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第二回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2003年11月20日(木) 18時~21時
出席者 (外部委員)
小原克博委員長、原昌平副委員長、勝村久司委員、立岩真也委員、広瀬東栄子委員、村井豊明委員
(病院委員)
北村隆人副委員長(精神科医)、吉中丈志委員(院長、内科医)、東正一郎委員(副委員長、整形外科医)、高木幸夫委員(臨床研修部長、内科医)、田中久子委員(看護師)、岸本啓介委員(事務長)
(職員オブザーバー)
山中リスクマネージャー、佐々木医師、高橋医師、市田師長、寺前師長
(事務局)
丸山、村上

議事

小原:村井委員がまだおいでではないですけれども、先に始めることにいたします。まずはお手元にある議事次第に従って進めていきたいと思います。最初は事務局からの確認事項等です。私は委員長になりましたので進行させていただきますけれども、基本的に交通整理を中心にいたします。必要であれば意見も言うとは思うのですが、なるべく円滑に議事が進むようにしていきたいと思いますのでご協力をお願いいたします。では、議事の順番に従ってすすめます。1、2、3番ぐらいまでは事務局から報告および確認ですのでよろしくお願いいたします。

 

<議題1:議事録の扱いについて>
<議題2:倫理委員会規程の改定について>
<議題3・ホームページ掲載用の委員紹介の案文について>

岸本:1つ目は、前回の議事録についてです。議事要旨というのを作らせていただきました。この趣旨はホームページに掲載する関係で、なるべく議事内容がコンパクトにわかって、関心があるところを読んでいただくために整理した内容です。議事要旨と、事前に送りました議事録という形でまとめていきたいというのが1点目です。

それから2つ目の倫理会規程ですけれど、前回色々な意見をいただきまして事務局で整理しました。主な修正個所には下線をいれました。非常に議論になった第8条の委員会への申請の仕方について、そして審議結果の勧告と答申という区別をどうするかという議決のあり方について、など8条を中心に修正しています。あとは文言上の整理をしております。これについても事前に持ち回りということでしたが、今日になってしまったので見ていただきたいと思います。

3つ目は依頼事項ですが、今日お配りした資料の中に「ホームページ掲載用の委員ご紹介文章案」というのが入っています。これはホームページに掲載する際の先生方の紹介を案で作成しましたので、来週の水曜日ぐらいまでに見ていただいて、修正やご希望を追加していただけば直させていただきますのでお願いいたします。以上が事務局からのご報告になります。

小原:事務局の方から報告がありました。特に内容を確認していただきたいのは倫理委員会規程のところですね。特に8条ですけれど、ずいぶん前回に時間をかけて討議いたしました。特に勧告と答申のニュアンスの違いであるとか、過半数の同意の場合には答申ということ、また過半数がいいのか3分の2以上がいいのかと色々と論議されましたけれども、一応このような形でよろしいでしょうか。特にご意見がなければまとめさせてもらいますけれども、まだご意見があれば当然ここでもう一揉みすることが出来ます。もう決まりだから呑んでくれということではございませんので、あればご意見お待ちしております。いかがでしょう、よろしいですか。ただこれが確定して絶対的に変わらないというものではありませんので、運用していく段階でまた問題が出ればその都度見直していくということで考えていただければ結構かと思います。それでは、特にご異議がなければ今日の段階ではご承認していただいたこととして受け止めさせていただきます。よろしいでしょうか。ありがとうございました。

それからホームページ用の委員の紹介を確認するということですが、ホームページにはどのような形で掲載されるのですか。

北村:まだ案の段階ですが、ホームページのところに倫理委員会へのリンクがありまして、そこを押すと倫理委員会のページが出てくる。倫理委員会の患者さん向けのご紹介の文章があって、その下に委員の御紹介、その下に第1回倫理委員会の議事録・議事要旨というボタンがあって、そこを押すとそれぞれのところに飛ぶというような仕組みにはしようとは思っていますけれども。

小原:というとことは、毎回この委員会の要旨と詳細の議事録と両方とが見られるということですね。

北村:そういうことですね。常に議事要旨の中でも、例えば前回の委員会であれば4つぐらいの議題がありましたが、議事要旨の議題の表題が議事録の該当部分にリンクされていて、議事録の全体を理解しやすいようにする予定です。

小原:わかりました。今のところそのように考えられているということですが、これについても何かご意見があれば出していただけるでしょうか。時間をかけて委員会をやっても、多くの方に見ていただかなければ意味がありませんし、またそういう発信力のある内容と構成にする必要がありますので。まだ1回、そして今日が2回目ですから、蓄積はありませんけど、事例研究といいますか、事例を検討することをずっと蓄積していくとそれなりに社会に対しても見せるべき内容のものになっていくと思うんですね。それにふさわしいような議事録の作り方であるとか、審議の仕方をしていきたいと思いますので、お知恵があればぜひ出していただきたいと思います。アップする予定というのはいつごろでしょうか。

北村:12月1日までには出していたいので、今日の委員会が終わり次第ホームページ制作会社と連携をとって、早々に載せることにしたいと思っております。

小原:わかりました。12月になれば見られるということですので。

岸本:見られるように努力します。(笑)

小原:以上、議題1、2、3まで一括して報告していただきましたけれどもよろしいでしょうか。それでは議題4に入る前に全員がここでお座りになりました。前回村井委員がご欠席でしたので、顔とお名前を一致させるために、ごく簡単に自己紹介をしていただいて、次の審議に入っていきたいと思います。では端からお願いいたします。

山中:中央病院のリスクマネージャーの山中です。

広瀬:友の会の広瀬といいます。よろしくお願いします。

高木:臨床研修部で研修医と一緒に研修をやっています高木と申します。

勝村:勝村といいます。よろしくお願いします。

北村:中央病院の精神神経科医師で、今回副委員長を務めさせていただいております北村と申します。よろしくお願いします。

小原:同志社大学に勤めております。この倫理委員会の委員長を務めさせていただきます小原です。よろしくお願いいたします。

原:読売新聞の原です。よろしくお願いします。

立岩:立命館で働いております立岩と申します。よろしくお願いします。

吉中:中央病院院長の吉中です。よろしくお願いします。

東:中央病院副院長の東でございます。整形外科を担当しております。よろしくお願いいたします。

岸本:中央病院事務長の岸本です。委員会の事務局を担当しております。

村井:弁護士の村井です。前回は別の会議と重なって、今日も本当は別の会議が重なっていますが、今回はこっちを優先しました。(笑)

田中:中央病院南3階病棟の婦長をしております田中です。内科と小児科の病棟です。よろしくお願いします。

小原:ありがとうございました。それでは議事の4番目に入っていきます。その前に本日の議事の進め方についてご提案させていただきます。すでに皆さんの手元にあらかじめ送りましたように検討していただきたい事例が2つあります。今日はこの事例を扱うことにしてよろしいでしょうかということがまず一点。この事例がいずれも比較的重要な問題を含んでいますので、前回の継続審議と決まった議題であるインフォームド・コンセント指針についても今日扱うということは時間が足りないと思われます。インフォームド・コンセントというのは、大事な要件であるということを確認した上で次回に継続したいと考えています。もちろん、今日の議論の中でインフォームド・コンセントのことが別の形で取り上げられることは当然ありえるかと思うのですけれども、それだけを単独で扱うのは次回に回して、今日は事例を中心に進めたいと思うのですがいかかでしょうか。

それでは皆様了解していただいたようですので事例検討に移りたいと思います。これは実際に関わった主治医と看護師の方からこの事例の内容についての説明をお願いいたします。

 

<議題4:事例検討-気管内挿管を行わなかったことの是非について>

佐々木(Aさんの担当医、京都民医連中央病院研修医):中央病院の佐々木です。テーマは「気管内挿管後の予後」ということで、この症例で気管内挿管を行わなかったことの是非についてご検討をお願いします。

事例:Aさん
70代後半の男性。日常生活での行動はかろうじて歩行が可能な程度であった。呼吸困難と食欲不振が出現し、次第に増強したために当院内科に受診された。X年Y月Z日施行の胸部X線で右肺野全体に胸水を認め、さらに縦隔が左偏位を来たしていて心停止の恐れもあったために同日緊急入院となった。諸検査より結核性胸膜炎が疑われたためZ+1日より抗結核薬の投与を開始した。胸水の排出を行うことで呼吸苦は改善し、一旦は病状は軽快した。しかし入院後から軽度の意識障害が持続していた。そんな中Z+25日に肺炎が併発した。抗生剤の投与にて一旦呼吸状態は回復したが、Z+32日からは両側性の肺炎となり呼吸状態は悪化した。この時点でご本人に明確な意思が確認できなかったため御家族と面談を行い、今後の蘇生について意見を確認したところ「気管内挿管はしてほしくない」という希望がだされ、その希望を尊重した対応をとることを確認した。その後も治療に努めたがZ+35日に呼吸不全にて死亡された。
(本事例は当院での経験に基づいたものですが、プライバシー保護の観点から事実関係などに大幅な変更を加えております。また以下の議論についても同様の配慮を行っておりますことをご了解ください)

佐々木:ここでご検討いただきたいのは、呼吸不全に対して気管内挿管をしなかったことは正しかったのか、という問題です。入院時は普通にコミュニケーションがとれる状態でしたが、意識レベルや病状が早く悪化していったので、ご本人には緊急事態になった時にどうするのかという心肺蘇生に関する意思を十分に確認できませんでした。この場合、心肺蘇生をしなかったのは正しかったのでしょうか。Aさんの生に対する願望、家族からみた今までのAさん本人の生き様から考えられる生き方、尊厳というものに対して医学的治療による回復の見込みをどれほど反映させていくのか、そこをご検討いただきたいと思います。

ここで臨床倫理の四分割法を用いて、医学的な呼吸管理と気管内挿管の適用、患者さんの意向、家族の意向、気管内挿管後のQOLという4つに分けてこの方をとりまく問題を整理してみました。  まず1つ目で、肺炎による呼吸不全に対する呼吸循環管理のプランということで4つの選択肢をあげています。選択肢の1つ目が気管内挿管と心臓の蘇生を行うということです。この場合、急性感染症なので肺炎さえ落ち着けば肺炎自体は治ると思われますが、患者さんは人工呼吸管理から抜けられない可能性があります。選択肢の2つ目は気管内挿管は行うが、心臓の蘇生は行なわないというものです。選択肢の3つ目が呼吸管理は行うが気管内挿管ではなくて酸素マスクだけ用いるというものです。これは肺炎に対してそれほど効果は期待できません。なぜかと言いますと、肺炎の場合には痰が出てくるので、痰を肺の方に押しすすめて呼吸状態をかえって悪くすることがあるからです。最後の4つ目は救急蘇生を何もしない場合です。

2つ目は患者さんの気管内挿管に対する意思・意向についてです。心肺蘇生に対しては全く聞いていないので、病前・病後の言動からの予測になりますが、入院後に「もうこんなんだったら殺してくれ」などの言動があったことや、人の世話になりたがらない元来の性格からは、Aさんは自立した生活がご希望であり、寝たきりとなるのは嫌だったろうと思います。

3つ目は、家族の意思・意向です。Aさんはもともと活発的な方で動き回るのが好きだったので、「寝たきりでしかも呼吸器などに囲まれて生きていくのは絶対に望んでいないはずだ」とご家族はおっしゃっていました。ですから意思疎通の出来る治療だけにとどめ、それができない気管内挿管を希望はされませんでした。

