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第三十四回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2009年10月29日(木)18:30~21:00
場所 太子道診療所3階多目的室
出席者 外部委員 原委員長、勝村副委員長、関谷委員、広瀬委員
内部委員 北村副委員長、井上委員、内田委員、東委員、吉中委員
事務局 丸山
オブザーバー 清水、田中久、山田豊
欠席 位田委員、岩橋委員、赤木委員

議事

 原 時間が過ぎていますので、あと勝村委員が来られる見通しですけれども、倫理委員会を開催したいと思います。議事予定は事例検討と、輸血拒否に関するガイドラインの作成、これは新しい問題提起ということです。それから、セデーションの関係のガイドラインの現状についてで、報告と、必要があればディスカッションしたいと思います。それでは事例紹介の方を担当の方、説明をお願いします。

 

議事(1)「事例検討」

※事例1例検討しました。

 原 では、次の議題は「宗教的輸血拒否に関するガイドラインの作成に向けて」ですが、ご説明をお願いします。

 

議事(2)「宗教的輸血拒否に関するガイドラインの作成について」

 北村 私、北村から説明させていただきます。これまでDNARガイドラインというものを作成してきておりましたが、一段落が着きまして、さらにガイドラインの整備を続けないといけないということで、次のテーマがこれなんですが、今回、位田先生がご着任していただくということになっていまして、位田先生はエホバの証人の輸血の問題についてご造詣が深く、いろいろと専門的な立場からご助言をいただけるということを伺いましたので、このテーマで作成を始めさせていただきたいと思いました。また、キリスト教に関わるものですので、関谷先生にもぜひ教えていただきたいと思いまして、そういうことでも出させていただきます。
 当日資料のP4~5に簡単なレジメを作りました。皆さんもご存じだと思うのですが、10分程度でエホバの証人に関する基本的な情報などをここで共有させていただく時間を取りたいと思います。まず、エホバの証人に関する基本的知識として、極々簡単に作った資料ですけど、P6~8に添付しました。本来、引用元の信頼度が高いものであるべきだと思うのですが、なかなか見つかりませんので、とりあえず日本語版ウィキペディアで簡単なエホバの証人についての情報を引用させていただいて、その後、エホバの証人の教団のホームページから抜粋した信仰内容をざっと書かしていただいて、その後、輸血拒否の理由というものもホームページに基づいて書きました。それを読ませていただきます。
 まず、エホバの証人というのは、プロテスタント・カトリック教会その他宗派系のいずれにも所属しないキリスト教系の団体で、神が天と地を支配する「神の王国」の確立を支持している団体である。日本においては約21万人の伝道者が活動しており、キリスト教として扱った場合、カトリックに次ぐ規模ということで、一定の割合でおられるということです。で、伝道者という方が21万人ですので、伝道者になっておられないけど信仰しておられる方を含めるともう少し多くあるということです。
 で、信仰内容ですが、「神の言葉」である聖書を真理と見なして、「その信仰が単なる人間の理論や宗派的信条にではなく、聖書に根ざしていなければならない」と考えて、宗教上の教えは全て聖書と一致していることが必要だとされている。で、信じておられる中身としては、いわゆる終末思想という点でしょうか。「私たちは今、終わりの時にいる」「いずれキリストの下におかれる王国が義と平和をもって地を支配する」「王国は地上に理想的な生活状態をもたらす」「神は現在の事物の体制をハルマゲドンの戦いで滅ぼす」「邪悪な者はとこしえに滅ぼされる」「神の是認を受ける人々はとこしえの命を与えられる」ということを言っておられるようです。で、聖書の中身に「ただ限られた数の人が天に行き、地上で永久に生きる人々は、数を限定されない大群衆となることを示している」とあり、「信仰する者には「神の王国と、清められ美化された地上での永遠の命という、聖書に基づく希望」が与えられることになる。そして「今日生きている幾百万という人々、また現在、墓に眠っている幾億もの人々がそこで永久に生きる機会を持つことになる」という。一方、逆に「神の道徳規準を無視する人たちは悲惨な結末を迎える。というのは、聖書に『救いは邪悪な者から遠く離れています。彼らは神の規定を尋ね求めなかったからです』と記されているからだ」という。聖書に基づいた信仰をしていないと、ちょっと悲惨なことになるということを信じられておられるということのようです。
 で、なぜ輸血拒否をされるかと言うと、聖書の以下の部分がその根拠とされています。エホバの証人の方々の訳の聖書は新世界訳聖書といい、信教はやっぱりちょっと違うのですが、その訳文に基づいた「使徒15章19・20節、および28・29節」を引用します。「ですから,私の決定は,諸国民から神に転じて来る人々を煩わさず,ただ,偶像によって汚された物と淫行と絞め殺されたものと血を避けるよう彼らに書き送ることです」。28節からが「というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄の他は,あなた方にそのうえなんの重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物の血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください」。で、この文言を厳格に理解して、「口と血管のいずれを通してであれ、血を体内に取り入れることは神の律法に反する」という認識を共有することになる。この認識に従えば、輸血という神の律法に反する行為を選択すれば、神の国に入れなくなってしまうということで、輸血が拒否されているということになります。
 ただ、具体的にどんな輸血なら良いのかというのは、比較的、個々の信者の判断に任されているところがあるようです。全血輸血・成分輸血といった主要成分の輸血は罪とされているが、血漿分画の使用は各自が決定して良いものとされているそうです。教団のお立場としては「子供の意思表明も有効なものであり、子供だから勝手に輸血をして良いというものではない」ということをおっしゃっています。また、「保護者による子供の輸血拒否も民法第818条の親権の範囲内で認められている」というふうに教団はおっしゃっています。
 そして、信者へのアドバイス組織が教団内に構成されているようです。もちろん、この問題は重要なテーマではあるけれど、全ての信者が普段からこの問題について深く考えているわけではなく、信者が突然、交通事故などに遭遇して、急にこの問題に直面することも生じ得る。その場合に適切な判断を下すことが実際には困難なので、アドバイス組織としてホスピタルインフォメーションサービス(HIS)とか、医療機関連絡委員会といったものが設けられていて、適宜、相談に乗れる体制が整えられているということです。これが一応、エホバの証人の方々が輸血拒否に関する基本的な情報で、間違っていればぜひ後でご指導いただければと思っております。
 で、1980年代後半に、エホバの証人の信者の小学校5年の子供さんが交通事故で両足を骨折されて、両親が輸血拒否をされてそのまま亡くなっていった事例で、社会問題になりましたけれども、その後、医療の中でもこの問題を座視できないということで、ガイドラインを作られたりしてきた流れがあります。いちばん最近の流れとして、2008年に日本輸血学会をはじめとする関係学術団体合同委員会の「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」というのが作られておりまして、これが一応、今の医療界の中心的なスタンダードになってきており、資料P11以降に載せさせていただいたので、中心のところだけかいつまんで説明させていただきます。
 【1.輸血実施に関する基本方針】の1)から読ませていただきます。【1)当事者が18歳以上で医療に関する判断能力がある人の場合(なお、医療に関する判断能力は主治医を含めた複数の医師によって評価する)】【(1)医療側が無輸血治療を最後まで貫く場合、当事者は医療側に本人署名の「免責証明書」(注1)を提出する】。(注1)というのは、資料P17にガイドラインの中にある(様式1)として載せていますので、これもご参照ください。で、【(2)医療側が無輸血治療が難しいと判断した場合、医療側は早めに転院を勧告する】ことになっております。
 で、【2)当事者が18再未満、または医療に関する判断能力がないと判断される場合】は、当事者の年齢によって判断が変わります。【(1)当事者が15歳以上で医療に関する判断能力がある場合】で、さらに【①親権者は輸血を拒否するが、当事者が輸血を希望する場合、当事者は輸血同意書を提出】して、それに基づいて行うということです。【②親権者は輸血を希望するが、当事者が輸血を拒否する場合、医療側はなるべく無輸血治療を行うが、最終的に必要な場合には輸血を行う。親権者から輸血同意書を提出してもらう】。【③親権者と当事者の両者が輸血を拒否する場合、18歳以上に準じる】。そして、【(2)親権者が拒否するが、当事者が15歳未満、または医療に関する判断能力がない場合】。【①親権者の双方が拒否する場合、医療側は、親権者の理解を得られるように努力し、なるべく無輸血治療を行うが、最終的に輸血が必要になれば、輸血を行う。親権者の同意が全く得られず、むしろ治療行為が阻害されるような状況においては、児童相談所に虐待通告し、児童相談所で一時保護の上、児童相談所から親権喪失を申し立て、併せて親権者の職務停止の処分を受け、親権代行者の同意により輸血を行う】ということになっております。このガイドラインのこの規定に基づいて先日、この該当事例のような方に親権一次喪失が申し立てられ、輸血が行われて助かったというケースが報道されていました。で、【②親権者の一方が輸血に同意し、他方が拒否する場合、親権者の双方の同意を得るように努力するが、緊急を要する場合などには、輸血を希望する親権者の同意に基づいて輸血を行う】。こういった中身に現行ではなっております。これが一応日本の現状であります。
 では「当院はどうだったか」ということですが、当院では過去にこのような意見表明が出ています。資料P9が京都民医連中央病院の「エホバの証人に所属する患者様及びご家族の皆様へ」という文書で、P10は太子道診療所の見解です。で、両者に共通している考え方を抜き出して、レジメの方に書かせていただきました。【何かの事情で輸血なしには生命を救えない場合に至れば、医療者の義務として輸血をさせていただきます。医療行為の前に、この点についての同意書をいただきます】【上記の同意書を拒否される患者様には、責任ある一切の手術や出血の可能性のある医療行為、あるいは救命救急処置などを行い得ませんのでご了承ください】。なぜこういういう意見を表明するかというと、当院としては【輸血して命を救える場合、救命することが医療者にとっての社会的な義務だから、輸血をします】という理由付けがなされていることになっています。
 ただ、この文書が2004年に作られた時には良かったと思うのですが、「宗教的輸血拒否のガイドライン」が出てきた現状では、本人に判断能力がある成人の方の場合、ご本人の意思決定を尊重する、いわゆる自己決定権を尊重するということで、医療者がパターナリズムで輸血をして良いのではなく、「あくまでも本人の意思決定を尊重しなさい」という流れになってきており、「救命することが社会的義務」とは言いにくいところが出てきているので、「今後、当院としてはもう一度、ガイドラインを見直していかないといけない」と考えました。
 そこで、当院が今後に取る方向性は3つあるかと思います。1番目は、今まで通りに無輸血治療を前提としては受け入れられないので、こちらでは拒絶させていただいて転院をお勧めするという方向性。2番目は、当院でもそういった自己決定権を尊重せないかんということで、積極的に受け入れましょうとやっていく方向性。3番目は、積極的ではなく、基本的な姿勢は生命活動を支えていく方向でしたいのだけど、どうしても患者さんが自己決定したいということであれば、やむを得ず受け入れることもあるよというぐらいの、消極的な受け入れをする方向性。まぁ、こういった方向性があるのかなと、ちょっと整理いたしました。
 で、こういった現状を、当院の診療部の科長会議や内科科長会議で議論させていただいたのですが、「概ね消極的だけども、世の中の流れがそうであるならば受け入れていっても良いじゃないか」という方向でした。ただ「担当医が、自分の良心からすれば、そういう治療を引き受けることはとてもできないという場合は、担当を外れて他のドクターに変わってもらうことを許容した方が良いのではないか」というような意見が出ていました。
 ということで今日、ご議論いただければと思う点なんですが、本当は当院が主体的に決めていくことではあるのですが「消極的な受け入れへと舵を切ることで良いのだろうか」ということ。それから、「ガイドラインでは解決困難な問題にどう対処するか」ということなんですが、これは合同委員会のガイドラインの中で「判断能力のない方の場合」に指定されている方を見ますと「親権者」となっていまして、例えば高齢で認知症の方の場合、親権者の方がいらっしゃらない場合とか、親権者に代理決定をしていただくのが望ましくないような事態が往々にして発生するわけで、その場合にどのようにしたら良いか。それから例えば、胎児がお腹の中にいる妊婦の方が交通事故に遭われて、そのままいくとご本人が死ぬだけではなく、胎児も危ないという場合に、帝王切開してお腹の中から子供を取り出すことになるのかと思うのですが、このように「妊婦さんが輸血をしないといかんという状況になった時に、ご本人が輸血を拒否される場合にはどのようにしたらよいのか」というようなことが想定されましたので、このへんについてご議論、あるいはご意見をいただければと思います。私もまだ不勉強なところがあるので、いろいろとお教えいただきたいと思います。よろしくお願いします。

