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第三十一回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2009年4月2日(木) 18:30~21:00
場所 太子道診療所3階多目的室
出席者 外部委員 小原委員長、原副委員長、広瀬委員
内部委員 北村副委員長、井上委員、内田委員、坂田委員、東委員、吉中委員
事務局 丸山
オブザーバー 清水、小鴨
欠席 勝村委員、立岩委員、村井委員

議事

 小原 定刻も過ぎましたので第31回倫理委員会を始めます。お手元にあります議事次第に従って進めたいと思いますのでよろしくお願いします。最初に委員の交代ということで、ご説明の方からお願いします。

 内田 本日は勝村さんが厚生労働省に呼ばれていまして、代理が立てられないということで今日は欠席され、立岩先生は後で申しますが欠席、村井先生も欠席です。外部の委員の交代なんですが、村井先生が京都弁護士会の会長になられまして、「多忙になるので、同じ京都第一法律事務所の岩橋多恵先生に交代したい」ということなので、承認をいただければと思います。それから立岩先生なんですが、本日16時53分に「辞任届」というメールが来ました。「大学の方がかなり忙しくなって、なかなかできないので、委員を辞任させてください」という申し入れがありましたので、ご深慮をお願いしたいということがあります。後任問題については、今日にいただいたばかりですので、これから先ということになります。以上です。

 小原 一応、方針だけは決めておきたいのですけど、立岩先生の後任に関しては立岩先生とご相談しながら…、

 北村 今日、本当にいただいたばかりですので、そういった選択肢も含めて院長とで相談した上で…、

 小原 次回に提案していただくということで、今日は村井先生の交代だけ、ご承認いただければいいのですね。それから、私も8月1日から1年間、アメリカの方へ在外研究で行きます。その間はこちらへ来れませんので、立岩先生のように潔く辞任すべきかとも考えたのですけど、帰って来てから継続して良いというのであれば、1年間、お休みさせていただいて、その後また復帰ということを考えていますので、そのあたりのことはまた次回、提案することになると思います。これまで私が委員長を務めてきましたけれども、そこをどのように引き継いでいただくかということも次回にご議論いただいて、決めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 北村 内田さん、内部委員についてはよろしいのでしょうか。

 内田 あっ、すみません。内部委員として北3階病棟看護師長の坂田にやっていただいていたのですが、次回からは救急病棟の師長の赤木に交代させていただきたいということで、ご了解いただきたいと思います。

 小原 いいですか。では次の議題にいきたいと思います。次は「DNAR指示のガイドライン」ですが…、

 北村 先に事例からさせていただいた方が良いですね。

 小原 では、(3)の「事例検討」から先に進めていきたいと思いますので、ご説明をよろしくお願いします。

 

議事(1)「事例検討」

※事例1例検討と前回事例のその後の報告を行いました。

 小原 それでは、継続審議になっている「DNAR指示に関するガイドライン」に関して討議したいと思います。まず、今日の資料を含めてご説明をお願いします。

 