4つ目ですが、もし気管内挿管をしたら患者さんのQOLはどうなるかということですけれども、一般的に一度気管内挿管をしてしまうと、呼吸器に繋いだままとなり、自力で呼吸が出来るようにならない限りその機械をはずせなくなります。また気管内挿管をすると長期に入れることが出来ず、自分で呼吸がない限り2週間ぐらいで喉元に穴を開ける気管切開の適用となってしまいます。気管内挿管中はしゃべることが出来ません。食事も不可能です。気管切開をすると在宅でも管理可能なのですが、ほとんどのケースを見ていると病院で寝たまま過ごすことが多くなります。この患者さんの場合は、疾患は肺炎ですが、高齢でもあり意識障害もあるので人工呼吸管理をすると自発呼吸が実現する可能性が低いと判断しました。つまり、人工呼吸管理から抜け出せない可能性が高いと考えました。

以上のように一般的な気管内挿管の適用と患者さんの意思・意向、家族の意思・意向、気管内挿管した後のQOL。その点に絞って課題を挙げさせてもらって、この気管内挿管をしなかったことは正しかったことなのかどうかということをお伺いしたいと思います。

佐々木:ここでご検討いただきたいのは、呼吸不全に対して気管内挿管をしなかったことは正しかったのか、という問題です。入院時は普通にコミュニケーションがとれる状態でしたが、意識レベルや病状が早く悪化していったので、ご本人には緊急事態になった時にどうするのかという心肺蘇生に関する意思を十分に確認できませんでした。この場合、心肺蘇生をしなかったのは正しかったのでしょうか。Aさんの生に対する願望、家族からみた今までのAさん本人の生き様から考えられる生き方、尊厳というものに対して医学的治療による回復の見込みをどれほど反映させていくのか、そこをご検討いただきたいと思います。

ここで臨床倫理の四分割法を用いて、医学的な呼吸管理と気管内挿管の適用、患者さんの意向、家族の意向、気管内挿管後のQOLという4つに分けてこの方をとりまく問題を整理してみました。

まず1つ目で、肺炎による呼吸不全に対する呼吸循環管理のプランということで4つの選択肢をあげています。選択肢の1つ目が気管内挿管と心臓の蘇生を行うということです。この場合、急性感染症なので肺炎さえ落ち着けば肺炎自体は治ると思われますが、患者さんは人工呼吸管理から抜けられない可能性があります。選択肢の2つ目は気管内挿管は行うが、心臓の蘇生は行なわないというものです。選択肢の3つ目が呼吸管理は行うが気管内挿管ではなくて酸素マスクだけ用いるというものです。これは肺炎に対してそれほど効果は期待できません。なぜかと言いますと、肺炎の場合には痰が出てくるので、痰を肺の方に押しすすめて呼吸状態をかえって悪くすることがあるからです。最後の4つ目は救急蘇生を何もしない場合です。

2つ目は患者さんの気管内挿管に対する意思・意向についてです。心肺蘇生に対しては全く聞いていないので、病前・病後の言動からの予測になりますが、入院後に「もうこんなんだったら殺してくれ」などの言動があったことや、人の世話になりたがらない元来の性格からは、Aさんは自立した生活がご希望であり、寝たきりとなるのは嫌だったろうと思います。

3つ目は、家族の意思・意向です。Aさんはもともと活発的な方で動き回るのが好きだったので、「寝たきりでしかも呼吸器などに囲まれて生きていくのは絶対に望んでいないはずだ」とご家族はおっしゃっていました。ですから意思疎通の出来る治療だけにとどめ、それができない気管内挿管を希望はされませんでした。

4つ目ですが、もし気管内挿管をしたら患者さんのQOLはどうなるかということですけれども、一般的に一度気管内挿管をしてしまうと、呼吸器に繋いだままとなり、自力で呼吸が出来るようにならない限りその機械をはずせなくなります。また気管内挿管をすると長期に入れることが出来ず、自分で呼吸がない限り2週間ぐらいで喉元に穴を開ける気管切開の適用となってしまいます。気管内挿管中はしゃべることが出来ません。食事も不可能です。気管切開をすると在宅でも管理可能なのですが、ほとんどのケースを見ていると病院で寝たまま過ごすことが多くなります。この患者さんの場合は、疾患は肺炎ですが、高齢でもあり意識障害もあるので人工呼吸管理をすると自発呼吸が実現する可能性が低いと判断しました。つまり、人工呼吸管理から抜け出せない可能性が高いと考えました。

以上のように一般的な気管内挿管の適用と患者さんの意思・意向、家族の意思・意向、気管内挿管した後のQOL。その点に絞って課題を挙げさせてもらって、この気管内挿管をしなかったことは正しかったことなのかどうかということをお伺いしたいと思います。

小原:はい、ありがとうございました。非常によく整理された報告であったと思います。続けて看護からのご報告お願いします。

寺前:病棟看護師長の寺前です。Aさんの病棟での様子をご説明します。

Y月Z日に胸水が大量貯留していたため特別治療棟に緊急入院されています。Z+1日頃から夜間せん妄が始まり、その時からナースコールが5分おきに鳴るようになりました。Z+5日まで頻回のナースコール(以下「頻コール」)が続いていたこともあり個室に収容しています。日当たりのよい部屋であったので、昼夜逆転していた生活リズムも少し改善したようでした。しかし頻コールは続いていまして、「寂しい」「もう少しいてくれ」などといった発言がずっと続いていました。ただ以前からAさんと知り合いだったナース、介護保険申請の時に担当したケアマネージャーなどの情報を通じてAさんの人柄を理解し、その上でナースたちは頻コールをしっかり受け止めようと意思を確認しました。Z+25日には肺炎の診断で抗生剤投与が開始されましたが、Z+30日に炎症反応が急激に上がって意識レベルが低下しました。その際に意識障害の原因追及と髄膜炎を否定するために、ルンバールを施行することになっていました。この検査については本人さんは「どうにでもしてくれ」と投げやりな反応で、ナースからも検査を施行することはAさんの生き方とは相反するものを感じるという意見があったので、カンファレンスを実施し、その結果やっぱりルンバールを施行することになりました。もちろん検査に当たってはしっかり家族の了解を得ました。Z+32日にはさらに状態が悪化し、ご家族へ病状説明を行い、相談の上で挿管しないことを確認されています。ただこの病状説明の時に看護師も陪席して、家族の反応を医師と一緒に確認すべきだったのではないかと今では思っていますが、週末のために師長や役責者も不在だったので、そこまでの配慮は出来ませんでした。医師からはナースには今後の治療方針として、簡易の人工呼吸器であるバイパップを検討することが伝えられました。そしてZ+35日に死亡されました。

小原:はい、ありがとうございました。それでは以上のご報告を受けて少し議論をしていきたいと思います。まず核心にいきなり迫ることはできませんので説明上で更に聞きたいことがあればご質問していただければと思うのですけれども。ご自由にご発言下さい。

村井:Z+30日に「意識レベルの低下」というは具体的にどの程度かがちょっとわからないのですけど、応答は出来る状態に思えるのですが。インフォームド・コンセントでもそうなのですけれども、対象はやはり患者本人ですから、患者本人に出来ない時に初めて家族にということになるのですけどね。

佐々木:意識レベルについてはジャパン・コーマ・スケールで評価しています。この時は傾眠状態で呼びかけると目を覚ますけれども、いつも寝ている状態であり、ぼんやりしておられる状態でした。目を開けてもらった時の反応は、ちゃんと手を握って下さいと言ったらちゃんと握ってくれるし、そういう意思疎通というか、コミュニケーションは可能な状態でした。ですからZ+30日にぼんやりしているから原因を調べるために背中から針を刺して調べさせてくれませんかという説明はしました。それに対してどうにでもしてくれというようなお答えが返ってきました。

村井:髄液検査であるという意味は理解されているのですか?

佐々木:どこまで理解していたかどうかはわからないのですけれども、頭の中で生じている感染について調べる検査ですとAさんには説明しました。

村井:その後に状態は更に悪化したのですけれども、気管内挿管をするという話自体はご本人にはしていないですね。このZ+30日のルンバールの時点で気管内挿管は念頭には置いていなかったのですね。

佐々木:はい。

村井:気管内挿管を考えたのいつなのですか。

佐々木:両側の肺炎が出てきた時ですね。

村井:この時点で何かテストされたのですか? 意識レベルの。

佐々木:はい、毎日やっていました。

村井:Z+32日はどういうような状態でしたか?

佐々木:Z+30日は軽く呼びかけに答えましたけれども、Z+32日では肩をたたいて目を覚めるという程度で、ちょっとレベルが落ちたという感じでした。

村井:目を覚ました時に例えば自分の住所を言うとか、生年月日を言うとかそういうレベルにもなかったのですか?

佐々木:そこまでは聞いていないのですが、全く右も左もわからないという状態ではありませんでした。

小原:はい。他の方どうでしょうか?

原:違う質問ですけれども、肺炎そのものは原因菌とか効き具合はどうだったのですか? 

佐々木:最初に起きた肺炎では、肺炎の起因菌を痰から調べようとしましたが痰がほとんど出ませんでした。チューブでとりましたが良好な痰が出ず、培養検査では有効な結果が返ってきませんでした。起因菌は不明でしたが抗生剤を投与したところ効いてきて炎症反応と熱も下がってきました。2回目の時は同じ抗生剤を最初に投与したのですが、反応を見て抗生剤をもうちょっと強い薬剤に変えたという経過です。おそらく誤嚥性なので、同じ菌ではないかと思ったのですけれども。

原:治る肺炎なのかどうか。これがいわゆる終末医療であるのかないのか、もう一つはっきりしない感じがするんですよ。気管内挿管したら抜けないかもしれないけれども、肺炎は治る可能性はある、というようなことが書いてありましたけれども、それはどうですか。

佐々木:入院してきた時は肺炎ひとつで命取りになりそうな状態の悪い患者さんではなく、この肺炎さえ治せばまた退院が出来るであろうというような状態だったので、1回目の肺炎を起こした時点では全く終末期というようには捉えていませんでした。Z+32日の時点で危ないかもと確認しました。

吉中:いま原さんが聞かれたことにちょっと関係すると思うんですけれども、Z+32日に気管内挿管はしないということを決めたということで、結果的にバイパップで、バイパップというのは誘発呼吸のことですね、その次の段階の積極的な対応をするという判断をしているわけですよね。

佐々木:そうですね。

吉中:そこらへんがどういった意味があったのかなという。

佐々木:これは僕が考えただけというか、実際には実行には移していないです。

吉中:検討するということですか?

佐々木:はい、考えて見ようと。

勝村:要するにZ+32日に状態が急変しているということなのですね。ではZ+30日の時にですね、ちょっとAさんの生き方と相反するものと感じると看護師の方がおっしゃっていたけれども、具体的には何がどう相反するという意味なのですかね。

寺前:この方は以前から「家に帰りたい」、「家に帰ってゆっくりお酒を飲みたい」ということをおっしゃっていたんです。この検査をされる時におっしゃった「もうどうにでもしてくれ」という言葉がOKなのか、NOなのか、どっちかといったらNOなんだろうと感じたんです。NOと言っているのなら、あえてこの時ルンバールをしないといけないのか、そう疑問を感じたんです。

吉中:要するに状況が悪化している上に、Aさんの発言もあったので、あまり原因を詮索することの意義が確信できない、というナースサイドの判断があったということでしょうか。

寺前:そうですね。

佐々木:主治医としては可能性は低いけれどもどうしても髄膜炎は除外しておかねばと思ったんです。熱はそれほど高熱ではなかったし、首の方は神経の先生にも診てもらったんですが項部硬直はないということでしたから、髄膜炎の可能性は高くはないと思いました。しかし万が一細菌性の髄膜炎があったら命取りですし、もしそうであれば抗生剤の効果が期待できるのでルンバールを実施しました。

村井:この12日の肺炎の前後、Z+32日の両側肺炎でも結局最終的に起因菌がわからなかったわけですか。培養とかはしていないですか?

