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第三十七回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2010年6月3日(木)18:30~21:00
場所 太子道診療所3階多目的室
出席者 外部委員 原委員長、勝村副委員長、位田委員、岩橋委員、関谷委員、広瀬委員
内部委員 北村副委員長、赤木委員、井上委員、内田委員、東委員、吉中委員、中村(特別委員)
事務局 丸山
オブザーバー 田中、橋本、藁谷

議事

 北村 議長の原さんは今、電話中ですが、定刻を過ぎていますので始めさせていただきます。事例検討と宗教的輸血拒否に関するガイドラインについての議論を行います。では、(1)の事例検討ですが、今日は産婦人科の藁谷先生からご紹介していただいて、ご議論いただくことになります。藁谷先生、よろしくお願いします。

 

議事(1)「事例検討」

※事例1例検討しました。

 原 では、輸血拒否に関するガイドラインにいきます。

 

議事(2)「宗教的輸血拒否に関するガイドラインの作成について」

 北村 はい。「エホバの証人信者の輸血拒否に関するガイドライン」についてのご議論をお願いします。資料は後から配りました2つをご参照いただければと思います。一つは「2010.6月案」と書いてある倫理委員会案で、もう一つは前回もお配りした「宗教的輸血拒否に関する合同委員会報告」と書いてある資料です。
 これまでの議論を踏まえて、私がたたき台を作っている途中で、文章表現もロジックも殆ど詰めていない未完成な段階であるのですけれども、「基本的な方向性はこれで良いのか」という点を中心にご議論いただければと思いまして、ガイドラインを整理いたしました。で、この倫理委員会案に従って話を進めてまいりますが、全体の構成は【はじめに】から始まって、基本的な情報を整理してある部分が【第1部 解説編】で、P2からP6の頭までを言います。これは割愛いたします。P6以降が今回、新たに提示する中身でありますので、ここをご議論いただければと思います。内容は多いですが、ざっと読ませていただきます。
 P6の【Ⅱ合同委員会ガイドラインについての、本委員会の評価】からいきます。【本章では、これまでの医療においてなされてきた努力の一つの達成である合同委員会ガイドラインについて、本倫理委員会の立場からの評価を行う】。ここからスタートするのは、もう1つの資料の「合同委員会ガイドライン」を基本的に踏襲したものにウチの病院もしますという前提に基づいているからで、ただ、乗っかるだけでなくて、修正すべき点は修正して、当院のガイドラインにしようということなので、このような構成にしています。
 【1)肯定的側面】。このガイドラインの【肯定的側面について述べる】。【合同委員会ガイドラインは、ここまで確認してきたような教団と社会の双方の努力の蓄積の上に立って、明確に1つの解決法を提示している。「患者の自己決定権の尊重」と「18歳未満の児童の保護」という2つの要素をバランスよく提示されているという点で、基本的に妥当なものであり、当院もこれに沿った医療を提供すべきである】。
 【2)問題点】。ただ、2つの問題点があると考えています。1つ目の問題点は【A 信者集団から信者個人に加えられる圧力に、もう少し配慮した方が良い】です。【まず1つは、信者個人の「自己決定」の背後に存在している、信者集団から加えられる心理的圧力に、もう少し配慮した方が良い】。【本来、医療における自己決定というのは、他者からの圧力のない状況で、正確な医学的情報に基づいて、合理的な判断の上でなさるべきものである】。【しかしエホバの証人の信者の場合、教義が非常に厳格で抑圧的なものであるがゆえに、他の信者の目を気にして自分の意見を抑圧することが生じやすい。例えば信者が同意の上で輸血を受けてしまうと、神の意思に背いたとみなされて排斥されることになる。信者にとって排斥というのは、非常に心理的苦痛を伴う体験である。それは、排斥によって教団から排除されるだけでなく、信者である家族や親しい知人とのつながりをも失うことにもなるからである。この排斥の圧力の大きさは、教団の機関誌の次のような記事からも伺われる】。【ある兄弟とその妹は巡回大会での話を聞いて、6年前に排斥された同居していない母親との接し方を変える必要があることに気づきました。大会の直ぐ後、兄弟は母親に電話をかけ、「自分達が母親を愛している」とハッキリ述べてから、「連絡の必要な家族に関する重要な事柄でなければもう話しかけることはできない」と説明しました】。【この一文から、例え愛する母親であっても、排斥された場合には「もう話しかけることができない」状況に追い込まれる信者の姿が浮かび上がる。さらに長年、教団の指導者層の一員であったFranzによれば、信者が教義に同意できない部分があることを表明すると、他の信者から「背徳者」「キリストの敵」「サタンの手先」と呼ばれる怖れがあるという。これもまた信者にとって非常に大きな恐怖であろう】。【こうした恐怖が存在しているのなら、もし信者が内心「輸血を受けたい」という希望を持っていても、それを表明するわけにはいかなくなってしまう。秋本によれば、それでも輸血を希望する人の場合、あえて他の信者に知られないようにして、秘密裏に輸血を受けているという。輸血拒否を表明する信者の言動の背後には、このような恐怖心が裏打ちされている可能性があることを、医療者は常に意識しなくてはならない】。【そう考えると、Migdenらも指摘しているように、教団の発行する事前指示書を携行していても、それだけで本人の意思を推測することは非常に危険だということになる。何故なら、この文書を完成するには2名の立会証人と2名の代理人の署名が必要になっている。普通、この署名を行う人は信者であるだろうから、事前指示書を完成する作業を行う際に、教団からの無言の圧力がどうしても働いてしまうからである】。【また、教団の医療機関連絡委員会に連絡を取ることも、教団からの圧力に患者をさらすことになってしまう。何故なら、この委員会は教団の公式な機関であるため、委員会メンバーも教団の教えに従って活動しようとするからである】。【脚注)とはいえ、委員会メンバーも実は個人の思いを抑圧している場合がある。そうした矛盾にさらされた医療機関連絡委員会の海外メンバーの苦悩の声の1つがこれである。「私の気持ちをハッキリ申しあげましょう。私はこの医療機関連絡委員会の任務を辞める準備ができています。私はこの残酷な(輸血拒否に関する)教義を実施していくことを指示し続けることはできません」】。【こうした集団からの圧力を考慮に入れれば、患者の自己決定は、他者からの圧力のない状態で行われるべき本来的な意味での自己決定からは、ずいぶん遠いものである可能性がある】。【だとすれば、「自己決定権の尊重」という原則は重視しつつも、その自己決定の背後の複雑な心境にも十分な配慮を行い、患者の意向を慎重に受け止める必要があると言える】。
