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第二十五回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2008年2月12日(火) 18:30~21:00
場所 太子道診療所3階多目的ホール
出席者 外部委員 小原委員長、原副委員長、勝村委員、広瀬委員
内部委員 内田委員、坂田委員、東委員、吉中委員
事務局 内田、丸山
オブザーバー 清水、橋本、田中
欠席 立岩委員、村井委員、高木委員、出島委員

議事

小原 倫理委員会を始めたいと思います。立岩先生は急用でご欠席されますが、丁寧なご意見をメールで送っていただいており、当日資料の中に入れていますので、じっくりと後で検討したいと思います。今日の議題は、これまで継続してきた「終末期医療についての指針・手順」と「心肺蘇生術中止の手順」に関して、そろそろまとめていきたいと思っており、うまくいけば結論を得たいと狙っておりますのでお願いします。その他に新しい案件もありますので、時間をうまく調整して、後ほどに説明をいただき、議論していただきたいと思います。

それでは早速、一番目から入っていきたいと思います。これについては、いちばん新しい案に他の資料も付けてられていますので、まずご説明いただいて、これまでどのようなことを考えてきたのかということをもう一度思い出して、議論に入っていきたいと思います。

吉中 資料Aが前回の議事録、Bは今日のメインの案、Cが当院での取り扱いのガイドラインということで、それ以降のD、Eは関連する資料ですのでご参照ください。

それでBですが、「終末期の心肺蘇生術について」ということで、中央病院の考えを基本的にまず述べて提示しようということでしたので、前回に出した文面を少し修正してまとめています。網掛けのところは変更した部分です。3つの柱があり、1で「最後まできちんと治療します」ということを基本的な立場として述べ、2で「しかし心肺蘇生を行わない場合もある」というように、「基本的にきちんと治療するのだけど、限定した範囲の中で行わない場合もある」ということを述べていますから、「少し分かりにくいな」という議論もありました。3が「その限定的な条件に該当する場合であっても最後まで行う場合もあります」ということで、前回の流れは変えておりません。一応、読んでみます。
【「1、最後まできちんと治療します」。当院では、病気を治すために私たちができることをきちんと行います。また残念ながら病気が治らないとしても、気持ちの良い状態で長生きができるためのことをできる限り行います。身体の状態が良くなくとも、知的な活動がうまくいかなくなっても、そのことに変わりはありません。人の状態によって、行うべき医療行為を省略することはいたしません】。
【「2、心肺蘇生術を行わない場合もあります」。病気の進行や全身状態の悪化のため、救命困難な病状になられる患者さんがあります。このような場合、また一見安定していても、急に呼吸・血圧・脈拍などが悪化して心肺停止に至ることがあります。仮に蘇生しても数時間の間に死を迎えると医療者が判断できる場合には、当院ではご本人が望まれるのであれば心肺蘇生を行いません。その時にご本人がどのような状態(気持ち、認識)であるのかは明らかではありませんが、この状態での蘇生のための処置は身体に負担を与えることになると考えるからです】。
【「3.心肺蘇生術を最後まで行う場合もあります」。私たちの診断に100%ということはありません。長い時間でないとしても、いくらか状態がもちなおすことが全くないと断言することはできません。また、ご家族他関係者の方が、全ての動きが止まってしまう前にご本人に会われ、最後まで見届けたいという思いをもたれる場合もあります。そこで、最後の時に臨まれるご本人の負担に配慮しつつも、ご本人が望まれるのであれば、あるいはご本人が許容されるのであれば、心肺の動きを維持すべく処置することもいたします】。
【※ ご希望や不安、疑問などがありましたら担当の医師(主治医)・看護師等に何でも率直に相談していただければと思います。できるだけの説明を行い、ご希望に添うように対処したいと考えております】。この部分も以前は一連の文章でしたが、分けて書きました。次に注釈を2つ入れています。
【※1、心肺停止とは?…心臓や呼吸が止まった状態を言います。意識はありません】。
【※2、心肺蘇生術とは?…いったん心臓が止まった人に対して、心拍や呼吸が再び行われるよう外部から働きかける医療行為のことです。代表的なものに「心臓マッサージ」「除細動」「気管内挿管」「人工呼吸」があります】。ここも除細動器や人工呼吸器というのが入り交じっていましたので、全部を行為に揃えて整理をいたしました。

これを全ての患者さんにお渡しして当院の立場を表明した上で、これと一体となったP2の「終末期の心肺蘇生についての私の考え」を、患者さんから表明していただくことにしてはどうかということです。前回までは、治療の選択と同じように、医療者の方から選択肢を提示して選んでいただくというような体裁を採っていましたが、これまでの議論を通じて「普通の医療の選択ではないので、むしろ患者さんの意思を表明していただいて、それを医療者が受けとめるという方が良いだろう」ということで、そういう体裁にしました。

最初に【病状と、終末期の心肺蘇生についての病院の方針を医師と看護師から説明を受けた】ということが書かれ、【患者がもし心肺停止になり救命困難と判断された場合、心肺蘇生の実施について現在の私の考えを次のように表明します】とあります。この「患者が」というのは「私の考え」とイコールになる場合もありますし、直接に意思が表明できない場合には違ってくる場合もあります。表明する内容は、1番が【通常どおり心肺蘇生を行ってください】で、2番に【救命困難な場合には心肺蘇生を差し控えてください】、3番はP1の3番と同様に【救命困難な場合でも家族(看取ってくれる者)が到着するまでは心肺蘇生をしてください】となっており、これらに該当しない場合もありますので、そういった項目も入れております。そして【私は京都民医連中央病院に対し上記の私の考えを尊重していただくよう希望します】と結んでいます。

次の署名欄は2つの場合に分けており、回答者が本人の場合は【上記が現時点での私の考えです。変更がある場合には改めて伝えます。再度、説明を求めることもあります】とあり、同席のご家族の署名もしていただきます。2番目は患者本人が病気のため直接意思を表明できない場合で、【事前の患者本人の書面ないしは発言をもとに本人の考えを上記のように推定します】として、2人のご家族に確認をしていただくことにしています。

そういった表明をしていただいた上で、担当医が具体的な場面でカルテに記載するということでどうかというように、少し角度を変えました。以上です。

小原 C以降の資料についても説明をお願いします。

吉中 Cはですね、今のような文書を配るとすれば、それを運用する際の院内のガイドラインが要るということで、坂田さんにまとめてもらいました。

【ガイドラインの趣旨】は、まずDNARの定義で、【癌の末期など、死期が近づいている患者で、本人または本人の希望を推察し、心肺蘇生術を差し控えることである。DNARは患者・家族が病状を十分に説明され理解し、さらにDNARとはどのようなことであるかを理解した上で、意思決定されるものである。意思決定を支援するためには、十分な病状説明と「終末期の心肺蘇生について」の説明を行い、本人・家族の意向に添う用意があることを伝えることが重要である。このガイドラインは、患者・家族の権利を保障するために、DNARの医学的・倫理的妥当性を十分に検討し、患者・家族と十分に話し合い、意思決定を尊重するために必要なプロセスを示す】ということです。

まず1番が【DNARを考慮してよい場合】で、【1)患者から希望があって、文書作成されているか、明確な口頭での意思表示があった場合】で、その上で【2)進行性疾患の末期状態で医学的に不可逆性の経過をたどり、その原疾患による心肺停止、あるいは老衰で心肺停止になる可能性が予想され、救命処置を行っても延命が困難とされる場合】という、この2つを満たすことを条件にしています。

2番が【DNAR決定に向けての検討】で、以下のことをチェックしてくださいということですね。【1)DNARの意思表示がある】【2)病状の説明を十分に行う】【3)患者に意思決定能力があり、その意向が最優先されている】【4)患者に意思決定能力がない場合、家族により、本人の意向が推測されている】【5)医学的根拠の判断は複数の医師によって(研修医を除く)検討されている】【6)主治医と看護士が同席の上、患者・家族と話し合いができている】ということが、プロセスとして必要ということです。

3番が【DNARの条件】で、2番に対応する形で【1)患者に意思決定能力がありDNARを希望している】【2)患者に意思決定能力がないが、以前に患者の意思を確認している】【3)患者に意思決定能力がないが、家族が本人の意向を推察している】という3つのどれかにあたるということがまず1点目で、これは先ほどの書面で確認できることです。そして、かつ【4)医学的根拠の判断を複数の医師でされている】【5)医療チームで医学的根拠を確認している】【6)カルテに論議の経過が記載されている】ことで、5)のチームはナースなども含めてです。

4番の【DNARの説明】で【1)どの時期に行うのか】というのは、【DNARを考慮してよい場合に準ずる】ということなので、「患者から希望があって、文書作成されているか、明確な口頭での意思表示があった時で、なおかつ不可逆な状態で、救命処置を行っても延命困難とされている時期」ということになります。【2)誰に説明を行うのか】というのは「患者さんに説明を行う」ということで、「意思決定能力のない時は改めて家族に説明を行う」ことになります。これらのことを整理して手順にしました。以上です。

小原 D・Eの資料については、一応見ておいてもらえればよいと思います。

内田 Dは、当院から全日本民医連の事業所へのアンケート予定のもので、Eは、全日本病院協会の作った終末期医療の指針で、ホームページに掲載されていたものです。

小原 ありがとうございました。今日は資料BとCの文案をさらに検討して、大きな問題がなければ、今日の時点で決議できればと思っています。立岩先生からのメールに目を通していただきたいのですが、先生が気にされているのは、資料Bの2番目の「心肺蘇生術を行わない場合もあります」という点の、態度表明をどれぐらい明確にしたら良いかということで、大前提にあるのは「いかなる場合でも最後まできちんと治療します」ということですから、「2番のような形の見出しを付けて説明してしまう場合、若干の不整合な部分が生じる」という指摘をされています。これまでいろんな点についてかなり議論してきましたので、どこからでも構いませんから、今、資料B・Cで気になる点をご質問いただければと思います。

