でたぶんこの場合、そういう全体の踏まえるべき順序みたいなのが途中でちょっと切れている。そんな感じがするんです。ですからここのところを、この人たちがどういうプランでいくのか。そのためにはこの病院が何をしておくのかなと。じゃ、そのためのリスクはどれぐらいなのか。そういうことが現実に受け継がれてきている。人が変わっても。そういうようなことがこの場合、ちょっと欠けていたのかなという感想をもちました。

原:最初緊急のところで言いますと、バイパス手術をすべきかPTCAでやるべきか、どちらかがいいのかという判断をしないといけないわけでして、明らかにバイパスでやった方がいいということであれば、これは家族の同意を得なくてもあるいは反対をしてもやらざるを得ないだろうと思います。その年齢とかそんなことにもよりますけどね。それもリスクの評価のうちに入るとは思うんですけれども。そこがちょっと、その場ですぐは判断できないでしょうから、ディスカッションをして決めないとしかたがない。そうなった場合には、あまり家族の意向は特に意味のある意見でなければ、あまり重要な要素にはならない気がするのですよ。私の考えとしては。「もう見殺しにしてくれ」とか言って、あまり本人の味方じゃないスタンスをとっている場合は、基本的にむしろ無視した方がいいような場合が多いのですが、でも実際に見殺しにしている病院はたくさんありますから。いや、あるのですよ、そうした発言を名目にしてね。なんらかの理屈なり、本人は病院がいやな人だったとか、家族の直感とかの理屈はつくのですけれどね。そのへん、微妙な話しはあるとは思うんですけど。

田中:話を聞いていて思っていたのは、Aさんにとっての最善の利益とはいったい何だったのだろう、というのが私の中でずっとあります。3ヶ月か4ヶ月病院におられたのですが、その間ずっと抑制された生活を送るというのが、彼にとって本当によかったのかなということがあります。

8月末ぐらいに転院されたのでその間にどこかもうちょっと早い目に造影をしておいて、そういう方針も一定あったのはあったんですけれども、なかなか踏み切れなかったということもあったのと、やはり彼がやっぱり痛みとかには非常に嫌がって暴れたりということがあったので、彼自身が望んでいることはいったい何なのかなということをずっと考えながら病棟の主治医とのやりとりをいろいろやってきたんです。そういう場合は、私たちの動脈造影をすることできちんと評価をしてOKであれば、またその次のところにという段取りも考えて、その動脈造影の時期を明らかにしてもらって、それでOKだった場合に転院の手続きができるように先に進めさせてほしいとか、そういう論議もあったのですけどなかなかそこに踏み込めなかったということも一時期ありました。そこらのところも、冠動脈造影をしてもしまた異常が見つかった場合には、もう一回手術をするんだろうかとか、それについては看護師の中でもいろいろな意見や思いがあったんです。その場合、彼にとって本当に最善の利益として考えられることはいったい何だろうなというのがなかなか病棟の看護師が思うところと主治医が考えるところというのが一致しなかったというのがあったのですけれども。

原:あとの方の検査というのは本人が嫌がって暴れるから麻酔するかというような話しも含めて、どっちがいいのかということはリスク評価として判断しかねているということではないんですか。リスク評価としては、どうだったんですか。

高橋:このケースにおいてのリスク評価としては判断しかねたんです。

原:ですよね。だからこのケースに関しては生命予防をとるのか急をとるのかという話しではないんじゃないですか。

小原:議論がごちゃごちゃしてきました。看護師が意識しておられたのは、この人のQOLですね。

田中:そうですね。

高橋:主治医が思っていたのは医学的なリスクです。再狭窄を起こして2割とか3割の分に入ってしまえば、命が危険だという判断です。だからそれを回避する目的で造影をしたほうがよい。ただ造影をする上で安全を保てない、理解ができない。この人自身が造影をすることに対するリスクをもっているというところで決断できないまま主治医を交代して造影しないまま転院された。こういう経過です。

原:この場合のQOLと言われているものが僕はちょっとよくわからないところがあってね。つまり造影するなら造影する時にコンタクトとかも含めて何かしなければいけない。それは一時的なわけではないですか。ある意味では無理強いすることになったとしてもね。だけどそれで結果的に病気の状態が必ずしも病院の中でよくないわけだから、たとえば結果として転院できるということになれば、結果としてその方がその人自身にとってのQOLとしてはいいわけですから、そういう意味でQOLを考えればそこの点で身体の状態を見ておくということの方が、メリットがあったということではないでしょうかね。

立岩:検査は先にしかできなかったんですよね。その間、看護師さんたちが抑制とかをすることに心を痛めていたのであれば、検査は先にしかできないんだったらその間は療養病棟に行ってやっぱり検査をすべきだと判断があってもう一度病院に来てもらって検査をしてもらえば良いのではなかったのか。

