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第二十六回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2008年5月1日(木) 18:30~21:00
場所 太子道診療所3階多目的ホール
出席者 外部委員 小原委員長、原副委員長、勝村委員、広瀬委員
内部委員 内田委員、出島委員、東委員、吉中委員
事務局 丸山
オブザーバー 北村、清水、橋本
議事(1)のみ参加 井上、宮下淳(洛和会音羽病院医師)
欠席 立岩委員、村井委員、坂田委員、高木委員

議事

小原 第26回の倫理委員会を定刻から開催させていただきます。事前に郵送している資料に加え、かなり多岐に渡る当日資料がお手元にあると思いますので、両方を併せてご覧いただきたいと思います。当日資料の一番上に置かれた紙に記された本日の議事に沿って、概ね扱っていきますが、若干、順番を前後させるところもあるかと思います。最初に、この委員会全体に関わることでもありますので、議事「(4)その他」の「①病院委員の交代について」の項目から進めていただきます。では、この件をご説明いただきますか。

吉中 はい。病院委員の交代ですけども、北村先生が帰任されましたので、出島先生と交代して病院の委員になっていただくというのが、提案の趣旨です。何を研究されてきたかの詳細は存じあげていませんが、倫理に関わる分野のことをかなり深められたと聞いておりますし、出島先生の方は、昨年から非常勤の形での勤務になっていたのですが、委員の交代も難しかったので、そのままお願いしていたという経緯があります。今後も、出島先生にはオブザーバーということで引き続きご参加いただきたいとは思っていますが、委員の交代ということについて、ご承認いただきたいと思います。

小原 ということで委員としては、今日は出島先生にご参加いただけるのですが、次回からは北村先生に交代するということで、ご承認をお願いいたします。では、議事(1)に移ります。資料もありますが、これについてのご説明・ご提案をお願いします。

井上 それでは僕の方からご説明させていただきます。京都民医連中央病院の内科の井上と申します。どうぞよろしくお願いいたします。今日は、「高齢の経管栄養患者の誤嚥性肺炎に対する寒天固形化栄養剤の予防効果について」ということで、ここに来ていただいている洛和会音羽病院の宮下先生が中心になって進めておられる研究ですが、「当院にもその中の一部を担って欲しい」というご提案がありまして、ぜひ当院でも積極的にさせていただこうと思っております。

詳しくは後に宮下先生からご説明いただきますが、経管栄養患者さんは非常に誤嚥性肺炎を起こしやすいということは、よく知られています。ところが、近年の寒天栄養剤のように、「固形化して経管栄養をすることで、果たして誤嚥性肺炎を防げるのかということについて、ハッキリしたエビデンスがない」と言われており、言わば、世界で初めてこの研究に取り組むということです。当院以外の他施設にも参加をいただいていますので、宮下先生の方から、その参加報告などもご説明いただいて、皆さんのご同意をいただきたいと思っています。

宮下 はじめまして。洛和会音羽病院の総合診療科の医師で、京都大学医学部医療医学教室の研究員もさせていただいています宮下と言います。よろしくお願いします。

今、井上先生からもありましたように、寒天を用いた固形化栄養剤と、通常の液体栄養剤との2群をランダム化させていただいて、ランダム化比較試験をしたいと思っております。全部合わせて70~100症例と考えていますので、洛和会音羽病院および姉妹病院の丸太町病院と民医連中央病院さんとでは足りないのではないかと思いまして、その他に胃瘻(いろう)研究会の理事をされている先生を通じて、全国で参加施設を募っているところでありまして、合わせて5施設ぐらいで、1施設10~20症例ずつぐらいをご登録していただければと考えています。

内容としては、胃瘻をしておられる高齢患者さんに対して、ランダムに2群のどちらかに入っていただくということで、急性期病床の場合は3ヵ月程度、長期療養型施設の場合は6ヵ月程度、追跡していただいて、その間に肺炎が発生するかどうかを見て、その発生率を比較するという形になっています。

倫理的な問題としては副作用という点になると思いますが、固形化栄養剤では大した副作用は報告されていませんで、便通に関して、少し便秘気味になったりとか、逆に下痢気味になったりすることがあるかなということぐらいだと思います。だいたいこのような感じですが、できれば10~20症例前後をご協力していただければというふうに思います。

小原 今、ご説明いただいたように、これまでの流動食と寒天状の固形化栄養剤との比較研究で、この病院もその研究に加わっていただきたいというご提案でした。資料もありますので、それなども参考にしていただきながら、もしご質問があればどうぞお出しください。

原 経管栄養というのは、具体的にはどういうことですか。

宮下 今回は胃瘻の患者さんに限り、経鼻の栄養は外そうと思っています。液体に関してはいろいろと市販されていますので、その内のどれかを使っていただいて結構なんですけど、固形化群に関しては、寒天を用いた固形化栄養剤、民医連中央病院さんでは独自に作っておられるということなので、それを使っていただくか、あるいは大塚製薬からハイネゼリーという寒天の栄養剤が出ていますから、そちらを使用していただく施設等も考えております。

原 胃瘻というのは、胃へ直接、栄養を入れることで、それを液状にするのか寒天状にするのかということですね。それと誤嚥との関係はどうなのですか。

宮下 誤嚥性肺炎は、口腔内からの落ち込みと胃からの逆流によって起こると言われていまして、固形化することによって逆流が減るのではないか。それも寒天による固形化の場合、胃に入っても溶解せず、固形のまま胃から小腸に入って吸収されるということで、逆流が少ないと理論づけられています。造影のCTを使った10人程度の試験で、逆流が少ないことを確認された先生もおられるぐらいのエビデンスに、今のところはなっています。

小原 固形化栄養剤に関しては、この病院では独自に作っており、市販されているものもあるということで、種類による個体差というのは関係ないということでしょうか。

宮下 ハイネゼリーに関しても民医連さんのものに関しても、100ccに対して0.3~0.5gの寒天粉末を使うということで、だいたい全国的にそういう形でされていますから、プロトコル上もその範囲の中のものならば良いということにさせていただいています。

吉中 少し補足しておきますと、高齢で寝たきりになったりして胃瘻をするという方はかなり多いですね。従来は中心静脈栄養で栄養補給をすることが結構あったのですが、感染やトラブルも多く、胃瘻は正規の胃や腸を使うこともあって非常に良いということで、流れとしては胃瘻をかなりたくさん使うようになってきています。その中で市販の流動性のある栄養剤が出ているのですが、薬として認められるものと、食品とされているものの両方があります。それでも誤嚥性肺炎を繰り返すということで、2年ぐらい前から寒天がかなり言われだされました。で、いろいろと試行錯誤してやってきましたが、当院はかなりたくさん使っている方だと思います。ただ残念ながら、「寒天にしたら誤嚥性肺炎を本当に予防できているのか」ということは、明確ではないということがあって、臨床的に「多少はマシかな」という感触は持ちながらやっているというような現場です。

小原 国内的には2年ぐらい前からこちらにシフトしていっているということで、エビデンスがないので実証実験をしたいということなんですが、世界的にはどうなのですか。当然、誤嚥性肺炎というのはあるでしょう。

宮下 寒天を用いた栄養剤というのは、いろいろ調べても全く出てこないですね。日本独自の試みですね。胃瘻自体も世界的には少なくなって、あまり胃瘻にはいかないような医療になってきている状況なのですが、そういう意味もあって、胃瘻に寒天栄養を使うことで意義があるのではないかと、世界的にも問題提起ができるのではないかと思っています。

原 市販の栄養剤とは、許認可のあるような世界ですか。

宮下 一応、食品でして、医薬品ではないです。

原 特段、ないということですかね。

吉中 食品として何か許認可があるのではないですかね。

原 食品に許認可はありますかね。

宮下 おそらくはあると思うのですが、そんなに厳密なものではなく、多分、食品として許認可は簡単におりるものだと思うのですけど。

吉中 ハイネゼリー寒天なんですかね。

宮下 はい、寒天をゲル化剤として使用したもので、大塚製薬が去年の6月から販売しています。

吉中 これは、臨床現場の方が先で、後追いで出てきているのです。私も自分の父親の時に、寒天を百均とかに行って買ってきて、溶かして作ってもらっていました。

勝村 濃度を間違っても、濃度の違いはほとんど影響ないのですか。

宮下 寒天にはほとんど副作用はないと言われていまして…。

勝村 硬さ加減の面では? 例えばバリウムは濃度を間違えれば、手術で出さなければいけないでしょ。

宮下 固くなり過ぎると逆に、胃瘻に入らないというような部分があります。

勝村 ハイネゼリーは水分を補給しないといけないが、他のものは必要ないとありますが、どう違うのですか。

宮下 民医連さんで作られているもののように、必要水分量も含めて完全に固形化されて作られている場合は、それだけで必要水分量が入りますが、患者さんによって必要水分量は変わってきますから、市販のハイネゼリーの場合、患者さんに合わせて足してもらわなければいけません。本当は、その分の水も寒天水のように固めるのが理想的なのですが、水は栄養剤に比べて誤嚥性肺炎になりにくいので、寒天の栄養剤とは少し時間を空けて水だけを入れてもらおうということに、今回はしていただこうと思っています。

原 同意は、本人同意が取れる人ということではないのですか。

宮下 そうですけど、だいたいの人が認知症のあるような寝たきりの患者さんになるので、家族の方に代諾者という形で同意書をいただくことになると思います。

吉中 今も実際にやっていますけども、「こっちにしましょうね」というような話で、現場では食事と同じような扱いで決めているのが現実です。また、自宅でされている人もあります。

小原 実際に誤嚥性肺炎の発生率そのものは今、どれぐらいですか。

宮下 1年間に100人いたとして、1人ぐらいの割合になると思うので、1%程度ですよね。それを昨年、カルテの方でレビューさせてもらったところ、寒天栄養にすると約半分ぐらいになるのではないかという予測を立てたのですが、そこで算出されたサンプルサイズで、70人程度を2群で3ヵ月から半年を追うことで、その差が検出されるのではないかという、統計的な算出方法になっています。

原 若干、統計として弱くないですか。ブラインドにはできないのですよね。

宮下 ブラインドにはできないのですが、その割り付けがどちらか分からないような形でレントゲンを医師に判定してもらうというように、アウトカムの肺炎の発生に関しての評価者をマスク化する方法をさせてもらおうと思っています。

吉中 誤嚥性肺炎は1%ぐらいですか。もっと多いような気がするのですが。

宮下 もしかしたもう少し多いのかも知れませんが、昨年させていただいたカルテの上ではそれぐらいになっていまして、その他のいろいろな研究を見ても、多いところで3~5%程度であったりとか、研究によってバラツキはあるのですが、数%程度ではないかなと思います。

小原 このデータは入院患者のものですか。

宮下 そうですね、施設入所あるいは入院ですけど。

吉中 誤嚥性肺炎の定義はどんなふうに?

