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第二十四回 倫理委員会 議事録

京都民医連中央病院

日時 2007年11月11日(火) 18:30~
場所 太子道診療所3階多目的ホール
出席者 外部委員 小原委員長、原副委員長、勝村委員、立岩委員、広瀬委員
内部委員 内田委員、出島委員、東委員、吉中委員
事務局 内田、丸山
オブザーバー 田中
欠席 村井委員、坂田委員、高木委員

議事

小原 第24回の倫理委員会を始めたいと思います。村井先生がご欠席で、原さんが少し遅れて来られる予定です。当日資料と事前資料を併せてご参照いただきながら今日の議題を進めていきたいと思います。 

まず、長らく継続している「終末期医療についての指針・手順」「心肺蘇生術中止の手順」について、かなりまとまったものがここに出ていますので、それについて検討し、できれば今日に確定していきたいと思っています。まずは資料についてのご説明をお願いします。

内田 当日の資料ですが、P2からは患者様に向けました当院の基本姿勢みたいなものを明らかにした文書で、前回の議論で出された内容を基に修正しています。どこが前回と変わったかは分からないようになっていますので、全般的に見ていただき、ご論議をお願いしたいと思います。ただ、小見出しを付けて4つの点に整理させていただいたということと、同意書を付けようという議論がありましたので、「私の考え」というタイトルにさせていただき、意向を記載していただくものがP3にあります。 

続いてP4からは、医療生協さいたまの資料で、P4~P5は現在に使われているガイドラインです。P6以降が実際に患者さんに配布されている文書で、当院のP2のものと同様のものですが、P10が説明同意書の部分です。実は、先週に行われた民医連の学術運動交流集会に参加する機会がありましたが、ポスターセッションで説明する者がおられなかったので、全然分からないままに、具体的なガイドラインらしきものがあったのと、当日の資料には、ご本人とご家族とに分けた形で、意思確認の際に「はい、いいえ」という形でチェック項目に記入していただくものがあったので、「それも含めて欲しい」と言ったのですが、送ってきたのはこれらだけでした。どうも学術運動交流集会の時に作ったものと、現時点で使われているものが違うみたいなので、全部は使われていないかも知れませんが、他施設で使われているもののご紹介として載せました。

小原 この委員会でこれまで議論したDNARのガイドラインみたいなものは、今回はないのですか。

内田 中間からは、あまり議論にはなっていなかったですね。

吉中 4月に坂田さんが案文を出したものですね。

小原 そちらの方は印刷してもらってからということですが、おそらく、患者向けの案内文と病院内のガイドラインとの両方をセットで考えた方が良いのではないかと思います。事前資料の中に「緊急医療における終末期医療に関するガイドライン」などもありますので、それらも併せ見ながら、この病院でのDNARについての考え方の文案をまとめていきたいと思います。順番に進めていきますが、P2の患者向けのものと、一般的には同意書と考えられる「私の考え」と記されたもの、この2つに関して、何か疑問等があればご指摘ください。

立岩 「私の考え」のDNARの対象の(1)ですが、この間の議論はというのは、「本当に、心臓マッサージをしている間は一時的に循環が保たれても、それを止めればすぐにまた元に戻ってしまうという状態については」ということだったと思うのですが、これだと範囲が広い感じがします。

小原 心肺停止に至ったというより、癌の末期状態にある患者は既に対象になるような意味にもとれます。この(1)と(2)は、ここでは2つの異なるカテゴリーとして表示されていますが、この2つを分ける医学的な必然性というのはあるわけですか。

吉中 「死期が近づいている状態」で、なおかつ(2)の「心肺停止に陥って、救命措置を行ったとしても回復が難しい状態」というようなことですね。

小原 (1)(2)という別々のカテゴリーではなく、(1)(2)を共に満たすという意味ですね。

東  この書き方ではそのように読めないですね。

吉中 並立しているように感じますね。

小原 ですから、立岩先生が言われたように「癌の末期など」となると、非常に広いイメージにとられてしまうこともありますので、条件として「(1)と(2)を共に満たす」ということであれば、そういうふうに書いた方が誤解は少なくなると思いますね。

立岩 例えば「そういう条件であり、なおかつ、一時的に心肺蘇生をやった結果」とつなげればオッケーかと考えた時に、「そもそも今回のガイドラインは、そういう範囲のことを主に想定していたのか」というと、ちょっと違うような感じがします。この会議でも幾度か出たように、「まさに心肺蘇生術だけで動いていて、それをやめた瞬間に止まるという状態を、いつまで続けるのか」ということで、「そこまでやって良いのか」という話だったと思います。逆に言えば、「それも良しとし、いろんなことを良しとしていけば、逆に何でも良くなってしまって、それはまずいのではないか。何も決めないでおくという手もあるが、『こういう非常に限定された場合は控えますけれども、それ以外はちゃんとやります』という姿勢でやった方が良いのではないか」という流れだったと思います。例えば癌の末期にもいろいろな考え方があって、「余命数ヵ月でも末期癌だ」という言い方も当然にありますから、(1)と(2)を付けただけでは、「後数ヵ月間、人工呼吸器で生きていられるという場合でも、心肺蘇生をしなければ逝ってしまうという場合には、心肺蘇生をしない」という話になるわけです。

小原 「私の考え」にとって大事なのは、患者にとって難解な定義の仕方を、冒頭に持ってくることは控えた方が良いということですね。そういう意味では少し分かりにくいところがあるかも知れません。この原案では「どのような患者が対象になるか」を定義しているのですが、例えば事前資料にある緊急医療のガイドラインでは「そもそも終末期とは何か」という定義から入っています。患者からすれば、もちろん「自分がどういうふうな状態か」ということも大事なことですけども、「終末期とは何か」ということを理解した方が納得しやすいような気もします。緊急医療の資料のP5にガイドラインの最初のページがありますが、ここでは、「何をやっても回復不可能な」という意味で終末期が定義されています。原案では終末期を端的に「死期が近づいている患者」と表現していますが、最初の導入の仕方の考え方は、いろいろとあり得ると思います。 

立岩先生の説明に則して言うと、「死期を近づいているということを我々はあまり広い意味でとらないで、最善を尽くした上で、なおかつ回復不可能な場合にのみに限定して、このことを考えていこう」という大きな議論の流れが、確かにあったと思うのですよ。ですから、あまり広義にとられないような工夫が要るかなと思います。

勝村 「死期が近づいている状態」の「近づいている」という言葉は、時間の点がずれていると言うか、対象になるということは、心肺停止をした時に対象になるかどうかを判断するわけですから、「最善な治療を続けてきたが、死期が近づいている状態にあった患者が心肺停止を起こした時」という意味ですよね。

小原 「なんとかした時」ということの限界点は、終末期の定義では、一つは「不可逆な機能不全」のリミットを超えたかどうかということだと思います。ですから、「超える以前に蘇生を中止するということは、ここではしません。全力を尽くします」ということが大事になりますね。

勝村 緊急医療の方のP5では、「まさに心肺停止をした状態」という時間で終末期を定義していますが、原案の文章は、心肺停止をする前の状態で判断するかのように読めてしまうので、危険性を感じてしまう。

小原 それは、立岩先生が言わんとされたことでもあると思います。そこを医学的に厳密に定義しようと思うと、比較的に長い文章にならざるを得ないと思うのですよ。しかし、同意書の導入部分として極短く表現する場合、どういう表現が適切かということですから、含まれるたくさんの言葉を使う必要はないと思うのですけど、言わんとしていることが分かりやすく伝わっているかどうかということは大事だと思います。

勝村 原案のP2とP3はどういう関係になるのですか。

小原 この2つはおそらくセットになり、P2を良く理解していただいた上で、「私の考え」として記すということでしょうね。

吉中 P2は病院としての基本姿勢を示して、P3はそれに対して「どのように考えるか」ということを示していただく文書と理解しているのですが。

勝村 必ず同時に渡すことを想定しているのですか。

吉中 同時、ないしは事前にということで、「病院の考え方のようなものを事前に渡して読んでいただいても良いのではないか」という話も以前に出ましたね。

小原 ただ、この種のものは現状ではまだきちんとした形でされていないので、「意識がハッキリされている段階の患者に渡した場合、ご本人や家族にショックを与えることもあり得る」という話もあったと思います。