田中:その間に再発する可能性が半年間はあるので集中治療室で治療したいという意向があったんです。私たちにしたらその間だけでもそういう楽に生活できる病棟に移っていただいて、その検査の時だけこちらの方に移っていただくというのはどうでしょうかという提案をしましたが、その間のリスクが医師の中にあったのと、また、そういう取り組みを受けて検査を今すぐするのか、彼の今の抑制されている状態をとるのかという選択は看護師も難しかったんですけれども、8月にカテーテルをするまではこのままでしかないというところでずっとこらえていたと言うか、つらいながらもあったんです。どうするのかなというところがはっきりしないまま、結局主治医が交代して、その交代の間で話しもあったみたいですけど、結局するともしないとも判断がつかなくなって、とりあえず、転院の手続きだけはしておきましょうということで、かわった主治医の先生との論議の中でそういう情報交換というのをしました。8月末にやっと受け入れも決まったのでどうしましょうということになりました。

原:同じ病院の中で療養病棟があれば解決していた。

田中:そうですね。もしうちの病院の中にそういう療養をメインでみられる状況があればまた違ったかなと。いざという時に救命治療ができる病院の中に、療養病棟があればよかったのかなと思います。

小原:この問題もなかなか議論が尽きないんですけれども、次も大きな問題が控えていますので、この辺でちょっと一区切りつけたいと思います。いろんな共通した課題を我々はひきずっていると思うんですけれども。インフォームドコンセント、そこにおける家族の位置付けの問題とかですね。それからリスク計算、リスク評価とインフォームドコンセントの関係とか根本的な問いがあると思います。リスク計算というのは理論的にはいろいろできるとは思うんですけれども、じゃ、その理論的な知識を本来もっていない家族がそこに参加していったい何の役にたつのかという、そういう問題もある。だから科学的な判断に関しては家族が加わろうが、加わるまいが、あるいは家族が患者に対して好意的であろうが好意的でなかろうが、なんらプラスマイナスはないわけです。にも関わらず、家族との関与を求めるということ、それはやはりこのケースの非常に大事な点ですので、リスク計算の問題と家族に対するインフォームドコンセントの問題というのは、おそらくある程度独立して議論していかないといけないと思います。家族の意見についても「しゃあないや」というのは比較的ありがちかもしれませんけれども、やはりインフォームドコンセントをある程度これからより豊かなものにしていくためにはやはりこの家族の関与ということ抜きには考えられないと思いますので、ここを合わせてこれからも課題としていったらどうかとは思っています。それではとにかく別にまとめることもできませんし、そうする必要もありませんので、一つ目の事例はこれで終わろうと思います。

次4番目ですね。4番目の議題の説明をお願いいたします。

 

<議題4・出生前診断としての胎児超音波検査について>

北村:私が産婦人科医師と話し合って資料を用意しましたので、まず私のほうから資料の紹介をして、その後産婦人科の医師からお話をいたします。よろしくお願いします。

産婦人科医師から、出生前診断としての胎児超音波検査の実施について迷っているところがあって、倫理委員会の議論にかけて欲しいという提案がなされました。そこで今回の議題にあげさせていただきました。

事前にお送りした資料のうち、資料4以降がこの議題の資料です。資料4が、産婦人科医師から倫理委員会で議論して教えて欲しいこととして箇条書きに書かれた資料です。資料5は、産婦人科医が試案として提案中の、当院の「出生前診断全般の考え方」です。資料6は、産婦人科医が感じていることを書いた文章です。資料7は、胎児超音波検査に関する患者説明用の案文です。資料8は厚生科学審議会先端医療技術評価部会の「母体血清マーカー検査に関する見解(報告)」です。資料9は、玉井真理子さんによる出生前診断に関する概説の文章です。資料は以上です。

西田:産婦人科の西田です。今回の趣旨をまずご説明します。

妊娠中に行う検査で、お腹にいる赤ちゃんの画像がわかる超音波検査があります。それは医学的な目的でも行うんですが、アメニティーを高める意味合いで行う部分も大きいもので、妊婦さんにお腹の中の赤ん坊をみていただくためにやっている面が大きい検査です。ですから、妊婦さんに胎児がうつっている写真を差しあげたりとかということもします。そういう面の大きい検査をしている中で、たまに異常が見つかることがあります。そこでは、医療者もあんまり予期していないし妊婦もそこで突然言われるとは思っていないので、異常を伝えると突然奈落の底に落とされて、ショックを受けるという状況がたまにあります。そういう時に困ることもあるので、いつ、何をチェックするのかを定めた、超音波検査のテクニカルな部分のガイドラインを作ろうとしています。

あと問題になるのは、異常が見つかったときに「なんでもっと早く判らなかったのか」というクレームがあります。日本では母体保護法という法律がありますから、22週以降だと中絶はできません。クレームをつけられるのは、22週以前にはわからなかったのかということです。