佐々木:培養はしています。色々な菌が出ました。口の中に常在菌が結構いましてその菌が出てしまいました。

勝村:さっきの原さんの話のところなのですけれど、Z+32日以降の段階で意識障害がどの程度なのかという問題もあると思うんですよ。肺炎が治ることによって、また自発呼吸出てきて抜管できたあとに意識障害がいくぶんか回復する可能性というのはあるんでしょうか。

佐々木:気管内挿管の管が抜けた後での意識障害の程度という意味でしょうか。意識障害があると呼吸に影響を与えるので、抜管したあとに意識障害が続くかどうかということよりも、意識障害があるから抜管しにくいのではないかと考えました。

小原:いま色々なご意見を伺って、2つの問いがどうしても錯綜するんですね。一つは医学的な推測の問題ですよね。どの時点でどうなるかという判断は非常に難しいということ、これは何をするにしても推測の域を出ませんのでそこのあいまいさが大抵残ると思うんですね。もう一つは手続き上の問題、手続きは要するにインフォームド・コンセントがどの段階できちんと成立しているかどうかという。このことは医学的な予測とは独立して判断出来ることだとは思うんですね。ですから、この二つはある程度切り分けて考える必要があると感じました。特にZ+32日に状態が悪化しているわけですが、例えば気管内挿管のことについて、Z+30日にご本人に意思確認ということは実際出来なかったわけですね。結局インフォームド・コンセントが本来どこでされるべきであったかというのが一つの問いになっていると思います。この一番大きな問いで気管内挿管をしなかったことが正しかったかという問いは、これはご本人にとっての問いにはなっていないし、ご家族にとっても特に問いにはなっていないわけですよね。その正しさを巡って悩んでいるわけではないんですよね。これはあくまでもそれに携わった医師・看護師たちの問いなわけですね。ですから、このことをやはり解決していくためには一つは手続き、インフォームド・コンセントがそこで成り立つべきだったのかという一つの焦点だったのではないかと思うのですけれども、いかがでしょうか。ちょっと他にも色々議論を加えていったらいいと思います。

田中:患者さんに「挿管していいですか」と聞くのは、なんかそこで「命が限られている」ということを伝えているような印象をどうしても看護師は持ってしまうんですね。それでも確認しないと本当はいけないということもわかってはいるのですけれど、それを言うことで、あなたは状態が悪いから命が危ないのですよというように告知をしてしまっているような印象を持っていて、そこのところがちょっとどうなのかな。実際には難しいとは思うのですけれども。

小原:告知全般に言えることは思うのですけれどもね。それは言いにくいことだと思いますね。

田中:どこのタイミングで言えたのかなというのが、すごく難しいというか。状態が悪化してから言ったとしても返答がはっきりもらえたのか。本当に自分の考えで言っているのか、そういう判断が非常に難しい。だけど、Z+30日の時点で言っていたとしたら、僕はもうあかんのか、みたいな捉え方になってしまうのかもしれない、と感じて聞いていました。

勝村:ちょっと議論なのですけれど、さきほど原さんもおっしゃったのですが、委員長がまとめていただいたこととは違う観点ですが、その一般に言われている終末期医療という段階に入ってしまって、どこまで延命治療をするのか、ある程度自然治療を尊重するとかという議論も一つあると思うのですれど、それはそれでいい。その前にこれは終末期治療だという判断、これはもう終末期医療に入ったと判断した後で、初めて本人は生前どんな意思であっただとか、家族にもこれは終末医療だけれどどうしますかというのが出てくるのであって、そういう検討に入ろうという判断がどの段階でされるべきなのかというところを整理すべきではないかと。

小原:そうですね。どうですかね。通常の医療から終末期に入ったというような判断はどうされるのですか?

東:私は見ているわけではないので推測ですが、この方の場合、終末期に入ったという判断はしてないんじゃないでしょうか。急性期のタイプの病気なんですね。入院された時は比較的元気だったとそれがバババッと悪くなったと。で、命が危ないかもしれない状況に陥っている。確かにそのまま行けば終末を迎えるわけだけれども、僕が今気になったのは終末ではなくて気管内挿管をしたら助かるかもしれない、しかし助かっても挿管は抜けないかもしれない。抜けなかったらもう話も出来ないし、非常に辛い状況になるというように主治医がそういうストーリーを描いたんじゃないか。そういうことが非常にかわいそうだと、だからそういう状況にならないためにはその発端たる気管内挿管をしない方がいいのだということを主治医が考えたわけですよね。そういうストーリーをもってお家の方にもおそらくそういう話をされただろう。そしてお家の方もそんなにかわいそうだったら止めようというように。それは僕らの中もありますよ。こういう患者さんを診ているとこうなってああなってというと考えて、ああなってしまうのはかわいそうだから、ああなるぐらいなら初めから何もしない方がいいだろう、というのがね。それは非常に難しい問題で主治医の考え方が色濃く反映される。そして将来を見越して、推測して現時点で一番かわいそうじゃない方法はこうだという判断をする。だから、これは主治医によって全然違う判断をした可能性があると思うんですね。これはもう絶対に助けるべきだと考えてバンバン治療するという判断する医師もきっといると思うのです。治療にはその医師の考え方なり、考え方が治療に反映されるわけですが、この事例もそうだと思います。

小原:ただ、今回の場合はその医師の判断とともにご家族とも相談をされて、気管内挿管をしない点で合意があったということですね。

佐々木:私としてはどちらかと言えば挿管した方がいいのではないかという意見を言ったのですけれども、その時に挿管した場合、挿管しない場合に予測される状態については説明しました。

小原:そうすると担当医としては気管内挿管をして回復に向けた治療をした方がいいと判断をされたけれども、ただご家族はそういうことは好ましくないと考えられたわけですね。

佐々木:なぜZ+32日にご家族と面談をしたかというと、家族の了解と本人の了解がない時は気管内挿管をすることになるので、そうした後で患者さんの家族が御不満に感じられないようにしようと思って、前もって説明をしてご家族の意向を聞いておこうとしたんです。すると御家族から「そういう気管内挿管はやめてくれ」といわれたので、「はいわかりました」と答えたわけです。

原:その段階で家族への話としては「気管内挿管をしないと、まもなく亡くなられる可能性は結構高いですよ」という説明はされているということですね。

佐々木:亡くなる可能性は結構高いと。パーセンテージまでは言ってないですけども。前回も同じ抗生剤を打っているので今回もまた治る可能性もありますが、もしもこういう状態になったら気管内挿管をしないと亡くなります、という話はしました。

原:その段階での判断としては気管内挿管をしないとどの程度ヤバイと思っておられたのですか?

佐々木:僕とすれば今回のケースでは30%ぐらいかと。経験がないので何とも言えないのですけれど、指導医である高木先生に相談をしておりました。

吉中:気管内挿管をするしないの基準がありますよね。気管内挿管をして人工呼吸をするという。そこはどの時点で判断可能だったのですか?Z+30日の時点でそういう状態になっていたんでしょうか。

佐々木:その時点では挿管する必要はまだないという状態ですね。

吉中:呼吸状態としては挿管するまでには至っていない状況で、でもやがて必要であるかもしれないという見込みがあったということですね。

佐々木:挿管になるかもしれないし、なった場合にはどうしようかということで早めに相談しました。

勝村:要するにZ+32日に状態が急変しているということなのですね。ではZ+30日の時にですね、ちょっとAさんの生き方と相反するものと感じると看護師の方がおっしゃっていたけれども、具体的には何がどう相反するという意味なのですかね。

寺前:この方は以前から「家に帰りたい」、「家に帰ってゆっくりお酒を飲みたい」ということをおっしゃっていたんです。この検査をされる時におっしゃった「もうどうにでもしてくれ」という言葉がOKなのか、NOなのか、どっちかといったらNOなんだろうと感じたんです。NOと言っているのなら、あえてこの時ルンバールをしないといけないのか、そう疑問を感じたんです。

吉中:要するに状況が悪化している上に、Aさんの発言もあったので、あまり原因を詮索することの意義が確信できない、というナースサイドの判断があったということでしょうか。

寺前:そうですね。

佐々木:主治医としては可能性は低いけれどもどうしても髄膜炎は除外しておかねばと思ったんです。熱はそれほど高熱ではなかったし、首の方は神経の先生にも診てもらったんですが項部硬直はないということでしたから、髄膜炎の可能性は高くはないと思いました。しかし万が一細菌性の髄膜炎があったら命取りですし、もしそうであれば抗生剤の効果が期待できるのでルンバールを実施しました。

村井:この12日の肺炎の前後、Z+32日の両側肺炎でも結局最終的に起因菌がわからなかったわけですか。培養とかはしていないですか?

佐々木:培養はしています。色々な菌が出ました。口の中に常在菌が結構いましてその菌が出てしまいました。

原:すみません。予後と言っていいのかどうかわかりませんが、その見通しについては他のドクターの意見というのはどうだったのですか? 結局Z+32日の段階で分岐点になっているのですけれども。担当医が研修医の方ということですから、その判断でいいのか気になりますが。

北村:高木委員が指導医なので高木先生からもコメントいただきたいのですけれども。

高木:経過の中でだんだんと体力も低下して動ける範囲が狭くなり、食事もできないという状況になって弱ってきていると経過の中で感じていました。途中で肺炎を起こして、両側とも肺炎を起こして具合が悪くなった段階で、その肺炎が良くなってくればいいのですけれども、肺炎が悪くなってきた場合にどうするかということを相談しておかないといけない、ということで面談をしていると思うんです。実際に亡くなられたのは3日後なので1分1秒を争うというところで面談をしているわけではないんですね。彼も言っていますが30%ぐらいそういうことになるかもしれないというところで面談をしているわけです。ご家族には「もし病状がこれ以上悪くなっていって、自力で身体の酸素を保てないような状況になった時にその機械の助けを借りて呼吸を保つ、維持することが可能であるけれどもどうしましょうか」と話しをして、「そうなったらどうなるのですか」と尋ねられて、「その機械を付けたままで抜けなくなる可能性もありますよ」と説明をして、「そういうことであれば見ていられないので止めて欲しい」とご家族がおっしゃるという形になったんですね。

小原:そこでご家族の判断がかなり大きなウエートを占めているということですね。

高木:それがメインですね。

村井:説明した段階では、Aさん自身は自発呼吸をしていたのですね。それでさきほど言ったように、一応応答は出来ると。どうして本人さんに確認できなかったのかなというのが疑問ですね。家族には色々な人がいますからね。要するに介護が煩わしいから早く亡くなって欲しいという気持ちの家族も結構いますからね。その意見を採用してしまうと、結果的にまずいことも起こるわけです。だからまず本人の意識レベルがあって、ある程度応答出来るのであれば理解出来る範囲で一応問いただしてみるといいますかね、説明してみる。そしてその答えを聞くということはやっぱり僕はやっていただいた方がいいのではないかと思うんですね。意識レベルにもちろんよるのですけどね。逆に、緊急医療のように意識レベルが突然悪くなったと、交通事故と同じような状態で急に悪くなった場合は有無を言わずにやらないといけないでしょ。本人の意思に関わらず救命医療は。だから本人の意識がまだそこまで交通事故的に極端に悪くならないである程度は徐々には悪くなっていくことはあるし、意識レベルもある程度応答が可能であれば、その時点でドクターとして将来的に気管内挿管も考えるということであれば、やっぱり少し本人に説明する機会があった方がよかったのではないかという気がしますね。そしたら、家族も家族だけの意見で押し切られることはなくて、例えば本人はこう言っていましたよといえば、家族も本人の意見を尊重して下さいということになるかもわからないですよ。