勝村 「P2だけを、入院時の例えば入院のしおりみたいな資料の端に載せる」ということと、「なおかつP3を渡す時には、P2を読んで理解してもらっていることを確認する」という話でしたが、必ず同時に渡すのであれば、P2に書いてある調子でP3ももっと書いたら良いと思う。

立岩 「私の考え」のⅠ、で「(1)(2)に該当する状態であることを確認しました」ということは、その時点でこの人は(1)かつ(2)の状態であるということになります。

吉中 ではないと思います。つまり、発動されるのは心肺停止のような状態に至った時ですから、事前の意思の表明ということにならざるを得ないと思います。

立岩 そうすると、この欄の「主治医:誰それ、医師:誰それ、誰それが確認しました」というのは、いつ確認したのかということになって、内容がよく分からない。「確認しました」ということは、「その時点がそうである」という以外に、ここには記名のしようがないわけです。

小原 「確認した時点ではご本人の意識がない」ということになりますからね。

勝村 手続きをするタイミングの時間を想定して書いている文章と、患者に「どういう状態で心肺停止をした時に心肺蘇生がされないのか」という説明文が、混在しているのです。

小原 これが難しいのは、「こういったものをどういった人に対してどのタイミングで渡すか」というガイドラインとの兼ね合いで、ここの表記の仕方も変わってくると思うのですよ。死期が近づいているということを、癌の告知がされて自らがキチッと認識されている人であれば、こういったものを受け取る余地はあると思うのですね。しかし、癌でありながら家族からも医師からも告げられていない人がこれを貰ったら、「あなたはもう死にますよ」と暗に言われていることになりますから、かなりショックだと思うのですよ。

立岩 今は、とにかく書類を取り交わすということが原則になっているので、基本的にはそれで間違ってはいないと思うのですが、そういう流れとはちょっと違う話をすると、例えばP2のような書類をお渡しして、「希望や分からない点があったらお聞きします」と書いてあるわけですよね。その時に「こうして欲しい」と言ってくる方がいらっしゃれば、「言われたとおりのことを書面として残して、それを参照するぐらいのことに留めておいても良いのではないか」という感じを私はするのですが、改めて「こういう場合にはこうします。署名、捺印」という話なのかなという感じがするのですが。

勝村 「私の考え」というタイトルは工夫されていて良いと思うのですが、下の部分は普通の同意書になっていて、「同意しない」という選択肢もないですし、同意したということにしかならないですね。「私の考え」なら、やはり考えが書き込めるようになっていないといけないでしょう。

小原 そういう部分は確かにあっても良いと思うのですが、いざという時に誰が見ても判断が分かるような「イエス、ノー」という部分は、きちんとしておいた方が良いと思うのですね。

立岩 P2の説明文で言うと、2番目の項目が「DNARを選択します」ということで、その次の項目は「最期まで」ということですよね。だから、ここを承認して「私の考え」を起こそうとするのですから…。

勝村 だけど、下の同意書の部分では選択できる余地がないですよね。第2項目の3行目の「通常は心肺蘇生を行いません」は、「医療界では通常」ではなく当院の考えだから、その前にもう一回「当院では」というのを入れた方が良いと思います。同意は、その方針に一定の理解を示したということだとは思いますが、「どんな場合に」というのを上手く説明するのが難しいのですよね。

小原 3番目の項目の「ご本人が望まれるのであれば、あるいはご本人が許容されるのであれば」という部分の、「望む」というのは、リビングウィルや「同意しない」という考えで、明確に「最期までやってくれ」という場合ですから、もちろん良いのですが、「許容される」というのはどう違うのですか。

吉中 「最期を見届けたい」という思いに対し、ご本人が「そこまではやって良いよ」と許容されることです。

小原 自分の意志とは関係なく、家族の気持ちを汲んで「家族が望むのならやっても良いよ」というのですね。

東  「『自分はどっちでも良いけど、家族が望むのであれば』という場合があるのではないか」という議論が前にありましたが、そういうニュアンスです。

広瀬 P2のレジュメの方はいつ渡しても良いとは思うのですよ。P3の方は、本人が告知を受けていたら、癌で亡くなることを自分でハッキリと分かっているから、段取りを整えるところで渡せると思うし、聞けるわけですね。ただ、告知されていない人は、告知しないことは家族も認めているから、家族にしか渡せないわけですね。

小原 現実には、まだ難しいところがあると思いますね。ただ、ご本人にこれが渡らずに、家族だけにこれが渡って、家族が心肺蘇生の中止にサインした場合、最初から本人意思は無視されているわけですから、それで良いかどうかという議論ですね。

吉中 埼玉の例では、ほとんどの場合が同意書になっているのですね。それは医療者本位で、医療者の方が「同意書を取ったからオッケーです」と言わんがためのことですから、ちょっと即していないと思いますので、考えを明らかにしてもらうことでは足りないかなと思うのですが、ご本人が考えを話されて、それを記載して確認していただくことの方が自然ですね。

東  この話は、まだ時間の余裕のある時の話かなと思いますね。つまり、まだ同意をする段階の話ではなくて、文書名のとおりに「このような場合には、どのような考えをお持ちですか」と、仮定の話の感じで意見を聞くというようなステップかなと思います。現実には、目の前に重症の人が運ばれてきて、ご本人に聞く余裕のない状況で何かが起きた時に、対応した医者がどうするのかということで、「こういうことをキチッとしておきたい」というのが、まさしく今の現場の要求なんですね。その患者さんが心肺停止した時に蘇生するのかしないのかを、ハッキリさせておかないと、不必要なことまでやってしまうかも、あるいは必要なことをしないかも知れないということで、そこをハッキリさせて欲しいということです。この考えを聞く段階よりも、もっと差し迫った段階では、ご本人に聞くというよりも、ご本人がどういう意思を持っていたかを推測するしかないような場合が多く、ご家族に病状を説明して、「いざという時にはしませんよ」ぐらいのことを言うのが現実だと思います。ですからタイミングから言えば、全然、別の話で、このような形の同意書を取るのは意味がなく、考えを聞くということなら、もし何かあった時に、その方がどのような意思を持っていたかを推測する一つの参考になるだろうというぐらいで、現実には、現場での「DNARをする、しない」の同意には使えないと思いますね。

田中 ターミナルの患者さんに限定すれば使えるとは思いますから、一般病棟の急性期の患者さんの意向推測的な役割を果たさないといけないような場面では役に立つと思うのです。だけど、救急の場面で現場の人たちが欲しいのは、事前指示的な中身かなと思うので、これでは使えないかなと思います。ですから話を切り分けていかないと、癌のターミナルの場合と、救急で心肺停止している状態では、終末期の定義付けもちょっと変わってくると思います。わりと事前指示ということが最近話題になっていて、「そこを確認しておきたいが、どういう形で確認するか」ということもあり、これとゴチャゴチャになっている感じです。

小原 確かにその2つは実際には分けざるを得ないですし、以前に厚生労働省が出したガイドラインでは非常に包括的な方針が示され、最近、救急医療学会が出したものはより緊急性の高いものに限定して書いていますから、当然、区別される事情というものがあると思います。ただ、救急医療学会のガイドラインが出された時には、幾つかの批判も出てきて、「だいたいの場合に患者本人の意思は確認できないから、家族にまず聞く。でも、家族もすぐに連絡が取れない場合には、医療チームが最終的に責任を持って判断する。そして、ガイドラインに沿って医療チームが判断する限りにおいては、ガイドラインに従ったのだから、何も責められることはありませんよ」という、言わば医療者側の自己防衛として作ったのではないかということで、結局、蘇生の機会を得ず、患者の命が軽んじられるのではないかといった批判もありましたので、「そこの部分について、この病院ではどうするのだ」ということを考えた方が良いと思うのですね。ですから、P2とP3がセットになっている状況というのは、緊急性が高いというより、まさにターミナル期の患者さんを想定されていると思います。

