倫理委員会

Home > 倫理委員会・臨床研究 > 倫理委員会 > 議事録・議事要旨 > 第二十九回 倫理委員会 議事録

第二十九回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2008年11月6日(木) 18:30~21:00
場所 太子道診療所3階多目的室
出席者 外部委員 原副委員長、勝村委員、立岩委員、広瀬委員
内部委員 北村副委員長、内田委員、坂田委員、井上委員、東委員、吉中委員
事務局 丸山
オブザーバー 清水、田中、竹谷、島
欠席 小原委員長、村井委員

議事

 原 今日は小原委員長が欠席されていますので、原が進行を務めさせていただきます。議題は配布の通りで、まず、今、配られた個別の事例検討をやります。次にDNARに関しては、前回に患者さん向けの文書を確定させましたが、院内向けのガイドラインが必要だという意見が強いようで、ガイドライン案を示していただいています。それから次が倫理コンサルタントで、前回に案が出ていましたが、ほとんど議論できなかったということでしたね。後は報告です。では、最初の事例検討ですが、担当の方、ご自分の紹介を兼ねましてお願いします。

 

議事(1)「事例検討」

※事例1例検討しました。

 原 事例検討はもう1件ありましたね。

 北村 それはDNARの関係で出していただいたので、私が出した次の議案の中で一緒に考えましょう。

 原 DNARのガイドラインの方の例ということですね。それでは、議事(2)をよろしくお願いします。

 

議事(2)「DNARに関する院内手順整備」「臨床倫理上の問題についてのコンサルト手順」の検討

 北村 議事の(2)の「DNARに関する院内手順整備」についてご説明します。前回までの議論で「患者さん向けの心肺蘇生に関する説明文書」及び「私の考え」という提示していただく文書を決定しましたが、その後の院内での説明会などでは、不安や混乱しがちな様子が見受けられ、例えば「患者さんにこういう文書を配布すると皆が不安がるのではないか」とか「若い人には配らない方が良いのではないか」といった動揺のようなものが起こりました。それに対して「どういう考えでこの病院がこの文書を扱うのか。あるいは終末期医療に対してどういう考えで臨むのか」ということをちゃんと答えるため、パッケージ化して提示しないとマズイのではないかと痛感し、今までペンディングになっていたDNARのガイドラインを作って、それと合併した上で、患者さん向け文書を実際に配布していくという手順を取りたいと思い、私の方で急いで「DNAR指示に関するガイドライン」を作成いたしました。それが当日資料としてお配りした18ページに及ぶものですが、ここで初めて出すものなので院内の内科医・外科医・看護士さんなどにもお見せしておりません。まず、ここでご意見を頂戴して、現場に戻して現場でも意見のやり取りをしてということを繰り返し、摺り合わせをしながら確定していきたいと思っています。その文書の作成の中心的な役割を私が担ってやると覚悟を決めましたので、やると思います。
 ただ、全般に意見を聞きますと、どうもDNARの指示というものが、我々が想定していたあり方、つまり死期がかなり迫っていて、もう蘇生をしても助からない状況において出されているものだけでなく、わりと広い認識の下で「とりあえずDNARなのかどうかを確認したい」ということで、外来の認知症のある患者さんに使われたりといったケースがありそうな印象でしたので、現場の状況とあまりマッチしていない文書を出しても仕方がないと思い、今日は病棟の看護師さんと、外来の救急のことをよくご存じの井上先生の方から「実際のDNARの指示はこんな状況でも出ているのだ」という事例を手短に出していただいて、状況の認識をしただいた上でガイドラインの説明をさせていただき、内容についてご意見をいただくというような、手順で進めたいと思っています。
 ということで坂田さん、お願いします。

(事例報告)

 原 この個別事例で、クリアに「こうだ」というご意見はありますか。それでは、議論の進め方をどうするかということですが、一つは、倫理委員会としては差し当たって心肺蘇生に限定した形で作ったわけですから、なるべくそれで使っていただいた方がよかろうと思いますし、ただ、説明書や同意書はツールで、ガイドラインという形にまとめる前にとりあえず患者向け文書を作ってしまったといういきさつですから、「ないとどうしようもないか」ということは必ずしもないですね。ただ、患者向け文書の説明の中に、ある程度はこちらの考え方が盛り込まれているということですね。だからあの用紙がなくても、考え方は示しているわけです。そこのところで誤解や不安があるのだったら、職員向けのガイドラインを作った方がよろしいですね。本当は終末期全般の話はどうするのだということをやった方がベターだとは思うのですが、簡単にまとまらないだろうと思います。というのは、難しいというよりも、意見そのものが違うのではないかという予測を個人的にはしています。ちょっとガイドライン案を説明していただきましょうか。