 2つ目の合同委員会ガイドラインの問題点は【B 15歳から18歳の子供に対する対応】です。【次に、15歳から18歳の信者に対する対応についての懸念である。ガイドラインでは15歳から18歳の子供に対しても「両親が輸血を拒否し、本人も拒否している場合には、無輸血治療を貫いてもよい」とされている】。【しかし、この部分については再検討の余地があると考える。何故なら、教団の抑圧的な教義が信者の子供の内発性を強く抑圧し、輸血に関する自発的意思の表明を、心理的に禁じてしまっている可能性があるからである。こうした抑圧的傾向は、教団機関誌の次の一文に明らかである。「親は子供に衣食住を備え続けるのと同じように、神の言葉に調和した教えと懲らしめを与える必要があります」】。【心理的に見れば、15歳から18歳という年代は、親の影響からまだ完全に自由にはなれていない時期である。この時期は、子供の中で育ちつつある自律的な思考の力によって、親の価値観を相対化する苦闘をまだ続けている時期である。親の意見と全く同じ意見を抱いている子供というのは、親の信仰を内面化して、その状況を達成している人もいるだろうが、逆に、親の価値観との相克に耐えかねて、葛藤を回避するために親に同一化して、安定を図っている人も存在すると考えられる】。【そのような人の存在を考慮に入れれば、ガイドラインが勧奨している「親権者2人と子供の価値観が全く同一の場合、無輸血治療を貫いてよい」とする対応は問題があることになる】。
 という問題意識を抱いて【Ⅲ当院での対応指針】を提示するのが第Ⅲ章になります。【以上の認識に基づき、当院におけるエホバの証人信者の輸血拒否への対応の基本的な考え方を以下に示す】。
 【1.当院ガイドラインの基本的な考え】。【○現在までの社会的合意を反映していると考えられる合同委員会ガイドラインに基本的には準拠する】。【○しかし以下の点については、当院独自の指針を定める】。【・15歳以上、18歳未満については、無輸血治療を貫く選択を取らない】。【・患者が意思決定能力を欠いている場合で、教団が雛形を作った「医療に関する継続的委任状」を携行している場合、その委任状だけを根拠にして無輸血治療を貫く決定はしない】という基本的考えになっていて、合同委員会ガイドラインを若干、変更したのが次です。
 【2.ガイドライン骨子】で、どこを変更しているかと言うと、P9の上の方の【2 患者の年齢区分に従って以下のように治療内容を決定する】の中の【2.1.2 意思決定能力がない場合】。【患者の過去の言動、残している文書など、複数の根拠から患者の推測意思を確認する。(この時、教団によって雛形が作られた「医療に関する継続的委任状」だけを根拠にして、意思を確認してはならない)】。【患者が無輸血治療を希望すると推測される場合、代理人署名の「免責証明書」を得て、無輸血治療を貫く】。【希望すると推測できない場合には、必要に応じて輸血を行う】。次に【2.2】のところの【2.2.3 親権者と当事者の両者が輸血拒否する場合】。これは合同委員会ガイドラインでは「無輸血治療を貫く」となっていますが、ここでは【なるべく無輸血治療を行うが、最終的に必要な場合には輸血を行う】という内容に変更しております。
 あと、合同委員会ガイドラインに付け加えた点は【3 この治療方針の妥当性について、多職種で議論する】という項目になります。【1、2の手順に従って選択された治療内容について、多職種(最低でも医師と看護師を含む)でその妥協性を検討する。妥協だと判断された場合にのみ、実行に移される】。
 後は細かい話で、【4 無輸血治療を貫くと決まった場合のモニター】であるとか、【5 患者がこの方針に同意できない場合、転院を勧告する】とか、こういう方針をあらかじめエホバの証人の信者の方に知ってもらうような努力がいるだろうと【7】の広報とか、この宗教の信者でない方の宗教的理由での輸血拒否に対しての、対応はどうするかという項目なども付け加えております。
 まだ完成していない状況ですので、細かい点では問題があるとは思いますが、一応、方向性についてのご議論をいただければと思います。以上です。

 原 たいへんな作業をありがとうございました。論点は幾つかありますが、一番のポイントは15~18歳の扱いですね。それから、「単純に書類だけではいけませんよ」というあたりも入っているわけですね。いかがですか。

 関谷 文書として完成した時にこういう形で載るものなんですか。例えば「問題点」の部分も載るのですか。

 北村 最終的に決定する場合は、ガイドライン本編ではなく、解説編として付けることになると思います。

 関谷 なるほど。なんというか、かなり書き方にオフェンシブなところがありまして、キリスト教のまっとうな宗教でさえ、「教義が厳格で抑圧的」と言われればそうかも知れないですが、宗教者から見ると、そういう書き方が公平なものかということが若干、気にはなりますね。信徒の方がご覧になった場合に、「自分達の教義が非常に厳格で抑圧的」と言われると…。これはものの見方ですから、「一般的にそういうふうに見える」とか、表現がもう少しニュートラルの方が良いのかなという感じがします。ただ、「抑圧的な」という言葉が後半のロジックの一つの中心的な課題だから、ここをあまり軟らかくすると難しいのではと思うのですがね。
 あと、気になったのは、P7の上の脚注8の教団誌からの引用文で、排斥されたのは輸血なんですか。それとも教義に反したという一般的なことなんですか。