田中 病棟ではわりとこれに近いことはありまして、SWDの患者さんなどもおられましたが、重態から脱されると、いったん帰られる場合もありますから、今まさに死が近づいている終末期ということにはならないので、そこがちょっと気になります。

勝村 救急は、慢性疾患などとは難しさのレベルが違うから、とりあえずはターミナルの場合にDNARをどうするかをきちんと決め、次に救急の場合の議論を始めた方が良いと思う。

立岩 P3の書類を拝見する限り、埼玉協同病院の説明文を下敷きにしたものであるように思え、これまでの議論の流れとは独立した感じがします。この場合、死期が近づいていると言っても、何分や何時間の単位の話ではないと受け取るのが普通ですが、「余裕が後何ヵ月という人と、そうでない人とを区別するのか」という話自体はしていないと思います。「同じ心肺の状態になった時に蘇生するのかしないのか」という話ではなく、あくまでも「蘇生術をしている間だけは心臓が辛うじて動いている状態で、蘇生術を終わった段階では命が続かないのなら、蘇生術そのものが蘇生のためには無効であって、蘇生術をする必要はないのではないか」という話であって、その人のその時の病状とかその推定といった話ではなかったですね。また、例えば「人工呼吸器で生きていける人とそうでない人を区別して、そうでない人はしない」という話でもなかった気がします。いずれにしてもP3の(1)(2)は、これまでに我々が議論したわけではない要素が入っていると思うのです。 

それでP2に関して言うと、「行わない場合もあります」というところで、「しかし病気が進行し、呼吸・血圧・脈拍などが急激に悪化して、心肺停止に至る場合があります。数時間の間に死を迎えると判断できる場合には」と言うか、「判断した場合」と言うか、そういうことで「状態が急激に悪くなってしまって、仮に心肺蘇生をやってももたないという場合には、あえてしませんが」ということで、次の3番目に続くのだと思います。 

私は、これが一般的に患者さん差し上げる資料の一部としてあるのだとすれば、「意見・質問があればお聞きします」ということなので、意見や質問が出た時の、患者の考えみたいなものを文書として残し、それを見て判断するということでも、さして現場的にも混乱や問題は起こらないのではないかという気がします。逆に、先ほどから議論になっている「ちょっと」と「きっと」みたいな書類を、必ず取るという方向には賛成しかねます。

吉中 立岩さんがおっしゃっているのは、P2の第2項目の「回復困難な病状になられる患者さんがあります」というところは少しあいまいなので、ここは取ってしまうということですね。

原  しかし「回復困難な」というのは要るのではないですか。

立岩 あらゆる病気は、ある時点では回復困難でしょ。

原  回復困難でなければ、蘇生すれば良いのですから。

吉中 「困難な」というのは癌の末期だとかを想定するわけですね。

原  そこを省いてしまうと、病気が進んできて呼吸などが悪化するというのは、単に病状が悪化するというだけになるから。

吉中 「病状が悪化して、数時間の間に死を迎えるという状況に陥った時」ということですね。

原  そこは細かい部分だから、もうちょっと大きいところからやった方が良いかな。

小原 ただ、この文章もかなり議論してきましたので、まずここを固めてから、次のステップにいくということで良いと思います。ここの文案をもう少し検討するということと、これを前提にしつつも、「本当にP3の『私の考え』や同意書にあたるものを出す必要があるのか」というのがそもそもの問題ですが。

勝村 入院してすぐに渡す入院のしおりに入れるという話も出ていますが、「そのしおりに書いてあることに同意します」みたいな署名は貰うのですか。

吉中 全般的に同意するというものはないです。

勝村 入院時の個別の同意書はあるのですか。

内田 お支払いの誓約書みたいな入院同意書だけです。そして、主治医から入院診療計画書をいただきます。

小原 それは、入院する際に渡される簡単な冊子みたいになっているのですか。

内田 それはあります。病院で守っていただく規則と館内案内などが載っています。

小原 今は規則や具体的な日常生活のことが語れているわけですが、現状のものの中に、この1ページが挿入されても違和感はないですか。

吉中 お産で入院する人とかはやはり違和感があるでしょうね。小児科でも不自然ですね。

出島 中央病院の方針や民医連綱領などと並んでいれば大丈夫かなという感じですので、載せていただいても良いかなとは思いますが、絶対に誤解する人がいますから、やっぱり、主治医の指示などと一緒に手渡す方が良いかなと思います。

内田 私の息子が入院しましたが、しおりの文章なんかは読まないですね。繰り返し入院している方は、「いつものものですね」みたいな形ですが、初めて入院する人は、そういうものを拝見するのも初めてなので、「差し控え」とかいう文章は、確かにドキッとするかも分からないですね。

小原 ただ、終末期の問題もだんだん社会的に認知されつつあるので、今の時代において、これが極端にショックを与えるような文面ではないと思うのですよ。ただ、最初に一式を渡す時にこれを渡さなければ、逆に「ではどのタイミングで渡したら良いのか」という難しさが出てくるので、それを考えると、もう儀礼的にこれを渡しておいた方が良いかなという気がするのですね。

田中 看護師のところでいろいろと情報収集をする時に、基本的に「悪性の腫瘍だった場合は告知を希望されますか」みたいな話は、患者さん本人に一応確認しますよね。それはカテーテル入院であっても、検査とか一般的な入院でも、リハビリ入院でも、それは確認することになっているのですよ。なので、その話の流れの中で、「一応こういうものもあります」という形でお渡しすれば、流れとしてはおかしくないのかなという気はします。

小原 それはルーチンワークとして必ずされているのですね。確かに、その時にこれを渡すのは自然ですね。

勝村 基本的にはルーチンの中で渡せた方が良いと思いますよね。こういう状態になったら渡すというのでは、何かを察してしまいますよね。

田中 「危ないのではないかな」と考えられそうな気がしますし。

内田 別紙で貰ったら余計にそうで、絶対に同じ病室の患者にも「貰いましたか」と聞いてしまい、「貰ってない」と言われたら、「もうあかん」と思うね。

吉中 確かに一般的な方が良いね。

東  自分が死ぬことを考えられない人が多いですから、「そういうこともある」と考えるきっかけになりますね。ルーチンで渡すことは、小児科に入院した人も親が見るということで、良いのではないですか。

田中 でも、小児科では告知の話などはしません。

東  だから、告知の話をした時に渡す以外の時にも、病院に来られた方には「ウチの病院はこんな考え方をしていますよ」ということで良いのではないですかね。

内田 産科では一応分けないと、入院のしおりではちょっと違和感があります。

東  産科は病人ではないですから、除外しても良いですね。小児科も除くかな。

出島 キチッと説明できるかどうかですね。

内田 入っているものと入っていないものの、別のものを作ったら良いですね。

勝村 看護師さんが情報収集される時も、産科・小児科とその他では、きれいに分けられるのですね。

田中 基本的には、小児科では発達のこととかも聞くので、中身は違いますね。

勝村 もっと細かく分かれているのではなく、大きく2つに分かれているのですか。

田中 基本的に内科と外科は共通の要素が出てくるのです。

吉中 先ほど立岩さんがおっしゃっていたP2の第2項目ですが、「回復困難な病状になられる患者様」と、終末期で言われていることと同じような限定の仕方をして、そういう方の場合に「急激に心肺状態が悪化して、数時間の間に死を迎えると判断できる場合にはしません」と、限定が二重になっているのですよね。「これを無限定に広げるべきでない」という主張だと思いますが、「回復困難な病状になられる患者様」を外すと広がってしまうので、そこがちょっとね。

立岩 病気自体は、治らない病気がたくさんありますから、「病気自体からは回復しないが、生きている」ということもあります。例えば癌なら、ある状況になれば治りませんが、これを読むと「では治らない癌だったらしないのか」と拡大解釈される怖れがあります。この場合の回復というのは、特定の疾患からの回復とは意味合いが違っていて、「この状態では命は助からない」と言うか、生命としての継続の困難さというニュアンスだと思いますが、それが上手く伝わるようであれば、むしろ限定は付けた方が良いとは思いますね。

田中 「救命困難な」では?