 北村 患者向け説明文書だけで実際に始められないかはもう一度、病院サイドで検討させていただき、院長とかとも相談させていただくとして、それとは別途にガイドラインを作ることがベターであるということであれば、これはこれでご検討いただければ良いかなと思います。
 ガイドラインは大きく2つの中身からできあがっていまして、ガイドライン解説編がP2からP14まで、ガイドライン本編がP15からP18ということになっています。実際の運用手順みたいなことを簡潔にまとめたのがガイドライン本編で、どうしてそういう手順にしたのかを説明したのが解説編ということになっています。P3に解説編全体の目次が載っていますので、主に何が書いてあるかはここで分かると思いますが、「Ⅰ はじめに」「Ⅱ 全体の構成」「Ⅲ 基本的情報」「Ⅳ 倫理的問題点」は一般的な情報を単にまとめただけなので、今日は時間の関係で割愛します。そして「Ⅴ 当院の終末期医療に関する基本的考え」と「Ⅵ 『DNARガイドライン』の基本的考え」についてザッと読ませていただきますが、私も一気に作ったものなので、自分で読んでも「まだまだ詰めが甘い」「これはマズイ」というところもありますので、とりあえずは批判的な観点からご意見をいただければと思いますので、よろしくお願いします。
 P7からが「Ⅴ 当院の終末期医療に関する基本的考え」という項目ですが、この中身は当院の過去の歴史、あるいはこの委員会での議論を踏まえて作ったものですので、一応それらを反映させるようには考えてました。
 【1 患者を全体的に支える-当院が大切にしてきたこと】。【当院は「患者本位の医療」「安全安心の医療」「地域に開かれた医療」を推進することを理念に掲げて医療を行ってきた。また、一般に社会的に弱い立場におかれた人たち、特に重い病気や傷害を持った人たちへの医療的援助を当院の重要な使命と考え活動してきた。】【その中で私たちが大切にしてきたのは、どのような重い病気や傷害をお持ちであっても、その人たちに人間らしく接することを基本として、その上で医療技術を用いて患者の治療にあたるということであった。ここで言う「人間らしく接する」とは、物を扱う時とは異なり、私たちの中に湧き出る情緒を大切にして、患者の不安や怖れ、怒りといった感情に共感しつつ、その受け皿になり、患者の心の中にある様々な考えや感情を同じように大切にして接するということでもある。】【それは死にゆく患者に対しても変わることはない。そうした患者は、死が近づく不安、自宅に帰りたい願望、もう生きるのを投げ出したくなるような思いなど、様々な感情を同時に体験している。しかしその葛藤が耐えきれなくなると、例えば「もう死んでしまいたい」といった一つの気持ちだけに支配される状態に陥ることもある。そんな場合、まず私たちは患者の感情の受け皿になるように務め、患者の中にある別の感情にも目を向けるように努力することを大切にしてきた。】【いかなる状態にあっても患者を全体的に支える、これが私たちが大切にしてきたことである。】
 【2 生命の終わりまで全体的に支える-「安楽死」は実施しない】。【だから終末期の患者の苦痛を取るために、いわゆる「積極的安楽死」と呼ばれる行為だけでなく、基本的医療ケアの中止による「消極的安楽死」をもたらす医療行為も、当院では行うべきではないし、行う必要もないと考えている。その理由を以下に述べる。】
【1)緩和治療を十分に行っているため】。中身を飛ばします。
【2)ターミナルセデーション関しても制度的整備を行っているため】。これも中身を飛ばします。
【3)患者の「全体」を大切にしたいため】【「安楽死」が実施される直接の契機の一つは、患者が「死にたい」と訴えることだろう。私たちは、患者が「死にたい」と訴える場合でも、そうした思いの背後に必ず存在している「生きたい」思いも尊重するべきだと考えている。私たちはこの両者を文字通り消滅させてしまうことによって問題をないことにするのでなく、その「死にたい」気持ちと「生きたい」思いの間の葛藤を当院職員が受け皿になって患者と共に抱えることが、患者の存在の全体を尊重することだと考えている。】【また意識を失った状態が長く続いて、家族が「見ていられないから死なせて欲しい」と言うことが契機になる場合もあるだろう。一般に「遷延性植物状態」と呼ばれる状態に陥った場合でも、あるいは認知能力の減退によって判断能力が失われている場合でも、家族の希望に添って「安楽死」を行うことはしない。何故なら、患者の中に命を保とうとする身体活動や原始的な感覚や感情表出が存在している限り、そうした人間的な動きを支えることが患者の全体を尊重することになると考えているからだ。】
 【3 しかし状況に応じて「DNAR指示」は出すべきである】。これは中身を割愛します。
 【4 「DNAR指示」はガイドラインに従って運用されねばならない】。これは、また後で触れます。
 そして「DNAR指示はガイドラインに従って運用されねばならない」ということから、しっかりとしたDNARガイドラインが必要だということで、「Ⅵ 『DNARガイドライン』の基本的考え」に移ります。