小原:それはZ+32日には非常に状況が悪化しているわけですよね。

村井:いや確かに自発呼吸しているし、意思応答は出来るとおっしゃって。

小原:ただ意識レベルはかなり下がっていますので、それを考えるのは非常に困難な状況ですよね。

村井:そこはわからない。

原:試みてみないとそれはわからない。

小原:ということは例えばね。より安定した状態で確認を行なうとすればZ+30日の段階で確認をするということでしょうか。

村井:元々呼吸困難の状態で来られていますから、将来的にはその人工的な呼吸を強制するような措置が必要かどうかということも視野に入れていれば、Z+30日の段階でも可能であったかもしれない。そこは肺炎の進行度合いに関係ある。

原:あるいはその入院時にどこまでやって欲しいか、そうでないのかという告知を聞いておくやり方をやっている病院もあるのはあるとは思うのですけどね。私もとりあえずはやっぱり聞いてみる、それで判断力がなしということになってしまったら次に行かないと仕方がないと思いますが。しかし先ほど話しがでた、「状態が悪いことを告知することになる」という話はよくわからないことです。この場合だったら必ずしも気管内挿管が「あなたはすぐに死にます」という意味ではないでしょ。一般の人が気管内挿管といったら死の告知だとは思わないと思いますから。聞き方としては「喉に管を入れたら呼吸は楽に出来るでしょう、でも話も出来なくなりますよ、どっちがいいですか」というぐらいの話だと思うのですけどね。

立岩:具体的なことはぜひ議論を続けて欲しいと思いますが、ちょっと一般論というか3つか4つしゃべらしていただきます。僕が去年から今年にかけて、そのまさに気管内挿管とか切開というのが問題になるような病気で筋萎縮性側索硬化症(以下ALS)という病気の人たちのことを調べていて、ここのところ原稿を書いていて来年は本にしようかと思っています。一つはですねQOLという言葉が出てきますね。QOLという言葉はわかるようでわからない言葉ですね。病気でだんだん死んでいくということは、大抵の場合は状態がだんだん悪くなっていくということですから、悪くなるのだったらその前の時点で何を止めるということになると、多くのことは止めてもいいのだという話になってしまうということがありますよね。そうすると、一体何と何を比べるのかという問題があるわけで、確かに気管挿管したり切開している状態と、してない状態で生きているのを比べれば、それは切開も挿管もしない方が、QOLが高くて良いとほとんどの場合は言えると思うんですね。だけどこの場合は、その状態はむしろ現実には存在しないわけです。そうすると結局何と何を比べるかというと、そうしないまま死んでしまうことと気管切開をして生きていることとどっちがいいのですかという話になるわけですが、この二つを本当に比べられるのかというのはよく考えるとわからないところもあるんです。そう考えてみると「QOLが低下する」とか、「QOLを比較して」という話をすると、そこのところが混乱してしまう。何か違う話になってしまうという気がします。このままの状態で死んでいくのと、色々不自由なところはあるけども生きていくのと、どっちがいいかという比較が本来の比較で、気管切開をしない状態と気管切開をする状態とを比較してもしょうがない。そういうところをQOLという議論はちょっとごまかしてしまうというか、わからなくしてしまうという気がいたします。

それからもう一点。一旦気管内挿管をしてしまう、あるいは気管切開をして、それから人工呼吸器に繋いでしまう、そうすると人工呼吸器が止められなくなる、という話しがあります。呼吸器を止めるということはいわば積極的な安楽死ということになる。だから…。という話は、実は僕がALSのことを調べていると、ものすごく頻繁にある話なのですね。止められないから付けないという話なのですけど、これを聞くと一瞬はわかるのですけど、なんか良く考えてみると不思議な話です。つまり、あとでやると殺すことになるから、言葉を強めて言えばもっと早い段階で死なせてしまうという話とほとんど同じという感じなんですよね。そう考えてみると、この話はそういうように言っていいのだろうかという気がずっとしておりまして。これは色々と考えていると厄介な問題ではあるのですけれども、一旦付けると止められないから付けないという理屈というのははちょっと成り立たないと思って、そういうことを書いて本にしています。今お話した二つにも関係するのですけれども、高齢であるこの方の場合とは違って、僕が知っている何十人かの人というのは人工呼吸器を付けて20年ぐらい生きているわけですね。その間には何事もなかったとは言えませんけれども、でも普通に生きているわけです。そういうことが現実にはある。呼吸器を付けて生きるということに対するイメージというものがどうなのかなという感じがしています。

一方で10年20年そうやって、もちろん大変は大変ですけれども、普通にというか人工呼吸器を付けて生きているということと、呼吸器つけるということはやっぱりすごい大変なことだと思っているのと、まぁどっちがどうなのかなという。呼吸器を付けるということ、あるいは付けないということに対する認識というのは、もうちょっと考える余地があるのではないかなという気がいたします。

それから先ほどもお話があったのですが、どうするのという時に本人に聞いて本人が嫌だという可能性はあると思うんですね。今回聞けなかったことがさきほどから出ている一番大きな問題なのですけれども。その時に「私はいらない」って言ったら、「はい、いらないですね」って本当に言っていいのかというのがまた別の問題にあると思うのですけど。今回はそれをちょっとおいておいたとしても、家族に聞いて家族が付けないと言ったら付けないという話が成り立つのかというと、これはさきほどから何人の方もおっしゃりましたけれども、やっぱりそれは違うだろうというように思います。家族はやっぱり本人ではないのは確かです。生きていく本人ではないわけです。それから実際に呼吸器に繋がって一番大変なのは経済的な部分も含めて家族であったりすると、そういう意味で早く亡くなってしまう方が家族は楽だと。利害関係から言えば、家族が一番利害関係者なわけですね。そうしますと、その立場の人に聞いてその人のYES・NOで物事を決めることがいいかというと、私は基本的にはその立場はとれない。それが私の意見です。この事例に関してそうであったか、そうするべきであったかというは直接的には申し上げませんけれども、私が知っている範囲というか。知っている中で考えてきたことで少し話をさせていただきました。以上です。

小原:理論家らしくキレイにまとめていただきました。(笑)今のテーマですね、まさにちょうど前回の議論になったところですね。つまりインフォームドコンセントの指針の文言を巡ってですね。本人の意見を尊重するけど、家族もまた尊重するということが議論になりました。要するに個人の自己決定権ということに重きを置くのか家族の意志を尊重するのかという問いが前回もありました。前回はですね。やっぱり、個人の自己決定権に重きを置くべきではないかということになったのですけれども、ただ、今日の議論に関して言いますと、次の2つ目の事例もありますのでどういう形で一つの結論といいますか、まとまりをつけるかというのはなかなか難しいと思うんですね。この一つの事例に関してもたくさんの問うべき点が出てきましたので、全てを議論するには多分時間が足りないと思うのですけれども。一番大きな問いはこの気管内挿管が正しかったのかどうかという問いにまず答えないといけないと思います。ただ物事が正しいかどうかというのは立場によって全然違うわけですよね。この場合、ご本人にとっては問う機会がありませんでした。だからご本人には問いが成り立たない。ご家族にとってはこの気管内挿管をしなかったということは正しかった。それに同意されたわけですね。しかし、今、深刻なのは医師にとってこのことは正しかったのかどうかということが深刻な問いとしてあるけです。こういった事例研究をすることの一つの目的というのは、今後同じようなケース、あるいは似たようなケースが起こった場合により的確な判断をしたりとかですね。医師がより少ない心理的なストレスの下に正確な判断をするための環境作りといいますか、ルール作りというのは必要だと思うんですね。ですから、そのためにも、いま議論をしているわけなのですけれども、いま立岩先生が一番最後のところに明確に言って下さいましたように、本来としては非常に難しい問いがあるわけですよ。つまり、気管内挿管をして半ば寝たきりままの生活をあなたは好みますか?それともいっそのこと死んだ方がいいですか?ということですね。いま皆さんがこの問いを突きつけられた場合に判断出来るかどうかということですよね。正常な状態でもこれは非常に深刻な問いであるとするならば、ましてや自分の身体が刻々と弱っていることを感じている患者にとっては、正しく判断するということが非常に困難であると思います。おそらく普通は「どうにでもなれ」というような答えになると思うんですね。ですから今回仮に意識レベルがまだ低下していなかったと思われるZ+30日の段階でこの問いを正確に投げ掛けたとしても、この問い自体が非常にある意味で残酷な問いであるということです。それから、医師の側からみると今回難しいのは、そもそも問い自体が深刻であるということとそれをどのタイミングでするかという判断が問われていると。しかし、議論の中では難しいとしてもしないよりはした方がましではないかというご意見がありました。ですから、一つの方向性として、やはりご本人に対する意思確認というものがしかるべき時点であるべきではなかったかというのが、皆さんの色々な意見を聞いていると共通した考えではないかなと思うんですね。ちょっと今ザクッとしたまとめ方をしてみたのですが、どうでしょう。ご本人に対する意思確認ということの是非を巡って多方面から議論をしてきたのですけれども、その点についてもう少し付け加えることがあればちょっとした議論をしたいのですけれども。

北村:ちょっと個人的な質問になりますけれども、聞いてみたいことがあります。ご本人に対するインフォームについて考えたことなのですが。この事例について言えば主治医の方が、自分の経験に頼ったデータではなく、いわゆるエビデンスベーストなデータで、こういう高齢者の方で肺炎を起こした場合に退院出来るという、あるいは抜管できるような確率が何%ぐらいあるのかというデータがあるのなら、そういうものは握っておいた方がより判断をしやすかったし、家族にもそうしたデータを提示できたのかなと思うので、そういう情報収集をすることが大切だと思いました。ただそういう客観的な情報があったとしても、次にこちらの握っている情報をどのようにインフォームするのか、あるいはどのレベルの情報までインフォームするのかというところが、臨床としてはすごく迷うところで、非常に悩むところだと思うんですね。そこで村井先生にお聞きしたいのですけれども、インフォームする努力をするということについては多分医療従事者の認識は一致していると思うのですが、その時にこちらが握っている情報をパンッと出したら、それでインフォームになるかといったらそうではないですね。何回かのプロセスに分けて段階的に少しずつ話をしながら納得していただくことが必要だと思うのですが、この事例で、例えばいきなり「呼吸器を繋ぐか繋がないのか」ということを尋ねて、本人が「どうでもいい」と言ったということが記録に残って、アリバイ的にインフォームド・コンセントをしたという記録が残ったとしても、あまり実質的な意味はないように思います。それでもなおインフォームをするとすれば、この場合に一体どういうことをインフォームすれば良かったのかということをお伺いしたいですね。それから、例えばこの人の意識が曇っている状態の時に、重大なインフォームを行った場合には心理的な負荷がかかりますよね。一般的に心理的な負荷がかかれば、意識状態を悪化させる促進因子に働きます。インフォームド・コンセントをする、インフォームをするという行為が患者の判断能力を曇らせていく、あるいは病状を悪化させる恐れがある場合にそれでもなおインフォームをするか、そうする必要があるのかという点についてお伺い出来ればと思います。