議事(2)「DNAR指示に関するガイドライン討議」

 北村 事前資料のDとEが今回の案になります。何故、2つになっているかというのは、1月の時点では1つになっていて第1部・第2部が解説編で第3部が本編でしたが、分かりにくいので解説編と本編を分けました。今回、主に手を入れましたのは本編ですので、解説編は参考までに手元に置いていただき、本編の説明をします。
 前回と大きく変えましたので、ページ順に説明します。まず、P2の冒頭に基本方針というものを置きまして、【解決困難な問題が発生した時は、常にこの基本方針に立ち戻って検討する】ということを明記いたしました。また、重要な点である【DNAR指示が出されても治療やケアを控えられないようにする】ということを、より目立つところに置きまして、留意点として掲げることにいたしました。
 それから次のP3ですが、【1 趣旨】には注)を振りまして、【これはDNAR指示に関するガイドラインであって、終末期医療全体に関する倫理的方針でもなければ、心肺蘇生法開始後の中止に関する方針でもない】ということを明記しております。と申しますのは、この議論をしていきますと、このへんが全部ゴッチャになりまして、「心肺蘇生を開始した後で止めるのは、いつしたら良いのか」という話が混ざってくることが多いので、それを明確にしているということです。
 【2 対象】というのは新たに立てました項目で、【外来患者には適用されない】ということをハッキリ示すために、項目として立ち上げたということになります。というのは、在宅の患者と入院の患者は置かれている状況がちょっと違いますので、今回は「当院入院中の患者だけに限る」ということにいたしました。
 【3 対応原則】は、これまで議論が混乱しがちであった点を明確にするため、心肺蘇生を検討せねばならない状態を2つに分けて、原則を示すことにしました。1つは「心肺蘇生不能例」と名付けましたが、心肺蘇生がそもそも全く効果がないような、例えば死後硬直が起こっているようなケースなどで、それ以外のケースは「不能例でない場合」と呼ぶことにいたしました。で、過去の倫理委員会の議論では「心肺蘇生不能例なら、医師が判断して心肺蘇生を実施しないでよい」というような原則をご提示いただいたと思いますが、実はDNAR指示を検討するのは多くの場合、心肺蘇生不能例に至る前の段階でありますので、この区別を明確にしないまま議論しますと混乱すると思いましたので、分けることにいたしました。で、今までの議論を踏まえまして【心肺蘇生不能例については心肺蘇生を実施しないことを原則にする】といたしましたのは、そのとおりで妥当だと思いますが、「しかしそうした例でもなお、心肺蘇生法を行うことを許容して良いのかどうか」という問題については、ご意見を伺いたいと思います。すなわち、心肺蘇生ができないにも拘わらず心肺蘇生を続けることは、お体に大きな外傷を与えることになりますので、そんなことは良いのかということで、一応、注2)に今までの議論を踏まえた私の意見を書いたのですが、【その場合でも、家族がその事実を心理的に受け入れることが極めて困難な場合は、心肺蘇生法を一時的に続けることは許容する】といたしました。ということで、一応「許容して良い」ということと、その理由を「家族が心理的に受容できるかどうか」というところに置いているわけです。しかし、以前の議論の中では「患者が『家族が到着するまでやって欲しい』という希望なら、やってもよい」というような根拠を提示されていたと思いますから、その意見からちょっとずれるところがありますので、この内容で良いかをご意見いただきたいと思います。
 P4~P5には、【4 「有効なDNAR指示」を出すための手順】をより分かりやすい形で今回は明示いたしました。いちばん最初に示してありますが、【手順1、手順2、手順3の3段階を踏む必要がある】ということにいたしまして、それぞれの手順について詳しく説明してあります。
 まず【手順1】ですが、前回はここを「医学的要件」としておりしましたが、【手順1 医師の判断】と書き直しました。そして「医師の判断」の中に医学的要件を入れ込んでおります。また、医学的要件という言葉がやや曖昧で、前回は議論が混乱いたしましたので、【心肺蘇生不開始が許容される~】という限定項を付けて提示しております。前回は医学的要件に3つの条件を含んでいましたが、今回は1つをなくしました。減らしたのは「患者が進行性の病気に罹患している」という要件ですが、前回に「これは要らないのではないか」というご意見をいただき、確かに必要性は乏しいので割愛しました。それと、いちばん下の【心肺停止した場合、仮に心肺蘇生しても短期間で死を迎えると推測される】の部分を変更しました。前回はこの期間を「数日から数時間」と限定した内容におりましたが、病態に応じてこの数字がかなり変化するので、ここでは敢えて「短期間」という曖昧な表現にとどめることにいたしました。ただ、それだと恣意的にかなり長期間、例えば数ヵ月という期間に解釈される怖れもありますので、注2)に【目安として記すならば、「数週間」以上の期間は想定していない】という文言を付け加えることにしました。この要件の変更についても、またご意見をいただければと思います。
 【手順2】については変更しておりません。
 【手順3】ですが、これは前回、「患者(あるいは家族や患者が信頼している人)の同意要件」というタイトルにしておりましたが、今回は【患者(あるいはキーパーソン)の同意】と変えております。前回の文言では分かりにくかったのと、現場では「患者でなければ、キーパーソンが誰か。そのキーパーソンに依頼しよう」というように動いておりますので、現場サイドの言葉ではありますけども、キーパーソンという言葉を採用しております。それと、DNAR指示を出すことの同意については決定主体の問題があり、代理決定とかにかかる問題でもありますが、注2)の中で触れております。今回の方向性は、患者の意向は尊重するけど患者の同意を得ることを絶対条件にはしていない中身になっています。これは、実際に患者さんの心理を踏まえると「そのことを患者本人に尋ねるのは酷だ」という判断で、キーパーソンの同意でも構わないという形にしています。
 この後、1)~5)の過程を経ることを必要条件にしており、前回からそれほどいじっていませんが、ご意見を伺いたいと思っているのは、【4)その意向がDNARを希望するものであれば、同意書を記入していただく】という点です。まず、「同意書を記入していただくことが妥当かどうか」、そして「それが妥当であるとすれば、誰に記入してもらうべきか」という点について、ご意見を伺えればと思っております。今回の案では、同意書を取るという前提にしております。何故かと申しますと、文書で意向を確認して残す方が誤解は生じにくく、治療的な安全性を高めることができると考えてそのようにしています。同意書への記入の必要性については、患者さんには記入していただく必要はなく、もし得る場合でも口頭の同意で良いといたしました。ただ、キーパーソンに同意の署名を得る前提にしています。このような考えで良いのか、ご意見を伺えればと思います。
 P6に移ります。【5 有効なDNAR指示が出されている患者が、心肺停止した時の対応】は、前回の案では「心肺停止要件」というややこしいタイトルで括っていましたが、もう少し分かりやすく書き直したものです。後、誤解が生じないように、ここにも注)を振っています。
 【6 DNAR指示の妥当性の確認】は新設した項目で、前回にご意見をいただいた【2)主治医は指示が出された日から1ヵ月毎に、指示の妥当性を再評価し~】という項目を付け加えました。
 【7 DNAR指示の取消について】も新設した項目ですが、これは重要なので大項目として立ち上げたもので、「条件を満たさなくなったら、その時点で無効になる。無効になったら指示が取り消される」という内容です。
 【8 DNAR指示の安全性、倫理性の確保のためのチェック】は、院内の事情ではありますが、前回の院長の意見を踏まえまして、8.4と8.5を変更しています。前回は「DNAR指示を出された患者の氏名を院長に報告をし、院長が医療安全委員長にモニターを命じる」というような指示系統にしていましたが、今回は「師長が医療安全委員長に報告し、医療安全委員長が不適切であると把握した事例だけを院長に報告し、院長が組織図上の指示系統に従って指導を行う」というような構成にいたしました。以上が、前回のご意見を踏まえて上での変更点です。忌憚のないご意見を頂戴できればと思います。どうぞよろしくお願いします。

 小原 ありがとうございました。前回の議論を全ては覚えていないので、新しいものを見ているような感覚はありますけど、確かに説明を聞いていますと、議論したことを丁寧に踏まえて新しい文書を作ってくださったなと思いますので、今回の文章を中心に議論を展開したいと思います。

 東 また院内的なことで申し訳ないですけど、当院では院長が医療安全委員長なんです。この場合は医療安全委員長の任務と院長の任務の2つを書いていますよね。それは同じ人がやるということで良いのでしょうか。

 北村 現在は同じ人ですけど、これが別になることはあり得ることですよね。

 東 ないと思います。今の規定では、最高の安全の責任者として、院長が医療安全委員長を務めることになっているのです。

 吉中 法令上は別でも良いと思いますけど。

 小原 一応この文章では2人が別れていて、「不適切な事例が発生した場合には、医療安全委員長が院長に報告しなければならない」ということで、ある種のチェック体制ができているということですよね。そこでこの両者が一体であると、確かに8.4のところは逆に不思議なことになりますよね。

 吉中 でも、医療安全委員長が判断をする時には、医療安全委員会で協議した上で判断するのですね。で、院長として判断する時には、常務会という区分で議論して判断するということなので、判断のプロセスが少し違いますから、たまたま規定上で一緒になっているだけなので、別の場合もあり得るということで良いと思いますね。