 【1 「DNARガイドライン」の目的】は【「早すぎるDNAR指示」を防ぐこと】にあります。【「早すぎるDNAR指示」を出すおそれが誰にもあるからこそ、それが起こらないように制度的整備を行う必要があるから、ガイドラインを制定せねばならないと述べた。だから本ガイドラインの目的は「早すぎるDNAR指示」を防ぐことにある。】【逆に言えば、本ガイドラインは「早すぎるDNAR指示」が出されることを防げれば良いのであって、「遅すぎる心肺蘇生中止」を発生させないことまで目指さなくても良い、と考えている。】
 【2 細かい医学的要件よりも、開かれた手順を重視した】。DNAR指示が出される可能性のある場合は幅広くて、個別的な医学的要件を定めたガイドラインを作成しても、臨床上は有用性に乏しいだろうと考え、【本ガイドラインでは医学的要件をあまり細かく設定しなかった。その代わり、医師による判断の倫理的妥当性を高めるためには、その判断が様々な形で検証される仕組みを作れば良いと考えた。「閉じた判断」ではなく「開かれた判断」へ制度的に誘導しようということだ。そこで、看護師の同席、院長への報告、医療安全委員長によるモニターなどの制度をガイドラインに含むこととした。】
 【3 「患者の意思決定」を基本とせず、医学的判断を優先する】。欧米では「患者の自己決定」によってそういったことの中止が行い得るとされていたり、平成19年の厚生労働省のガイドラインでも「患者本人による決定を基本とする」と定められている。【ただ当院では、終末期のDNAR指示の決定においては、「患者の意思決定」を判断の基本にしないこととした。その理由を以下に述べる。】【通常の治療の意思決定においては、患者が生きることを前提としているため、患者の自己決定を基本として特に矛盾は生じないが、終末期の場合、患者や家族が「安楽死」や「早すぎるDNAR」を期待することがありえ、しかもその期待に応えていかねばならない独特の心理プレッシャーが医療従事者に存在し、かつその意向に従ってしまうと取り返しのつかない状態に陥るという点で、通常の医療とは前提となる状況が異なっていると考える。そうした状況下で、「患者の意思決定を基本」とするのは、「早すぎるDNAR」や「安楽死」の実施につながる危険を高めてしまう。そこで患者の自己決定権を最大限尊重はするが、必ずそれに従わなければいけないとは考えていないことを明示するために、「『患者の意思決定』を基本とせず、医学的判断を優先する」という原則を採用することとした。】という中身にしてあります。
 後はガイドライン本編の解説で、【1 原則】に【心肺停止状態の患者に対しては、心肺蘇生を行うことを原則とする】というのがあって、【2 心肺蘇生を行わなくてもよい場合】というのは、今までの議論を踏まえて【事前条件】として【有効なDNAR指示が出されていること】と、その指示がある上で【心肺停止時条件】として、医学的要件を満たした状態に陥った場合に、心肺蘇生を行わないことを許容することにしました。
 【2. 1 第1条件(事前条件)】としては、【医学的要件、患者あるいは家族の同意要件を満たしている場合にはDNAR指示を出すことができる】としまして、P12の【2. 1. 1-医学的要件】というところに、今までの議論を踏まえた中での医学的要件を書いてあります。で、その下、【2. 1. 2-患者、あるいは家族の同意要件】のところの中で、【以下の手順が完了していなくてはいけない】としまして、1)で患者あるいは家族へ説明し、この時に医師と看護師同席にて説明を行うということを明文化しました。そこで医師はこのような中身を説明し、看護師は患者・家族サイドに立って心理サポートを行うよう努めるという役割を定めました。その上で、2)では患者あるいは家族の意向を確認し、ここで「私の考え」が用いられるということを明示されます。そして、3)で同意書に記入していただき、4)でそれをカルテに記載し、DNAR指示を出すということにして、この指示が出された後、病棟の師長はその患者の氏名を病院長に報告するという仕組みにいたしました。【2. 2 第2条件(心肺停止時条件)について】。【心肺停止状態に陥った場合、有効なDNAR指示が出されていて、医学的要件を満たしている場合には、心肺蘇生術を行わないことを許容する】としました。
 【3 DNAR指示のチェック機能】として、1)は【院長が氏名については把握しておく必要があり、医療安全委員長にそのモニターを命令する。何か不適切な事例が発生した場合は、院長の権限で主治医に対して指導を行う】という形にしました。そして2)で【医療安全委員長は、適切なDNAR指示が行われているかをモニターする役割を担う】ということにしています。
 駆け足で説明したので言葉が足りないところもあったとは思いますが、これが全体の説明です。その後に付けているのはガイドラインの本編ですので、今の中身をまとめただけのものです。