村井:インフォームド・コンセントというのは日本に入ってきた当初は形式的に考えられていたんですね。形だけ説明してという世界だったんですよ。最近ではそれではダメです。具体的にその患者の状況に応じて患者が理解出来る言葉で説明し、理解していることを確認しながらやっていくというのが原則ですね。患者の理解していることを確認しながらやるには時間が確かにかかります。一回で出来ないことがあるかもしれません。しかし気管内挿管について医学上極めて難しい理論的なことを言うのではなくて、平たく説明出来る話だと思うのですね、ある程度。この気管内挿管をするとどうなりますかと。意識レベル、患者の状態に応じて時間がかかるかどうかは色々あるかもしれません。ただ、患者が理解出来るかどうかを確認しながらやっていくのが基本だというように思います。それと医療機関側からさきほどの看護師さんの意見もそうですけれども、ショックを受けるんではないとか言われることがあります。例えば昔だと癌を告知するかどうかでずいぶん議論になったこともあるのですけれども、今は全部告知するというのが原則ですね。それがどんな重篤な病気であろうが、まず本人に告知するのが現状です。その上で、告知の仕方の問題があります。「君は癌だから明日の命はわからないよ」、「あと1ヶ月しかないよ」とだけ言ったらそれはインフォームド・コンセントではなく脅迫になりますね。そうではなくて、色々なデータを見せながら、「あなたの病状はこうなっています」、「癌にかかってます」、「こういう事態にはこういう処置があります」、「手術をしたら何%の確率で助かるかもしれません。けれどもほっておいたらこうなりますよ」とかですね。そういう丁寧な説明をするということが大前提です。重要なインフォームド・コンセントの場合は、かなり時間がかかると思います。だから予測出来る場合は、できるだけ早めにやっておくということは必要です。言えば症状が悪化するのでないかというのは、ちょっと先をよみすぎだと思うんですよ。どうなるかはわかりません。わからないものをこういう方向に行くのだからと決めつけてはダメなのです。患者の人たちは色々な生活を送ってこられているのだから、こうすればこうなるのだという一本化した結論を付けない方がいいですよ。医療機関としては機会を与えることが大事です。結果として病状が悪化するケースもあるかもわからないですが、それはしょうがない、それは結果論です。問題はどれだけ丁寧にインフォームド・コンセントするかにかかっていると思うんですよ。そこで自分の状態を認識した患者がその時点でどれだけの医療を選択するのかという判断をすることで、自己決定権が生かされるのだと思います。そうしておくことが逆に医療機関にとってもものすごく安心感があるでしょ。自分の独断でやったわけではないしね。患者も一応理解して、理解した上でこういう判断をしてくれたのだということであれば、あとで問題になりません。ですから、そこは恐れずにやっていただかないといけないと思いますが、どうも医療機関はそれを恐れておられる。出来るだけ情報を開示して丁寧に説明して、なおかつ本人が納得して理解して、選択したら安心できるんですよ。その説得の仕方とかが問題になってくるのではないでしょうか。

原:心理的負荷をかけると、意識ですか、判断能力が落ちるということの意味が良くわからないのですけれども。

北村:一般に、意識障害であるせん妄の発症は複合的な原因が関係しています。例えば身体的な疾患の影響であったり、環境的なストレスということでも起こってきますし、心理的なストレス負荷によっても起こってくる場合があります。ですので、心理的なストレスがかかると、身体疾患などで元々意識が少し曇りやすい状態、準備状態にあった方は心理的負荷がが引き金になってせん妄状態に陥りやすいということはテキストにも載っています。

原:それは迷うような自己決定を迫られるというようなことがせん妄に繋がるという話があるわけですか?

北村:端的にはそうは言えないですけど、少なくとも心理的ストレスはせん妄を引き起こしやすいということが教科書的な記述です。

原:心理的ストレスというのは漠然としすぎていて一般的にそうなのかと。例えば痴呆なんかの話だと逆に判断とかではなくて、いいなりになりなさいとかですね、そういう指示をされたり拘束されたりということが逆に状態を悪化させるというケースが多いと思うのですけれども。

立岩:ちょっと事実確認に戻るのですけど、この方の場合は当初から息苦しさは感じていたんですよね。呼吸の状態はその後どういう感じだったのでしょうか。

佐々木:胸水を抜いたところ、その時点で呼吸苦はなくなりました。肺炎を起こした後は呼吸状態が悪化したのですが、それまでは正常でした。

立岩:Aさんの場合、だんだん呼吸の状態が悪くなっていくのですから、そういう意味では分かりやすい。呼吸の状態が悪くなると、意識の状態も悪くなってということは一般にあるし、あとは何かしら悲観的になるということもあることを思い出しました。

ちょっとここから突然離れますけども、さきほどのALSの方々の話の続きなのですけどね。「そういう場合に医師がどのように対して欲しいか」ということを聞くと、少なくとも今生きている人たちが言うのは、「医師がただ中立的であればいい」とは言わないのです。本人にせよ家族にせよ迷っている場合に、あるいはむしろそんなんだったら死んでしまおうかなって思っている時には、医師の方から「呼吸が苦しくなったら呼吸器を付けるけどね」って言い方で。ではその人たちは嘘を言って欲しいかといったらそうではないわけですよ。呼吸器を付けるとこういうことになって、こういう面で不自由があるとか、そういうことは後々困るから言ってもらわないと困る。そう意味で正確な情報は必要ですが、正確な情報だけを聞いてそれでいいかというと、それでいいと思ってそのまま死んでしまった人には聞けませんからわかりませんけれども、少なくともそうやって生きることにして、今生きている人たちは、あの時にお医者さんが「こうして生きていこうね」って言ってくれたことが、そのあと呼吸器を付けて生きるということに対してすごい支えになったというか。あるいは、そういうように生きていこうというきっかけになったというんですね。そうやってポジティブに生きている人にとっては当たり前のことですが、そういう答えをされるんですね。もちろん嘘を言ってはいけなくて、色々な可能性は言わなくてはいけないということはその通りなのだけれども。僕は必ず医師がどちらでもかまわないという、普遍性というか中立性を保持すべきだとは思わないですね。基本的には病気なのだから、救命というか、生きていくことを支えるということが医療の基本的な姿勢であるとすれば、その基本的な姿勢の上で嘘を言わないで伝えるべきことは伝えるということがいいのではないかと私は思います。

勝村:僕もそのようなことを思っていたのですけど。例えば、癌であることがわかった時に、「治療法が色々ありますよ」とか、「どのお医者さん、どの病院でしますか」などといった選んでいくための情報提供というのがあってしかるべきなのに、現状の医療では、ベルトコンベアーになってしまうことが多いので、その辺はすごく問題があると思います。「どうしたいですか、あなたが判断して下さい」というインフォームド・コンセントは逆に全部自分の責任を相手に任せ過ぎている感じがありますね。結局、僕らも医療を選び、病院を選び、医者を選ぶにしても、最後には「お願いします」と任せることになるはずなので、最後の段階ではもっと自信を持って、そういう依頼を受けているのだという気持ちを持って欲しいです。私は教師ですので教育の話しをしますと、例えば1ヶ月間停学になっているような学生のところにある先生が行くと「もう辞める、もう学校は辞める」と学生が言っていたというんです。で、別の先生が行くと「頑張ってやり直す」と言うんですね。前の先生と話した場合には、「もう学校戻っても多分留年するやろな」というような雰囲気のことが学生に伝わった、そういうように感じたと言うんです。しかし別の先生が行った時には「今から頑張ってやり直したらみんなと一緒に卒業出来る可能性はあるぞ」と学生の可能性を重視して話をしてくれたというんです。そういう話の仕方一つで本人が変わってくることがある。インフォームド・コンセントで「どっちにしますか」と聞くだけではなくて主治医自身がどういう見込みをもっているのかということを、ある種説得してくれるような雰囲気もあってしかるべきで、相手の意見を尊重するという道と、自分で強引に進めていくという道の極論の二者択一ではなくて、医師と患者が共にこう思うということを確認する中で議論を固めていく過程、それがインフォームド・コンセントだと思います。同じ医療行為を行っても該当する人としない人がいて、受け取る側の感受性の違いもある。「こういうこともあるけれども」という提示の上で、医師としてはこう思うという意見が言えて、相手の意見も聞いて、もう一回考えていきましょうという過程が大切だと思います。
別の話なのですけれども、医学論文というのもインフォームド・コンセントにおいて、僕はあまり信頼しすぎていけない、信頼させすぎてはいけないと思うのですよ。医学論文は権威のある人たちが全く正反対の結論を出していることが非常に多くて、医療裁判するとわかることなのですが、全く正反対の結論が大学の教授などからいっぱい出てくるわけですし、医療ミスで一つの議論になると両方の面がいっぱい出て変わってくる面もありますよね。

小原:議論を続ければ終わらないのですが、事例2の方も扱わなければなりませんので、まとめることは出来ないにしても一応全体の議論の確認だけはしておきたいと思います。
まず一点は、やはりご家族だけではなくてご本人にも適切な時期において意思確認をしておいた方がよかったのではないかというご意見がありました。それからもう一つは、これは立岩先生が今さきほど指摘して下さったように、その際に医師は中立的な存在である必要はないということ。むしろ医師が普段健康回復のための補助者であるように、同じように患者の意思決定のためのよき補助者であることが大事だということだと思いますね。ただ、そういったことを支えていくためには、医師にあなたが責任を持ってやって下さいと言われると、それはそれで医師の孤立感とか、過度な責任感ということを感じることになりかねませんので、勝村先生が言われた通り、かなり丁寧なプロセスと一回ではなく長期にわたるインフォームド・コンセントというのが必要であるとするならば、医師がどういう形でその患者の意思決定を補助していくべきなのか、といったガイドラインを病院としては持っておくべきではないかなと思います。ですから、意思決定の補助の仕方というのが、各医師の個人任せ、あるいはそれぞれの個性に委ねられるというのはではなくて、最低限こういったルールの下に進めるべきではないかといった大枠があれば、ずいぶん今回も違ってきていたと思うのですね。それが今後の課題ではないかなと思います。それから、患者の意思決定を補助する。それは最大限の良質な補助をすると同時に、そういったことを責任として負っている医師自身の意思決定をも補助していけるようなガイドライン作り、これが必要ではないかなというように感じました。

非常に雑ぱくなまとめ方でありますけれども、ここでは課題を積み上げていくことが大事ですので、一つ目の事例に関してはこの程度で終えて次の方に進めさせていただきたいのですが。

原:ちょっと一つだけ聞きたいのですが。この患者さんのZ+32日の段階だと呼吸状態が悪いわけでしょ。肺炎になって挿管しようというのは要するに酸素がとれていないということですから。挿管するのとしないのとは、本人はどっちが楽だったのですか?挿管するのは見ている側からしたらしんどい話だと思うのですけれども、どっちの方が果たして楽なのかということを聞きたい。

吉中:挿管した方が楽ではないですか。

立岩:意識レベルが本当に落ちてしまえばわからないですが、それ以前の呼吸困難というのはかなり苦しいという話は、そうやって担ぎ込まれた人たちが一様に言うことでありますよね。

勝村:まとめていただいた後なのですけれども。僕は、一旦呼吸器を付けてしまうと外せなくなるということを、医療界全体がかなり意識してしまっていると思うのですね。確かに外しにくいと思うのです。僕も子供2人亡くしています。2人とも最後は人工呼吸器でしたから。1人はおしっこが出なくて腎不全であまりにもむくんできたので外しますと。もう1人は気管切開からの肺炎がどうしようもなくなって人工呼吸器を付けたまま死んでしまったのですけれども、人工呼吸器を付けてもダメだったという。子供と年寄りとか条件は色々あるとは思うのですけれど、もし付けたら外しにくいということがなければ、このケースは迷わず付けられていたのではないかと思いますね。もしそういう問題がなければ。だからそこの議論の整理というものはすごく大事な論点だと思いますね。人工呼吸器を付けたら外せないというというような思いがあるがための問題です。

吉中:私が医師になった頃、25年前から多分10年前まではそうなのですけれども、文句なく挿管をしていましたよ、迷わずに。今はインフォームド・コンセントもありますけれどもQOLという言葉が重視されて、やりすぎの医療に対する反省が生まれているわけですよね。本当にやりたい放題やっていいのかという意味ですね。でも立岩さんが言ったようにQOLというのは漠然とした言葉ですよね。そんなことで揺れ戻しがずいぶん大きくなったりしているんだろうと思っています。

小原さんがガイドラインとおっしゃったのですけれども、既存のガイドラインというものは何かあるのでしょうか。私は実際に見たことはないんですが、そういう臨床の医師の判断をサポートするようなガイドラインはものすごく意味があると思うのですね。今は医師個人に全て丸投げされてしまうということがありますからね。そういうガイドラインの作成は当院でもぜひチャレンジをしてみたいと思います。看護師さんも一緒ですよね。看護師さんはきっと問題意識が少し違ったところにあるということもあるのではないかと思うのですよ。寂しいとか頻回にコールしてという流れがあって、最後は陪席した方が良かったのかどうかという、主治医の悩みとは少し違うところもあるのかなと思ったりするのですが、その辺どうなのでしょうか。

北村:ちょっといいですか。副委員長の立場で発言したいのですけれども、2例目もぜひやりたい。多くの論点が出て、それぞれを私はもっと考えたいと思っていることもあるので、もしよろしければこの議論を踏まえて後日にコメントをそれぞれいただけないかなと思います。もしいただければ、例えばそれを院内ホームページと院外のホームページに載せて、それをもとにまた考えることが出来たらよいのではと思うのですが。

勝村:この事例検討はホームページにどの程度載せる予定なのですか?