 原 はい、ありがとうございました。補足はございますか。

 関谷 この内容については、エホバの証人の方が書いているところであれば、これ以上のことは言えないのでしょうが、信徒数は多分、公称人数だと思いますね。僕の想像ですが、エホバの証人で伝道者というのは、信徒の方々全員を伝道者と呼んでいるのだと思います。いわゆる教職と考えると、最大教派の日本キリスト教団でも1000人いるかどうかなので、21万人というのはあり得ないです。要するに、プロテスタントリズムというのは万人祭司主義ですから、全部の信徒それぞれが伝道者であるという理解かと思いました。
 あと、ここを読まれて「聖書にはこんなことを書いているのや」と感じられたかと思いますが、これは解釈の問題で、彼らの日本語訳はずいぶん原文とは違う形で、神学的に彼らのドグマに合う形で訳し直されていますから、ちょっと違うところがあると思います。ここにある終末論なんかもかなり独特なものですね。黙示録なんかを見ると、こういったことを書いていますけど、かなり特殊な解釈をしている人たちだと思います。で、「聖書は」というのも難しいのですが、聖書というのは新約のギリシア語聖書と旧約のヘブロア聖書もいろんなものがあって、しかもその間に新約27と旧約39と、たくさんの本がありますから、それぞれの間にいろんな齟齬があって、あっちで書いていること、こっちで書いていることを全部拾ってきてまとめるというのは難しいと思います。
 あと、「血を飲む」というのは、当時のイスラエルでは神様に捧げものをする時に血を出して捧げたのですが、血の中に命があると思っていましたから、神が創造した命を人間が軽々しく飲んだりすることは禁じてあったと思いますが、それが輸血に当てはまるかどうかといえば、これは3000年も4000年も前の話ですから、当時は輸血の技術もありませんので、かなり解釈の仕方だと思います。
 私どもから見ると、「いろんなことを言っているな」と思うのですが、問題は、彼らがそれを信じているということなんですよ。僕らは「エホバの証人とモルモン教はキリスト教ではありません」とは言いますが、キリスト教でなかったとしても、宗教でないかどうかは僕らは分かりません。「じゃぁ正統的な宗教のキリスト教はまともか」と言えば、クリスチャンでない人から見たら、「2000年前にローマで死刑になった男が救い主に」なんて話はおかしな話ですから、私たちもおかしな人です。問題は、彼らが一般的な常識ではないことを主張、信じているということ。しかし、きっとどの宗教でも一緒で、例えばイスラム圏だと、罪を犯したら右手を斬られたりします。「そんなのはおかしいだろう」と思いますが、彼らからしたら、罪を清算して天国に行くことは正しいことで、社会通念というのは宗教にとってはあまり関係のない話なんですね。ですから、彼らの持っている冷静というのは、僕らから見たら変ですけど、単に僕らが変だと思うだけで、きっと大事なことなんだと、結論的には思いますので、彼らの考えていることはきっと尊重しなければいけないだろうなと、宗教者としては思います。「間違っている」とか「正しい」とは多分、どんな宗教でも言えないと思います。
 ただ、子供のことでちょっと気になるのは、子供が「自分は何々を信じている」という信仰告白が、話の中核にないとおかしいと思うのですよね。だから「輸血をしない」ということも含めて、おそらくここの教団で信仰告白があるはずですから、どういう形で信者に入るのか分からないですけど、おそらく幼児洗礼はしていないと思います。教会によっては幼児洗礼といって、親の信仰によって赤ちゃんに洗礼を授けることができるのですが、エホバの証人に幼児洗礼がないとすると、自分の信仰をどの程度自認しているかということが大事なことだと思います。ここには「親権によってできる」と書いてありますけど、クリスチャンの側から見ると、信仰告白ができる年齢でない人について、どの程度の実行力があるかということは、ちょっと疑問に思います。
 今日は「あぁそうなんや」と、とても勉強になりましたが、こういう本はたくさん出ていて、キリスト新聞社から「よく分かる教派」みたいなマニュアル本もありますから、何かの折があればご説明します。