 原 このガイドラインでのDNAR指示というのは、先ほどのケースの方の場合にはなかなか事前指示が出せないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 北村 先ほどのようなケースでDNAR指示を出されるのを防ぐという意味合いがあります。先ほどのようなケースであれば、「ちょっと消極的にいきましょう」という中身ではあり得ると思いますが、DNAR指示を出すのが不適切なケースはこのガイドラインでは防げるということになると思います。モニターが働いてチェックされれば、「これはマズイのではないか」という話がどこかから入ってきますから。

 原 例えばこのケースだと、「感染を起こし、抗生剤の使用ができない」というぐらいの状態になったら、この判断をするという局面になるということですね。一般的な意向は聞いておいても良いですけどね。
 ガイドライン解説編の考え方そのもので、ご意見はありますか。同意書を作る前に、少しガイドライン的な議論をやっていたのですが、かなり忘れてしまいましたね。

 吉中 それは少し入っています。

 立岩 先ほどの印象とはちょっと違っていて、終末期医療全般について細々と規定するのではなく、今回のDNARの指針をもう少し広い全体的な視野から解説するというか、位置づける意味合いのものとして了解しました。もう少し文言を洗練させるとか、分かりにくい部分を直すところもあるとは思いますが、一読した限りでは、この間の議論を受けた形の解説になっていると思います。これで未来永劫に確定ということでないにしても、差し当たって走り出すための解説としては、こういうもので良いのではないかと私は思います。

 井上 DNARという言葉に対して、現場の方ではかなりの拡大解釈や誤った解釈が横行しているのが事実です。延命治療に対する同義語と捉えられていたり、気管内挿管による人工呼吸をすることに置き換えられていることが多いです。「DNAR指示は早く出して欲しい」というのが実は現場の看護師さんの意見なんですね。「何かあった時にバタバタしないといけない」「病棟で看れないからICUに降ろさなければいけない」ということで、ちょっと悪くなったぐらいとか、よくある例は癌に冒されたターミナルの方であるとか、認知症のある方などは「早めからDNARを出して欲しい」とよく言われます。実際に僕が経験した例では、癌で転移もある方が肺炎を起こしたのですが、肺炎については普通のばい菌によるものなので、人工呼吸器などを一時的に使いながら肺炎治療をすれば良くなると思われたのに、DNAR指示があるために気管内挿管をする障害になったという例もあります。
 北村先生が書いていただいている「早すぎるDNAR指示」というのを、スタッフがどこまで本当に受け入れてくれるかどうかは分からないのですが、DNAR指示というのは誰が見ても本当に悪くなった時に初めて出されるものではないかと思っていますので、そのへんのところをしっかりと明確にしていただき、スタッフの方もそれをしっかりと理解する必要があるのではないかと考えています。