宮下 まず、誤嚥のリスクのある患者の肺炎全体を誤嚥性肺炎としてしまおうと思っていまして、寝たきりであって胃瘻を造設されているような患者さんは、もう誤嚥のリスクがあるということで、そういう患者さんの肺炎は今回、全て誤嚥性肺炎と定義することにしました。

吉中 臨床現場では、誤嚥と思われるこういうケースの肺炎が発生すると、何度も繰り返して退院できなくなるということに落ち込みやすいので、大きな課題です。ただ、スウェーデンで聞いてみると、「スウェーデンではそういうケースはない」と言うのですよね。老人施設などで「胃瘻があるか」と聞くと「胃瘻はない。それは食べないという意思表示だから」ということで、「肺炎を起こした人は入院させるけども」とは言いますが。

小原 国によっては、誤嚥性肺炎に対応するようなものの認識が…。

吉中 多分、胃瘻があることで、全体が違うのだと思いますね。

小原 誤嚥性肺炎になりやすい患者さんのデータとして、体質的な相関関係は何かあるのですか。

宮下 データとしてあるのは、口腔の衛生状態が悪い人と、または嚥下機能が悪い脳血管障害や変性疾患がある患者さん、あとは眠剤とか薬剤の利用もリスクになります。逆に「予防になる」というエビデンスが少しあったり、なかったりなんですね。あとは、「口腔ケアをすることで誤嚥性肺炎が減らせた」という東北大学のグループの研究もありますね。

吉中 胃食道ヘルニアは関係ないですか。

宮下 それは今のところないと言われていますね。

吉中 一時、「胃瘻して誤嚥性肺炎が減るかどうか」というディスカッションもあって、それは「あまり減らない。ヘルニアがあって、胃瘻をしても逆流するのは一緒だ」という話でしたね。

宮下 「経鼻栄養と胃瘻のリスクは変わらない」と言われていますね。

原 説明文書での患者への説明に関しては、リスクの問題事象も変なことがなければ、このくらいの方が良いのでしょうが、「本当に何か起きた時に」ということの条項が書いてありませんね。

宮下 「そういう場合は、すぐに主任研究者である私の方に連絡が来て、すぐに研究中止になる」なりと、プロトコルの方には書かせていただいているのですが、説明の方にもそういうのを入れておいた方が良いですね。

小原 ただ、「予想される副作用として、そういうことはない」ということですね。

宮下 今のところ、排便障害ぐらいしか言われていていないのが実情ですけども。

勝村 寒天にはアレルギーとかはないのですか。

宮下 アレルギーも聞いたことはないですね。下痢をしていた患者さんに寒天栄養をすると、普通の便通になったりとか、少し固めになることで良くなることが多いのですけども、普通の人がやると便秘気味になる可能性もあるかも知れません。

吉中 乳製品なども入っていて、普通の流動食の方が結構、下痢で困るのですね。寒天の方がそういった点では扱いやすいのですが、寒天を入れる方が力は要るので、看護師さんたちは手間がかかると言いますね。

小原 患者からすれば、どちらも身体的差違はないわけですか。

宮下 液体の方は2時間ぐらいかけて入れますので、その間はずっと同じ体勢ですが、寒天の方は数分で終わりますから、そういう負担に関しても寒天の方が良く、数時間かかると褥瘡ができやすいので、寒天にすれば褥瘡が減るというメリットもあるのではないかと思っていますが、今回の研究ではそこまでは調べません。

小原 それは、ここには書いていないですね。ただ、患者さんの視点からすれば、ジッとしてなければいけない時間が今まで長かったのが短くなるとか、身体的にはどう変わるかという点は結構、大きいと思うのですよ。

原 ただ、ランダム化試験だから、逆に「それをしたい」という人が、参加中は選べないということもある。

小原 選べないですね。けれども、そういう違いがあるということは知っていても良いわけですね。

勝村 寒天の方が良いように思いますよね。

吉中 そうですね。だから現場では皆、それでやっているのだと思う。

勝村 実質、現場で今は寒天の方が多いのですか。

吉中 ウチなんかではそうです。

宮下 ただ、医療者側の手間がかかるので、そういう点で爆発的に普及はしない状況ですね。

勝村 現実から考えると、この研究をするために、実質的に寒天を減らさなければいけないという感じですか。

井上 現場では、いちばん初めの症例として、いきなり寒天を選択することはまずなく、最初はやはり液体をして、肺炎を繰り返すリスクの高い方に初めて寒天を使うという考え方をしています。

勝村 「作る手間がかかるから、基本は液体なんだ」というのが現場なのですね。

小原 今、ざっと割合的にどれくらいですか。

宮下 僕が調べたのは、寒天を使っている人だけを集めたので、全体でどれぐらいかは分からないです。

井上 半分はいかないと思っています。

勝村 褥瘡対策に有効なら、推進すべきだという感じがしますね。

出島 ただ、家に帰ってからやるのはかなりたいへんですから、病院だけで導入しても、在宅でそれを続けられる何らかの手立てがないと続行できないので、あまり一気に進まないと思います。

勝村 市販品の良いのが出たらいいと思いますね。

宮下 そういう意味では、去年から出ているので、それが使えれば…。

広瀬 在宅になったら、看護師さんに来てもらってやるわけでなく、家族の人がやるわけですか。

宮下 在宅の場合は、そうしておられる家族さんもいます。

勝村 水分もちょうど良いような市販品ができたら良いねぇ。

宮下 ただ、個人差があるので難しいかなと思います。

原 「謝礼」という項目が「研究計画書」に出ていますけど…。

宮下 患者さんに関しては、全て患者さんサイドの負担になるのですが、研究に協力していただいた医師の方には、登録と追跡で1症例に3000円の図書券という形でさせていただこうと思っています。

原 臨床研究で、こういうのはしばしばありますか。

宮下 はい、今は一般的にされていることです。

吉中 研究費から出ているのですか。

宮下 はい、そうですね。

原 これは病院ではなく、個人が受け取ることになるのですか。

宮下 そのへんは詰められていなくて、例えば民医連さんがどういう形で参加していただけるかということもあると思いますが、同意書を取っていただいたりとか、データの書き込み、登録時と肺炎発生時にFAXを私へ送ってもらう手間に対してということなので、実際の現場の先生へという形になると思います。

吉中 これはまだ院内で整理ができていないのですが、その取り決めをしないといけないかなと思っています。

原 ドクターに出すのなら、患者にも1000円ぐらい出したら良いような気がしますけど。(一同笑い)

小原 ただ、通常はそういうことはしないわけですね。

宮下 いや、それもありだと思うのですが、研究費の問題で、本当は寒天ゼリー代の全部を半年分とか、出せれば良いのですが、なかなかそういうわけにもいかないし、患者さんに対して1000円を渡すといっても、どういう意味合いに取られるかということもあります。

勝村 寒天ゼリーも自腹と書いてありますね。

原 自腹って、これはどうなるのですか。

吉中 これは元々、保険適用ではないですね。

原 保険適用ではないというのは、どういう体系になるのですか。

吉中 食事の扱いです。エンシュアリキッドなど一部だけが薬品適用になって、それは保険で出るのですが。

原 入院中の食事療養費との関係はどうなるのですか。

出島 だから、食事をした方が自己負担が増えるか…。

宮下 だから、食事を液体の食事にしてもらうか、固形の食事にしてもらうかということです。

原 経管栄養の場合は、食事療養費が「なし」という形になっているということですかね。

吉中 入院中は給食費が1食700円あるので、そういう枠内で食事としてカバーできるのですが、お家に帰られた時には、全部が自己負担になります。

小原 流動食と固形化栄養剤とは、コスト的にはどうなんですか。

宮下 10~20円の差だけで、ハイネゼリーのコストは、よく使うテルミールなどとほとんど変わりません。

原 入院中は食事療養費の中ということで…。

吉中 食品の場合はそうですね。エンシュアリキッドとかラコールとかの薬品の場合は、薬品費になります。

原 食事療養費は経管栄養の人も取るのですが、その分でこの栄養剤代が付くわけではないということですか。

出島 保険の利くエンシュアとかラコールという栄養剤の場合、薬として出ているのですね。その時に、寒天を混ぜたりといった経管栄養の管理をしながら食事調整をしているということで、食事代を算定している人と、自己負担が3割とか非常に多い人の場合、欠食という状態にして、食事代を算定していない人があると思います。

吉中 エンシュアなどの場合はね。

出島 それから、保険適用のない栄養剤の場合には、食事として出しています。

小原 今回の場合は、原則的に保険適用のない栄養剤ということで、食事ですね。

出島 でも、ラコールは入っていますね。

小原 では分かれますね。

出島 いろいろありますね。

原 それは制度的には問題がないのですか。食事療養費を請求する患者に関しては、そこから栄養剤代を出して、それ以外には取らないということで、食事療養費が付かない人には、別途徴収するということですか。

吉中 付かない人というのどういう人?

出島 小児科の場合は3割負担なので、欠食にしている人は結構あるのですが、大人は負担が少ないので、多分、ほとんどが算定していると思います。

吉中 逆に、付かない人というのはないでしょう。絶食で食べられず、点滴だけという人はそうですけども。だから矛盾が生じるのは、入院中はエンシュアリキッドやラコールで薬剤として算定されている場合には、家に帰っても同じく薬剤で算定できるので、費用はあまり変わらないですけども、寒天なんかを全部自分でやらないといけないので、費用が結構高くなったりすることがある。

原 そら、在宅になったら食事代は出ませんから分かりますが、ここで「費用はあなた自身によって支払われる」というのは、入院中に費用を別途徴収するように見えるのですけど。

宮下 なるほど。それはもう書かない方が良いのですかね。

東 「別途、お金を払え」ということではないですから、「食事代としていただく中から支払われる」ですね。

原 そういう形であれば、そういう説明を入れてください。

宮下 分かりました。「食事代の中から払われます」ですね。

原 「入院中の場合は~」とかですね。研究自体は入院中とは限らないのですか。

宮下 入院中だけの研究です。

吉中 退院する場合もあるでしょ。

宮下 そこでもう打ちきりで、研究を終わりにします。

小原 確かにここは、「余計に払って参加してください」みたいに、誤解される感じがありますので。

広瀬 高齢者で認知症の方もいらっしゃるのなら、本人ではなく家族とかの承諾でもいけるということですか。

宮下 そうですね。ほとんど代諾者ということになると思います。

広瀬 すると、何かが起こったりすると、本人の意思ではないということもあるから…。

宮下 まぁ、それを代諾していただける方という…。

広瀬 今までのこういう研究とは、そこのところがちょっと違うからと思って…。

小原 代諾者ではなく、本人意思を確認できる方に限定すると、症例数が少なくなって具合悪いわけですね。

宮下 それは難しいのではないかと思います。

吉中 まずいないですね。

北村 代諾者の範囲はどのように限定されているのでしょうか。

宮下 その人の後見人というか、一応、家族の範囲では考えているのですが。

北村 身よりのない人だったら?