吉中 うん、「救命困難な」にしたら良いではないですか。

田中 多少、次の文章もおかしいですね。

原  「一見安定していても」も省いて、「救命困難な病状になり、呼吸・血圧・脈拍などが悪化して」とか。

勝村 心肺停止する前の状態で一縛りをしておいて…。

広瀬 すぐに「数時間の間に」としたら飛ばし過ぎですね。

吉中 「救命困難な状態になり、心肺停止に至ることがある」ということですから、心肺蘇生の対象になるということでよいですね。物が詰まるといった単純な窒息みたいなことで、救命できる場合にはやりますが。

勝村 「救命困難」という言葉は、「数時間の間に死を迎える」という言葉と同じような気がする。だから一つの縛りのようにはならないから、もう少し違う表現はないですか。

広瀬 2段目の「急に呼吸・血圧・脈拍などが悪化して」を、1段目の「救命困難な」の前に入れた方が、患者さんにはよく分かるような気がします。

吉中 「物が詰まって、それを除去できたら助かる」みたいな場合は、救命困難な場合ではなく、直感的に、数時間の間に死を迎えるとは判断しないわけですが、そこの限定を厳密にしようということですよね。

小原 最初の1文目と2文目と、ここは上手く整理する必要がありますね。

田中 ここは何と何を並列する予定だったのですか。

勝村 だからイメージとしては、心肺停止する前も、本当にターミナルで積極的に治療ができず、死期が迫っているという状態で、かつ、心肺停止した後には、回復できると医療者が判断できないという、その2つをなんとか表現したいということです。

小原 ここで書かれている「呼吸・血圧・脈拍などの悪化」というのは、その前文にある「病気の進行や全身状態の悪化」というのと、意味的にはほとんど一緒ですよね。これは繰り返しになっているので、1文目の方にまとめて良いと思います。だから順序としては、病気の進行や全身状態の悪化のために救命困難な病状になって、その後に、さらに心肺停止に至る場合があるという、この順序が伝わるということが大事だと思いますね。

吉中 「救命困難な病状になって心肺停止」という「救命困難な病状」は要りますかね。

小原 そこの部分を切りたいのですよ。そういう段階を意識して区分した方が良いのか、あるいは「悪化のために心肺停止に至ることがある」と一足飛びにそこまでいっても良いのかということですよね。だから、こういう段階に分けることに、医学的な意味があるかどうかということですね。

田中 まだ中途の場合、いったん心肺停止になっても救命の可能性があるので治療はしますけど、この場合は、心肺停止に陥った時に、治療を行っても救命できないということですから、順番としては、心肺停止に陥った後に救命困難な病状になるということで、救命が困難な状態であれば心肺蘇生をしないということではないですか。

小原 そうだと思います。もしそうであれば、この順序は変えた方が良いと思います。

勝村 1行目は、心肺停止に至るまでの状態を定義しようとしている文章だから、やはりここで救命困難と書くのはおかしいし、救命困難というのは、3行目の「数時間の間に死を迎える」とイコールの言葉だから、「心肺停止に至るまでの状況は、治療も無理な状態であった」という表現をしておいて、なおかつ「そういう状態の人が心肺停止して、その段階で」というふうに持っていきたい。

小原 ですから、ここで「救命困難」と表現したとすれば、その意味は3行目にある「数時間の間に死を迎えると判断できる状況」と同義だと考えて良いのですか。

原  先っきの「慢性を対象にするのか、それ以外も対象にするのか」ということにも、ちょっと関わってくると思うのですね。外したらもっと一般的になりますね。それでも良いという考え方もあるのでしょうけど。

立岩 「全身状態の悪化」というふうになると、救急救命みたいな状況も含まれますね。

原  怪我や火傷で運ばれた人も救命困難な時はありますから、それも想定するのもおかしくはないですけどね。

小原 広い意味では、これも入ると思いますけどね。

立岩 救急の場合も含めるとなると、単なる「病気の進行」ではなく、「全身状態の悪化」というのを入れても良いのでしょう。そうすると、「しかし、病気の進行や全身状態の悪化のため、生命の維持が困難な状態になられる患者様があります。そして、呼吸・血圧・脈拍が急激に悪化して心肺停止に至ることがあります。数時間の間に死を迎えると医療者が判断する場合には」というようなつなげ方があるのかな。とにかく、「命がもたないような悪い状態が基本的にあって、いよいよ呼吸が止まるようなシチュエーションになって止まってしまう。でも、この時に何をしても数時間の間に」ということであれば、そういう説明もあるのかな。「病気の回復」では少しニュアンスが違うけど、「生命の維持が困難になっている」という言い方だったら良いかなと思います。

東  本当は、一般的に「長くなると必ず病状が悪化して、生命維持が困難になります」と言い切って良いと思うのです。ただ、ここのニュアンスは「スーッと逝くのでなく、一見まだもちそうなのに、ドーンと逝くこともありますよ」ということで、むしろこういう時に皆が慌てますから、こういう表現を避けるわけにはいかないのです。立岩さんの言われた「いよいよ」というのは文学的な言葉ですが、ここに「いよいよ」という言葉があると、ずいぶん雰囲気が分かりやすくなります。「その時の状況で、何かがドーンときましたよ」というニュアンスがいちばん良いのではないかと思いますね。

勝村 それを「心肺停止に至る」の前の文に入れるということですね。

東  だから、「病気の進行や全身状態の悪化のため、いよいよ生命の維持が困難な状況になられる」ということで、これは誰でもなっていくわけですね。そういう状況の中で、「一見安定していても、ドーンと心肺停止するということがある日突然…」、これは予想されていても「いついつ」というのは使わないですね。3日後と思われていても今晩になる可能性もありますから、そういうニュアンスは現場として非常に必要かなと思います。

田中 これだと「一見安定していても、急に悪くなった人の場合は」というのは分かるのだけれど、「だんだん悪くなっていって、ホンマに危ないな」という人もいるわけなので、そのへんも含めて欲しいなと思います。

東  それが必要なら、「いよいよ生命の維持が困難な状況に、だんだんなってこられる患者さんがおられますよ。また、一見安定していても」というように言葉を加えれば良い。

広瀬 「数時間の間に」の後に「いよいよ」を入れた方が良いかも知れませんね。

原  今の部分は逆なんですが、「数時間」のところも補足して、「仮に蘇生しても数時間の後に」としないと、心肺停止と「死を迎える」を同じように一般の人は思います。

勝村 「それも人工呼吸器を着けない限り」という表現を加えると、またややこしくなりますか。

原  それはちょっとややこしいでしょう。「仮に蘇生しても」という意味でしょ。

東  放っとけば、救命可能な人も含めて皆、すぐに死んでしまうわけですから、確かに「蘇生しても、ダメな状況ですよ」ということですね。

原  これは止まった後の話ですから。前段のところで「生命の維持」というのも、止まった段階の話の期がするので、「現在の医学では助からない病状」とかはどうですか。

立岩 その場合、「命が助からない」ということですね。

原  まぁ「命が救えない」でも良いですけど。

内田 「現在の医学では命が救えない病状になられる患者様が…」、

原  「患者様」とか言わないで、「場合があります」「ことがあります」の方が良い感じがしますけど。

内田 「…場合があります」。次は「また」ですね。「また、一見安定していると…」。

吉中 で、「仮に蘇生しても…」。

小原 今のでだいぶ文章は良いですね。

勝村 で、産科・小児科以外のパンフに刷り込むのですね。ただ、P2とP3を同時に渡されても、表現がつながらないですね。

小原 もし、P2のところで他に気になるところがなければ、次のステップにいきたいのですけども。

原  蘇生術の一定の説明は要らないですか。

広瀬 それは要りますね。心肺停止も要るかも知れませんね。

小原 説明は要りますね。

勝村 P7みたいなやつ。

東  これをいただいても良いのではないですか。

原  心肺蘇生法のところは、心臓マッサージと除細動器までで良いのでしょ。

吉中 出てくる言葉の説明だから、「心肺蘇生法とはなんですか」の項目全体ですね。

原  心肺蘇生法の中に人工呼吸器まで入るのですか。

吉中 心肺蘇生法の説明に人工呼吸器とかが書いてあるからですね。定義上は、心臓マッサージ・除細動器・気管内挿管までは入り、人工呼吸も入りますけど、人工呼吸器を着けるかどうかはシチュエーションで、病院だから着けるということで書いてあるのでしょうね。