 勝村 以前、この場でエホバの証人が話題になったことがありましたよね。

 吉中 結局、結論は出さなかったけれども、この意向を表明する頃にちょっと話題になりましたね。

 東 関谷先生は「これは変だけど、カルトとは言えない」と言っておられましたが、「カルトかどうか」って誰が判断するのかという話で、カルトと決めつけるのはまた難しいですね。ただ、おかしな犯罪を犯すような宗教も現実にあるわけですから、どこかで何か「これはおかしい」ということを誰かが言わないのもおかしい話も一方でありますよね。ただ、今回の輸血の問題なので、「エホバをカルトというように考えたら話がまたややこしくなるよ」ということは、確かに「そうかな」ということですね。

 関谷 えぇ。多分、キリスト教系で言うと、日本で活動しているいちばん大きなカルトは統一協会。あれは犯罪集団ですから、明らかです。ただ、エホバの証人とモルモン教は具体的に対外的なことはあまりないのですよ。僕らが一つの線を見ているのは「洗脳的かどうか」ということで、非常に洗脳的な教育プログラムを持っていて、本人の意思を麻痺させた形で信仰に導くようなことがあるかということです。だけど、礼拝の中で賛美歌を歌ったり、みんなでワァーッと祈ったりすることはどうなんやろうと思うと、あまり僕らも自信がないですね。だって信仰って、どこかに理性的でない部分が絶対にあるのですよ。理屈で片づかないのだから、軽々しくどの団体をカルトとは言えません。戦前には日本キリスト教団も弾圧されたのですよ。日本の国家神道から見たら「あなたたちはカルト」と言われたという思いがありますから、あまり簡単にこの人たちについても言いたくないのです。ただ、やっぱり皆さんの常識から外れているし、医療者からすると「許せない」というところがあるのはよく分かりますが、「宗教というのは基本的に変なものだ」という立場からスタートした方が良いと思います。

 丸山 この間、エホバの証人と記載があった患者さんに、中央病院がどういう対応をしてきたか調べたのですが、資料P21に表を載せています。電子カルテに看護師が記載する記録のところに宗教という欄があり、そこに「エホバの証人」と記載があった分を検索したところ、6件がヒットしまして、この6人に対して調べてきました。
 ■年に入院されたAさん男性は、癒着性イレウスの経過観察入院で、輸血には関係なく、そのまま退院されて違う診療所に転院されました。
 Bさんは整形外科の患者さんで、■年に変形性股関節症のオペ目的で入院しまして、自己血回収術と自己血輸血をしています。で、その後、外来に掛かっていますが、この方だけ、カルテにキチッと書かれ、「輸血の必要性について説明後、信仰上の理由から同種血を用いた治療を希望せず。でも、自己血輸血は許容」とあり、これに対して「確かに輸血は、医学的にも感染症をはじめとする合併症は完全には避けられない等の危険性が伴うため、極力、行わないことが望ましいが、予期しない出血が生じた場合、輸血治療以外では救命し得ない状況もあり得ることから、そのような緊急時に輸血治療を行うことに同意が得られない場合には、手術の実施は困難」ということで、「輸血に同意の方向。○月○日に最終確認。できるだけ他の治療を優先させ、可能な限り輸血は行わない点は再度確認した」と、当時の主治医が記しています。
 Cさんは、H年とI年に記載があったのですけど、この人は透析で十数回の入退院を繰り返している中の2回だけ記録がありました。で、記録があった入院期間だけを調べましたが、H年の入院は発熱の関係で入院して、そのまま転院しました。ただ、次のI年に入院された時は、整形外科に大腿骨頸部骨折でオペ目的で入院されたのですが、オペ後5日目に貧血で濃厚赤血球の輸血を400ml実施しています。調べたら家族のJさんがエホバの証人と書いてあったのですが、病状を説明して同意を得ています。本人の意識状態は分からないのですが、家族から同意を得ているので、本人に判断能力はなかったと思います。
 Dさんも入院歴はいっぱいありまして、その内2回の入院期間だけ看護記録にエホバの証人と書いてありました。この方は、調べた限りでは特に輸血の関係はなく、ウィルス性リンパ節炎の疑いでの経過観察入院と、あとは下痢の関係で入院したぐらいのレベルでした。
 Eさんは療養型の病棟に入院していまして、そこで吐血をしたのですが、そこではカメラができなくて、■年■月に緊急で中央病院へ転院してきました。その際にカルテ上に「『輸血は死んでも嫌!』と本人が言っていた」ということで、一応カメラを行ったのですけども、特に出血していなかったので、観察のみで終了して、そのまま元の病院に戻り、事なきを得たというパターンでした。
 最後のFさんは婦人科に子宮筋腫核出術目的で入院されましたが、「医療に関する継続的委任状」というのを持って来られました。実際には輸血をせずに無事終了して、今は外来に通っていますので、良かったといえば良かったのかも知れません。「医療に関する継続的委任状」というのは資料P22~23にB5からA4へ拡大して参考に入れていますが、僕も15年間、病院にいて初めて見ました。以上です。

 東 これは以前からありまして、見たことがあります。

 吉中 私も、内視鏡で出す人を見たなぁ。

 東 これは制限などを詳しく書いていますが、すごくしっかりした信者さんと適当な信者さんでは、理解が違うわけですね。自己血輸血も本来の教義ではダメなわけですね。だけど、この方はそういうことを拒否されなかったのですね。それは教義の理解か信仰の強さかは分かりませんけど、個人差が確かにありますね。こういう紙まで持ってこられる方は、かなり強力な信者さんだろうと思いますが、わりといろいろある。
 話は変わりますが、太子道診療所の見解は、実は旧倫理委員会で作ったものなんですね。だから20世紀の大野院長の時に作ったものがそのまま使われています。

 井上 Cさんは僕が主治医だったのですけど、ご本人はエホバの証人ではなく、家族のJさんが元エホバの証人だったということです。ご本人は認知症で全く意思決定能力のない方で、Jさんは「元」ということで、少しためらいは見せておられたのですが、非常にCさんのことを大事にされる方なので、同意が比較的簡単に得られました。

 東 「元」ということは、やめるということができるということですね。

 関谷 抜けた人でしょうね。僕らの業界用語では脱出と言いますが、統一教会でもあるのです。モルモン教はあまりそうでもないけど、エホバは厳しく、簡単には抜けられないですね。こういうのもきっと教会である程度は教育しているのでしょうね。統一教会では非常に広範囲に信徒の人たちには脱出すようなプログラムに引っかからないような方法を教えていますから。だから「一旦、捕まったら、抜けた振りをしろ」とマニュアルに書いてあるのですよ。で、「自分はやめました。酷いところでした」と言うのですよ。ところがそれは罠で、油断したらまた逃げ出すような教えになっています。そこまでではないけど、きっちりと対応策をここも考えてあるのでしょうね。

 北村 ちょっとリソース元がはっきりしないので、不明確な情報なんではけども、例えば相談機構というのがあるのですが、よく相談すると、だんだん元々の教義に近いような判断を患者さんがしていくようになって、頑なになっていくという話で、相談しないでそこでパッと決めてしまうと、そこから外れたことでも自然に受け入れられることもあるそうです。