 北村 「現場が受け入れるかどうかは分からないが必要だろう」ということですか。

 井上 必要なのは間違いなく必要です。心肺停止の患者さんに対して心肺蘇生を行うというのは全例原則なんですけど、心肺蘇生はガイドラインに定められ、「心臓マッサージを30回、人工呼吸を2回、薬をこれだけ使う」というように完全に決まり切ったものなのですね。それを全例にするというのは確かに大きな問題があるので、それについて最終的に「しないで良い」というのを、直前でも良いと思うのですが、出すというのは非常に意義があることかなと思います。

 勝村 今日の議題は「院内討議を受けて」と言われましたが、前に決めた文書を入院のしおりに挟み込む前にガイドラインを整備しようという趣旨ですか。

 北村 一応そうです。挟み込むということを先にやろうと思っていたのですが、不安とか抵抗が強いということもあったので、議論をいっぱい巻き起こした上で、これも同時にパッケージ化して一度にスタートしようという思いで今回は出したのです。ただ先ほどのご意見もあるので、もう一回、先に患者向け文書だけでとりあえずスタートできないかと、院内で検討する余地はあると思うのですが。

 勝村 いや、議論を一からやり直して、もう一度あれを出すかどうかを決めるみたいな話かと最初は思ったのですが、これまでは出し方として患者向けのことばかりを考えてきたけど、出す時の手法として、院内の状況も配慮するためにガイドラインも一緒に出そうということなら、全然、問題のない話だと思う。

 原 ですから、元々ガイドラインを作ろうという話だったのですよ。

 勝村 これは終末期全体の大きなガイドラインというより、入院のしおりに挟み込むにあたって、院内の人たちに趣旨からその背景の考え方までを改めて啓蒙しようという文書ですよね。

 原 終末期全体の話ではなく、あくまでも心肺蘇生の話で、元々は心肺蘇生停止のガイドラインを作ろうということでやっていたではないですか。とりあえずは患者向け文書だけが先に走っただけで、ガイドラインを作るのは本来の作業なんですね。ただ、院内の実際の状況を踏まえてということは当然、必要な話だと思います。院内の状況との兼ね合いに配慮して私の意見を言いますと、「DNAR指示というのは終末期の医療方針を決めるということとは直接の関係はないのだよ」という説明をクリアに書いた方が良いと思いますね。本来は終末期のガイドラインも必要なんですけど、そう簡単にはいきませんから。

 勝村 啓蒙するために理念的に言っているけど、先ほどのように具体的な話がきっと大事なんでしょうね。

 原 そういう話をストレートに入れたらいちばん分かりやすいと思います。「心肺蘇生をしないということを、積極治療しないとか、延命治療しないということの同義語のように使うのは間違っている」とかですね。

 広瀬 そういうふうに思っている人が、一般的に多いですね。

 勝村 肺炎の例のように、逆の勘違いの例もありましたね。

 原 という項目はクリアに入れた方が役に立ちます。

 勝村 患者向けに説明する前に、医療者側に勘違いがないように、理念だけでなくケーススタディ的な話も具体的に入れておいた方が、医療者側も入りやすいのと違うかな。

 広瀬 しおりに挟む文章も、最初は長いなと思って、一般的に患者がこれを読むやろか、むしろ放ったらかしにするのではないかと思ったのですわ。一般的には簡単に思われがちですが、医療としてあそこまでキッチリやってからの問題だという説明がキッチリされているので、これだけ重たい文章がいるなと思いました。私らから見れば重たいので、読まない人は読まなくても良いから、考える時には真剣に考えて欲しいなと思います。

 井上 早すぎるDNARということですが、「DNARをするかしないか」というのを入院の患者さんに全て入れるということで、患者さんが意思を表明されればそこにチェックされるという形ですよね。それにかなり強く支配されて、例えば回復可能な心肺蘇生についても邪魔をしないのか、というのが少し気になるところです。

 坂田 でも、それはDNARのオーダーが出た時に複数の医師と看護師が入って議論するのであれば、いくら患者さんにそういう意思表示があっても、するべき医療であるという判断を複数ですることが大事ではないですか。

 井上 毎回するということですね。そこにも少し危険がはらんでいるかなと思います。

 原 これが完成しなくても、とりあえず当面の話としても、患者さんに書いてもらう文書の位置づけというのを、改めてクリアにする必要性があるとは思います。ある意味では、あれは患者さんの仮定の話としての意向の文書に過ぎませんので、あくまでも実際に「蘇生しない」と決めるのは、その状態になってからの話ですからね。