東  人工呼吸器は、助かる見込みがある時は着け、初めから見込みのない時は着けないのではないですかね。DNARの対象になるぐらいダメな人に、レスピレーターをつなぐようなことはしますか。

吉中 今はしません。ただ、気管内挿管をしてしまって心臓がずっと動いている場合には、そうしないと誰かがずっと空気を送り続けなければいけないので、もたないですね。

東  そこまでやってしまうか可能性はあるわけやね。

小原 ということは、人工呼吸器も書いた方が良いということですか。

吉中 そうですね、その方が良いと思います。

東  そこまで救う場合があるみたいなことなんでしょうね。

吉中 場合があります。回復したら別に着けなくても良いですけどね。

田中 DNARでは着けないのに?

吉中 「心肺蘇生法とはなんですか」の説明ですから。

小原 結局、DNARでは「この一切をやめてくれ」ということですからね。

東  こういう説明を書くと、また、「ここまではやって欲しい」という人も出てくるでしょうね。除細動器では、今は世の中に、助かっている人がいっぱい出ていますから。「呼吸器は要らんな」という人はいるかも知れませんが、「全部やって欲しい」という人もあるだろうし、難しいですね。

小原 そうですねぇ。

勝村 除細動器はホンマに多いやろうな。

原  レスピレーターってどれぐらいあるのですか。

吉中 院内には10台ぐらいあります。

田中 足りなければリースで借りられますよね。

東  いっぱいの時は借りますね。

小原 もし、心肺蘇生の方法を説明して、同じDNARといっても、選択に「これをして欲しいけど、これは要らん」ということを確認するとすれば、当然、「私の考え」にあたる書面は必要になってきますね。ですから、「そもそも論から始まって、細部の検討も含めて必要だ」とされた場合には、「どの程度、細かく記述するか」ということも考えていかなければなりませんが、まずは大前提として、この「私の考え」というものを出すことが適切かどうかということを一応、確認してから、次のステップへ進みたいと思います。 

先ほどの立岩さんの考え方では、「これは必要ないのではないか」ということでしたが、この点に関してはいかがでしょうか。今の社会的な動きからすると、同意書をなるべく取っておくことが一般的になりつつあるようなところがありますので、これは当然、両論があると思います。

原  できることなら、あまりフォーマットとしての選択肢がないような形で、やった方が良いかなと思います。書類を取っておいた方が良いという場合があるというなら、署名をするようなものがあっても良いのですけど、ちょっと選択肢になりすぎているような感じがします。細かく見るとそうではないのですけど。

吉中 現状でいちばん多いのは「ご家族に説明してDNARとした」ということで、先日に整理した時には、「当直医が心肺蘇生をしてクレームがきた」というトラブルケースもあったので、電子カルテを開いた時に、その患者さんがDNARを選択していることが表示できるようにしてあります。

小原 では、現状では電子カルテを見ればDNARの有無がパッと分かるようになっているのですか。

吉中 一応、仕組みとしてはそうなっています。それでも結構、分かりにくいのですけどね。どうしても緊急の場合になりますから、とっさの判断が求められますので、分かりやすくないと間違いますからね。 

その時に主治医なりが、ご本人やご家族に話を聞いて書いたことは、ご本人が署名したわけでもなく、確認したわけでもないので、聞いたことを都合良く書いたかも知れないと思われますから、恣意性が入るわけですね。

小原 だから、より本人の意思に近づけるには、こういうものが必要になってくる部分もあると思いますね。

東  現場では、「そういうことが必要だ」という話がどんどん先行していて、「誰が誰にどういう話をしたかということを、各自、書きましょう」という段階ですね。その結果として「蘇生しません」という同意が得られれば、カルテで分かるようにしようということで、そのへんが本当にキチッとできれば、同意書云々よりも大事なんですけど、案外簡単に「もうよろしいね」みたいな形でやられる可能性も一方であり、難しいですね。

吉中 言葉は悪いけど、死人に口なしだからね。

出島 私たちの業務の方に縛りをかけるための文書はいるのかな。

東  逆にそうですね。主治医と家族とで話したと言っても、それが誰か分からなければ困るので、こういう手続きをキチッとした結果としてそう話になったということが分かるようにしなければいけません。

小原 今回の「DNARに関する私の考え」は埼玉の病院の分をモデルに作っているわけですが、非常に関心があるのは、実際に出されている病院ではどういう運用がされているのかということです。どのタイミングで出しているのかとか、それが患者・家族にどのように受けとめられているのかとか、そのような情報はないですか。

吉中 民医連医療の特集にもそういうことは書いていないですね。

田中 学術交流集会で発表はありましたね。「倫理委員会でそのように決まり、既に使っています」という報告で、具体的な運用の中身では、「このような人にこういうふうに使いました」という例もあった気がするのですが、ちょっと覚えてないですね。でも、安田先生が「終末期という定義付けでDNARの確認をしているにも拘わらず、退院された患者さんが何人かいた」という実例を挙げておられるので、本当の意味での終末期を確認しないまま、DNARの同意書を取っていることが多いと思いました。今でもありますけどね、100歳前後のかなりご高齢の方の中には、「次に何かあっても、何もせんといてください」みたいな話が本人や家族と医師との間でされていて、いったん退院され、次に運ばれてきた時にはその指示に従うということは実際にあると思います。

勝村 P10の埼玉の説明・同意書には、「死期が近づいている患者」と書いていますが、生々しすぎますね。

吉中 民医連医療に青森の先生が書いているアメリカの例では、「DNARについての判断は、73%が本人ではなく、代理人が行っている」とありますが、こういうシチュエーションの中ではないでしょうか。

田中 その前の「2.DNAR指示は、ガイドラインどおり終末期の患者~」には、「3月1日から6月30日までに入院した患者の内78人にDNAR指示が出ていて、死が避けられない終末期であれば、全員が死亡するはずなのに、10人が軽快退院され、その内9人は肺炎による入院」という青森の健生病院の例も載っています。

吉中 これは話すタイミングの問題で、事前確認が早くされたと私は感じたのだけどね。

勝村 患者ご本人に出さずに、ほとんどが家族に話しているのですか。

吉中 このアメリカの例は、高齢者施設やナーシングホームの場合ですから、推測すると、認知症があったり、寝たきりであったりすると考えれば理解しやすいのですが、我々の病院でも、実際にそういう方は多いですね。

小原 家族だけに渡すのなら、今やっていることを単に書面化するだけの話ですから、そんなに難しくないと思うのですよ。ただし、患者ご本人に意思確認するというのが、日本の医療の新しい考え方になっていますから。

勝村 これが本人向けでなく家族向けなら、この倫理委員会は「できるだけ本人に」という考えなので、やはり採用できない。

吉中 当然、ご本人の意思が確認できない状況はあるので、その場合の方法も見つけなければいけないということはありますが、今までの議論の流れからいくと、ご本人抜きにはできないですよね。

小原 そのとおり。今までの議論の流れでは、やはりまず患者本人ですよね。

勝村 原則が本人だったら、出すタイミングを真剣に考えれば、ルーチンでないと無理ではないかと思うわけですが、現実的には日本の病院ではあまり経験がなく、これまでは家族に対して説明してきただけに、新しい発想という位置づけでやらないといけません。