宮下 それはちょっと難しいと思いますね。

原 内容的にはそんな重大な試験とは思えませんけど、手続き的には、代諾の部分をどう考えるかですね。

小原 臨床研究で、本人ではなく代諾者がもっぱらという例は、他にもありますか。

宮下 正直に言うと、そこまでは調べていないのですけど。

出島 障害を持った子の研究とかはほとんど全部そうですね。

原 研究というのは前向きの研究という意味ですかね。

出島 そうですね。

広瀬 それやったら、医師の研究として謝礼を出しても、患者向けに謝礼が発生しない方がよろしいね。

吉中 なるほどね。

原 多分、そういう研究もできるようにしていかないと、判断能力のない人を対象とした医学研究は進まないと思うのですが、「代諾で良いのだ」ということで、どんどんいけるものでもないとは思うのですね。

小原 今回の場合は、副作用とかご本人に対するリスクが極めて低いということで、代諾の多さも許容されると思うのですが、本人のリスクが予想されるなら、簡単に代諾なんてできないと思うのですよ。

原 若干、妥協的に提案しますが、ナースの署名を入れていただきたい。ドクターと患者の関係の世界だけで、代諾の話を臨床研究としてやるのはいかがかと思いますから。実際問題としては難しくはないと思うのですが。

宮下 分かりました。「受け持ち看護師」というような感じで…。

吉中 実施者は看護師さんだから、確かにそうやね。

北村 同意書に看護師氏名というのが…、

原 立ち会いなのか、同席…、

北村 同席ですかね。

小原 同意書用紙でいうと、それを説明医師氏名の下ぐらいに書くということですか。

原 下ぐらいに1つ増やしたらということです。看護師にもよりますけど、一般論としたら、ナースの方が患者保護的な立場に近いというか、研究しようと思っているわけではあまりないですから。

小原 質疑応答の中でこの研究に対するイメージはかなりできたと思うのですが、どうでしょうか。後の大きな議題も待ち構えておりますので、特にご異議がなければ、今、出された修正案も含めて、基本的にはご承認いただきたいと思うのですけど、よろしいでしょうか。
では、承認いたします。

宮下 ありがとうございます。

小原 では、次の議題にいきます。何度も議論を続けてきた議事ですけれども、「終末期医療について指針・手順」、それから「心肺蘇生術中止の手順」(案)についての審議をいたします。まず、資料の確認とこれまでの議論の確認を少しさせていただいて、もう一度、何が論点となっていたかをリフレッシュしたいと思います。

事前資料の中に「終末期の心肺蘇生術について」という患者向けのものと、それに続く同意書があります。それとは別に「民医連中央病院 DNARのガイドライン」もあります。また、当日資料の中に「DNAR患者向け説明文書(提案1)」というのがありますが、これは次回から委員に復帰される北村先生から出されたものです。

これまでの議論の基本的な反映は何かしらの部分でされているのですが、まだキチッと決着のついていないことが一つあります。「終末期の心肺蘇生術についての私の考え」という同意書は、「早期に必要なのか」という議論が繰り返しされ、こうしたものを出すこと自体に否定的な意見もありましたが、DNARに関しても同意書をもらうというのが国内的な大きな流れであるということも、ここで考えてきたわけです。前回までの議論で文書そのものはかなり煮詰まってきていると思いますが、なお詰め切れていませんので、できれば1~2回の間に決着を付けたいと思います。もちろん、重要な論点については繰り返し議論する必要がありますが、1年以上も続いていまして、これに関わる患者さんも日々おられますから、あまり長く引きずるのは好ましくないと思います。

お手元にある資料に基づいて話を進めていきますが、北村先生の案はほとんどの皆さんも初めて目にするものと思いますから、これについて北村先生ご自身から骨子のご説明をいただきたいと思います。

北村 今回、私が説明文書を新たに起草した経緯について、まずご説明したいと思います。2週間前に院長から「北村の方で推敲してくれないか」と依頼されたのですが、過去に議論の蓄積があって、かなり完成を迎えつつあるようなので、私が新たに創出作業に取り組むことは良くないように思ったのですけど、若干、考えるところもありましたので、新たに出してみました。ただ、過去の議論とできるだけ関連づけましたけれども、直接につながりのない部分もありますので、もし、これに基づいて話をすることは不適切であるとご判断されれば、これをなしにしていただいても構いません。

起草にあたっては、過去の資料や議事録をいろいろと参照して、推敲を始めたのですが、過去の議論には不明確な点も多くて困りました。問題があると思った一つは文書の起草の順番が前後していることです。本来は、最初にガイドラインを作って、それを噛み砕いて分かりやすく説明する文書を作って、患者さんに提示するという流れがあるべきですが、議論が逆になっているために、不明確になっているところや、患者さん向けの文書に書かなくていいところを入れてしまうことになったのではないかと思いました。

もう一つは、必ずしも重要な点について合意が形成されていないと思いました。例えば前回の議事録では、「医学的に無益な蘇生をやめることを前提にしよう」という話が進んでいたと思いますが、一方で立岩先生のメールでは「ずっとこういう方向で良いのか疑問が残っている」とお書きになっているように感じられ、「蘇生をまずきちんとやろうという価値を明示してはどうか」とご提案されていると思うのです。このように議論のスタート地点から合意がきっちりと確認されないままに、文章が練られているので、議論の到達点が不明確なままに文章だけができてきているということに、少し危惧を感じています。

それからもう一つ、問題があるのは、当院の理念と過去の歴史を踏まえた主張になっていないという点にあります。最初の草案を立岩先生にご提示いただき、それを基に議論を重ねてきましたが、本来は当院職員が我々の理念とリンクさせながら文章を推敲していかなければいけなかったのに、それができていなかったという点にもやや問題があろうかと思いました。

そうした問題意識に立って、一から作り直したのが今回の説明文書です。本来であればガイドラインを先に作って、この作業に取りかかるべきでしたが、それを間に合わせることができなかったので、ロジックに甘さがあると思いますけども、文章を読んでいきますので、問題があればご指摘いただければ幸いです。作成にあたって気を付けたのは、病院の理念や歴史、日常を踏まえて、それと整合性のある内容にするということ、それから、できる限り今までの議論に沿った内容にすることを心がけました。

本編の説明に移りますが、まず、タイトルを「終末期の患者様に対する私たちの援助について」といたしました。この文書は「入院のしおり」に挟み込むことを念頭において書きました。どうしても長くなってしまいましたが、これでどうかなと思っています。

【当院では1988の開設以降、特に社会的に弱い立場におかれた人たちへの医療的援助を当院の使命と考え、広く活動してまいりました。そして2003年には「安全安心の医療」、「患者様本位の医療」、そして「地域に開かれた医療」の推進を病院理念に掲げ、そうした理念の追求を通じて患者様の治療にあたるとともに、地域の皆様の健康増進のために全職員、日々努力を重ねてまいりました】ということで、最初に議論の出発点として、当院の基本的姿勢を明示しています。

そして次に緩和ケアについての説明を入れています。これは、実際に心肺蘇生を行う前に通常、看護ケアが十分になされている必要がありますので、それを明記しておくことが医療の実情にもあっているのではないかと思いましたので入れました。「緩和ケアについて」。【皆さんの治療にあたる際に、私たちがまず目標に掲げていること、それは患者様の病気からの回復を目指すことです】。【しかし人間がいずれはその命を終える存在である以上、病の進行とともに回復が絶望的な状態になることは誰にでも訪れます。その場合でも、なお最後まで病気の治療や回復を図る治療にだけ力点を置いていては、そうした積極的治療のために生じる強い苦痛によって、患者様の療養生活全体がとても苦しいものになってしまう場合があります。そうした場合には、病気の治癒を目指すだけではなく、同時に苦痛を緩和することにも積極的に取り組むことが大切です】。【私たちは患者様の病態に即して、回復を目指す医学的な治療だけでなく、様々な苦痛を少しでも緩和するための治療(緩和治療)も適切に行うように心がけております】。【臨床現場で活動する当院の職員は一般的な緩和治療を行う技能と知識、経験を有しておりますが、さらに緩和医療について精通した内科医・精神科医・専門看護師・薬剤師などからなる専門チーム(緩和治療チーム)も活動し、全ての患者様の病態に即した医学的治療と緩和治療が適切に提供できるよう万全な態勢を敷いております。入院中に身体の痛みや精神的苦痛などをお感じになれば、まずは遠慮なく、主治医やスタッフにご相談ください】。

以上の説明をした上で、「心肺蘇生について」の議論を進めております。【入院治療は患者様の病気からの回復を目指して行うわけですが、治療を十分に行っても回復が困難となり、死が差し迫った状態に陥る場合があります。良くない経過をたどった場合、最終的には心臓は停止し、呼吸は止まってしまうことになりますが、そうした心肺停止状態に陥った際には、当院では以下の方向性に基づいて対処を行っています】。

ここでは、前回の議論とは少しかみ合わないかも知れませんが、まず当院では「1 いかなる状態であっても心肺蘇生をしっかりと行うことが原則です」と提示することにいたしました。これは、当院の理念とか過去の歴史的経緯から変移的に導き出せるような価値だと思いますし、立岩先生のご意向ともマッチするものだと思いましたので、これを提示しました。ここに前回の議論とかみ合わない部分があるかと思いますので、この点については後で議論をいただければ幸いです。では文書を読みます。【患者様の呼吸や心臓が止まった場合、通常、私たちは救命のために「心肺蘇生(心臓マッサージを行ったり、人工呼吸などを行うこと)」を実施します。私たち医療従事者にとっては、死に瀕した患者様を救命することが何よりの使命ですから、いかなる患者様についても呼吸や心臓が止まった場合には、心臓マッサージを行うことが当然の責務です】。【この原則は本来であれば掲げるまでもないことです。しかし近年では医療費抑制の観点から、「延命治療」を継続することに対して財政的圧力がかかってきています。そうした現状の中では、患者様が「一日でも長く生きたい」という思いを持っていても、その意向が無視され、「延命治療」が差し控えられてしまう危険性が高まっているといえるでしょう。私たちもそうした危険性を自覚しないでいては、全体的な潮流に流されてしまいかねません】。【そうした現状を鑑み、社会的に弱い立場におかれた人を医療的に支えることを使命としてきた当院としては、「心肺蘇生」についても患者様本位の援助を確実に行えるよう、あえて「心肺蘇生をしっかりと行う」ことを原則として掲げることにいたしました】。

で、その後、患者さんの意向についての話に移っていきます。「2 心肺蘇生を行わないこともあります」。【しかし、癌などの進行性の病気が悪化して、回復が極めて困難となる終末期において、「心肺蘇生をしっかりと行う」原則だけに縛られると、「患者様本位の医療」という点で問題が生じる場合があります。患者様が「人生の最後は安らかに逝きたい」という希望をお持ちの場合で、かつ蘇生をしても数時間の間に死を迎えると予想されるような事態において、あえて心肺蘇生を行うことはほとんど延命効果がないばかりでなく、結果的に安らかな死を迎えられなくするおそれが高いからです。そこで当院では、進行性の病気によって死が極めて差し迫った状態に陥った場合の心肺蘇生に関して、次のような方針で実施しています】。