一方で、超音波エコーが非常に性能がよくなってきたので、中絶可能な段階で胎児の異常が見つかる場合がでてきています。また異常につながる所見というものが、いろいろとわかってきてもいます。そうしたことも事前に知らせたほうがいいのかどうか、そうした所見を産婦人科医には診るべき責任があるのか、そういったことで悩んでいます。

特に、ここで問題になったものとしてNTというものがあります。

ごく初期の妊娠の10週とかの段階ですね。胎児の像がエコーの画像にむすばれるときに、後頚部に薄い線状の黒く抜けたような棒みたいな領域が見えるんです。その厚さが増すほど胎児異常の可能性が高くなるんです。特に胎児がダウン症の可能性の高さを示す精度が高い。一定以上の厚みが3ミリとか3.5ミリとか決めると8割以上の胎児が陽性に入る。擬陽性率は5%程度の検査です。その厚みに対しての明確な意見、何ミリ以上だとどの程度の割合で異常があるかということについては、産婦人科学会などでは確定されていません。実際NTで疑われた場合、本当にその子が染色体異常があるかどうかを調べようとしたら、次は羊水検査を受けることになるのです。ただ異常値だった段階で、すぐに中絶を選ぶ患者さんもいる。

当院では、超音波検査でどういう実施方法をとるかという検査のガイドラインを作成していますが、それとは別に「出生前診断全般に対する考え方」についての試案を議論して作成しました。それをお配りしております。

この試案についてご検討いただきたいということと、あと倫理委員会にご検討いただきたい内容を資料としてお配りしています。特に「患者への説明用紙」の案文についてはご検討頂きたいと思います。

小原:資料はたくさんありますが、趣旨は一貫しているんではないかなと思います。まずご質問お願いします。

立岩:素朴な疑問というか前提として、超音波検査を結構アメニティーみたいな部分でやってる部分があるとおっしゃられた。うちの子どもの時にもそんな感じだったなと思って、超音波の写真をもらって「ああ、いるわ」みたいな、なんかそれに近い形だったんです。それはそれとして、とにかく超音波というのがここで問題にされているような、出生前診断、選択的中絶っていう流れじゃない形で使われるものだとして、それは産婦人科の医療においてどの程度必要なものなのか。ここまではいらないけれど、これだけはやっぱり役に立つとか。それはどうなっているんでしょう。

西田:妊娠初期に関しては、自然流産が15%ぐらいあるので、順調に最初に心拍を見ていても次の2週間ぐらいは見れないことがあります。13週ぐらいまでは、割と純粋に医療的な行為で見ています。その後胎児が成長していく段階というのは純粋に医学的なエビデンスがあるのは3回診たらいいと言われている。前期、中期、後半。

あと見ているのは胎盤の位置や、赤ちゃんが逆子かどうかとかですね。切迫早産、子宮口開大のチェックなどです。産科的には、エコーなしではもうやらないわけにはいかない。ただルーティンに毎回には必要はありません。

原:ただ1つ問題はね、初期とか中期とかあるわけですけれども、やっぱり22週というラインがかなり大きな重みをもっているわけですよね。

西田:そうです。22週を越えると中絶はできないですから。

原:ですから今回問題提起されている超音波診断をめぐる問題というのは、22週以前にNTなどに関連する事柄を患者に伝えるべきかどうかというところですね。

西田:この問題を意識したのは、妊娠中に広範な脳の異常を発見されて、出産後の赤ちゃんの受け入れが非常に悪いケースがあった。そのことから出生前診断としての超音波検査というものについて考える様になりました。でも、妊婦検診のほとんどではこんなことはありません。でも見つかった場合には、医療者側も準備ができていないのであわてるし、患者側もパニックになってしまう。超音波で今はNTというものがあるのです。それはマスクリーニング的に行えて、見つける疾患はダウン症がねらいうちになる。そういう検査をやることが可能になっている。我々もやるべきではないと思っていますが、見えてしまう。じゃ、見えたときに黙っているいのがいいのかどうかという問題があります。それと「そういうことは言ってくれ」と言われたが事前に同意もとってないし困る。

原:それは例えば資料にある『私たちが超音波検査で判ったことはできるだけ解りやすく正確にお伝えするように努力しています』という「解りやすく正確に」という文言はNTのことは除外したいということですか。