小原 これを実質的に機能させようと思えば、ある程度、終末期から離れた時期に説明して同意書を取り、そして、「中には軽快退院する人がたくさん出てくるという状況も当たり前である」ということで良いと思うのですよ。終末期に近づけすぎると、タイミングがいっそう難しくなってきますから、やる場合は、入院時のルーチンとしてできた方が良いかなという気がします。

原  民医連医療の数字は、本人や家族から書類を貰う段階と、医療チームで蘇生をしないと決める段階との、2段階ある内のどちらで言っているかで意味が違い、2段階目の方で軽快退院の人がいっぱいおれば変ですね。

小原 国内にも先行事例があるとは言え、新しいことですから、より慎重に考えた方が良いと思いますけど。

吉中 「面談をして、ご本人からこういうことを聞いた」というのは電子カルテにあるので、それを打ち出して、「こういうことですね」というのを確認するような手順はとれますね。

田中 多分、先生が聞き取りながら打ち込める、白紙の承諾書が入っていて、同意欄も作ってあります。

勝村 「告知しますか」と尋ねるとおっしゃっていましたが、それはどうやって把握しているのですか。

田中 患者さんのデータを集約するデータベースに、告知希望などは書いています。

小原 それを入院時に聞くことが、ルーチン化されているのですね。そのタイミングでDNARをというのは、ちょっと早すぎますか。

田中 それは、看護師さんの力量的に厳しい時があるかと思います。1年目の成り立ての看護婦さんでも誰でも聞くことなので、告知だったら「もし悪いものが見つかったら聞きたいですか」と聞けるけど、次の段階になると、力量に不安があっても、師長さんに回ってもらうわけにもいかないので、ちょっと難しいと思います。

原  とりあえず、なるべく早い段階で本人の意向を聞いて書面化するという方向をとるのであれば、病状とか見通しといったものは、第二段階で判断する話なので、要らないのかなと思いますね。

勝村 その患者さんとは無関係の一般論として、「あなたはどっち派ですか」みたいに聞くこともできる。

原  「あなたは終末期ですよ」みたいな話を抜いておいて、「トコトンやって欲しいですか。どう考えますか」みたいな話にもできるでしょう。

吉中 リビングウィルとかは元気な時に話しますから、そうですね。

原  リビングウィルは本当に有効かという問題はありますが、まぁそういうことですね。

小原 確かに「私の考え」に関して言うと、プロセスはともかくとして、「自分が心肺停止になった時にどうしたいのか」ということさえハッキリと出ていたら良いわけですから。

原  まぁ「よく分かりません」という枠は、全部に作っておいた方がよいとは思います。

広瀬 患者会の学習会でこれを出してね、「これに関してはどう思いますか」と聞いたことがあるのですけど、わりと「何にもして要らん」と答えた人が多いですね。そういうように、ここで考えている以上にハッキリと答えが出てくる可能性もあるのですけど、「その時になったらどうや」ということは分かりませんね。

田中 尊厳死協会のカードを持ってこられた人がありましたね。

内田 やはり若かったら、「せめて子どもが」というのもあるだろうし、年齢によってちょっと…。

立岩 元々の話として、ここで病院としての態度を示し、そして「意見は聞くので何でも言ってください」という話になっていますが、書面を取っておかないと問題の生じる場面、例えば訴訟などが具体的に想定されるのでしょうか。紛争があるから捺印のある書面が必要になるわけで、そうでなければ必ずしも必要ではないから、この場合に必要なのかよく分からない。もちろん、どっちの治療の方針を選ぶかといった場合は必要ですが。

勝村 やはり同意書が欲しいというのは、担当している医師の叫びでしょう。それに直面した時に、自分で判断することが苦しいので、心肺蘇生をやっちゃうみたいになりかねませんから、「本人が希望している」という言葉を求めているのではないですか。患者側からはどうなんでしょうね。

小原 割合はともかくとして、患者側からの要請もおそらくあると思うのですよ。「自分が死期を間近に迎えた時にどうして欲しいか」というのは、やはり一定のイメージがありますよね。その時に、「自分の意志にそぐわない形での処置をして欲しくないから、こういう形で表しておきたい」ということで、リビングウィルまではいかないけど、ある程度のニーズはあると思います。

吉中 クレームは、患者さんではないけど、ご家族から「心肺蘇生をするなと言っていたのに、したではないか」というのはありました。

勝村 逆はないの?

吉中 逆は、顕在化したことはありません。

出島 「して欲しかったのに、してくれなかった」というのは、よその病院では言っていましたね。

吉中 これを紹介されたのは医学生かな。実話ではなく、「蘇生をせずに亡くなったところ、別の家族が訴えてカルテを開帳しなさいと来た。あなたはどう考えますか」というような倫理問題として出されているみたい。出入り業者はちょっと防御的になっているみたいです。

出島 私たちの業務に縛りをかけないといけない部分もあって、誰から取った同意かも分からず、DNARと書いてあるだけのカルテもたくさんあるので、整備するとこうなるのかなと思います。逆に言うと、業務手順として「患者さんのお考えを聞いた上で、主治医が判断した治療方針を書く」というやり方もあるとは思います。

吉中 それは、主治医が担保をするということやね。

出島 そうです。それで揉めたら仕方ないので、結構、危険ですけどね。

吉中 この様子を見るとね、差し控えるか、到着まで蘇生するか、そうでなければ普通どおりに蘇生するということで、ご本人・ご家族がこれを読んで医師から説明を聞いたという記載があってということですが、今よりその方が公明正大になるね。

原  やりすぎても法的には問題になり得ないです。蘇生術をやらなければ「救命努力を尽くしていない」と言われる可能性があり、問題になり得るから、みんなやってしまうというのでしょ。

吉中 今はそういう危惧が生まれているね。歴史的には、昔から蘇生をやってきて、手段も増えてみんなやっていて、それがだんだん減ってきたという流れにはあるのですよね。

原  こちらの手順書だけにした場合は、そこのクリアができるかという問題はありますね。

吉中 カルテ開示はしているわけですね。

原  書いてもらっても良いし、相談して作っても良いのですが、白紙で文書を作ってということは可能ですか。

小原 ただ、書いてもらっても、DNARに対してイエスかノーかということはハッキリさせるわけですよね。

原  結局、選択肢は「なるべく一生懸命やる」のか、「せんといて欲しい」のか、「家族に任せる」のかということですけど、ハッキリしない場合はそれで仕方ないではないですか。

小原 もしハッキリしなければ、それを残しておいても意味がないのではないですか。

原  ハッキリしないということは、強い指示がないということで良いのではないですか。

小原 その場合は心肺蘇生をせざるを得ないですね。

原  いや、別にどっちだって良いのではないですか。

小原 それは、そうはいかないのではないですか。

原  だから、問題は本人の意志に反するとか、家族の意向に反するといったことを、気にしているわけでしょ。

小原 ただ、文章だけだと、読み手の解釈によって意見が分かれる場合もありますし、緊急性の高い場合に即座に判断できない場合もありますから、白黒をハッキリさせた方が良い部分もあると思います。

原  選択肢を付けても良いけど、「分からん」というのもそのままで残しておく必要があると思います。意思表示の機会は提供しているので、「よう決めん」ということは、「どれをやっても文句は言わへん」ということでもあるという解釈も、紛争問題だけを考えればできます。

勝村 P2をちゃんと読めば、「特に申し出がなければやりません」という宣言だから、そういう場合はやらないということですか。それだけのコンセンサスが病院側にあるのですか。

内田 「分からない」はやらないということやね。

吉中 第2項目の場合ですね。このような場合に行わないというコンセンサスは概略あるね。

田中 事前に「予期された心肺停止は何もしません」と確認している場合になってきますよね。確認していない場合はしていますよね。

小原 もしそうであれば、現状とこの文面が食い違うわけですよね。

吉中 DNARの指示が明確でない場合には一応はやっていますね。

小原 ですから、医療者が我からすれば、同意書がない段階ではそれがいちばん安全だと思うのですよ。ただ、ご本人の同意を取るようになれば、事情が変わってくる可能性はありますね。