「1)患者様意向を最大限尊重します」。【まず基本的に、その時点の法律と司法的判断によって許される限り、患者様の意向を最大限尊重します。例えば「延命効果の乏しい心肺蘇生は実施しないで欲しい」という意向を表明された場合は、私たちは患者様のそうしたご意向を最大限尊重して対応いたしますし、逆に「可能な限り心肺蘇生を続けて欲しい」、あるいは「家族が来るまでは続けて欲しい」といったご希望を表明された場合には、最期の時に臨まれるご本人の負担に配慮しながら、ご意向に合わせて心肺蘇生を続けることもいたします。また「心肺蘇生の実施については担当医の判断に任せます」というご意向であれば、その意向に従って医学的・経験的に妥当だと判断し得る対応をとることにいたします】。

「2)患者様が希望を表明できない場合でも、推測される意向を最大限尊重します」。【病状の悪化や知的機能の減退によって患者様が意向を表明することとが困難な場合でも、患者様の普段の言動や過去に表明されていた終末期に関する意向などを材料として、職員とご家族、あるいは患者様をよく理解している方と十分に話し合い、可能な限り患者様の意向を推測し、その患者様の意思を尊重した決定をするようにいたします。身寄りの方が誰もおられない場合には、患者様のことを知る職員が十分に討議した上で、推測される意思を尊重した対応をとることにいたします】と、代理決定の手続きについて若干の説明をしています。

その次、3ですけど、これは心肺蘇生を中止する判断についても若干、触れた方が良いかと思いましたので書きました。「3 心肺蘇生の中止については、心肺蘇生を続けても医学的に延命効果の上で無益と考えられる場合、複数の医師の判断で中止いたします」。【患者様の意向に添って心肺蘇生を行う場合でも、その効果がほとんどない場合には、最終的には蘇生術を中止することになります。その場合、中止について患者様の意向が示されている場合(例えば「家族が来るまで」など)には、その意向を最大限尊重しますが、そうした意向がない場合は、複数の医師の合意によって医学的・経験的に妥当な継続・中止の判断を下します】。

で、「4 ぜひご意向をお聞かせください」。【いかなる選択であれ、患者様の希望を最大限尊重することが大切だと、私たちは考えています。ですので、終末期の心肺蘇生に関するご意向を、ぜひ主治医あるいは看護師にお伝えください。この際、口頭でお伝えいただいても結構ですが、この「入院のしおり」に添付している「私の考え」にご記入の上でご提出いただくと、より患者様の意向を明確に確認できることもあり、希望を最大限尊重しやすくなると思います】。この部分については文書による同意を絶対条件とするのではなく、あくまでも一つの可能性として提示しており、口頭で伝えていただいても結構だという中身にしてあります。ここについてもご意見をいただければ幸いです。【もちろん、こうしたご希望をお示しいただいても、ほとんどの入院患者様は病気から回復し退院されていかれるわけですから、今回の入院では無用に終わってしまう可能性が高いでしょう。しかし、いつかはどなたにでも起こる終末期の対応についてあらかじめご意見を表明いただくことは、私たちにとっては患者様の死生観について知る貴重な機会となりますし、患者様についての理解が深まることで、皆様に対する普段の治療の質をより高めていけると考えております】。【ぜひご意向をお聞かせください。よろしくお願いします】と、終末期に限らず一般医療にも役立てる資料だという位置づけを提示することで、より気軽に出していただけるようになるのではないかという思いもあって、これを加えました。以上、ご説明いたしました。

小原 ありがとうございました。どういうものを作るにしても「入院のしおり」に入れるという点は合意されていますが、細かい議論に入る前にご審議いただきたいのは、これまでの議論で作られてきた事前資料Bの説明文プラス同意書と、北村先生の説明の丁寧な案との2種類のバージョンが提示されていますので、そのどちらを軸にしてこれから議論を進めていくかということです。確かに内容的には、2つのものを摺り合わせて調整していかなければいけない部分が若干あると感じたのですが、基本的には北村先生にもこれまでの議論を踏襲して考えてもらっていますので、主張に大きな齟齬があるとは思いません。ですから、どちらを土台として案を固めていけば良いか選択していただいた方が、これからの議論は進めやすいですね。この点に関してはいかがですか。

北村 先に、その点について思うところを申しあげたいのですが、入院に際して患者さんが必要とする情報には大きく2つがあるのではないかと個人的には思っています。1つは、例えば入院にはどんなものが要るのかとか、病棟はどんな構成になっているのかといった極めてプラクティカルな情報。それと同時に、この病院はどういう方向性で治療しているのかというような病院の理念から、それが治療にどのように貫徹されているかといった治療の中身を詳しく説明した病院のフィロソフィーを書いたような文章ですね。現在の「入院のしおり」は、その2つがなんとなく混然となって出されているようなもので、今後、発展的にしていくためには、その2つの文章を分けて、終末期に限らず、当院の治療の方向性についてしっかりと書いたものを用意して、その中にこの文章を位置づけていただくと良いのではないかとは思っています。ただ、当院の「入院のしおり」のあり方までに広げてしまうと、ちょっと広がり過ぎではあるのですが、そんなことも考えて作成しました。

小原 「入院のしおり」との整合性や重複関係はもちろんチェックした方が良いとは思います。実際のものを見たことはないのですが、例えば北村先生案の冒頭の「88年に開設して、2003年にはこういう理念を掲げ」というあたりは、今の「入院のしおりに」は出ていないのですか。

北村 理念や病院方針そのものは載っているのですが、体系的な説明はないのです。

吉中 理念を決めた時に整理しなおして作ったのです。

勝村 細かく決めないでこういう文章を考えれば、「入院のしおり」全体をどうしても考えてしまいますから、DNARについてどう書くかということも、全体との位置づけで書きようは変わりますね。

小原 「入院のしおり」との関係があるのは、主に冒頭の部分だと思います。緩和ケアについては今の「入院のしおり」の中では書かれていませんよね。ですから、これ以降は新たな説明をして良いと思います。確かに、心肺蘇生についてのみ入れるより、緩和ケアとの組み合わせの中で説明した方が良いとは思います。では、2つのバージョンのどちらを中心に議論を進めていくか、ご意見をお聞かせください。

原 新しいバージョンは総合的に近く見えるのですが、心肺蘇生だけではなく治療方針全体の決定をどうするのかという文章があれば、一通りにまとまると思う。

吉中 病院の医療姿勢みたいなことが…?

原 いや、ターミナルの問題について、終末期全般の治療方針決定の考え方みたいなものを載せるのが本来的な姿かなと思いますが、ここの委員会ではまだ先送りしていて、部分的にDNARだけをやっているのでしょ。

広瀬 緩和ケアまでやりだしたら、「終末期医療について」というスタイルになっちゃいますよね。

原 だからタイトルはそうでしょ。

小原 タイトルはこういう包括的なものでも良いと思うのですが、内容としてはDNARに焦点を当てたものにすべきだと思います。ここで全てを網羅するような形に考えを変えてしまうと、DNARに関してはいつまで経っても決まらないことになってしまいますので、まずDNARについて固めた上で、もし必要なら包括的なものも考えていくというように、二段構えでやった方が良いと思います。

吉中 立岩さんからいただいた文章を基礎にずっと議論してきて、その流れからなかなか抜け出せず、前回にちょっと疑問が出ましたね。標題だけを並べると「最後まできちんと治療する」「心肺蘇生を行わない場合もある」「~行う場合もある」ではわけが分からないなということもあったので、北村先生に委員会を少し離れていた立場でまとめていただいた中身は、整理し直すにも良い材料になり、読んでも分かりやすいと感じました。ただ、最近に来た読売新聞のアンケート調査でも「終末期の定義」がきちんと定められていないですし、一方ではターミナルセデーションについてはまとまったものを作ったということもあって、緩和ケアを入れるのなら、ターミナルセデーションの話も触れた方が良いかなとも思うけど、あまりそっちに行き過ぎると焦点がボケますよね。そこが考えどころですが、私は、緩和ケアと心肺蘇生の話があって、緩和ケアの部分ではセデーションの話をアナウンスメントとして入れるという体裁を採り、そしてメインは心肺蘇生についての話になっているので、これをベースに考えていけばどうかなと思います。病院の立場としては、自分たちの立場を表明しやすいし、職員にも流れが理解しやすいと感じました。ただ、文章が長いのでどれぐらい圧縮可能かというのもありますね。

勝村 「入院のしおり」の実物はないの?

東 「入院のしおり」は今、改定中でゲラ刷りの段階ですが、かなり厚くなっています。最初に理念とその実現のために定めた方針が書いてあって、病棟の案内とか細々したことが書かれ、最後の方にプライバシー保護や迷惑行為の禁止など、患者さんに対するお知らせが全部入っています。在庫がなくなる度に改定しています。

吉中 10ページぐらいですか。

東 整理したのですが、例えば「事故防止の取り組みにご協力ください」とか「患者相談室のお知らせ」とか全部入っていますので、10ページ以上にはなります。

小原 今回、もし北村先生案の方を入れると、もっと増えますね。

東 アメリカの病院なんかではこんなに厚いのがありますから、それを目指したら良いのでは。(一同笑い)

広瀬 患者さんは「読んで入ってきたのでしょう」と言われる。

小原 ボリュームのある方が患者としては安心するかも知れませんね。

東 読まれないかも知れませんけど。

原 長過ぎるよりは、これぐらいに収める方が望ましいテーマかなという気はします。

勝村 緩和ケアについて触れる触れないは編集方針で考えたら良いと思います。ただ心肺蘇生に関しては、やる側のエクスキューズですごく説明したくなるのだろうけど、判断する患者側から見れば、ある程度は必要だが、もう少し端的に言ってもらいたい。

小原 長さはもう少し短くすることもできるとは思いますが、その前に、どちらを土台にするかを決めないと、文章を完成させられません。北村先生案もこれまでの議論がかなり含まれていますので、趣旨としては問題ないとは思いますが。

原 必ずしもイコールに読めないですけどね。

小原 細かい部分はもちろんこれから摺り合わせしていく必要はあります。

原 これぐらいの体裁の「しおり」があって、緩和ケアといったあたりまで入れるのなら、2ページを使っても良いような気もしますが、心肺蘇生術そのものは1ページくらいで収めるのが望ましいと思います。長い方が丁寧ではありますし、形式はここから始めても良いと思いますが、ボリュームの方は半分ぐらいに減らさないと、途中で読み疲れてしまいます。

北村 例えばガイドラインがキチッとあれば、「詳しくはガイドラインを参照ください」ということもできるので、かなり割愛できますが、それがない時点でこれを出すので、いろいろと入れたくなってしまうのですね。

清水 患者としたら、緩和医療のことを別冊にして載せれば、ここに入れなくても、それを読めば安心できますが、心肺蘇生に関してはここに短く載せた方が良いという感じがします。緩和のことは、「どんなことをしてもらえるか」ということで、ものすごく気にしている患者さんはいると思うのですね。