西田:この資料はまだ案なんですが、こういう文章を配ること自体がかなり出生前診断を意識させてしまって、かえって悪影響を与えるんじゃないかという気がするんです。

原:ここが非常に微妙だと思うんです。つまりね、最終的なゴールをどこにもってくるのかという、ゴールをある程度めざさないと議論が多分錯綜すると思います。いわゆる患者の側の利益ということになると、ある程度文章化されたものがあるのかないのか。それをめざすのかどうかということはけっこう大きな違いになってくると思うんですね。ですから今すでに神奈川子ども病院がある程度のものを作っていることが結果的にその患者さんにとってプラスになっているのかということですね。その点をある程度煮つめればやっぱりこういうものをめざすべきなのか、いやこれは結果として寝た子を起こすようなことになるからこういうことは敢えてしないで治療者側は要するにきちっとしたガイドラインだけを作っておけばいいのだ。今の時点でどう判断するか。

西田:そのことについて産婦人科部会では議論をしていて結論が出ていません。確かに、知らせるのは「寝た子を起こす」という面がある。これは主にクレームに対する対策だと病院的には。産婦人科医の中でも分かれるんですよ。僕は2人子どもがいますけどそんなことが生まれるときに心配だったけれども、次に妊娠した子どもはそんなことを考慮しようとは思わないんですね。だけど患者さんとか、産婦人科によっては「そんな障害児を将来抱えて生活していくのは厄介だ」と思う人には「知る権利があるのではないか」と意見もあると思うんです。

小原:そうですね。現在の状況で一般の妊婦さんの情報量からいうと、この程度の説明であれば「寝た子を起こす」ことには全然ならないと思うんです。というのはみんな知っていますよ。一般の妊婦さんが読むような雑誌が何種類かありますよね。ああいのにもかなり専門的なことが、トリプルマーカー検査であるとか、出生前診断の全般のこととして情報としてはかなりたっぷり書かれています。だからある意味共通認識になりえますよ。だから共通認識している患者さんに対して病院側としてはどういうふうな説明ができるのかということがやっぱり問われています。この程度の内容であればもう不安にならない。「あぁ、当たり前のことを言ってるじゃないか」と思われる可能性がありますよね。

ただどう表現するかによって、先ほどふれました「解りやすく正確に」ということは、これは非常に簡単な副詞ですけれども、このことの中身というのはけっこう重みがあるんです。つまりほんとに正確に教えてくれたのかどうかというのが最高の場合としてクレームとして突きつけられる場合もあるわけですから。そこはここで議論すべきことかなと思います。

立岩:さっきの話しの続きですけれども例えば逆子も、どこに子どもがいるとかわかんないと産む時にリスクが大きい。それはとてもよくわかる話でそのために超音波を行う。それは非常によくわかる話ですけれども、初期の段階でかなり詳しくやるっていうことの意味というのはまだよくわからない。初期にやるのは。

西田:初診の時にするのは子宮外妊娠の除外という問題があって、子宮の中で順調に成長しているかどうかを見るのに2~3週おきに見ている状況です。もちろん順調じゃなかったら出血して流産するんですけども。

立岩:まあ、子宮外妊娠の話はわかります。では流産がわかるというのは医療にどういう意味があるのですか?

西田:要するに自然に放っておいて流産してから「あ、流産ですね」と言うのと、あらかじめ「もうすぐ流産しますよ」と言うのとの違いです。昔だったら出血してきて、大量出血して救急で運ばれてはじめて流産とわかる状態が、途中から成長が止まって心拍が確認できなくなった状態で「もうすぐ流産になりますよ」と言える。事前に患者さんに伝えることができる。そこに利益がある。危険な時に遠出しなくて済む。また場合によっては、処置として流産手術というのがあります。それをあらかじめ計画して入院とかいうこともできるので、安全性が高まるわけです。

立岩:今は、イメージとしてどれほど精密なものが純粋に医学的に必要なのかを確認したいということで発言しています。実際に医師として見たいのは、心臓が動いているのかどうかとか、あるいは順調に大きくなっているかどうかを見たいというならば、それ以上のことはわからないでもいいとか。医学的には情報として何が必要なのか。

西田:最初の時期は、心拍の確認と胎児が子宮の真ん中に妊娠しているかどうかを確認します。それだけ判ればいい。昔だったらそれぐらいしかわからなかったのが、だんだんエコーの解像度が上がってきているんですね。

小原:そこが最大の問題点なのですね。昔だったらそんなにたいしてわからなかったから習慣的にエコーをやったらよかったものが、今はかつて見えなかったものまで見えてしまうので、きちっと説明した上で実施する、そういうことをしなくてはいけない時期に入ってきているのではないか、ということですね。

西田:今はそうですね。

立岩:それは技術というのは技術の進歩で出てきたのだろうけども、その目的とか何の役に立つのでしょうか。

西田:役に立つって言われると。作った会社でないから、わからないけど。ただ商品は売らなあかんので、基本的には解像度のいい方向へと進化する。ある一定のレベルで止まるということにはならない。