 北村 ここは輸血とは直接に関係無く、一般的な排斥の話です。

 関谷 でも、輸血をされると必ず排斥をされるということですね。

 北村 本人が同意をして輸血をすると排斥されます。本人が同意しないで輸血された場合には排斥はされません。ただ、ご本人が非常に苦しまれるということです。

 関谷 排斥が皆、同じ排斥なのかがちょっと分からなかった。もしかしたらいろんな排斥があってね、輸血の排斥を信者がどう捉えているのか、あるいはもっと、僕らで言えば、キリスト教の中でもいわゆる大罪にあたるような宗教的なものすごいものと、排斥だけれどもかなり軽い程度のものもあって、前回のものみの塔の人の話を聞いていると、わりと倫理的な判断に委ねるようなところもあったので、この引用文でその結論にいけるかどうかと、そのロジックがちょっと気になったのですね。

 位田 この文書を読んでいると、「我々は相手のことをよく分かってあげているんだ」という、すごい一方的な文章に読めるんですよ。この立場だと、客観的に「本人は輸血をして欲しくないと本当に思っているのかな」というのではなく、「本当はそうじゃないのですよ」と言っているような気がするのです。どういう理由でこのガイドラインを作るのかというのは、作る側の心理的な問題なので、僕はこの解説編は要らないと思うのですよ。それに、100%確実に「輸血して欲しくない」と言っているのだけど本当は抑圧されているというケースと、抑圧されていなくて本当にそう思っているケースの見極めは、殆ど不可能だと思うのですよ。なのに、「抑圧されているんだ」というところから始まっているので、宗教者からは「我々は抑圧しているわけではない」と言われると思います。ただ、心理的な背景としてこういうことがあるのはよく分かるので、「抑圧されている可能性がある」とまでは書いても良いけど、すごく説得的に「抑圧されている」って書くかなという気はしますよね。

 

 北村 解説編を付けるかどうかはまた議論しなければいけませんが、僕自身の問題意識としては「本当に信仰されている方であれば、自己決定を尊重するのは良いだろう。しかし、内心は本当には信仰していない方で、かつ継続的委任状を携行している方が運ばれてくると、一般的なガイドラインに従うと、その人に輸血しないことになって、命を落としてしまう怖れがある。それが本当に良いのか」という思いがありまして、そこは「医療の原則に基づいて、救命する側の方に入ってもらうようにした方が良いのではないか」という気がしているのです。それで、それを根拠づけるために色々と付けたわけですが。

 位田 そういう立場はよく分かりますし、病院の方針としてそれを貫くのだったら、家族やご本人とのいろんな確執はあると思いますが、それはそれで問題はないと思うのですね。ただ、合同委員会ガイドラインと違う2.1.2の部分で「患者の過去の言動、残している文書など、複数の根拠から患者の推定意思を確認する」とありますが、「誰がどういう証拠に基づいて確認できるのか」と言うと、おそらく病院に入ってきてからだと事実上、できないのではないか。それに「現場の医師がそれをやるのか」もしくは「倫理委員会で決めてくれ」と持って来られるのか、そのへんも難しいでしょうし、2.1.2の一番最後のところの「希望すると推測できない場合には必要に応じて輸血を行う」と言っても、「本人の同意はない、家族の同意もない」という形でやるわけですから、下手をすると最高裁判例みたいな人格権の侵害というところにいってしまう。「本当に人格権を侵害しない状況なんだ」と示せるだけの証拠は、現実に患者さんが入って来た時に多分、医療者側には集められないと思うね。それから2.2.3の「なるべく無輸血治療を行うが、最終的に必要な場合には輸血を行う」というのも同様です。
 合同委員会ガイドラインの方は「同意があれば輸血を行う」と書いてあるので、同意の有無で明確なラインが引かれているわけですが、これは明確なラインが引かれていないので、実際に患者さんが入って来てこういうケースになった時に、現場が一番困られると思うのですよ。ガイドラインというのは、現場が困らないように場合によって分けることが必要なのに、同じ場面で「あるケースは輸血をして、あるケースは輸血をしない」というところに行ってしまうような気がするので、そう決めても難しいのではないかなという気がします。

 吉中 2.2.3は、合同委員会では「18歳以上に準じる」だから、「転院を勧告する」ことになるのですね。

 北村 そうですね。「この方針に同意できない場合、転院を勧告する」という項目に当てはまりますね。

 吉中 そこが大きく違いますね。それがあるから各項目に「転院を勧告する」を入れていないわけですね。

 北村 はい、そういうことです。プラクティカルな立場から言うと、患者さんが継続的委任状を携行されていたらそれに従って輸血をしないということが、一番良いような気もするのですね。ただ、そういうことを優先して、本当は他の信者を前にしてやむを得ず書いたようなもので、そのまま命を落とすようなところへ行ってしまうというロスを発生させて良いのかというところで、ちょっと引っかかりを感じますね。