原 Bの2番では、「当院ではご本人が望まれるのであれば」という表現になっていますが、最初は「ご本人の意思があったら、やらなくてもよいのではないか」と病院サイドから提案があって、それを受けた議論では「こういう場合にはむしろ、やらないことを原則と考えたら良いのではないか」という方向になったと思います。このような書き形をすると、本人意思オンリーということになり、推定の問題なども含めて矛盾が生じ、話の流れとは違うのではないかという気がします。

小原 今、問題にしている文章には、「判断できる場合には」と「本人が望まれるのであれば」という2つの条件が付いていますので、そもそも条件設定が違う方向を向いていますよね。これまで確認してきた議論では、医学的な経験と常識に従って「医療チームが判断した場合には心肺蘇生を行いません」と言っていたのに、ご指摘の部分を挿入すると、その明確さが少し削がれますね。ですから、このニュアンスを入れるとしても、ここではなく違うところできちんとうたっておいた方が良いのではないですか。

吉中 言われているのは、「ご本人の意思は別のところでうたった方が良い」ということですか。

小原 医療チームの判断とご本人の判断が一緒になる場合も、食い違う場合もありますが、「2つの条件を満たすことによって初めて、心肺蘇生を行わない」と判断しても良いのですか。

吉中 私は実はそのように受けとめていて、「ご本人の意思はおいといて、こういう場合ならする」というのはどうなのかと思っていました。現状のDNARは、医療者が判断をして「そろそろどうですか」と働きかける側面が結構あって、その危うさを議論してもらったと思うので、これが要ると思ったのですが、どうでしたか。

田中 基本的には「確認がされていない場合は、やっぱりせねばならぬ」というのが、現場ではありますよね。なので、確認されていない状態で「しない」と言ってしまうのは、ちょっと怖い気がします。

小原 ということは、条件として「本人が望まれるのなら」という文章は加えた方が良いということですか。

田中 ご本人あるいはご家族の方の確認がされていなければ、医療者が判断しても処置をしないことは許されないのかなと思いますから、ここでなくても良いですが、条件の一つとして必要だと思います。

小原 ここでどちらにより上位のプライオリティを与えるかということが、この文章全体の中のいちばんの難所だと思います。つまり「患者の意思を最優先し、患者が明確な意思決定をすれば、医学的な判断は無効になるのか」、あるいは「患者の意思が明確でない場合には、医学的な経験もきちんと判断材料に入れていくのか」と、ここには両論があったと思います。ですから、その2つをどう関係させるか、場合によってはどちらを優先させるかという判断は、やはりしなければいけないという気がします。

原 プライオリティ論を言えば、根本的な考え方の違いに戻っていくのですが、何もないと本人または家族の意向が全く無視されるという感じになるから、何かの文言を入れた方が良いということでしょ。

田中 はい。怖いなと思う。

小原 当然、P2の「私の考え方」に従えば、全体として患者の意思を最優先するということは伝わり、ここの選択肢の「心肺蘇生を差し控えてください」にチェックされていれば、当然、それに従うわけです。ここにチェックされているにも拘わらず、医療チームの判断によって心肺蘇生をするということはあり得ないですよね。

東 P1の2番は「心肺蘇生は行いません」ということではなく、「そういうことは意味がないですよ」ということを説明するだけの方が良いかなと思います。「このような末期の状態で心肺停止に陥った時、私たちはそうすることに何かの意味があるとは考えていない」「実際にはそれをすることに延命効果はないのですよ」ということですが、患者さん自身はそういうことをご存じなく、何かをすれば元に戻ると思って、我々にとっては儀式のようなことを期待されている可能性がありますね。だから、「実際にはほとんど無意味なのだということを知ってもらう」というような書き方で、「我々はそういうふうに考えて、そういうことをすること自体は意味がないし、逆に身体に負担を与えることになると考えている」という私たちの基本的なスタンスを表明して、でも、最後の方の星印のところで、「だけども、いろいろと疑問などがあれば、何でも話をしていただければ説明しますし、ご希望に添うように対処したい」と書いてあるわけだから、「そういうことは意味がないということを考えていただいて、それでもなおかつご希望があればやりますよ」ということになります。

小原 そのとおりだと思います。「行いません」とすると、それ以外の可能性を積極的に排除しているようなニュアンスになりますが、当初から問題視していたのは「医学的に意味のないことを儀礼的にすることはおかしい」ということでしたので、「心肺蘇生をしても意味がないと判断できる場合もある」ということが触れられるべきですし、患者サイドから見た視点も、2番の最後にあるように、末期における心肺蘇生は結果的に患者に負担を与えるというか、表現は少し変えても良いと思いますが、身体に負担を与えるというより、おそらくは苦痛になるということですね。「大きな苦痛を与えるとすれば、やはり避けた方が良い」という判断だと思うのです。心肺蘇生を行うか行わないのかは、P2の「私の考え方」に従うべきことなので、ここではあまり断定的に宣言しない方が良いでしょうね。

東 2番の見出しも「心肺蘇生術を行わない場合があります」ではなくて、「心肺蘇生術が意味を持たない場合があります」ぐらいのことだろうと思うのですよ。そして3番は、「しかし、意味がないかも知れないことを、やらないこともないです」と、違うニュアンスでやるということで、それだけの意味しかないが、3番はそれで良いと思います。

原 見出しはこのままでも良いような気がするのですけど。

東 「場合もあります」となっていますからね。

原 ただ本文は、「仮に蘇生しても数時間の間に死を迎えると医学的に判断できる場合には、心肺蘇生を行う意味が乏しいと考えます」というぐらいでしょうか。まぁ「ない」かどうかというのは難しいですから。

東 そうですね。「ない」と言うと、「そうではない」という人が必ず出てきますから。

吉中 2番の最後の「その時にご本人が~」という文章はここで良いですか。その前の「心肺停止に至ることがあります」と「仮に蘇生しても」の間に入れたらどうですか。

原 そうすると「蘇生しても」のところが分からなくなります。そこまではとりあえず止まった段階ですから。

吉中 そうですね。「仮に蘇生しても数時間の間に死を迎えると医療者が判断できる場合には、心肺蘇生を行う意義が乏しいと考えます」というようにして、その後にその理由を述べているということですね

原 「医療者が」というのは「医学的に」ぐらいにした方が良いですね。

小原 「身体に負担を与える」の負担の具合というのは、実証的にはよく分かりませんよね。患者や家族がいちばん気にするのは、やはり苦しいかどうかということだと思うのですよ。最後の最後に生き返るためとは言え、一か八かで苦しい思いをさせられるのか、苦しみなく死んでいくのかというところを、やはり考えられると思うので、「負担」というよりかは「身体に大きな苦痛を与えると考えるからです」ぐらいにしておいた方が、直感的に分かりやすいような気がするのですがね。

田中 「負担を与える」というのは医療者がよく使う言葉ですね。

小原 医学的には「負担」の方がニュートラルだと思うのですけど、患者と家族の側から見れば、「苦しんで死にたくない」という方が強いと思うのですね。

吉中 「苦痛を与える」という議論は、「意識がなくなって苦痛は感じていないのではないか」という考えもあるかなと思います。

小原 そのとおりですね。意識の有る無しに拘わらず負荷はかかるわけですから、その意味では確かに「負担」と言う方がニュートラルですね。

吉中 ただ、いったん少し意識が戻ることもありますから、苦痛を与えることになる場合もありますね。

小原 完全に意識がなくなってる場合には、確かに苦痛のことは考えないでよいのかも知れません。

田中 見た目のことも話題には上るのですね。歯が折れたり、肋骨が折れたり、腫れたりすることがありますから、「どっちにしろ亡くなるのなら、きれいなままで」という思いもあると、聞いたことがあります。

東 僕らの言葉にある「損傷を加える」という言い方はしたくないですね。「無駄な損傷を加える」というニュアンスがこの「負担を与える」にはあります。ただ、「苦痛」というのは、もう死んではるわけだからなんとなく「苦痛はないだろう」と思いますが、外見的には非常に遺体を損傷すると言いますか、無駄に傷付けるというニュアンスが僕らの中にはありますね。

吉中 意識が戻るというより、実際にはその方が多いでしょうね。

小原 それではここはこのままにしておきましょう。

原 加えるのだったら「身体を傷付けることもある」とか…。「傷付ける」と言うとちょっと大げさかな。

小原 「傷付ける」とか「損傷」といった言葉を使われると、「いったい何をされるねん」って感じです。

原 まぁ「負担や苦痛」という言い方もありますが。

小原 「身体に負担や苦痛」で良いのではないですか。

吉中 そうですね。その前は「意義が乏しい」ではなく、「意味が乏しい」にした方が良いですか。

小原 「意味が乏しい」の方が良いですね。

東 その「意味が乏しい」をさらに追い打ちするように、その後の文は「蘇生のための処置は延命の効果はない」というように、もう一度ここで繰り返しては駄目でしょうかね。

小原 具体的に言うと、どういうふうに文章を変えるのですか。

東 「この状態での蘇生のための処置は延命の効果はなく、身体に負担や苦痛を与えることになると考えるからです」。

原 数時間の延命の効果はあるかも知れないということでしょ。

東 本来の延命としての意味はないということですよね。ただ、「ない」と言い切るとそうなるね。

小原 もしつなげるのであれば、その前に「意味が乏しいと思われます」と書いてあるので、「この状態での蘇生のための処置は延命の意味があまりないだけでなく、身体に負担や苦痛を与えることにもなると考えるからです」というように、医学的な判断プラス患者に対する負担の、二重にしておいた方が良いですね。

東 「あまりなく」ではなく、実際はほとんどないと思うのですね。本当に効果が期待できる時はやるべきであって、延命の効果がないと判断される場合の話だから、「こういう場合の蘇生のための処置に関しては延命の効果はほとんどなく」といったところだと思うのですけどね。「期待できず」が良いかも知れませんね。

小原 「期待できない」ということは「ほとんど」という意味が入っていますので、「延命の効果は期待できず」で良いのではないですか。

吉中 「むしろ」か何かを入れた方が良いのでは。

小原 そうですね。今のところを確認します。「この状態での蘇生処置は延命の効果が期待できず、むしろ身体に負担や苦痛を与えることになると考えるからです」。文としてはこの方がスッキリすると思います。