 原 ここはこうなっていても差し支えはないと思いますが、個人的な意見としてどちらかと言うと、医療安全委員長を院長がやるというのは良くないのではないかなという感じはしますけどね。医療安全というのはもっと実務的なことが多いから、そこまで院長がやると逆に不十分かなと感じます。

 吉中 利害がコンフリクト的になる場合もあるわね。

 東 実務的には、実際はいろいろ手分けしてやっているのですけど、最高責任者が決意を示そうという形になっているわけですね。でも、確かに規定の方ももう少し検討しても良いかも知れませんね。

 北村 この文書では、これで良いだろうということですね。

 原 順番だけの問題ですが、最初の「基本方針」の1)の「患者の意向」と2)の「患者の生命活動」は、全体的に言えば「生命活動」を前に持ってきた方が良いかなとは思います。その後に「留意点」を明示されるのは非常に良いと思います。P3の不能例のところは、「患者の希望があればやっても良い」というだけの話で、「やらなくてはならない」ではないですから、患者や家族の希望に応じても問題はないと思います。「体を傷つける」と言っても、死んでいる人の体を傷つけているような話ですから、そんなに大問題ではなかろうと思います。

 北村 でも、問題は問題ですね。

 原 蘇生をした人は、骨が折れていたりして痛い思いをすると問題でしょうけど、不能例の話をしている場合は、裂いたわけではないですから、多少のことはあまり問題ではないですね。

 小原 ここでは、心肺蘇生不能例とそうではないケースと2つに分かれていて、「死体現象が始まっている」とか「生理学的効果が期待できない」とか、分かりやすい説明があるのですけど、これらは特定できて、そうでない例との間で、曖昧さが残るグレーゾーンは基本的にないのですか。

 北村 曖昧な場合は、不能例ではない場合に入ります。ただ、不能例と判断する時の判断は難しいと思います。

 小原 そういう迷うようなグレーゾーンがあるかどうかを聞いているのです。このように柱を2つ立てると、どのケースも明確に分かれるような印象を受けるのですが、実際には判断によって…。

 井上 グレーゾーンはあると思いますね。ただ「死後硬直」なんですが、これは少なくとも1時間以上は経たないといけないので、当院入院中の患者さんに死後硬直が起こっていたら大問題ですから、基本的には「生理学的効果が期待できない場合」ということになりますが、確かにグレーと言いますか、主治医の判断というところが大きくなるだろうと思いますね。

 坂田 でも、主治医以外には判断できない中身です。

 井上 まぁそうですけど、そこは複数で対応するといったことをした方が良いかも知れません。それから、今はDNAR指示を出されているほとんどが、不能例のような形になっているだろうと思います。

 北村 不能例と見立てているということですね。

 原 そういう意味では、不能例を「不能であることが明確である場合」として、曖昧な部分が残ったら心肺蘇生を行うということにしないと仕方がないではないですか。

 北村 一応、曖昧な部分は「不能例でない」と判断して、「DNAR指示がなければ基本的にはやる」としておいた方が良いと思うのですよね。

 井上 「不能例と判断した」ということもカルテに書いておくのですね。

 北村 それが必要ではあるのですね。

 原 ただ、不能例の記述には、「不能が明確である」という表現を入れた方が良いかなと思います。

 吉中 「心肺蘇生をしないことを原則にする」の前にですか。

 坂田 注1)のところ…。

 北村 注1)をもっと明確にする? 「心肺蘇生法を開始しても効果が全くないことが明確な場合」と…。

 原 そうですね。後段の生理学的効果も明確でないといけないので、「明白」とかいう言葉を入れておいたら…。ちょっと、「敗血性ショック」や「心原性ショック」が明確な事例にあたるのか分からないですけどね。

 北村 これは井上先生に伺いたいのですけど、「心臓マッサージをやっても循環が末梢に行かないから、やっても意味がない」というようなことですよね。

 井上 そうですね。反応しないとか、そういうことが多いですけれども、それを心肺停止する前に判断するというのは難しい例もあります。そこをどうするかということですね。初めは「DNAR指示を出すのか」それとも「心肺蘇生をするのか」の2つかなと思っていたのですが、3つめの選択肢として「不能例」というのを提示されましたので、不能例の定義はしっかりとしておく必要はあると思います。

 原 ここで言っている不能例は、見つけた時の話でしょ。だから、予測する必要はないのでしょ。

 北村 「入院中の患者が心肺停止状態に陥っていることが発見された場合」ということですから、予測する必要はなく、見つかった場合の対応です。予測をする必要があるのは次の話で、有効なDNAR指示を出す段階ではまだ不能ではなく、「近々、不能に陥るだろうということが推測される」ということです。ですから、ここは「発見された段階で不能であれば、何もしないのが原則なんだ」ということですね。

 東 だから、最初に議論した時には、「終末期的な」と言いますか、「進行性で回復不能な病気」という条件が付いていましたけど、今の案の前段では少し広げて、例えば心原性ショックとか敗血性ショックというのは言わば、入院されて危急的に悪くなっている状況ですが、そういうことを想定した文章と言って良いですね。だから、DNARの範囲がもう少し一般的な範囲で書かれていると理解して良いですか。

 北村 心肺蘇生法を行わないことが正当化される要件として一般に挙げられているのが「死体現象が起こっている場合」と「全く意味がない場合」の2つで、それをここに挙げたということです。

 東 終末期とか関係なしに、一般的にどんな条件であってもというふうに理解して良いわけですね。

 田中 これは、DNAR指示が出ている人が対象ではなくて、広く一般の患者さんの心肺蘇生不能例ですか。

 東 この前段階ではそういうことで、「蘇生する場合の一般的な原則はこうですよ」と書いておいて、DNARのことは後で出てくるということですね。

 北村 何故これを入れたかと言うと、今までの議論が「助けられないのだったら、何もしないで良い」という話だったのですけども、議論がやや混同していたところがあるので、どうしてもこれを入れないと、過去の議論との整合性がとれなかったということになります。