 関谷 これは扱えないことを扱っているというか、信仰心を測るというのは僕らの業界でも本当に難しいことで、「あなたの信仰はどれだけ高いレベルか」なんて分からないので、その気持ちはよく分かりますし、死なせないで済む命を助けたいというのは皆、共通だけど、どの人が教団によって言わされているのかということは、「プロでも無理」みたいな話なので、病院の現場でするのはまず無理なんじゃないかなという感じがします。結局、ご本人がいろんな抑圧を受けていても、最終的に書いたものがその人のアウトカムであるとする以外に、僕らが判断する基準はないのではないかなという感じがしますね。それ以上は責任が取れないのではないかなと思いますね。悔しい気はしますけどね。

 位田 周りから責められて書くというのは、ある意味では非常に日本的な状況ですよね。欧米だともっと個が確立しているので、嫌なら「嫌」と言う人が多いと思う。

 関谷 宗教というのはそもそも個の感覚ではなく、共同体の感覚ですから、自分の意思で書くわけではないのです。自分で考えるというのは現代人の発想で、神が共同体に与えた掟をみんなで守るものですから、自分では考えないのです。だから、その人の意思を聞き出そうと考えること自体が元々ダメなんです。昔の共同体社会の中にいますから、個人の信仰なんていうものもないのです。全体のものなんです。ある種、個の中にどこか消えていく部分がないと成り立たないのです。宗教外の人が見て「この人はものすごく抑圧されて、洗脳されている」というのは一つの考えで、共同体の中でその人が生きているということは、実は既にそういうことなんです。

 勝村 「問題点」に書いている「内緒で輸血している人がいる」というのが本当にあり得るのだったら、「輸血したかったら内緒で輸血してあげるよ」というドアを作っておくことはできるかも知れないけど、「こっちが見極めて、宗教の問題点から救ってあげよう」というのは、ちょっと無理があると思う。本当に嫌々書かされているのだったら、内緒のドアをノックしてみようと思えるように、導いてあげれば良いと思う。

 関谷 でも、きっと信じているのだと思いますよ。そうでなかったら、皆から言われても命を捨てませんわ。

 勝村 だけど、ご心配されているのは、「本当は輸血して欲しい」と思っている人のことでしょ。

 位田 内緒であっても、結局は本人がやって欲しいと思うわけで、「輸血してもいいけど、家族に言わないでね」とか、どういう形にするかは別として、同意しているわけですから、同意は必要だと思います。

 勝村 だけど、「内緒で輸血してくれ」と言い出せない人がいると気づいたから、問題になっているのでしょ。

 北村 普段、秘密で輸血をしてもらいたいと思って生活していた信者さんが、大量出血で急に病院へ運ばれて、家族や信者も集まって来てという中で、その話が言えるかというと当然、なかなか言いにくいということで、輸血拒否で貫かれるということがあり得るかと思います。もちろん表面上は、本人が「とにかく輸血をしないでくれ」と言っているので、それに従って「しない」ということもあり得るのでしょうけど、それを本当に切り捨てて良いのかなという思いは、ガイドラインを作るにあたってあります。

 勝村 「内緒で輸血することもできるよ」と、ちらっと本人に言ってあげるということでしょ。

 岩橋 本人が意思を表現できるのなら、周りの人の影響を排除するために、一旦、席を外してもらって、念のために「輸血に同意するかどうか」を確認すれば良い話だと思う。ただ、この案の「推測する云々」は、現実的には絶対に無理だと思う。日記とか文章に書いてあれば別だけど、書いてなければ推測はなかなか難しいですね。

 位田 当然、同意は個別の形で取らないといけないので…。

 岩橋 「委任状を持って来たら、それだけでいいです」ということには、全然しなくても良いと思うので、きちんと確認すればいいと思います。

 原 今のは2.1のところですね。意思決定能力がある場合でも委任状だけでやるのではなくて、個別に確認をしましょうということで、それはいいですね。

 位田 1で「15歳以上の患者については精神科医にコンサルトする」となっていますが、一般的に「精神科医にも手伝ってもらって、本当にそう思っているかを見極める努力をする」というのはありだと思うのですよね。

 北村 想定しているのは、誰が見ても大丈夫だという場合は不要なんですけど、軽い意識障害がある人が運ばれてくるような場合は、コンサルトするということにしているのですが、宗教的信念をしっかり持っている人かどうかは、精神科医が診ても分かるわけではないので難しいですね。

 岩橋 ある程度の説明をして、そういうのが出てこなかったら、宗教的確信を解きほぐして説得するのはかなり難しいのではないですか。

 吉中 精神科医のコンサルトとしては、この前、別の病院から手術が必要だということで送られてきた■歳代半ばの患者さんがいて、前院での精神科医の判断は「自己決定が可能である」ということだったのに、患者さんを見るととてもそういう状態ではなく、他にも理由があって、お戻りいただいたケースがありましたが、判断が違った時の対応は簡単ではないですよね。時間も違うし、シチュエーションも違うので、ギリギリで環境が変わると認知症が進む場合もありますから。

 北村 精神科医も治療が仕事でして、意思決定能力の判断には別の視点が要るので、常に熟達しているわけではないし、判断を間違えることも往々にしてあると思います。でも、一応加えておく方が良いかなと思います。

 位田 基本は、できるだけその人を助けられるようにいろんな努力をしていくという話ですよね。

 原 意識障害とかで意思決定能力がない場合は、免責証明書を持っていてもそれ以外に別途、何か充分に「希望している」と判断できるような根拠があるのだったら、輸血してもよろしいと思います。

 位田 ただ、「本心はこっちにあるということを誰が判断するのか」という問題がありますね。現場の医師なのか、例えば院長さんなのか、倫理委員会なのか、それを決めておかないと、現場で「A先生はそういうふうに判断したけど、B先生はそうじゃなかった」というような混乱を招くかも知れません。