 関谷 宗教者というのは、ものすごい緩い人ときつい人がいますが、イスラムでもそうでしょ。ものすごいファンタメンタリストもいれば、僕の知り合いのイスラムの人なんか平気で肉とかパクパク食っていて、「そんなんいいんか」と聞いたら、「知らへんかったらいいんだ」って言っています。非常にプラクティカルなユダヤ教の人でも、本当はコウシャというユダヤ教で祈りをした専門のものしか食べられないのですけど、そんなの全く気にしない人もいますから、エホバの証人もおそらく緩やかな人もいるはずなので、教団内部の人間は常に引き締めにかかっているはずで、そういうことが起こると多分、中で確認を何度かしているのではないかな。

 田中 そこまでして引き止め工作と言うか、抜けられないようにするメリットは何なんですか。

 関谷 それは多分、一般の方には分からない言いぐさだと思います。多分、教団を維持するとかそんなんじゃないです。ものみの塔の人らが一軒一軒、雨の日でもお母さんが子供を連れて来るでしょう。あれはなぜか分かりますか。あれはね、あの人たちにしてみれば「世の終わりがもうすぐやってくるのに、この家にはまだ言っていない。福音を聞かずに世の終わりが来て、神様の教えを守らずに地獄に堕ちたら可哀想だから、一応言ってあげよう」と、全部まわるのですよ。その意味では、彼らは僕らよりはるかに真剣です。非常に終末的な色合いの強いグループで、彼らの冊子を見れば「終わりが近い」というような表現がありますから、「いつやってくるか分からないので、それまでになんとか多くの人を救いたい」と、ある種、脅迫観念的なところはあると思います。それはエホバに限らず、幾つかのキリスト教系の小集団にはありますけどね。
 おそらく彼らにとって、輸血は単に自分だけの問題だけでなく、輸血をした後にもかなり深刻な問題になるのだと思うのです。輸血した人は多分、自分のコミュニティには戻れないと思います。当然、彼らにとっては間違った人ですから、死を意味するというか、全く許されない永遠の罪に定められた人というような、一般の人には理解できないメカニズムなんですけども、それを刷り込まれた人にとってはたいへんなことなんでしょう。

 勝村 しきたりを守らなかったら村八分になるのですか。

 関谷 全くそうだと思いますね。皆さんからすれば「それならやめたら良いのに」と思うでしょ。そういうものではないのですね。そこが違うとこなんですね。

 田中 前回、議論になった時にも話したと思うのですけど、私が小児科にいた時、お母さん・お父さん共にエホバの方で、ウチの病院ではないのですけど、切迫流産か何かで胎児仮死の状態で帝王切開が必要という状況になって、そこの病院では「輸血をしないのだったら帝王切開はしない」という判断をされ、結局、無理やり普通に下から産んだので、なんとか命は助かったのですけど、低酸素脳症になって障害が残った子供さんがいて、その子供さんのテンカンの治療だけに、わざわざ■県からウチの病院に来られていた方がいましたけど、私はその時に「エホバはカルトな宗教」と思っていたので、子供さんの人権、胎児の人権ということで考えた時に、この件はいったいどうなのかなと、イメージか悪かったのですね。でも前回、ここで議論になった時に小原先生がいろいろお話しされて、「そのこと自体が死を意味するということならば、もしその時に輸血をしていれば、このご両親は死を意味するような扱いをされていただろうな」って思ったのと、「帝王切開って輸血をしなくても済むことが多いので、何らかの回避できる手立てをその病院で取ってくれたら良かったな」と思った記憶があります。でもさっき言われたみたいに、交通外傷とかで命に関わる状態で、子供さんだけでも助けられるような場合には果たしてどうなのかなと、すごく疑問に思いますね。

 勝村 18年前に高校1年の担任をした時に、保護者が「ウチの子供はこうなんで」と、ある定型の紙を渡されましたが、学校に渡す用の紙ってあるのですね。最近はエホバの証人が入学してきたというのを校内全体でも聞かないから、あまりいなくなってきたのかな。

 関谷 そんなことはないですよ。

 田中 ウチはけっこう来はります。

 勝村 それやったら、学校に提出するのをやめているのかも知れないね。そういうのが提出されたら、学校でも話題になって、「こういう子にはどう対応したらよいのだろう」と会議をするぐらいの大ごとだけど、2つの学校での17年間、どっちもマンモス校ですけど、聞かないですから、隠されているのかも分からない。
 話は変わりますが、この委任状を見る限り、自分が選択すれば、成分輸血とか自己輸血とかは許されているように思いますよね。そうじゃないの?

 北村 この委任状では、まず2.のところで「全血、赤血球、白血球、血小板、血漿の輸血は行わない」ということで、成分輸血は基本的にダメだということになると思います。その後も「後に輸血する目的で自己血を採血して貯蔵しておくことも拒否します」でダメなはずです。3.は分画輸血で、血漿分画などの使用は信者さん本人の判断に任せるということになっているということです。

 勝村 分画か…。4.も自己血の使用で、これは構わないのではないですか。

 田中 採血と違いますか。

 北村 4.は、診断のために使用は良いということで、採血は良いということですかね。

 吉中 「診断以外は選択」ということだから、自己血採血は使えるということでしょ。

 原 というよりは、細胞療法みたいな話ではないですか。

 井上 血液透析のことをかなり意識しているのではないかなと思います。「透析は基本的に循環していて、自分の体から離れていないので、基本的には良い」という話はあるのですけども、「自己血は一旦、体から離れているのでダメ」という理解です。

 勝村 「自己血の使用を伴う手法は受け入れる可能性はありますが」という文言になって…。

 東 書いてありますね。ちょっとこのへんは変わったのかも知れないですね。

 勝村 シチュエーションとして思うのは、予定的な手術であれば、自己血でできたらそっちの方が良いですね。緊急的な場合は、もう委任状を取っている暇はないよね。だから、こういう文面を書くとしたら、ドナーカードみたいに「エホバです」って持ち歩いているのかな。

 関谷 あの人たちはきっと持っていると思います。

 勝村 だけど一人で来たら、家族がそれを持って来るわけか。

 北村 そうですね、それをお持ちだということで、家族が出したりするのですね。

 勝村 でも同意書を取っている暇は…、やっぱりあるのか。手術の準備をするから…。

 北村 まず、これは医療者が全く関わっていないのですね。信者さんの委任状と立会証人だけですから。病院側はですね、例えば先ほどのガイドラインではこの様式1というものを取ることを勧めているわけです。

 勝村 これは、まだ緊急でない時に取っている文面じゃない?

 北村 でも、緊急でも取るのでしょう。

 勝村 救急車で来てワーッとなっている時に、エホバの信者の付き添い者が来たらこの紙を使うわけ?

 北村 そういうことでしょうね。

 関谷 アメリカの病院でERにいた時に、15ヵ所ぐらい刺された子が来て、真っ先にやって来たのがエホバの証人のその子が所属する牧師で、「とにかく手術はやめてくれ」といったイメージで、「輸血は困る」と言われて、その時は僕もチャプレンとしてカンファレンスルームに呼ばれたのですが、そのご家族と外科医と手術担当医がもうかなり議論をしてて、結果的には彼らが拒否したので、輸血なしで手術をしましたが、助かりました。

 勝村 東京のエホバの証人の裁判の頃の話で又聞きですけど、「輸血拒否をされて無輸血手術をして、結果が悪くなった事例が探し出せない。ないのだ」と聞きましたが、最近はあるのですか。「輸血をしなかったから手術結果が悪くなったという事例がないのなら、手術に輸血は要らないのじゃないか」となるでしょう。

 関谷 すごい。でも、そんなことはないでしょうね。

 勝村 「輸血をせずに手術しろ」と言われて、頑張ったらできちゃった事例が多くて、結果としてたまたまなのかも知れないけど、あの裁判の中で弁護士たちの話題になっていたそうです。

 北村 無輸血治療の可能性は広がってきているということはあるのですね。

 井上 確かにオペなんかはけっこうオーバーに輸血している部分はあると思いますので、循環血液量を保つためなら、点滴なんかで充分にいけることがあるので、思った以上に、そんなに必要はないのかも知れません。