小原 セデーションについてはいちばん最初にまとめましたが、今の時点で緩和ケア全体についての議論はなかなかできませんので、もし説明するとしてもいちばん重要な理念とか、とりあえずこのぐらいの量で良いと思いますし、別冊にしてたまたま手に取った人が分かるというより、入れてしまった方が良いという気はしますね。

出島 「入院のしおり」の字の大きさにすると、約4000字ですから1ページ半ぐらいに収まります。

吉中 字が小さいね。

東 もっと大きな活字にしないといけませんね。

原 緩和ケアみたいなことも書いてある方が抵抗感は少なく、安心感があると思いますので、このへんまでの分量はこのくらいでも良いと思うのですが、心肺蘇生の方の分量は半分ぐらいにした方が良いという意見です。

小原 それでは、とりあえず北村先生の案を軸にして、ただし、これまでの議論との整合性、それから無駄があればきちんと省いてスリムにしていくという形で、進めていくということでよろしいでしょうか。

では内容面について見ていきたいと思います。まずP1は病院の理念と「緩和ケアについて」ということで、DNARに対する前提のようなものが書かれており、これはあった方が患者さんにとっては安心材料になると思いますが、よろしいでしょうか。また、文章表現などで気になるところのご指摘などもよろしくお願いします。

吉中 病院の開設は87年ですね。

北村 あっ、済みません。申しわけありません。

原 細かく読めば、いろいろと削ることができますが。2行目の「当院の使命」の「当院の」は要らない。「広く」も要らない。

北村 「広く」というのは、医療だけでなく福祉という保健にも関わることもやっているので入れました。

原 でも、読んでもそれは分からない。

北村 そうですね。省きます。

小原 そのあたりは、新聞記者の入稿のセンスを発揮していただければ。

北村 「そして」も省けますね。

原 そのあたりで言うと、3つのカギ括弧は並べてしまうと良いですが、理念は「入院のしおり」の最初にも書いてありますから、理念のくだり以降はなくても良いような気がします。

北村 理念は書いてあるので全部なくせると思いますが、歴史は欲しいと思います。というのは、特に障害を持った方や障害児の方へのサポートをすごくやってきたという歴史が、我々の価値を体現しているところがあるので、そこの記載が前にあると、これは省けると思います。

小原 そのあたりが、「入院のしおり」のP1では十分に表現されていないということですね。

勝村 P1をバージョンアップさせないといけない。

北村 そういうことですね。歴史がある必要があるかなと思います。

東 2003年ということは、あの事件以降にできていますから、「過去のことを言わないで」という清算主義的に掲げたというわけではありませんが、確かに歴史的な観点は必要ですね。

勝村 だけど、それは終末期医療だけの話ではないので、P1をバージョンアップする話でなければいけない。

北村 本来はそうですね。

東 今ならまだゲラ刷りに間に合うのではないでしょうか。

勝村 どうせ、これを入れる時には「しおり」を変えなくてはいけない。

北村 P1を変えるのは、私は依頼されていないので。

原 話の流れとして、冒頭の文章は「特に社会的に弱い立場におかれた人たちへの医療的援助を使命と考え、活動してまいりました」までで良いのではないか。2行目の「そして」以降は、直接には終末期のところにあまり拘わってこないから、要らないような気がするので、提案としては、むしろ元の案の「1、最後まできちんと治療します」を、その次に入れたら良いと思います。

小原 元案の1と言えば、新しいバージョンではP2の1ですね。

原 内容的がちょっと違うと思います。

小原 内容はそうですが、項目的には「心肺蘇生をしっかり行うことが原則です」ということですね。

原 いや、元案の1というのはどちらかというと心肺蘇生の話ではなく、積極治療の話で、救命のためであり、延命のためであり、人を差別しないで治療をしっかりやりますということを表明しているのですね。

小原 この文を別の項目を立てて入れるのか、今の「使命と考え、活動してまいりました」の後に続けて入れるのか、どちらですか。

原 前書きはもう「~活動してまいりました」ぐらいにしておいて、別に立てた方が良いと思います。

小原 では、「緩和ケア」の前に、より一般的な方針としてこれを入れるということですね。標題としては「最後まできちんと治療します」という感じよろしいですか。

原 他との整合性ですが、「~こうします」という方式で書くのならそれで良いのではないですか。「緩和ケアについて」の方を書き換えれば。

小原 文章のブロックのバランスから言うと、最初の「~活動してまいりました」は1文だけで、短過ぎて重みがないですし、直後につなげても文意としては何かが損なわれることはないと思うのですけどね。

原 両方を入れてしまって、「最後まできちんと治療をします」という項目を立てれば良いでしょう。

小原 分かりました。前置きだけでなく、包括的な治療方針を示すことで、これまでの議論も生かせます。

勝村 内容はそれで良いと思いますが、タイトルは要らないと思います。「最後まできちん治療します」というのが、既にマニュアル的な言葉になっているので、最初は「理念を書いています」ということで、2番目から具体的な話に入るというのが分かるようにした方が良い。「最後まできちんとします」の「最後まで」が何なのか分からなのですよ。

原 見出しを付けないと分からないですよ。

勝村 もう少し違う見出しにする。

小原 考え方としては、今の文章を前文的に扱って見出しを付けないか、あるいは「最後まできちん治療します」という見出しを付けるか、あるいは見出しを付けないかの3案ですね。

勝村 僕は、別の見出しを付けるか、もう付けないかの方が良いと思う。後の見出しがこういう見出しだから。

小原 短い文章なので、特に見出しを付けなくても良いかなという気もしますけどね。

東 でも、この「最後まできちん治療します」というのは、なかなかキャッチイな良いフレーズだと思いますね。非常に面白いというか、パッと見た時に心を掴みやすい言葉だと思います。

勝村 終末期医療全体だったら良いのだけど、心肺蘇生術の話をする時には意味が分かりにくいのですね。心肺蘇生術と最後まで治療するということの違いが、一般の人には分かりにくいと思います。

東 だから、ここは心肺蘇生術の話ではないということですよね。北村先生案では「心肺蘇生術」とはいきなり言っていなくて、「終末期の」という話なので、その大原則は「最後まできちん治療します」ということですから、これはこの間の議論の流れで、僕はあった方が格好良いと思いますね。

勝村 緩和ケアとかDNARとかを考えたら、「最後まできちん治療します」と言われれば、「必要以上の医療がされる」と読めないこともないので、その思いが上手く伝わるかどうかですね。最初からマニュアル的な話が始まっていると思っていると、「最後まで治療するというのは、具体的にはどういうことか」と思っちゃうから、最初は理念なので理念と分かるようにしておいた方が良いような気がするね。

原 やっぱり見出しを変えるかですね。

吉中 これは姿勢みたいなことだから、「私たちの基本的な考え」とか、そういう感じでしょうか。

小原 趣旨としてはまさに「最後まできちん治療します」ということで、見出しの通りですね。

勝村 緩和ケアの治療なのか、DNARの治療なのか、いっぱいあってややこしいのですよ。

原 それやったら「どういう方にもできる限りの治療をします」ぐらいにするかですね。「どんな状態でも」としたらまた誤解が生じますね。

勝村 この理念を上手く短い言葉で表すのは難しい。

広瀬 告知をされた後の治療というのは、本人の希望ですよね。そうしたら抗癌剤を使う使わないというのも自分の意思だから、嫌ならしなければ良いわけで、ターミナルに入ったら治療ではなくターミナルケアかな…、

北村 いいえ、終末期であっても必要な医学的治療を同時に行います。まぁ、医学的治療と緩和ケアというのを別立てと考えれば、ある日突然に緩和ケアに移行するのではなく、医学的治療と緩和ケアとをバランス良く行うというのが今の考え方ですので、両方とも最後まで行うということはないですね。

広瀬 そうしたら、「重い患者さんの思いも入れて、最後まできちんと治療します」ということですし、やっぱりあった方が良いねぇ。

吉中 「患者さんの思いも踏まえて」という、そういうニュアンスが欲しいという感じですね。

小原 例えば「最後まできちんと治療します」という見出しを見た時に、悪いふうに誤解するということはあまりないと考えて良いですかね。「最期までチューブにつながって」という状況をイメージされると逆効果なので、そこなんですよね。

勝村 それもあるし、後の話を読んでいくと「最後」とはどこのことを言っているのかが分からなくなっている。だから、ここで「最後」「治療」といった具体的な言葉を無理に出さなくても良いと思う。「私たちの終末期に対する…」。

吉中 多分、「終末期」という言葉がある中で「最後まで」と出すと、それが浮かび上がり過ぎて、確かに「徹底してやる」という伝統的な形を思ってしまうということはあり得ますよね。

勝村 最後が決まっているかのように言うと、「終末期の最後って何?」というややこしい話になるのです。

北村 そもそも身体の状態が良くなくても、知的な活動が上手くいかなくても、「行うべき治療をちゃんと行う」というのは、終末期に限らずあらゆる局面で我々が当然、意識しておかなければいけない事柄で、その価値を提示するとすれば、終末期に限らない最初のところにある方が望ましいと思いますね。そして、終末期のところでわざわざ話をするとすれば、特に患者さんの意思が無視されやすい終末期の心肺蘇生の局面で、あえて触れる方が望ましいのではないかと思います。というのは、今回の診療報酬の改定でリビングウィルの診療報酬加算が壊れたことに対して、例えばALSの患者団体が懸念を表明しているように、あえて触れるべき課題ではあるのかなとは思うのです。となると、きちんと治療するという話は、終末期ではないところできちんと書いて、蘇生のところでもう一度強調して書くというのが良いのではないかと思うのです。

勝村 文章はこれで良いのですけどね、タイトルの話をしているのです。

小原 だから、この文章としては時期に拘わらず「こうだ」ということですよ。そういうことであるにも拘わらず「最後まで」と言うと、逆に意味を限定してしまう可能性もあります。

東 「最後まで」を除きますか。「最後まできちん治療します」というのは、他の言葉では言い表せない上手いニュアンスがあると思うので、これを別の言葉で言おうとすると難しいですね。「最後まで」というのは、人によったら確かに終末期と混同されると思いますが、この場合は終末期という意味ではなく、徹底的というか、精一杯というようなニュアンスなんですね。

小原 どういたしましょうか。もっと大きな山が待ち構えていますので、ここはスッといきたいのですけども。

広瀬 文章を読んだら、この見出しのこともハッキリ分かるから、このままでも良いと思うのだけど。

小原 そうですね、それではとりあえず残しましょう。いずれにしても今日には絶対決まりませんので、残しておいて、次回に見た時に何か違和感があれば、もう一度そこで懸念を表明してください。