 原 それは、「多職種で議論する」というところに、コンサルトみたいなのを入れるかどうかですね。機能としては、院長が判断するのか、以前に一度話が出てペンディングになっている倫理コンサルトに担当してもらっても良いと思いますが、倫理委員会は機動性がありません。免責証明書以外に証拠があるかどうか分からないですけど、それこそ免許証にも臓器移植の意思を書き込む欄を作るという話なので、そこに「輸血して下さい」と書いたりするかも知れません。誰が判断するかは、どうなんでしょうか。

 位田 どっちにしても、最終的な責任は病院長にかかるのですね。

 赤木 輸血するには同意書が要りますから、ご本人がこそっとサインしてくれたらOKだと思うのですけど、無輸血を希望すると推測できない場合でも、最終的に同意書がないと、輸血してあげたくてもできないですよね。

 勝村 「推測できない場合に輸血を行う」とか「最終的に必要な場合は輸血を行う」と判断しても、どっちも同意書に署名を得るのが難しい。

 位田 本人か家族の輸血同意書がないと、いくらこのケースにあたるにしても、勝手には輸血できませんね。だから学会のガイドラインは「輸血をする時は必ず同意が要るということから、同意の有る無しで判断するしかない」という話だと思うのですね。

 吉中 「提出してもらう」と書いてありますね。

 北村 15歳未満の場合、「両親からどうしても同意が得られなければ虐待通告をして、親権代行者の同意で輸血する」ということで、15~18歳の場合は、合同委員会ガイドラインでは「両者とも輸血拒否をする場合は輸血をしない」となっていますが、もし、ここでどうしても輸血をしようと思えば、15~18歳も児童なので、「虐待通告して親権代行者の同意で輸血をする」という中身にしなければいけないということですね。

 岩橋 「最終的に必要な場合には輸血を行う」というところでも、その場合、親権者の理解が得られないということで、虐待通告するということ。

 原 いずれにしても、輸血をしようと思えば誰かから輸血同意書が要りますが、児童相談所から家裁という流れ以外、後見とか何か法的に代わり得る場面はありますか。

 岩橋 いや、親権者がいれば、まず親権を喪失させないと後見人は就けないので、これをしないとダメです。

 原 いや、子供以外の場合は?

 岩橋 子供以外の場合は、本人に判断能力がないとか、後見人を選任できる状況とタイミングがあれば、同じようなことはやれると思います。ただ、私も後見人になったりしていますが、一応、医療行為についての同意などは後見人問題ではないという考え方をしています。というのは、医療行為というのはあくまでも本人が判断できる範囲で、本人の同意でやるべきということなので、それについての理解ができない状況の時には、弁護士ではない後見人の場合は、多分、同意することになるとは思いますが、多分、弁護士の後見人マニュアルでは「お医者さんに、緊急の医療行為として必要だと判断して、同意無しとしてやってもらうように頼みなさい」となっていて、「後見人が代理する本来的な範ちゅうではない」というのが今の強い考え方です。親権の持っている包括的なものの考え方と、後見人というのはちょっと違うと考えた方が良いです。親権でも、例えば18歳以上20歳未満でも親権はあるのに、親権者の意向は考慮せずに18歳以上はやっているわけですからね。

 原 後見の話では一部、任意後見みたいな医療契約をやっているところもありますけれども、この手のやつは、そういう形での法律が入って来てくれる仕組みがある方が、ずっと安心できますね。
 根本的なところでは、学会のガイドラインでも18歳で区切っていますけど、これで良いのでしょうか。逆に18歳以上で、親権でもって「拒否をする」と言ってくる場面もあり得るわけですよね。

 岩橋 エホバの判例を見ても15歳から20歳までの例がないので、事件になってみないと確実には分からないですけど、これぐらいの歳なら、本人の意思を無視して親の意向でやるという考えは、親権の乱用だという発想だと思うので、ガイドラインがこのような基準でやっていても、裁判とかになった場合は、違法性の点でそういうことをトータルに考慮するので、必ずしも単に親権者の意向を優先させるということはないと思います。

 位田 宗教的輸血拒否の判例は、比較的に歳をとった人のケースが多くて、未成年者についての判例はなかったと思いますけど、判例もそんなにたくさんは出ていないですね。一般的には20歳未満であれば当然、親権者はいますし、基本的には意思決定能力はないという取り扱いをするのだけど、しかし、親権者が例えば輸血はダメと言っていて、本人が輸血をして欲しい、もしくはその逆の時には、少なくとも18~20歳なら、本人で判断できるんだとみなして、本人の意思を尊重するのが一般的な取り扱いだと思いますね。本来ならインフォームドコンセントも、本人はコンセントの能力はないので親権者がコンセントすれば良いという話だけど、やっぱりアセントという考え方があるので、アセントできる能力が何歳だったらあるかという話で、「18歳であれば確実にある」と、「15歳から18歳までも、あるけど程度は少し低い」という考え方ですよね。「『注射をしますよ』と言った時に、子供が『痛いのは嫌だ』と言ったら、無理やりやるか」という話と、基本的には同じですから。

 岩橋 オウム真理教で拘束されていた子供達を人身保護で救出する時に、本人に意向を確認したのですけど、やっぱり年齢が上になってくると難しいのですよ。先っきから私はそのへんのこととパラレルに考えていたのですけど、宗教的な確信というのも15歳ぐらい以上になってくるとある程度はあると思う。そうすると、本人が「そこに残る」と言っている以上は、解放できないというふうになっていたと思う。オウム真理教から救出しようと思っていた人達にしてみたら、高い年齢の子でも解き放してあげたかったのだけど、やっぱりそれは難しさがあったと思っているのですけど。どういうことに対する理解能力を求めているかがちょっと抜けているので…。親権というのは親の権利であると共に義務であるというのが、一般的な捉え方ですから、ある程度の年齢の子だとかなり乱用だという見方をすると思うので、ガイドラインもそのあたりを考慮して作られていると思います。