 関谷 ですから、念のためにということですね。

 井上 オペで使うのはだいたいそんなのが多いですね。

 田中 何か予測不能なことが起こった時に輸血ができないと自信がないという場合は、引き受けないのじゃないかと思うのですけどね。ある程度「いけそうだな」という判断のラインが、エホバの方とそうでない方では違うのではないかという気がします。基本的に輸血しないで乗り切れるのなら、乗り切ると思うのですけど。

 勝村 基本的に予定的な手術だったら、ここは自己血輸血をしているのですか。

 吉中 整形外科は多いですね。

 東 ある程度の出血が予測され、かつ予定的な手術なら、自己血輸血をする可能性はあります。

 勝村 エホバの人が自己血を許すのだったら、自己血で予定できれば、それに越したことはないよね。だから、問題は緊急時だな。

 北村 2.の最後のところに「私は、後に輸血する目的で自己血を採血して貯蔵することを拒否します」とありますから、自己血輸血はダメだと、ここではうたっておられますね。

 吉中 でも4.の(C)は「自己血の使用を伴う手技は受け入れる可能性はあるが」とあるでしょう。

 東 今は分かりませんが、昔、自己血でややこしかったのは、元々貯めてある貯血式という自己血のほか、術中に出たやつをそのまま返していくセールセーバーというやり方があって、心臓外科なんかがよく使うのですが、「そういうものは構わない」と当時、エホバの方から聞いたことはあります。整形では、関節なんかはきれいなところですから、そこからドレーンを通して出てくる血を密閉して貯めておいて、もういっぺん体に戻すということもやっておるのですが、「それはあかん」と言われました。だから多分、セールセーバーという意味で自己血というのはあり得ると思うのね。

 井上 体から出ても循環していれば良いという感じです。

 関谷 本当のところを聞きたいと思うのなら、一度、エホバの人に来てもらえばよいですね。多分、エホバの人に専門の医師か何かがきっといるのではないですか。

 吉中 京都のエホバの会の事務局みたいなのをやっている人から2~3ヵ月前に「会って、懇談したい」と電話がありました。その時はテーマにしていなかったので、「私どもはこういう見解で、今は変更の予定はないので、またその節には会いましょう」としてあるので、来てくれると思います。

 関谷 向こうもやる気なんですね。で、洗脳されて、「そら、ええなぁ」って…。

 勝村 エホバの人は絶対、薬害肝炎の被害者になっていないよね。

  でも、あんなの勝手に使っているかも分からないじゃないですか。

  成分血は言うのだか、ああいう血液製剤は使っても構わないわけですよ。

 広瀬 前にこれを論じた時に、「エホバのことを良く理解している病院はないのか」ということで、「エホバの人も病院を選んでいって欲しいな」とどなたか言われましたが、そんな病院はないのですかね。

 吉中 その事務局の人は「京都で紹介できるところはあるので」という言い方をしていましたね。だから、「受診できるところがなくて困っている」という意味合いではないということです。

 勝村 あまり深く考えて手術していなくて、「無輸血でやってくれ」と言われたら、「はい、はい」とやってくれる病院があるということですね。

 田中 合同委員会のガイドラインでちょっと分からないと思ったのですけど、「無輸血治療が難しいと判断した場合、当事者に早めの転院を勧告する」というのは、転院で受け入れてくれるところがあるということですか。

 吉中 あるのでしょう。

 東 これは放り出すということですね。

 関谷 「ウチではできん」という意味です。

 内田 「勧告」と書いてあるから、「紹介する」ではなく、「出てください」としか読めないですよ。

 田中 なかなか厳しいですね。

 吉中 結局、「エホバの人の信仰として主張は認める」という立場を採れば、それを受け入れてやることも「まぁ仕方がないな」というのが、科長会議のだいたいのムードですね。で、産婦人科の科長もFさんのケースの前だったか、予定していたからか、「こういうふうに大上段にやるよりは、受け入れた方が、自分たちは気が楽だ」という言い方を逆にしていて、「できれば受け入れて、ちゃんとやりたい思いがある」ということだったのですけども。それでも、輸血をしないままで亡くなったというのは、やっぱりあり得るわけですね。ウチの年間の手術なんかを見ていても、手術場で緊急輸血が必要なケースというのは生じるのですよ。そういう時に、「輸血をしなくて良いのか」ということに現場がさらされるので、そこをどう折り合いを付けるかが難しいところですね。医療従事者が「まぁ仕方がないな」というところに落ち着いて良いのかが一方ではあるわけですね。

 関谷 常識的なセンスとして、それを見殺しみたいには、なかなかお医者さんってできないでしょうね。

 吉中 できないですし、ターミナルセデーションのガイドラインなどでは、命の問題に徹底して拘って論じてやるわけですね。その一方で「この輸血に限っては仕方がないというのは、なかなかピタッとこない」というのはよく分かるような気がします。

 関谷 だけど、クオリティという面で見れば、例えば終末期の場合、以前は「延ばせば延ばすほど良いではないか」だったのが、最近は「延ばせば良いというものでもはない。例え短くてもクオリティを上げなあかん」ということで、それにはフィジカルな意味もメンタルな意味もありますから、結局、エホバの人にとってみれば、スピリチュアルなクオリティの問題やと最後は思うのですよね。「輸血を受けることで生き延びても、自分のスピリチュアルなクオリティはゼロや。死んだも一緒や」ということなので、そこで起こってくることはそれを尊重するということなんじゃないかなと思うのですね。セデーションでも、結果的に早く死ぬということはたいへんだけど、その人の最期のクオリティを上げるということが目的だと考えれば、彼らにとっては「この俺の霊的なクオリティは譲れない」と言っているのだと、僕の雰囲気としては思うのですけどね。

 吉中 だから、ターミナルセデーション等の議論の時は「スピリチュアルペインみたいなことについては対象にせずに考えた」という経緯があるのですね。「スピリチュアルということは価値観が入るというところもあって、単純にそれに乗れないな」ということだったと思うのですけど。

 関谷 彼らの持っている独特な、僕らから見たら異常な霊性みたいなことが、尊重されるかどうかということですよね。そのまま行かせると、お医者さんの現場からしたら、ものすごくたいへんなことだと思いますよね。

 吉中 私の知っている範囲で言うと、民医連の坂総合病院とかは患者さんのことは受け入れるとしているのですけども、病院の措置としては「無輸血を貫くということにし、医療者として納得ではないという価値観を持っている人については、主治医になることを免責する」ということを一応、入れているのですね。受け入れられない人には無理強いをしないということで、議論を突き進めていくと多分、そういうことになる可能性はあるのですね。

 関谷 そのように無輸血でして、もし、亡くなった場合に、エホバの人が訴えたりするケースは基本的にないのですね。

 勝村 だからそういうのが、5年前に弁護士が「探してもない」と言っていたことで、「輸血したかったのにできなくて、死んじゃった」という事例がないのです。

  逆に、輸血してしまった方は告訴される。

 関谷 家族は「しなくていい」と言うけど、手術中に死亡となりますと、病院としては統計上にそういう数が増えてきますが、それは全然、構わないのですか。エホバの人がばんばん来て手術中に死んだら、成功率は下がりますよね。それは良くないじゃないですか。

  成績表から輸血拒否事例を除外するしかないね。

 勝村 エホバの人たちでこの教義を作った人は、医学的に無知で根拠があったわけではないと想像できるけど、結果としてこの教義がたまたま彼らにとって幸いであった可能性があると、僕は思うのです。絶対にした方が良いと思っている手術でミスもあれば、輸血で失敗するといった面もあるし、西洋医学が絶対と思っても、そのままの方が良かったということもあるかも知れないし、インフルエンザのワクチンを絶対に使った方が良いといっても、強い副作用が出たりとか、いろいろあるわけです。それに、「エホバの証人」と宣言することで、とりあえず、まずVIP扱いされるのではないかと思う。僕の嫁さんはDICでものすごく出血多量で死にかけて、両手両足から新鮮血を入れてやりましたけど、VIP扱いされていないから、むちゃくちゃ迅速栓を使われたので、こんなことをされたらどうなるか分からんと思ったのだけど、エホバの人の場合、「本当にいざという時はどうなんだ」ということはあっても、「こういう人はいざという時に輸血しにくいな」と思うと、すごく慎重にやる可能性もあるかも知れないし、実際に手術する時にも、「手術以外の何か方法はあるか」とか、他の患者より自己輸血とかも多めにやってもらったかも知れないし、幸いしている面もあるのかなと思うのね。結果として、輸血を拒否したためにいっぱい死んでいるという事例は以外とないので、医者の側の不安という社会問題と言えるし、いろんな要因があるから「医学的に輸血をするのが絶対に正しい」とダイレクトに言えるのだろうか。