原 残して、見出しの表現を少し変えるか。

小原 また考えるにしても、とりあえず残しておきましょう。では、2番目の「緩和ケアについて」の部分はどうでしょうか。比較的に分かりやすい文章だと思うのですが。

原 もう結論的に提案します。P1の3段落目、「私たちは」で始まる部分がありますが、いきなりここからで良いような気がします。

小原 前の2段落は不要ということですか。

原 はい。というのは、最近は「緩和ケアは必ずしも積極治療からの転換だけではない」という言い方も一般的になってきているので、あえて「積極治療の苦痛」とか「切り替える」みたいなことを言う必要はないかなと思いますし、そういうことは次に書いておられるような気がするのですけどね。あえて書くのなら、様々な苦痛の部分を少し書く、スピリチュアルまで言う必要はないような気がしますけど、身体の苦痛とか精神的苦痛とか社会・経済的問題だとかですね。そういった意味での様々な苦痛を和らげるために術を尽くしますというような発想ですが、3段落目からだけで足りるような気がします。

小原 いわゆる積極的治療だけでなく苦痛の緩和も行うということで、確かに3段落目のところで2段落目の内容を要約しているとは思います。簡潔にという意味で、最初の2段落を削除するということでよろしいか。

では次、P2の方にいきたいと思いますが、ここからは本論ということで、これまでの議論との整合性などをお考えいただきながら、論議の組み立てあたりも考えてご議論いただきたいのですが、「心肺蘇生について」というところが大きく4項目に分かれ、その第2項目が1)2)の2つに分かれています。これまでの議論で言いますと、「最後まで治療する」ということが「心肺蘇生をしっかり行う」ということで第1項目で述べられています。そして第2項目として「心肺蘇生を行わないこともあります」ということが書かれ、第3項目は「無益と判断される場合には医師の判断で中止します」ということですが、第3項目は第2項目の中に良いように思うのですが、どうですか北村先生、あえて分ける必要性があるのでしょうか。

北村 そうですね、組み込めないことはないのですが、2は心肺蘇生を行わない場合の話で、3は行った場合の中止の話なので分けたのです。中止はあえて書かなくても良いとも言えるのですが。

吉中 結局、いつ医師としてやめるかということですね。書かなくても良いね。

出島 独りぼっちの時もありますし。

吉中 これはむしろ、治療のさし控えやレスピレーターの抜去みたいな話というふうに、誤解される部分ではないかとも思うのですけどね。

小原 だから3を独立させるのはどうかなとは、ちょっと思ったのです。これは、内容的には2で部分的に触れられてはいるのですが、必要な箇所は2の中に上手く組み込んだ方が構成上はスッキリすると思います。

では、全体的な中身を順番に考えていきたいと思います。まず「1 いかなる状態であっても、心肺蘇生をしっかりと行うことが原則です」という項目は、全体の文章の最初の段落の「最後まできちん治療します」ということが、心肺蘇生の場合でも同じくと念押ししている箇所になるかと思います。

原 ここまで「いかなる場合でも原則」というような言い方をすると、全体のガラッと変わっている感じがするのです。「止まったら、助けるために通常行います」ということを、ここまで原則として書く必要はないのではないかという気がしますけど。

小原 見出しの問題ですか。表現の問題ですか。

原 いや、考え方の問題です。

小原 それを原則とし過ぎない方が良いということですか。

原 そうですね。

北村 これは前回までの議論でも、主なトーンはどちらかと言えば、「医者の保身のために、やらなくても良さそうなことまでどんどんやることを、やめようではないか」というのが流れでした。ただ、今日もお見えになっていないので確認はできないのですが、立岩先生から送られたメールでは、「それで良いのかどうか」と根本的なところに懸念を表明されておられ、合意が形成されていないのではないかと思ったのです。で、我々の病院の理念や過去の歴史から演繹すればこうならざるを得ないと思って、これを思い切って提示した面があります。そのへんが今の現状に合わないということであれば変えても良いとは思いますが、私には判断が着かないですね。

小原 一方ではここに書かれているように「心肺蘇生をしっかり行う」ということが記された上で、しかし医学的な判断も書いた形で、我々が振り返ってきた儀礼的な心肺蘇生を続けることのナンセンスさも、2番目では書かれているわけです。論理的にはかみ合わない部分があったとしても、これらは非常に大事な両論で、2つの異なる理想があっても良いと思いますから、完全にこれの整合性を着けようとは思わない方が良いと思います。

北村 そのどちらをベースに置くのかというのはどうなるのですか。

小原 これは議論の中でずいぶん紆余曲折があった箇所なんです。つまり、1のところでずっと議論を進めていたのですけども、「儀礼的な心肺蘇生の方を繰り返すのは今後に良くないので、そこをきちんと整理した上で次のステップに行きたいということがあったので、2の部分も大事だろう」という確認もされています。だから、どちらに絶対的な軸足を置くかということは出ていなくて、そういう点では、曖昧なままに議論が推移してきたということは確かにあると思います。

北村 現実的には2の方のことも考えに入れながら進んでいくのですが、個人的に言えば、病院の価値として「1の方をベースに置いているのだ」と明確に提示した方が、今は意味があるのではないかと思っています。

吉中 これでは「心肺蘇生」となっていますが、当初は「終末期の心肺蘇生」で、その違いがあります。「終末期ということの中に、やってもほとんど効果がないということが分かる状況があって、それについては積極的に対応していこう。しかし、儀礼的であっても、いろんな事情でやって欲しいという場合にはやりますよ」というのが前回までの流れですよね。そこの区切りをどこで入れるかという課題は少しあると思いますが、「終末期の心肺蘇生」というふうに限った方が良いことはないですか。終末期というのもややこしい面はありますが。

勝村 全体のタイトルがどうなるのかということですよね。

小原 今の段階では、「終末期の患者様に対する私たちの援助について」という総タイトルが付いていますので、その点では「心肺蘇生」も「終末期の患者さんの心肺蘇生」ということで良いと思いますね。

吉中 北村先生がおっしゃることは私もよく分かり、医療者の側からすると、「こういう表明をして、そこをしっかり」ということは腑に落ちることではあるのですね。ただ患者さんたちの側からすると、どっちの不安が強いかという、「最後までやるのはかなわん」と思っているのか、「術を控えられるのはかなわん」と思っているのかということで、多分、両方が混合しているけども、広瀬さんも委員会の前におっしゃっていましたが、最後まで何がなんでもやられることへの不安感をプッシングする人の方が、実際には圧倒的に多く耳にします。

出島 やっぱりガイドラインに戻りますね。ガイドラインでここがハッキリ書いてあれば、ここで書く必要はなくなるのですけど、それがないと、私たちの方は「書かないと」と思ってしまいます。

小原 患者さんの側からすれば、「最後までされるのはかなわん」という人もおれば、「してもらった方が安心する」という人もいますので、本当に分かれると思いますね。どちらがより良いかという価値付けはできませんので、どちらにも対応する姿勢をきちんと示すのが大事だと思います。

原 そうなんでしょうかね。ここは考え方の問題ですが、一般的には冒頭の部分と同じように「救命や回復のための蘇生はやりますよ」ということで、その次に「戻らない人、戻ってもちょっとの人はそんなに無理はしませんよ」という話に進んでも良いと思います。

東 そうですね。これは全体としては終末期の話だということなんだけど、文章を読み進んで「心肺蘇生について」という部分を読むと、「終末期の」というのを書くか書かないかでニュアンスがずいぶん変わってくると思うのですね。もし「終末期の心肺蘇生に」という標題であれば、「いかなる状態でも心肺蘇生をしっかり行うのが原則です」とは言い切れないですよね。だから、ここの題でもう一度、「終末期の」というのを繰り返す必要があると思います。そして「終末期の心肺蘇生」という話になった時に1と2のどっちに僕らが軸足を移すかは、どちらかと言うと2の方の話で、「終末期でもやるのですか」ということだろうと思うのですけどね。

原 北村先生の案は、「心肺蘇生について」の前までの文章は終末期医療の文章なんですけど。その後の1の部分は、冒頭の「積極治療」をややイメージされたような書き方のような感じがするのです。

北村 元々の案を基本的には尊重したいと思い、その1に「きちんと治療する」とあったので、これを入れたということもあります。

原 書くとややダブり感がありますけども、「命を助けるためには心肺蘇生をきちんとやりますよ」と書いておいて、「ただし、やっても戻らない終末期の場合もあるのですよ」という流れにすることでしょうね。

小原 文章の構成上は、最初に「しっかりと行う」と書いた上で「行わない場合もある」という、この1・2という書き方で良いですか。1の趣旨は既に述べられていますが、再度、強調した方が良いのか、ここはもう…、

勝村 最初に「自分たちはちゃんとやるよ」ということを言って、「だけど緩和ケアもあるよ」とか「DNARもあるよ」という話で、「緩和ケアやDNARは本当に患者のためを思ってやっている」ということは最初に言っているから、もう少し具体的に「トコトン治療するよりも、患者にとって良いこともある」という説明をキチッとすれば良いのであって、それに誤解があってはいけないから最初にキチッと言っているのに、ここで「どのような状態でもやるのが原則だ」と言ってしまうと、読んでいても分かりにくいのではないかと思う。

吉中 「終末期の心肺蘇生について」ということにすれば、やっぱり2がポイントなので、2の「心肺蘇生を行わないこともあります」といいうことを述べた上で、北村先生が1で言っている「財政圧力もかかっているといったことに悪のりしているのではない」ということも重要なので、2の話の終わりの方に「我々はそういう意味で心肺蘇生を行わないということではないのだ」ということを強調した方が分かりやすくはないですか。

広瀬 今の医療の改悪というのを見ていると、1の文章の「社会的に弱い立場に置かれた人を」から「心肺蘇生をしっかり行うことを原則として掲げることにいたしました」の後に、「しかし終末期には」と入っていたら、ちょっと安心できるかなと思います。「社会的に弱い人はお金がないからこれをしない」というのではなくって、「終末期における意味のない心肺蘇生を行わない」ということなら納得いくかなと思います。

吉中 今日、宇多野病院という神経難病の患者の多い国立病院で話をしていたのですが、循環器も消化器の医者もいなくて、神経難病の人が胃潰瘍になったり吐血もよくするので、方々を探すのですがなかなか受け入れてもらえないそうです。その理由はよく分かりませんが、「神経難病があることだけで救命緊急センターでも受け入れてもらえない」という印象をスタッフの人たちは言っていました。別の組織からは、「75歳以上の人の救命救急は断るというような立ち話も結構ある」ということも聞きました。

原 大阪でも「救命センターがALSの人を受け入れない」という話を聞いたことがあります。

吉中 どういう意味合いかまでは分かりませんが、今の風潮はそれに拍車をかける感がありますね。

出島 病院同士でも「良くなったら引き取っていただけるのなら受けます」みたいな話は前からありますね。

吉中 でも宇多野だったら絶対に引き取ってもらえますが、それ以外ではこれは重要な指摘だと思います。

原 とは思いますが、話の流れとしてはここの部分で書き出すとややこしい感じがするので、先ほどおっしゃったように、後説明として老人政策のことを書くのだったら…、

勝村 いちばん肝心なのは、「一生懸命に患者のために治療するけど、心肺蘇生に関しては本当に無駄なだけでなく、患者にとってかえって負担になる場合があるということを自分たちは感じているので、そんな判断をすることもある」ということで、それに続くのが「だけどもなおかつ、患者の意向を尊重したい」ということだと思う。「患者の意向を尊重したい」と言う前には、自分たちに迷いがあることを言う必要があるので、心肺蘇生に関して自分たちが感じている問題がまず先で、「あくまでもそれが経済的な要因や家族の介護といった邪念からではない」ということは、それらの後に言うのは良いけど、最初にそこから入ると分かりにくいと思います。