立岩:単純にエコーの精度を上げていったら、NTのようなものに達したという感じですか。

西田:そうだと思います。で、誰かが気が付いたのです。昔は気が付かなかったのです。こんなのが見えるって。

立岩:精度が上がって見ていたら。

西田:これは何だろうって。それと障害の関係を調べ出した。そういうものを一生の仕事にしている人がいるのは事実です。

小原:これを説明文の主旨からいうと、選択的中絶をやはり医師としては避けたい。それはこの産婦人科の比較的共通した見解ですか。

西田:それはある程度、合意されたものです。

小原:患者さんの側からすれば、選択的中絶をぜひやってほしいという人も出てくるはずです。もしそこの部分で何もためらいとか倫理的な戸惑いがなければ要するに患者の言うことだけ聞いておけばいいことであって迷いは生じないのですよ。ですからここで出てきた判断の問題は、選択的中絶の価値観を医療現場としてどう持っておくべきかということですね。

西田:22週未満で患者さんが「中絶します」と選択したときに、それに対して経済的な理由があれば、医者は特別「止めときましょう」も言ったりはしません。粛々と受けるわけです。そうしながらも、障害を産むリスクを避けること自体が人間として許されるのか、という問題と、特に「障害の疑い」にしか過ぎないのに中絶を選択される場合があります。疑いだから、障害があるかどうかはわからない。けれども、中絶をするという選択を、その人の価値観だから行ってもよいとするのは、なんかおかしいと感じる。そういう中絶を実施することは、私たちにとってはストレスになります。

立岩:私の考えですが、胎児診断なり選択的中絶について社会全体がどうするのか、というのは大問題なので、そうそう結論の出る問題じゃないように思います。でも病院はさまざまな病院があって、例えば「この病院の産婦人科は、基本的にこういう姿勢でやります」ということをお客さんに示すということはあっていいだろうと思います。そういう意味でいえば、例えばエコーというものを基本的に分娩を安全にするために、あるいは子どもが生まれてきてから上手い具合に育つように、そのために必要な限りにおいて私たちはエコーを実施する。そういった態度を一つの病院として、あるいは一つのセクションとして、考え方を示すという方法はある。ですから、もしその態度や姿勢に疑問をもつなりすれば、別の病院を受診して頂くことになる。そういうやり方でいくのがよい、と思います。

小原:病院として価値観を示すということは十分可能ですし、すでにやっている病院もたくさんあると思うのですね。例えばね、性別を知りたいというのはどの親としても関心とあると思う。「私たちの病院は性別を教えることはいたしません」とはっきり謳っているところはあります。特にカトリック系の病院なんか大体そうです。これは一つの価値判断を示すというのは逆にね、患者さんにとって安心感を与えるということにもつながっていくと思うんですね。それが医学的なレベルで議論できる問題と、それからここにある医学の問題からはるかに離れている問題とがある。マススクリーニングとかは。表現としてはありませんけれど結果的にそれは優性思想とかいうやつですね。そういう問題とこれはからんでくる問題です。そうなると国家の政策なんかと直接からんできます。日本は今そのへんの態度が比較的、曖昧なのですけれど、イギリスなんかはトリプルマーカーテストに対して補助金まで出してがんがん奨めています。結果的に障害者の出生率を下げてきたのですずっと。要するにトリプルマーカーテストに対して出さなければならない補助金の額よりは障害児が生まれてきたときに国が面倒みなければいけない社会福祉のための金額のほうがはるかに大きいわけですね。そういうコストパフォーマンスを重視する選択を政府が行うということが、今の時代にはありえるわけです。だからそういう社会的な風潮に対して、この病院がある一定の価値を示すということはできると思うんです。

この文案を見る限りでは、確かに選択的中絶に対しては「よろしくない」という価値観が十分見られます。マススクリーニングに対してもやはりそれはぜんぶしないという価値観がありますのでそれをもうちょっと柔らかな表現でもって示すことができればこれはかえって患者に対しての安心感につながってくるのじゃないかなという気がしますね。

勝村:僕も同じような意見なのですけども、これは国の機関なんかで、ほんとに議論していただきたいと思います。これを病院の中で話し合っていくならば、我々はこういう考えを基本的にもっている、ということを伝えるだけじゃなくて、レクチャーする気持ちがあってもいいと思います。こういう考え方を持っていくと。しかし、こういう考え方をもっている、ということだけてはなくても、それぞれの事情をもっているから、門前払いではないんだと。いっぺん言ってみて、話をしてみたらどうか。それで結果が変わるようなことがあるんだと。主張や思いがあらかじめ出されておるということが社会にもひょっとすると意味があるのかもしれないし。だけどその案が「こうします」という結論ではなしにこういう思いを持って取り組んでいます、という形であればと思います。僕はこの問題というのはいろんなとこで思いをどんどん伝えていくことがいいと思う。医療費の単価がおかしいと思います、ということでも、どどん病院側が患者側にレクチャーするように言っていっていいと思う、といっているのですが、それと同じだと思います。だけどここに書いてあるような一定の現状を加味した落ち着いた内容というか、冷静な、現実的な対応も必要だと思いますね。