 広瀬 これは宗教が絡んだ話しになっているのですけど、例えば私が手術をする時に「血が足りなくなっても輸血しないでください」と言うと、どうなんですかね。これとは意味が全然違うのですね。

 吉中 宗教上ではなくて、自分の信念としてということですね。

 田中 分かります。自分の体に血を入れられるというのは、私も確かにすごく拒否感がありますね。

 関谷 それは自己決定権で、それを認めるのやったら、もう同じことですよね。

 吉中 そこまで強烈に言う人は、エホバの人以外ではあまり聞かないし、私の体験としてはないですね。

 勝村 でも妻の時には、自己輸血できるところを探して、はっきりと「100%、自己輸血をやりましょう」と言ってくれたところに行きましたよ。

 吉中 自己決定かと言えば、これは自己決定ですね。

 関谷 でも、自己決定を全部、優先するのだったら、このガイドラインすら不要というか、全部一緒ですよ。要するに「患者さんと話し合って、同意以外はしない」ということになれば、別に何も要らないですよ。

 東 あらゆる治療行為に言えますよね。

 関谷 そう、そう。でもそれは現場としては困りますよね。いちいち全てのものに患者さんが納得して、同意してもらわない限りできないとなれば、ものすごい難しいですよ。

 勝村 一般にあまり疑いを持たず、医療者としては当たり前のようにやりたいことの一つを拒否されたから問題になったのですけど、乳癌や子宮癌の手術のように、治療のやり方ががらりと変わることだってあるわけだし、その時のメジャーがどうだったかというのもあると思う。ただ、自己決定のバランスは確かにあるのでしょうね。

 関谷 質問ですが、例えば癌の方で「放射線治療とかキモセラピーとかをしないと絶対にもたない」という話になって、「そんなの気持ちが悪いから勘弁してくれ」とかいうのは今も構わないのですよね。

 吉中 それはあります。「手術は絶対に嫌だ」とかいうのもあります。

 関谷 それは全然OKなんですね。

 吉中 それも、押さえつけて手術は絶対にできないので、そういう人はありますよね。

 勝村 あなたの命を真に思う医療者として「医学的に絶対正しいのでこうするべきだ」と思うことは精一杯に言うべきだけど、それでも拒否された時に、さらに強引に何かを押し付けようとするのはパターナリズムで、今はメジャーであっても、その医療が真実かどうかというのは、最後は微妙なのね。例えば、今は日本中の子供にインフルエンザワクチンを絶対に打たなあかんという風潮があるけど、僕は自分の小さな子に打たせたくないと思うし、「常識でも嫌」っていう感じって、分からんこともないのね。

 吉中 ただ、輸血は医療の手段としてかなり古くに確立されて、ずっと生き延び、有効性を誰しもが認めているものではあるということが大きいのですよね。

 田中 最後の手としては要りますよね。

 関谷 そうですよね。通常のプロトコルの中にも確実に入っていますよね。「臓器移植はどうか」という問題はあったとしても、これはある程度、当然になっていますよね。それを拒否するから騒ぎになるのですよね。

 原 「自己決定至上主義でなんでもいくわけにはいかない」という議論は、この委員会でもわりとやってきまして、例えば「自己決定で命の責任に直結します」といった場合に、「なんでも自己決定で良いのですか」ということで、輸血拒否はそれに接近するところはあるのでしょうけれども、イコールではないですね。
 ちょっと時間的な問題もあるのでどうしましょうか。今日に結論を出す必要はないと思うのですけど、今の議論の方向性としては、従来方針の「緊急の時にはやりますから、嫌だったら他に行ってください」というような形ではなく、「『どうしてもやってくれるな』と言うのであれば、やらない方向で対応は考える。ただ、そのことで責任追及されるいわれはないですよ」という方向性で、だいたい異論はないのかなという感じはしています。
 ただ具体論のところでは、合同委員会のガイドラインは比較的丁寧に作っている感じはするのですけど、代理判断をできる親権者という定義で上手くいかないですね。逆に、委任状を持っていて、代理判断者を決めている人は分かりやすいですけどね。その他に妊婦の問題もあり、それから医療者側の問題で、主治医を回避するのも当然ありかなと思うのですけど、やっぱり各論的に幾つか詰めないといけなくて、その答えはそんなに簡単でもないかなという気はします。で、エホバの証人の人をやっぱり呼びますか。

 関谷 なんかガチ対決は嫌だな。教団対エホバで、そうしたらもっと勉強せなあかん。

 原 まぁ、教義を論じるわけではなくて、実際的解決ということが目的ですよね。

 勝村 病院へ交渉に来る人はいてるのでしょ。

 吉中 「会いたい」と電話が掛かってきただけなので

 関谷 それはやる気満々ですねぇ。

 原 ただ、教義の展開は控えてもらわんとしょうがないですけど。

 勝村 議論の余地はあまりないけど、どういう意見なのか、詳しいことを聞くということですね。

 関谷 実際のところはどういうことなのかは聞けますよ。ただ、呼ぶ人によると思います。どれだけその人がレプリゼンテーティヴというか、教団の持っている…、

 吉中 事務局長と書いてある。医療の窓口を作るような部門の事務局長の人ですね。

 関谷 そしたら、かなりそのへんについては知っている人でしょうね。ということは、エホバの証人の方がちゃんと診てもらえるところは今でもあるけど、もっと探して、理解を広げていきたいということなんですね。

 吉中 「広げていきたいということかな」と思ったのだが、あまり詳しく話したらややこしいなと思ったので。

 北村 とりあえず、例えば院長が会うとかいう形にして、「倫理委員会に出られるか」という話をしてから…、

 関谷 いきなり来たら怖いかも知れないね。

 原 でも聞けば分かるから、別に直接でも良いような気がしますけどね。

 吉中 1時間ぐらいに時間を区切ってやるのですか。

 原 そうしますかね。時間を区切ってやっても良いですからね。

 関谷 「持ち時間何分」ということでないと、永遠にやられてたらたいへんやからね。でも、10分では無理だから、1時間ぐらい質疑をやってもらったら良いでしょうね。ただ、なかなかそこまでやっている病院はないと思いますから、やられるのは良いと思いますよ。

 原 教団側の人との質疑が1時間いるかというと、輸血問題だけで、基本知識は持っているわけだから、30分もあれば長い気がしますね。とりあえず、意見交換を30分ぐらいということにしておかないと、30分と言うとだいたい1時間になるのね。

 勝村 会議が向こう側の広報的に利用される心配はないのかと思ってね。僕らとしてはこういう議論をしたいのだけど、京都民医連が説明を受けた後に方針を和らげたら、「自分が頑張ったから京都民医連がそうした」みたいに向こう側の実績にされ、逆に、頑なだったら、名指しで批判の対象にされるとか、パイロットだけに注目を集め、向こうの広報の材料にされる可能性もあらかじめ覚悟してやらなければいけない。

 関谷 それなら、公報とかに載るようなオフィシャルなものじゃなくて、あくまでも非公式な接触だけということを、事前に向こうへ念押しして言わないといけないですよ。そうでないと、何をするか分からないですよ。