 小原 だから、心肺蘇生不能例の場合には医学的に判断して良いのであって、ご家族の同意といった価値判断は入ってこないということですか。

 北村 過去の議論がそうであったように、そうです。ただ、希望されたら拒絶するということではない。

 原 で、追加されるのだったら、患者の希望がある場合は良いのじゃないでしょうかね。家族の希望がある場合はどうかなとも思いますが、できなくもないでしょう。

 田中 実際問題、予期しない心肺停止の状態が起こっている場合、蘇生不能であったとしてもしないですか。

 坂田 それは多分、突然に心肺停止状態で見つかった場合は、「その患者さんが不能例であるのか、そうでないか」の判断ができないので、心肺蘇生を始めると思うのです。その途中で「これは不能だ」と医師の判断があった場合は、「しない」という選択もあると思います。

 原 あると言うか、「しない」を原則にすると書いていますね。

 清水 入院中ではかなり少ないのと違いますか。

 坂田 少ないと思います。でも、最初は判断できないので、いったんは始めるという話だと思います。

 北村 ここには判断のプロセスについて書いていないので、そういう混乱が起こると思うのですけど、基本的には、医師が判断できないのであれば「不能例でない」と判断するしか仕方がないので、取りあえず始める。で、始めた後の中止の判断は、これでは取り扱わないので、そこを今回は含んでいませんが、始めていて全く意味がないのであったら、どこかでやめなければいけないでしょうね。でも、やめる時には勝手にやめるのではなく、一応、ご家族に了解を得るということがあっても良いのではないかということで、注2)を付け加えています。

 東 その時に不能例でない場合、「有効なDNAR指示が出されていなければ」という言葉は要るのですか。

 北村 不能例でなくても、心肺蘇生を開始しないことはあり得るわけです。それはどういう時かと言うと、有効なDNAR指示が出されていれば何もしないことがあり得るということで、それを許容しようということです。

 東 「しなくても良いということを許容する」というところがちょっと難しいですね。

 北村 要するに、かなりどんどん病状が進んでいて、仮に心肺蘇生をしても短期間で死を迎えると推測される場合、それでもなおやるというは良くないのではないかということで、DNAR指示が出されるわけですよね。その場合、何もしないということがあり得ると思うのです。

 東 そういう意味では、DNAR指示の判断をする時の幅が若干広いということですよね。要するに、蘇生できるかも知れないけどやらないということですよね。

 北村 基本的に蘇生できるかも知れない場合は、やるのが大原則ですね。ただ、特別な場合に限ってやらないことを許容しましょう。でも、それにはルールが必要で、そのルールは「DNAR指示のガイドライン」だよ。というのがこの場合で、かなり限定されているのですね。

 吉中 ちょっと混乱したのは、心肺蘇生不能例の中に、死体現象のような常識的に「しない」ということが広く許容されている中身と、複数の医師の確認が要るけども、確かに蘇生しなくても良いなと思われるような不可逆的な状況というのがあって、両方が入るように最初は理解して読んでしまったのですが、説明だとそうでもないということですよね。

 北村 僕も身体医ではないのでよく分かりませんが、極めて厳しいけども可能性ゼロでない場合と、心肺蘇生法を行うことがそもそも生理学的に意味がないという場合があり得ると思うのですね。心マは心臓を圧して機械的に拍動させようということですよね。それがそもそも意味がないということが身体的な病気によってあり得るということで、それを除いているということです。

 東 だいたい分かってきました。P4の「医学的要件」の中に「仮に蘇生しても」という言葉があるので、「取りあえずは蘇生する可能性はあるのだけども、結局は助からないような状況だよという場合はしませんよ」というようなことを含んでいるのだね。だから、絶対的な心肺蘇生不能例でない場合というのはそういう場合ですね。

 北村 そうです。ただ、その場合に医師の判断なりでやると、判断に不確実性が大きいので、医師の判断だけでやるのは極めてマズイ。だから多職種、そして患者あるいはキーパーソンの同意が必要だということです。

 原 【3 対応原則】の記述で「心肺蘇生不能例」はそのままで良いのですが、次は「不能例でない場合」とするのか、「それ以外の場合」だけでも良いのですけど、こちらは「心肺蘇生法を開始するのを原則とする。ただし有効なDNAR指示が出されている場合は行わない」とした方が読みやすいかなと思うのですけど。

 吉中 死体現象が始まっているような心肺蘇生法を開始しても全く効果がないと判断できる場合、もしくは有効なDNAR指示が出ている場合は実施せず、出ていない場合は開始するのが原則ということですね。

 原 「出ていない場合は開始する」というのが、日本語として頭に入りづらいというだけのことですけど。

 東 確かに分けて書いた方が分かりやすいですね。要するに「原則はやりますよ」と、「だけど、その中にDNAR指示が出ている場合があります。その場合はこうします」と後に来る方がつながりは分かりやすいですね。

 井上 不能例の注1)の最後の「心肺蘇生法による生理学的効果が期待できない場合」というのは切った方が良いかも知れませんね。これは判断が難しいので、例えば死体現象が始まっているとか、本当の常識的にダメな場合のみ、ここで示す形にした方が良いと思いますね。

 吉中 だから、後者はむしろ次のところに入るということでしょ。

 井上 そうですよね。診た段階では難しいのかなと思いますね。

 原 この場合、死亡診断はもっと後で、家族が納得するだけ続けてからやるということになりますかね。

 北村 はい、現実にあっているのではないかと思います。例えば冷たくなっていても、突然のものであれば一応、頑張るということですね。

 井上 そうですね、院内の場合はやはりするだろうと思いますね。

 北村 家族が来られて、「あまり意味がないからやめましょう」と言ってやめて、死亡診断という順番ですね。

 原 硬直しているのにやっている病院は幾つかありましたけどね。硬直してからしか見つからない病院。

 井上 病院内で硬直しているというのがすごいですよね。

 吉中 以前にご審議いただいた患者さんへの説明文書には、患者さんもしくはご家族の意思が事前に表明される項目があったように思うのですけど、P3の注2)の中身にも、意思表明というのを入れた方が良いでしょうね。

 原 「治療が信用できない」というような人ならば、やってあげても良いのではないでしょうか。

 小原 今はP3を集中してやりましたが、P4以降もご覧ください。これも何度も議論されたことですが、「短期間で死を迎えると推測される」という要件は、「短期間だと解釈が曖昧になるので、具体的に書いた方が良いのではないか」という意見も片方ではあったと思うのですよ。ですから、ここをこのままで良いのかどうかということですね。注2)ではもちろん上限を設定していて、数週間以上は想定しないということなんですけど。