吉中 立岩さんの拘りはどういうふうに理解したらよいのですか。

小原 今、議論してきたことに関わるのですよ。やはり「断定的に『行いません』と言うことが問題ではないか」ということだと、おそらく思います。

吉中 できるだけ限定的にするということですかね。

小原 それでは、とりあえず資料BのP1はこんな形で落ち着けたいと思います。それから、これとセットで実際に記入してもらうフォームの方についてはどうですか。これまでの議論を踏まえてかなり網羅的にオプションが提示されていますので、大きな問題はないと思うのですが、何らかの可能性を排除しているものがあれば挙げてください。この4つの選択肢があればだいたいカバーできていると思います。

吉中 前回提示していたのは、医療者側から説明して「通常の心肺蘇生を行いますよ」「差し控えますよ」という形で選択肢を提示し、ご本人やご家族は受け身でそれにサインする形だったのを、全くひっくり返してしまいましたが、パターンとしてはこれで良いですか。また、立岩さんは4つの内1つを選ぶという形にやや抵抗があるみたいでしたね。

小原 やはり「これを出されること自体が患者にプレッシャーを与える」とおっしゃっていましたね。ただ、同時に「時代の流れから見ると、何の署名も確認もなく病院が済ませるわけにはいかないので、そこは理解している」とも立岩先生は書いていますので、フォームを作ること自体を問題にされているわけではないと思いますから、この内容だけではなく、これをどのタイミングで出すかということも議論したらよいと思います。資料Cの4の1の1)で、①の患者側から指示があった場合にはスムーズにいきますが、そうではない②の場合では、経験的に「もうそろそろ潮時だな」と、あまり迷わずに判断を出せる時期はあるものですか。

田中 言葉でそれを表現しろと言われると難しいですが、先生と看護師の間でなんとなく「確認がいるのと違うかな」というのは、感覚的にはあります。看護師は24時間勤務をしていて、「夜中にそれにあたったらどうしよう」という不安がどこかにあるので、看護師がなんとなく察知して、看護師から言うことも多いと思います。

小原 その場合、当然、ご本人の意思がある程度鮮明な時期にこれを出すべきだと思いますか。それとも、ご本人の意識がなくなったのを見計らい、本当に危なくなって出すのですか。結局、本人意思の重要性をどのくらい勘案するかによって、出すタイミングは変わってくると思うのです。

田中 看護師が言うのは多分、本当にヤバイという時なので、既に意識がなくなっている場合も多いと思います。ただ前提として、「患者さんに確認をしなければならない」ということが今はまだスタッフに浸透していないと思うので、「意識がある内に必ず確認しないといけないのよ」と言っていかないといけないと思います。

小原 おそらく意識がなくなった段階で「そろそろだな」というのは比較的ハッキリしていると思うのですよ。でも、こういったものを準備する以上は、その確認が少し前倒しされてくるわけです。立岩先生が心配しているのもそこで、「前倒ししてこれを出すことによって、『まだ意識がハッキリしているのに、自分はもはや延命の余地はなしか』という形で、絶望の通達みたいになりはしないか」ということですよね。だから様式はおそらくこれで良いと思いますが、そうであれば、タイミングも含めて資料Cの方にいきたいと思います。

原 家族の場合に「推定しますという形で良いか」という議論はしましたか。

吉中 それは十分にはできていないと思います。

原 本人意思を推定をする必要があるかどうかですね。推定というのは何か危なっかしい感じがするので、単に家族の意向という方が分かりやすいですね。

小原 本人の意思の推定はなく、「私たちはこう考えます」と、家族の立場で語ってもらうということですね。

原 前段との関係で言えば、本人が拒否していないか希望しているか、そのへんの時になりますけどね。

小原 推定と家族の考えは違い、食い違う場合もあるので、どう書いてもらうかは大きいですね。当然、家族が自分たちの意思を通そうと思えば、「本人もこう思うに違いない」と自分たちの意見に寄せると思いますが。

東 これは家族の意向ですよね。

小原 結果的に現実はそうだと思うのですよ。

東 P1の「当院の考え方」では、「こういう場合はしませんよ」という大前提がありますね。それに対して、「やって欲しい」という家族の意向があるかどうかということで、「そのままでよろしい」という人は家族の意向や推定も問題になりませんから、ここで問題になるとしたらそれに異議がある場合だけですね。ですから、「家族の意向」とした方が良いですね。それに、現時点はご本人が判断できない時にやっていますから、今現在は家族の意向なんです。家族の考えを聞いて、我々の判断と一致すればいちばんよろしいということで、ぶつかった場合はどちらを優先させるかみたいなことですから、難しいですね。

小原 本人意思と医学的な判断と家族の意向とにはやはり序列があると思うのです。今までの議論では、本人意思を大事にしようという点は大丈夫だと思います。ただし、医学的に無駄な行為をしないように、場合によっては医療チームが判断するということも説明として加えています。この2つに対して、家族の意向をどの程度、意味あるものとして受け取るかということですが、医療者側の判断と家族の意向が食い違った場合にどういう選択をするかということですね。

原 P1に書いてあるのは、本人が「やってくれ」と言う場合はやって、本人が「やってくれるな」という場合はやらないということで、その間の広い意味で本人の意向がハッキリしない場合は、本人が「拒否しない」というカテゴリーにするのでしょうけど。

東 ご本人の意思がハッキリしている場合はそれが最優先ですが、それがなければ、「家族が望めばそういうことも少しやりますよ」というスタンスも表明していますから、「家族の意向」とした方がスッキリしますね。

勝村 家族の署名を書面で取る必要がある? 要らないような気がする。

東 「署名まで取る必要があるかどうか」という話はずっとありますね。今でも説明した時に署名は取っているわけではなく、「説明して蘇生しないことにしました」という内容をカルテに記載しているだけですね。

勝村 医療を選ぶのは本当は本人と言っても、生まれる時と死ぬ時だけは本人より周りの人の意向・判断が動きやすいけど、死ぬ時だけに関しては、「生前に本人の意思があればそれを尊重しよう」という趣旨ですよね。だから、家族から署名を取る必要はあまりないような気がする。

小原 これは法的な判断との関係で「やはり署名があった方が良いのでは」ということだったのですね。

勝村 そういう状態になった時には、本人は意識がなくなっているから、放っておいたら周りの人が決めてしまうので、あらかじめ本人の意思を聞いて尊重しようというわけですが、本人の意思が確認できない時は周りの人が決めざるを得ないといっても、その時にはやはり医学的に考えるべきで、家族が推定する意味が分からない。

小原 そうですね。まさにそこのプライオリティをハッキリ付ければ、場合によっては「家族の署名はなしで良い」ということもできるわけですよ。つまり、本人の意思の次には医学的な判断がくるとすれば、「医学チームが判断するのだから、家族の意向は聞きません」ということもできるわけですね。

勝村 P1の「当院の考え方」の2番は、「行わない場合もあります」ではなく「救命困難と判断した時は行わないことを原則とする」ではないのですか。

小原 「原則」にすると、「心肺蘇生を行いません」というのとほとんど同じ意味になってしまいます。

勝村 いや、「意味がない時には行わない方向で考えている」という2番目をまず宣言して、それより優位に「患者本人の意思を1番にします」ということで、「患者本人の意思よりは強くないけど、病院の考え方はこうです」と書くわけですよね。それでも「基本的に」とは言えない?

小原 やはり断定してしまうと他の可能性を強く排除しているみたいになってしまうので、説明的に書いておいた方が良いと思うのですね。

原 タイトルには「終末期」とありますが、「心肺蘇生術一般として原則はやりますよ」というのが1番で、「ただ、戻らない人は例外としてやりませんよ」と、ある種例外的な括り方をしているのが2番で、そのまた例外として「ご本人の意向があればやりますよ」というのが3番ですから、2番は例外として位置づけるということで良いと思います。

小原 今、説明いただいた流れの枠組みを考えに入れていただいた上で、改めて患者の家族からの意思表示をしていただく必要があるかどうですか。

勝村 どのタイミングでどういう形で出すかということが、どういう内容にするかということに影響しますね。例えば入院のしおりみたいなものに「当院の考え方」を入れるとすれば、もっと説明文も意思表明用紙もシンプルにしなくてはいけないと思いますが、病院側の考え方と「これ以外の意思がある方は、意思表明用紙に書いてください」ということだけを載せた様式にすれば済みます。ただ、読み逃す人がいるからといって、全員に説明するとくどくなるし、タイミングによっては恐怖感を煽ったりすることもあります。

小原 P1の病院側の説明文書は、入院のしおりに入っていても差しつかえないような一般的な医療ポリシーの内容ですから、いつ出しても良いと思います。ただ、こういったものが浸透してきたという前提の中で、P2の「私の考え」にあたるものをどのタイミングで出すかということですね。当然の情報の一つとして入院される時に受け取るようになると、やはり意識はしますので、P2のようなものをもらってもそんなに大きなショックにはならなくなると思いますが、何の予備知識もなしにいきなりこの2つを渡されると、ショックを受けると思いますから、より一般的な情報と「私の場合」という個別な情報とは、やはり段階を経た方が良いと思います。

勝村 1枚を別に渡されるより、入院のしおりみたいにいろんな情報と一緒に入っている方が柔らかい印象を受けると思いますね。入院時なら、ほとんどの方は死なずに病院から帰る可能性がありますしね。

吉中 病状が迫ってきてから渡されると、「そういうことか」ということになりますね。

広瀬 2番は「仮に蘇生しても数時間の間に死を迎えると医療者が判断できる場合でもするけれども、本人が望まれるのであればしない」ということですか。

東 いや違います。「しない」ということです。それに「本人が望まれるのであれば」の部分は消されました。「基本的にはこのような場合にはしても意味がありませんよ」ということを説明しているのです。

小原 「しない方が苦痛や負担を与えないから、患者のためだ」ということなんですよ。

参考まで聞きたいのですが、現在、入院された方が署名することはどういう場面でありますか。

田中 まず治療に同意するかとかで、手術する場合は手術に同意するか、輸血に同意するかとか、他に侵襲のある検査、造影剤を使う検査とかいっぱいあります。また、看護師の看護計画の同意書もあるのです。