 吉中 機関誌などに載せないように、きちんと言っておくということですね。

 原 院長が会ってという話なら別なんですけど、ここの場で話を聞くということであれば、非公式にするというのは、私はあまり望ましくないと思うのですよね。

 内田 そうですね。この倫理委員会は議事録が公開されていますから、全部、出ますよね。

 原 プライバシーそのものの部分は別として、そういう使い分けはどうかなと思います。やるとすれば、「まだ議論途中なので、これそのものを教団の方で広報活動に利用するといったことは控えてください」と、基本的にはお願いベースの話の方がスムーズにいく気はします。そう言えば、そんな乱暴なことはしないと思います。

 広瀬 手術して、輸血できなかったがために死んでしまった場合、責任を感じて医師がノイローゼになったり、そういうことが多くなれば困るので、そういうリスクがどれだけあるかということを、外科医とかの意見を聞いてからでないと、私ら、普通の患者から見るとマイナスが大きいような気がします。で、宗教のことに関しては、宗教というのはとても強力にやってくるのでね、向こうのパンフレットとかに「エホバ認定病院」と書かれるようなこともあり得るのではないかと…、ありませんか。

 関谷 いや、分からない。やるかも知れないけれど、それは困りますよ。

 広瀬 こういうことではなかったけど、ある宗教で迷惑をした時に恐ろしさを感じたのですよ。それで「なるべく…」という思いがあるのですけども。

 勝村 僕らは「聞きたいだけ」と思っているだけなのに、向こうは絶対に結果を取りに来るよね。

 関谷 この方はどうなんでしょうかね。どんな人か会ってみないと分からないね。

 田中 院長が探りを入れたらどうでしょうかね。

 吉中 そうすると、私はあまり折衝しない方がいいということになってくるよね。

 田中 なるほど。誰が折衝するのが良いのですか。

 広瀬 内田さん。

 吉中 倫理委員会の事務局ベースということで話をするというのが、まぁ、いちばん良いですね。

 勝村 合同委員会はガイドラインを作る時に、エホバの人の話は聞いていないのかな。

 東 いやぁ、これにはそんな感じはないよね。

 関谷 これは法的な感じで、中のことはあまり気にしていないでしょ。

 勝村 「どこまでやったら許すの」「どんな規約でやっているの」というのを確認する手続きって、普通はしたくなるよね。ここでもしたくなったのだから。これはしていないのかな。

 関谷 それは確かにありますよね。例えば本人を呼ぶのが心配で、安全面を取るのだったら、キリスト教関係の研究者の中には、客観的にカルトの宗教学的な調査をしていて、エホバの内情にむちゃくちゃ詳しい人がおりますから、そういう人を頼って聞いてみても良いですね。ただ生情報ではないけども。

 北村 ちょっと持ち帰らせてもらえないでしょうか。

 勝村 まず読売新聞が取材したらよろしい。で、「あの人やったら素朴な質問に答えてくれる感じや」と思うか、「あの人は質問なんか一切受けつけずに、喋り続けるだけや」と思うかで、だいたい分かると思う。

 原 取材は別として、倫理委員会ですから、私から聞いても別に構いません。臓器移植のアンケートを宗教団体にしたことがありますけども、エホバも回答はもらいました。宗教団体もいろいろですので、例えば幸福の科学は「死んでから24時間か48時間は魂が体にくっついているから、解剖とかをしたら激痛が走る。臓器移植も激痛は走るけど、それを本人が覚悟して、良いと言うなら悪くない」とかいうような回答だったような気がします。

 勝村 解剖は拒否ですか。

 原 いや、「拒否」と言っているわけではないけど。

 関谷 怖いなぁ、それは脅迫やろう。

 勝村 幸福の科学の人に「解剖しませんか」と言ったら、信者は大概「しない」と言うのですか。

 原 いや、知らない。そこまでちゃんと勉強せなあかんけど、おいてあるから。

 吉中 エホバの人は絶対に「反対」で、臓器移植なんかはあり得ないわけですよね。

 原 臓器移植は基本的にはダメだったと思いますけどね。回答は全体的にちょっと違和感のある理屈とかが入ってきたりすることがあるので、理解は簡単とは言えません。禅宗なんかはもっと分かりにくいのですけどね。
 どうしましょうか。私から聞きましょうか。それはまた個別にいっぺん来てください。個人的な感覚としては、非公式とか言うよりは、関係者に直接か、詳しい人に聞くのがいちばん良いかなと思います。事務的な解決のレベルに留めるという話で、そんな非理性的な対応をするわけでもないだろうという気はしていますけどね。

 勝村 個人的には、直接に会って聞くことは良いことだと思いますけどね。

 原 他にも各論的な課題が出てきていますし、挙がっている以外にもあるかも知れませんので、簡単なものでけっこうですけど、論点整理的なことを示していただければありがたいなと思います。ということで、もう少し継続して深め、解決に向けて審議を続けたいと思います。
 それから次の議題、「終末期セデーションに関するガイドラインの現状」をお願いできますか。

 

議事(3)「終末期の苦痛緩和を目的としたセデーションに関するガイドラインの現状について」

 北村 セデーションは田中さんが用意してくれているのですね。

 田中 いや、それがちょっと事例が多過ぎて…。電子カルテの2005年8月から2009年10月までのデータから、総数を引いてもらったら、「説明・同意書を得た」という事例が49件もあって、とりあえずウチの病棟に関わる12例だけはなんとか今日までに調べたのですけど、ちょっと時間がかかるので、次回まで持ち越しさせてください。部分的な報告だけさせていただくと、12例の内、同意をご本人から得た事例は3例で、あとの事例の内、2例は文書だけがあったのですが、直接に説明がされてなかったり、同意が得られてなかったので、実質、ちゃんと同意を得られたのは12例中10例でした。その10例の内、悪性疾患ではない方が4例あります。4例の内訳は、間質性肺炎が2例、COPDの増悪が1例、もう1例は胸部の解離性動脈瘤の喀血の苦痛と呼吸苦ですけど、ウチの病棟に関しては殆どの事例で呼吸苦がどうしても取れないというか、呼吸ができないということでの苦痛が強いので、「見ていられない」というご家族からの希望が多くあったようです。でも、他の病棟とは特徴が違うと思うので、全例を見てみないと分からないのですけども、現在の報告状況としてはそういうことです。ただ、悪性疾患以外で実際に適用されている事例がけっこう多いなと思いました。

 原 このデータと、ターミナルで実際にセデーションを実施したかどうかというは別問題ですか。

 田中 その12例しか分からないですが、その内10例はやっていますけど、2例はされていないです。

 関谷 そのへんの手順は、ここに載っている通りにやっているのですか。それも調べたら分かるのですか。

 田中 使っている薬剤とか方法に関しては、必ずしも手順通りではないなという印象です。調査期間が4年と長いので、初めの頃は安易に同意書だけを書いている印象があったのですけど、最近に関してはキチッとやろうとしているのかなと、カルテを見る限りでは感じました。最近は、看護師などと医師とのカンファレンスが記されたり、看護士の意見が書かれたりするのですけど、05~06年あたりは、いきなり文書だけが入っていることが多かったので、まだきちんと周知される前だったのかという印象ですが、まだ調べきれていないので、もうちょっとキチッと調べないといけないなと思っています。この数を1週間ではちょっと厳しい。すみません。

 東 やったかやっていないかは別として、同意書は意外に多いですね。

 田中 多かったですね。49例もあると思っていなかったので、安易に引き受けてしまって後悔しました。

 原 そうしますと、もう少し実情を調査してもらう必要はあるのですが、ガイドラインを見直すとすれば、多分、現実的には疾患の対象を拡大する必要があるのだろうということと、実例の把握システムがないといけないと思います。現場チームでの判断という形だと、何がどこで行われているのかという実情が分からない。調べないと分からないというのはちょっと具合が悪いだろうと思います。