北村:プライバシーを保護することが規程には書かれておりますので、かなり削除したり修正するべきで、エッセンスだけを残すという形になると思うのですけれども。それはまだ具体的にどうするかは未定です。

小原:かなり一般化して書く必要がありますね。今ご提案がありましたように、尽きぬ議論になりますので、よろしければまたコメントをしていただいて、場合によってはこれからの継続した課題になりますので、これで終わりではなくきちんと論点を押さえながら議論をし続けたいと思います。今日は二つ目の討論も用意されていますので、事例1に関してはこれで一旦区切りを入れまして、事例2の方にいきたいと思います。

 

<議題5:事例検討-看護師に暴言を繰り返す方への対応について>

高橋:中央病院内科医の高橋です。私から事例の報告をいたします。

事例:Bさん

50代前半の男性。狭心症などの治療のために当院で加療を行っていた。X年Y月Z日に狭心症の精査、高血圧のコントロールなどを目的に当院に入院となった。しかし入院中に小さなミスをした病棟看護師に対して「お前なんかくびや」とどなりつけたり、脅迫まがいの言動が繰り返されたため、病棟看護師は恐怖を感じて適切な看護を提供することに困難を感じるようになっていた。入院後の諸検査で、冠動脈の閉塞が以前よりも進行してきていることが発見されたが、当院でPTCAを施行するのは部位的にリスクが大きいと判断され、これ以上の積極的な身体的治療が当院では困難だという理由で最終的に退院となった。
(本事例は当院での経験に基づいて構成したものですが、プライバシー保護の観点から事実関係などに大幅な変更を加えているため、実際の事例の概要とは大きく異なったものになっております。以下の議論につきましても同様の配慮を行っております。ご了解ください)

市田:病棟看護師長の市田です。私は病棟での様子をお話しします。入院中に数回にわたって病棟師長や看護師をベッドサイドで長時間拘束し、病院に対する苦情、例えば前回入院時に採血ミスがあったとか、注射器をおいたまま帰っていくとか、あるいは細菌検査室の問題などを引き合いに出して、「何かあったら新聞社などに情報を流す」、「病院を潰してやる」と脅しみたいなことを数回にわたって大部屋なのに大きな声で言われていました。事実とは異なる個人的な批判も繰り返されました。「お前がいい加減だからスタッフもいい加減になるんや」、「お前を首にするぐらいすぐに出来る」等と病棟で言われました。何に怒っているのか全く理解出来ないという状況の下で、同じことを繰り返し2時間も3時間にもわたって言ってくるという状況です。患者さんの発言に対して「事実とは違う」と指摘すると、感情的になってますますエスカレートされる。そうすると、その場からますます逃げられない状況になるので、ただ言われることを聞くしかありませんでした。ある日の深夜のことですが、ナースコールをされたので、深夜勤務の看護師が症状の確認と血圧等のバイタルのチェックをして安定しておられたので、別の患者の点滴等があとでまた後ほど伺いますと言ってその場から去ろうとした時、夜中ですけれども病棟中に響くような大きな声で「何を考えとるんじゃ!」と怒鳴り出されたんです。一緒に勤務していた主任が部屋に行って事情を聞いて、謝罪はしたのですけれども全く聞き入れてくださらず、夜間3時間強にもおよび看護師二人を拘束されたんです。その間、主任から夜間帯の業務について説明し、看護師を業務に戻すよう話したのですが、全く聞き入れてくださらない状態でした。看護師に対して「お前なんか看護師をやめろ。首じゃボケ」等と大部屋で何回も怒鳴り、主任と看護師が涙を流して「申し訳ないですけど、もう勤務に戻してほしい」と懇願して初めて解放されたという状況です。翌日、他の入院患者様から苦情が多数寄せられてきました。「あんな患者は初めてや、早く退院してもらったらいいんじゃないか」とか、「部屋を変えて欲しい、同じ部屋はいやだ」とか。また別の患者さんからは「昨夜対応していた看護師さんは大丈夫ですか? あんなことを言われたらもう出てこれないかも、かわいそうに」という声でした。患者さんに対して日常的な対応を余儀なくされている看護師の精神的な緊張は多大なものですし、もう看護職を辞めたいと、そういうことが続くのであればこの病棟での勤務は出来ないということもあります。また病棟での看護行為一つ一つに対して明らかな理由もなく指摘をされるために、看護師からケア・処置に行きたくない、もうさせないで欲しいと私に言われまして、業務上、非常に困りました。今回は私どもの病棟に入院をされ、問題提起をさせてもらったのですが、以前ご家族が別の病棟に入院された時から同じ問題がありました。その後、外来でも職員を呼びつけて大声で1時間以上も怒鳴るということがありました。

この様な患者さんでも、私たちは医療を受ける権利というものを保障しないといけないのか、私たち看護師の危険ということに対して、誰がどう守ってくれるのだというようなことが非常に強い意見として出されています。

小原:ありがとうございます。では、今のご説明を受けて質問等を自由にして下さい。

原:ナースに対してめちゃくちゃ言っているという話はわかったのですが、ドクターの方への対応はどうなんですか?

高橋:暴言等はあんまりないんです。

原:それはどうしてなんですか? 素直に聞いておられて診察を受けているという感じなんですか?

高橋:侵襲的検査をする際の説明にも「信用しているから受ける」という返事をされるんです。もちろん同意書にもサインをされる。医者に対して、また主治医の私に対しては攻撃的な態度はほとんどとられません。

勝村:そういう傾向は一般的に多いと思いますよ。僕は高校でつとめていますが、やっぱり校内暴力というのがある。そういう学生は、パターンとして本当にこの人は権限を持っているなぁという人には非常に気が小さい。弱そうな先生にはすごく強くあたり、グチャグチャにするというパターンがあります。必ず例外があるので決めつけることは出来ないですけど、こういう人は、場合によっては意外と気が小さくなって、逆に「じゃ君はもういいよ。治療を受けなくても」という脅しが効く面も多少はあるようです。だから、やっぱり病院が一体となって対応する形を見せないと、学校でもそうですけど、一人の担任、女の先生の担任が困っている場合でも、担任だから対応を任せるというのではなくて、学校が対応する必要があります。この問題をどうするかという話は後にして僕はこういう事ではないかと思っているのですけど。

原:そういう意味で言いましたら、この夜中に怒鳴っている場面で当直のドクターとかそういう人に対応してもらうとかということはどうなんでしょう。

市田:問題があった場合の手順は作っていましたが、Bさんへの対応に二人が取られて、病棟に残っていた卒業1年目の看護師が他の患者さんの対応をしていたんですけれど、その子が本当に怖がってしまって連絡が出来なかったんです。後で聞いたら、あまりに怖くて「連絡をする」ということが浮かばなかったと言っていました。2人の先輩がいなくなって怖くて、とてもじゃないけどその現場を守ることで精一杯で連絡が出来なかったと言っていました。

高橋:現場の経過はそうです。その前に非常時の連絡網は確認をして現場には伝えてありました。看護部長がいなかったら、当直師長と当直事務に連絡がいくように、手順としてはなっているのですけども、その場に勤務している者はその場で対応が実際には回らないという心理状態におかれてしまったわけです。

原:その晩のこともあるけど、ただ一晩の話でもないのでしょ?

市田:そうです。別の日には私に対してまた同じことになった。それはスタッフがすぐに連絡をしてくれて30分ぐらいで看護部長と事務次長が来たという経過がありました。ただ場所を変えてお話をしましょうと言っても聞き入れてくれなかったんですね。

原:それで、そこがよくわからないのですけど、今お話になった状況があった。で、ドクターはその日は呼ばれなかったから行かなかったとしても、翌日に「困りますよ」という話をされているんでしょうか?そして、それに対する反応はどうなのでしょうか?

高橋:直接その話はしていません。文句とかクレームがある場合は事務次長が窓口になっていますのでそちらに行って下さいということは一度言いました。

原:というか、患者は病院に文句を言う権利はあるのでしょうけど、周囲が困るのですから。「周囲が困りますよ」というのは当然だ思うのですけど。

高橋:周囲が困るということの認識を、主治医と病院サイドが認識したのはもっと後なんです。私自身も目の前で起こっていることならきちんとした対処をしますけれども、聞いた話の情報になりますよね。主治医として警告を向こうに言う中身かどうかという確信が確実には私自身がもてなかったんです。その後の会議を通じて明らかになってきて、「あ、こんな人だとは思わなかった」と初めて感じた。今回のように、応対する人に対して態度が違うということは、他の病棟でも何度も見られていました。

寺前:そうですね。まず私のところに入院されてこられた時にも、最初は別の病棟に入っておられて、そこから私の病棟に来る時にすでにトラブルになっていたのです。その内容は、自分のお部屋を窓側にしてくれと前の師長に言っていたのが、私のところに伝わっていなかったので、病院の連絡ミスだということですごく立腹されたというのがありました。その時もちょっと危険を感じたので、すぐ看護部長に連絡をしています。その時はもう謝るしかないのだということだったので、2人で謝り続けたという経過があって、どうしても大変だったので、その時も事務次長に来ていただいてとか。その後も色々ありつつ退院していただいたのですけども、次に入院してこられる時には病院として対応をしていただかないと、本当に大変になるということで提案はしていたのです。そこのところで、病院の中での伝わりにくさがあって、病院として対応していただくということにならなかった。その頃は高橋先生一人の判断ではもう限界がきていたのではないかなと思いましたので、高橋先生だけの判断だけではなくて、病院としてこの人を受け入れるか受け入れないかを判断していただきたかったということで提案したのです。

高橋:どっちかというとクレームの付け方が、こっちの落ち度を捉えてくるというパターンですね。だから、言われる方としても引け目があるので「あなたがやっていることは非常識で、病院生活を続ける上で対応できないことだ」いうところまで個別の対応ができなかったということです。

原:なんか今の話しを聞いていると、要するに人・職業によって対応を変えると。

高橋:それはあります。

原:これは本人が価値付けをするタイプの人なのですね。自分より上の位置の人なのか下の位置の人なのかという、もうナースなんていうのは下の位置の人なんだと。多分、事務職の人だってそういう位置づけをされるのと違うかな。その考えを改めさせるのは無理ですから、テクニカルにはなんかその辺をうまく使わないといけないのかなと。これは別にこの人だけではなくて。お医者さんなんかでそういう人間の序列価値観を持っている人が割といたりするのですけど。