田中:小児科に携わってきた看護師として思うのは、病院によって重度の障害をもってい生まれて心不全とか起こってる患者さんを治療も十分にしないで、危ない状態になってから当院に運び込む、そういうケースがありました。そういう子たちは別に助けなくていいというか、そういう発想を持っている小児科医がいるのも事実です。うちの病院は障害を持った子どもを積極的に見ていますし、そういう子たちもきっちりとフォローをしてきました。小児科はそういう場合に何かがあったときには、常にフォローアップ体制がとれています。障害がもしあったとしても、いきなりそこから中絶に入るということではなくて、やっぱり場合によってはそこにちゃんとフォローしていってどんなサポートも考えていけますよということがあったらいいのじゃないか。そういう小児科との連携というのももっと打ち出してもいいのじゃないかな、と思いました。私も自分の子どもが亡くなったということもあったので、私は障害をもっている子どものフォローが大事だと思っています。母親の立場で言えば、なにか病気があるということがわかった時点でやっぱりすごく不安になると思う。私は生まれる前から何かあるかもとわかっていても、うちの小児科の先生だったら「何とかしてくれるだろう」と思っていて、ちょっと安心していられました。その子は5日で亡くなりましたけれど、そういうフォローがあるというのが、母親としてはすごく心強いのかなという気がします。

西田:もちろん個々の障害とか医療所見によって、その後の対応が変わってきます。ここにはないけれど異常発見の手順とかをもうちょっと正確に決めてフォローしていく。ショックを受けることはやむを得ない。今までは出たとこ勝負みたいに、あわててやってました。もうちょっとこちらがあわてないぐらいの部分のレベルは上げていってやろうという話はあります。

小原:情報を聞いた患者さんがショックを受けられた場合に、病院側がどのように対応するのかという問題もあります。

西田:悪いニュースの伝え方。ガン告知とかの課題でしょうか。

小原:悪いことを事前に伝えないといけない場合もあります。例えば、自らの意思で選択的中絶をしたときでも、それはおそらく喜んでそれをするということはまずありえないと思う。受動的に心理的にトラマイなんかということがある。あるいは結果的に選んだとしてもすごい悩みがあるというふうに、そのプロセスを共有できるような仕組みがあるかないかによって、単に身体的な痛みだけじゃなくて心理的な痛みに対してもメンタルなフォローですよね。ケアじゃないかと思う。これは私がドイツで勉強したのですけれど、ドイツの病院というのはすごく徹底しているのですね。というのはかつてナチス時代の教訓というのがあって、ナチス時代というのは障害児を徹底的に排除したのですよ。あるいはまさに選択的中絶大賛成みたいにね。そういうことでやって、そのことへの戦後の反省というのがありますから、特に中絶という問題には非常にセンシティブなのですね。もちろん権利として認められています。そのときに中絶をするにしてもする前1週間カウンセリングを受けなさいとかね。要するに、中絶とは何かということを十分理解したうえで中絶すべきだと。それから中絶した後も、1週間のカウンセリングあるいは1ヵ月後のあるいは1年後のカウンセリングのなかでその人の心理的なトラウマということでケアしようとする、そういう仕組みがあるんです。すごくよくできているのです。だからもちろん件数としてはけっこうあります。その点で、中絶を病院では悪いのだという価値判断を下す前にそういうふうな、実際お金の問題が関係しますけれども。医療の治療のレベルと言うよりかはメンタルケアということのほうが、患者さんにとってはおそらく大事なのではという気がします。

川原:経済的な問題で中絶をされる場合は、かならず看護師が面談をしています。それは一つはお金の問題もあり、分娩費を払えないという人がいる。もう一つはやっぱり中絶を選ぶことがその人にとってどうなのかというとこらでは、いろいろと考えてもらいます。そこで自分の生き方の問題と価値観の問題と条件の問題ということで整理してきてもらうことはあります。でも患者さんによって中絶がトラウマになることもある。障害児の可能性があるとか、それを自分でどういうふうに自分で整理する意図があるのなら整理してくるんだとみんな言っている。ただ、中絶の是非というのはわからないんです。いろんな価値観もあるし。そのなかでその人が整理できていけるような私たちのかかわり方ということです。また病院はこういう考え方をしてますよだけど相談なりに応じるしいろんな対応ができますよということをもっと出していくことが大事なのかなと思う。