東 まず入院診療計画です。

内田 「お金を払います」という保証のため保証人も要ります。また、その大前提となるのは入院同意書です。

田中 そうですね。まず受付で入院するということに関しての書類が要りますね。

勝村 入院患者は平均で何回署名するのですか。

田中 平均をとったことはないですね。

橋本 何もなかったら3~4回ですか。

勝村 何もなかったら入院の時だけですか。

田中 あと、退院の時。

勝村 退院に署名が要るのですか。

田中 退院療養計画書というのがあって、「退院後はこうしますよ」という内容です。

内田 入院の同意書と入院診療計画書、退院療養計画書の最低3つです。

勝村 裁判の関係で言うと、クリティカルパスの関係になるのですね。

東 入院と退院は診療報酬です。同意書は基本的にやらないといけないもので、診療報酬の関係ではないです。

勝村 治療方針を示していくことを推進させようとするがあまりに、署名を取ってお金に変えて…。

内田 リハをしたら、リハだけのものがあって、お金の返還があるので1ヵ月に1回、月が替わる度に署名しなくてはいけません。

東 署名していないと、「署名していないじゃないか」と指摘されるのですってね。

小原 そのたくさんある署名の中で、本人以外の人が署名する場合ってありますか。

田中 多いですね。でも、本人の意識がしっかりしていれば、本人だけでもよいという書類が多いですよね。基本的には手術でも、家族がおられなかったら本人だけでもオッケーですね。

小原 本人プラス家族の両方が署名するようなものってありますか。

東 ないですね。本人がしっかりしていたら別によろしい。

内田 最初の保証人のやつだけやね。あれはお金が絡むから、第三者のものをもらっておかなければいけない。

小原 ということは、通常医療の中で意識がハッキリしていない場合を除くと、ご本人以外の人が署名をすることはほとんどないわけですね。

吉中 意識、認知症、後は…。

原 だから、意味合いは代諾という感じで、連帯的な書き方はしないですね。

内田 全部が入院のしおりに入っているというより、その場のタイミング、タイミングでしか出ないですね。

小原 いろんな場面で署名してきたわけですが、本人もご家族も署名せずに通過する書類は実際にないわけですね。とすれば、ご家族の意向を聞く必要がないというのも、一方では分かるのですが、これだけの書類を作っておきながら、何の署名もなしに確認だけを求めるというのは、ちょっと変かなという気もするのです。

勝村 これを全員に渡すことができるという前提でですか。

原 いや、どうするかはまだ固まっていないと思うのですけど。

小原 もちろんそうです。今はそれも含めて議論しているのですけどね。

勝村 全員に渡すということだったら、まだ家族の議論にもなると思うのですが、任意で提出するのなら?

東 任意でやるというのはなかなか難しいよね。

勝村 P1の文章の書き方次第では…。

原 P2も含めて付けて皆さんに渡しておいて、署名してもらうのはその時でなくても良いと思うのですけど。

東 それがいちばん良いですね。

小原 そうですね、「こういうものを書く可能性があるよ」ということを知っておくことも良いですからね。

東 逆に、こういう意思を表明しておきたいと思っている人も最近はおられると思うのですけど、今はチャンスがないですね。「当院はこのように考えています。もしご意向があればこのような形式でお伺いしますので、どうぞ書いてお渡しください」と言っておくと、まだ差し迫っていなくても多分、意思を表明する人は出てくると思います。逆に、差し迫った人にこれを使おうと思うとなかなか難しいと思いますね。「本人は意識がないわ。家族しかいないわ」という場面の対応はまた別に考えておかないと、これは使えないと思う。

勝村 全員に2枚を渡すのはどうかなって思うけど。

東 「意思を表明されたければそういうものがありますよ」ということで、これを例えば表と裏に載せておいて、「こういうふうに書いて渡してもらったら尊重しますよ」と、ごく形式的にしておくかですね。

小原 倫理的にはこれはセットで一つのものですから、分けるより一緒に出した方が良いかも知れません。

清水 私は患者さんからよく電話を受ける立場ですが、よく読まれてしっかり文面を理解される方もおれば、さらっと感覚だけで読まれるもおられるので、何か誤解された困るなという懸念もあります。

小原 ただ、誤解されることも含めて、そういうプロセスを通過していけないと思うのですよ。当然、やり始めはそうだと思いますよ。この病院だけでなくて日本社会全体が今、その通過をしている時だと思うので、そこは出して、いろんな問いを受けながら、場合によっては改善していくみたいな…。

清水 この標題もより分かりやすい表現の仕方があれば良いと思うのですが。

吉中 この「終末期の~」ということですか。

勝村 これはまだ難しいですよね。ガイドラインみたいなしゃべり方になっていますよね。

清水 患者さんってもっと素朴で感覚的に理解され、「なんかやってもらえへんのやろうか」とか言われる場合もあるので、もっと「そうじゃないんだよ」みたいなことが分かるような感じにならないでしょうか。

広瀬 中央病院の方針としては1番をバーンと出して、みんなに安心してもらってから、「いざとなったらこういうことを考えて欲しいのですよ」とした方が良いと思います。拡大解釈して助からない人には栄養補給もやめたりという病院もあるので、そういうことをしないということをキッチリと示しているということでは、患者も安心するのではと思うのです。

勝村 出し方としてはやはり別紙にしない方が良いと思いますが、入院のしおりに入れるとしたら、このような2枚ものは無理でしょ。

田中 いや、裏表でも良いし、2枚目だけを切取線で切り取って渡せるようにはできると思います。

勝村 入院のしおりというのは折り曲げただけでバラバラになるの?

田中 ちゃんと閉じてあります。

勝村 それで何ページぐらいあるの。

内田 8ページぐらいはありますかね。リストバンドとか患者さんに守っていただくことなどがいっぱい書いてあって、そして最後にご意見箱の用紙が引っ付いていて、それだけは切り取れ、言いたいことがあったらそれに書いて出していただくようになっています。

勝村 これは全員に配られるものと、患者さんにも分かってもらわないといけないから、見た目にも明らかに全員に配られていると分かるような様式、挟むのではなく刷り込む必要があると思う。

内田 やっぱり刷り込んでしまって、「私の考え」の部分だけに切取線を付ければ良い。

小原 それがいちばん良いですね。細かい議論をする前提として、どのタイミングでこのお知らせを出すかは大事なので、そこだけをまず確認しましょう。例外なく皆さんに見ていただくものとして、入院のしおりにキチッと入れるという方向でよろしいでしょうか。

(一同) はい。

東 その方が良いね。

原 P2の用紙を含めて入れるということですね。

勝村 僕が患者になった時のことを想像すると、「何か分からないけど、辛どいからお任せ」と絶対に思うわけですよ。それだと、P2を見れば「通常どおりに心肺蘇生を行ってくださいがお任せなのか」という感じですよね。医療には自分が判断したい場面を絶対に残しておいて欲しいけど、「そこは頼むよ」という場面もあるわけですから、絶対に意思を書かなくてはいけないのではなく、この基本方針とは違う場合に意見が言えるように、書こうと思ったら書けるようなやり方はできないですかね。

橋本 4択ではないという意味ですか。

勝村 全員にこの紙を書かせるということになるわけでしょ。

原 いや、出させるかどうかは、また別ですわ。

東 「あなたがいよいよの時のことを考えておられるのなら、こういうふうな形で表明していただければ、当院はその考えに沿ってやりますよ」というチャンスがあるということで、皆が出す必要はないと思います。そして、本当に個別にこういう話になる人は、いざという時にまた、個別に話をしなければいけないと思いますね。

勝村 宴会でも何でも、出席でも欠席でも必ず全員が出せという場合と、出席の人だけ出せという場合がありますが、これみたいにどんな意向の人も書くような様式だと、必ず書かなければいけないようなイメージになるけど、病院の考え方と違う意向を持っている方だけ出しなさいというのなら、網羅的に載せる必要はないですね。

小原 それもあるのですけど、ただ、P1の文章の意図をよく理解できなくても、「何をしたら良いのや」ということでP2を見たらこのオプションがあるので、「なるほど、心肺蘇生を行ってくださいと言えば良いのか」とか、「いざという時は差し控えてもらえば良いのか」と、ようするに「何を自分は決めたら良いのか」ということがここで示されていると、自分の考えをまとめる手助けになると思うのですよ。

広瀬 パンフレットに入れる場合は、「医師と看護師から説明を受けました」というのを入れない方が良いのではないかな。

東 そうですね。これは違いますね。これは「私の今の考え」ですね。

小原 全員に渡すのだったらここは必要ないですから、取ったら良いですね。

広瀬 私が患者としたら、ここを取れば「真剣に将来を考えてみようか」と思いますけど。

東 そういう人もいると思いますよ。私の奥さんも「私は何もして要らんよ」といつも言っていますが、そういう話をどこかで表明したいと思っている人は、「じゃぁこの機会に言っておこう」となりますね。

吉中 そうすると、軽くいくとして、「説明を受けた」というのをなしにすると、具体的にそういう場面に遭遇した時にもう一度、発動する手順みたいなものが要らないですか。ようするに、遠い将来のこととして考える人の方が圧倒的に多いわけですから。

勝村 いざやる時は本人が参加できないから、医療者と家族で決めるのだけど、その時に「こういう紙が残っています」ということがあるかないかの問題だから、それ以上は無理なんではないですか。

東 その時に「ご本人の意思がありますよ」というのが一つでも増えれば、ご本人の意思を尊重できる可能性が増えますね。実際のいざという時にもし具体的に文章を残すのなら、これぐらいのものをもう一度、改めて書いてもらわないといけないかも知れませんし、署名云々とは別に、キチッと説明して「こうだから、もうしませんよ」ぐらいのことは、また選んでいかないといけませんね。この場合は「説明をしました」と付け加えれば、後は同じ紙でも良いと思いますよ。