 位田 自分の身に起こることについて何歳が適当かいう話でして、学会のガイドラインは最初の基本方針のところで、児童福祉法の18歳と民法上の養子縁組の承諾とか遺言能力とかで15歳とありますが、それ以外に取っかかりになる年齢は法律上にないですよね。「医療上での同意能力というのは、法律上の能力と一緒か」というと、なかなか難しいですよ。法律上の代理は馴染まないから、よく「代諾」という言い方をするのですけど。

 北村 現場の看護士やドクターとかの意見も出していただきたいのですが、どうでしょうか。

 中村 免責証明書があっても「輸血しなくて何かがあっても訴えられない」ということだけで、基本的には同意書がなければ何もできないので書いてもらうのですけど、周りが反対していて、こそっと「輸血して良い?」という時に、輸血同意書に本人のサインだけがあればOKなんですか。家族がいない天涯孤独の人で、サインは本人だけというのが最近は多く、それでも取ってはいるのですけど。署名欄は2人以上ありますが、形式上は本人の同意のサインだけで良いのではないかという気もちょっとするのですけど。

 岩橋 それは本人だから良いということですが、ただ、それが「何かの圧力で書かされた」というふうな疑念を防ごうと思えば、誰か中立な立会人にも書いてもらう方が良いのでしょうね。

 中村 やっぱり同意書には2名以上の署名があった方が良いのですね。

 岩橋 同意書の2人とは違うのです。同意したということを示してもらうというか、圧力のない状態だということを、後に揉めた時に証言してもらうためですけど。ただ、お医者さんとかが損得で圧力を掛けることもないわけですから、1人でも大丈夫といえば大丈夫です。

 勝村 こういう場合分けをしていたら、複数の署名が必要なんて意味がないですけど、家族が「する」「しない」で揉めている時に、1対1で同意を取るなら、例えば看護師さんとか、立会人のサインがある方がやっぱり良いと思いますよね。

 原 子供だけが希望しているとか、他の場合も皆そうでしょう。複数の立会者を書いておくかしたら、それで良いんじゃないですか。この手の問題の意思表示に関しては18歳であれば充分というのが、社会的な趨勢だとすれば、線引きそのものは18歳でよろしいですかね。

 位田 その内、成人年齢が18歳に引き下げになる可能性が高いですからね。

 原 15歳の線引きは、どうしても必要になってくるでしょうね。具体的なポイントは2.2.3の「親も本人もみんなが拒否すると言っているのにやれるのか」ということですが、ここは法的手順を踏まないと無理な話ですね。

 北村 親権喪失を申し立てるという手順を踏むということですね。

 勝村 2.2.3が合同委員会ガイドラインとは最も違うのですね。

 原 そうですね。ここの局面でここまでやる必要があるのかどうなのかですよ。

 岩橋 「最終的に必要な場合には輸血を行う」というのは、2.2.3のレベルと2.3.1のレベルは基本的には同じですね。先っきは18歳でしたけど、合同委員会ガイドラインは15歳以上にかなり重きをおいているのですよ。

 勝村 合同委員会ガイドラインの15歳以下の内容を、18歳以下で使おうとしているのですね。

 吉中 2.2.3は、15歳以上18歳未満の人で意思表明ができる人も対象にしているところが、合同委員会とは違うのですよね。合同委員会は、自己決定ができない人については親権を停止して輸血を行うと書いていますね。

 勝村 合同委員会のロジックは、18歳以上の場合は本人オンリー、15~18歳の場合は本人と親、15歳以下は親2人でしょ。そのロジックを変えるということになりますよね。15~18歳を子供扱いするのだったら、2人の親と本人の、3人の拒否が前提となるので、このへんが整理し切れていない感じがあります

 北村 「親権者双方」というところを入れようかどうかという議論もあるのですけど、僕が重要だと思っているのは、15~18歳の人の意向も尊重して無輸血治療を貫くのか、それとも、この年代というのは親との対決をしていく中でまだ未熟なところもあるので、こういう重大な決定については15歳未満と同じように扱うのか、そういう分かれ道があることです。そして、「解説編」で書いたような理由で、「この年代についても、最終的に輸血を行うというふうにした方が良いのではないか」という提案なんです。それが実際にはなかなか難しいことであれば、諦めざるを得ないわけですけども。

 位田 いずれにしても2.2.3で「最終的に必要な場合は輸血を行う」と言っても、同意書は貰えないですね。

 北村 その場合は一応、児童ということで、2.3.1と同じように親権喪失を求める手順を踏むということです。

 位田 これだけだと親権喪失という話は出てこない。

 北村 書き足さなければ出てこないですね。書き足したという前提で、「それで良いのか」という議論ですね。

 位田 15歳以上の場合、本当に親権喪失を求められるかどうかという問題もありますよね。

 勝村 良いことと思って15~18歳を子供扱いしても、本人は逆に「大人扱いして欲しいのに」という場合もあるわけですよね。

 原 「子供扱いか、大人扱いか」でもありますが、これは最終的局面としては「生命を取りますか、宗教的価値を取りますか」といいう話になりますけど、私個人としては「本人意思かな」という印象を持っていて、むしろ「15歳未満で、本人が全く登場しないのは良いのかな」という感じもありますね。

 勝村 どの年齢で線を引くかは難しいけど、「本人が言っているから」って、子供の意思を錦の御旗にされちゃうのはどうなのかと思う。

 位田 15歳未満というのは、0歳から15歳まで色々あるわけだから、確かにそう。14歳11ヵ月ぐらいだったら「判断能力はあるのではないか」とは言えるけど、10歳ぐらいだったら「どうも無理ですよね」という話になると、どこで線を引くかということでしょ。しかも、線を引くことに何らかの根拠がないと、線は引きにくいから、民法を持ってきて15歳というわけですね。