 東 「数週間」の「数」という言葉は、僕の頭の中では「5~6」、英語のseveralのように理解しているのです。ところがこの前、皆さんは「2~3週間ぐらい」と違ったのですが、僕には「5~6週間ってことは1ヵ月以上も生きる可能性がある人もこれの対象になるのかな」というニュアンスで、少し疑問を感じてしまうのですね。

 小原 もし1ヵ月以上も生きるのであれば、その人を除外するというわけにはいかないと思うので。

 広瀬 いったん心臓が止まって死んでいるわけでしょ。それを心肺蘇生ができたとして、数週間とか生きるということにつながるのですかね。この間、生き返られる人もあると言っていましたね。

 吉中 口で呼吸できなくてもレスピレーターを着けてやれば2~3週間ぐらい続く人は充分にありますね。これは2~3週の意味でしょ。

 北村 でも、ちょっとここは決めきれていません。逆に本当の現場のご意見を伺いたいのですが。

 井上 そうですね、「心肺蘇生して5~6週間」…、難しいとこですね。「2~3週間」…?

 小原 でも、2~3週間と5~6週間の間に根本的な違いはないですね。

 東 ないですね。ただ「5~6週間は結構あるな」という感じですね。2~3週間でも「あるな」と思う人もいるとは思いますけど。

 吉中 一般的にはDNAR指示を出している時は、もっと短い範囲を思い描いて出しているのではないですかね。

 井上 難しいのですけど、基本的に「蘇生しても死を迎える」ということで良いのではないかと思うのですが。

 原 では「1ヵ月ぐらい」にしておいたらどうですか。目安として書くのに「数」というのは確かに困ると思うのですけど。

 小原 いずれにしても、「推測」というのは最後の最後まで曖昧さが尽きませんですしね。

 井上 むしろ曖昧にしておいた方が良いかなと思いますけどね。あまりきちっと決めると、そこで迷ってしまうかも知れないですから。

 北村 「短期間」とだけ書いて、数は要らない?

 原 目安として補足しているわけでしょう。目安がなければ様々な解釈ができるでしょう。

 東 そうですね。人によって3ヵ月を短期間と思うかも知れない。それはあり得るでしょ。

 吉中 だったら「1ヵ月程度」…。

 坂田 だけど、1ヵ月毎に妥当性をモニタリングするのであれば、それ以上長いことは想定していないのは明らかですしね。だから、「数週間」というのは多くても4週間未満ということですね。

 吉中 ただ、モニタリングはDNAR指示の更新評価で、これは蘇生後の中身なので直接はリンクしないと思います。でも、何もないとリアリティーがないので。まだリアリティーがあるねぇ。

 東 具体的な数字を出すとなんか異論がでそうなので、曖昧でいきます?

 井上 3ヵ月以上いくと心肺蘇生をした方が良いような印象はありますね。

 内田 長く生きられる人もいらっしゃるかも分かりませんが、1ヵ月毎にモニタリングで引っ掛かってくるから。

 東 そうです。モニタリングで引っ掛かります。

 井上 個々、いろいろイメージが違うような気がします。

 北村 複数の医師の判断と、その後に多職種の判断も更に加わるということで、安全性が取りきれるとお考えいただけるのなら、「数週間」といった目安を書かなくても良いとも思われます。

 原 でも短期間ではやっぱり、その解釈はできないと思いますね。「数日」と思うのか「数ヵ月」と思うのかというのは、幅があり過ぎるでしょ。

 吉中 【手順1 医師の判断】の「1ヵ月以内に満たされる可能性が高いと判断される」ということとはリンクするね。やっぱり上に「1ヵ月」があるから、「1ヵ月」にしておいた方が良いねぇ。

 東 「1ヵ月以上の期間は想定していない」と方がハッキリと割り切って、良いかも知れないですね。

 小原 あまり解釈に幅があり過ぎると、何か基準値を示しておかないと…。だから「数週間」を「1ヵ月以上」に変えても大きな差し支えがなければ、こちらの方が目安にはなるかなという気はしますね。

 東 目安だから、これも「取りあえず1ヵ月ぐらいを」という意味なら、そんなに問題には…。

 小原 一応、記しておくと、例えば「5~6日」とか「数日」ということを排除できますから、「短期間」ということの極端な解釈を排除するためにも、目安として「1ヵ月ぐらい」というのはどうですかね。

 原 考えるとすれば、むしろそれよりも縮めるのかどうかという感覚かなと思いますけど。蘇生して1ヵ月も生き延びる人だったら、やっぱり蘇生しなければいけないように思いますね。

 東 1ヵ月以内だから、2~3週間というところはどうでしょうかね。

 小原 「それ以上は想定しない」という形で逃げるのがいちばん良いと思うのですよ。

 原 「1ヵ月」にしましょう。「2週間」とかでは、癌の人とかで「2週間生き延びてどうやねん」という感じはありますよね。

 小原 じゃぁ、取りあえず「1ヵ月」ということで。

 原 「同意要件」のところがかなり重要な問題ですね。

 小原 これには口頭の同意で良いものもありますね。

 原 「口頭」の話と「キーパーソン」というところが大きいですかね。

 小原 同意については、このようで良いという議論に落ち着きましたか。確かに「きちんと文書でもらった方が良い」という意見もありましたが、反面、「文書でもらうというのは心理的なプレッシャーをかけるので、それはいかがなものか」という意見も同時にあって、どちらの可能性もあったと思うのですよ。今回は、「口頭でも良いものとするけども、キーパーソンにはきちんと署名をしてもらう」という案ですね。

 原 まず口頭か書面かというよりはキーパーソン、つまり代理承諾のところの問題の方を落ち着けたいと思います。まず、内部的なガイドラインだとしても、キーパーソンという言い方の概念の問題はあると思います。キーパーソンという用語は実務としては分かるのですが、医療側の勝手な物言いという感じは否めないですね。

 北村 これはいわゆる代理決定の問題になるのですが、このガイドラインにその理論まで入れ込んでいくと、ちょっと議論がややこしくなり過ぎて、ガイドラインの手順として分かりにくいなという感じがするので、代理決定についてのガイドラインを別に作っていく方が良いと思うのです。