原  この紙を渡すか説明するだけでも変わってはきますね。

勝村 この紙を渡していけばデフォルトが変わるから、逆に、カルテにDNARとも何も書かなくなって、やらないことが一般的に思えるようになりますね。DNARというのは、こういう状態になった時だけに言う話でしょ。

吉中 そうなんですが、幅がありますね。

小原 だから、意思確認はしておいた方が良いと思うのですよ。

吉中 心肺蘇生も幅があって、「どれだけの時間を続けるのか」とか、「しっかりやるのか、ちょっと難しいなと思いながらやるのか」というような違いはずいぶんありますね。

出島 元々の「通常は」というのは、「当院では」ということでなく、「世間ではそういう流れになっていますよ」という意味ではなかったですか。

勝村 それだったら、この病院の宣言ではなくなってきますね。

原  これは、「この病院として、今後はこういう方向でいこう」という話だと理解していますけど。

勝村 だから、ここは主語をハッキリさせるべきだと思います。

内田 となると、「しない」ことが前提になりますね。

広瀬 「ご本人の意思」というところの文章がないのですけど。

吉中 だからこれですよね。最後まできちんと治療するけども、第2・第3項目もありますから、それに対応して、DNARの意思を明確にしていただきたいとするかどうかということやね。それをハッキリさせた方が良いですが、現状としては、独り歩きさせるのは良くないと思います。やっぱりそれは、医療者だけに任せたら、「こういう判断や」と言っても、なんぼでも変えられますからね。

勝村 「当院では」という主語であれば、サブタイトルも「DNARに関する当院の考え方について」ぐらいに変えても良いですね。

原  「差し控え」なんて書かないで、「心肺蘇生術」あるいは「終末期の心肺蘇生術」というタイトルの方が良いですけどね。

勝村 「心肺蘇生術に関する当院の考え方について」ということで考え方を言うけども、「本人の意思を尊重します」という方が良いのではないか。選択肢もあるというのがこの文章の趣旨でしょ。

小原 だんだん時間もなくなってきたので、P3に関しては細部まで詰めることは難しいと思うのですが、大きな方針だけでも、できれば今日に確認しておきたいと思います。 

まず、P2の説明文を前提にした形で、同意書にあたるようなものを作った方が良いという方向で、考えていっても良いですか。今まで確認されたことの一つは、デフォルトとしては「終末期においては心肺蘇生は行いません」ということで、これは現状からの非常に大きな変化になると思います。そういったことを前提にした上で、意思確認をきちんとすべきだという方向でよろしいですか。ここはかなり危険なので充分に議論を尽くした方が良いと思います。特に立岩先生、何かあれば言って欲しいのですが。

立岩 基本的にはP2の話をほぼそのままでいくのであれば、それを示した上で考えを聞くことになるのでしょうが、家族が来るまでの間より長い話にはならないと思いますから、事実上、3択ぐらいになるので、電子カルテなどに記入しておくことは、手続き的には不可能ではないと思います。それに署名捺印までいただくかどうかは、僕には分からないところがありますから、意思を確認すれば良いのではないかと思います。実際には、終末期の手前のところで出すということ自体、当初も今も、ためらわれるものがあるというのが正直なところです。 

埼玉の文書を下敷きにしたP3に関しては、非常に多くの点において問題があると言わざるを得ない。(1)(2)という設定はなかったと思うし、「(1)(2)に該当する状態であることを主治医が確認しました」というのは、「末期で、あなたはもう死にかけています」と医師が書いて、「分かりました、どうぞ」と確認する書面なのか、あるいは、本人が書くことを本当は想定せず、実質的には第二者が書くことを想定している書類なので、よく考えるとかなり奇妙な書類ですよね。だとすれば、少なくともP3のままの文章は使えないだろうと思います。

小原 署名を求めることは心理的にかなり大きなストレスをかけることになりますので、結局、意思確認するにしても、どういう形式でどの程度かというのはかなり大事だと思うのですね。だから、この文書で言えばⅡの3沢ぐらいが、電子カルテの中にきちんと入っていて、そこさえ確認してもらっていればオッケーだということであれば、それで構わないと思いますし、それに加えて本人の署名を貰わなくても良いという判断もできると思いますね。そこをどういうふうにしたら良いかということですね。

吉中 既にその時、ご本人に認知症や障害などがあって、意思表明ができないことも多いですが、その場合をどういうふうに考えるかという問題あります。通常は複数の方の話を聞いて決めていくのですが。

立岩 どうしたって命を救えないという、かなり強い条件のある方針だと思うので、医師の見立てでそう判断したとすれば、医療法上の救命義務などは解除されていると言わざるを得ないわけです。それに対してクレームが付く可能性はあって、カルテを警察等に見せるといったこともあり得るとは思います。ただ、例えば「切るなと言ったのに切っちゃった」といったことは紛争になり得ますから、治療方針については書面で「こうしてくれ」ということもありますが、「既に救命義務が解除された」と確実に医療者側が思っている場合、これに関して法的な問題が生じるとはあまり思わないので、強い書面での確約は必要ではないのかなと思います。

吉中 それを逆に言うと、「回復不可能だ」という明確な現実の判断を下すということが、医師に求められているということですよね。

立岩 それさえ確実なら、「捺印のある書面があるのか」ということが問題になることはないと思うのですが。

小原 こういう形の書面を求めるというのは、やはり訴訟のことを考えてという例が多いですね。いざという時の防衛機能も実際にあると思いますし、「トラブルが心配でいつもストレスを感じている」といった医療現場の実情もストレートに語っていただいて良いと思うのですが、何故ここまで厳密にやる必要があるのでしょうか。

吉中 私の感覚では訴訟が心配なのではなく、原さんの話を聞いて思うのですが、医師の全てがいつも全力で尽くせるとは限らないということです。極端に言ったら、「夜中やし、もうこれで済ませておこう」というように、いくらでも手を抜くことができるわけですから、そのことが充分に担保され得ないのではないかという心配があるのです。そうは思いたくないが、実際に起こり得るということですね。

原  今おっしゃったのは、院内のスタッフにキッチリと縛りをかけたいということですが、その手段は本人や家族から署名を貰う手続きなのかということで、仮に早く取るとすれば、本当に必要なのは、実質的には「終末期だよ」という時点のチーム判断ですよね。

東  その判断を正しくやるということが、いちばん大事ですよね。

原  同意書を事前に取っていたって、助かる人を助けなかったら一緒のことですから、それは医師決定のプロセスで担保する必要のある話です。

勝村 「DNARだという判断に嘘があったのではないか」というのは裁判になりますね。

東  「取ったかどうか」ということより、「こういうふうにした根拠は何だ」ということが問題ですね。最後まできちんと治療しましたということに意味があるので、DNARができる条件というのは限られていると思うね。

勝村 だから、P3の「医師が確認しました」というのは、内部的には絶対に要りますね。患者や家族が希望している意味で「この人はDNAR」と電子カルテに書くのではなく、「今この人が心肺停止になったらDNARに該当するということをチームで確認した」という意味で書くことが大事になってくる。それさえ押さえておけば、裁判を心配する必要もない。

吉中 「これを絶対に1人だけでは進めない」ということがないとね。

小原 そのへんの透明性を担保するには、病院サイドのガイドラインがやはり必要だと思います。それがないと、やはり恣意的に判断したと言われかねません。かなり以前のコピーになりましたが、病院のガイドラインについても併せて議論していく必要があると思います。 

今日はもう時間がきましたので、とりあえずP2の文書は、今日の修正を加えればほとんど完成に近づきつつあると思うのですが、次回にもう一度、最終確認をしたいと思います。P3については、署名の必要性の有無をめぐる議論をもう一回やらなければいけないと思いますので、必ずしもこの書式でやるわけではないということを確認した上で、これを案として次回に継続します。また、次回には新たにガイドラインも併せて出していただき、全体を議論していければと思います。