 勝村 なるほど。実際に先ほどのような事例ができているし、そういう懸念があるから、単にしおりに挟むだけではなくて、かなり具体的な基準が必要ということなんですね。

 原 「安易に蘇生しないでください」というところにチェックしたら、職員の人が「この人の心臓が止まったら何もしませんよ」と言ったら、全くの誤解ですから、そこは必要でしょうね。

 吉中 北村先生に質問ですが、DNARの指示と書いてありますが、指示の書き方はどのようにしていますか。

 北村 どういう指示を出すか、どこに書くかということですね。まだ具体的に詰めて書いてありません。

 吉中 カルテに今のように書くというのも選択肢でしょうけど。

 北村 具体的運用はまだこれからです。

 立岩 早すぎるDNARについてですが、一般的にDNARが正しく運用されるのであれば、早すぎる時期に決めても間違いとは言えないわけですよね。要するに回復の見込みがないとか、ここの幾つかの条件にあった時に指示が出されたのであれば、早すぎても間違いはないけど、今の議論では、早すぎる時に指示を出してしまうと、なんとなく「何もしなくても良いよ」という心理的な要素が出てきたり、変な誤解を招くから、早すぎるDNARは良くないという趣旨のように聞こえるのですが、そこにちょっと僕は引っ掛かるのですよね。

 北村 意見は2つありますね。1つは、早すぎる時点ではその最期をどう迎えるのか、厳密には判断がつかないということと、もう1つは、早い時点で患者の意向が表明されていたとしても、その後の経過の中で患者の意向が変わる可能性がある。それを、加味できないというところ問題があるので、「早すぎる時のDNAR指示は、やはり具合が悪かろう。本当に差し迫った時に出すべきだろう」というのが、ダメだという根拠です。

 東 ただ、早すぎるというのはどの時点かということが難しいかも知れません。例えばかなり悪くなって入院されても、その時点ではまだ差し迫った状態にはなっていないから、早すぎるという話になりますか。

 北村 本人の意向として載せておくのは良いですが、そこで医師がDNAR指示を出すのは問題があります。

 勝村 「その段階では心肺蘇生をすればまだいけるのに」という意味での「早すぎる」と、今の北村先生のお話と、確かに2つの意味がありますよね。

 原 「やるべきことをやらない」ということになってしまったら具合悪いということはありますが、ただ「指示」という言葉は別のものを考えた方が良いのかも知れないですけど。

 勝村 「早すぎる指示」という言葉のイメージは確かに2つになっていますよね。

 広瀬 先っき言った「決定する」というのも、恐い感じがするね。患者さんが希望したことを現実にする時が「指示」ですが、患者さんが「この時にやって欲しい」と思っていても、それが医療的にダメならできないですから、医師とかの職員がそれをきちっと説明できるということが大事ですよね。患者というのは「もうしてくれないで良いよ」という感じで、そこまで難しく考えていないからたいへんだなと思いますね。ある人が末期の癌で救急車で運ばれてきて、いろんな医療行為に取りかかったら、付き添って来た私の知り合いが「これ以上何をするの。もうやめて」と叫んだということが、こちらの病院であったのですけど、そういうことでも、やらなければいけないことはやるわけですので、そこでどうきちっと説明できるかということが大事だなと思います。

 吉中 逆にそういう場面ではそうですね。

 勝村 正確なDNAR知識と医学的条件を満たしているという、2つの条件がイメージなのか。

 原 言葉の問題もあるのですが、ただ心肺蘇生をするしないに関して、「条件が揃った場合に指示」という構成をとる必要があるのかどうかと言えば、そんなに固い捉え方をしなくても良いのかなというイメージを持っています。要するに、まず「やらなくても良いですよ」という考え方で合意をしているのですから、もう一度戻っても生き延びないような人は、DNARの判断をするのに「この条件、この条件を満たす」というようのをギリギリとやる必要はないように思うのですけど。手順もこのガイドラインで見れば、患者や家族の意向もそうですが、「行わないでよい」ということに条件を求めすぎているような感じはします。

 田中 DNARと終末期がゴッチャになっているところをハッキリさせないと…。

 原 そこをゴッチャにしてはいけません。とりあえず大事になるのは「終末期方針と心肺蘇生は話が違いますよ」ということと、「患者の意向を書いてもらっても、その時点から蘇生しませんという話にはならないですよ」ということです。