 原 いや、ここに全部の手順を入れる必要はないのですけど。私個人の意見としては家族承諾のDNARに反対ではなく、むしろ他のメンバー、例えば立岩さんの方が抵抗があったという感じがしますが、まず第一の原則は患者の意向を尊重するということでしたから、意向を尊重する順番を「患者あるいはキーパーソン」ということではなく、「まず第一義的には…」という書き方をする必要があるだろうと思います。

 小原 そうですね。ちょっと気になったのは、【手順3】のところは全部()付きで「患者(あるいはキーパーソン)」と並記しているのですけども、キーパーソンの同意が必要なのはある特殊な状況でのみだと思うのですよ。原則は患者さん本人であって、そして患者さん本人の意識がハッキリとしない場合に限定してキーパーソンの同意が求められてきたのではなかったですか。「患者あるいはキーパーソン」とか「患者およびキーパーソン」というようなものではなくて、キーパーソンの登場する状況というのはもっと限定されていたような気がするのですけど。これだと、ほとんど患者さんと対等な感じでキーパーソンというのが出てきていますよね。

 北村 現場で実際に「DNAR指示を出して良いか」と確認するのは、本人にするというのはそんなにないですよね。本当に差し迫ってきた時に、ご家族に「これでいきますけど良いですか」と言って確認していくと…。

 坂田 現時点ではそういうふうなことの方が多いです。ただ、これまでの議論では「本人の意向を尊重したいという思いで、パンフレットの文章を作った」という経過があるので、「今はキーパーソンや家族が判断することが圧倒的に多いけれども、本人の了解に重きを置いた内容にしましょう」という進め方をしてきました。

 吉中 「了解」と言うより、「本人の意向をむしろ我々が了解する」とか、「医者が同意する」という角度が話としては強かったですね。

 北村 あれは入院の時に渡されるパンフレットに挟まれる「私の考え」で、差し迫った状況にまだない方が書くものですから、そこで意向を把握することは問題がないと思います。で、本当に差し迫った時に、本人にそのことを伝えて同意を得るというのは、かなり大変な仕事であり、それに踏み出すのかどうかというところだと思っているのです。常に日本の現場では、いわゆる集団的主義と言いますか、周りがいろいろ忖度(そんたく)をして「こういうことでいくのがいちばん良いだろう」と思って決めていく場合が多いのですけども、今の話だと「やっぱり患者の同意を取る」という話ですよね。だから、差し迫った時に「患者さん、あんたはこういう状況だからいきますよ」ということを言って良いのかという問題だと思います。「いく」ということであれば、それもあり得ると思うのですが、実際にはかなりシビアな話になる思います。

 原 今も「同意」という言葉が出ましたが、ここは「同意という言葉なのかどうか」ということもあると思うのですが、最終判断は医療者側にならざるを得ないという意味では「同意」でも良いのですけども、手順としては「同意」という手順ではなくて、「患者の意向を聞く」というような言葉を用いた方が良いと思います。北村さんがおっしゃった「医療現場の現実問題のこれまでの状況と、これからどうするか」という話について言えば、「やはり踏み出すべき」という議論をしてきたのだと思います。そこは明確にした方が良かろうと思います。

 小原 ですから、「集団的な決定がこれまでだったのだけど、そうではなく、患者ご本人にアクセントを移していこうと」いう議論はあったと思います。ただし、「ご本人には聞きづらく、かなりシビアな状況になるので、それをどうするか」という議論もあったと思います。

 原 ただ、今はDNARの話をしていますけど、まさに終末期医療の厚労省のガイドラインだって、「家族に聞くのではなく、本人ですよ」ということを言っているわけですから、そこまで後退する必要はないと思います。

 北村 「患者の同意」と「患者の意向」という2つの言葉を使っていまして、「患者の意向」は全て尊重することにしてあります。で、キーパーソンに同意を得る場合でも、患者の推定しに基づいて同意を得ることにしてあります。ただ、「意向を聞く」のと「同意を取る」というのでは、本人や家族にとってはかなり心理的な意味が違うであろうと思います。「私はこんな希望がありますよ」というのと「それでやってください」というのでは、やっぱりかなり重みが違うので、意向は厚生労働省の判断と同じように絶対に尊重しないといけないですが、「同意を得る必要があるのか」というのは何とも言えないなと思います。

 原 「意向は絶対に尊重しないといけない」というのも、必ずしもそうは思わないところもありますけど、ちょっと気になるのは、もちろん「治療の進め方には関係ないのですよ」と前提で書いていますが、「同意」というのは医療者側が主導権を取り過ぎている感じはします。

 小原 ただ、それは意思決定の内容にもよると思います。積極的に「自分は絶対にして欲しいのです」という人がいた場合には、ハッキリと同意書を書いた方が、逆に医療者側もそれに縛られるわけですから、患者の満足につながりますし、どちらの見方もできると思うのですけど。

 原 いや、前に作った患者に書いてもらう「私の考え」では、「やらないでください・やってください・皆に任します」というような選択肢方式で作ったわけですから、やらない場合だけの同意を求めていく手順というのは、やっぱり矛盾が出てくると思いますね。

 小原 同意書というのでは具合悪く、意向と同意とを区別した方が良いということですか。

 原 良いと思いますね。今現実に使っているものは事前調査的なものではありますけど、それを最終意向書面に使っても良いわけですから…、

 小原 あれには何て書いていましたか。

 北村 「私の考え」は、あくまでも現時点での考えを伺うものであって、「最終の時にそれを記すものではありません」ということで「意見を聞かせてくださいね」というだけのことなんです。「私の考え」は【手順3】の注2)のところで「キーパーソンと協議する時にはそれを大事にしています」ということにはしてありますが。