村井:まぁ、僕らはこういう人を日常的に相手にしているので。(笑)僕らはほぼしょちゅうだからね。(笑)事前にこの話は聞いているのですけどね。やくざとかですね、こういう類いの人は人の弱みに付け込むのが上手で、言葉じりを捉えるのが上手ですから、そこが違いますね。そこは非常に冴えています。言葉に気をつけないといけないのはこんな人なのです。あるいはちょっとした約束事でも、大きな約束事みたいに言うわけですね。それを破ったら重大なミスみたいにね。そういうケースはしょっちゅうあります。ただ、それはそれとしてこの程度のでも、それで大声を出して病室で響き渡る声で2時間も3時間もやることではないということを認識して欲しいですね。クレームの付け方というのは色々あるけれども、社会常識を守ることです。社会常識のない人へは、毅然とした対応をとらないとだめですね。そうしないと何回も何回も、本当に延々と続きます。弱いと思ったらまたくるのですね。どっかで毅然とした対応をとらないといけない。それは一人の看護師さんにとったら大変です。危険です。今、暴力事件とか実際に殺人事件が病院の中で起こっていますからね。

つい大阪府でも最近ですけれども、七輪を病院の中でやって焼き肉パーティーをしたでしょ。それで注意されたら殺人をしたでしょ。そういう事件もあるぐらいで、こういう人というのはいるのですよ。そういう人の対応というのは組織的にやらないとダメですね。きちんと議論をして。だから組織的に、主治医も含めて、共通認識を持って、その上で組織的な対応をきちんととる事が本当に大事だし、場合によっては退院命令ですとかね、退院処置をとるということもやはり必要なのですよ。それはさっきも触れられている他の患者さんへの安全のためにですね。他の患者さんの睡眠時間を奪うというのはまずいですよね。夜にきっちりと寝ることは大事ですね。それを大声を出して3時間も周りの人を気にしないでやる人というのは、周囲の患者の安眠を妨害しているんです。それはやはり病院として看過出来ない重大問題ですよね。ですから、病院全体の安全管理という観点からもこれはわりと早めにきちっと組織的に毅然とした対応をとることが僕は必要だなという意識を持っています。ただ、相談にこられた時は後手後手になっているので、多少変化球を投げながら退院処置をうまくやってもらうようにということは言いましたけれどね。うちの事務所でこういうことをされたら、もっと早い段階で対処しますからね。

僕なんかが経験したのには離婚の相手方なのですけど、夫が変な男でね。帰らないのですよ、何度言っても。受付が対応しても帰らないので僕が対応したのですけどね。僕らにはよう殴らないのですよ。何をしたかというのと自分の頭を殴るんですよ。灰皿で。自傷行為という感じでしたね。僕たちに殴りかかったら一発でね、逮捕されるのはわかるでしょ。自傷行為をしている。そういう形で、とにかく言いたいことは一つで「嫁さんのいるところを教えろ」と言うのですよ。僕らは絶対それは教えられないと、頑としてそれは受け付けない。そういう対応をずっとしているのですけれども、ところが絶対に帰らないのですね。ついに自傷行為を始めたから警察を呼んで警察に強制的に帰らせました。しかし、そういう人というのはいます。僕らの仕事でもそうだし、僕らの仕事では多いですけれども。だけど、病院でも時々あると思うので、そういった時は時期をきちっと見て、また組織的に毅然とした対応をとらないといけない時もあるということを認識しないと。この人の場合も遅いね。経過の話を聞いていたら割りと早い段階からずいぶん問題を起こしているのですね。これはもう少し早い対応を示さないと他の患者さんが気の毒でならない。あと病院の職員とか看護師の安全の問題で危険なそういうことを助長してしまいますね。要するに自分がお殿様みたいな気分になってしまって、反発する者に対してはものすごく攻撃的になりますからね。それがエスカレートしていく可能性があるのです。心理的に。そういう意味では看護師さんとか職員の安全を守るためにももう少し早い対応をするべきだったし、もう少し共通認識を早く持つ場が必要だったという気がしていますね。

原:何か精神的な問題があってそういう態度に出ているというよりは、その何か言いがかりをつけること自体を目的しているという雰囲気なのですか?

高橋:今日の印象ですけどね。自分が偉い人間であるということを認めさせたいというような印象を受けるのです。

勝村:だから、担当の人は本当に大変だったと思うし、また個人で対応すべきとは全然思わないのですけど。程度の度合いで言えば、このケースは僕はまだすぐ警察までは呼ばなくても一度全体で取り組んでみることができる相手だと思う。でもケースによってはやってみることなくすぐ警察ということもあると思うのです。例えば、学校だったら生徒ではないのが外から入ってきて暴力振るうとすぐに警察だし、病院でもそうだと思うのですけどね。ただ、生徒が学校に来ている場合、長期欠席しているなら別ですけど、学校に来ているということは学校というのはどういう所だとわかった上で、他の生徒には迷惑をかけてはいけないだろうということは言われれば理解できるけど、ついつい弱い先生だったら俺は結構ケンカが強いということでそれだけで何か自慢してしまうようなことをしてしまうような場合、それで本当に全員の先生から叱られるかも知れないという雰囲気をちょっと感じたらおとなしくなるとかね。そういうのはまだうまく取り組めるかもしれない。そういった努力を続けてもますます悪くなってしまうような場合には、それは学校にだって倫理的・法律的な問題で本当に暴力はあってはいけないというのがあるので、そういう判断は早め早めにしていくべきだし、何よりもそういう意味でも一人で抱えるのではなく、職場全体でそういうのは抱えていくべきだと思うのですけれども。

吉中:今、局面は結局色々なことが重なってきてとりあえず退院してもらったと。これは病院の方、そしてまた院長の指示でもあるということを言うと、すっといったんですよね。ただ、もう診察に来るなと言っているわけではないのです。診察には来るわけです。来るということは入院の可能性が潜在しているわけです。どこで引導を渡すかと、もう診ないという様にするのか。しかし、一度注意して以降はそれなりに従っているわけですね。そうすると、絶対に診ないということも言い切れないということもある。その辺になると事実問題として看護師さんたちも困るわけです。実際、診たくないと思っているわけですよね。彼に屈するべきではないと思っているわけです。そこの判断が実はまだ割れているのです。診る必要があるのかないのか。今後またお見えになったときにそこで威嚇・脅迫・迷惑行為があればうちでは診ませんということを病院の判断にしているのですけどね。しかし、そうならなかった場合ですね。おとなしくされた場合はどうするかと。

勝村:同じようなことは僕らも職場で経験していると思うのですけど。弱みをつけ狙うということは本能的に出来ることで、学校の生徒でもちょっと教師が弱みを見せたらバーッときて、それはパターンが一緒なのでたいして戦略的ではなくてもそういう発想でやってくるのだけれども、そこは謝罪すべき問題かどうかなのですけれども。問題で絶対に整理しておかなくてはいけないと思うことは、僕は彼の言い分が正しいのかどうかという問題と、彼の手法が正しいのかどうかという問題。お前が間違っているから殴るっていうのは、いいのかどうかということです。暴力はいけないという事と、話の中身の問題とは絶対に違うということを分けないといけない。そこの議論を僕らの職場の中でも出来ていないなと思うことが良くあって。例えば、ある生徒が別の生徒に殴られたと、もちろん悪い、でも殴られた方にも原因があるのだと言ってしまうような教師はいっぱいいて、その話と暴力とは違うのだということは分けなくてはいけない。そこをこちら側もきっちりと整理をする必要がある。クレームを言う権利はあるけど、言い方には一定の、そういう脅迫的な・暴力的な行為、暴力を振るわなくても暴言的なことは手法としてあってはならないことであって、そもそも他人に迷惑をかけること自体もあってはならないのだということで毅然と対処していく。警察もうんぬんという判断はどこかの時点で、早めにあってしかるべきだと思うのですけれども。でも、逆にちょっとしんどいからといって、投げてしまうのはどうかとも思います。救いがあるのは、お金を要求してきているとか、本当にプロだなという感じではなくてちょっと対応がしんどい、だけど病院に来るということは治りたいと思っている。学校に来ない生徒がいるけど、毎日来る生徒は卒業したいと思っている。だから、そこの部分との兼ね合いというのがやっぱり非常に難しい。ただ暴力を受けてしまってからでは遅い。僕らは念書というのはとっていますね。確かに。「今度同じようなことをした時はもう学校を辞める」というような形で、それも念書といっても法的なものではないですけどね。けど、そのような約束をすることが通用する相手と、通用しない相手があるということなんです。

全てが全て同じような対応がしんどい行為をしているからといって全てを排除していくと、高校なんかも非常に簡単に学校から問題が解決していくかのように見えますけど、それでは本当にダメだと思います。ここまではなんとか抱えながら、別室で授業する日もその子の場合はあるけれどもとかね。抱えていかないといけない部分の境目というのは、どっかで付けておく必要もあると思うのですけどね。

東:暴力は振るわないです。だから、いわゆる物理的な暴力以外の暴力は何なのかというところが僕らのところで弱いのですね。この方は以前にももめたことがあって、その時どういうことでもめたかと言いますとね、夜中の1時半ぐらいに御家族のところに毛布を持って訪ねて来られたんですよ。それを看護師さんがこんな遅い時間だからと注意したのを、「家族のところに寒いと思って毛布を届けに来る気持ちをなんだと思っている」ということで延々やられたんですよ。ちょうどその時は主治医が対応したんですが、一番若い医者だったこともあって、「すいません、すいません」と謝り続けたと聞いています。その時にはこれは大変だ、問題がある、という重大な判断はしていないですね。謝っておきましょうという判断をしたということですね。ただその時に考えてみれば、夜中の1時半に家族であっても来ること自体は良くないことだけれども、我々も「そう言われたらそうですね」を思ってしまう弱さがあるんですね。そういうことが暴力的な、非常に社会常識を踏み外した行為なんだということを、僕らは強く言えなかったというか。言ったらそのことでバンバンとやられてしまって、それに対してひるんでしまったということが、おそらくこのヒストリーの始まりではないかと思っているんですけどね。

市田:ただ、そこでも温度差がありますよね。例えば、看護師もその対応していた若い医師も、厳格に対処すべきだと個人的には思っていると。だけどそれが、病院全体としてはズルズルときているということ自体が問題だと言っていましたし。だから、本当に同じテーブルについていないというか、看護師や直接対応した者と、そうでない人たちとの温度差ということを感じます。入院してこられる時から、「個人では対応しきれない人ですよ」ということと、「限定した入院にしてください」ということを言い続けてきたのですけども、そのことがなかなか通じなかった。その温度差をどうしたらいいのか。もう一つ別の問題は、本当に私たちナース自身は言葉の暴力でセクハラだと思っているのですね。ところがそのことを男性と女性の違いで受け止めてもらえないのです。

小原:ジェンダーですね。つまりは今、ドメスティックバイオレンスの場合もそうですけれども。

市田:そうです。

小原:身体的な暴力だけではなくて。

市田:違います。

小原:言葉の暴力というのは、暴力として認定はされているわけですよね。非常にもう被害も大きいといいますか。もう一つは男女間の差ということで、温度差がより広がる場合もありますし、そのいわゆる職場の中で温度差がある。言ってもなかなか伝わらないといったことが実感としてあった場合に、それをどうやったら改善されるという見通しみたいなものはありますか?