吉中 具体的には現状のDNARみたいな場合でしょ。

勝村 現状のDNARでは、書いていなかったら全部、やっているのでしたっけ。

東 とりあえずやるのですね。誰がその場にいるか分かりませんから、当直医の判断で「しませんよ」ということにはならないね。「やるな」と書いてあったらやらない。

勝村 そして、その中には医療者が「これは意味があるのか」と思いながらやっている部分もあるから、もうひとまわりDNARという意思表示が増えても良いのではないかということなのかな。

原 と言うより、意思表示があったらやめるわけではなく、むしろ、意思表示があったらするのです。

勝村 でも、「差し控えてください」という欄があるでしょ。だから、全部を示すというより、もう少し方向性があった方が…。

原 おっしゃっているのは選択肢の書き方の問題ですかね。

小原 選択肢としては、あまり増やしてもかえって混乱するだけなので、この方が簡潔で良いと思います。

吉中 基本的にはするのですから、「『通常どおり心肺蘇生を行ってください』というのはなくても良い」というのは成り立つかも知れないですね。

原 ここは「通常どおり」という言葉を変えるかですね。

小原 変えるということは取るということですか。

原 「徹底して」…。(一同爆笑)

内田 そんなのを見たら、また「徹底してって、どないなるのやろう」って考えますよね。

勝村 P1の文章から言えば、そこは「負担や苦痛を伴おうとも心肺蘇生を行ってください」でしょう。

小原 そういう意味ですよね。「損傷しようともやり続ける」ということですよね。

勝村 確かに「通常どおり」ではないよなぁ。

原 まぁ、「万一の可能性を期待して」みたいなことでしょ。

吉中 それは1番に相当するわけですね。これは基本原則に掲げていて、広瀬さんがおっしゃるように、患者さんから見ると「安心感ということでは絶対必要だ」というのは良く分かります。

小原 これは大前提ですし、これがあることによって安心感を与えることができますから、外すわけにはいかないと思うのですよ。

東 ただ、我々としては「基本的にはする意味がない」と思っている場合のことですから、順番は「差し控えてください」というのを最初にもっていく方が良いのではないですかね。それにも拘わらず「絶対にやって欲しい」という人はよく考えて下のも選ぶけど、どうでも良いと思っている人が「病院の言うとおりにします」と書くのはいちばん上ですな。

原 テクニカルには、控えることを前にもってくると、「控え」と言っている感じがするでしょ。

東 「それを言いたい」ということではないですかな。

原 順番的にはあえてこういう配置の方が出しやすい気がしますが、この局面では「通常どおり」ではないので、ここを変えれば分かるような気がします。

小原 「最後まで心肺蘇生を行ってください」とか、そういうのはどうですかね。

原 「最後まで」がいつまでか分からないので、「可能な限り」とか。

小原 結局、ここの項目は前のページの1、2、3にそれぞれ対応しているところがありまして、1のところでは「とにかく最後まできちんと治療します」と書いて、その一環として1の選択肢が出てきていますので…。

原 「最後まで」というのは、分からないのは分からないですね。

田中 やめたところが「最後」ですよね。

勝村 心臓は止まっているのだからね。

東 「見込みがなくても」はどうですか。

橋本 「心肺蘇生を行ってください」だけでは表しきれないのですか。

小原 もし、前に付ける副詞が難しければ、「心肺蘇生を行ってください」だけでも良いですよ。

東 意思にそのニュアンスが影響しそうですね。

吉中 ただ、1番の「最後まできちんと治療します」というところが、読まれる方は多分、終末期だけに限定してというところから外れて、終末期を超えた受けとめになってしまうことがありますから、そこは主張しておかないといけないかなと思うのですね。他の場合は全部「救命困難な場合」としていて、「救命困難な場合」が終末期ということで考えていますけど…。

勝村 「救命困難な場合でも心肺蘇生を行ってください」。

原 付けるのだったらそうですね。「救命困難と思われても」…。

小原 2つめに合わせて「救命困難な場合でも心肺蘇生を行ってください」にしましょう。

勝村 3つめは「場合」がないのやなぁ。

小原 もし表現を揃えるのであれば、3番目も「救命困難な場合でも」とした方が良いかも知れませんね。

東 「救命困難である」ということを強調したらね。

原 ただ、1番目は「救命困難な場合」というより、「救命困難と思われても」としておくのは、「私は生命力が強くて生き返るから、医者の判断を信用されたら困る」というような場合に、これを希望するでしょうからね。または「救命困難と見えても」とか。

勝村 「救命困難な場合でも行ってください」というのは、何か無茶を言っているみたいだからね。「医療者が救命困難と判断しても」ということやな。

原 2つめと3つめは良いのですけどね。

小原 そうですね、「救命困難に思われても」ぐらいにしておきますか。

原 あるいは「どんな場合でも可能な限り心肺蘇生をやってください」。まぁ「一週間やれ」という話にはならないでしょう。

小原 ここは決めておきましょう。

吉中 「救命困難に思われても」で良いのではないですか。その上に「患者がもし心肺停止になり救命困難と判断された場合」とあって、「私はこう思います」ということですから、同じ言葉で継いだ方が良いと思います。

小原 そうですね、「救命困難と思われても心肺蘇生を行ってください」としましょう。

田中 いちばん最初の文は「患者が」ではなくて「私が」ですね。

小原 これが何故、患者になっているかと言うと、家族が署名する場合には「患者が」の方が良いのですよ。

原 ちょっとそこは、後々との兼ね合いですので。

橋本 どっちでもいけるようにということですね。そうすると、「本人」と「家族」の署名欄があるのは、推定でなくて家族がそう思って書く場合だってありますから、2ヵ所あっても構わないということですね。

小原 2ヵ所にしたらどうかということですね。両方に書く必要はないので、いずれかの欄に署名してもらうということですね。前半の方はだいぶまとまってきましたのが、ちょっと時間もおしてきましたので、後半の方を確認したいと思います。先ほど、患者のご家族の署名が要るか要らないかという議論も出ましたので、ここをもう一度、確認したいと思います。私はあった方が良いのではないかと思うのですけど、ただし、今のように「本人の考えを上記のように推定します」ではなくて、「署名する人自身の意向の表明として署名する」というニュアンスの文章に書き替えた方が良いと思います。

吉中 それでは、2をなしにして、「回答者が本人である場合」もなしにして、署名だけにすれば良いですか。

橋本 そうしたら誰の意思か分からなくなっちゃいますね。

吉中 署名がご家族かご本人かということが分かるようにすれば良いでしょ。

小原 そっちの方がシンプルでよいかも知れませんね。

原 両方書く場合もあるでしょうから、一応おいておいても…。

勝村 でも、本当は患者が書けるのに、家族が書いてしまったりすることもありますよ。

小原 それはあり得ないと思うのですよ。

勝村 どうしても患者が書けない場合だけ家族が書くはずなのに、1つにして本人でも家族でも書けるようになっていたら、本人と家族の優先順位も分からずに、「どっちか一人が書いたら良いわ」となりそうです。僕も、お婆ちゃんが入院した時には、全部の書類を僕が書きますから、その勢いあまってこれも書いてしまいそうです。

小原 おっしゃるとおりです。「まずはご本人で、次が家族」という順序を分かるようにした方が良いですね。

吉中 それなら別にしておいた方が良いですね。

小原 この順番を付けていると、まず本人が確認しなければいけないことがハッキリ分かりますから。

吉中 なるほど。ただ、ここに「同席家族名」は要らないということですね。

小原 本人だけで良いと思います。

吉中 それでは2の文面も、1の「上記が現時点での私の考えです。変更がある場合は改めて伝えます。再度、説明を求めることもあります」と同じようにしたら良いですか。

小原 それが良いかも知れませんね。そうしましょう。全く同じ文章を入れて、そして「家族の総意の代表者署名」…? これはこれで良いですか。

原 総意の代表者ってできるかな。

小原 「総意」を入れると全会一致で決まったようなイメージだから、「家族の代表者署名」では駄目ですか。

勝村 総意が得られない場合ってあり得るからなぁ。一人一人のもっている信条や宗教観も皆違うから、こういうのは割れそうですね。

小原 でも、だいたい1人に代表してもらう必要はあるので、「代表者署名」は良いのですけど、「総意」は取ったらどうですかね。

吉中 現実的にはそうなりますからね。それで「代表者署名」で、まぁ「続柄」はあった方が良いですね。

小原 これはあった方が良いですね。これで、かなり整理されてきたような気がするのですけど。

原 あえて言いますと、「終末期」という言葉は最初の標題になくても良いような気がするのですけど。

橋本 「終末期」を取ったら、「心肺蘇生についての私の考え」?