 原 臓器移植法の時に小児科学会は、12歳に実施要領を下げるという案を出していましたが、子供側の権利条約的な感覚で言うと、本人意思はもっと下がっても良いというふうになるでしょうね。

 位田 ただ、実際に下げるのはいいけど、じゃぁ何歳まで本当にいけるのか、12歳なのかというと、じゃぁ12歳以下は親権者だけでいいかとなって、そこでも問題になり得るわけですね。

 北村 看護の方からもよかったらご意見をいただきたいのですが。

 赤木 実際に15歳未満で輸血が必要な状況というのはかなり限られていて、現場ではおそらく外傷か、緊急手術が必要な場合と思うのですけど、その状況で判断能力を求めるのは厳しいような気がします。

 原 いや、内科疾患の方が気になるのですけどね。

 田中 潰瘍性大腸炎がそうですね。

 赤木 この親権喪失というのは直ぐにできないのですね。

 田中 輸血は多分、緊急な状況で必要になるので、間に合わないですね。

 赤木 実際にこれが現場で使えるかとなると、前提はあるけど使えないということになりそうな気がします。

 田中 で、同意が得られないので、輸血できないのではないかという気がします。

 北村 「親権喪失の申し立てをする手順を踏んでいる間、誰からも同意は得られないから当然、何もできずに死んでいく」ということですね。

 赤木 いずれにしても同意書というのは非常に重要かなって気がしますね。

 原 親権か…。他の国だったら、いきなり裁判所に輸血許可の申し立てることもあり得ますね、アメリカやイギリスの裁判を見ていると…。

 位田 だから、時間がある程度余裕がある状況で、確実に輸血をする必要があるだろうという病状、もしくは負傷の状態、障害の状態にあるという場合にはこれが使えますけど、余裕がない時には、実際は使えない。ではこれが要らないかというとおそらく、少し時間がある時にはこれを使って助けられるというので、これは残さざるを得ないと思いますね。

 田中 本人の意思というところで、自分の子供とかを見ていての漠然としたイメージでは、小学生と中学生では判断能力が大きく違うのではないかと思うのですね。高校生はもちろん自分でちゃんと意思表明ができ、小学生はやっぱり分からないだろうなという感じですけど、中学生になるとある程度、自分の意思というものを持っている子供達はいっぱいいて、それを無視して何かをするということは難しいかなという気がします。

 関谷 そもそも個人差があるものを、こうやって数字を切っているのですからね。

 位田 そうでない子もそうみなすということで、結局、しょうかないですね。

 勝村 結局、民法などで線引きするしかないということですね。

 関谷 子供によったら、親よりしっかりした子供もいますもんねぇ。

 位田 臓器移植法のケースで小児科学会が年齢を引き下げたのは、もちろん子供から臓器摘出をしたいという思いがあるのですけど、その時に「死の教育」を子供に施さないと、何も無しで小学生が意思表明できるという話ではないですね。そういういろんな配慮をした上で、小学生高学年とか、12歳以上なら良いとかいう話なんですね。この場合はそういうケースにあたらないから、どこかで線を引いて…。

 原 どう引くのですかね。私の個人的な感じでは、「中学生が脳死の判断をできるか」というのは非常に怪しいと思いますけどね。大人だって怪しいのですから…。だから、移植よりはまだ簡単かなという気はしますね。

 勝村 「脳死とは何か」って小学生に説明しなければいけないですからね。

 位田 だから、小児科学会としては「小さい時から死に関する教育を施しなさい」と言っているわけです。僕は性に関する教育の方が先だと思うのだけど。

 原 でも、死に関する教育問題ではなくて、具体的な判定方法とかサイエンスの話になりますからね。輸血拒否は「信じる」「信じない」とか、そういうような話ですが。どうしますかね。

 吉中 年齢は15~18歳という以外には何か出てこないのですかね。

 位田 12歳まで引き下げは行かないでしょうね。

 関谷 要するに高校生か中学生かという感じ。

 原 12歳でも良いような気がするのですけどね。

 岩橋 ただ難しいのは、生命についてどう捉えているかというのは、宗教的な確信の問題とはまたレベルが違うわけですね。たまたまエホバの証人の場合はこの問題が一緒になっちゃっているけれども、例えば「宗教的確信でそこに住みます」という意思のように、それが生命の危険に直結していない時に、宗教をよく分かっているかどうかという年齢の問題と、一律にしても良いのかどうかと思います。ただ本当は、宗教というのは生と死に関してのことを重視しているとは思うのですけど、どこまでが12歳ぐらいで分かっているか、それが15歳では良いかというのもよく分からないですけどね。

 吉中 宗教で信者になる年齢というのは、何かあるのですか。

 関谷 前回、エホバの証人の方に聞いたけども、基本的にはないですね。宗教宗派によっては、幼児洗礼を赤ちゃんの時に受けて、成長するとコンファメーションという堅信礼があって、信仰を告白しますが、信者の中には小学校ぐらいで受けた人もいますから、少なくとも私の所属する教会では最低年齢の規定はなかったと思います。ただ、口で告白するとなると、赤ちゃんの場合は難しい。

 岩橋 生まれて直ぐに印を付けているのを見るのですけど。

 関谷 生まれた時の幼児洗礼は半分だけなんです。その後のコンファメーションで自分の口で告白して初めてコンプリートするのですが、一応、教義とか教理とかが分かっていることが前提になっているので、少なくとも字が読める年齢でしょうね。だから、線をどこで引いても正解はないので、何かによって恣意的に引くしかないということだと思います。