原 構成的に、いきなり「やりません」と言うのに抵抗感があるのなら、最初に「命を助けるための心肺蘇生はできる限りやりますよ」と、見出しもなく一言だけ入れて、「だけど行わないことがあります」ということで、この案の2か元案の2に続けたら良い。終末期の心肺蘇生の話の中で「しっかり行う原則」をうたう必要はなく、議論ではむしろ、「回復が期待できない場合にはしないということを原則にしましょう」としてきたと思います。

勝村 「回復が期待できない判断」という担保を持つことが大事なんです。

原 その上で「まずは患者の意向、次いで家族の意向はそれぞれ尊重します」と続くのです。

勝村 家族の意向とか経済的な問題はどうなんだという話でね。それはそれで。

小原 時間の都合もありますので、次のようにしましょう。今、議論となっている話を1として立てることはやめましょう。しかし、この趣旨は非常に大事だと皆さんもおっしゃっていますので、この文章をむしろ後の方へこもっていきましょう。心肺蘇生については、当然やる必要性のある場合もあるのですが、趣旨としては「心肺蘇生を行わないこともある」ということなので、初めの方に持ってくるような構成にしていただきたいと思います。今日は文章の流れまで厳密に調整することはできませんので、そのことは北村先生にお願いしたいと思います。そして、北村先生が文章を再度練り上げていくためのアイデアをここで出していただきたいので、「2 心肺蘇生を行わないこともあります」の1)2)までの文章を見ていただいて、ご指摘いただきたいと思います。

原 立岩さんはおられないですが、立岩さんがおられたら何を言うかを推測して言いますと、「安らかに」といった主観的な言い方や、「患者様本位」というような言い方をあまりしない方が良いということではないかな。

小原 それは具体的にはどこですか。

原 北村さんの案の「行わないこともあります」の文章で、例えば「人生の最後は安らかに逝きたいという希望をお持ちの場合で」というような表現をしない方が良いということで、前は「心肺蘇生が意味のない」とか「仮に蘇生しても数時間の間に死を迎える」とか「延命の効果は期待できず、むしろ身体に苦痛や負担を与える」など、わりあい客観的な物言いをして、「医学的にあまり意味がなく、本人にとって価値があるとかないとかよりも、かえって苦痛になったり負担が増えるのですよ。だからあまり良くないですよ」という流れでした。

小原 この文章で言うと、「蘇生しても数時間の~」という「かつ」以下の部分だけで良いということですね。

吉中 元案の2のところの言葉は使えるかも知れませんね。

原 メリットは大してないのに、下手したら骨が折れていて、意識を回復したら痛かったとか…。その後に「複数の医師の判断」とありますが、そもそも議論に出ていましたか。あまりしていなかったですよね。

北村 中止のところだけにありますが…、

小原 文章として確定するところまではしていないと思いますが、ただ、「医療チームとしての判断を尊重するべきである」という話はしていたと思います。

吉中 ガイドラインには「複数の医師で」と書いてありますけども。

勝村 今のP3のところは、1)、2)の小見出しがきて、その次は大見出しの3になっていますが、これを3)にするべきではないですか。

小原 そうです。その件は先ほど申しました。

原 というより、「中止」だけではなく、「やらない」という話がありますから、3の部分は「患者さんの意向を最大限に尊重します」の前に入れるべきかなと思います。

勝村 中止ではなく、最初からやらないということですか。文章の中身が変わるならそれでも良いですが。

原 変わると思いますし、さっきからの話の組み立てとしては、「回復困難な状態の人の場合は、こういう負担が増すばかりで大して益が期待できない。だからやらないことがあります。それは医療チームが判断して、そもそもやらないか、やっている途中でやめることがあります」ということです。

勝村 3が先にきた方が、読んでいて分かりやすいですね。

小原 この意味としては、「やっていたけれども、途中でやめる」ということが先なのですか。

北村 議論を整理しますと、まず2の話というのは、心肺蘇生をするかしないかの決定ですが、この時には厚生労働省の出しているガイドラインにも「終末期であるという判定は複数の医師による判断が必要だ」という文言があったと思うので、そこでは必要だと思います。

原 終末期のガイドラインのことですか。

北村 「終末期の決定プロセスに関するガイドライン」です。

原 アンケートを出すためにそれをかなり読みましたが、「複数の医師」ではなく、「複数職種の専門職種の医療ケアチームが方針を決める」と言っているだけで、心肺蘇生に関してはあまり細かく言及されていません。

北村 言っていないですか。

小原 でも、このまま確認しましょう。これを一応、括弧に入れて、次に3のところの趣旨ですね。

北村 2で「心肺蘇生を行う」と希望された方の場合でも、最後は中止しなければならないので、「その中止の意思決定は誰がどう行うのか」ということを新たに立てた方が良いと思って、新たに3を入れたのですね。ただ細かい話であるので、先ほど意見が出たように3を完全に省いても良いとは思います。

小原 意見が出たのは、3を「やっていて中止」という理解ではなく、「そもそもやらない」という事前の決定の趣旨として、前の方に持ってくるということで、本来の位置づけとは違いますが、それであればここの文章や意味をある程度は生かせると思うのですよ。

原 違いますが、「医師を含めた医療チームの判断でやらない、ないしは途中でやめることがあります」と言い切ってしまった方が分かりやすい。ただ、必ずしも複数の医師する必要はないと思います。

小原 これは、意図を少し変えて前の方に持ってくる形だったらよろしいですね。

北村 ガイドラインが分かりましたので確認しますと、患者の意思の確認のところで「専門職種の医療従事者から構成される」と書いてありますので、「複数の医師」という文面ではないですね。

原 その上で「患者の意向」とかの話にいくのですけど、前々からここで議論してきたのは、「患者の意向を最大限尊重する」ということを、そんなにうたうという方向性の話ではなかったと思います。

小原 むしろ「医療チームの判断を優先させる」ということがありますが、それを大前提にした上で「尊重しますよ」と書いておいた方が良いと思います。ただ、何を最大限とするかは結構微妙で、使い方は難しいですね。

原 「意向は」だったらそういう感じになりますが、「患者任せや家族任せではなく、医療側としてちゃんと判断してやらないで良いでしょう」というのがこの場の議論で、自己決定に任せるとかいうような話ではなく、その上で「医療側の判断はそうであっても、本人がやってくれとか言うのならやりますよ」という話でした。

北村 それで良いのですね。良いのかなぁ。

小原 えぇ。ここの1)は大事なんですよ。一応、前提としては、医療チームの医学的な判断で進めるのです。しかし、「医学的には意味がないとされていても、ご自身が『やっぱりやってくれ』というのならやりますよ」ということを、ここでうたったら良いと思うのです。

北村 医学チームで進めて良いということの根拠は、患者が医療チームにそれを一任しているという前提があって、初めて成立することですよね。ということは、その前提を先に持ってこないと具合悪いのではないか。つまり、「患者の意向を尊重する。その上で一任されるのであれば医療チームの判断でやりますよ」とするのが、患者側に立った論理展開ではないかなと思ったのですが、違いますか。

勝村 いや、逆だと思う。基本は最初に言っても、最終的に患者が決めるのなら、患者が後にきた方が良い。

北村 そこは大事なところなので、もう少し教えてください。

勝村 判断をするための材料というのは一つの意見だから、医療者側はチームとして「これで良いのではないか」と患者に伝えるけど、それを聞いた上で最終的に患者が判断するという方が、手順としては良い。患者の意向を聞いた後で医療者が決めるのだったら、医療者はもう言う機会はないという感じでしょ。だから3を最初にきて、1)2)が後にきた方が、順番として良いと思う。

出島 この話は、本人が自分でちゃんと分かって意思決定できる場合と、例えば認知症で家族が決めてしまうような場合の、どっちをイメージして重点を置くかで、何度もこっちに揺れたりあっちに揺れたりしていた気がします。特に立岩先生が言っておられましたが、認知症の人で家族の意向に流れされるのを止めるための、保証をどこかに作っておかなければいけないというのがずっとあって、その部分をどの形で残すかということです。本人がしっかりしている場合は、むしろ北村先生のニュアンスの方が今の流れではあると思います。

小原 そうですね、どういう患者さんを想定するかで確かに議論の流れは多少、変わってきますね。

勝村 「やってくれ」と言われてやらないということがなければ、この順序で問題がないと思う。

原 ただ、「医療者がやったら良いと思っているのに、『やるな』と言われたらやらないのか」という問題はあるので、「それは医療判断が先ですよ」ということです。

勝村 医療者が「やった方が良い」という場合はここに載らないと、僕は思っている。「医療者がやらないと判断する時はやらないのが原則ですが、それでも意向には添います」ということだから、3が1)にくる。

原 ですから書く必要はないのです。多分これは国のガイドラインとはちょっと違うのですけど、「人の生死に関わることに対して自己決定主義は採らない」という議論がずっとベースとしてあるのですよね。

勝村 医療者がやった方が良いと思っている時には、最初の前書きに戻って、「精一杯にやります」という話ですよね。それが原則なんだけど、悩ましいのは医療者が「やらない方が良い」と思う場面があるからで、そのために一生懸命に説明文章を入れていて、「だけど、意向には添いたい」ということですよね。

原 本人が「お前らの言うことは信用できるか」ということも含めて「やってくれ」と言った場合とか、「家族が着くまでやってもらえれば良い」、「家族に任せます」と言っている場合など、「そういう場合にはやります」というのが、これまでの考え方でした。

勝村 そして、「自分たちはやった方が良いと思っているのに、経済的な理由や家族の意向などでやめるようなことは、私たちはしませんよ」ともう一回、書いておけば良いのです。

小原 それはそこに書いてあるように、後からでも入れられますからね。ちょっと時間の関係で次に進みます。P3の4の「ぜひご意向をお聞かせください」のところで、「いかなる選択であれ、患者様の希望を最大限尊重することが大切だと、私たちは考えます」で始まる最初の段落はこれでよろしいですか。

原 このあたりの内容も、「最大限尊重します」という考え方そのものを変える必要があると思います。

勝村 一つ前の文章を読んだら結局、「最終的には意向を知りたいから書いてくれ」ということですから、繰り返す必要はあまりないかも知れない。

原 「患者の意向を最大尊重するから聞かせてくれ」と言う必要はあまりない。

勝村 これを4)にしてしまっても良いぐらいですよね。つまり、3を1)にして、1)を2)、2)を3)にするのだったら、2)と3)で「意向を最大限尊重します」と言っているのだから、4)で「意向を聞かせてね」ということです。理念をここで手順にしておいて、その後にもう一回、希望を書く方が良い。