原 内容的に変わるという意味ではないですけど。P1で言えば単に「当院の考え方」だけにして、中身は終末期のことを書いてあるのですけど。

小原 ただ、やはりタイトルに書いてある方が、キチッとそこにフォーカスがあたりますので。これが意味不明な難解語なら外しても良いと思うのですけど、今は「終末期」という言葉自体はかなり一般的にも使われているので、これを使っても特にデメリットにはならないと思うのですよ。

勝村 修飾語としては分かりやすい。いきなり「心肺蘇生」なら、心臓や肺の病気というイメージを持つ人もいるかも知れない。

小原 「いよいよの時の」ということを心構えしてもらうわけなので、これを抜いてしまうと分かりにくい。

原 ちょっと分かりにくいですか。

東 むしろ、この「終末期」という言葉を文章の中にもっと入れた方が良いかなと思うぐらいです。例えば2番の「病気の進行や全身状態の悪化のために」という言い方をすると、非常に幅広く捉えられますよね。標題に「終末期」と入っていますから、「これは終末期のことだよ」ということは大前提なんですが、ここにも本当は「終末期において」といったことをくどく書く方が、「この話は非常に限定した時の心肺停止に対するものである」ということを理解しやすいと思う。なんとなく議論していると、終末期が抜けて、一般的な心肺停止のことかなという感じ、例えば救急で運ばれてきたような場合も想定してしまうような感じがあるのですね。

勝村 2番の2行目なんて「急に」という漢字が入っているから、急性期の話かなと誤解されそうです。急性期医療やったら「心肺蘇生をしっかりしてくれ」という話になるので、「AEDをやってもらえないのですか」みたいなことになります。

東 この文章全体が若干、分かりにくいですね。「心肺停止に至ることがあります」というのも、「至ることがある」のではなく、「通常は心肺停止に至る」わけですから、「必然的にそうなってしまう時の話ですよ」というニュアンスが、なんとなく分かりにくいかなって感じがする。

小原 ということで、「終末期」という言葉は残しましょう。これまでP1、P2を見てきたのですけど、文章に関してはだいたいこれでよろしいでしょうか。

吉中 P1の2番の文章ですと、「救命困難な病状になられる患者様があります」の後を「このような場合を終末期と言います」とか「このような終末期の場合」と変えて、「一見安定しても呼吸・血圧・脈拍などが悪化して」と続け、「呼吸」の前の「急に」も取ってはどうですか。

小原 「このような終末期においては」「終末期では」ぐらいにして、「急に」も取りましょうか。

吉中 「また一見安定して」の前の「また」も要りませんね。それと、P2の上に「患者氏名」を書いたのは、ご家族の名前がバラバラだと分からなくなるので、誰のものであるかの確認のためのものです。そして次の「私は」から「○○医師丸○○看護師から受けました」の部分は、最初の入院の案内には要らないということですね。

勝村 入院のしおりの全体に関しては何か説明はあるのでしょ。これは終末期にならない時に仮に意向を求めるだけだから、その段階での説明は難しい。

吉中 まだ診断もついていないし、難しいですね。

小原 ここを抜いてしまうことによって、書きやすくなるというか、いつでも書いて出せますからね。ただ、誰が説明したかということは、もちろん病院側の資料としてはどこかに記録しておくべきですが。

原 逆に言えば、下の方で「医療者側の誰が受け取った」というのを書く欄があっても良いかも知れませんね。

吉中 それはあった方が良いですね。

勝村 「出しているのに認識されていなかった」ということはないですか。

吉中 受け取りには署名が要るのでしょうね。

原 本当はコピーして、病院に保管する分と本人の分との2部が要るのですよ。

吉中 最初に入院された時に出す受け取りというのは、病院としても確実に受け取っていることが分かるような中身で良いと思うのですが、「これがあればそのまま自動的に」というわけではなく、実際に発動される局面では、「終末期にあるよ」ということを複数で確認するといったことが手順としては必要だと考えています。そうすると、その時にはまた別のものが要ると思うのですが、そのへんはどうですか。

小原 「別のものが要る」と言うと、それは内部的な書面ですか。それは資料Cのところで確認がキチッとされれば、患者の意思表示が大事ですから、別の書類は要らないと思うのですけど。

勝村 こんな大きな文面が本当に入院のしおりに入るのですか。

小原 入院のしおりはA4判ですか。

内田 A4判です。

小原 じゃぁ、サイズ的には大丈夫ですね。

内田 2ページのものが入るということですよ。

勝村 全ての患者に渡すのですから、しおり全体と比べて強すぎませんか。

内田 いきなりこれが出てくると「エッ」となるでしょうけど、最後の方にくればそうでもないと思います。ただ、入れるのであれば、あまり中途半端ではいけないので、これぐらいの方が良いと思います。

勝村 科によって入院のしおりは違うのですか。

内田 一緒です。

小原 これを入れましょう。

内田 それと、できれば見開きに入れた方が良いですね。

勝村 そして裏は白紙になっていて、提出する時はそこを切り取れるようにするということですね。

原 「出してもらっても構いませんが、無理に出す必要もありません」という説明は要りますね。

内田 P1の下あたりに「横のものは…」という説明を入れれば良いと思います。

原 選択肢を付けていますから、選択を強要したり、心理的に圧迫するということは避けなければいけません。

小原 入院時にもらう分の中に入っているものに関しては、圧迫は感じないと思います。

原 だから、「出さなくても良い」ということが分かる必要はあると思う。

東 ここに「初めからご要望はある人はここに書いてください。別に出す義務はありませんよ」というようなことを、赤枠か何かで目立つように入れたら良いですね。

勝村 出さなかったら、1番目にチェックを入れたのと同等になると書いたら…。

原 出さなかったら2番目ではないですか。

東 「意味のない時はやりませんよ」と言うためにこれを作っているのだから、出さなかったら2番目ですよ。

勝村 出さなかったら1なのか2なのかは、P1の文章では分かりにくいなぁ。

小原 「無理に出しなさい」とは書く必要はないと思うのですが、入院のしおりに付ける以上は、基本的には出して欲しいということで良いのではないですか。あまりそこを緩くし過ぎると、入れても結果的に今までと変わらないということになりかねません。

原 でも、現実的に言えば、そこまで言うのは無理があると思うのですがね。

小原 それはかなり段階的に移行していくと思うのですけど、最初から「どうでもいいのですよ」という感じでやってしまうと…。

原 まぁそうですけど、一般的に言うと、ターミナルではない患者さんが多いわけでしょ。

吉中 検査とかお産で入院される方も多いし…。

原 「私は何の病気やろう」とか「治るだろうか」とか、そういうことを気にしている人に、「これも考えよ」というのはやっぱり…。

小原 もちろんそうです。ですから、文面上はそれで良いのですけど。

内田 そうか、確かに産婦人科だけは分けた方が良いかも分からんなぁ。

吉中 産婦人科と、小児科でも肺炎とかで入院している人などはちょっとね…。

勝村 他に書いてあるいろんなことと同じスペースなら良いけど、明らかに量が多くなるのではないですか。

吉中 そらまぁ、2ページなら多くはなるねぇ。

勝村 大概、一つの話が半ページぐらいとしたら、同じスペースに書き込めるのなら入れても良いと思うけど。

内田 だいたいそうなっていますね。

勝村 P1の文章に戻るけど、1番では「最後まできちん治療します」と言っていて、2番では「行わない場合もあります」と書いているから、「放っておいたら、1番の内容になっている」と判断しますよね。

小原 いや、1番は大前提なんですけど、終末期においては無駄な治療をせずに済むように、こういうように整理をしているわけなので…。

勝村 それなら、「自分たちの基本方針は無駄なことをしないことですよ」ということがもう少し出てて、「いや、無駄と思ってもやってください」という場合に書くか、「トコトンやりますよ。だけど無駄な時はしませんよ。それに同意してもらえますか」という感じで書く場合のように、文章の中に一つの方向性が書かれていて、それに対してどうなのかと書くのであれば、出さなかった人は方向性を認めたことになるので、任意的にできると思うのですよ。結局、網羅的に説明しているだけで、「方針に反対の意思を示さない限りやりません」と書いてなければ、「出さなかったらどうなるか」が非常に曖昧になる。僕が言ったようにP1の文章の方向性をもう少し出したら、一つの原則が示されるから、P2の選択肢も減らすことができる。そういうふうにしていくのだったら、先ほど言ったように「家族の署名は要らない」と思ったのですが、こうするとコンパクトになるので、半ページに収めることもできるのではないか。

小原 ページのことは、必要なものは2ページを取っても良いと思うのですけど、当然、「出さなかった人はどうなるのか」ということは、ぶれない方針を決めておいた方が良いと思います。ただ、今までの理解に従えば、「最後まで治療を行うという大前提がある。ところが終末期においては、医学的に意味がなく、場合によっては患者の身体に負担と苦痛を与える心肺蘇生はしない」ということが原則になるわけですよね。

原 終末期という言葉を使うのでしたら、「終末期の心肺蘇生は原則しません」…。

勝村 ここにそれをハッキリと書いたら良いと思うのです。

小原 そこが今日のいちばん最初から問題にしていたところで、それがだいぶ揺れ動いてきているわけですよ。

坂田 いわゆる悪性疾患の終末期に、これを出さなかった人に意向を確認する場面が必ず現れてくると思うのです。うまくいけば本人だったり、家族になることもありますが、「最期をどのように迎えますか」ということをなしに、最期の場面を迎えるということは、まず考えられないと思うのですね。もし、これが患者さんから出されなかった場合には、医療者の方から「このことをどう思われますか」と聞く局面が必ず訪れると思うので、「出されなかったから心肺蘇生を行った」というふうな結論には、多分ならないのではないかと思います。

勝村 そういう状況になる時は大概、本人は選択に参加できないですね。だから、周りの家族や医療者が「どうしよう」という時に、「本人からこういう意向が出ています」と示すための書類なんですが、これを読んでいるはずなのに提出されなかった場合、「こっちの考え方に同意してくれているはず」だといっても、それがどれかは曖昧になっている。

小原 出ていなければこれまでと同じように口頭でご本人、駄目な場合は家族に聞くしかないでしょうね。そこのプロセスをスキップして、最期を迎えるということはないでしょうね。

勝村 聞くのは入院のタイミング?