 吉中 その時の議論を整理したものに基づいて雛形で作った同意書には「私はこういう意思です」と患者側から記され、医療者の方が「同意します」とサインをするように逆転していたのですが、「実際のDNAR指示と合わないな」というところが北村先生の問題意識ですよね。実際にはご家族に説明してDNARを決めるというように、医療者側が主導権を持っているわけですから、「そこを180゚変えるということが現場に合うのか」というところの悩みがポイントとしてあるということですね。科長会議で診療科の課長が集まって議論していても、認識には相当な差があって、ここでの議論の「患者さん中心に」という意見もあるのですが、中には「寝たきりで意思表明のできないような人は、そのまま逝かせてあげた方が良いのと違うの」というような意見もある。ですから、だいたい世の医師はそのような間にいるということだと思うのですね。「患者さんの意思を尊重する」とか「命が大事だ」というようなことは、実際は必ずしも作動しない状況にはあります。

 原 だから、意識がないとか、意識障害があるとかいうことになったら、本人に聞くという話にはならない。で、推定意思として「入院段階の意見は一応の参考にしましょう」ということだと思うのですけど。

 吉中 私が言っているは、「寝たきりであるとか、認知症があって意思表明もできそうもない、家族のケアも大変であるというような人が、痰を詰めて亡くなろうとした場合には、そのまま何もしない方が良いのと違う」というような価値観というのが結構あるということなんです。例えば立岩さんの話では「ALSの人が痰を詰めた時に、長く生きられないのであれば、何もしない方が良いという話もあり得る」ということなんです。

 原 今の話は別問題で、申しあげているのはあくまでも患者に意思表示・意思決定ができる場合の話です。この【手順3】の注2)の「患者心理を踏まえると」というところが、患者の意思を回避されかねず、現状追認の形になりかねないように思いますので、非常にまずいと思います。

 小原 注2)は慎重に書く必要がありますね。「意思決定能力が障害されている場合」というのは確かに特殊状況下で、キーパーソンの意思決定も出てくると思いますけど、「患者心理を踏まえると」いう項は議論を詰めているわけではないので、患者の同意を必要としないのは、意思決定能力が阻害されている場合のみに厳密に限定した方が良いと思うのですよ。

 原 「もしくは、患者が意思決定を希望しない場合」もですが、患者の意向の一部に入るか。

 小原 だから、医療者側が気を使って「聞くのがはばかるので、その場合には必要としなくても良いのだ」となってしまうと、全てを正統化してしまう理論になってしまいます。

 北村 ドクターが病状説明する時とか、看護とかの現場でもいけるのかな。

 井上 無告知の方とかはかなり複雑な問題になってくると思います。薄々は感じておられても「自分はまだ生きられる」という希望を持って生きている人の場合、「もう死にますけど、どうしますか」みたいなのは…。

 坂田 多分、これをするには、残された期間が数ヵ月という差し迫った時からではなく、治療が始まった時からのものすごい準備段階が必要で、医師の患者さんへの病状説明の中で、ゆくゆくのギアチェンジを見据えての話し合いがどれぐらいされているのかということで、ずいぶん変わってくると思います。なので、これから必要とされる磨かなければいけないスキルであろうと思います。しかし現時点の現場では、「そういうことは言えない」とか、「家族が『言わないでくれ』と言うから言っていない」ということも、かなり稀にはなってきたけどありますし、特に、病気が見つかったのが最近で、治療の手立てもないままに亡くなっていくといった場合、それまで生きてきた中から推察する本人の思いというのを家族が代弁して、話が進んでいくということもあるとは思うのですが、それはこの中に入っているのではないかなと思います。ただ、私自身は「言っていくべきだ」「聞くべきだ」と思っているので、そのタイミングを常に見計らいながらケアをしていくべきだと思います。

 原 このガイドラインはターミナルケアのガイドラインではないので、抵抗感というのは、意向を聞くという形にすることで回避されるのではないでしょうか。例えば「あなたは死が近いのですよ」というようなことを説明しなくても良いと思いますよ。インフォームドコンセントに予測される期間とかを入れることが必要なテーマではないと思うのですけどね。「もし、あなたの心臓が止まったら、何とか回復するようにして欲しいですか。しないでいいですか」という質問をして、「やってください」と言うのだったら、やったら良い。

 吉中 それが入院のしおりに入れようとしたきっかけですね。それを何べんも見てもらって、「出すのは自由で、出さなくてもいいですよ」ということになっていたと…。

 小原 ああいうのが普通に目に触れて、そういうことを語ったり聞いたりすることの抵抗感が下がっていけば良いと思うのですけど、「現実にはまだまだそうではない」とおっしゃっているわけですね。特に患者に無告知の場合、見方が全然違ってくるわけです。医療者側は残りがそんなにないと分かっていても、ご本人は「治療を続ければ退院できる」と思っていた場合、どのタイミングで言うかが難しいという現実はあります。でも、これまでの議論では「最後の死のあり方をご本人に決めさせずに、良かれと思っても周りの人だけで決めてしまって良いのか」という疑問をずっと投げかけてきましたから、そこを変に回避すべきではないと思うのですよ。

 北村 全体的な方向性として「患者の意向を大事にするということで進めていきたい」というのは、私自身もそうだし、病院としてもあるはずなんです。ただこれは、時間をかけて段階的に変化していくものだろうと思っていて、その難しさまで排除するようなガイドラインにしてしまうと、実効性がなくなってしまうのではないかという思いもあるのです。このガイドラインで「もし、このガイドラインの手順に則って上手くいかない場合は、常に原則に戻ってください」としているのは、原則に立ち戻って考えると「患者の意向を大事にせなあかんな」と職員は分かるはずで、そして職員の中に葛藤が生まれてくれば、必ずそっちの方向へ変化していくはずだろうと思うので、こういう構成にしたのです。このように基本方針へ戻ることにしてあるからこそ、注2)には「患者心理を踏まえると同意確認を行うことが不適切だと考えられる場合には~」ということ入れても良いと思ったのですが、それは入れない方が良いかなと…、

 小原 まず、ここは切った方が良いと思います。それで、もう少し議論の中で別の形で詰めていく必要があると思いますね。それと、手順ではいきなり「キーパーソン」というのが括弧付きで出てきているのですけど、包括的な同意責任の問題ではなくて、DNARの指示に関してキーパーソンが必要とされる状況を限定して書いて、やはりここで問われている手順の主体は「患者は」ということに一貫しておいた方が良いと思うのですよ。で、例外的な状況、特殊な状況では「キーパーソンがこういう形で同意書に署名する場合もあり得る」みたいにした方が、これまでしてきた議論や、これからあるべき姿に向かっていきやすいと思うのですよね。