原 どうかな、さっきの経済的な問題とかその他のことはどうするのかな。

勝村 ここは結局こういうやつでしょ。ただし最後に、「あくまでも医療チームがしない方が良いのではないかと思った場合の話であって、自分たちがやった方が良いと考えている時には、当然、医療費の問題などでやめるようなことは、そういう風潮があるにしてもしませんよ」と念を押しておいて、「聞いた意向が問題になってくるのは、こちらがやらない方が良いと思った時だけですよ」とすれば良い。

原 そこは補足説明的な話だと思うのですが、逆に言うと「点数稼ぎのためにやることもしませんよ」ですね。

小原 では、一点だけ確認したいのですが、いわゆる同意書に関しては「これに記入して出しても良いし、口頭でも良いですよ」という2つの方法があるのは良いですか。これはキチッと議論したこととがなく、これまでは同意書を作るか作らないかの議論や、「もし作るとしたらどのタイミングで」という議論が繰り返され、それは「判断するのが難しいから最初に入れてしまえ」という形で落ち着いたのですね。でも、「入院のしおり」に入れるということは、「原則、そこに書いてもらいたい」ということがありましたので、口頭ならそこが曖昧になりますね。何か事が起こった場合、署名のない口頭だけで対処できるのかという懸念もあります。口頭で伝えられても当然、医師側はカルテなどの記録には留めるとは思いますが、同意書とは位置づけは違ってきます。

原 あまり「口頭でオッケー」と言う必要はないような気がしますから、「お考えがまとまっていれば書面に書いてください」で良いのではないでしょうか。

吉中 承諾書ではなく意思表示なので、どんな形でも良いだろうということもあって、そういうことも強調してそういう選択肢を入れたのなら、逆に斬新で良いかなとも思いました。「アンケートを書くのも苦労するのに、この書面でなければあかんと言われたら面倒だ」となり得ますから。

出島 ただ、以前には「主治医が入院時なりに家族と話して、『この人はDNAR』と決めていることが多発していないか」という議論があって、「だから証拠がいるのではないか」という話になった。

小原 そして「書いていてもそれを見つけられなかった」という話もありましたから。

勝村 途中で気持ちが変わる場合もある。

出島 それはある意味、カルテ整備の話であって、手続きの問題である本筋とは関係ないのですけど。

小原 結果として口頭で伝えられることも起こり得るとは思うのですが、あえて書く必要はないかも知れません。ですから、「口頭で伝えていただいても結構ですが」という部分は削ってしまいますか。

原 特になくても良いと思いますし、「必ず出していただかないと」ということもないです。

勝村 「この際」から「結構です」までを抜いておけばちょうどです。

小原 そうしましょうか。

原 「推定意思」のあたりも詰められていない感じがするので、2)も要らないような気がするのですが。

小原 ここを割愛しても特に問題はないですか。

原 内容的におかしいとは思わないのですが、ここまで詳しくは要らないような気がします。

勝村 論理的に、患者がここを読んで意味のあるケースってないよね。入院した時に読むわけでしょ。その時に意識があれば1)で十分ですよ。

出島 ただ、家族が読む場合もありますね。

勝村 入院した時に意識がない場合は、本人は読めないのだから、本人にとっては意味がない。

原 だから、むしろ家族向けに説明するということで、「ご本人の意向をなるべく尊重したい」という…。

勝村 家族の意向を尊重する話としてやってきた議論ではないですよね。

小原 …ではないのですが、可能性としては家族と相談する場合も非常に多いと思うので、やはりご本人以外の方が読める箇所があった方が親切かなとは思うのですね。

原 だから考え方的には、第一義的には患者本人で、患者本人の意向がどっちでもなければ家族の意向を尊重するということですね。で、患者が「やってくれるな」と言うのだったら、「家族が言ってきてもやりません」という優先順位は着けるということで合意していますから、そこはある程度クリアに書いた方が良いですね。

小原 そうですね、一部分は残しましょう。それでは今日はここで止めておいて、今日の議論をまとめた形で後作業をお願いします。次ぐらいでファイナルにしたいと思いますので、北村先生、気合いを入れてお願いします。

もう1件あります。「治験に関わる倫理委員会議事録の扱いについて」ですが、よろしくお願いします。

内田 当日資料③が治験契約書の控えになっていますが、ここの8Pに「秘密保持」という項目があります。1回目の治験の議論をしていただいた時に、齋田先生の方からのかなり詳細に渡るご説明を受けて、かなりご議論をいただいて承認いただいたという経過があり、その後は院長の方から倫理委員会の方へ報告するということでさせてもらっています。1回目の議事録の中に、結構この中身に踏み込んだ説明がありまして、「その中の扱いで少し秘密保持に触れるのではないか」という指摘を受けましたが、倫理委員会は基本的に全部を公開することになっていますので、今後の扱いもありますから、ご議論いただきたいと思います。ただ、「治験の進捗については倫理委員会に適宜、報告を行う」ということで確認させていただいており、この原則は崩すべきではないと考えていますので、議事録の中の扱いだけをどうするかお考えください。

小原 それは、議事録を起こす時に一部をカットするということをするのですか。

吉中 そうです。治験会社の方から、パテント関係などの企業秘密が絡んでいるので、契約上、全部の公開は困るということで、そこの配慮を加えた議事録にする必要があるということです。

小原 完全にオープンにするのではなくて、秘密保持との関係で一部を区別したいという、今のでよろしいか。

原 何のことですか。

吉中 具体的な指摘をされたわけではないですね。

内田 1回目の時のFTYの詳細な説明の中身とは聞いています。

小原 委員ではない先生が来られた時の説明ですね。あの部分をカットした方が良いというのですか。

吉中 「あの部分のどこが」というところまでは踏み込めていないということですが。

小原 かなり詳細な説明ではありましたね。ただあまり記憶していないので、どのへんに問題があるかはピンとこないですが、表に出してしまったり、患者さんが知ると具合が悪いということがあるということですね。

吉中 「患者さんが」ということではなく、私も確かめてはないのですが…。前に患者さん向けに治験についての説明会を開く時に、「やってもらうのは良いのだけど、企業としてはそれに関与できない」という言い方をされたことがあって、「幾つかの治験が進んでいます。中の一つとして…」と紹介することは企業としては問題なくても、コマーシャルということに引っかけた企業へのまた別の規制があると受け止めたのですが、今回は、「中身が全て公になることは慎重にして欲しい」ということのようでした。この話は持ち込まれたのですか。

内田 治験会社のノバルティスの方から連絡があったということです。

原 しかし、メーカーの方から何が困るかの明示をしてもらわないと…。

東 ここで議論することが駄目だと言うのですか。

内田 いえ、議事録の公開のことで、インターネット上で広く公開をしていますから。

勝村 その議事録を読んで連絡してきたわけ?

小原 議事録はまだ出てないので、「もし出すのなら配慮してくれ」との連絡があったということですか。

吉中 私は、前の講演会をする時と同様に、企業の保身の延長線上かなと思っていたのですが、先ほど契約の中身と聞いたので、意図はちょっと分からないところがあります。

内田 一番最初に議論していただいた議事録は全部公開しておりますので、それを見られてのことです。

小原 なるほど分かりました。で、この治験を議論した時の議事録はまだできていないのですか。

内田 いや、もう全部テープ起こしされてアップされています。僕が聞いているのは、それをご覧になって「少し中身が」ということです。

小原 いったん出ているものに対して、「ある部分を削除してくれないか」ということですね。

出島 ここの部分が駄目という具体的な文章の指摘はあったのですか。そこが分からないと逆に削れないです。

内田 ちょっとそこまでは記憶にないですけど。

東 「治験に関わること全てを公にしないでください」という意味でしょうね。

原 それは無理ですよ。治験は別に秘密事項でも何でもないですからね。

東 確かに「治験をしていますよ」ということは公のことですよね。だからどういう都合があるのか。

出島 ここに書いてあるのは「被験薬及び被験薬に関する資料、情報はいずれも秘密情報に含まれる」。

内田 多分、ここの中に引っ掛かるものはないかなと思ったのですが。

東 製薬会社は、「中身とか具体的なことを書くから」ということでしょうね。

原 実質は中身とか経過とかそのへんのことだと思うけど。

勝村 それでは、もう既に出ちゃっていて、言っている今も出続けてるものを「削除してくれ」というわけ?

原 やっぱり具体的に言ってもらわないと、どうしようもないでしょ。

勝村 議事録公開といっても、プライバシーなどの問題は伏せるのが当たり前なんだから、ここで納得できるような説明があれば訂正しても良いのだけど、そういうのをなしに、なんとなくというのでは難しいと思います。

出島 ただ、企業が秘密に思っているところが、非常に重要なポイントだったりして。そうすると「この倫理委員会に出席している人がこの契約に縛られるかどうか」という話になるのですよね。

原 相容れなければ、その治験をやめるべきでしょうね。

小原 それでは、問題のあるところにはもちろん対処したいのですけども、具体的な箇所を指定していただかないと議論できませんので、そこをちょっとお尋ねいただけますか。

内田 分かりました。具体的にはどこかを出していただきます。

北村 その箇所が明確になるまでは、そのままアップしておくということですか。

小原 まぁそういうことです。

東 多分、困ることようなことは何もないはずですが、自主規制ですか。

小原 ということでお願いします。では議題としては最後に「その他②終末期医療に関するアンケート協力依頼」ということで、読売新聞科学部から出ておりますので、よろしくお願いします。

原 これは私から説明することでしょうか。

吉中 いや、どうも原さんや立岩さんの関連だなということで、こういうのが来ていることをご紹介まで。

原 参考まで言いますと、300床以上の全病院、ただし精神科ベッドが半数以上の施設は除いた形で、割と詳しい調査をしようかなということですわ。

吉中 これは非常に詳しいですわ。今、記入するのに苦慮しています。

原 立岩さんが必ずしも積極的だったというわけではないのですが、ここのご縁もあるのでご協力いただき、今のところは各病院に「回答してね」という督促・連絡作業に追われています。こちらの病院は具体的に答えていただいているようですが、純粋倫理みたいなことだけではなく、やや医療制度や医療経済といった観点で浮かび上がらせることができたらなと思っています。

小原 締め切りは5月14日ですので、次回の倫理委員会では結果の分析をご紹介できるかも知れませんね。ということで、今日、ご準備しました議事は全て終わりましたが、他に何か追加する事柄はないですか。では次回の日程だけを決めたいと思います。

内田 開催が火曜日になったり木曜日になったりしていまして…。

北村 私は火曜日は駄目なので、木曜日にしていただきたいのですが。

吉中 前回が2月でしたから、本当は6月ですが、7月3日の第1木曜日はいかがですか。

小原 よろしいですか。では一応、7月3日18時半からということでよろしくお願いします。では今日は長い間、どうもありがとうございました。これで倫理委員会を終了します。

 

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