小原 いえ、切羽詰まってからです。

勝村 切羽詰まってから聞くのは当然、家族でしょ。

小原 タイミングによりますから、それは分からないですが、多くの場合は家族ですよ。

勝村 それだったら今までどおりだから、こういうものを入院時に出している意味がなくなる。

小原 だから、これが必要なんですよ。

勝村 だから表現として、出さなかった場合はどういう意思とみなされるかが分かるような、病院の考え方を書いておいた方が良いと思う。

小原 「出さなかった場合には」というのを書くと、かえって「出せ」と言っているのと同じことになるから。

勝村 これは「考え方」というよりも、「心肺蘇生に関する選択肢の数々」でしかないようで、考え方がちゃんと分からない。「何でもやりますよ」という考え方もありますが。

原 勝村さんの意見では、P1の2番目とかをもっとクリアに書くということですか。

勝村 そうです。

小原 それは、「しません」と書くということですね。

勝村 「自分たちの考え方」って書くのだったら、もっと良い表現でないといけないが本音で言うと、「今までは自分たちが、無駄だし、苦痛や負担を強いているだけだと思いながらもやっていたようなことは、『それでもやってくれ』という声がない限りはやらない。でも、『それでもやってくれ』という声があった時にはやりますよ。だからそういう声を出すのだったら出してくれ」ということなら、ここは網羅的に書かなくても、もっとシンプルな様式にできると思う。

小原 様式は結果であって、やっぱり2番目をどう書くかですよ。だから、今、言ったようなことも考慮しながら、先ほどの案に落ち着けたのですけどね。これまで議論の中で同じことを繰り返してきているのです。立岩先生が懸念していたのもそこの点で、「断定的に『行いません』と書いてしまうと、プレッシャーをかけることになるので、そこは淡々と『医学的には意味がない』とかいう形で表現した方が良いのではないか」ということで、先ほどは落ち着いたのですね。

原 それだったら、2番目を「意味がない」という見出しにするかですね。

吉中 1番は、どうしても終末期に限定せずに捉えられるということがありますし、患者さんも心肺なので、ここは「通常は最後まできちんと治療します」として、2番と3番は、「終末期には心肺蘇生術を行わない場合もあります」「~行う場合もあります」というふうに、「終末期には」を2番と3番に入れたらどうですか。

勝村 1番は「ウチの病院は原則、心肺蘇生法をやりますよ」とも読めるでしょ。だから「それがこの病院の基本的な考え方で、何も書かなかった場合は1番目にチェックが入っているのと同等」と思ってしまい、2番と3番は「~場合もあります」だから、「補足の例外規定ぐらいにしかならない」ようにも読めてしまうでしょ。

吉中 ただ、私は「そうせざるを得ないと思う」と言っているのですが、3番に「私たちの診断に100パーセントということはありません」と書いてあるでしょう。そういった問題があるので…、

勝村 最初は小原さんがまとめようとされている感じで良いと僕も思っていたが、先ほど原さんが「原則はやめることだ」と言った時に、そこが混乱していてコンセンサスが得られていないと感じた。

原 内容的にはコンセンサスが得られていないわけではなく、表現方法です。だから選択肢よりP1の書き方の問題で、第一には見出しの問題ですが、1番の「最後まできちんと治療します」は終末期ではないわけですよ。例えばここに「終末期」というのが付いてくるのなら、「そうでない」という原則を立てないかんでしょうね。

勝村 もっと素直に言うと、1番は「意味のある治療は精一杯やります」ということでしょ。そして2番で「意味がないと判断したらしません」ということでしょ。

原 1番で考える「終末期でも」というのは、緩和ケアや延命も含めてなんですけど。

吉中 「人の状態によって行うべき医療行為を省略することはいたしません」ですから、「行うべき」というのがあったら限定的になるのですが。

勝村 これをもらって読んでも、考えが…、

原 分かりにくいのは、おっしゃるとおりだと思います。

小原 でも、これのどれかを抜くわけにはいきませんよ。

原 書いておくのは良いのですけど、前提条件とかをもう少しクリアに。書き足しても良いかも。

小原 終末期かそうでないかというところを区分けするということでしょ。それは分かります。最終的には終末期のことを言いたいので、標題には「終末期の」というのを入れたら良いと思いますが、1番のところは医療行為全般のことを言っているので…、

勝村 医療行為全般のことをここで書くから、ややこしいのですよ。

小原 いやいや、そうでなくて、これは非常に大事なことですよ。

勝村 だけど、入院のしおりに入れる限り、入院のしおりの先頭に本当の基本理念は書いているでしょ。

吉中 病院の基本理念であって、こういうふうには書いていないな。

勝村 これはまた別のところに書いておいて…、

小原 ただね、それをやると今までの議論が全部崩れますよ。

勝村 心肺蘇生はそうやね。ここは、それを伝えるからこそできる議論だからね。分かりやすさに難点はあるけど、ここは外してはいけない。

小原 今までの数回に渡る議論がまとめられいるので、そこは崩さない方が良いと思うのです。今はコンセンサスを得られているので、後は、患者にどう伝えるかという表現のところだけを議論したら良いと思うのですよ。

田中 「提出されなかった場合は1番なのか2番なのか」というのは分かりにくく、私は用紙が出なかったら1番の「全部やる」かなと勝手に思っていました。ここを分かるように書かないと、2番はあくまでも「そういう場合は意味がないですよ」という説明で、「ウチはしませんよ」とは読みとれないので、「しませんよ」と言い切らなくてはならないのであれば、その一文がいるのかなと思う。

小原 「これが出されなかったとしたら、自動的に1になるか2になるか」の議論をここですべきではなく、「出されなければ、それに対応することを聞かなければならない」ということで、最終的に「1か2か、他のものか」を考えていけば良いのです。

原 本人から聞けるか限らないから、本人の意思が分からなかったら決められないではないですか。「その場合はどうするか」ということになるでしょ。

小原 出されなくて本人の意思も分からなければ、今まで同じように家族の意向を聞くしかないのですよ。

坂田 本人の意向を推察するとか、そういうことでしかないという…。

勝村 ハッキリ分かるように書いておくべきと思うのは、患者が出さなくて家族も「お任せします」と言った場合に、どうするのですかということです。

小原 そこまで書く必要があるのかなと思います。というのは、今まではそれが通常の状態で、それに加えて、ご本人の意思がハッキリしている間にこういうものを出せるようにすれば一歩前進なので…。

田中 「判断ができない場合は、こちらは2番で考えています」というふうに説明すれば良いと思います。

小原 そうです。1番であれ、2番であれ、説明の中でね。

坂田 もう一度、この中身を家族に説明して、1番・2番・3番を問うだけだと思います。

原 本人が書面を出すことが一歩前進だとは、私は思っていないのですけど、「原則はトコトンやるのだ」というのが現状であるとしたら、それはいかがなものかと思うから、デフォルトを変えた方が良いのかとは思います。だから、「本人意思をどんどん聞くように、詰めていきましょう」という必然性はあまり思わないですね。

小原 出さなかった場合に関しては、これまでどおりで良いと思うのですよ。

原 いや、これまでどおりというのは、話がやっぱり違うと思いますよ。

小原 話がだいぶ錯綜して、文書表現以外の問題も絡んできましたので、どう整理したら良いかな。出されなかった場合のことも含めてここに書くということを、すべきかどうなのかはちょっと分からないのですけど。

勝村 だけど、出す出さないは自由なので、入院時に出さなかったら、「必ず出してください」と言ってその瞬間の意思を聞いて回ることも、するつもりはないのですよね。すると、出さなかったらどうされるのかが分かったら、「出さないでおこうか」とも思えるけど、出さなければどうされるのか分からなくて、こっちには網羅的に書かれてあったら、「絶対に出さなあかんのかな」と思う。そのへんが整理どころだと思う。

小原 そこは先ほど言ったような一文で、「出していただいても結構だけど、それは義務ではありません」みたいなことを、書いておく必要があると思うのですよ。その上で、書面を出す出さないに関わらず…、

勝村 それに、もう一つ現実的に変わるのは、今までは意思が確認できていなかったら、やっていたのでしょ。ただ、これからは意思が確認できなかった場合、できるだけやめたいという感じに変わるということ?

原 「やってくれ」という意思表示がなかったら、「やらなくても良いです」ということです。

勝村 そういうことにこの文書を使ってしていきたいということ、直接的・間接的にDNARの数を増やしたいということはないわけ?

坂田 そうではなく、ちゃんと手順を踏んで本人や家族の意思を確かめるためのものであって、確かめていなかったらDNARにするためのものではないのではないかなぁ。

小原 これまでの議論から言っても、あまり誘導的なものはないと思いますよ。ただ「本当に医学的な意味のない儀礼的な心肺蘇生はもう、しない方が良いだろう」ということです。

勝村 「しない方が良い」と思いながらもこれまではやってきていたのね。それを、これを作ることによってやめていこうとしているのね。だから、そのことが分かる文章になっているかという不安なんです。

吉中 「やめていこうとしている」というのは、医療側はまだそこまで言い切れないわけです。「やはり良くないのではないか」という思いもあるのですが、「蘇生できるかも知れない」という思いは絶えずつきまとわれるわけですから、「100パーセント駄目と分かっている」という話には、現実問題はなかなかいかないわけですね。「助かる者も助けない」というところへ全部が追いやられる可能性もあるし。

勝村 それが良いとか悪いとかいう話とは別に、仕事的にはあまり変わらない可能性があるでしょ。

吉中 今まで言うと、医療者側の思いで患者さん側へ「もうそろそろこうやね」と勧めていたのを、もう少し患者さんの意思へ近づけようという、プリミティブな思い入れですね。

勝村 出しても出さなくてもよいとした場合、これを出す人の率は何パーセントぐらいだとイメージしますか。例えば7割の人が出さない場合、ほとんど今までどおりにしてしまうということだから。

清水 例えば自分が入院した時に、こういうものがあるということは話をするきっかけにはなりますよね。

勝村 ちょっとした文章表現の違いで、回収率が上がったり、「出さなくても良い」という雰囲気に変わる。

小原 そこの表現は工夫したら良いと思いますが、ただ、回収率を上げたいとか、遵守させたいという…、

勝村 回収率を上げたいと言うのではないが、回収率が低くても良いとすれば、例えば「文章は読んだけど、出さないでおこう」という人が非常に多くなる可能性もあり、その場合、今までどおりに最後までやるのか、無駄な心肺蘇生をやめるのか、そこを考えておかなければいけないと思う。

小原 「医学的に無益な蘇生はしない」ということで、病院内部のコンセンサスは得られると思うのですよ。それから、こういったものを作った以上は、この文章などを積極的にいろんな場で利用することになりますから、表現というより現場の意識だと思うのですよ。

原 ただ、原則はどっちなのかをもう少しクリアにしないと、今も既にそうなっているように、いろんな職員の間で混乱が生じると思います。

吉中 「基本の流れはどうなのか」というのは一方で、行政レベルでは「無駄な延命治療が多いので医療費が高騰」という話も入っていて…、

勝村 それに抵抗する表現を入れるのは良いけど、だといって「当然、やりますよ」となるのか、「それとは区別するけど、こうします」と言うのか、それとも、強く打ち出せなくて悩んでいるから「できるだけこの4つから選んで出してください」と言うのか、「基本方針はこうだ。それ以外の希望も書いてくれたら従うが、それで良ければ出さなくてもいい」みたいにするのかということですが、読む側にとっては、方針がどっちかになっていた方が分かりやすいと思う。今の文書は、患者にできるだけ選択してもらいたいのか、基本方針を示してそれ以外の希望の時だけ書いてもらいたいのか、そのどっらかだと思って読んだが、よく分からない。