 田中 後追いがけっこうたいへん。

 原 厳密に言いますと、「呼吸器疾患でやっていたら、ガイドライン違反ではないか」という話になるのですけども、現実問題として「それはけしからん」ということにはなりにくいと思いますので、とりあえず、否定はしないという方向性でよろしいでしょうか。ちょっといい加減な話ではあるし、あまり対象患者をむやみに拡大しても困るのですけど、おそらく呼吸苦はありだと思います。把握システムに関しては、運用的な意味で暫定的には要ると思います。全ての例でいちいち詳しい報告を上げるのかというのは別問題だと思うのですけど、少なくとも同意を得る段階から、実施した場合も含めて、院内のどこかへ「報告してしください」ということはやっぱり要るだろうと思います。その報告先というのはどこがよろしいでしょうか。

 吉中 どこが良いかな。

 清水 電子カルテのテンプレート機能には、条件を入れるとテンプレートを検索できるシステムがあるのですけども、例えばセデーションの同意を得た時に、「患者さんの背景がどうで…」というテンプレートを入れておいたら、履歴を検索できるのと違うかな。

 田中 でも、このデータはそれで出したのですよ。

 内田 誰がそれをするかということですよ。

 吉中 日常的にそれを把握するという管理の方法を…、

 東 だから、モニターするのじゃなくて、自主的に何かを出した方が良いという話ですね。文書が出ていることのモニターに関しては、誰かがやれば黙ってできるわけだから。

 原 DNARの問題でも同じようなことですし、延命中止みたいな事例に関してはガイドラインを作っているわけではありませんが、やはり同じですし、緊急の時は事後もあるとは思うのですけど、基本的にはどこかに上げてもらうという方向性を決めてこしらえておく必要はあるかなと思います。

 東 まぁ看護部ネットワークやなぁ。現場のあらゆることは24時間、全部、看護師は分かっていますから。

 田中 ネットワークはありますけど、それをどう集約するかですよ。

 東 だから、そういうことがあったら、まず、それは看護師長への報告事項としておいて、師長が看護部長に報告するという方法がいちばん確実で、いちばん良い方法なんですわ。まず、網羅できます。やった医師に「報告しろ」と言っても、なかなか報告しないのですよ。ドクターはそういうことをあまり守れないね。

 吉中 報告ルートはそれで良いのだけども、DNARの時に院長の役目が入っていたように、病院としてどういう部署で見て、評価して、把握しておくかということが要るということなんですよね。DNARの時は医療安全委員会もかんでいたのだけど、なんでもかんでも医療安全委員会というのはちょっと違う感じがあるしね。

 東 そういうことに踏み込んでいくには、スタッフ的にも無理ですよね。

 吉中 医療管理の部門ですからね。

 東 ある程度、時間との勝負みたいなのがあるので、それについて誰かが専門でやっていれば別だけど、多分、中身のチェックは後追いでしかできないと思いますね。現状でもしやろうと思えば、とりあえず実態の把握ということまでしかできないと思いますね。今まではそれさえできていなかったわけですから。

 吉中 「今月はどこの病棟で何件あった」とかいうことが基本的に分かることが要るということで、そこまで分かれば、個々の事例も直ぐに分かるのでね。

 勝村 49例中の12例を見たという話は、ランダムに選んだのですか。

 田中 いえ、自分の病棟だけです。私が勤務している病棟はスタッフとかからの情報が取りやすかったので。

 勝村 4年間で49例ということですが、この1年で見たら何例ぐらいですか。年間で10みたいな感じですか。

 田中 多いですね。私が今の病棟に来て1年半ぐらいですが、知っている患者さんが8人いますので、12例中の少なくとも8例が1年半の間に同意書を取っているということです。

 吉中 最近が多いのやね。

 田中 そうですね、もしかしたら以前は、ターミナルセデーションとして扱わずに眠らせていた可能性もあるかも知れませんから、手順を整備したことで明確になったのかも知れないです。

 勝村 いちいち報告するのではなく、2ヵ月に1回ぐらいのペースで、その間にあった事例を簡単に報告してもらうというのを当面、続けていくような感じでいいのと違う? モニターをしても1~2件でしょ。もっと多い?

 田中 ちょっと分からないです。もう1つのテンプレートが出てきたのではなかった?

 関谷 例えば手順通りに行われているかどうかとか、この実施手順に書かれていることは、どこで保証されているのですか。僕らなんかの大学の雰囲気では、フローチャートみたいなのがあって、「これを言った」「これはできている」と順番にチェックしていって、最終的にエヴァルエイションがあって1枚のものになってくると想像したのですが、実際には現場の一部の人でやってたりして、そんなどころではないですね。ただ、やっているかどうかは確認しないといかんということですよね。で、適当にやっていたことが後でばれたらマズイわけで、「どこの手順まで進んでいて、どれが要件として満たされているか」みたいなことも、「何かどこかで」という気はしますけどね。あるいは、モニターをしたら「現在、この人はここまでいっているのや」とか、「ここが足りていないから、できていないや」みたいなことが分かるような、仕組みが要るのような気はしますね。

 吉中 DNARも実施にあたってそんな話が出ていまして、倫理委員会の事務局ベースだけで今まではなんとかなると思っていましたけど、それでは対応できずに何か仕組みを作らないかんということなので、整理しますわ。

 原 やたら詳しいのは必要なく、要点項目だけで良いと思うのですけど、報告フォーマットみたいなものがそれぞれにあると、チェックリストを兼ねるというような意味合いにもなろうかと思うのですけどね。それは倫理委員会も本当はフォローアップを考えないと、我々も決めただけではいかがなものかという問題があるわけです。

 勝村 今、報告があったから、対象患者も考えないいかんという話になるわけだから、そういう面の現状の情報収集という面と、ちゃんとやられているのかというチェックリストの面との、両方を兼ね備えたシステムがあれば良いわけですよ。

 原 そうですね。セデーションそのものはともかくとしても、終末の関係というのは問題が本当に生じるおそれがありますし、今の倫理委員会のスタートは問題から出発しているということもありまして、私は事後的に調べるみたいなことでは不安な感じがしますので、基本的にその時に報告をどこかに上げるという形での保証をした方が良いのではないかと思います。病院側の体制のことはよく分からないのですけど、どうしましょうかね。

 東 確実に網羅しているのは、やっぱり看護婦ネットワークですね。

 吉中 機構を少し検討させていただいて、次回に報告したいと思います。

 田中 ただ、どこに報告を上げるかによって、ラインもはっきりさせないといけませんね。

 東 それは別に、それぞれの部署のやり方で上げればいいと思います。

 原 とりあえず、暫定的にどこかで集約をするというところを決めてください。で、フォーマットみたいなものは、今日に言って明日にできるわけでもないでしょうけども、そんなに完璧なものでなくてもいいわけですから、とりあえずそういう形を書き出していただきたいなと思います。

 吉中 これについては、田中さんにちょっと頑張ってもらって。

 田中 はい、引き続き調べます。

 原 過去の分はまた検討をお願いするとしまして、それに伴ってガイドライン自体の見直しもいずれは検討したいなと思います。ということで、この件を終えまして、次に治験審査委員会の報告をお願いします。

 

議事(4)「治験審査委員会報告」

 吉中 それは特別変化はなく、今までのものが継続されているということです。それで重大な事象も当院の範囲内では起きておりませんので、そのまま経過しているということでご了解いただきたい。

 原 はい。それ以外に何か問題提起なり、ご意向なりはありますか。なければ最後に次回の日程ですね。

 北村 位田先生からご連絡いただいていまして、1~2月の木曜日で唯一、1月21日だけが可能とのことで、位田先生にもご出席いただけるようにもしたいなと思うのですが。

 内田 それでは、来年の1月21日はいかがでしょうか。

 原 では、次回は1月21日木曜日とします。今回の委員会はこれで終わります。お疲れさまでございました。

 


(入力者注)
※ 文章は全体を通して、話し言葉を書き言葉に改めたり、意味の通じにくい言葉を言い換えたり、同じ発言の繰り返しを省くなどの推敲を行い、かなり要約した形になっていますが、発言者の意図を正確に伝えることを最優先にしています。また、患者名を特定される可能性のある情報など、秘密保持義務に触れる怖れのある発言は曖昧な表現に変えたり、伏せ字にしています。

 

 

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