 勝村 病院側の人が一番苦労するからガイドラインが欲しいということで作られ、それぞれの年齢で、結果として輸血する場合には、最低限、こういう人達の同意書が必要なんですよというマニュアルだとすれば、ある程度は民法的な線に乗って場合分けしておくべきだろうと思うのですよね。じゃぁ、一緒になっちゃうのですよね。

 位田 20歳、18歳、15歳というのは、法律上で何らかの根拠があるのですね。で、12歳というのは適切な根拠はないので、12歳を採ると言うのだったら、「12歳だったら医療に関する判断能力があるんだ」という、それなりの理由が要ると思うのですよ。そうすると、例えば12歳で小学校を卒業したばかりの中学1年生と、中学校卒業間近の3年生が、本当に同じように判断能力があるかと考えれば、12歳で引くというのはなかなか難しいと思いますよ。小学校から中学校に替わるぐらいしか合理的な根拠は見いだせないです。

 北村 まだ練られていないこともありますので、今日にいただいたご意見を持ち帰って勉強し、新たに提示させていただいて、院内の輸血委員会とかともキャッチボールしながら決めていくということでお願いします。

 原 場合分けで「18歳未満で意思決定能力がない場合」というものと、15~18歳のものも必要になってくると思います。15歳未満は元々ないという気がしますけどね。

 勝村 合同委員会は15歳未満と判断能力がない場合を一緒にしているのだけど、あえてそこを一緒にしたくないという意図で組んでいるのですね。

 北村 医療に関する判断能力がない場合というところは、子供の場合は親権者の話が出てくるので、15歳以上の方の全部を網羅できない話なので、本当は分けないかんのかなと思って分けたということです。

 勝村 そうすると、2.2とかにも意思決定能力がない場合を書かなければいけなくなりますね。

 原 今、皆さんは、だいたい15歳で良いのかなというご意見なのでしょうか

 吉中 根拠がハッキリしている方が良いでしょうね。

 原 コンサルトの話は出ましたけど、他の点に大きな問題はそうないですかね。

 勝村 2.2.3ですよね。

 位田 これはエホバの信者向けの文書ですよね。先ほど出てきたような他宗教などのケースにも準用するかどうかという問題があると思います。

 北村 P10の【8】に【エホバの証人信者でない場合の対応について】という項目を入れてあって、【基本的にこのガイドラインに従って判断して良いが、その場合、より慎重な判断を要する】ということになっています。

 位田 あっ、そうですね。すみません。

 原 そうしたら、次の議題は治験関係ですね。

 

議事(3)「治験審査委員会報告」

 吉中 治験関係の資料はお手元にありますけども、5月10日分までの治験審査委員会の報告が入っています。特別に報告すべき事象は生じていないということで、前回にご議論いただいた分も始まっているということです。次は来週の月曜日に治験審査委員会はありますが、新しい分についても登録はほぼ終わったと思いますので、そこでその状況が分かると思います。

 原 あまり揉めているようなものはないということですね。
 議事には載っていないのですが、利益相反の問題についての取り決めがこの委員会にないので、方向性を出していく必要性があるかなと思っておりまして、具体的には、治験を含めた研究の際の申請者もしくはそのグループが企業から、正当な対価として貰っているのも含めた金銭供与など、何らかの利害関係があるものは明らかにしましょうというのが、今の趨勢ですし、国の方からもそういう方針が出ています。キチッとしたガイドラインでなくても良いと思うのですが、取りあえず、簡単な取り決めだけはしておいた方が良いと思うのです。利益相反はあり得ないわけではありませんので、具体的には企業からの研究費、講演や原稿の謝礼、株の所有などの利益相反の範囲とか、ひょっとしたら訴訟といった対立関係にある場合もありますし、家族が絡む場合もがあるので、家族の範囲はどこまでかとか言いだすと、ちょっと細かい話になりそうですね。研究の場合とそれを審査する場合の、この委員会の委員の方に利益相反がある場合はそれを明示し、状況によっては審議もしくは採決から外れてもらうというようなことを考えないと、今の時代の倫理審査としては妥当性を欠くことになります。このたたき台は私が拵えてみます。ただ、次回から研究の申請などがある時に利害関係がある場合は、ちょっと用意をしていただきたいと思います。例えばお金を貰っている場合も、過去何年間という話もあるのですね。個別企業だけなのか業界なのかというような話や、おそらく論文でもそろそろ要求されてきますので…。

 吉中 そうですね、外国の論文はそうなっていますね。

 原 もっと厳しくなるみたいですけどね。細かな最初の基準は難しいけど、次回でも申請がある時は、関係があったら一緒に出して下さいということだけ、取りあえずお願いします。
 他に何かありますか。では、次回日程をお願いします。

 吉中 病院側の都合ですが、高木という副院長がいまして、倫理委員会と現場をつなぐ仕事を頼みたいと思っているのです。彼の日程は火曜日でないと出られないので、第5火曜日の8月31日はダメですか。

 内田 高木先生は木曜日でも出られる週もあるようですが、事前に高木先生からご返事はいただいていないので、8月31日はいかがですか。では一応、8月31日に予定させていただくということでお願いします。

 原 はい、ではこれで倫理委員会を終わります。お疲れさまでした。

 


(入力者注)
※ 文章は全体を通して、話し言葉を書き言葉に改めたり、意味の通じにくい言葉を言い換えたり、同じ発言の繰り返しを省くなどの推敲を行い、かなり要約した形になっていますが、発言者の意図を正確に伝えることを最優先にしています。また、患者名を特定される可能性のある情報など、秘密保持義務に触れる怖れのある発言は曖昧な表現に変えたり、伏せ字にしており、不明確な情報に基づき、中傷と取られる怖れのある発言における他事業所等の名称も伏せています。

 

 

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