 吉中 そうですね。だけど、「この方はDNARだ」ということが明確でないと現場は困るのですね。「急に呼吸が止まった」とかいうことで呼ばれるわけですが、その時にパッと分からないとまず全部をやりますからね。カルテではすぐに分かりにくいというのが、いちばんの悩みですよね。

 清水 ただ、期日を決められるということはないのかも知れないのですが、本当にこれがDNARであるかを判断できるのは、やはり主治医とかその方をずっと診ておられた方だと思うのですよ。だから、ある期日をもって「今から以降の心肺停止状況はDNARが予想される」というようなものでなければいけないのに、あまりにも早くDNARと書いてしまうと、現実には医療はすごく忙しい中でやっているので、DNARという言葉が誤解を生んで、まだ蘇生できるのにやめてしまうこともあると思います。最初は分からなかったのですが、DNARとカルテに書くことにいろんな意味があり、受け取る人の場面も含めていろんな場面があることを、実はいろんな人としゃべって分かったのですが、DNARという言葉を使うと、そのへんがちょっと難しいかなと思います。

 勝村 DNARで担保されなくてはいけないのは、時間的に変化するかも知れないが、本人がそういう意向なのかということと、もう一つは、その人にとっては本当に医学的に無駄なのかということがあるけど、その意向の方だけを例えばカルテに書いて、「そういう意向だから、医学的にもこの人はやっても意味がない」みたいに判断されてしまうこともあり得るかも知れないですね。

 清水 ある意味では、主治医の先生でなければ適切なDNARかどうかが分からない部分があるような気がするのですが、同意書を取ったりすることによってずれたりすることもありそうなので、そのへんの難しさをどういうふうに整理して、かつ緊急の時に対応できるかという、非常に難しい問題があるなと思ったのですけども。

 原 今日は時間がもう限度ですね。そうですね、どうしましょうかね。

 北村 今日、ご意見を出していただいたのを踏まえて集約し、今後もガイドラインについて議論させていただきたいのと、患者向け説明文書だけで運用できないかはもう一度、病院に持ち帰って検討させていただきます。

 原 これが即、使えるかどうかは別として、とりあえず「誤解がないように」という性格付けはクリアにしたので、ここで合意しなくても、簡単な注釈みたいなものは使われても良いとは思います。
 ということで、コンサルタントの話はできませんでしたが、事前に送られた案を読んで、何かご意見はありましたか。費用が要るか要らないかというぐらいで、私は特に引っ掛かるところはなかったのですけど。

 北村 次回で結構です。

 原 治験の報告は?

 

議事(3)「治験審査委員会報告」

 吉中 規定通りに会議を行っておりまして、これが議事録ですが、当院が直接に関係している方々での重大な事象はありません。その都度、世界情報としていろいろ出てきていますけども、治験を中止しなければいけないという判断はありませんので、問題なく経過しているということです。

 原 特に大きな案件はないですね。それではとりあえずこれで本日は終えて、次回の日程ですね。提案はございますか。

 内田 1月の第1木曜日は元旦ですが、1月は5週ありますから、第5週の29日か、2月の第1週の5日ですね。ご都合の悪い方がいらっしゃらなければ、一応、第1候補を1月29日、第2候補を2月5日として、ご都合の分からない小原先生に聞いて決める形にさせていただき、メールでお知らせしてもよろしいでしょうか。

 原 それでよろしいですね。不手際が多くて申しわけございませんでしたが、本日はこれで終わりにしたいと思います。お疲れさまでした。

 


(入力者注)※ 文章は全体を通して、話し言葉を書き言葉に改めたり、意味の通じにくい言葉を言い換えたり、同じ発言の繰り返しを省くなどの推敲を行い、かなり要約した形になっていますが、発言者の意図を正確に伝えることを最優先にしています。また、患者名を特定される可能性のある情報など、秘密保持義務に触れる怖れのある発言は曖昧な表現に変えたり、伏せ字にしており、不明確な情報に基づき、中傷と取られる怖れのある発言における他事業所等の名称も伏せています。

 

 

ページの先頭へ

京都民医連中央病院

〒604-8453 京都市中京区西ノ京春日町 16-1
電話:075-822-2777 ファクス:075-822-2575