西田:この異常があった場合には伝える、あるいは伝えないという基準はないんです。ここ最近でも、NTで異常が指摘されただけで中絶した場合と、羊水検査までいったけれど異常がなかったので下ろさなかったというこの2例があった。やっぱり検査しだすと、昔はわからなかったからよかったものが、今では細かいところまでわかるのでそういうことがあるんです。さっきいった寸法とか胎児心拍だけを選択して検査するということが事実上できない。たとえば男か女か、ということは検査中に見えてしまうんですね。性別を聞きたくないとわかっている方の妊婦検診をしながらでも、性器が映ってしまう。超音波は、同時性があるんで妊婦さんの前で映ってしまうんです。

原:結局ここでは「中絶はできない」と言ってしまえば、楽でしょうね。

西田:そう言っても、中絶する人は別の病院でやるんです。

村井:もっと言えば、中絶自体ですねその初期を含めて経済的な問題も含めて、うちは宗教上やらないと決めるのだったらこれで楽ですね。

西田:公的な病院で中絶をしていない病院があります。理由は定かではないですが。

村井:そうですか。

西田:僕らとしては中絶は医療行為的なものがあるので、やらないわけにはいかない。

村井:全国の民医連で統一してないんですか?

西田:全国の民医連ではありません。個別の病院で決めていると思います。

村井:合意してないんですか。

小原:ただこれは普通は合意には至らないんです。簡単には。というのはね、アメリカの大統領選挙ではいつも争点になりますね。「どんな理由があっても中絶してはいけない」という考え方のプロライフ派と、産む産まないを決めるのは女性の権利だと主張するプロチョイス派がいます。命は大事ですよとは簡単にはいえない。女性の権利-産む側の権利を確保するためには単純にあれかこれかと結論出せないということがあります。これはなかなか難しいですね。

西田:それはドクターで決めるのですか。

小原:普通はそうならざるを得ない。それぐらいにそれは人の価値観によるところだと思うんです。例えば、カトリックの病院とかであれば、けっこう簡単なんです。「胎児の命は誰にも奪うことはできない」ということで、中絶禁止で決まっちゃうんです。実際は、命を擁護するのか、産む側の権利を擁護するのかということで分かれてきます。

立岩:マスクリーニングに使わないというのは、社会レベルでもそういう優生的な内容というのは問題があるというのはわかる。ただそうだとしても個人の理由で中絶をしていくとなると、結局これからの時代は、このあたりの問題には対処できなくなってきますよね。

立岩:致しかたないと言っていいのか。これは社会全体の話し、私も社会全体と切り離してもこれはいいと思うのですけども。要するに個人の選択で自己決定でやっていけばそれでいいのか、という問題がこれからの課題ですね。個人の選択だからそれは任していくというのが、事実上優先していくみたいな方向にいっちゃうと、それはそれでまずい。

西田:多くの医者の素朴なレベルでは、胎児が生まれる、生まれないというのがどちらがいいということではなくて、障害をもった子が生まれた場合に、僕らが見過ごした、言わなかったということで、僕らや医療が責められるということがあれば、困るという思いがあります。胎児は堕ろしてくれとは、なんにも言ってないのに。

立岩:先ほどのインフォームドコンセントの議論で言われた「患者にとっての最大限の利益」のその患者というのは、この場合、胎児でもあるわけですよね。胎児に先天異常なりが見つかったと言う場合に、胎児にとって最大の利益と言えば、もう産むことしかないんですね。生まれたときにケアができる状態であれば、それは産むべきなんです。発想、思想は同じですからね、「患者にとっての利益」ですから。だけれども今の社会の現実は、社会保障とかケアがきっちりできない状態です。だから生まれてもかえって不幸になるんじゃないかという発想から中絶する、ということがあるのは社会進歩の過渡期だと思うんですね。だからほんとにきちっと進歩してどんな状態でも子ども産んでも社会的体制として子どもがケアできる状態であれば、患者の利益を最大限保障する意思能力がないんですから。だけど第三者が胎児にとって最善の方法はないかと。それは命を守ることそのことをベースにしながらしかしやむを得ない経済状況の中で、どの程度そういう例外をつくるのか、医学的にどうするか、そういう発想で。選択的中絶をなくす方向で私は議論をした方がいいと思います。

原:社会の合意としては、いろんな子どもが生まれてもそれを安心して育てられる社会になればいいという……

西田:しかしそういう前提がないから、経済的理由なんていうのが入ってくるのです。

小原:だからそれだけの経済力どの国にもがあればたぶん問題がそう深刻にならないと思う。例えば、スウエーデンとかフィンランドとか福祉大国と言われている国で、例えば5年ぐらい前に、優生手術が長い間やってこられたことが明らかになった。結局、福祉コストを削減するためにそういうことをやらざるを得なかったという非常に裏表の関係がある。やっぱり簡単ではないなという気がするんです。