原 P1の方は、原則としてどうなるのかが一読してもよく分からないが、P2に選択肢が多くあるから、それがリンクしているとことなんだろうけど。ただ「病院の方針に逆らう場合は書いて」というやり方はあまり望ましくなかろう。書面提出を受けているかは別として、現状では「徹底してやるのが原則だから、やらない場合に書いてください」というやり方で、意思表示を求めること自体がやりにくいでしょ。

吉中 実際は、それが常識に反しているわけではなくて、終末期で「もうあかんな」と思う時には、ご家族との合意はわりとたやすく得られるので、具体的な局面では大丈夫なんです。ただ。元気な時にはなかなかそこまでいくかは分からないね。

小原 多分、議論は延々と続くと思うので、今日にまとめるのは無理なので、次回に継続したいと思います。今日は文章をだいぶいじり、資料Bに関しては文章レベルでは比較的にまとまりが出てきまして、今日の後半に問題となったのはむしろ、それをどういうふうに使うかとか、それ以外のところでの議論でしたので、それも視野に入れながら、次回は今日に修正されたものをどう利用していくか、受けとめていくか、あるいは患者に伝えるかというところを中心に、再度、確認していきたいと思います。残り時間は短いですが、今日予定されている議事には(2)(3)も予定されていますので、まず、手短に報告と課題などをご説明いただきますか。

吉中 議事の(2)は資料Fですが、別に今日お配りした1枚ものの「臨床研究審査申請書」というのがあって、具体的にはこの中身です。研究課題の項目に「糖尿病ホルター心電図検診多施設共同臨床試験」とあります。概略は、糖尿病の患者さんにホルター心電図を着けていただいて解析し、その結果と糖尿病の病態とか、結果的に見つかる心筋梗塞や狭心症の悪性率とかを調べて、それを突き合わせて、「ホルター心電図で糖尿病の患者さんたちの心疾患を早期に見つけることができるのではないか、というのを明らかにしたい」という目的の研究です。

詳細は読んでいただかないといけないのですが、資料FのP4以降が文書です。【ご承知のように糖尿病が非常に多いという中で、心筋梗塞で亡くなられる方が多いのですが、糖尿病の特徴として無痛性の心筋梗塞という、症状がないものも結構あります。しかし一方で、診断が早期にされれば有効な薬物治療もありますし、それ以外の疾患管理もできますので、疾病の予防にもつながっていくということで、問題意識に上がっています】。

P4の一番下になりますが【しかし現状は、糖尿病の患者さんの虚血性心疾患を早期に見つけるような手法には、あまり適切なのがないというのが実際です。通常の心電図検査については、厚生労働省の科学研究でも否定的ということで、「ホルター心電図がいちばん負担がなく、可能性があるのではないか」という仮説に基づいている】ということです。

それを明らかにするためのパイロット試験として、P5にありますが【一般内科・糖尿病内科・循環器内科を受診する2型糖尿病患者と糖尿病境界型患者で】、2型糖尿病患者というのは普通の糖尿病の方ですが、【以下の3つの条件を全て満足するものを対象とする】ということで、ホルター心電図を着けたいということです。

検査の中身はホルターを着けるということになります。それを400人ほどやって、P6の上の方にありますが、【本試験研究は、糖尿病・糖尿病境界型患者の心臓病の予防と早期発見を目的とする検査法としてホルター心電図をおいて、一定の方法の下で日常のルーチンワークの一環として行い、その有用性があるかどうかを多施設で前向きに検討しようとする】。そのための準備のパイロット試験を行いたいという中身になります。以下にホルターの解析の方法とかを書いてありますが、「標準的にこういう形でやっていくよ」ということになっています。

P11に【研究等における倫理的配慮その他について】というのがありますが、これは通常の診療行為として行われているものですし、リスクは基本的にないものですので、そういった点では良いかなということですね。しかし、臨床研究ですので同意を取得してやっていくということと、4番に【被験者への負担軽減費等の支払い】とありますが、経費については請求しないで、(財)日本心臓血圧研究振興会の研究費で賄うことになっています。

P12に同意書があります。P13以降が患者さん用の説明の中身で、P16の写真が実際のホルター心電図ですが、今一番軽いものは30gで、検査の日に電極を着けて、24時間を過ごしていただき、翌日に外し、外したものの記録を取りだしてコンピューター解析をします。その評価は心臓の専門医が行うことになっています。

P19以降が問診票で、P21以降が患者さんの基本情報で、これらを併せて解析するのですが、ホルター心電図一般で評価するのではなく、「その中でどういう分に対してどのような所見をとれば、糖尿病の患者さんに使った時に早期発見にいちばんつながるか」というのを少し探りたいというのが、パイロット研究の趣旨になると思います。その上で、次の本試験に入っていくことになると思います。

一応そういうことで呼びかけられていて、P3に研究会の名簿が入っていますけど、私の専門が循環器ですので、私が懇意にしている人たちがわりと多いということで、全国的に広がっています。実際はこれからですので、近畿では国立循環器病センターや北野病院などでも準備をしていると聞いています。以上です。

小原 今、ご説明いただいた件について、もし質問があれば、手短にお願いします。特にリスクもなく、負担もほとんどないということですので…。

吉中 具体的には、以前の潰瘍性大腸炎の時にも使用していますが、今回はホルター心電図だけですから、保険診療とは別に行うことになります。それ以外のデータは日常の診療で行われるものになりますが、それらから得られたリスクのある所見、例えば不整脈があるという場合は、当然、精査をして治療ということになりますし、狭心症の可能性があるということになればその精査をするということになりますが、それは臨床ベースで行います。何もない人はそれだけで、「何もなくて良かったね」という話になると思います。

原 具体的に想定されているのは何ですか。心筋梗塞ですか。

吉中 狭心症、虚血性心疾患ですね。症状がない冠状動脈の狭窄の病気です。

原 虚血性心疾患全般ですか。

吉中 そうです。それ以外に、不整脈に関与するものも少しホルターでは検出されますので、それも一応入っていて、それらを組み合わせた評価ができないかということも、パイロットスタディでは入っています。

原 糖尿病では、不整脈が増えるのですか。

吉中 可能性がありますが、ハッキリとは分かりません。

原 今は、疫学的にはあまりよく分からないのですか。虚血性心疾患は増えるのですね。

吉中 虚血性心疾患は増えるというのと、その病像の違いがあるというところまでは分かっています。

原 予兆を見つけようということですか。

吉中 そうですね。将来的にはホルター心電図を使って、今だと発症して悪くならなければ分からない因子を早くからキャッチできるようにしようということです。それを確実に検出できるかは分からないのですけど、今、使い得る検査としてはほぼ唯一、可能性のあるのがホルター心電図で、虚血性心疾患を見つけるためのホルター心電図の感度はそれほど高くないですが、それ以上に感度の高いものは皆、負担のある検査になるので、それを全部に行うわけもいかないということなんですね。

原 これを何日、着けるのですか。

吉中 いや、1日だけです。

原 1人に1日着けてもらうというだけですか。そんなことで分かるのかな。(一同爆笑)

吉中 日常的に使おうと思ったら、72時間とかだと患者さんが堪らないので、1日が限度になりますね。

小原 ということで、特にご意見がなければこの件についてはお認めいただくということでよろしいですか。それでは次に進みます。「その他の治験関係報告」ということで、これもご説明願います。

吉中 これは資料Gと、後は当日資料にあります。Gは1月の治験審査委員会になります。P1の5番に審議事項がありますが、これはFK506です。お1人だけ、治験に加わっている方がいらっしゃって、フォローしていますが、特別に重大な事項もなく経緯をしており、継続試験に入っておられます。

それからP6がFTY720です。これは11月から始まって、順次、試験に参加される方が増えてきています。世界的な状況も、このFTY720を治験で使われているところもあるので、報告が入っていますが、治験中止に至るような大きなことはなく、実薬か偽薬かは分からないのですが、当院で参加した人の中でも大きな問題は指摘されずに経過しているということになっています。私が最新で聞いていますのは、18人がご参加されているそうです。そういうことで、1月の治験審査委員会では、いずれも継続ということで承認されました。

全国的には準備を進めながらやっているようですけども、以外と、神経内科と循環器とか皮膚科といった他科とのネットワークが作りにくいらしくて、多くの施設でなかなか進みきらないという実態があるように聞いています。中途半端に崩れていっては何をやっているのか分かりませんので、少しずつでも進めていくように努力をすることになろうかと思います。

小原 今、治験審査委員会についてご報告いただきましたが、資料をご覧いただいて何かあれば、また次回にでもご質問いただければと思います。今日は時間がだいぶ過ぎましたが、これで準備された議題を終えたいと思います。では、次回の日程についてのご提案と調整をお願いします。

吉中 次回から加わっていただくということで、北村医師を…、

小原 あっ、ご紹介します。皆、知っていますね。ちょっと一言、よろしくお願いします。

北村 私は精神科の北村です。2年間、オーストラリアのシドニーで精神分析を深めるために勉強して参りましたが、精神分析を通じて倫理というものも考えて参りました。ただ、倫理といっても「人間にとって善とは何か」とか、そういう基本的なことばっかり考えてきたので、医療倫理のように現実の地に足を着けたようなものではなく、かなり浮き世離れしたことばかり考えてきたので、こちらの議論にうまくそれを還元できるかどうかは分かりませんが、しっかりやりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

内田 それでは次回日程です。また木曜日に戻すということですが、4月中は難しいようですので、ゴールデンウィークの最中ですが5月1日はいかがですか。

小原 ではこれで。次回は5月1日木曜日18時30分から同じ場所でということで、ご予定をお願いいたします。今日も長い間、ありがとうございました。これで終わります。

 

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