 吉中 一つだけ確認ですけど、これまでの議論の中で「心肺蘇生法不開始が許容される医学的要件に該当するような病気の時期が一応ある」ということはだいたい共通認識になって、「そのことが医学的に厳密に判断できるのであれば、医療者が責任で判断すべきことではないか」という理論だったと思うのですね。それが厳密に判断しきれないファジーな部分があるので、こういう慎重な扱いをいろいろと配しているのですけども、キーパーソンの関与の仕方も、そのへんを加味して少し軽くするとか、現実に合わせるというような趣旨でしたよね。

 小原 つまり、理想論はあるのですが、現実と遊離したガイドラインでは機能しませんので、ある程度の妥協案も含むべきと思うのですけど、今日はもう時間がなく、この議論は詰めきれませんので、P3ぐらいまではだいたい方向性が見えましたが、P4以降は引き続き議論をしていくということで、いったんここでおきましょう。では、議事の「その他」に2件が挙がっていますが、これについて説明をお願いします。

 

議事(3)「倫理委員会の公開について・治験審査委員会報告」

 北村 倫理委員会を公開してやろうという思いが元々あったのですが、実際にはなかなかそういうことにはなっていないので、「次回の倫理委員会はいついつで、こんなタイトルでやりますよ」ということを積極的に広報していこうと考えています。ただ、公開するルールを作った方が良いのではないかという提案がありましたが、どんなルールでしたか。

 内田 例えば事前に参加の意思表示をしていただくとか、録音や発言を認めるのかとか、一定の枠組みは公開するにあたって要るのかなと思ったので、要らないということであれば自由にということなんです。ただ会場の問題も、この会場でどうやってやるのかということもあります。

 小原 それは、ある特定の回をそれに充てるのか、基本的に毎回をそういう形にするのか、どうですか。

 北村 基本的には毎回、継続的にどんどん出ていただいて構わないというようにしたいと思います。

 小原 それはその方向で考えるべきだと思うのですよ。ただ当然、事前申し込みは必要だと思うのですよ。

 原 必要はないと思います。例えば私が取材する立場だったとすれば、そんな面倒くさいことは嫌です。

 小原 僕が問題にするのは会場の問題だけなんですよ。数を把握できないで、例えばここに20~30人がきた場合、どうしようもないですよね。

 原 来ないのではないですか。

 小原 経験的に「この程度の数で大丈夫」となったら、事前申し込みなしに来てもらったらいいのですけど。

 原 可能性としたら、病院関係者はもちろんですが、それ以外の人もあり得るでしょ。

 内田 範囲はどうしましょう。

 原 範囲を限定できるかと言えば、例えば患者会の方も現実に委員にもなっておられるわけだし…。

 北村 守秘義務の問題がどうしてもあると思います。で、倫理委員会の規定の中に「倫理委員は守秘を守る」という項目を付け加えていますから、患者会の広瀬さんも当然それを守っていただいています。ただ、完全にそれを公開してしまうのなら、「公開の参加者も守秘義務を守ってください」という規定を作る必要がありますが、公開を考えないといけないのは確かだと思います。

 原 「守ってください」と言うだけで、別段、「署名して」ということまでは要らないように思いますけどね。必要であれば「誰が来ましたか」というのは分かるようにしておく。

 清水 例えば全く面識がない方がインターネットで見られて来られても受け入れるということなんですか。

 原 受け入れるべきかどうかは判断の問題なんですけれども。

 原 以前に私が大学と特定機能病院の倫理委員会だけで調べたのでは、その段階で完全公開しているのは2つだけありましたが、名古屋大学と大阪の成人病センターで、細かい手順はあるかも知れませんが、報道機関に限定するみたいなのはありませんでした。事前申し込みにすると面倒くさいし、特に内部のスタッフの方にとっては逆にハードルが高くなるのではないかな。

 吉中 病院としては、第一段階としては病院職員とのギャップをなくしたいので、まず職員の参加を促したいというのはあります。ガイドラインを示しても、職員はこの議論に入っていないので全然分からないわけです。

 原 個人的な印象では、民事の事後的な効果でしかないとは思いますが、傍聴する人のルールみたいに「守ってもらうルールに同意する方はおいでください」「誰が来たかの明示はしてもらいます」だけで良いと思います。

 内田 議論の内容も全部オープンですよね。

 小原 ただ、公開する目的によってルールは変わってくると思いますから、まず目的から明確にしていただいた方が良いと思いますね。例えば「病院内の職員の人たちは存在は知っているけど実態は分かっていない。まず病院内の理解を深めていこう」ということを第一の目的にして、まず病院内の活性化をきちんと図るということであれば、内輪ですらちゃんとできていないのですから、いきなり外へオープンにする必要はなく、関係者だけに限定しても構わないと思います。ただ、社会的にオープンにするというのであれば別の話になってきます。

 北村 では、そういうのを整理させていただいて、ルールもこちらで検討させていただき、次回に提案させていただくということで。

 原 まぁしかし、京都民医連の倫理委員会がそんなにちんたらしていて…、

 小原 そのへんの議論は今度にしましょう。志は高く持って…。では、次の「治験審査委員会報告」はもういいですか。

 吉中 ここに資料があります。大きな問題はなく進んでいます。今度の4月から「議事録の公開」が省令で新たに追加されましたので、議事録の公開の準備もしているというところです。

 小原 これで予定した議題は全て終了しましたので、次回日程の調整をよろしくお願いします。

 内田 2ヵ月後の第1木曜日は6月4日ということになりますが、それでよいですか。

 小原 はい、結構です。次回は6月4日木曜日でご予定ください。では、長時間になりましたが、第31回倫理委員会をこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。

 


(入力者注)
※ 文章は全体を通して、話し言葉を書き言葉に改めたり、意味の通じにくい言葉を言い換えたり、同じ発言の繰り返しを省くなどの推敲を行い、かなり要約した形になっていますが、発言者の意図を正確に伝えることを最優先にしています。また、患者名を特定される可能性のある情報など、秘密保持義務に触れる怖れのある発言は曖昧な表現に変えたり、伏せ字にしています。

 

 

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