市田:本当に私は看護部長や事務次長にしつこいほど言いに行って、何とかしてくれということを言いに行って、主治医にも言いましたし。でも、そこのところは本当に温度差があるし、なぜわかってもらえないのだと強く感じていました。もう一部始終を報告していましたし、その中で患者さんもそうだし、そこで対応せざるを得ない看護師、若い看護師さんたちがどんなに消耗しているかということをずっと言い続けてきましたし、うちの病院だからそう温度差が激しいんだろうか、とか思っていました。(笑)

高橋:医師としては疾患があることを意識しています。診療を拒否して放り出した場合、発作が起きて生命の危険にさらされるかどうか。さらされる可能性が狭心症の場合ある。心筋梗塞に進展するなり心室細動のきっかけになるなり、そのことと問題行動を起こしていることで診療を拒否する。あるいはうちでは診られないのだということを言うこと。医師側の責任としてどっちを優先するのかというのはやっぱり非常に迷ったのです。切ってしまうことを、非常に私は躊躇したのです。そういう意味でちょっと強く「困りますね」という話に出られなかったというのは、そこの判断はどう考えたらよかったのか、今でもまだちょっと迷っているのですけどもね。

吉中:難しい問題です。私は現場でのカンファレンスはされていないと聞いた。そうれでまずはカンファレンスをしなさい、と伝えた。共通認識を現場で作らないとダメだという話から入った。その後、色々聞いているうちにようやく大変だということがわかってきた。実際そういう感じなのですね。だから結局、的確に判断する基盤ができていなかったのでしょう。患者さんの人となりとか状況というのが最初の頃はほとんどわからなかったのですよね。どういう人で、どういう病気で、どういう経過があってというのは、色々な人から聞くけど、それを総合してようやくわかるという感じですね。そこは院所でチーム医療ということを言っているのだけれども、そこの問題というのはやっぱり大きいと思うのです。

市田:最初から事務次長のところには弁護士さんに相談してどう対処したらいいか、意見をもらって欲しいということは最初から言ってたんですよ。私は。

吉中:それも実際には後になってしまった。

市田:だから、そこの温度差の問題とか、伝わり方とか。私もどういうように伝わっているのかなと、直接話を聞いてもらったりとか一緒に話に入りましょうということも言ってましたけども、話がいつになるのかわからないとか。彼が突発的に気分を害して今始まるかもしれないというような時に合わせてその話をするというと、例えば、何かありましたかって言いに行っても何もないでって言われることもありますので、確かにそういう意味では一緒に入ってどういうようなことを言っているかというに対しては、共有するということでいくと非常に難しかったかなという気はするのですけれども。

村井:もうちょっと法的な面だけ、ちょっと思いだしたので。旅館で最近問題になっていますね。宿泊拒否した温泉旅館。あれも旅館法で宿泊拒否にあたるということになっています。その例外としては正当な理由があれば逆に拒否出来るということがあるのですが、問題はその正当な理由の判断なんですね。ハンセン病の場合は別に伝染性はないということは確実ですし、隔離予防の法律自身もなくなったわけですからね。ですから宿泊を拒否した理由としては、正当な理由にはならないわけです。だから、あれは刑事告発もされると報道されているんですね。もし宿泊者が本当にやくざみたいな人で、過去に実績があって暴れる人たちだとか、あるいはやくざがそこで襲名披露をやるとなれば、これは正当な拒否理由にあたるわけです。正当な理由の判断というのは、ケース・バイ・ケースなのですけれども、確かに診療上この人は治療してあげないと救われないかもわからない。だけど素行があまりにもひどい、そして病院のスタッフあるいは他の患者に迷惑をかける。そういった場合はいかに診療の必要性があっても拒否が出来るんですよ。本来、医者のところに来るという人は治療しようとする人ばっかりなので、だからどんな病院でも行くわけですけどね。だけど、正常な理由があれば拒否が出来るんですよ。だから、一応、治療をしないといけない狭心症であり、場合によっては入院させるということ、これは主治医としての判断です。しかし、それだけではないんですよ。正当な理由というのは主治医だけの判断ではなくて病院全体として見て、この人は入れられないという理由が別にあればそれは出来るんです。だから、そこの判断をやっぱり共通のものにしていく必要がある。だから入院する必要があるかどうか、あるいは退院させなくてはいけないかどうかというのは、さっきの主治医だけの判断だけではね。やっぱり看護師の意見、あるいは事務職員の意見というのを、総合的に判断して決めていく必要があると思う。それが社会的に認められような理由であれば、正当な理由であるということで拒否しても大丈夫ですよ。

で、なぜ中央病院に来るのですかという問題です。さっきの話を聞いてわかったのですけれども。多分、そういう例があった可能性があるんでしょうね。弱みにつけ込む、自分の言うことを聞く病院だということを思って来た可能性があると、経過を聞いているとそういう感じがしてしょうがない。そういう自分の言うことを聞いてくれるというか、ガッと言えば謝る。ここはそういう病院だと思ったのですね。それがずっと引きずっているような気がしますね。今、聞いていると。

小原:今、言われたその治療を拒否する正当な理由というのがね。意外とやはり共有されてないと思うのですよ。例えば、このケースを見て。

村井:一回、検討する必要がありますね。

小原:具体的に暴力を振るわれた場合には明らかですよね。もう拒否は出来ると思うんですね。今回の場合には肉体的な暴力ではないけれども言葉の暴力、あるいは長時間にわたる医療活動の妨害といいますか、拘束ですよね。具体的には。そういったことも正当な理由として含むのだという形で、例えば、共通認識をある程度作っていく必要があるわけですよね。

村井:はい、そうです。最近、航空機でもよく問題になっていまして、航空機の中で飲酒をしては他の乗客に迷惑をかける。それからスタッフの指示に従わない。そういった人たちに対して非常に厳しくなってきています。最終的には飛行機の中というのは非常に危険ですからね。そういう人たちが変なことをしたら非常に危険を伴うことになるので厳しくしているのですけど。病院もある程度厳しくしてもいいと思うのですよ。最終的に僕はそういうガイドラインみたいなものを作ってね。暴力はもちろんのこと、そういう暴言とか他の患者さんに迷惑をかける行為を色々列挙して、最後は病院の指示に従わない人もいれた方がいいと思います。

ある程度包括的にね。全てを例にするのは難しいですからね。航空機でも多分、そういう乗務員の最終的指示に従わない人については、非常に厳しい罰則を科せられるようになっていますからね。指示か命令をした場合にそれに従わないという場合。病院もそれに近い規程を持ってある程度包括的に基準をもつ。やはり最終的に病院の管理責任は病院側にありますからね。そこのガイドラインを作ってみんなが共通認識の自信をつけることが大事ですね。さっきの一番若い医者が、そんな1時半に毛布を持ってきた人に謝るなんて信じられません。僕らから見たらね。

小原:そうですよね。

村井:逆ですよ。逆に彼らに謝らせないといけないです。そういう姿勢が大事ですね。そこが共通認識になっていないと思うのですね。

小原:逆にいうとガイドラインのようなものがなければね。毅然とした態度で望むというのはなかなか難しいですよね。

原:私が法律論を言うのもおかしいですが、長時間ワーワー言ったら業務妨害と言えるわけだし、暴言は侮辱という罪だってあるわけですからね。直接それが刑法犯罪だということもできるわけですよね。ただ、ちょっと余分なことだけを言いますとホームレスの人の取材をやっていると、病院内のルール違反で強制退院というような類いの話はよくあるわけですよ。内容のレベルは色々なのですけれども、それはお酒を飲んだりとかワーワーと言ったとかですね。このケースだったら本人が悪いと言ってしまっても良いと思いますし、度を越していると思う。仮に退院しても行くところがあるわけですからね。住んでいるところがあるわけですから、こういうケースはそれでいい。でももうちょっと微妙なケースは出てくるのだろうなとは思います。一概に規則に従わない人は退院してもらいます一辺倒ではいかないということが確かです。ホームレスの人なんかの場合で、そういう病院の規則との兼ね合いで割りあいにもめたりするのは、やっぱりぞんざいに扱われているとか、差別をされているというケースが多いんですよ。病院も悪いというかね。「どうせこいつら住所不定者だ」というような扱いをされているから腹が立って、それが場合によってはナイフで刺す事件に発展するかもしれない。それは事情をよく見ないとわからないですけどね。そういうケースの場合は、大切にされていないことが問題であるのか、されてこなかったことが問題になるのか、それともやっぱり本人の考え方そのものがある種、歪みきってしまっているのか。そんなことは色々、微妙な話はあるだろうとは思いますけどね。

小原:微妙な問題があるにしろガイドラインみたいなものがあればいいとは思うのですよ。問題がある患者さんに対しては、まずそういう体制は組むことは出来ると。ただもう一つの問題は、先ほどから聞いていますと温度差があるということ。現場の人が言ってもなかなか伝わらないということですね。この問題もなかなか深刻だと思うんです。私がやはり気を使うのは、例えば本当に直接、心理的被害を受けた特にまだ経験の浅い看護師さんたちを、病院としてどうやってケアをしていくのかという問題ですよね。色々大変な思いがあったとしても、それを理解してくれたり、理解してくれる人がそばにいるとか、あるいは病院がそれをきちんと聞いていてくれるというような安心感があれば、それならいいんですけどね。しかし、看護師さん、あるいは医師も含めてそうなのですけれども、やはり普通の職場以上に心理的なストレスが日常的にかかっているわけです。その中でより一層そういう負荷がかかった場合に、それを誰がケアをしてくれるのか。そのシステムがなければ、やはり看護師という職業を長期にわたって安定して続けるということは非常に難しくなると思うんです。タフな人だけが生き残れるというような弱肉強食の世界になってしまうわけですよね。で、残っている人たちはみんな厚かましい人ばかりになる。(笑)心優しい人であっても長くやれるような職場環境ではないわけですよ。そのためにはやはり医療従事者に対する心理的なケア、これも非常に大事ではないかなと思うんですね。その前提として、現場が言っても言っても全然伝わらないというのでは問題だと思いますし、この件に関わらずおそらく全て日常に関わってくることなので根本的に考える問題点があるのではないかと思いますね。

広瀬:その人の背景的なことなんかは全然見ていないんですか?

市田:見ています。

広瀬:私も去年ある役員の仕事をしていて、同じような目にあったんですけども。(笑)その方はものすごく家族に優しいんですね。ちょっと不自由な奥さんがおられたので、スーパーに行っている姿をずっと見ていて、帰ってくるまでずっと見ているというほど優しいのですけれども、反発精神、他人に対してはものすごくきつい方なんです。男の人にはものをよう言わない点が似ているなと思ったんですけれど、ここのご家庭には何かがあるのかな。御家族は苦労されていると思うけれど、家族に当たれないところを全部外の女の人に当たるというところがあるのかなと思って。

市田:私は女性ですが、私は謝らなかったんです。(笑)謝るような行為をしたということを私自身もスタッフも含めて思っていなかったので、一言も謝らなかったんですね。そしたら、何を思っているんだということで、「みんなはわしの言うことを聞いているのになんじゃ!」とかいうようなことをおっしゃっていました。それで私は「どういうことに対して謝って欲しいと思っておられますか」と聞いたのですけれども、「なんちゅう生意気なことを言うんじゃ!」って言って。(笑)「どういう内容について謝って欲しいのか、別にそのことが正当な理由であれば私は謝りますけれども、そうでなければ謝りません」と私は対応をしたんですね。1時間ですむところが、そういう対応だったから3時間になっていたんだろうとは思います。ですから、主治医に対して何も言わないという話しですが、主治医は自分の言う通りにするのだと、するものなのだと、もう自分の部下なのだという思いで私に話をされていましたので、「それなら医師と患者という立場とは違いますね」という話をさせてもらったのですけど。

高橋:(笑)いや、そんなことはないですよ。

市田:そうおっしゃっていましたし、そこのとこは本当にそうじゃないと。医師と患者という人間関係のところできちっと正常なものに戻していかなければいけないのではないかと思っていますので、「そういう言い方はやめて下さい」ということは言っていたんです。あなたのものではないんですよ、と。

小原:はい。わかりました。職場の同僚同士でも話が通じないですけど、そこの問題もこれから考えていく必要があると思います。また継続して考えていきたいと思います。

では時間がまいりました。以上で終わりますが、次回はどうしましょうか。

岸本:次回は1月15日木曜日で、時間は夕方6時からのスタートで、場所はまたおってご連絡をさせていただくということでお願いいたします。

小原:それでは、第2回倫理委員会はこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

 

議事要旨

 

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