東  P2の第2項目の「通常は心肺蘇生を行いません」のところですが、このように言い切ることになんとなく抵抗があるので、「無意味であると考えます」とか「行うことは無駄であると考えます」というように、考え方を述べるようにした方が良いのではないかと思います。これだと、「やりませんよと言いながら、やったではないか」と言われかねませんし、しかも本人の意思を尊重するためには、「私たちは基本的にこのように考えていますので、賛同していただいたらそのようにしますよ」というニュアンスの方が良いと思います。

小原 そうですね。これだと他人事みたいな感じなので、それが良いと思います。

勝村 その次の文章にもつながりますね。

原  ただ、タイトルは、「ご本人の意思を尊重するために」は要らんのではないですか。「終末期の心肺蘇生術について」ぐらいで良いのではないですか。

東  そうですね。「意思を尊重する」と言いながら、いろいろとこちらで判断するわけですから

小原 それでは、今のようなことも少し勘案していただいて、最終の文書を次回に確認したいと思います。

原  P3のような同意書を作るとしたら、こんなにガチガチな文面にしないで、もっと簡略化しないと…。

勝村 それから、「例に挙げた病院ではどんなタイミングで渡すのか、実際に本人に渡すのか」も知りたい。

内田 問い合わせをします。

田中 3~4ヵ所でやっていますね。

小原 その内の数ヵ所でよいので、実際に上手くいっている部分と、上手くいっていない部分の、両面が分かればよいと思います。

勝村 埼玉の同意書は、本人に渡すことを前提としているとは思えないよね。

内田 経過は分かりませんけど、今はこれで運用されているみたいです。

勝村 ルーチンでそんなことをしている病院は全国にあるのですかね。

原  あるのと違いますか。

勝村 それなら、そういった病院のフォーマットや経験を参考にできたら良いと思いますね。

吉中 多分、「通常は心肺蘇生術を行いません」と言っているところは少なく、見たことはないですね。

小原 運用については調べていただいて、次回、考えていきたいと思います。それでは残りの時間で、治験関係と医療安全大会の報告をよろしくお願いします。

吉中 治験審査委員会の11月6日付の議事録が事前資料に入っています。前回にご審議いただいたFTY720については、10月の治験審査委員会で承認されていますから、11月5日の委員会では、P2の審議内容にあるように、6月頃に報告されたGGS(γグロブリン)、通常は重症感染症に使われている薬ですが、これを使う治験について承認されています。治験の目的は、月に1回の適用で同等の効果が得られるのではないかということです。 

もう一つは、P19にありますように、FTY720の実施状況についての報告を受けましたが、1回承認されればずっと続けるということではなく、必ず「継続をするか、止めるか、保留するか」を決めますので、採決しています。後はGGSの治験の中身が載っていますが、ご覧になっていただければよいと思います。

原  この議事録というのは分かりにくいですね。同じ日に一々、テーマ毎に開会したりして、よく分からない。

吉中 いちばん最後のものが6月に審議いただいたFK506の第III相試験ですが、これも経過報告ですが、これらは書式を決められているので、それに揃えてあります。 

実際には、FTY720が10月の終わりから患者への説明が始まり、少しずつ進んでいますが、重大な副作用・トラブルはないとのことです。この前に原さんから「アドボカシーを」というご意見もいただいたので、なかなか難しいのですが、原さんにもご出席いただき、神経内科医師による治験と薬の開発状況などの講演会を、11月11日に100名を超える参加者を迎えて行いました。若い患者さんが多いので、一目には患者さんと分からないような若い女性もいっぱい来ていました。期待半分、怖さ半分でしたが、治験情報が思ったより知らされていないということでしたので、こういった機会を増やしていくことを患者会の方とご相談し、患者会も京都ではMSWと多発性硬化症友の会の2つありますが、友の会の方はその後に学習会もされています。この2つの会はちょっと流派が違いますが、両者が協力してやっていただければということで、病院としては両方とも付き合っています。

小原 ありがとうございました。引き続き、医療安全大会の報告をお願いします。

東  大会で使用したスライドのコピーが事前資料にあります。アンケートを取ったことを前回もお話ししましたが、約450名の全職員の内の337名から返答を得ましたので、かなりの回答率です。まず、「倫理委員会を知っていますか」という質問からですが、認知度はあっても内容は知らないということですね。医療倫理を学ぶ機会も、やはり院内学習で学ぶことが多いということでした。 

当日は原さんにも講演をしていただきましたが、感想文は送られましたか。

原  どうやったっけ。あぁ、ある程度はいただきました。

東  要するに、前半にはニュルンベルク・コードなど、医療倫理の歴史が詰まっていましたから、「かなり難しかった」と言う意見もあったのですが、後半の方は非常に具体的な話をしていただき、「かなり面白かった」ということで、僕らも、問題が非常に整理されていて良かったと感じました。

小原 それを何分でやったのですか。

東  1時間ぐらいです。ただ、テーマが難しかったということで、100人を超える普段の安全大会よりも少なく、70~80人ぐらいでした。

田中 ちょっと事前の態勢が組めてなかったのです。

東  それもあります。面白い話だったので、もうちょっと人数が多ければ良かったのですが、若干、残念でした。また、12月の医療安全講座では小原委員長に講演していただきますが、医療倫理については、病院でも恒常的に考える機会を作っていきたいと思います。

広瀬 「どなたでも」というのは、職員でなくてもよいのですか。

東  はい、どなたでもよろしいです。医療安全大会はこんな感じでしたが、どう感じましたか。

吉中 整理されていて分かりやすかったと思いますね。歴史のことは、ニュルンベルク裁判とかを聞いても、「えっ、何のこと」という感じの人もいるでしょうしね。

東  そういうことに関心を持った人なら勉強しますが、普通、キチッと教えてもらうことはないですね。

勝村 全部、こういうことは知っているだろうという前提で話をするとね。

原  いや、別にちゃんと分からなくても良いのですよ。

勝村 このスライドはすごく問題点が整理されていますね。不健全な整理がされていることが最近は非常に多い中で、整理の仕方が健全ですよ。

小原 医療安全大会については以上でよろしいですか。はい。特にその他の報告はないですね。では、次回の日程について調整したいと思います。

吉中 お知らせですが、前に倫理委員会にいました北村隆人が、2年間のオーストラリア研修を終え、1月10日から復帰します。彼がこの仕事をできるかどうかは、帰ってから相談しなければいけませんが、できれば協力して欲しいと思っています。オーストラリアで見聞きしたこともこの場で紹介してもらっても良いかと思います。

東  来年で倫理委員会も丸4年ですね。2年前のようにまた新年会をやりましょう。あれは忘年会でしたか。

田中 忘年会でした。

吉中 北村さんの話を聞く機会としてやります。

広瀬 出生前診断の議論の時、北村先生が近づいて来て、「話してくださいよ」と言われて、あれからちょっとは言うようになりましたが、それまではガチガチに固まっていましたから、先生の言葉は効き目があります。

吉中 次回は1月か2月ですね。今日は火曜日ですが、木曜日はどなたかの都合が悪かったのですね。

小原 木曜日でもいけると思いますよ。

内田 新年会とは割り切って分けた方が良いと思いますが。

東  先に終末期医療の件の決着を付けないとね。

原  これはなかなか決着しないですね。

小原 でも、ちょっとずつ。

原  ちょっとずつでは、また忘れて、元に戻っている時もありますね。

内田 1月のスケジュールは変則的で、1月の火曜・木曜は院長の都合が悪いので、2月ですか。

吉中 2月12日はどうですか。

小原 皆さん、大丈夫ですか。では次回は2月12日を予定してください。

原  詰めるのなら、メーリングリスト的にメールでやり取りした方が良いですね。広瀬さんは使いませんか。

内田 いや、全員のアドレスをお聞きしています。P2の修文したものと…。

原  たたき台とか、考え方みたいなものがあれば。

小原 それから、もし実際の運用のことが部分的にも分かってくれば、簡単でよいので、メーリングリストで報告してくれれば、考える糸口になります。

原  新しく作っても良いけど、全部を入れて、全員で返信すれば良いだけのことでしょ。

小原 ということで、なるべく早期決着を目指したいと思います。今日はどうもありがとうございました。

 

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