原:そうですね。理想的じゃないですね。理想論だったら人間的だと思うんです。ただどういう基盤、理想論に向かって動くかという議論を。

小原:それはそうです。この件に関して言うと、障害者団体がいろんなクレームをつけています。中絶手術に対してね。例えば、最近誰か遺伝子診断のレベルで特に有毒な遺伝子疾患を持っている患者には遺伝子診断を受けられるかどうか、これにもやはり「これは優性思想につながる」ということで障害者団体がクレームをつけるわけです。これは「どんな子どもが生まれてきても安全に安心して生きられる社会を作って欲しい」という主張がそこにはあると思うんですね。ただそれをどれぐらいの人が共有できるかというと日本はまだまだそこまで成熟してないと思うんです。だからその意味でこの病院がそういった価値観の形成にむけて寄与するのかどうか、という選択肢でもあると思うんですね。単に一件一件、個別の治療をやっているんではなくて、一件一件の治療を重ねることによって、ある種の社会的合意を作っていくみたいなね。そういうメッセージというのは出せると思うのですね。これは意味があるし、議論する価値があることだと思う。

勝村:いろいろな面があってあれなんですけど、この資料7の最後の5行の部分なんかは僕はやっぱりこれからの時代必要な考え方だとは思う。だからこの病院としては、「この検査とこの検査は必要がないと思うのでしません」ということは伝えてもらうことは大切だと思う。他の病院ではやられているかもしれないけれど、我々は必要だと考えないと。たださっきおっしゃった別の目的をもった検査をやれば見えてしまうというということに関して、「寝た子を起こす」ことになるから言わないというよりは、それもやっぱり伝えてほしい。情報を与えたら、こうなってしまうからと決め付けてしまわずにそういう情報も一定、共有しながら、本来こうあるべきだと思う、と話をするまが正しい人間と人間の関係だと思う。正確にわかったことは伝える、ということがあってもいいことだと思う。

原:アンケートなりをとって答えてもらうようなことはできないでしょうかね。例えば、超音波をあてればここまで見えるけれどもここのことについては伝えないということも選択できますかどちらを選ばれますか、みたいな。

西田:胎児の心拍などいろいろ検査します。いろいろ見えるけれどもそれで教えて欲しいのか、欲しくないのか。教えて欲しくなければ伝えませんというような物ですか。

原:ということは何を聞いたら教えてもらえますか、ということにも。この病院としては異常がわかっても原則としては言いません、という対応を仮にした場合の不都合はありますか?

西田:その場合、あらかじめ同意をとらないといけないから、患者さんにNTの説明をしないといけないと思います。

原:「寝た子を起こす」ことになると?

西田:そうですね。じゃ、この書いてあるNTとは何だということになります。

原:「寝た子を起こす」ことになるんですね。他の問題ってあるんですか。

西田:他の問題はね、「わかっても言わない」と言われたら、余計に自分はどうだったんだろうと検査の時に気になるでしょうね。

小原:これは今議論が尽きないと思う。今まさにおそらく日本に限らず世界中でホッとに議論されていることです。これはまたくり返しテーマをさいて……

立岩:最後に少しだけいいですか。何のために使わないという言い方ではなくて、繰り返しになりますけれどもこの病院は超音波検査というものをこういうものとして位置付けると、その限りでわかったことをお伝えしますよ、と。だから何のために検査するのかということを言うほうがいいと思う。何のためにしない、ということよりも。そのために必要な情報をお知らせします。基本的には、うちの病院はそういう方針でやりますと。そういう文章の方向で書かれればいいかなと思います。

川原:説明の中に、「分娩を成功するために」とか入れればいいんでしょうか。

原:もう少し具体化したほうがいい。ダウン症レベルのものについては積極的にお知らせしますとか。

 

<議題6>

男性:すみません、時間がないので、また継続して考えることにしたいと思います。もう時間がないので5番のことに簡単に触れて終わりにしたいと思います。

岸本:「保管年限を過ぎたレントゲンフィルムを患者様が渡して欲しいといわれているのですが、どうしたらいいか」という内容のメールが届いています。資料としてつけたのですが、当病院の利用者の方じゃない方から来たメールですし、倫理委員会の議論の対象とはしていないので、御議論は結構です。紹介だけとさせていただきます。それから今後急いで返事をしないといけないメールが来た場合は、まず小原委員長に相談させて頂くことにしたいと思いますが、よろしいでしょうか。

勝村:この資料のメールですが、保管年限を過ぎた診療記録が本人が請求したら渡してもいいというのは厚労省の見解ですよね。だからそれを覆してまで本人に渡さないという決定はちょっと困ると思うのです。

岸本:わかりました。そのように返事します。

小原:では、次回の日程をお願いします。

岸本:予定は3月18日です。

小原:3月18日で今の時点でだめだとわかっている方どのぐらいおられますか。とりあえずそれじゃ、3月18日木曜日6時からで場所は後日お知らせします。ご都合のつく限りご出席いただければと思います。どうも今日は長い間ありがとうございました。

 

議事要旨

 

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